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天皇制の謎と民主主義 (朝日新聞社 論座)
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/905.html
投稿者 肝話窮題 日時 2019 年 4 月 24 日 00:23:57: PfxDcIHABfKGo isyYYouHkeg
 

天皇制の謎と民主主義
「基盤装置」の危うい未来
大澤真幸 社会学者

論座 2019年04月23日
より、無料公開部分を以下転載。

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019041700005_2.JPEG
訪英先のバッキンガム宮殿で立ち話をする(左から)エリザベス女王、天皇、皇后両陛下と夫のフィリップ殿下=2007年5月
 
 
 天皇は――制度としての天皇は――謎である。外からこれを見ている者にとっても謎だが、それを維持している日本人にとっても深い謎だ。天皇制はなぜあるのか。何のためにあるのか。日本人は、それを明晰に説明することはできない。ヘーゲルに、「エジプト人についての謎は、エジプト人にとっても謎である」という格言めいた命題があるが、日本人は、天皇制に関して、まさにこのエジプト人である。
 
 
■なぜ続いてきたのか
 
 天皇制の歴史を振り返ると、謎はいくぶんかは小さくなるだろうか。逆である。謎は深まるばかりだ。最も大きな謎は、天皇制の継続性である。日本の歴史を振り返ってみると、その大半の期間において、天皇や朝廷は、たいした機能を果たしていないように見える。一見、ほとんど無用である。それどころか、ときの最高権力者にとって、天皇制は、ないほうがよい障害物だったのではないか、と推測したくなる期間が実に長い。日本の歴史の中には何度も、天皇制が廃棄されてもふしぎはないような局面があったのに、結局、天皇制は温存された。武家政権は、天皇制を完全に打倒し、撤廃することもできたように見えるのに、そうしなかった――そうできなかったのだ。武家政権は、互い同士では潰し合うこともあったのだが、それよりはるかに弱い朝廷を完全に廃棄することはなかった。どうしてなのか。

 とりあえず、最小限のこととして、次のように言うべきである。これほど無用に見えるのになお日本人がそれを棄てることができないのだとすれば、日本人は、天皇制をよほど必要としてきたのだ、と。しかし、日本人は、なぜ自分たちがそこまで天皇(制)に執着するのか、それを意識化できてはいない。

 天皇制の継続性は、「万世一系」という語によって表現されている。天皇の地位は、最初の天皇から今上天皇まで断絶することなく世襲されてきた……ことになっている。歴史上、世界各地にさまざまな王権が存在したし、現在でも存続してもいるが、しかし、日本の王権、つまり天皇制ほど継続性をもった王権は、ほかにない。万世一系であることの副産物は、天皇制には王朝の観念がない、ということである。中国の皇帝にも、またヨーロッパの王権にも、王朝という見方がある。たとえば、現在のイギリスの君主(エリザベス2世)は、ウィンザー朝――かつてハノーヴァー朝と名乗っていたこともある――に属している。ウィンザー朝=ハノーヴァー朝は、スチュアート朝の後に、イングランドに君臨した。だが、万世一系であれば、王朝によって、王の系列を区別する必要はない。王朝の観念の不在は、天皇が姓をもたない、ということを意味している。他の国の君主と違って、日本の天皇には姓がない。一般に、王朝は、「姓」によって区別されるからである。
 
 
■影響力の範囲・直属の軍事力
 
 日本の天皇制が特異なのは、こうした時間的な継続性に関してだけではない。その空間的な広がりに関しても、それは例外である。今しがたも示唆したように、王権自体は、一般的に見られる社会システムである。細部を省略して基本的なことだけを述べれば、天皇は、呪術や神話を権威の源泉とする、比較的原初的なタイプの王に属する。たとえば、『古事記』や『日本書紀』などのテクストのかたちで自身の正統性を公言している点では、天皇制は、最も原初的な王権や首長制よりも複雑なシステムだが、なお呪術王の系列に属している。このようなタイプの王権は、めずらしくはない。
 
 特異なのは、その影響力の範囲である。今、前近代の天皇制の影響力が、最終的には(北海道を除く)日本列島のほぼ全域にまで及んでいたと考えると、この広がりはやはり破格である。原初的な王権がその権力や影響力を及ぼしうる範囲は、一般にそれよりもはるかに狭い。人々が王の存在をありありと実感できる範囲を、大きく超えることができないからだ。たとえばもし天皇制の影響力の範囲が、せいぜい畿内に留まっていたとするならば、(原初的なテクストだけをもつ)呪術王が支配する領域としてごく普通だと見なされたであろう。しかし、曲がりなりにも天皇制を受け入れ、尊重していた社会的領域が、最終的には、日本列島のほぼ全域だったとすると――中国の皇帝の支配が及んでいた領域と比べれば著しく小さいとはいえ――、それは、呪術王の支配領域としては例外的に大きい。
 
 天皇制のもうひとつの顕著な特徴は、直属の軍隊をもたない、ということである。古代の天皇は、直接的に動員しうる軍事力をもっていた。しかし、ある時期(平安時代のごく初期)以降、天皇は軍事力とは切り離された。それゆえ、天皇や朝廷は軍事的にはきわめて弱かった。軍隊とのこのような(無)関係という伝統は、今日の天皇制にも受け継がれている。もちろん、現在の象徴天皇が、軍隊(自衛隊)から切り離されているのは、直接的には、大日本帝国憲法の下で天皇が統帥権をもっていたことに対する反省からである。が、今述べたように、むしろ、天皇自身が、軍隊の最高指揮権を握っていた明治以降の体制は、天皇制の歴史にとっては例外である。軍隊から切り離されている戦後の天皇は、天皇制の常態への復帰だと解釈することができる。
 
 これは、日本の天皇制とヨーロッパの王権との顕著な違いのひとつである。ヨーロッパの現代の君主は、すべて軍隊と直接的に結びついている。たとえば、イギリスの国王もスペインの国王も、軍の最高司令官である。単に形式的にそのような地位が与えられているだけではない。彼らは、正式に軍事教育を受け、軍の関係者と親密な関係にある。たとえば、イギリスの王室の男子は、軍事訓練を受けることになっている。ウィリアム王子もヘンリー王子も、サンドハースト王立陸軍士官学校を卒業しており、彼らの父チャールズ皇太子とともに、軍との間に強い紐帯を維持している。
 
 要するに、歴史的に見て天皇制はきわめて特殊な王権であり、多くの謎に満ちている。この謎を、ここで解くつもりはない。ただここでは、天皇制の独特の性質を銘記した上で、現代の天皇制について考えてみたいだけだ。
 
 
■戦後の左翼の目標
 
 天皇制はたいした機能を果たしていないように見えるのに、日本人はそれを放棄することができない、と述べてきた。この逆説が極大化したのが、戦後である。明治維新以降の政府は、天皇に、積極的で明示的な機能を与えようとした。戦後の政治と憲法は、これに対する反省と批判から始まっている。日本国憲法によれば、天皇は象徴である。「日本国」と「日本国民統合」の象徴だ、と。だが、これが何を意味しているのかは確定できない。どこにも明確に規定されていないからだ。憲法にある「象徴」は、消極的な概念である。「消極的な」というのは、「それが何であるか」ということよりも「何でないか」ということに力点が置かれている、という趣旨だ。日本国憲法において、「象徴」という観念は、天皇を政治的に無力化することを目的として活用された。そのため、戦後、天皇が何をする人なのか、何をするためにいるのかを積極的に規定しないまま、日本人は、天皇制を維持した。これが、GHQの、そしてアメリカの意志でもあったのだが、日本人は、これを喜んで受け入れた。
 
 しかし――先に結論を述べておけば――客観的に見れば、戦後、天皇制は、日本の政治に対して、ある重要な機能を果たしていた。天皇制が、民主主義が可能であるための最小限の条件を整えた、と言ってもよいほどである。これがどのような意味なのかを説明する前に、小さな回り道を通っておきたい。
 
 戦後、日本人は全員一致で天皇制の存続を望んだ……かのように論じてきた。しかし、敗戦後の半世紀近く――1980年代までは――、より率直にいえば昭和天皇が存命だったあいだは、左翼の大半は、天皇制に批判的であり、天皇制の廃止や打倒を政治目標にしていた。そして、知識人や大学生の多くは、左翼にシンパシーをもっていた。今日では、しかし、左翼やリベラルを自任する人でも、声高に天皇制の廃止を主張しない。仮に天皇制に批判的な目を向けていたとしても、天皇制の打倒こそが日本の政治における最も重要な課題であると思っている左翼は、今や皆無だと言ってもよい。
 
 振り返ってみると、敗戦後の半世紀弱は、天皇や天皇制に対する批判や反対を公然と主張できた、日本史上、唯一の期間であろう。日本史にはひとつの法則がある。天皇や朝廷の敵と見なされた者は、必ず、政治的な敗者になるのだ。天皇・朝廷の全面的な敵となりながら、なお政治的に生き延びたケースは、たったひとつしかない。承久の乱のときの関東武士――北条義時・泰時に率いられた鎌倉の武士勢力が、その唯一の例外である。このとき初めて武士は朝廷を全面的に敵にまわした。そして彼らは圧勝した。このときこそ、鎌倉の武家政権は、京都の天皇制を廃棄してもかまわなかった(ように見える)のだが、そうはしなかった。鎌倉幕府は、後鳥羽上皇をはじめとする皇室の主だった者を遠流にするなど、彼らに厳罰を科したが、しかし、制度としての天皇や朝廷は温存したのである。とまれ、繰り返せば、この奇妙な例外を除くと、天皇や朝廷に反抗して政治的に生き延びた者は、日本史の中には誰もいない。このことを考えると、敗戦後の半世紀弱は、天皇制の打倒を叫んでも政治的に排除されることがなかった、日本史上の唯一の期間だったことになる。
 
 だが、今日の目から反省してみると、こう問いたくなる。あのとき、日本の左翼は、本気で天皇制を打倒するつもりだったのだろうか。彼らは、天皇制の存続を前提にした上で、つまり天皇制が消え去ることがない限りで、天皇制への反対を唱えたかっただけなのではないか。
 
 
■天皇制廃止への本気度

https://image.chess443.net/S2010/upload/2019041700005_3.JPEG
成田空港反対運動で、抗議して道路に座り込むデモ隊=1978年7月、千葉県成田市三里塚
 
 極右と極左の両方のグループを渡り歩いた、見沢知廉という作家がいる。すでに故人となっているこの人物は、1995年に、獄中で書いた『天皇ごっこ』という小説を発表した。これは、天皇に関連した短篇をオムニバス形式で集めた作品である。

 この中に、次のようなシーンがある。これは、おそらく、見沢が実際に経験したことである。1978年の初夏、成田空港開港阻止のために千葉・三里塚に新左翼の活動家たちが集結した。赤、白、青等の色によって象徴される新左翼系諸セクトの活動家が一堂に会したのだ。しかし、1万数千人からなる全体集会は、まったく盛り上がらない。次々と各派のアジテーターが演説をするのだが、その度に、一部のセクトだけが喝采を送り、他は白けてしまうのである。戦略、闘争目的、それらの背後にある理論のすべてにおいて、各派の主張が異なっているからである。「インターナショナル」を合唱するにしても、セクトごとに歌詞の訳語が異なるために、歌も揃わない。

 最後に、アジテーションの名人とされている反対同盟委員長の戸川がマイクを握る。最初は、戸川の演説さえも、全体をまとめることはできない。だが戸川のある一言によって、情況が一変する。「さて」と一呼吸をおいてから、戸川は続ける。「そして何よりも――我々の唯一の目的は、天皇を、打倒することです……」。この言葉が吐かれた瞬間、オオオオという地鳴りのような叫びが参加者の全員からあがり、左翼系の諸団体が、一つになって共振した。「天皇を……殺すんです……」という戸川の呼びかけに対して、嵐のような絶叫が賛意を表明する……。

 これが見沢知廉の小説の一場面だ。このとき、左翼の活動家は、 ・・・ログインして読む
(残り:約4819文字/本文:約9721文字)
 
https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2019041700005.html?page=1  

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コメント
1. 2019年4月24日 04:32:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1406] 報告

天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html

 


2. 罵愚[7367] lGyL8A 2019年4月24日 05:41:52 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[182] 報告
 天皇制ってさぁ〜…武士が支配した幕藩体制とも、実質、アメリカに支配されてる戦後民主主義体制とも…なんにでもくっついて、相性がいい、利便性が売りなのかもねぇ、
 ヨーロッパの王室とも、支那の歴代の王朝とも、似ているけども、おなじじゃぁない。共産主義とも仲良くやっていくかも…
3. 罵愚[7373] lGyL8A 2019年4月25日 05:59:23 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[188] 報告
 このレベルになると、★阿修羅♪ の聴講生は激減するんだろうが、ヨーロッパの中世が、市民革命によって打ち壊されて白人キリスト教徒は近代を迎えたわけだが、そこで、中世までの聖書を近代憲法に書き変えた。いままでの聖書と呼ぶ契約書を憲法に書き変えて、近代市民社会は成立している。社会人がわきまえるべき約束事は聖書から憲法に書き変えられた。ルソー、ロック、ホッブスの社会契約論的世界の誕生だな。

 似ているようで、この日本の歴史や社会は、似ていないのではないのか? 日本ケースでは、第一段階では明治憲法ができ、第二段階で現行平和憲法のツーステップで現在の日本人社会は近代憲法による契約論的社会に到達している。
 ふたつの社会変革と憲法で、日本は欧米の近代に追いついたとする、わたしたちのこの常識は、錯覚ではないだろうか? 今回の平成天皇の勝手気ままなご退位騒動を通して、わたしは、この出来事のなかで、契約論も憲法も、みごとに打ち破られている事実を見逃してるのではないのか?
 近・現代の天皇制のなかで、あるいは現行憲法や皇室典範のどこにも、天皇が勝手に退位するなんてことは書いてない。あきらかに憲法にも社会契約にも違反した、この行為が、しかし、全国民の圧倒的な同意と支持のもとで実行に移されている。日本は、西欧の契約論的社会とも、憲法学が規定する法治主義社会とも異質だという事実が、これほど明確に現実に目の前で展開されているのに、日ごろ、憲法改正にかみついている憲法学者も、野党議員も、 ★阿修羅♪のオタマジャクシも、安倍晋三や自民党と一緒になって、ちょうちん行列に参加している。
 これって、おかしくない?

4. しんのすけ99[382] grWC8YLMgreCrzk5 2019年4月25日 18:21:45 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[144] 報告
>日本の歴史を振り返ってみると、その大半の期間において、天皇や朝廷は、たいした機能を果たしていないように見える。一見、ほとんど無用である。それどころか、ときの最高権力者にとって、天皇制は、ないほうがよい障害物だったのではないか、と推測したくなる期間が実に長い。日本の歴史の中には何度も、天皇制が廃棄されてもふしぎはないような局面があったのに、結局、天皇制は温存された。

「一見、ほとんど無用である」 実はこれこそが 天皇制(朝廷)が 長続きした最大の理由と思われる

要するに 「君臨すれど統治せず」「権威はもつが権力はもたない」 民衆から搾取しない だからこそ
あの残虐非道とまで言われた織田信長さえも 朝廷を滅ぼす事も廃する事もしなかった事実が物語ります
比叡山を焼打ちして 僧侶だけでなく女子供まで皆殺しにした織田信長が 朝廷には決して手出ししなかった

おそらくは 興っては滅ぶを繰り返した 古代中国の皇帝を 反面教師として学んだのではないだろうか

少なくとも 大ピンチは 二度あった 戦国時代(織田信長の覇権主義)と 終戦直後の連合軍占領である
だから 織田信長に取って代わって天下を握った豊臣秀吉に、「関白」 という前代未聞の官位を与えた訳で
この後、徳川家康もその後の歴代将軍も 関白などと言う高位は賜ってはいない

この他にも危機は何度かあった訳だが 「一見、ほとんど無用である」 という存在感はあるのだが
実質的な支配権を持たない(持とうとしない)この処世術? によって危機を乗り越える

終戦直後だって、アメリカ議会や米国内世論 他の連合国の意思は 日本の天皇を断罪せよの大合唱だった
天皇のお咎めなしと皇室の存続は ほとんどマッカーサーとGHQ の、独断に近い措置である。


不思議と言えば不思議ではある 結局 統治をしない それに尽きるのではないだろうか。

5. 2019年4月25日 21:55:57 : GRGDp8FtD2 : RGk2U1JqNEJrSms=[5] 報告
>現代の天皇制について考えてみたいだけだ。

歴史上で、庶民がものを言える時代(主権者)となったのが、戦後であり歴史の権力闘争に庶民は蚊帳の外で
あった。 記録された歴史と現代の社会背景から論じるのは? 庶民の知る万世一系は明治の教育によるもの。
権力や体制は、天皇公家(官吏)の律令制、将軍家臣(藩士)の軍事体制と大別できる。 明治維新は律令制。

江戸末期の庶民や武士の宗教観が「江戸幕末滞在記」(E・スエンソン 訳 長島要一)にある。 また、明治元に
長崎裁判所(長崎府 幕府天領直轄地であった長崎を維新政府が接収したさいにつけた名称)の「御諭書」を
読んでも、江戸時代の庶民が天皇や万世一系をしらない。 

(30ページの一部を抜粋) 〈 〉は引用分にはない補足注釈
『ここにあげた二宗教〈神道 仏教〉の最高権威としてミカド〈天皇〉が君臨する。 ミカドは神道では、まさに神格
化され、神として拝まれているが、仏教の方でも、さまざまな条件により修正をほどこされた宗派では、少し位は
落ちるが、一応神としての威厳をミカドに与えている。京都におけるミカドの閉ざされた生活については、外国

人のみならず日本人にさえいまだにヴェールをかぶされたままで、朝廷の最高位にある官吏だけが神々しい
ミカドに近寄ることができる。 私が話したことのある教養のある階層の日本人は、神秘的な存在としてのミカドは
民衆の空想の中にしかないこと、自らの行為に合理性を与え、政府〈幕府〉の施策を尊敬させる目的で大君
〈将軍〉が掲げたおどし絵でしかないことを、半分も理解できなかったようだ。ちなみに大君は、日本の非常に

古い憲法〔律令〕によればミカドの統治官にすぎず、すべての点でミカドの命令に服すべきとなっていた。
 ・・・(略)・・・ ミカドが実在するのは疑いようもないが、その生活ぶりは、まだまだいろいろな点で謎めいている
のも確かである。 聞くところによれば、ミカドは京都にある宏大な社〔御所〕に閉じ込められて住んでおり、ダイリ
〔内裏〕と呼ばれる朝廷に囲まれ、そこの官吏は、国内の政治問題にはなんの影響も与え得ないにしろ、非常に

高い地位を占めており、そのうちの何人かは〔位の上では〕大君の上司でさえあるという。ミカドのいちばん重要な
仕事が太陽の神〔天照大神〕直系の神々しい一族を殖やすことにあるから、十二人の正室と多数の側室を与えら
れており、全員、外部との接触をいっさい絶たれている。 ミカド自身、社〔御所〕の外に出ることなく、一年のうちの
何日か、選ばれた者たち数人に、姿を見られないように閉ざした部屋から足を外に出してキスさせるだけである。

ミカドの身体は聖なること限りなく、公式には誰ひとり髪の毛一本さわってはならないことになっている。したがって、
髪や爪を切らなければならないときには、ミカドが眠っている間にした。着物も同じものは一回しか使わず、食事に
使用する椀や皿も然り、毎日新しいものに替えられる。が、これだけならさほど面倒ではない。ミカドの使ったもの
はなんであれ、一般人の手に触れられて汚されることのないよう、ただちに始末される習慣は信じられないほどの

出費を要するのが悩みの種で、ミカドの衣類に使う生地、毎日の必要を満たすための品々もみないちばん安い
ものが使われているという。 ・・・(略)・・・ 大衆の目に映っているミカドは決して死んだりしない。 神として
それではあまりに脆弱すぎる。ミカドは消え去るのである。 しかし、その前に、子供たちの中から後継者を選び、
それは時として女であることもあったが、父親の消滅が全国に告示される前に即位させてしまうのである。

 ・・・(略)・・・ 日本の宗教界の最高指導者としてのミカドは、ほかの名ばかりの役割からは自由な存在である。
しかしミカドの権威は純粋に宗教的な分野に限られていて、〔聖職者の〕臣下を統制するのに適用される規則は
決して厳しいといえるものではない。 聖職者はたいていなんでも好きなことができる。上司から咎められることも
厳罰に処せられることもなく、感情生活、快楽生活の方面で宗教の戒律を破ることさえできる。けれども、ほかの

非宗教分野では聖職者たちも国の民事裁判所〔寺社奉行〕の管轄下にあり、罪を犯し有罪と認められた場合は、
聖職者の身分に関係なく裁きを受けた。日本の数多いミア〔宮〕やテラ〔寺〕は、無数の聖職者の一団によって
運営されている。 かれらは無為の行為、宗教に関わる仕事、さもなければ放蕩に時間を費やしている。神道は
その下僕に独身生活を強いないが、神道以上に普及している仏教では強制されていることであり、仏僧の最高の

勤めが仏陀の教えを厳格に守ることであってみれば、きちんとその規律に従うだけでも、なんであれほかの俗事に
手を出している暇などないことは明白である。 〈浄土真宗は妻帯可、他派は明治になり肉食妻帯を政府が許可〉
・・・(略)・・・ 聖職者には表面的な経緯を示すものの、日本人の宗教心は非常に生ぬるい。開けた日本人に
何かを信じているのかたずねても、説明を得るのはまず不可能だった。私のそのような質問にはたいてい、質問を

そらすような答えか、わけのわからない答えしか返ってこなかった。 時に立ち入って聞き出すと、そのうちの何人
かは、戯言の寄せ集めが彼らの宗教、僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから行くだけの所、などとやっと語ってく
れた。・・・(略)・・・ 下層階級の人間は、祈りを上げようと思ったらどんな社寺であろうと見境をつけない。仏陀を
安置したテラ〔寺〕であろうと何かの神を祀ったミア〔宮〕であろうとお構いなしである。その点については、リンダウ

が、自著「日本周遊旅行』においてかなり滑稽な証拠をあげて説明している。 横浜のカソリック礼拝堂が完成
した当初、町の日本人住民が大勢訪ねてきた。 深い信心をみせてキリスト像の前で地面にひれ伏し、熱心に
祈りを捧げたので、宣教師たちは大喜びであった。 ところが、なぜキリスト教の教会を選んだのか、その動機を
たずねてみると、正直だが救いようのない答えがかえってきた。外国人とその「カミ」を讃えたかった。 外国人の

カミも日本のと同じくらい良いにちがいない、といったそうである。これでは彼らに深い宗教心があったとはとても 
いえないが、少なくとも心からなる好意を表わしたことだけは認めざるを得まい。〔日本の〕宗教はどこでも迷信と
よく結びついているが、僧侶たちは迷信を利用して民衆に影響力を及ぼすこともできるので、面と向かってそれと
戦うことはしないようである。ここの聖地が病気を治すのに特別な効力があるといわれれば、向こうの社寺は神々に

縁組を守ってもらうのにいい、ここは結婚した女が身籠るのにいい、そちらのは諸々の奇跡を起こすのにいいと
いった具合に、しばしば信者たちの巡礼の目的になっていて、それで僧侶たちのポケットがふくらむのはいうまで
もない。・・・(略)・・・社会の上層部、特に知識人の間には、神道にも仏教にも与しない開けた日本人が数多く
見出せる。彼らは外見的な神仏信仰を斥け、孔子の教えの規範に多少の修正を加えたものに従っている。

それは、その純粋さと高尚さにおいてほかの数ある宗教よりはるかに抜きん出ていて、雑多な宗教とキリスト教との
中間の役割を果たすといわれている。けれども、神と彼岸の生に関する〔儒教の〕概念群には不確かで不明瞭な
部分が多すぎるため、その信奉者はふつう、無神論者と見做されている。その教えは、宗教というよりは一連の
哲学的な処世訓より成っているといった方がふさわしい。〈幕府官学の朱子学〉 また、〔社寺などの〕外部的な

形式をもたず、感覚に訴えて人を唆すこともしないため、儒教に惹かれる大衆はいないが、その信奉者が学識
深く、真に清廉で汚点のない人生を送っているという理由から、〔大衆の間に〕並々ならぬ尊敬を集めている。』
〈聖職者は寺社奉行、朝廷公家は京都所司代、京都守護職となり、新撰組が配下〉 


御諭書(長崎府) 早稲田大学図書館 
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wa17/wa17_03555/wa17_03555_p0004.jpg

『日本ト云ウ御国ニハ、天照皇大神宮様カラ御継遊バサレタ処ノ、天子様ト云ガゴザッテ、是ガ、ムカシカラ
イット変タ事ノ無イ、此(この)日本国ノ御主人様ジャ。 丁度天ニ御日様ガゴザルモ同ジ事ジャ』

御一新の説明はいろいろな譬え(たとえ)を使っている。 
『下々デ考ルヨウニ、手ノ裏返スヨウニ、夜ガ昼ニナッテミタガヨイ。 ドノヨウニウロタエルカ、譬ヘバ、夜ル夜中ニ
人目ヲ忍ンデスル事ガ有ラウガ、其処ヘ俄ニ御日様ガ御出ナスッテハ、タマルマイデハ無イカ。 ヂリヂリト夜ガ
明ル間ニハ、茶モワク掃除モ出来ル』 天皇を庶民が知っていれば、こういう文書を政府がだすこともない。


維新の律令制(天皇の下に二官六省)は、王政復古で大化の改新の時代の政治体制になる。 今、公民教育と
いうのがあるそうで、この公民が英語訳の公民なのか、明治回帰の保守(律令制)の公民なのか、中国は公民と
人民というそうであるが。 大化の改新に出てくる公地公民制(明治は版籍奉還という)は、皇地皇民といえる。

これは王土王民思想の日本版。 (日本書紀孝徳天皇)『聖主(ひじり)である天皇(すめらみこと)は、天の意志
に従って天下を治めて、人々がその所を得ることを願い。 少しも休むことがない。 それなのに代々の天皇の
御名をはじめとする名を、臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)・国造(くにのみやつこ)らは、自らが
支配する品部(しなじなのとものお 組織や集団)につけ、私有の民と品部とを同じ土地に雑居させている。 

そのため父子、兄弟、夫婦でも姓が変わって、一家が四分五裂し、このための争いや訴えが充満している。 
治まらず混乱することはなはだしい。 それ故現在の天皇から臣・連に至るまで、持てる品部はすべてやめて、
国家の民とする。』(宇治谷孟訳)、公地公民制の公民の記述になる。

6. 罵愚[7375] lGyL8A 2019年4月26日 04:49:12 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[190] 報告
>>4 しんのすけさん
 そう、そのとおりなんだが、秀吉に関白の位を与えたように、平成天皇は庶民に皇后の位を与えた。庶民と呼ぶ権力者にすり寄って、皇室の権威を守ったわけさ…その結果、週刊新潮や週刊文春のしっぺ返しにさらされている。
7. 罵愚[7376] lGyL8A 2019年4月26日 05:37:02 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[191] 報告
 明治、大正、昭和、平成の四代にわたる150年の西欧化…西欧近代文明のもたらした法治主義も、平成天皇の気まぐれ退位によって、一瞬で吹き飛んでしまった日本の現実については、理解していただけたようだ。
 つまり、この日本を支配している、統治の基本原理は西欧の民主主義ではないことはわかってもらえたのだが、それでは、それが何だろうか? の疑問が、つぎの話題だな。法律と呼ぶ契約書で支配されていないとしたら、日本人を日本と呼ぶ国家と結びつけているのは何だろうか? についても、今回の平成天皇の退位劇は答えを提供している。
 憲法を無視して、憲法以上に日本国民を納得させたのが天皇の気まぐれだった事実から見えてくる、この国の統治原理とは、日本は天皇の私物ということだ。箱舟をつくったノアが、神から地球の支配を委託されたり、モーゼがユダヤとイスラエルを委託されたり、支那では皇帝は天帝の委託を受けたように、日本神話ではニニギノミコトがアマテラスから委託を受けた約束が、いまだに国民に根づいていたことの証明なんだろうか?
 キリスト教社会では、聖書が憲法より上位のケースが散見されるように、日本では、記紀神話が息づいているのだろうか?
8. 2019年4月26日 09:23:04 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[697] 報告
日本滅亡に情熱をかける男たち
.
ch 国際政経
2019/04/25 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=wnqUVINbR0I
9. 罵愚[7384] lGyL8A 2019年4月27日 11:03:34 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[199] 報告
 長崎と広島に原爆が落とされて、続けて落ちてきたのが“戦後民主主義”だった。原爆で長崎と広島が焼け野原にされたあと、戦後民主主義によって日本列島のみならず、日本人の心や文明や伝統などが、すべて焼け野原にされてしまったと思っていたら、どっこい、日本神話は生き残っていた。日本人の心情の奥底には、日本書紀や古事記の神話が息づいていた。
 平和憲法に違反する国譲りに、共産党も民主党もNHKも朝日新聞も反対していない。『天皇制の謎と民主主義 (朝日新聞社 論座)』が戸惑っている。

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