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(Qui est Naruhito, le nouvel empereur japonais?: RFI)
http://www.rfi.fr/asie-pacifique/20190501-est-naruhito-nouvel-empereur-japonais-ere-reiwa
日本|徳仁|安倍晋三|歴史
日本の新天皇、徳仁氏はどのような人物か?
記者 ヘイケ・シュミット
発表 2019年5月1日・更新 2019年5月1日15:29
玉座に上る直前の徳仁天皇と妻・雅子氏、東京・皇居にて。
Kyodo/via Reuters
5月1日水曜日、日本は新たな「令和」の御代に入った、「令和」とは「調和」と「美」という意味だ。徳仁天皇は最初のスピーチで「国と国民統合の象徴」の責務を果たす決意を述べるとともに、常に「国民に寄り添い」続けることを約束した。
徳仁氏は僅か6分間の儀式で剣・鏡・玉(鏡は伊勢にあるようだ)を受け取り、これらの「神器」を持つことにより彼は126代の天皇となった。この内気ですらある慎み深い男性は 正装姿がいつも少しぎこちなく髪の分け目がきちんと脇で揃っているが、彼は千年続いてきた制度の近代化を成し遂げる器量を持つのか?伝統の重みを持つ世界最古の王朝の自由化を果たせるのか?
「彼は聡明な人物だが、皇室の厳格な枠組みの中で育った男性でもある」と、東京で政治と皇室を間近に追いかける日刊紙ル・モンドの東京特約記者フィリップ・メスメール氏は考える。「もし彼が天皇制の機能に変化を吹き込むことになっても、それは『日本風』に、つまり、彼の父がそうしたように小さな段階の積み重ねになるだろう。」
「この59歳の男性はかなり慎重だ」というのが、日本を題材にしたフィルム"les années rouges"[『赤い歳月』でしょうか?日本赤軍を扱ったドキュメンタリーのようです:投稿者]のディレクター、ミカエル・プラザン氏の見立てだ。「しかし、その慎重さは今や、戦後憲法と本質的に結び付けられ、その憲法によって生まれながらに確立された役割の一部だ。この憲法により裕仁天皇は特権的な立場、特に、その神聖な地位から突き落とされた。このため、この人物がいかなる方法によっても日本の政治に口出しすることは認められないし、同様に、政治的な意見を表明することも認められない。」
雅子妃と結婚する際の皇太子時代の徳仁天皇、1993年6月9日。
AFP/Toshifumi Kitamura
テニス愛好家でヴィオラ奏者
テニス愛好家にしてハイカーでありヴィオラ奏者でもある徳仁氏は両親によって育てられた初めての親王だ。彼の父・明仁氏はまだ侍従や守り役に任せられていた。また、彼は初めて外国で学問を修めた。皇太子はイギリス・オックスフォード大学で1983年から1985年までの2年間を過ごした。彼はそこで自由を味わい、パブで友人たちとグラスを交わすのを楽しみ、18世紀のテムズ川の河川交易について論文を著している。
なぜなら、徳仁氏は水や海の道、地上の道に強い熱意を抱いているからだ。自伝で明かしたように、彼はそのようにして皇族たる呪縛から逃れている。「私は自由に外出する機会が殆どないので、道路は私にとって未知の世界に向けた貴重な橋だ。」
今日、彼は全ての人が飲料水を得るための国際会議で定期的に発言している。「彼の父は国内の弱者の人々に自身の膨大な威光を貸し与えることに人生のかなりの時間を過ごしてきた」と、ポートランド大学の日本専門家ケネス・ルオフ氏は分析する。「徳仁氏は、国際社会で最も弱い人々が苦しむ問題に人々の注意を向けたいのだ。それはきれいな水を得ることだ。」
当時皇太子だった明仁上皇と妻・美智子氏、そして、徳仁・文仁・清子の3人の子供。1969年9月。
日本国外務省
徳仁氏は記憶する義務を守る
新天皇は歴史にも強い熱意を抱いている。日本軍が中国や朝鮮に与えた苦痛に対して、「深い反省」を絶えず表明してきた父・明仁氏のように、徳仁氏は平和主義者を自負し記憶する義務を守っている。そのため、彼は第2次世界大戦終結70周年に当たる2015年に、「日本の悲惨な歴史を体験のない人たちに正しく伝える」よう呼び掛けた。
「彼は、強い謙虚な気持ちで記憶を維持し歴史を考えることが大切だと表明していた」と、国立東洋言語文化学院日本学部の政治学准教授ギブール・ドラモット氏は述べる。「このように根っからの平和主義者なので国民は大いに喜んでおり、国民全体がその姿に自らの平和を愛する心を見出している。」
しかし徳仁氏は、自分が細いロープの上を進むことになることを承知している。定められた通りの役割を敢えて離れた場合には、国家主義者の安倍晋三首相を敵に回す恐れがある。これは慎重さを要する任務だと、日刊紙ルモンド特約記者のフィリップ・メスメール氏は考える。「ゆとりの部分が非常に小さいので、通常、彼が一般国民の議論に加わることは全く不可能だ。」
徳仁氏と雅子氏は「国民と苦楽を共に」したいと考えている
それでも2004年には、徳仁氏は配偶者・雅子氏の人格を抑え付けるような慣習を非難し、宮廷に小さな革命を起こした。このマルチリンガルの元外交官は宮廷によって課せられた厳しい諸規則に苦しみ、その後、玉座の継承者となる男子を産むようにとの圧力を正面から受けた(彼女が男子を産むことはなかった。娘・愛子氏は現在17歳だ)。夫は既に予告していた。公務はだんだんと女皇が果たすようになると。
それでも、2011年の福島の大事故の被害者の枕元まで出向いた明仁氏と美智子氏に倣い、夫婦は「国民と苦楽を」共にすると約束した。国民の近くにいること、現代社会の現実に王朝を近づけること−これが徳仁氏と雅子氏の大きな課題だ。
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