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国際社会の中の日本:自衛隊明記がもたらす諸問題 真の憲法9条改正を目指して 
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/811.html
投稿者 うまき 日時 2019 年 2 月 23 日 03:44:14: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

国際社会の中の日本:自衛隊明記がもたらす諸問題
真の憲法9条改正を目指して
2019.2.22(金) 上村 邁
陸上自衛隊、南スーダン到着 新任務に「駆け付け警護」
南スーダンの首都ジュバの空港に到着した、国連南スーダン派遣団(UNMISS)に参加する予定の陸上自衛隊員ら(2016年11月21日撮影)。(c)AFP/GONZALEZ FARRAN〔AFPBB News〕

一 憲法9条2項の光と影
 よく引き合いに出される話がある。

 昭和21年、議会において共産党の野坂参三が「侵略に対する自衛戦争は正義の戦争であり、すべての戦争を放棄する必要はない」と軍備保有の妥当を訴えた。

 これに答えて吉田茂首相が、「日本が戦争放棄を宣言して世界の信を得つつあるとき、自衛権を論ずることは無益である。憲法は一切の軍備と交戦権を認めない」との発言を行った。

 今に至る「憲法9条2項」論争の始まりである。

 国際社会に日本の復帰を認めてもらうためにあえてこのような発言を行った吉田の思いは、「日本、平和国家」というイメージとともに、現在、多くの国の賛同を得て認められた「国際平和のための海外派遣」という形となって実を結ぼうとしている。

 平成27年、集団的自衛権行使の容認を受けて平和安全法制が成立した。

 これは、自衛隊を海外に派遣して「PKO活動関係者の生命及び身体の保護(駆け付け警護)」などにより、ことあれば身をもって他国の人たちを守るという、国際社会に対し日本が果たすべき約束を表明したものである。

 しかし、平和安全法制により与えられた任務に立ち向かう自衛隊は、これまでとは次元の異なる困難な場面に遭遇する。

 守るべき者は邦人のみならず、外国の軍人、市民などもその対象となり、戦う相手は正規兵に近い者もいれば、敵味方の判別が難しい武装民、テロリストなど様々である。

 しかも、いつ、どこで襲われるかは分からない。このような状況の中、指揮官は決心し、隊員は行動し、ある時は自ら負傷し、またある時は相手を殺傷するわけである。

 そのとき、指揮官、隊員を裁くのは、外国の場合は軍事法廷で軍刑法により正当に裁かれるが、それらを一切有していないわが国においては、自衛官が一般法廷で一般刑法による「殺人罪」に問われるわけである。

 戦う組織として各国軍隊と共通する法体系に裏打ちされていない活動は、任務遂行にあたる自衛隊員に優秀な装備でも補い得ない様々な負担をもたらすこととなる。

 海外に派遣されて任務を遂行する自衛隊の行動を保証するためには、軍事司法制度の制定が必要となる。

 しかしその前には、「特別裁判所は、これを設置することができない」という憲法76条2項が大きく立ちはだかっている。

 「日本で軍事裁判所即ち特別裁判所を設置するためには、まず憲法9条2項を改正して自衛隊を軍隊と位置付けた上で憲法76条2項を改正しなければならない」と一般的に捉えられている。

 「戦力は持たない」という憲法9条2項の「平和の理念」は戦後日本の国際社会復帰に大きな役割を果たしたものの、名実ともに復帰がなった今、9条2項による「戦力不保持の制約」は、国際平和のために活動する自衛隊に「諸刃の剣」となって迫ってこようとしている。

二 「憲法9条2項と並ぶ自衛隊明記」がもたらす問題
 今、憲法9条2項と並んで自衛隊を憲法上に明記するという論が有力になっている。いわゆる「自衛隊併記論」である。

 「自衛隊明記」の大きな理由として「憲法学者の多くが自衛隊を違憲としている状況に終止符を打つ」ということが言われている。

 「戦力は持たない。交戦権は認めない」とする憲法9条2項の存在は重い。

 であればこそ、政治は憲法学者の警鐘にも真摯に耳を傾け、「必要最小限度の戦力は戦力でない」という憲法解釈の下に適切な自衛力を維持して国際情勢に的確に対応し、国の平和と独立を保ってきたわけである。

 自衛隊が創設されてから60有余年、自衛隊が歩んできた足跡は戦後から現在に至る「現代史」の中に年々営々として刻まれ、「自衛隊の違憲」云々という問題は学術上の論争テーマとして取り扱う場合を別にして、政治史の上では個別、集団の違いはあるものの自衛権の行使として認められ、すでに終止符は打たれているのである。

 今あえて、憲法学者に学術上の論争を挑み、自衛隊をめぐる違憲論争に完全に終止符を打とうとすれば方策は2つである。

 「『9条2項』を削除するか」、そうでなければ、自衛力は現実問題として放棄するわけにはいかないので、「自衛隊を戦力ではないと新たに規定するか」のどちらかである。

 今回の「自衛隊明記」による憲法改正案が条件をつけることなく「9条2項」と自衛隊を併記するということであれば、まさに「自衛隊を戦力ではない」と規定する後者の案を採用することにほかならない。

 「後法は前法を破る」とする「後法優越の原理」が立法不作為の場合に取り沙汰されるのは理解できるとしても、十分な準備を経て行われる国民投票をもって、しかも最高法規である憲法の上で決着をつけるということは、矛盾となる存在の並立は認められず、二者択一にならざるを得ないと思うからである。

 日本は憲法を至上とする立憲国家なのである。

 であれば、「完全な終止符」にこだわらない折衷案、「必要最小限度の戦力」という条件をつけて自衛隊を明記することが考えられる。

 これまでの憲法解釈を憲法の中で位置づけようとするものである。

 しかしそのことにより、今度は学術論争では収まらない新たな問題が生じることになる。

 一つは、論争に終止符を打つどころか、さらに激しくなるということである。

 これまでの憲法解釈を憲法条文として論議するということは、新たな論点が増えるとともに、より厳密な規定が求められるということである。

 これからは、憲法で記載される「必要最小限度の戦力」について、限度の目安となる指標の策定、場合によっては限度を担保する法律の制定が求められる。

 そして、攻撃性を有する空母、新巡航ミサイルなど、国際情勢、軍事技術の水準などにより変化する「必要最小限度」をめぐり、これまで以上に憲法学者、裁判官を巻き込んだ侃侃諤諤の論争が果てしなく続くのであろう。

 結局のところ、「戦力か否か」という問題は、憲法9条2項がそのまま残されている限り、違憲へと拡がりかねない火だねとしてくすぶり続けるのである。

 もう一つの問題とは、「自衛隊明記」とともに憲法9条2項が「国民から新しく承認を受けた」とされることである。

 「戦後の国際社会に再び受け入れてもらう」という目的のために苦渋の選択として受け入れた「戦力は持たない。交戦権は認めない」という「9条2項」の条文をそのまま、今度は自ら進んで採択しようというのであろうか。

 終戦直後の帝国議会で可決、公布された憲法9条2項を、70年後、現在の新体制下、国会の発議に基づいて主権者である国民の直接投票で認める意味は大きい。

 新たな力を得た「戦力不保持、交戦権否認」論者を相手に、かつての「戦力」をめぐる論争が再び始まることになる。

 長い年月をかけた「戦力かどうか」をめぐる論争の果てに、やっと他国に比肩する国際社会の一員としての義務を、胸を張って果たし得るというところまでにたどり着いた今、振り出しに戻るのだけは勘弁してもらいたい。

 何ごとにつけ、「折衷案」は対立する両者の間で、当面の問題をうまく解決するように見えるがゆえに、かえって将来に対して深刻な問題を生じかねない側面を有している。

 「自衛隊明記」、いや「自衛隊併記」は「違憲論争を終わらせたい」とする気持は理解できるものの、憲法9条2項が今の形でとどまる限り、かえって混乱を助長しかねず、また、将来への展望をも阻みかねない以上、そのまま認めることはできない。

三 真の憲法9条改正への道
 「自衛隊併記」が真の解決にほど遠いとすると、憲法9条2項についてはどのように向き合うのか。

 「世界の信」を得るために掲げられた「9条2項」は、自衛隊の海外派遣活動が国内外の信任を得て容認されている現在、当初の役割を終えようとしているものの、国民の過半がまだ不安を拭いきれないのであれば、ことを急ぐ必要はない。

 現在見られる、国民の自衛隊に寄せる信頼の高さは、長い年月をかけて大小の災害に対して身をもって奮闘してきた自衛官の姿を、国民が目の当たりにすることによって逐次増大していったものである。

 しかし、災害派遣は自衛隊の重要な任務ではあるが位置づけは「従」である。

 憲法9条2項の問題を解決し、真の憲法9条改正への道を拓くためには、災害派遣で得られた信頼に加えて、「主」とされている「国の防衛」および「国際社会の平和と安全の維持」の活動について、国民の理解及び信頼をかち得ていかなければならない。

 しかしながら、国民の身近で生起し、直接活躍を見聞きできる災害派遣の場合とは異なり、「いかに国民に訴えていくか」という難しい問題が待っている。

 そもそも「自ら国を守る」ことを国民が自然に体得できる土壌が他国とは異なっている。日本は周囲を海に囲まれ、人は自然の力によって外敵から守られてきた。

 市民自らが剣や銃を持って国土を守り、独立を勝ち取ってきた欧米、たとえばフランス、米国などの国民とは国防に対する考え方に相違があるのもやむを得ない。

 7世紀建国以来、明治維新から終戦までの極めて短い一時期を除き、国を守るため自ら「剣」を手にすることなく長い年月を平和に暮らしてきたわけである。

 そして戦後は、300万人の同胞を失った反動により、かつての「争いのない平和な世界」にひたすら引き籠もろうとしたのではないか。

 「自らの手で国を守る」という国防の原則理念と間をおき、「集団安全保障」を重視する国連と距離を取ろうとする心情も分からないわけではない。

 まずは「時」が必要である。そして、国民の目の当たりに訴える「呼びかけ」が必要なのである。

 海外において身を挺し、危険な任務を一つひとつ果たしていき、他国の信頼を獲得し、国際平和のために活動する日本に寄せる「世界の人々の賞賛」こそが国民への「呼びかけ」となり、翻って国を守る自衛隊への国民のさらなる信頼につながっていくことになるのである。

 そして、その信頼が一層高まったとき、これまでの「憲法9条2項の呪縛」が解かれ、国民が「真の憲法9条の改正」に一歩を踏み出し、同時に、国際社会における他国の有り様、人々の生き様に触発され、国民は主権者としての「国を守るかけがえのない責任」に自ら目覚めるのである。

 こうして、「国防の重要性」を深く自覚した国民の視線の先に、「パリ不戦条約の理念」、「平和国家日本を防衛する意志」、「主権者の責任」を骨幹とした「真の憲法9条の姿」が現れるのである。

 そこでは、「9条2項」は国際社会への完全復帰を成し遂げてその任を終え、平和の理念を残して新しい姿に変わり、自衛隊はその名を明記されようがされまいが、かけがえのない存在になっているのである。

 平成に続く新しい時代、「平和を国是としながらも必要あらば力の行使も辞さない」とする日本の新しい姿は、今なお多くの紛争対立に苦慮している国際社会に「より信頼できる仲間」として迎えられるであろう。

四 結言
 戦後70年、わが国はただ「平和憲法」を掲げて坦々と歩んできたわけではない。

 起伏に富む道のりを乗り越え支えてきたものは「戦力は持たない」という憲法9条2項の制約の下、憲法の理想と国際社会の現実との整合を図り、着実に防衛力を整備し抑止力の維持に努めてきた「政治の叡智と国民の良識」によるものである。

 そして平成27年、「国際社会の平和の中にこそ日本の平和がある」という理念の下、積極的な平和主義を掲げて世界の海に乗り出したわけであるが、寄せくる波に適確に対処しながら正しく舵を取って進んでいくことが求められる。

 すなわち、法的未整備の現在、「海難審判所」に準じる「防衛審判所」の設置、交戦規定(部隊行動基準)に係わる事項を裁く「防衛刑法」の制定など当面あらゆる方策を追求して対処するとともに、一方、改憲、非改憲を問わず、全国にまたがる国民的運動により「憲法9条2項改正」の機運を着実に醸成していくことが必要である。

 日本周辺を含む国際情勢は緊迫の度を増し、以前にもまして強い風浪が予想される中、多年理想と現実との狭間にあって苦闘してきた「政治の叡智と国民の良識」が、再びわが国を「真の憲法9条改正」によって拓かれる新しい航路へと力強く舵を切り導いていくものと信じて疑わない。

 このためにも、まず何よりも国民全員が参加して、納得のできる議論を尽くすことが大切である。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55555  

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コメント
1. しんのすけ99[240] grWC8YLMgreCrzk5 2019年2月23日 12:36:31 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[2] 報告
満州事変の張本人として 「日本を戦争への道に引きずり込んだ男」 とまで言われる石原莞爾 旧陸軍中将だが
この石原が 日本国憲法第九条を それこそ絶賛していた事実をご存じだろうか
________________________________________________

『新憲法に於て日本は戦争を放棄することになったが、その意義は実に深甚微妙である。今日までは軍事を持たぬ独立国はなかったから、日本は独立国でなくなったというのが、従来の常識から生まれる当然の結論である。日本は自衛権すらも放棄して、ただ世界の正義と良心に訴えると言う。国民の中に未曾有の惨敗によって再び立ち上がり得ないとするあきらめに陥っている者もあろうし、或いは臥薪嘗胆で今にやっつけるんだと、ひそかに決意している者もあるかもしれない。しかしこれらは何れも人類史の偉大な現段階を知らぬ者である。

 今日までいかにも軍備のない独立国はなかったが、今や世界統一の前夜に入り、戦争の絶滅してしまう次の新時代が来るのである。もはや中途半端な軍備は物の役にも立たないし、国際正義感もまた近時大躍進を見ている。我等は心から戦争放棄の偉大な意義を自覚し、身に寸鉄を帯びずしてただ正義に基づいて国を立て、むしろ全世界に対してその進むべき道を示そうとする大覚悟と大抱負を持たなくてはならない』

http://ganko1ban.jugem.jp/?eid=1558

石原莞爾は敗戦後、亡くなる直前の一九四八年一一月、インタビューに答えて(このときの映像はNHKで放送もされました)、

 「我々日本は蹂躪されても構わないから、絶対戦争放棄に徹していくべきです」

とまで言っています。

https://blog.goo.ne.jp/tgalmoh/e/bcba0364fcc5bcaa141418aca8379741
_____________________________________________

↑↑↑ なんと 「蹂躙されても構わないから」 などと、いまどきのどんな左翼論客でも絶対に口に出来ない
極端な戦争放棄論を 晩年には展開しているのである

これを読んだだけで どれほど石原が、あの戦争の結果 日本国民が味わった壮絶な苦難と惨禍に直面した結果
心の底から あの戦争を 海よりも深く後悔し 反省していたのかが良く判るのである

この記事の本文(吉田茂の答弁)でも判るように、戦争放棄は 日本人自らが選択した結果なのである
ウヨ連中は 「押しつけられた」 などと、都合の良い事ばかり言及する割には 石原莞爾の戦争放棄論なんて
都合の悪い事には絶対に 目を瞑り 耳を塞ぎ 言及しないのである 見ざる聞かざる言わざるである。


ウヨの言う事なんて 絶対に信用してはいけない 都合の良い事だけを恣意的に抜き出す癖があるから。

2. 罵愚[7191] lGyL8A 2019年2月24日 06:13:42 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[6] 報告
>>1 しんのすけさん
>ウヨの言う事なんて 絶対に信用してはいけない 都合の良い事だけを恣意的に抜き出す癖があるから。

 「都合の良い事だけを恣意的に抜き出」しているのは、だれだろうか? 石原莞爾は満州事変の張本人ではあるが、支那事変に際しては関東軍に自重を要請している。別のスレッド
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/448.html?c24#c24
政府は慰安婦の事実関係だけを世界に拡散せよ。(日々雑感)
とも関連するが“あの戦争”を「明治100年戦争」ととらえるのか、「35年戦争」と呼ぶのか、はてまた「大東亜戦争」なのかで、印象も全貌も変わってくる。
 都合の良い事だけを恣意的に抜き出す癖があるのは、あなたのような戦後左翼の無知に駆られた悪癖だと思うよ。

3. しんのすけ99[242] grWC8YLMgreCrzk5 2019年2月24日 17:39:37 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[4] 報告
>>2
いやはや これまた都合の良い事だけ抜き出す ウヨの常套手段ではないか

石原莞爾が シナ事変においては 不拡大論を掲げて 満州に乗り込んできた事は 事実である
しかし 後に軍務局長となる 武藤章には 「私どもは 満州事変での 石原閣下の行動を模範としているのです」
こう言い放たれて絶句し 一言も言い返せず すごすごと引き上げた事実が有る

つまり シナ事変の頃は 石原も反省し悔い改めてはいたが もうあまりにも遅すぎたという事だ
満州事変での功績により 陸軍参謀本部という 文字通り 帝国陸軍の中枢部へ栄転しているのだから
尊敬と羨望を集めて みんな見習ったのは 当然の事だろう

そして 石原を見習ったと武藤が言うからには シナ事変だって 謀略であった可能性は高いという事だ
たとえ偶発的事象だったとしても 盧溝橋事件を これ幸いとして戦線を拡大させて泥沼にはまり込んだ事だけは
武藤の言葉からも十分に推察できるのだ

ちなみに 石原は日米開戦でも反対した 東條英機と衝突して 予備役に追いやられたお陰で戦後は
反東條派だと見られて 戦犯追及がなされていない

しかし 道を開いた パイオニアは 石原莞爾なのだよ。

4. 罵愚[7193] lGyL8A 2019年2月25日 09:54:25 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[8] 報告
 よく読んでおくれよ。“あの戦争”を「明治100年戦争」ととらえるのか、「35年戦争」と呼ぶのか、はてまた「大東亜戦争」なのかで、印象も全貌も変わってくる。
 石原莞爾が東京裁判の被告にならなかったのは、かれの犯した戦争犯罪は満州事変に際してのかれの行動であって、支那事変では、かれは抑止派であって、大東亜戦争の推進には参加していなかったからだ。ここまでは、あなたの説明どおりだな。
 しかし“満州事変の張本人として 「日本を戦争への道に引きずり込んだ男」とまで言われる石原莞爾旧陸軍中将だが”石原莞爾を東京裁判の被告席に立たすことができなかったのは、かれが、あなたと同類の戦後平和主義者に生まれ変わったからではない。かれの戦争責任が問われるべき事案は、満州事変にかかわる、かれの行動であって、支那事変以降のそれではなかったからだよ。
 GHQが大東亜戦争期間中のかれの行動を不問にしなければならなかったのは、連合国の開戦理由が支那事変以降の日本であって、満州事変は、その範囲に含まれていなかったからだ。いいかえるとそれは、東京裁判で裁かれたのは大東亜戦争であって、35年戦争ではなかったのだ。もっと深掘りすれば、東京裁判で満州事変をとりあげては、都合が悪かった、ご都合主義だよ。
 わかってもらえるかなぁ? 石原莞爾が悔恨しているのは、35年戦争であって、大東亜戦争ではないのだ。そこのところを、コロコロと自説に都合よく使い分けるご都合主義が戦後平和主義の欠陥なのさ。
 おなじことは、東京裁判を開廷した連合国とその後継としての現在の国際連盟にも言えて、審議では満州事変を不問に付しながら、判決ではそれ以前のポーツマス条約で日本領となった北方領土を取りあげている。つまり、100年戦争と35年戦争と大東亜戦争を、その場、その場で、自説に都合よく使い分けているんだよ。
5. しんのすけ99[246] grWC8YLMgreCrzk5 2019年2月25日 16:21:59 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[8] 報告
>「GHQが大東亜戦争期間中のかれの行動を不問にしなければならなかったのは、連合国の開戦理由が支那事変以降の日本であって、満州事変は、その範囲に含まれていなかったからだ」


また 嘘を言う そして 【自作自演の謀略】という 一番肝心な事を言わない

まずもって 満州事変が 【自作自演の謀略】である事は どんなウヨサイトでも認めている歴史的事実である
しかしながら、それが露見したのは昭和25年 石原莞爾の側近中の側近だった 花谷正が 暴露証言してからで
東京裁判はとっくに終わった後だからである

もちろん それ以前から 軍人達やマスコミ人には 噂としては巷にはびこっていた【公然の秘密】ではあるが
一般国民やGHQおよび関係者が 明確なる証言をもって知り得たのが 昭和30年になってからである
___________________________________________

1955年(昭和30年)『満州事変はこうして計画された』(「別冊知性」 昭和30年12月号 河出書房)において秦郁彦の取材に答える形で、満州事変が関東軍の謀略であったことを証言した。この時、満州事変は自衛であるとし、関東軍による謀略を否定していた当時の関東軍指導者である本庄繁、板垣征四郎、石原莞爾らは物故していた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%B0%B7%E6%AD%A3

そして 私はキモオタではない 呼称なんて どうでもいいのだ 呼称うんぬんは 一人で勝手にやっていたまえ。

6. 罵愚[7198] lGyL8A 2019年2月26日 06:05:23 : uz7lDD2pDc : N2NMZUNTbUh2M0U=[13] 報告
 どうやら誤解してるらしい。満州事変は、明らかに日本の謀略だったが、第二次世界大戦にも、大東亜戦争にも、太平洋戦争にも含まれてはおらず、東京裁判の対象にもならず、したがって、石原莞爾は逮捕も出廷もしていない。
 それは、連合国が東京裁判で追及したのは戦争犯罪であって、法的な責任を追及したからであって、法的解決を目指すからには犯罪事実が明確に示されなければならない。満州事変における石原莞爾の犯罪事実ははっきりしているが、満州事変そのものが東京裁判の訴追対象にはなっていないのだよ。
 石原莞爾は満州事変には関与していて、責任はあるが、大東亜戦争では、むしろ傍観者だった。そのかれが、敗戦後になって「我々日本は蹂躪されても構わないから、絶対戦争放棄に徹していくべきです」といったからといって、かれが当事者ではなかった事実が変わるものではない。傍観者としてのかれの発言だったという、客観的な事実は認識しておくべきだと思うよ。
7. しんのすけ99[249] grWC8YLMgreCrzk5 2019年2月26日 11:52:17 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[11] 報告
>>6
ほう 君は 満州事変が自作自演の謀略という事は認めるんだな なら そこいらのネトウヨよりはよっぽどマシ
だと認めても良い ただ 満州事変が その後の戦争と繋がっていないとは 大多数の歴史専門家 軍事専門家は
認めてはおりませんし 他でもない 今上天皇が 「満州事変から始まるあの戦争を」 と言及しているのだ
まさか 天皇陛下まで パヨク認定するのかな?

軍部の暴走 このきっかけを与えたのは満州事変 この歴史認識は 右派ですら認める所だ。


ちなみに 満州事変を問題としない事情は アメリカ側にもあっただろう
「満州国は 侵略ではあるものの ソ連に対する防波堤として アメリカは黙認していた可能性は高い」
これ 数多くの歴史家は 右左に関係なく共通している認識だったろう 非公式ながら、日米諒解案では
「満州国の承認」 という条件を付けてきた経緯もある


満州国で 止めておけばな。

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