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「キム・ミョンホ」は軍事訓練を受け党幹部の娘と結婚した 安倍政権がひた隠す拉致問題の実態
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/256754
2019/06/23 日刊ゲンダイ 都立高に通っていた大屋敷正行さん(特定失踪者問題調査会HPから)
1969年7月27日。都立高2年だった大屋敷正行さん(失踪当時16)は、夏休みを利用して友達と静岡県沼津市大瀬崎海岸に海水浴に出掛けた。深夜、トイレに行くと言い残し、バンガローを出たまま行方不明になった。 大屋敷さんは8年後の77年、平安北道泰川の朝鮮人民軍総合軍官学校で軍事訓練を受けていた。名前は「キム・ミョンホ」、当時の階級は少尉だった。拉致後、収容所で語学や思想教育を受けて泰川に移動。軍人として本格的な生活を始めたようだ。以下は同期のB氏の証言だ。 ★ 120人前後が団体生活をしていて、6人部屋で3カ月ほど一緒に寝起きしたから、ミョンホには格別な思い出がある。 体形は痩せ形で小柄。当時25歳前後のはずなのに、20歳くらいにしか見えなかった。特殊部隊の多くは長髪だったが、ミョンホは髪が短かった。鉄棒や卓球などの運動が得意で足が速かった。軍事的知識は自分より詳しかった。一緒に風呂に入った時、体の上半身にヤケドの痕のような傷を見た記憶がある。たばこ好きで毎日10本以上吸っていた。足りなくなると、自分が分けてあげた。 ある時、「日本で拉致されてから4日間、大きな旅館のようなところにいた。車でどこかに移動し、北朝鮮に来た」と言っていた。「父親は小さな会社(自営業の意)をやっている」とも言っていた。自分の姉が面会にあめ玉を持ってくると、それを見て「自分にも姉がいた。こっそりたばこを吸っているのがバレて、よく叱られた。とても懐かしい」と言っていた。ミョンホは笑うと、目の下のたるみが膨らむのが特徴的だった。 ★ 大屋敷さんの姉の山口幸子さんによると、父親はタンクローリーの運転手だったという。 大屋敷さんはその後、84年ごろまで軍官学校に在籍。88年前後に労働党幹部の娘で、咸鏡南道咸興市の外国語大学教員と結婚した。B氏に送られてきた写真を見ると、大屋敷さんよりも背の高い美人だった。 97年3月ごろから、咸興市内の化学兵器研究所に勤務していると消息があり、娘が生まれたことも伝えてきたという。共通の知人によると、夫婦ゲンカで一度、大屋敷さんは妻に手を上げたことがあったらしい。 北朝鮮の軍人の定年は60歳。定年を過ぎた大屋敷さんは現在でも、潜水艦基地として知られる咸鏡南道新浦市沖の馬養島で軍事機密情報に接しているとの情報もある。ロシア、中国などの潜水艦の極秘修理基地ともいわれている。 (つづく) (国際ジャーナリスト・太刀川正樹)
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