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森・プーチン会談でも持ち出されていた米軍基地問題の衝撃 - 天木直人 https://t.co/j50Gvr9nlu
— Flipboard (@FlipboardHaru) 2019年5月11日
森・プーチン会談でも持ち出されていた米軍基地問題の衝撃 | 新党憲法9条 https://t.co/oGMUHQsQ3m 「この北方領土に米軍基地を置くか置かないかという懸案は、2001年のプーチン大統領と森喜朗首相との間でも、プーチン大統領から持ちかけられていたというのだ。」
— peace_prayer (@peace_prayer) 2019年5月10日
今日の天木メルマガ-森・プーチン会談でも(6)
— 西村佳能(新党憲法9条) (@nishiy2006) 2019年5月11日
ロシアのすぐ目の前にある脅威だ」と言ったというのだ。
20年近くも前に、すでにプーチン大統領は同じ問題を提起していたのだ。
それにもかかわらず、外務省は北方領土返還交渉におけるこの最大の問題について正面から議論することなく、安倍首相は
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— 西村佳能(新党憲法9条) (@nishiy2006) 2019年5月11日
あの時の森首相と同じように、日本を信じてもらうしかないと、あいまいな返事しか言えなかったのだ。
しかも、プーチン大統領は森喜朗が好きだから交渉を続けてきたが、ウクライナ問題の制裁に賛成した安倍首相にプーチン大統領は激怒したというのだ。
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— 西村佳能(新党憲法9条) (@nishiy2006) 2019年5月11日
この日経新聞の記事が教えてくれたこと。
それはそもそも、森・プーチン外交で取り返せなかったものを、安倍・プーチン外交で取り返せるはずがなかったのだ。
「北方領土問題解決で衆参ダブル選挙だ」という政治記事は、メディアがつくりだした世迷いごと
森・プーチン会談でも持ち出されていた米軍基地問題の衝撃
http://kenpo9.com/archives/5937
2019-05-11 天木直人のブログ
河野・ラブロフ外相会談が行われ、あらためて北方領土問題の解決の難しさが浮き彫りになった。 まだこんな不毛な交渉をやっているのか、と言う思いだ。 しかし私がここで書くのはその事ではない。 安倍北方領土外交が決定的に頓挫したのは、プーチン大統領が北方領土に米軍基地を置かないと確約できるのか、という究極の問いかけをしたからだった。 この問いかけを最初に受けたのは谷内正太郎安全保障局長だった。 元外務官僚の谷内は、パブロフの犬のごとく、それは出来ない、とあっさりと答えたばっかりに、ロシア側はこれではダメだとなった。 もし安倍首相がトランプとの信頼関係をうまく使ってトランプを説得し、よし、それでは米軍基地を置かないことにする、とプーチン大統領に約束出来ていれば、あるいは状況は全く違っていたものになっていたかもしれないが、今となってはすべて後の祭りだ。 ところがである。 この北方領土に米軍基地を置くか置かないかという懸案は、2001年のプーチン大統領と森喜朗首相との間でも、プーチン大統領から持ちかけられていたというのだ。 「ヨシ、島を渡した後、米国が基地をつくらないといえるのか」と懸念を伝えたというのだ。 きょう5月11日の日経新聞がそのことを教えてくれた。 その時、プーチン大統領は、「ヨシ、これを見てくれ」と地球儀を上から示し、「ここが北極、そしてここがアラスカでここが米国。米国はこんなにもロシアのすぐ目の前にある脅威だ」と言ったというのだ。 20年近くも前に、すでにプーチン大統領は同じ問題を提起していたのだ。 それにもかかわらず、外務省は北方領土返還交渉におけるこの最大の問題について正面から議論することなく、安倍首相はあの時の森首相と同じように、日本を信じてもらうしかないと、あいまいな返事しか言えなかったのだ。 しかも、プーチン大統領は森喜朗が好きだから交渉を続けてきたが、ウクライナ問題の制裁に賛成した安倍首相にプーチン大統領は激怒したというのだ。 この日経新聞の記事が教えてくれたこと。 それは、そもそも、森・プーチン外交で取り返せなかったものを、安倍・プーチン外交で取り返せるはずがなかったのだ。 「北方領土問題解決で衆参ダブル選挙だ」という政治記事は、メディアがつくりだした世迷いごとだったのである(了) 「森・プーチン」つないだ日ロ交渉 「島に米基地」今も懸案 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44664470Q9A510C1EA3000/ 2019/5/11 2:00 日経新聞 後段文字起こし 北方領土問題を巡りロシアの強硬派は米軍が島に基地を建設する懸念を反対理由に持ち出す。実はイルクーツク声明を出した2001年からプーチン大統領が言及していた。それでも交渉が続いた背景にはプーチン氏が森喜朗元首相に抱く「義理と人情」がある。 イルクーツク声明は01年3月25日、プーチン氏と森氏が極東のイルクーツクで署名した。「平和条約締結後に日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す」とした1956年の日ソ共同宣言が交渉の基本であることをプーチン氏と初めて確認した。 2001年3月、イルクーツクで会談した際の森元首相とプーチン大統領(右)=共同 このときプーチン氏は共同宣言は「義務」と表現したが、懸念も伝えていた。「ヨシ、島を渡した後、米軍が基地をつくらないといえるのか」。森氏は「そんなことはない。日本を信じてもらうしかない」と返した。 プーチン氏はクギを刺した。「ヨシ、地球儀を上からみてくれ」。プーチン氏は丸い物を使いながら説明した。「ここが北極、そしてここがアラスカでここが米国。米国はこんなにもロシアのすぐ目の前にある脅威だ」 プーチン氏の懸念はあまり表に出なかったが、森氏には強い印象を残した。森氏が安倍首相にプーチン氏との交渉をつないだときに「基地問題をどう説明するか。これをよく考えて臨まないと交渉を進めるのは難しい」と忠告したという。 それでもプーチン氏は交渉を続けてきた。背景には冷徹な計算と共に「森氏への信頼」という割り切れない部分も見え隠れする。「プーチン氏が森さんを好きだからとしかいいようがない」と外務省幹部。そう実感させる逸話も少なくない。 たとえばイルクーツク会談でのこと。日ソ交流に尽くした父・茂喜氏が分骨された墓を森氏が参拝した際、同行したプーチン氏がこう心配した。 「ヨシ、コートも手袋もなしで寒くないのか」。気温は氷点下で寒風も吹きすさぶ。森氏はこう諭した。「父親の墓だからではない。この地ではたくさんの日本人が抑留され、飢えと極寒に苦しんで亡くなっていった。どうして自分がコートや手袋を着ていられるだろうか」。これを聞いたプーチン氏はあわててコートと手袋を脱いだという。 抱き合う森元首相とプーチン大統領(左)(2005年6月、サンクトペテルブルク)=ロイター つきあいが始まったのは2000年4月、プーチン氏の大統領就任直前だ。まだ国内外で「プーチン・フー?」といぶかられる存在だった。 そこに初めて訪ねてきた主要国首脳が森氏だ。森氏も小渕恵三首相の死去に伴い、急きょ首相に就いたばかり。同年夏に沖縄で開く主要国首脳会談のため7カ国訪問に出ていた。その最初の訪問地に選んだのがロシアだ。2人はバレエやアイスホッケーをみながら10時間近くを共に過ごした。 沖縄では首脳会談に遅刻してシラク仏大統領らに嫌みを言われたプーチン氏を森氏がかばった。14年、対ロ制裁に日本が参加したため「プーチン氏が安倍首相に激怒した」との話が伝わると、急きょモスクワに飛び、日本の立場を説明した。 ロシアで最後に会ったのは17年7月、エカテリンブルクで。深夜、森氏のホテルでサプライズが起きた。ロビーに突然プーチン氏が現れたのだ。森氏の誕生日を祝う食事の後「ホテルまで送る」と言い出し、大統領車に森氏を乗せてきた。その後も名残を惜しむようにロビーのソファで話し込んでいたという。 国家間の外交で個人の友情など幻想かもしれない。だが重要な資産でもある。6月の首脳会談に向け「安倍首相も森氏に期待している」と首相周辺。約20年の時を経た「森―プーチンライン」はどう動くのだろうか。 (モスクワ=桃井裕理) |
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