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【加藤の乱】育ちの良さが裏目に…明暗分かれた盟友“YKK” 平成の政治写真 あの事件の真相
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252980
2019/04/30 日刊ゲンダイ 加藤紘一・自民党宏池会会長(左)を涙ながらに引き留める谷垣禎一氏(C)日刊ゲンダイ ■平成12年 「加藤先生は、大将なんだから! ひとりで突撃なんてダメですよ!」 自民党宏池会の加藤紘一会長に駆け寄り、涙ながらに引き留める谷垣禎一氏。平成12(2000)年11月20日に起きた「加藤の乱」といえば、誰もが思い出す場面だ。 当時の衆議院議席は480。与党は272議席で過半数を占めていたが、野党が提出する森内閣不信任決議案に加藤派45人と山崎派19人が同調すれば、不信任案が可決され、森内閣は退陣必至の状況だった。“クーデター”を察知した野中広務幹事長(当時)ら執行部による切り崩し工作は凄まじく、「YKK」の一角をなす小泉純一郎氏は森派会長として制圧に回った。 当日、加藤氏と2人で本会議場に向かった山崎拓氏が当時を振り返る。 「20日は月曜日で、加藤派は土日の間に多くが切り崩され、残ったのは21人だけでした。加藤氏は半ば公然と進めていたから、潰されるのは当然です。嘘をつけない加藤氏の育ちの良さが裏目に出た。結局、派閥の仲間には本会議を欠席させ、われわれ2人だけで議場に向かうのですが、加藤氏の心が折れて2度も引き返した。あの時、2人だけでも本会議に出席していれば、日本の政治史は変わったでしょう」 「加藤の乱」の失敗が、翌年春の自民党総裁選で小泉氏が勝利する伏線になった。 「直後の12月11日、私の誕生パーティーに、呼んでもいない小泉氏が乗り込んできて、『YKKは友情と打算の二重奏だ。この場には打算で来た』と言った。みんな呆気にとられていたが、私は真意を理解した。『あんたらは失敗した。次は俺を応援しろ』という意味です」(山崎氏) 結果、小泉氏は首相になり、加藤氏は不遇をかこつ。盟友YKKの明暗を分けた政治劇だった。
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