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新時代に意識すべきは“知的感性”が息づいていた大正時代
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252959
2019/04/29 日刊ゲンダイ 口車に乗ってはいけない(代表撮影) 5月1日、元号が「令和」となります。この元号を最終決定したのは安倍首相ですが、その首相が繰り返し発言してきたことを、改元前のこの機会に、改めて思い返してみる必要があると思います。 安倍首相が好んで使う言い回しに、〈明治の日本人にできて、今の日本人にできないわけはない〉というのがあります。「明治時代」とはすなわち「富国強兵」の時代です。そのために「殖産興業」を進める。その国家的努力に貢献した人々が「立身出世」を遂げることができる。そういう時代でした。あの頃と同じことが現代の日本人にだって「できる」と説いているのです。つまり、1億総活躍=1億総動員の国家を標榜して、「明治時代の日本人に負けないでください」と鼓舞しているわけで、そんな口車に決して乗ってはいけない。 ですから、「明治」に生きた日本人のようになることを現代の日本人に求める首相が決めた新元号には、注意を要します。それが新時代に託された課題なのかもしれません。 〈ある時期の日本人にできて、今の日本人にできないわけはない〉と言うのであれば、むしろ我々が意識すべき「その時期」は「大正時代」ではないでしょうか。「大正デモクラシー」や「大正ロマン」が大きく花開いた時期のことです。 それはまさに、日本人が民主主義と人権意識を初めて本格的に自分たちの知性の中に取り込んだ時代であり、泉鏡花や菊池寛といった風変わりで破天荒な作家が活躍して、自由奔放で遊び心のある感性や心意気が息づいていた時代でもありました。大正時代は短期間でしたが、ひょっとすると日本人が最も独自性や独創性を発揮した時期だったかもしれません。 ■安倍首相が好む「明治」では断じてない こうした感性や心意気が、今の時代の我々には必要です。「1億総活躍」などと称してのしかかってくる政治的重圧を笑い飛ばしたり、蹴飛ばしたりする“知的感性”こそ、今、我々が必要としているものなのではないかと思うのです。今の我々が意識すべき特定の時代があるとすれば、安倍首相の思い描くようなイメージでの「明治」では断じてありません。 平成には「グローバルスタンダード」がはやりましたが、今や「SNSスタンダード」でお互いを評価し、そして人からの評価が気になって仕方がない時代です。でも、個性的で独自性のあった大正時代の人は、自分の外にスタンダードを求めるのではなく「マイスタンダード」を高く掲げていたのではないでしょうか。そうした「マイスタンダード」同士が時としてぶつかり、時として融和し、お互いに創造的感性を引き出し合うことができていた。 新時代に日本人が目を向けるべきは、大正。それとは対照的な時代への回帰を振りかざしている首相の存在を警戒しつつ、大正時代の面白い日本人を目指したい。 私自身も大正という時代を、改めてしっかり勉強してみたいと思っています。 浜矩子 同志社大学教授 1952年、東京生まれ。一橋大経済学部卒業後、三菱総研に入社し英国駐在員事務所長、主席研究員を経て、2002年から現職。「2015年日本経済景気大失速の年になる!」(東洋経済新報社、共著)、「国民なき経済成長」(角川新書)など著書多数。
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