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細野豪志、長島昭久、馬淵澄夫議員の復活を望む朝日の政治記者 https://t.co/iRuJt7JGzoとんでもない応援記事だ。この曽我豪という政治記者は、安倍首相と食事を重ねる朝日の政治記者だ。こんな政治記者が朝日新聞の政治担当の編集委員である。朝日の正体見たりである
— ひで坊 (@debokunn) 2019年3月3日
細野豪志、長島昭久、馬淵澄夫議員の復活を望む朝日の政治記者。この曽我豪という政治記者は、安倍首相と食事を重ねる朝日の政治記者だ。こんな政治記者が朝日新聞の政治担当の編集委員である。
— 黒坂三和子 (@miwakokuro) 2019年3月3日
朝日の正体見たりである | 新党憲法9条 天木直人https://t.co/QlsOyNYfmA
細野豪志、長島昭久、馬淵澄夫議員の復活を望む朝日の政治記者
http://kenpo9.com/archives/5686
2019-03-03 天木直人のブログ
きょう3月3日の朝日新聞に、この国の政治と政治記者の正体を見る思いの記事を見つけた。 曽我豪という名の編集委員が「日曜に想う」と題する政治論評で細野豪志、長島昭久、馬淵澄夫の三人の国会議員について書いている。 いずれも、2017年10月の衆院選直前に小池百合子の希望の党に入った後、小池百合子の失速で行き場のなくなった旧民主党議員だ。 細野豪志議員についてはいまさら書くまでもないだろう。 長島昭久議員は、選挙期間中に小池百合子を自らのポスターから削除して当選したまではよかったが、細野豪志議員のように自民党入りに成功せず、保守新勢力を目指す地域政党との小会派に甘んじている。 落選した馬淵澄夫議員は、もはや国会議員に返り咲く事は難しいと思われていたのに、思いもかけない同僚議員(樽床議員)の補選転出のおかげで繰り上げ当選し、自分でも認めているように、棚かららぼた餅で国会に戻ることの出来た議員だ。 三人とも、はじめから自民党の政治家になるべき議員であるが、選挙枠がないから民主党議員になったような議員だ。 当然ながら、野党共闘にはなじまない議員たちだ。 つまり、自民党でもなく、野党でもない、いまの政治の中では、まるで役立たずの議員たちだ。 ところが曽我豪編集委員はこの三人に次のようにエールを送っている。 「確かな再興の道が見えないなら、世間がそう簡単に彼らを認めるはずもない。だが同時に世評ほどあてにならないものはない。民主党政権誕生の前夜、政策の実現性や政権担当能力の練度を十分に問う事なしに『一度やらせてみたらいい』と言った論者は少なくなかった」と。 「ムキになって『悪夢』を否定するよりも、次は悪夢にならないと世間に思わせるよう政策と能力を磨く方がよほど現実的な解決策であろう」と。 そしこう締めくくっている。 「馬淵氏58歳、長島氏57歳、細野氏47歳。人生100年時代と人は言う。あの挫折と彷徨がけがの功名だったと後々言えるだけの時間はある」と。 とんでもない応援記事だ。 この曽我豪という政治記者は、安倍首相と食事を重ねる朝日の政治記者だ。 こんな政治記者が朝日新聞の政治担当の編集委員である。 朝日の正体見たりである(了) (日曜に想う)挫折して知った、それぞれの道 編集委員・曽我豪 https://digital.asahi.com/articles/DA3S13917592.html 2019年3月3日05時00分 朝日新聞 後段文字起こし 「鳥になりたかった雲」 絵・皆川明 3人は20世紀最後の年の2000年に民主党から衆院選に初挑戦した。 細野豪志氏は当選、早くから未来の首相候補と目された。馬淵澄夫氏は落選したが03年衆院選で当選、経済政策と選挙対策で研鑽(けんさん)を積んだ。補選で涙をのんだ長島昭久氏も03年に雪辱を果たし、外交・防衛の論客として脚光を浴びた。 現実主義的な志向と実務で自己実現したいとの思いの強さが3人の共通点と見えた。党代表選では、2度出馬した馬淵氏に続いて細野、長島両氏の名前もあがるようになった。 だが民主党政権は倒れ、安倍晋三政権下で野党は離合集散を繰り返した。3人は17年衆院選に臨み希望の党に再び集ったが、党は選挙で失速し解党され、その後の道筋は大きく分かれた。 当選した長島、細野両氏は二大政党制への夢を自ら閉じた形だ。長島氏は中庸論に立つ保守新勢力に向け、地域政党と小会派結成を選んだ。細野氏は敵対してきた自民党の中で自己実現の道を探る。 そしてこの2月、補選に伴う繰り上げ当選で馬淵氏は無所属議員として国会に戻って来た。彼の夢はどうなったろう。 * 17年の落選直後、馬淵氏に会った。リュックを背負い真っ黒に日焼けしたバックパッカーのようななりで現れ、「全国おわび行脚の旅ですわ」と笑った。20人ほどの馬淵グループは続けるとし、「ちょうど落選と当選でほぼ半々。しかも代表の自分が落選組の方で話がしやすい。けがの功名でした」と真顔で言った。 先月末、馬淵氏に再会した。落選のおかげで20年ぶりに十数万世帯の地元・奈良を歩き思い出せた原点があるという。 「自民党の否定や政権交代のために政治家になったのではない。地方の声は今も昔も、暮らしを良くしたい、一極集中で地方がおきざりにされる、です。だから必ず中央集権から地方分権へ時代が変わる。そのための大きな社会像を用意し提起しておくことが使命のはずでした」 小泉純一郎首相が仕掛けた05年の郵政解散・総選挙で民主党は敗北、政権交代は遠のいたかに見えた。だがそれで逆に立ち止まって、自由度の高い一括交付金など分権論をじっくりと形にする貴重な時間が出来たと今になって思う。 「ただ、私たちは現実政局に対し過敏に反応しすぎた。自民党が投げる球を打ち返すのに必死で、政権時も野党になって以降も、論点と議論の土俵の両方を相手に奪われた。現実感がなかったからではない。成熟しないまま小さな現実主義に偏したのが私たちの失敗でした」 分権の視点を欠いた消費増税の民自公3党合意に乗ってしまい、都市型から地方重視型政党への脱皮も道半ばで、一括交付金は安倍政権により廃された。失われたのは何より民主党らしさ、「集中から分散へ」の大きな社会像だった。 「野党がただまとまれば勝てるとは思えない。疑惑追及は大切だがそれだけでは二大政党制は再興出来ない。市井の人たちは冷静です。野党は何をしたい政党なのか分からない、と言う。私は消費減税を分権とセットで問題提起したい。それがポスト安倍時代に向けた社会像の論争に発展してほしいからです」 馬淵グループとは別に40人強の仲間とつくった落選組の会がある。馬淵氏は繰り上げ当選後も代表を続けることにした。挫折を教訓に地方の声を代弁し中央に伝えることの大切さを知ったからだ。 * 選挙で誓った希望は実らず、確かな再興の道が見えないなら、世間がそう簡単に彼らを認めるはずもない。だが同時に世評ほどあてにならないものはない。民主党政権誕生の前夜、政策の実現性や政権担当能力の練度を十分に問うことなしに「一度やらせてみたらいい」と言った論者が少なくなかった。 ムキになって「悪夢」を否定するよりも、次は悪夢にはならないと世間に思わせるよう政策と能力を磨く方がよほど現実的な解決策であろう。 馬淵氏58歳、長島氏57歳、細野氏47歳。人生100年時代と人は言う。あの挫折と彷徨(ほうこう)がけがの功名だったと後々言えるだけの時間はある。
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