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5月 05, 2019 日々雑感(My impressions daily)
<原爆投下からの復興を象徴する広島市の橋で落書きが見つかり、警察が器物損壊の疑いで捜査しています。
落書きが見つかったのは、平和公園に向かう平和大橋の欄干です。黒い塗料でアルファベットのような文字が書かれています。
午前7時前、「平和大橋に落書きがされている」と、通りがかった人が警察に通報。警察官が現場に駆けつけたところ、縦およそ50センチ、横は1メートルにわたって落書きがされていたということです。
平和大橋は世界的な彫刻家のイサム・ノグチ氏が設計し、1952年に完成。被爆からの復興を象徴する橋として知られ、3月に欄干の復元工事が終わったばかりでした。
「平和公園にも近いし、許せない」(市民)
警察は器物損壊の疑いで捜査するとともに、近くの駐車場など少なくとも2か所で見つかった落書きについても関連を調べています>(以上「BIBLOGEニュース」より引用)
誰が平和大橋に落書きしたのだろうか。平和を願って命名された「橋」に落書きするなぞ罰当たりそのものだ。日本国民なら「平和大橋」の意味を知っていて、落書きなぞしないはずだから、おそらく不逞な外国人が仕出かしたのだろうか。
公共物に平気で落書きする輩が増えている。あるいは他人の商店のシャッターや家の塀にスプレーで様々な落書きをする輩がいるが、彼らの目的は一体何だろうか。たとえそれが西洋料理に添える野菜のような名前の画家だとしても、落書きは落書きに過ぎない。
西洋料理に添える野菜のような名前の画家を私は認めない。いかに高等な技術を有し、高邁な芸術性があろうとも、都市の各所に落書きする「芸術家」などあっては堪らない。
なぜなら都市も家々も塀一つにしても、それらはそこに暮らす人たちの「芸術作品」の一つだからだ。ましてや電車などの車両の装飾は各社のロゴであり包装紙だ。そこに「芸術性」の欠片もないスプレー落書きをする輩は誇大妄想狂に過ぎない。
芸術は一定の作法に従って表現するものだ。だから鑑賞する側も一定の作法に従って「芸術」を堪能する。そうした「作法」を無視したものは芸術でも何でもない「無粋」というものだ。
日本人なら「粋(イキ)」は心得ているはずだ。大人になるとは「粋」を心得ることでもあった。西洋料理に添える野菜のような名前の画家の落書きを見て「粋だねえ」と唸る日本人などいない。「落書きなぞするンじゃない、なぜキャンパスに描かないのか」と意見するのが日本人のあり方だ。平和大橋に「落書きなぞするンじゃない、やった者は自身を恥じて落書きを消しに来い」と意見するしかない。
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