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「戦争は負けと思った時が負け」と国民に説いた東條首相 保阪正康 日本史縦横無尽
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252440
2019/04/22 日刊ゲンダイ 米軍との戦闘で日本人が海に身を投じたサイパン島バンザイクリフの慰霊碑(C)共同通信社 太平洋戦争は3年8カ月間も続いた。戦争とは国力と国力が軍事で衝突する局面である。ドイツ降伏後の最後の4カ月は、日本が単独で世界各国70カ国余と戦う状態になった。この構図を一言で言えば、まさに世界から袋叩きになったことになる。 3年8カ月の戦いは、つまるところ5つの段階を経たということができた。私はそれを「勝利」「挫折」「崩壊」「解体」「降伏」との段階に分けるのだが、それぞれの段階に戦争終結の機会や可能性があった。にもかかわらず軍事指導者がひたすら聖戦完遂を叫び、それこそがこの国の進む道だと呼号したのは、大きな過ちを犯していたといっていいであろう。 その過ちは分析すると多岐にわたるのだが、あえて一点に絞れば「彼ら政治、軍事指導者にはあの時代を託する権限が与えられていただろうが、この国の歴史からはその権限を与えられていない」ということである。簡単に言うと歴史を紡いできた先達たちが、あの戦争指導を認めるだろうか、ということである。加えて日本の将来の世代が納得するであろうかといった問いかけも必要であろう。先達が怒り、次代の者が嘆く内容が、あの戦争には含まれている。今週の本欄の5回はその構図を示しておきたい。 戦時指導者(特に軍人たち)はなぜ勝算など全く失われた段階でも戦うことを、天皇にも国民にも要求したのだろうか。一つに戦争に勝って賠償金を含め、権益を確保するのが、彼らの言う〈お国への奉公〉であった。軍人の役割と使命はその点にあると考えた。したがって勝利以外は眼中にない。勝利の道が全く絶たれていく崩壊期から解体期への移行は、昭和19年7月のサイパン陥落からと考えていいが、この期以後は勝利よりも敗戦を恐れるだけの責任逃れの戦時指導に傾いていったというべきであった。 この期に首相、陸相、参謀総長の戦時指導ポストから降ろされた東條英機は「戦争は意志と意志の戦いであり、負けたと思った時が負けだ」と国民に説いた。政治、軍事の指導者の言とはとうてい思えないお粗末な精神論だ。この論理では、日本は決して負けないことになる。なぜなら負けを認めないのだから、国家壊滅への段階に至っても負けてはいないことになる。 (つづく) 1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。
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