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岸信介の陰謀 日米同盟から抜け出せない日本と日本人
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2019年02月20日 世相を斬る あいば達也
以下は、朝日新聞の沖縄県民投票に関する世論調査だ。まず読む前に、最低限の話をしておこう。 日米安保条約が永続的に日本を植民地化する条約であることを、岸信介が知りながら、締結した条約であり、不可逆的に日本の世界における地位を決定づけたものである。 日米安保条約、地位協定、合同委員会等々は表向きの条約について知り得るが、行政官僚と米軍との密約、行政官僚とCIAとの密約などは、我々が知ることは出来ない。 しかし、ここでは多くを語らないが、明らかに、ダレスの魔術に惑わされた、自民党が、日本で厳然たる地位を約束される代りに、植民地化を自ら望んだ関係にあるので、この闇は深い。 最終的には、あっては困るが、現実に、米中戦争などが起きない限り、日本が植民地であったと気づくことがないのが、この日米安保条約の肝である。 しかし、沖縄の、いま置かれている地位を見ることで、一定範囲の想像や推理は可能と考える。 残念なことは、「普天間基地返還のための辺野古基地」と云う、約束事も、本当に明文化しているとは言えず、最終的に、沖縄県民が、また、トテツモナイ騙し討ち遭うことは、なんとしても避けて貰いたいの考える。 ≪基地負担「大きすぎる」沖縄県民88% 朝日新聞調査 沖縄県民を対象にした朝日新聞社の電話による世論調査で、沖縄に在日米軍専用基地・施設の約7割が集中している状態について尋ねたところ、本土と比べて「負担が大きすぎる」が88%に上り、「そうは思わない」の9%を大きく上回った。多くの県民が過重な負担を感じている実態が改めて浮き彫りになった。 調査は、24日に投開票される県民投票を前に、16、17両日に実施した。 沖縄の負担軽減をめぐり、安倍内閣が沖縄の意見をどの程度聞いていると思うかも尋ねた。「十分聞いている」(4%)、「ある程度聞いている」(17%)が合わせて21%だったのに対し、「あまり聞いていない」(37%)、「まったく聞いていない」(39%)が計76%を占めた。過剰な基地負担が軽減されていないと多くの県民が感じている実情がうかがえる。 本土との温度差も浮かび上がった。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設について、沖縄では賛成が21%、反対が68%、「その他・答えない」が11%だったのに対し、全国では16、17両日に実施した世論調査(電話)でそれぞれ34%、37%、29%と割れた。 昨年9月の知事選で初当選した玉城デニー知事の支持率は75%で、不支持の15%を大きく上回った。女性の支持は79%だった。自民支持層でも支持が44%と不支持の42%と拮抗(きっこう)し、無党派層は79%が支持した。辺野古移設に「賛成」と答えた層の28%も支持した。前任の故翁長雄志氏が知事就任後、最初となる2015年4月調査では70%だった。 玉城氏は辺野古移設反対を掲げて知事選で大勝。しかし、安倍内閣は昨年12月14日から辺野古の海に土砂を投入し、埋め立てを進めている。これに異議を唱え続ける玉城知事の姿勢が支持を集めているとみられる。(伊東聖) ◇ 〈調査方法〉 16、17の両日、コンピューターで無作為に作成した固定電話番号に調査員が電話をかけるRDD方式で、沖縄県内の有権者を対象に調査した。有権者がいる世帯と判明した番号は2138件、有効回答は1125人。回答率は53%。 ≫(朝日新聞デジタル) ≪世論調査―質問と回答〈沖縄県、2月16、17日実施〉 ◆アメリカ軍普天間飛行場の、名護市辺野古への移設をめぐって、今月24日に県民投票が実施されます。あなたは、この県民投票にどの程度関心がありますか。(選択肢から一つ選ぶ=択一) 大いに関心がある 51 ある程度関心がある 33 あまり関心はない 12 まったく関心はない 2 その他・答えない 2 ◆あなたは、こんどの県民投票では、投票に行くと思いますか。(択一) 必ず行く 71 行くと思う 14 できれば行きたい 9 行かない 5 その他・答えない 1 ◆こんどの県民投票では、普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋め立てについて投票します。あなたは、仮にいま投票するとしたら、賛成、反対、どちらでもない、のうち、どれに投票しますか。 賛成 16 反対 59 どちらでもない 21 その他・答えない 4 ◇(「どちらでもない」と答えた人に)あえて賛成か反対かを選ぶとすれば、どちらに気持ちは近いですか。賛成ですか。反対ですか。 賛成 31〈6〉 反対 45〈9〉 その他・答えない 24〈6〉 ◆今回の県民投票の結果を、政府は尊重すべきだと思いますか。その必要はないと思いますか。 尊重すべきだ 80 その必要はない 11 その他・答えない 9 ◆アメリカ軍基地が集中する沖縄の負担軽減について、あなたは、安倍内閣が沖縄の意見をどの程度聞いていると思いますか。(択一) 十分聞いている 4 ある程度聞いている 17 あまり聞いていない 37 まったく聞いていない 39 その他・答えない 3 ◆あなたは、アメリカ軍の普天間飛行場を、名護市辺野古に移設することに賛成ですか。反対ですか。 賛成 21 反対 68 その他・答えない 11 ◆あなたは、沖縄の米軍基地は日本の安全保障にとって、どの程度必要だと思いますか。(択一) 大いに必要だ 11 ある程度必要だ 42 あまり必要ではない 25 まったく必要ではない 18 その他・答えない 4 ◆沖縄には、在日米軍専用の基地や施設の約7割が集中しています。あなたは、この状態は本土と比べて、負担が大きすぎると思いますか。そうは思いませんか。 負担が大きすぎる 88 そうは思わない 9 その他・答えない 3 ◆ところで、あなたは、沖縄県の玉城デニー知事を支持しますか。支持しませんか。 支持する 75 支持しない 15 その他・答えない 10 ◆あなたは、安倍内閣を支持しますか。支持しませんか。 支持する 24 支持しない 60 その他・答えない 16 ◆あなたは、いま、どの政党を支持していますか。政党名でお答えください。 自民党 17 立憲民主党 5 国民民主党 1 公明党 2 共産党 4 日本維新の会 1 自由党 1 希望の党 0 社民党 3 沖縄社大党 1 その他の政党 2 支持する政党はない 43 答えない・分からない 20 ◇ 〈調査方法〉 16、17の両日、コンピューターで無作為に作成した固定電話番号に調査員が電話をかけるRDD方式で、沖縄県内の有権者を対象に調査した。有権者がいる世帯と判明した番号は2138件、有効回答は1125人。回答率は53%。 ≫(朝日新聞デジタル) 初めのまとめ的記事の中で、≪辺野古への移設について、沖縄では賛成が21%、反対が68%、「その他・答えない」が11%だったのに対し、全国では16、17両日に実施した世論調査(電話)でそれぞれ34%、37%、29%と割れた≫と云う調査結果について言及しているが、つい笑ってしまった。 まさに、昨日の拙コラムで日本人の劣化を見出しにしたが、この調査結果部分が、真の日本人の精神構造なのだろう。 下世話な言い方だが、他人の不幸は蜜の味、例えとしては適当ではないのだが、少なくとも、他人の痛みは一切感じない人々が大多数を占める日本人と云う、姿の一部に触れた感がある。 本土から、見た目だけ米軍基地がなくなったので、スッキリした気分の多くの日本人だが、何とも情けないのひと言だ。 簡単に言えば、日本全体が、何時でも何処でも、日本領土も日本人も、米軍の好きに扱える存在だと云う「日米同盟」が存在していることを失念している。 おそらく、自民党の安倍を含む幹部にせよ、経済界や学会などの既得権益層の人々も、米国の大きな陰謀的力が頭の上に圧し掛かっていることを忘れて過ごしているのだろう。 そして、ある日、猛烈な腕力で、日本社会を支配してくる日があることを、忘れようと努め、日々を、自己都合のご都合主義で生きている。 そして、いっぱしの独立国だと思い込もうとしているのだが、心の奥底では、ある日が起きる恐怖を感じている人々もいる。 ただ、その声は大きくないし、それを思っている人の数は、圧倒的に少なくなっている。 正直、日米同盟の隷属性が、安倍晋三の嘲笑だけで終わるのであれば、それは日本にとって幸運だ。 ただ、それは幸運なだけで、危機が去ったわけではない。自民党の歴史を眺め、その時系列の一部分を切り取って、戦後の日本史を、もう一度検証する必要がある。 無論、公式的なものだけがすべてではないが、そこは、それなりの推理を働かせ、戦後のドサクサの日本と米国が、どのような関係で、どのような約束をしてきたのか、もう一度考える必要があるだろう。 団塊世代が死に絶えた頃には、米国の占領地域と云う、拭いがたい屈辱の中に住んでいることを顧みる人すらいなくなるのだ。 以下は、自民党のHPから抜き出した「保守合同前史」と歴代総裁の名前だ。 ≪ 保守合同前史 わが国の戦後民主政治は、昭和二十年八月十五日の太平洋戦争の終結と、連合軍による占領政治の開始とともに、その幕をあけました。 しかし、それから「保守合同」による自由民主党の結党までの十年間は、終戦後の社会的・経済的混乱、急激な民主的改革、占領政策の変化等によって、文字どおり激動と混乱を続け、平和条約締結後も占領政治の後遺症からぬけだすことに精一杯で、いわば戦後民主政治確立への、生みの苦しみを続けた「準備期」であったといえましょう。 終戦直後の十一月、鳩山一郎氏を中心とする「日本自由党」の結成を皮切りに、「日本社会党」「日本進歩党」「日本協同党」「日本共産党」などの各政党が旗揚げし、それぞれ多彩な政策、綱領を掲げて出発したのでした。 だが、その後、連合軍総司令部の指令による公職追放や政治介入が進むにつれて、戦後政治はめまぐるしく揺れ動いたばかりでなく、選挙による各党の消長とともに、政界分布図もまた、激しく流動を続けました。 自由民主主義政党の各派についてみると、まず「日本協同党」が二十一年五月、他の少数党と合同して「協同民主党」となり、さらに翌二十二年三月には、国民党といっしょになって「国民協同党」を結成しました。また「日本進歩党」は、二十二年三月には「日本民主党」となり、のちに「国民協同党」と合同して「国民民主党」に変わり、独立回復直前の二十七年二月には、解党して「改進党」を結成し、二十九年十一月に「日本民主党」に発展したのです。 他方、「日本自由党」は、二十三年三月、民主クラブと統合して「民主自由党」となり、二十五年二月には、民主党連立派と合流して「自由党」を名乗るにいたり、ようやく自由民主勢力は、自由党と民主党との二大潮流に整理、再編成されたのでした。 また革新陣営では、「日本社会党」は結党以後、長い間左派と右派の対立を続けていましたが、二十六年十月、平和条約と日米安保条約に対する去就をめぐって意見が対立、ついに左右両派に分裂したのです。 この間、内閣のほうも、終戦直後の東久邇、幣原両内閣に続き、第一次吉田内閣、片山内閣、芦田内閣、第二次から五次までの吉田内閣、鳩山内閣と変転しました。しかし、昭和二十二年六月から翌二十三年二月までのわずか八カ月間、片山哲氏を首相とする社会党内閣が存在したのを除けば、終始一貫、自由民主主義内閣による政治が続いたのでした。 しかもその間、連合軍による占領行政は、形の上では日本政府を表に立てた「間接統治」ではあっても、実質的には、連合軍総司令部の指示と意向によって左右される「直接統治」に等しいものでしたから、歴代内閣がその行きすぎや、国情無視の占領政治を是正するために払った苦労は、筆舌に尽くせないものであったのです。それでも歴代の自由民主主義内閣は、敗戦直後の廃墟の中からの日本の建て直し、空前の食糧難の打開、行きすぎた労働争議など社会的混乱の克服、現行憲法の制定、農地改革、教育改革、一ドル三百六十円の固定相場制への移行、財政の確立をはじめ、新憲法制定にともなう内閣法、国会法、裁判所法、地方自治法、財政法、労働関係法、教育基本法、学校教育法、独占禁止法等の憲法関連諸立法を重ねて、今日にみるわが国民主社会の基本制度を固めたのでした。 こうして、激動と混乱に明け暮れた占領下の政治も、二十三年十月、民主自由党総裁の吉田茂氏が第二次吉田内閣を組閣し、翌二十四年一月の総選挙で圧倒的勝利をおさめるにおよんで、ようやく長期安定政権の基礎が固められたのです。以後吉田内閣は、二十九年十二月の退陣まで、足かけ六年にわたって政権を担当し、日本経済の再建、平和条約締結による独立の回復と国際社会への復帰等、歴史に残る偉業を達成したのでした。 吉田内閣時代の不滅の功績は、何といっても、二十六年九月八日、サンフランシスコで調印された平和条約による独立の回復と、日米安全保障条約によるわが国の平和と安全の確保でありましょう。 当時、その前年に突発した朝鮮動乱と、冷戦時代の深刻な東西対立という国際情勢を背景に、共産党、社会党左派、左翼的文化人の間には、「全面講和・安保阻止」の主張が異常な高まりを示していたのです。しかし吉田首相は、毅然として所信を貫き、これらの反対論を押しきって「多数講和・安保締結」に踏み切ったのでした。 その後の歴史にてらして、この両条約の締結が、わが国の平和と安全を守り、国民の自由を取り戻し、やがて世界の歴史に類をみない経済的繁栄をもたらす前提となったことは、あまりにも明らかであり、その意味で、吉田首相および自由民主主義政党の決断は、歴史的な選択として、長く後世に残る偉業だったというべきでしょう。 独立回復後、吉田内閣はさらに、(1)自由国家群との提携、(2)国力の充実と民生の安定および自衛力の漸増的強化、(3)国土開発、生産増強、貿易振興による経済自立などの「独立新政策」を打ち出し、独立体制の整備と民生安定、経済再建をめざす諸施策に意欲的に取り組みました。 すなわち、二十六年から翌二十七年にかけて制定された「破壊活動防止法」「義務教育費国庫負担法」「電源開発促進法」「新警察法」「防衛庁設置法および自衛隊法」「義務教育諸学校の教育の政治的中立の確保に関する臨時特例法」「電気事業、石炭鉱業におけるスト規制法」「厚生年金保険法」「学校給食法」「硫安需給安定法」等の重要立法がそれです。 しかし、さすがの吉田安定政権も、長期の政権担当による人心の倦怠には勝てず、二十七年四月の平和条約・日米安保条約の発効と独立回復を境に、人心は次第に吉田内閣を離れ、これを背景に政界は不安定化していきました。こうした情勢が、「保守合同」による政局転換をめざす気運を急速に高め、吉田首相もついに二十九年十一月、政局打開のため進退を党の会議に一任する旨の書簡を自由党幹部に送りましたが、続いて改進党と、自由党から離脱して結成した日本自由党が合体して、「日本民主党」が結成されるにおよんで、その直後の十二月七日、総辞職を決意するにいたりました。 このあとをうけて、日本民主党総裁の鳩山一郎氏が、同年十二月十日、首相に指名されて、第一次鳩山内閣が成立しました。 :鳩山内閣は、(1)住宅問題の解決、(2)中小企業対策の充実、(3)失業対策の強化、(4)税制改革、(5)輸出の振興等を重点政策に掲げて、翌三十年一月の総選挙に臨みましたが、開票の結果は、日本民主党百八十五、自由党百十二、日本社会党左派八十九、同右派六十七、その他十四議席という勢力分野となり、小党分立の状態となったのです。 :このため第二次鳩山内閣が発足したものの、政局不安が続いたため、民主、自由両党の合同による政局安定を求める動きが、ますます強まっていったのでした。 いよいよ戦後民主政治も、十年間にわたる「準備期」を終えて、新しい「興隆期」に向かって、大きく飛躍すべき転換期にさしかかっていたのです。 ■自由民主党歴代総裁 鳩山一郎 石橋湛山 岸信介 池田勇人 佐藤栄作 田中角栄 三木武夫 福田赳夫 大平正芳 鈴木善幸 中曽根康弘 竹下登 宇野宗佑 海部俊樹 宮沢喜一 河野洋平 橋本龍太郎 小渕恵三 森喜朗 小泉純一郎 安倍晋三 福田康夫 麻生太郎 谷垣禎一 安倍晋三 ≫(自民党HPより) |
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