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(回答先: 首相演説、謎の黒服に阻まれたプラカード 首相、もう潮時です。40年越しに「真の女性活躍」を進めた首相になってください(朝… 投稿者 肝話窮題 日時 2019 年 7 月 29 日 00:09:30)
元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界G
剛腕・小沢さんのもうひとつの顔 「夫婦別姓。僕は賛成だ」と小沢一郎さんは言った
円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長
論座 2019年05月05日
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小沢一郎さんを囲む新進党の女性議員たち。小沢さんの真後ろが小池さん。右隣り円。右端は扇千景さん=1997年10月1日
■小沢一郎さんとの二つの強烈な思い出
先月末、自らが代表をつとめた自由党を解党して国民民主党に合流するなど、今も政治の一線で活躍する小沢一郎さん。1994年末に旗揚げした新進党でご一緒するようになって以来の付き合いだが、彼には二つの強烈な思い出がある。
ひとつは愛媛県・松山市での“カーチェイス”。もうひとつは夫婦別姓法案の国会提出に一役買ってくれたことだ。
なかでも、私がこだわってきた夫婦別姓に小沢さんが理解を示したことは、剛腕といわれ、“マッチョな”政治家に見られがちな小沢さんのもうひとつの側面として、印象深く記憶している。
■小選挙区制での初の総選挙で東奔西走
まずは、カーチェイスの話から始めよう。
ときは1996年10月の総選挙。ある意味、小沢さんが中心となってつくりあげたともいえる新しい選挙制度、小選挙区比例代表並立制のもとでも初の衆院選にのぞんだ小沢さん(新進党結党から1年後の1995年末の党首選で新進党の第2代党首になっていた)は、新進党の候補を応援するため、文字どおり東奔西走、全国を駆け回っていた。
そんなある日、私は小沢さんとともに、和歌山、徳島、高知、愛媛の4県を一日で回ることになった。まず東京から関西空港までJALで飛ぶ。ヘリコプターに乗りかえて和歌山県へ。2か所で応援演説をした。
■「二階が今やっていることは、僕が昔やったこと」
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新進党は江藤淳氏を呼び、箱根プリンスホテルで政策勉強会を開いた。その夜の懇親会で中西啓介さん(右から2人目)や藤井裕久さん(その左)と=1997年9月1日
和歌山県では、地元の二階俊博さん(現自民党幹事長)が迎えにきていたが、「円さん、小沢さんと一緒に来てくれてありがとう」となぜかお礼を言われた。「女性議員は小沢さんを煙たがっているし、円さんと一緒だと小沢さんの女性人気も上がる」という理由らしかった。
ホテルでの昼休みには、やはり和歌山県が地元の中西啓介さんも同席していた。彼は二階さんが座を仕切っているのを見て、露骨に嫌な顔をしていた。かつては小沢一郎さんの「第一の子分」と見られていた中西さんだが、当時は議員を辞職していて、この衆院選での復帰をねらっていた。自分の後輩と思っていた二階さんにお株を奪われて面白くなかったのかもしれない。
あれから20年、小沢さんの“最側近”だった二階さんが、今や自民党の大幹事長である。小沢さんが私にしみじみ言ったことがある。「二階が今やっていることは、僕が昔やっていたことと同じだな」と。
■松山駅まで行く時間がない
話を戻す。午後、ヘリコプターで和歌山県から徳島県に飛んだ。2か所で演説をしたあと、高知県に足を伸ばし、最後に四国山脈をこえて愛媛県の松山市をめざした。松山市では、かつて日本新党の同志だった中村時広さんが待っていた。
快晴の秋晴れだった。高知から愛媛に向かうヘリコプターの床がパタパタ開き、隙間から地図でしか見たことのない四国山脈の山容が見える。素晴らしい眺めだった。「円さん、こわくない?大丈夫?」と小沢さんが気遣ってくれる。そして「規制緩和が進んでいないから、せっかくヘリコプターを使っても河川敷にしか昇降できない。これがビルの屋上とかOKになれば便利になるんだけどね」と規制緩和についてひとくさり。
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1996年衆院選前、日本記者クラブでおこなわれた党首討論。右から3人目が小沢一郎・新進党党首。その左が橋本龍太郎・自民党総裁=1996年10月7日
選挙応援ではよくあることだが時間が押していた。そりゃそうだ。朝に羽田を発って、すでに和歌山で2か所、徳島で2か所、高知で1か所の応援演説をこなしている。松山市郊外の河川敷に着いた時点で1時間の遅れ。松山駅前に3000人の支持者が既に集まって小沢さんの到着を待っていると、迎えに来た同僚の参議院議員が青い顔で伝えた。
ところが、河川敷から松山駅前までの道が渋滞しており、30分もかかるという。小沢さんが東京に帰る飛行機は決まっている。それに乗り遅れると、東京の夜の会合をキャンセルすることになる。
小沢さんの秘書が「ムリです。このまま空港へ行きましょう」と言うと、「そうするか。円さんが代理で少し長く演説してくれ」と小沢さん。迎えの人たちは、ますます真っ青である。私は言った。
「小沢さん、3000人の人が小沢さんを待っているんですよ。このまま帰ったとなれば、中村時広さんが面目をつぶすだけでなく、小沢さんも党も支持を失います。時間がなかったなんて誰も信じてくれません。松山はあなどられているんだと彼らは思います」
■「とばせ」と小沢さん。まるでカーチェイス
小沢さんは決断した。「よし、行こう。とばせ」
パトカーに先導され、小沢さんの車、私の車、迎えのスタッフの車が、前の車を追い越し、対向車をよけながら、走った走った。以前見た、スティーブ・マックイーンの映画のカーチェイスのシーンを思い出した。
「円さん、こわくないですか。目をあけてられませんよ」と迎えの参議院議員。「ジェットコースターとか大好きだから」と私。「それにしても良かった。小沢さんが来る気になってくれて。小沢さんは女性に弱いんですかね」「女性だからじゃないわよ。こういうのは気迫の問題です」「そうですね。円さんの迫力はすごかったもの」
松山駅前に到着すると、私と小沢さんは人波をかきわけ、しつらえられた壇上をめざした。
「5分の挨拶なら、飛行機に間に合います。私が20秒前に背中をたたきますから」
「わかった、円さんは?」
「私は小沢さんを紹介するだけにします」
壇上で待っていた中村時広さんが小沢さんと固く握手をする。マイクを渡された私は叫んだ。
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女性のための政治スクールで講義してくれた時の中村時広さん(愛媛県知事)=2013年1月19日
「みなさん、長い時間、お待たせして申し訳ありません。間に合わないのを押して、中村時広さんのために小沢一郎党首がかけつけてくれました。中村さんはこの国のためにとても大切な人だからです。では小沢さん、お願いします」
ウォーッという歓声とともに割れるような拍手が空にこだました。そして5分後、小沢さんと私は再びカーチェイスで空港へと向かったのである。
中村時広さんは、1993年に日本新党で当選した35人の衆議院議員の一人であり、後に松山市長となり、現在は愛媛県知事となっている。
■夫婦別姓法案を初めて国会に出した新進党
夫婦別姓の話に移ろう。
夫婦別姓は、世論を二分する大きな問題である。1990年代、国会では二分どころか、反対の方が大勢を占めていた。そんななか、新進党は夫婦別姓法案を議員立法で国会に提出している。
国会で審議されなかったので、その後に民主党が出した法案が第一号のように誤解している人も多いが、それは間違い。新進党、正確に言うと参議院の平成会が提出したものが最初なのだ。それには、小沢さんの「理解」が大きく寄与した。
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夫婦別姓に向けての集会で新進党を代表して発言する円。左隣は与謝野馨さん=1996年4月2日
当時、私は法務委員会に所属する新進党の議員たちでつくる人権部会の部会長をしていた。内閣が出す法務委員会マターの法案、いわゆる「閣法」の賛否についても議論するし、「議員立法」を出す時も、まず部会の了承が必要だった。
選択制夫婦別姓の特徴は賛否が極端だということだ。
夫婦別姓になると家族が崩壊する。ひいてはこの日本国の大本が崩れる。子どもが別々の姓だと混乱する。反対意見の大半はそこに尽きた。不便だというなら、通称を使用すれば十分だというわけである。
一方、賛成派は、女性の社会進出が増えている▼氏が変わることで仕事や業績上不利益が多い▼別姓だからといって崩壊するような家族ならもともと絆が弱い▼民法で婚姻によってどちらの姓を選んでもいいのに常に98%ほどが男性の姓を選ぶのは、いまだに家意識や男性優位の意識が社会に存在するからで、選択制別姓によって打破すべきである▼自分の姓を変えることは自己を喪失するのと同じで強制するのはおかしい▼選択制だから、同姓がいい人は同姓を選べばいい――などと主張した。
人権部会では、賛成派、反対派の有識者や、やむを得ず別姓でのくらしを選んで事実婚をしている人らを呼び、勉強会や議員同士の議論を重ねた。数カ月後、2人を除く部会のメンバーは選択制夫婦別姓と嫡出子・非嫡出子差別撤廃の法案を出すことを決定した。
■半端ではない小沢さんの威力
問題は反対の2人だった。議員歴の長い西村真吾さんと中井冶さん(後の法務大臣)で、部会のメンバーから「あの2人が猛反対すると、部会で多数決で決まっても総務会は通らないかもしれない」と危惧の声があがった。個別に交渉したが、2人とも国家が崩壊するから絶対反対という。総務会メンバーや党幹部も、一人一人議員室をまわって理解を得るようにした。小沢さんにも会いに行った。
「夫婦別姓。いいんじゃないの。僕は賛成だよ。女性の社会進出がこれだけ増えているのだから、当然だと思うよ。議員立法を出すのを反対するのがいるの?誰?僕が言ってやってもいいよ」
非嫡出子(いわゆる婚外子)差別についても、小沢さんは「子どもは親を選べないんだから、親の都合で法律に差別があるのは良くない。撤廃すべきだと思うよ」と、これも賛成してくれた。
次の人権部会で、反対していた2人は「個人的には今も反対だが、党が議員立法を出すのまでは反対しない」と軟化した。小沢さんの威力は半端じゃない。
■総務会は通ったが、扇千景さんが反対し……
次のヤマ場は総務会。総務会で決定してくれないと議員立法は出せない。審議する日程が決まり、説明に参上したが、残り3分になっても夫婦別姓は議題にものぼらない。総務会長の神崎武法さんが言った。
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新進党の神崎武法総務会長=1997年1月23日
「円さん、せっかく1時間待ってもらって悪いけど、次回にしてくれませんか」と。次回は2週間後である。国会開会中に出して審議する時間がない。今日、決めてもらいたい。私は立ち上がった。
「総務会長。何か月も賛成・反対の両論を聞いて人権部会で議論してきました。多くの女性がこの法案を待っています。いつ解散総選挙があってもおかしくない今、新進党は女性を敵にまわしていいんでしょうか。今、ここでお決めくださいませんか」
神崎さんはぐるりと左右の議員たちを見渡した。
「円さんがこう言ってますが、みなさん、どうしますかね」
「人権部会の議員立法に賛成」
「円さんの意見に賛成」
あちこちから声があがる。
「それでは、人権部会提案の選択制夫婦別姓法案の提出の決をとります。賛成者は挙手願います」
全員の手があがった。
ホッとしたのもつかの間、次なる障害が待ち受けていた。法案を新進党の参議院の会派である平成会で出そうというとき、再び待ったがかかったのだ。
反対したのは、平成会の会長である扇千景さんだった。「円より子」や「扇千景」といった通称で国会活動ができないのを理不尽だと思わないかという私の働きかけで、ともに参議院を動かし、通称使用を認めさせた仲間だ。ちなみに、扇さんの本名は林寛子。私は山ア順子である。
彼女の反対は強く、通称使用で十分に女性の活躍は推進できるという。党の総務会の決定は最終決定ではないのかと主張する私に困った白浜一良政調会長らが、一案を講じた。無所属の議員を1〜2人入れて、平成会だけの議員立法ではなく、超党派有志の議員立法にするということで扇参院会長を説得してくれたのだ。
■いまだに法制化されない夫婦別姓
こうして提案にこぎつけた法案だったが、結局、自民党の反対で法務委員会には付託されず、審議未了で廃案になった。どの法案も委員会に付託されないと審議がされないのだが、付託するかどうかを決めるのは議院運営委員会で、ここも与党の委員が多数だから、彼らに都合の悪い法案は付託が拒否される。
与党の思惑がどうであろうと、野党が少数であろうと、誰か一人でも本気で、ある法案をその委員会に付託しようと思えばできないことはないはずだが、残念ながらそれらを決める議院運営委員会も、またそれを構成する委員も理事も圧倒的に男性に占められ、女性はゼロか一人ということが多い。女性や子ども関係の法案は、どうしても後回しになる。女性が力をつけて、議運の理事会の半分を占めたいとつくづく思う。
夫婦別姓や非嫡出子の相続差別に関しては、その後も民主党から何度か議員立法が出されているが、夫婦別姓は20年たった今も法制化されていない。非嫡出子の相続差別の方は2013年にようやく廃止された。
■自民党のドン村上正邦さんを訪ねて
選択制夫婦別姓の強力な反対者は自民党参議院幹事長の村上正邦さんだった。私は最も強硬な人物を説得するのが改正の近道だと思い、アポなしで幹事長室を訪ねた。ノックをして重いドアを開き、「こんにちは」と部屋に入った。事務室にいた男性職員が「円先生、何かご用でしょうか」と立ち上がった。
「あの、村上先生はいらっしゃいますか」
「幹事長とお約束ですか」
「いいえ、約束はありません」
「予定がびっしり入ってますので、お約束がないとちょっと」
ここでめげては話にならない。平気な顔で、
「そうでしょうね、お忙しいのは重々承知しています。ほんのちょっとでいいので、待たせていただいてよろしいでしょうか」
「では、中でお待ちください」
左側の部屋に入っていくと、陳情客が20数人待っている。その奥には5〜6人副幹事長が坐って新聞を読んでいたが、全員起立して私を坐らせてくれた。
自民党の幹事長室って、幹事長にたどり着くまで関門が多いんだなと感心していると、奥の部屋から村上さんが来客を送る形で出てきた。「やっぱり円さんか。あなたの声はよく通るからすぐわかるよ。どうしたの」と笑顔で言う。
「先生にお願いがあって」
「じゃあ、こっちに入んなさい」
「お客様が多いようなので、終わってからでいいです」
「いいよ、入って。さて、何かな。円さんのお願いなんてこわいね」
私は民法改正のシンポジウムを開くので、村上さんに反対派として来てほしいと依頼した。村上さんが夫婦別姓に反対のことは知っている。それも反対派の雄だ。だからこそ、村上さんの意見を聞いて、夫婦別姓の何が問題で、この法案が成立しないのかを考えたいと言った。村上さんは笑い出した。
「困ったねえ。私が一議員であれば引き受けるんだが、幹事長だからね。自民党には賛成の人もいるから、幹事長が大反対をぶつと、それが自民党ということになってしまうから党も困る。せっかくの円さんのお願いだけど、むずかしいなあ」と上手に断られてしまった。
■「あっぱれ!」の対象は男?
村上さんはその後、参院会長にもなり、強すぎる参議院のドンとして力をふるっていた。1999年、盗聴法の強行採決をした荒木清寛法務委員長の解任決議で、史上初めて私が本会議場で3時間の大演説をしたときは、「敵ながらあっぱれ!」という言葉を送ってくれた人だ。「あっぱれな敵をぜひ、一度お食事に招きたい」とも言われたのだが、お気持ちだけお受けしますと私は丁重に断った。
余談だが、あっぱれの後に、「女にしておくのは惜しい」とも言われた。褒めてくださっているのはわかるが、さすが、男社会。あっぱれの対象は「ふつうは」男と決まっているのかもしれません。(続く)
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春の園遊会で。左から2人目が村上正邦さん、右隣が扇千景さん、一人おいて円より子=1997年5月14日
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019050300004.html
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