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6月 13, 2019 日々雑感(My impressions daily)
<夫婦の老後資金に関し、金融庁の金融審議会の市場ワーキンググループ(WG)報告書に盛り込まれた「30年間で約2000万円が必要」とする試算の根拠は、厚生労働省が示したものだった。同じデータは2月に同省の審議会でも提示。麻生太郎副総理兼金融担当相は「政府の政策スタンスと異なっている」として報告書の受理を拒否したが、実際には従来の政府の考え方を踏襲したもので、麻生氏の説明との矛盾が浮き彫りになった。
報告書をまとめたWGの4月12日の議事録によると、資料を示したのは厚労省年金局の課長。老後資金の確保のために公的年金を補完する手段として個人年金の意義を紹介。総務省の家計調査を元に高齢夫婦無職世帯の現在の収入・支出状況の資料を示し、「実収入20万9198円と家計支出26万3718円との差は月5.5万円程度となっている」と説明した。
これに対し、民間委員からは、公的年金の給付水準が今後、低下することを踏まえ、「(試算にある)社会保障給付の19万円は、団塊ジュニア世代から先は15万円ぐらいまで下がっていくだろう。月々の赤字は10万円ぐらいになってくるのではないか」との発言があった。
麻生氏は11日の記者会見で、「高齢者の生活は極めて多様。平均値で出すことに無理がある」と指摘した。だが、厚労省の課長は2月22日に開かれた厚労省の社会保障審議会企業年金・個人年金部会でも同じ資料を配って同様の説明をしており、WGでの「5.5万円不足」の議論は厚労省の従来の考え方を繰り返したにすぎなかったことが分かる。
金融審の報告書は、老後の備えに「自助努力」を求めた点も批判を浴びた。ところが、2月の社保審部会の配布資料でも「企業年金・個人年金制度に関する主な検討課題」の一つとして「働き方や勤務先に左右されない自助努力を支援する環境の整備など」を挙げている。
自民党も7日に発表した参院選公約に「人生100年時代の到来を踏まえ、国民が生涯にわたり安定的な資産形成を行うため、『つみたてNISA(ニーサ)』をさらに普及する」と記載。長寿化を見据えて自ら老後に備えるよう促す考えを示している。
佐々木信夫中央大名誉教授(行政学)は「『年金だけでは足りないからどうするか』というのは当然のこと。『ではどうするか』を真摯(しんし)に議論すべきだ」と述べている>(以上「毎日新聞」より引用)
麻生氏が金融庁の老後資金として2,000万円貯金しておくことが必要だ、とする報告書の受け取りを拒否したという。なんという子供じみた話だろうか。
自分にとって都合の悪い話に耳を塞ぎ、他の「消費増税10%が財政規律に必要だ」とする財務省の話には従順に従って消費増税を強行する、というのでは金融庁の方が麻生氏よりも国民の暮らしにとって真摯に向き合っている、と評価せざるを得ない。
そもそも金融庁の2,000万円の話にしても、どの年金を対象とした分析結果なのか判然としない。厚労省のデータからそうした判断をしたというのなら、厚労省が金融庁へいかなるデータを提供したのかを問わなければならない。
国会での審議にしても、週刊誌の見出しに飛びつくのではなく、「そもそも」論から議論を詰めていくべきではないか。厚生年金でも足らない、というのなら国民年金受給者はもっと足らないのではないか。
実際に満額支給の国民年金が既に生活保護費以下というのでは話にならない。政府は国民年金は自営業者や農業者などを対象とするから年金受給年齢に達しても他に収入がある、というが、国民年金受給者がすべて裕福な「自営業者」でないことは子供でも知っている。
派遣労働者やパート労働者も国民年金対象者だ。いや「会社員」ですら零細企業では厚生年金に加入していない「会社員」は全国にゴマンといる。そうした実態は厚労省に問い合わせれば直ぐに分かる話だ。
国民は貧困に苦しんでいる。その貧困生活を切り詰めて義務とされる国民年金掛け金を支払っている。しかし受給年齢に達しても生活が成り立たない年金しか手に出来ない、というのでは掛け金を支払うモチベーションが落ちるのも当然ではないか。それなら無年金となって、生活保護費を受給する方がマシではないかと考えても仕方ないだろう。
なぜ最低でも年金と名の付く制度で頂戴できる受給金額が生活保護費を上回るように出来ないのだろうか。なぜ共済年金だけが平均月額30万円もの高額年金を手に出来る不公平を放置しているのだろうか。
憲法に定める「文化的で最低の暮らしを営む権利」を保障するために、政府は老後に暮らせる年金を保障するのが責任ではないだろうか。国民年金を満額ですら生活保護費以下の水準の現状のまま放置している政府を批判せずに、「年金は老後の暮らしを満たすものではない」などと発言する経済評論家は恥を知るべきだ。
国会の議論は「そもそも論」から入るべきだ。それであるなら社会保障とはそもそも「負担は応能で、支給は一律」が原則のはずだ。なぜ国会の立法権で年金をすっぱりと一元化できないのだろうか。共済年金はすべて税金で成り立っている。国民年金はすべて加入者の掛け金で成り立っている。どちらを手厚くすべきか、自明の理ではないか。
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