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大本営の「あなたは英雄を逃した」に苦笑した近衛文麿 保阪正康 日本史縦横無尽
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252284
2019/04/20 日刊ゲンダイ 近衛文麿(C)共同通信社 太平洋戦争の始まりは、日本社会に奇妙な歪みを生んだ。昭和16年12月8日からの日々では、ラジオ放送は「大本営発表」を勢いよく伝え、日本軍が東南アジアに進出していくさまを詳細に報じた。アナウンサーの高い調子の声は、むろん国民を高揚させるように演出されたといってよかった。 大本営の報道部長は首相の東條英機を「救国の英雄」と褒め称え、元寇からこの国を守った北条時宗になぞらえるように国民に訴えた。 一方で近衛文麿元首相(写真)には「あなたは惜しいことをしましたね。救国の英雄になるのを逃したではありませんか」と語りかける人が増えて、近衛を苦笑させた。アメリカに打撃を与えたと社会全体が高揚した状態になった。国会では「聖戦完遂決議案」が提出され、衆議院議員の島田俊雄は軍事の指導者に称賛の言葉を並べ立てた。 本来、この戦争の前途を考えたなら、いずれアメリカが総動員態勢で対日戦に出てくることは明白である。それなのにアメリカへの対応を考えもせず、ひたすらその場しのぎの日々がくりかえされた。成功に酔う軍事指導者、それに呼応する親軍的な政治指導者、戦果に歓喜する議会人などは、国民を徹底的に扇動していた。 これに反して近衛や彼の支援者たちの集まりである昭和研究会のメンバーは「日本は大丈夫か。このような状況はせいぜい2、3カ月だろう」と案じていた。元外相の有田八郎や元蔵相の石渡荘太郎らは密かに集まって、時機を見て終戦に持っていこうと話し合ってもいた。特に有田は、ハルノートを子細に分析して、これを最終通告と受け取るのは軽率であるとの文書を作り、天皇に届けている。 しかしその種の文書は決して天皇の元には届かなかった。むしろそのような国策を憂うる要人こそが反戦分子として憲兵隊に監視されることになった。戦争に批判的であることで社会から排除される状況がつくられていったのである。 保阪正康 作家 1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。
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