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戦前の軍事指導者は昭和天皇と憲法を“軽視”して暴走した 保阪正康 日本史縦横無尽
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/251430
2019/04/09 日刊ゲンダイ 昭和天皇(提供)宮内省 平成の天皇は在位30年の折のお言葉でも、「平成という時代には戦争がなかった」ことに触れ、声を震わせられた。このお言葉はご自身の在位期間に戦争がなかった事実にのみ触れられているように受け止められたが、実際はもっと歴史的な広がりを持っているように思われる。私の判断では、先帝の昭和天皇だけではなく、明治、大正の両天皇にも報告しているように感じられた。 いずれの天皇も自らの時代の戦争には消極的であった。時には戦いは避けたいと発言し続けている。にもかかわらず戦争は起こった。平成の天皇はそのことを無念に思いながら、このお言葉を国民に伝えたように、私には思われる。 そこで今週の5回は、近代の天皇と戦争の関係について大まかに触れておくことにしよう。歴代の天皇がなぜ戦争に反対であったり、消極的だったのか、それを探ることによって、軍事指導者、いや時には政治指導者がどういう圧力をかけたかが浮かび上がってくる。それを確かめておくべきだと思う。 初めに昭和天皇と太平洋戦争について触れるならば、昭和天皇はこの戦争に強いためらいを持っていた。対米英戦争に突入することへのためらいは、もともと天皇やその周辺、そして宮中官僚たちがアメリカ、イギリスに近親的な感情を持っていたためだ。 明治の頃から天皇をはじめ宮中では、事あるごとにアメリカ、イギリスの両国とは連絡を取り、親密さを誇っていたのである。軍人たちがドイツに傾斜することに反発する体質があった。 太平洋戦争に入るのは、昭和12年7月の盧溝橋事変をきっかけに拡大した日中戦争が泥沼化したためで、聖戦完遂には対米英との戦いは避けられないというのが軍事指導者たちの言い分であった。昭和16年4月から11月までの日米交渉は戦争を避けるための外交交渉であった。日本はアメリカに対して対支支援をやめるように要求するが、アメリカ側の要求(たとえば中国からの撤兵や独伊と結んでいる三国同盟からの離脱など)には応じない。 日米交渉の期間、天皇は外交交渉での解決に期待している。それがことごとく挫折していくのは軍事指導者たちの恫喝まがいの主張のためだった。この間のやりとり自体、日本の軍事は実は、天皇を実に軽視していたことがわかってくる。大日本国憲法より、軍内法規が日本を支配している構図が浮かび上がってくるのだ。 =あすにつづく 保阪正康 作家 1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。
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