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「令和」への首相説明には平成を継承する視点が欠けている 日本史 縦横無尽
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/250991
2019/04/03 日刊ゲンダイ 4月1日、記者会見で談話を発表する安倍首相(C)共同通信社 新元号は「令和」と決まった。万葉集から採ったという。これまでは漢籍から採るのが一般的だったのに、今回は初めて日本の古典からというのが典拠だというのである。どうあれいかにも安倍内閣らしいと言っていいだろう。 安倍首相は、万葉集は天皇、貴族、防人、農民などの和歌が網羅されていて、長い伝統を象徴していると言い、日本の美しい四季を次代につないでいきたい、新しい時代の精神を具体化しているとの意味を強調していた。記者からの質問でも「美しい日本」という類いの空虚な表現が強調されているのだが、その半面いくつかの歴史的な意味合いも含まれている。私なりに分析すると次のような結論が引き出される。重要な点だけを箇条書きにしてみよう。 (1)漢籍から採らない時代が来ることは予想されていたが、今回がそうであった。 (2)皇国史観の見方を否定している点が感じられる。 (3)平成という時代とのつながりより、新しい時代といった表現で差異化している。 むろんこのほかにも多くの特徴が見られる。しかしこの主要点を見ていけば、「令和」という元号の決定にはこの3点が凝縮されていると言っていいであろう。個別に言えば、(1)についてだが漢籍から採るというのは、国家の目標ともいうべき方向性が示される。 どうあれ国家主義的な意味が強い。天皇にはそのイメージがかぶせられる。しかし、万葉集から採るのは、人びとの生活感から採ったということになる。あえて言えば、国家主義的方向から国民主義的な方向に、元号の決定が移ったといっていいかもしれない。 もし、これが古事記や日本書記から採ったというのでは、皇国史観と言われるだろうが、その批判を避けている知恵が見える。加えてこの国は1400年の歴史を持っているという言い方も、皇紀での年号の数え方に距離を置いたようにうかがえる。 (2)はそのことを指摘したわけだが、ただ、安倍首相の発言は、そうした点の言い方に十分なメリハリがないために、真意がわかりづらい点があるのも事実だ。新しい時代の到来を強調するあまり、平成という時代をどのように継承していくべきかの視点が欠けている。平成への思いやり不足の新元号説明は、なんとも寂しい。この新元号についてはもう少し考えてみよう。 (つづく) 保阪正康 作家 1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞。
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