http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/297.html
Tweet |
特殊部隊で「ヨンスン教官」と呼ばれ自衛隊ルールを指導 安倍政権がひた隠す拉致問題の実態
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/256647
2019/06/22 日刊ゲンダイ 学生服の斉藤裕さん(特定失踪者問題調査会HPから)
1968年12月1日。北海道稚内市の海岸で高校3年生だった斉藤裕さん(失踪当時18)が行方をくらました。就職先が決まっていた。失踪直前に2回ほど、地元の人間には見えない不審な男とケンカ騒ぎを起こしていた。 斉藤さんを目撃したと実名で証言したのが、ともに国家安全保衛部(秘密警察)出身で、韓国に亡命した金国石氏と権革氏である。金国石氏は90年代、斉藤さんと政府認定拉致被害者の市川修一さん(同23)を平壌市内の馬東煕偵察大学で目撃。認定被害者の松本京子さん(同29)を日本海に面する清津連絡所で目撃したと著書「拉致被害者は生きている」で明かしている。 馬東煕大は曽我ひとみさん(60)の夫で、17年末に亡くなったジェンキンスさん(享年77)が教鞭を執っていた教育機関でもある。金国石氏は数年前、「拉致被害者の情報を掴んだ」と仲間に伝言を残し、消息を絶った。拉致被害者のシンボル的存在の横田めぐみさん(失踪当時13)や市川さんなどの目撃証言でマスコミの寵児となった元北朝鮮工作員の安明進氏も、韓国から中国に出国した後、消息不明になった。偶然なのだろうか? 権革氏が斉藤さんを目撃したのは78年5月ごろ。以下は権革氏の証言だ。 ★ 斉藤さんは(南西部の)黄海北道谷山郡にあった特殊部隊57軍校で「ヨンスン教官」と呼ばれていた。朝鮮人民軍偵察指導局所属の日本語教官(階級は人民軍大尉)、所属は57軍校のチョンボン指揮部(黄海北道新渓郡)を拠点に、(北西部の)平安北道泰川の軍官学校など、各地を巡回授業していました。 1回の講義時間は2時間。日本の風習や自衛隊の生活ルール(生活規律など)を指導していました。ヨンスン教官はほかの日本人教官と比べて厳しく、講義中に学生がオシャベリすると、その学生を立たせ、静かになるまで講義を始めませんでした。 必要なこと以外は口を開かないタイプで、頑固で偏屈な日本人という印象です。帽子を斜めにかぶる癖があり、「不良みたい」と陰口を叩く学生もいました。ヨンスン教官は講義が終わると泊まることなく、車で指揮部に戻っていきました。当時、すでに結婚して小さな子どもがいたようです。 ★ コリア・レポート編集長の辺真一氏はこう明かしている。 「05年に日本からの短波放送で拉致された日本人の中に名前があることが判明したことで斉藤さんは退役させられ、(中西部の)平安南道成川に移動。08年には平壌郊外の平城に再び移送させられたとの情報がある」 男女を問わず、大半の拉致被害者が被害者同士のほか、朝鮮人と結婚している。日本政府に捨てられる一方、家族を持ったことで帰国をあきらめざるを得ない状況におかれている。 =つづく (国際ジャーナリスト・太刀川正樹)
|
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK262掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK262掲示板 次へ 前へ
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。