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朝日新聞デジタル 2019年5月3日08時00分
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法哲学者の井上達夫さん=東京都文京区、高久潤撮影
改元後初めての憲法記念日を迎えた。日本国憲法が明記した天皇の地位「象徴」の具体像は、平成を通じて大きく変わった。独自のリベラリズム論を展開してきた法哲学者の井上達夫・東大教授は、天皇に依存し続ける日本の今のあり方にリベラルな理念の欠如が読み取れるという。どういうことなのか。(聞き手 文化くらし報道部兼オピニオン編集部記者・高久潤)
――日本国憲法で2度目の天皇の代替わりになりました。
「昭和から平成の時とは大きな違いを感じます。昭和天皇の体調が悪化してから社会に蔓延(まんえん)したのは『自粛』という名の同調圧力です。テレビCMで井上陽水さんの『お元気ですか?』という言葉は口パクにされ、多くの行事も自粛された。天皇の戦争責任に言及した当時の長崎市長本島等さんが後に銃撃されるなど、私は社会が狂気に陥っていると思いました。ですが、今回は穏やかな歓迎ムードが広がっている。死去と生前退位の違いはありますが、天皇の存在の変化もあるでしょう」
「昭和天皇は『人間宣言』以降も象徴になりましたが、やはり戦争の『影』を引きずり続けた。日本国憲法は、天皇の地位が『主権の存する日本国民の総意に基く』と定めます。前天皇はこの憲法の下で即位した初めての天皇です。自らの地位の正統性の根拠である『国民の総意』による支持を日々得る責任が自分にある、というのが彼の信念だったように思います。その自覚ゆえに、国事行為を超え、慰霊の旅などを繰り返した」
「特に強く印象に残っているのはハンセン病患者への慰問です。家族とも切り離された人たちのもとに足を運ぶ。こうした『忘れ去られた』人たちを社会的に包摂しようとした振る舞いの蓄積ゆえに、天皇制への高い支持を可能にし、暗さのない代替わりにつながった」
――象徴天皇制が多様な人の生を社会に包摂していく。つまり平成を通じてリベラルな社会になっていった、と。
「私はリベラリズムを、『異質な他者との共生』の思想として捉えています。確かに天皇個人はリベラルな考えを重視した人物だったと思います。国旗国歌法が施行された後の2004年の園遊会で、都教育委員(当時)で将棋棋士の米長邦雄氏が『日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事』と言うと、強制にならないように、と答えた。さらに、『国民の総意』により受容されるために、国民と日々直に接し続ける責任を加齢で果たせなくなったと判断すると、保守派の反発に抗して生前退位を求めた。憲法上の天皇の国事行為は明記されていますが、それ以外に踏み込むことはリスクを伴う。政治的な行為・発言は禁じられ、実際に米長氏への発言、生前退位の意思を明らかにした『おことば』には、批判の声も上がった。それでもリスクをとったのはリベラルな考えゆえでしょう」
「ただ天皇個人と天皇制は区別して考えないとならない。私は象徴天皇制を、日本に残った最後の『奴隷制』だと考えます」
――奴隷制、で…
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