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首相談話の空疎、寒々しい演出 「令和」で何が変わるのか
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/250983
2019/04/02 日刊ゲンダイ 文字起こし 軽佻浮薄(代表撮影) 新元号関連のニュースで埋め尽くされた一日だった。 1日、政府は5月1日からの新元号を「令和」に決定。午前11時40分ごろ、菅官房長官が発表し、午後0時5分から安倍首相が会見を開いて、新元号に込めた願いを語った。 それにしても、首相会見の薄っぺらかったこと。 「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」 「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる」 「文化を育み、自然の美しさを愛でることができる平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆さまとともに切り開いていく」――。 談話は、上っ面だけの観念的な言葉を並べた空疎なものだった。「美しく心を寄せ合う」って何なのか。日本語の使い方がおかしくないか? だいたい、沖縄に心を寄せることなく、有無を言わさず辺野古の海を埋め立てているのは、どこのどいつだ。安倍が唱える「美しい日本」の底が知れるというものだ。 質疑応答では、新しい時代の例として「ニコニコ動画」を挙げた。梅の花が咲き誇るような未来への希望については、SMAPの「世界に一つだけの花」に言及。安倍の知識教養レベルがよく分かる。 本来は不要な首相会見の席をわざわざ設け、大仰に談話を発表したわりには、改元の重みにおよそ似つかわしくない軽佻浮薄が際立つばかりだった。 問題は、そんな政府の寒々しい演出を垂れ流し、朝からお祭り騒ぎに興じるメディアの姿勢だ。 人気取りのために皇室を政治利用 「朝から晩まで新元号で、経済ニュースも国際ニュースもかき消されてしまった。新元号の伝達で皇居に向かう車を空撮ヘリで追っかけるなんて、犯罪事件でもないのに異常ですよ。メディアも政権もはしゃぎすぎです。あの軽薄な記者会見でハッキリしたのは、安倍首相が人気取りのために皇室を政治利用したということ。礼節も品性も欠いている。政府とマスコミ主導の新元号フィーバーは、一種の国民洗脳と言える。明るい話題で厳しい現実から目をそらそうとしているのです」(政治評論家・森田実氏) 新元号発表の直後、国民が号外を奪い合う姿がテレビに映された。安倍はテレビ各局をハシゴして、歴史的な“手柄”をアピール。こんな茶番で本当に支持率が上がったら、「チョロイもんだ」と高笑いだろう。 17年のノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」国際運営委員でピースボート共同代表の川崎哲氏もこう懸念を示す。 「政府と大マスコミが『時代が変わる』という演出をし、国民も乗っかって騒いでいますが、もう少し冷静になる必要があるでしょう。3月30日の朝刊1面トップが『新元号発表は1日午前11時半』だったのは驚いた。同じ日の紙面には『ひきこもり100万人』『地方選の無投票当選が過去最高』『技能実習生の死』など深刻な問題が載っているのに、元号の発表時間がトップニュースなのか。貧困が進み、経済は停滞し、日本社会の基盤が壊れつつある。待ったなしの問題がそこかしこにあるのに、本当に考えなければいけないことから目をそらすかのように、お祭り騒ぎに興じている場合なのでしょうか。改元イベントは新天皇の即位後もしばらく続きます。折しも今は統一地方選の真っただ中で、夏には国政選挙も控えている。国の問題を考えるべき大事な時期が、改元の話題で覆い尽くされてしまいそうです」 「号外」は奪い合いに(C)日刊ゲンダイ
元号が変わっても、この国が抱える問題が一掃されるわけではない。庶民生活の厳しさも変わらない。令和元年には消費税増税も予定されている。この先も悪政は続き、安倍4選まで囁かれているのに、どうやって新元号の時代に希望が持てるというのか。 「日本の伝統・文化を否定する気はありませんが、そもそも本当に元号が必要なのかという問題もある。このグローバル時代、企業も商取引の現場も西暦に統一する動きが進んでいます。改元は日本国内だけのイベントであり、時代が大きく変わるなんて絵空事でしかない。無理やり盛り上げて、一時の興奮を得ても、幾多の社会問題には何の影響もありません」(川崎哲氏=前出) 新元号の出典は万葉集で、「梅花の歌三十二首」の序文にある「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」から引用。大メディアは「国書由来の元号は初」「新しい時代を感じる」とお祭りムードを盛り上げているが、出典が万葉集というのも無理やりだ。 江戸時代の高名な国学者である契沖は、徳川光圀から依頼された万葉集の注釈書で、「初春令月〜」の序文は中国後漢時代の学者・張衡の作品「帰田賦」に出てくる「仲春令月 時和氣清」の一文が元ネタだと指摘している。漢籍の孫引きに過ぎないわけだ。 安倍は新元号の典拠になった万葉集について、「天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」と談話で説明。「その内容も当時の人々の暮らしや息遣いが感じられる」とも語った。 だが、こうした「天皇から農民まで」「暮らしを感じる素朴な歌」という万葉集の一般的なイメージが広まったのは、実は明治以降のことだ。 ナショナリズムを前面に出した改元 東大教授の品田悦一氏(日本文学)は著書「万葉集の発明」で、万葉集が近代日本の「文化装置」として「国民歌集」の地位を与えられ、「創られた伝統」が成立していった過程を検証している。国民歌集に対する愛着は、文部省お墨付きの固定観念として、全国の学校を舞台に広められてきたというのである。 江戸時代まで「国」といえば「藩」だった。明治日本が近代国家として出発し、「日本国民」という新しい概念を統べるためのアイデンティティーとして、豊かな国民文化と長い伝統の象徴に祭り上げられたのが万葉集だ。 素朴で力強い万葉歌風の「ますらをぶり」や「なおきこころ」が日本国民の模範とされ、戦時下にはプロパガンダにも使われた。 とりわけ、北九州の守備に徴兵された防人たちの歌は、戦争で天皇のために命を捧げることを美化する格好の道具になっていたという。 今年2月に亡くなった日本文学者のドナルド・キーン氏は、太平洋戦争時に米海軍で日本語の通訳官に就いていたが、当時の記憶として、「戦時中、日本人捕虜の多くが万葉集を携帯していたことに驚いた」と回想している。 そういう万葉集を典拠にした元号を安倍政権が決めた不気味さ。たしかに万葉集は素晴らしい歌集だが、まとわりつく国家主義の亡霊が平成の終わりに蘇ったかのような感覚にとらわれてしまう。 「世界情勢がデリケートな中、国書にこだわるなどナショナリズムを前面に出す改元を断行したことに危うさを感じます。改元は粛々と、前例を踏襲して行うべきだった。元号に時間を支配するという独裁的な意味がある以上、いかに政治色を出さないかに配慮する必要があるのに、安倍首相は自分が決めたかのように振る舞っている。誰もやれなかったこと、タブーを犯すことに快感を得ているフシがありますが、政治がサプライズを狙うのは堕落の表れです」(森田実氏=前出) モリカケ問題も統計偽装も、何ひとつ真相は解明されていないのに、新元号で忘れ去られてしまうのか。国民はそれでいいのか。「新しい時代」だからリセットなんて、権力の思うツボだ。新元号でゴマカされてはたまらない。
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