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「戦争しないと国が滅びる」と天皇に詰め寄った軍人たち 保阪正康 日本史縦横無尽
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/251497
2019/04/10 日刊ゲンダイ 近衛文麿(C)共同通信社 平成の天皇の、平成という時代には戦争がなかったとのお言葉は、むろんご自身の率直なお気持ちの表れであると同時に、昭和天皇への報告という意味も感じられる。昭和という時代の前半は、戦争の時代だったが、それが不本意な形で終始したことへの理解が背景にあるように、私は思う。 天皇(制)について、客観的に分析していくと、近現代の天皇には目的が明確である。その目的は、皇統を守るという一事である。この目的のために手段がある。大きくいうと、それには3点がある。 第1は、祈りと儀式である。これは民の安寧を願っての祈り、さらには皇祖の霊を労わるさまざまな儀式がそうである。第2が御製(和歌)を詠むなどの文化、伝統を守るといった役割である。第3は、皇位の継承者を残すことにより、代替わりを円滑に進めることが、期待されている。このほかにそれぞれの時代に課せられた政治との関わりも手段といっていいだろう。 そう考えると、昭和16年4月から11月までの日米交渉の期間を、改めて検証する必要がある。つまり手段として、戦争を選択すべきであると軍事指導者たちは強硬に主張したことがわかる。交渉は何度か暗礁に乗り上げたにせよ、軍事の側は次第に対米英戦に傾き開戦を主張する。しかし近衛文麿首相(写真)や外務省などは、外交交渉を説く。天皇はこちらの側に立って、主戦派と確かに距離を置いている。 この間に開かれた御前会議、大本営政府連絡会議など主要な会議の議事録を丹念に読んでいくと、私には軍事の側がむろん礼を尽くしているとはいえ、わかりやすく言うなら「ここで戦争を選ばなければ、この国は滅びますよ」とか「戦争を選択すべきです」と詰め寄っていることがわかる。皇統を守る手段に、戦争をと強硬に主張していた。天皇はとまどい、「本当に戦争しかないのか」としきりに確認している。議事録の行間からは、そのようなやりとりがうかがえる。そう読み抜くことで、私たちは昭和史に全く新しい視点があることに気がつく。 そうした視点の一つが、昭和天皇を好戦主義者とか和平主義者と見るのは誤りで、皇統を守るのが主眼点であり、その目的に忠実だったのだ。国体護持は開戦時からの柱だと軍事指導者たちは主張していたことになる。 保阪正康 作家 1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。
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