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(回答先: 丸山衆議院議員の不当な発言は何を意味するものであろうか (ちきゅう座) 投稿者 肝話窮題 日時 2019 年 6 月 19 日 17:58:07)
映画作家・想田和弘の観察する日々
第74回:脳〈内閣〉の暴走と免疫システム〈国会、裁判所、メディア、警察etc〉の機能不全
By 想田和弘 2019年3月20日
出典「マガジン9:https://maga9.jp/」
私たちの身体には、免疫システムというものが備わっている。
身体に病原体や寄生虫などが侵入したり、がん細胞などが生じたりしたら、それらを認識して殺してくれる。私たちの身体は、免疫システムの働きのおかげで、病気から保護されている。
なんでいきなりこんな話をするのかといえば、日本社会の免疫システムが危険なほど混乱・弱体化し、もはや機能不全に陥っているのではないかと感じるからである。
たとえば、俳優が違法薬物を使用していたという、どう考えても社会(=身体)にとっては極めて小さな「かすり傷」。本来ならば、警察という免疫系の一種がちょっとだけ動き、容疑者を逮捕し、裁判で吟味すれば済むはずである。ところがあたかも大きな癌か何かを見つけたかのように、日本中(=身体全体)がひっくり返るような騒ぎになってしまう。
その様子は、まるで酷い花粉症か猫アレルギーにかかったような感じだ。
花粉や猫のフケは、本来ならば人間の身体に害を及ぼすわけではない。しかし免疫システムが混乱すると、それらを重大な外敵であると勘違いし、なんとかしてやっつけようと総攻撃をかけてしまう。そしてその総攻撃が、発疹やクシャミや炎症となって、人間の身体と精神にダメージを与える。
瑣末な問題を深刻な問題であると勘違いし、全力で排除しようとしてしまう。まあ、それだけならそれほど心配することではないのかもしれないが、その逆も実際に起きているから実にやっかいである。
つまり、生命を脅かすような病原体を、免疫システムが病原体であると認識することができない。したがって、身体を守るための対応も起動しない。
そういう例を挙げようと思えば、いくらでも挙げられる。
たとえば、日本社会の息の根を止めそうになった、福島第一原発事故。免疫システムが正常に作動するなら、同じような事故を起こしかねない日本各地の病原体(=原発)など虱潰しに廃止させたであろう。ましてや再稼働させようなんて選択は、到底しないはずである。
たとえば、立憲主義という日本社会の免疫システムの重要な系統を弱らせてしまう、秘密保護法や安保法。免疫システムが正常に作動するなら、自らを弱らせる病原体や、病原体を植え付けようとする勢力は排除しようとしたはずである。
たとえば、日本経済に筋肉増強剤を投与するような、アベノミクス。免疫システムが正常に作動するなら、恐ろしい副作用が身体を蝕むことに身体そのものが警告音を鳴らし、ボロボロになるまえにやめさせるはずである。
たとえば、アベノミクスの失敗をごまかそうとして行われたようにみえる、統計不正。免疫システムが正常に作動するなら、身体の状態を誤って伝える細胞があるならば、速やかに排除するはずである。
問題は、脳(内閣)が身体のあちこちに病原体や癌を生じさせても、国会や裁判所やマスメディアや警察などといった免疫システムが適切に反応せず、スルーを決め込んでいることである。その代わりに、あるいはその反動として、花粉や猫のフケを排除することに躍起になっている。
だが、それ以上に問題なのは、そういう脳の暴走や免疫系の機能不全に、「身体そのもの」であるはずの主権者が、いつまで経っても気づこうとしないことだ。
働きすぎで、自分の身体の中で進行中の病気に気づく暇もないのであろうか?
あるいは、後で突然末期癌を宣告されたときに、敗戦時のように「だまされたー!」と一億総出で文句を言うのであろうか?
そうなる前に、伊丹万作が敗戦直後に書いた言葉を改めて記しておきたい。あたかも現代人に対して発した言葉のように思えてしまうからだ。
だまされたということは、不正者による被害を意味するが、し
かしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して
書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任か
ら解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人
は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだ
けにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自
体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。(略)
また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがい
てもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦
争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだま
されるものとがそろわなければ戦争は起らないということになる
と、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両
方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実
そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされる
ほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に
自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化
的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国
制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人
権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等し
くするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配
者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
(伊丹万作『映画春秋』創刊号・1946年8月)
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