http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/600.html
Tweet |
韓国の「読み方」
日本は韓国より立場が弱くなったのか?
日韓関係の構造的変化を考える(4)
2019/03/18
澤田克己 (毎日新聞記者、元ソウル支局長)
日韓関係がここまで悪化している背景には、冷戦終結の時期を前後して起きた両国関係の構造的変化がある。そうした認識からこれまで、主として韓国側の事情に焦点を当てたコラムを3本書いてきた。簡単に振り返ってみると、▽現在の韓国では「反日」は重要なイシューとなっていない(第1回 韓国国会議長による「天皇謝罪」発言の裏側)▽冷戦終結によって韓国は自由に行動できるようになったし、経済成長にも成功したので日本への依存度が低くなった(第2回 「日本は韓国にとって”特別な国“」は冷戦終結で終わった)▽1987年の民主化によって歴史上の不正義を正そうとする「過去の清算」という動きが表面化するようになった(第3回 韓国の民主化の「副作用」、日本への配慮を忘れていった社会)——ということである。「日韓関係の構造的変化を考える」と題したシリーズの最後となる今回は、日本側の事情について考えてみたい。
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
日本にとって「防波堤」だった冷戦下の韓国
まずは政治について考えてみよう。日本は冷戦時代、共産主義勢力に対する盾として韓国を見ていた。韓国では1960年に李承晩が退陣に追い込まれた内政混乱の後、朴正煕がクーデターを起こした。この時に首相を退いて間もない岸信介は「釜山まで共産主義が浸透してきたときの日本の地位を考えるとき、ことに近接した中国地方の山口県などからみると、非常に治安上、重大な問題だと思う」と語った。そして、「革命を起こした朴正煕その他の連中がやっていることは、ある意味からいって《自由韓国》を守る“最後の切り札だ”」と、朴正煕政権を支える必要を力説して回った。(大岡越平「『自由韓国』を守る」、中央公論1962年1月号)
韓国が北朝鮮とにらみ合ってくれているおかげで、日本は軽武装の経済重視路線を突き進むことができた。クーデターの大義名分を経済再建に求めた朴正煕は日本の資金と技術を必要としたが、安定した韓国の政権を作ることは日本の国益にもかなっていたのだ。そして日韓を協力させることは、互いの同盟国である米国からの強い要求でもあった。
こうした考え方は、1969年の日米首脳会談での共同声明に「朝鮮半島に依然として緊張状態が存在することに注目。韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要」と盛り込まれた。これは「韓国条項」といわれ、その後の日米首脳会談や日韓首脳会談で踏襲された。
そして全斗煥政権は1981年、安全保障と経済協力を直接関連させて60億ドルの借款を日本に求めた。「韓国の立場から見て、冷戦の前哨で戦っている韓国に自らの安全保障の多くを依存している日本は、韓国が果たしている戦争抑止の努力に対して応分の支払いをしなければならないと考えられた」(南基正「戦後日韓関係の展開 —冷戦、ナショナリズム、リーダーシップの相互作用—」『GEMC Journal』No.7、2012年3月、69ページ)ということだ。日韓両国は1983年、40億ドルの借款を日本が韓国に提供することで合意した。
日本にとっての韓国の戦略的重みは変わっていない
冷戦終結によって、この構図は激変した。韓国にとっては総じて前向きな変化だったと言えるだろうが、日本には違う光景が見える。北朝鮮が核・ミサイル開発を進めて日本にとって直接の脅威となったのは冷戦終結を受けてのことだし、中国も冷戦後のグローバリゼーションの中で急速に台頭して覇権主義的な行動を取るようになってきた。どちらも日本の安全保障にとってマイナスの動きである。
朝鮮半島情勢に詳しい日本の外交官は「冷戦時代の韓国にとって、日本は(1)経済協力の提供者(2)軍事政権にとっての米国への影響の経路(3)未だ国交を有していない中国への経路といった戦略的な位置付けを持っていた。一方で日本にとっての韓国は、北朝鮮及び北朝鮮を通じてのソ連の脅威への防波堤だった。ところが、冷戦構造の崩壊と韓国の民主化、日本のバブル崩壊などがあって、韓国にとっての日本の戦略的な位置付けは3つとも失われた。ところが、日本にとっての韓国の位置付けは『ソ連』を『中国』に置き換えれば、現在もそのまま変わらない」と話す。
問題はそれだけではない。日本にとっての直接的な脅威となった北朝鮮の問題に対処するためにも、韓国の協力を取り付けるかどうかは大きい。韓国の協力など不要だと切り捨てるなら、日本の負う政治・経済的コストは増大する。米中の対立激化という状況についても、韓国がどのような態度を取るかは日本に大きな影響を与える要素となった。在韓米軍の撤退などという事態になれば、日本の安保政策は根本的な見直しを迫られる。日本の財政がその負担に耐えられるかは疑問である。
基本的な要素として韓国の国力伸長も見逃せない。冷戦時代の韓国は弱小国だったから国際社会での影響力は極めて小さかった。ところが現在はG20(主要20カ国・地域)のメンバーであり、世界10位前後の経済力を持つ。国際政治というゲームの中で簡単に無視できる相手ではない。
経済は相互に依存する水平分業に
経済面でも大きな変化が起きた。財務省が公開している「貿易相手国上位10カ国の推移(輸出入総額、1995〜2017年)http://www.customs.go.jp/toukei/suii/html/data/y3.pdf」を見ると、韓国の定位置は米中に次ぐ3位、シェアは6%前後で安定している。冷戦終結を前後して貿易相手国の多角化が一気に進み、日米のシェアが急落していった韓国とは様相が異なる。日本はそれ以前から経済大国として世界中の国々と貿易をしていたから、韓国ほど急激な変化がないのは当然だろう。
サムスン電子やLG、現代自動車といった韓国企業が世界市場で広く認知されるようになったのも冷戦終結後のことだ。米インターブランド社が2000年から算出している世界ブランド価値ランキングでは、2000年に上位75社に入ったのは43位のサムスンだけ。2005年に現代が84位、LGが97位と初めて上位100社の仲間入りをした。2018年のランキングで上位100社に入ったのはサムスン6位、現代36位、起亜71位だ。ちなみに同年の上位3社は、アップル、グーグル、アマゾンの順で、日本企業トップはトヨタの7位だった。
日経新聞は3月14日付朝刊で「韓国、日本の経済制裁警戒」という記事を国際面トップに載せたが、これは「韓国側が身構えている」というだけの内容ではない。サブ見出しにある「水平分業 双方に打撃」という点を無視しては語れないのが現在の状況だ。サムスン電子など韓国を代表する企業が日本の部品・素材に依存しているのは事実だが、逆もまた真なりであって、日本の部品・素材メーカーにとって韓国企業は大切な大口顧客になっている。近年は東レなどが先端工場を韓国に建設しているが、大きな理由のひとつは納入先企業との協業体制を築くことだ。
韓国の部品メーカーが力を付けてきている点も無視はできない。統計分類コードの種類によって若干のずれはあるが、日韓間の自動車部品貿易に関しては2014年ごろに収支が逆転した。ずっと日本の黒字だったのが、韓国の黒字に変わったのだ。東日本大震災の際に日本製部品の供給中断に見舞われた韓国の完成車メーカーが日本製部品への依存度を下げたことや、韓国製部品の性能向上を受けて日本の完成車メーカーが韓国からの部品輸入を増やしたことが背景にあるという(韓成一「日本の対韓国自動車部品貿易の赤字転換と九州自動車産業への影響」『東アジアへの視点』2015年12月号)。
韓国における日本の存在感は、政治(安全保障)と経済の両面で1980年代後半から一本調子で低くなってきた。これに対して日本にとっての韓国の存在感というのは、それほど単純ではない。冷戦時代に弱小国だった韓国が国力を付けたことによって、むしろ存在感は高まったといえる。中国の台頭という冷戦後の地域情勢は、韓国においては単純に日本の存在感低下を招いたが、日本の受け止め方は全く違う。そういった違いがあまりにも軽い韓国の対日外交を生むと同時に、日本側の対応を極めて難しいものにしている。そう考えると、日本の方がある意味で弱い立場に立たされていると言えそうだ。
「日本はない」と「韓国はない」?
最近の日韓関係に憤り、1993年に韓国でベストセラーになった本『日本はない』(田麗玉著)を引き合いに出して、「小欄も『韓国はない』と思うことにしようか。」と結ぶ新聞コラムがあった(「産経抄」『産経新聞』2019年3月2日)。
そう言いたくなる気分がわからないでもないが、この本を引き合いに出すのは注意すべきだ。この本は、さまざまな事例を挙げながら「日本なんてたいしたことない」「日本はひどい国で、手本にするようなことは何もない」と声高に主張するのだが、それは実は「そう思いたい」という韓国人の願望を代弁するものだったからだ。著者はこの本のあとがきで、日本式経営や社員教育などを追い求める当時の韓国の風潮を「しかたのない面もありますが、これはむりやり我々に日本式の方法を強要しているにすぎません」と強く主張した。この訴えは、バブル経済に浮かれて絶好調だった日本に押しつぶされるのではないかと恐れる韓国人の悲鳴のようだった。
興味深いのは、この著者が10年後の2003年に再び日本をテーマに書いた本だ。著者はこの本の前書きで、日本での楽しい思い出がたくさんあるけれど、今まで書いたことはないと告白する。そして、こう続けたのだ。
私が暮らした1990年代初め——スーパーパワーになろうという野望を持ち、貪欲でギラギラすることをやめようとしなかった(あの時の)「日本はない」。今の日本は「かつての日本」ではない。だから、穏やかな気持ちで、日本について軽く書くことができた。(田麗玉『札幌でビールを飲む』、カッコ内は筆者注)
日本と韓国が互いを見つめる視線の変化は、こうした言葉によく表れているのだろう。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15665
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK258掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK258掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。