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「日本は韓国にとって”特別な国“」は冷戦終結で終わった
日韓関係の構造的変化を考える(2)
2019/02/15
澤田克己 (毎日新聞記者、元ソウル支局長)
「天皇陛下のひとことで慰安婦問題は解決される」という韓国国会議長の発言や、徴用工問題で日本政府に「謙虚さ」を求めた文在寅大統領による新年記者会見での発言は、どちらも日本側の反応を入念に計算してのものとは考えづらい。前回(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15343)は、そうした韓国側の「軽さ」が両国関係の構造的変化に起因しているという概略を説明した。この30年の間に、韓国における日本の存在感は驚くほど低下した。韓国側からあまりにも「軽い」発言が出てくる背景には、この日本の存在感低下がある。こうした韓国側による認識の「軽さ」は極めて問題だが、一方で冷戦終結という世界史的な出来事の影響を考えると日本の存在感低下という現象は必然のものだった。
韓国の文在寅大統領(写真:YONHAP NEWS/アフロ)
東アジア情勢を激変させた冷戦終結
30年前に冷戦終結が宣言された時、ニュースの主要な舞台は旧ソ連を含む欧州だった。だが冷戦は世界全体の秩序を規定していたから、東アジアも無関係ではなかった。冷戦下の韓国は、朝鮮戦争で戦火を交えた北朝鮮とともに東西両陣営がにらみあう最前線だった。その韓国が社会主義圏との関係正常化を進められたのは、冷戦終結のおかげである。1988年にソウル五輪を開いた韓国は、冷戦終結の流れにのって社会主義圏との関係正常化を積極的に進めた。韓国が進めた「北方外交」のハイライトが、ソ連(90年)、中国(92年)との国交樹立だった。
この時、朝鮮半島情勢を安定化させるためには日米両国と北朝鮮の関係正常化も必要だという議論が出た。中ソが韓国と、日米が北朝鮮とそれぞれ国交を結ぶ「クロス承認」をしないと地域情勢が安定しないと考えられたのだが、現実には日米と北朝鮮の関係正常化は実現しなかった。
北朝鮮にとってみれば、これまで支えてきてくれた中ソ両国による裏切りである。北朝鮮の外相は当時、韓国との国交樹立方針を伝えるため平壌を訪問したソ連外相に独自の核兵器開発を進める考えを示唆した。北朝鮮はそれ以前から核開発を進めてはいたが、大きな国際問題となっていくのは90年代に入ってからである。
北朝鮮とソ連(後にロシア)との関係が冷え込んだのはもちろん、中国との首脳級往来も90年代末まで途絶えた。北朝鮮は冷戦終結によって一気に国際的孤立を深めたのだ。社会主義諸国からの支援が途絶え、90年代半ばには天候不順にも見舞われて深刻な食糧危機に陥った。北朝鮮が冷戦終結時にうまく立ち回れなかったことが、現在の朝鮮半島情勢につながっている。
そして、ポスト冷戦の世界ではグローバル化が進んだ。1978年に改革開放政策を始めた中国は、グローバル化の波にのって高度経済成長を実現させた。2010年には名目GDPが日本を抜いて、世界2位の経済大国に躍り出た。現在の習近平政権になってから、経済力を背景に既存の世界秩序に挑戦しようとしているのは周知の通りだ。韓国は、中国との向き合い方でも難しい選択を迫られるようになった。
冷戦終結後の世界情勢は日本を取り巻く安全保障環境に大きな影響を与えたと語られるが、それは他国にとっても同じことである。特に冷戦下で「最前線国家」という窮屈な位置に押し込められていた韓国は、日本とは比べ物にならないほど大きな変化に見舞われた。それを忘れてはならない。
韓国の立場から見たポスト冷戦の世界
韓国に駐在していた日本の外交官と20年近く前、酒を飲みながら交わした会話が忘れられない。打ち解けた雰囲気で話していた時、彼は「冷戦時代の韓国にとって世界というのは日本と米国だった」と言ったのだ。韓国の人たちには怒られるかもしれないが、それは真実を言い当てていた。
前述したように、朝鮮戦争で全土が戦場となった韓国と北朝鮮の間には重武装の大軍同士が対峙する空間が広がっているだけで、相手方陣営との外交などありえなかった。しかも冷戦期の韓国は70年代に経済成長を果たしたとはいっても、経済的に弱体な途上国にすぎなかった。安全保障と経済の両面で、韓国は日米両国に頼らざるをえなかったのである。
植民地支配の記憶が新しかった時代に反日世論が高まったとしても、政権としては野放図な反日を放置する余裕などなかった。象徴的なのが、植民地支配への謝罪なしでの日本との関係正常化に「屈辱外交」だと反発する世論を戒厳令で押しつぶした朴正煕政権の選択だろう。日本の陸軍士官学校で教育を受けた朴正煕を「親日的」と評する見方が日本にはあるが、私は少し懐疑的だ。植民地出身者に対する差別を体験したはずの人物に単純な「親日」を期待するのは、いささかナイーブすぎる。むしろ現実主義者として、日本の資金と技術なしに経済開発を進めることはできないと判断したと考える方が自然だ。他に道がないから反日ナショナリズムを力づくで抑えたのだろう。
だが、前述したように1980年代の世界情勢を受けて「韓国にとっての世界」は大きく変容する。1985年にソ連のゴルバチョフ書記長が登場し、ペレストロイカを始めた。88年のソウル五輪には2大会ぶりに東西両陣営がそろい、経済成長を続ける韓国は東欧の社会主義国と次々に国交を結んでいった。そして89年に冷戦終結が宣言され、90年にソ連、92年に中国との国交を樹立する。「韓国にとっての世界」は日米だけではなくなった。この時期以降、韓国外交の中心として語られるようになったのは、日本、米国、中国、ソ連(ロシア)という周辺4大国を指す「四強」という言葉だった。
それでも軍事同盟に裏付けられた米国との関係は、依然として安全保障に不可欠である。結果として、中ソを中心とする「他の国」が出てきたことで割を食ったのは日本の存在感ということになった。
2003年に発足した盧武鉉政権は、国力伸長を背景に「韓国にとっての世界」をさらに広げようとした。盧武鉉政権の初代外交通商相である尹永寛氏は同年末の記者会見で、韓国外交の課題として「自主外交」を強調した。尹氏は会見で「わが国の国力に合わせたグローバルな外交を展開していくことが、我々の目標だ。四強に加え、EUやASEAN、中東などグローバルなレベルでより積極的な外交活動を繰り広げていく」と語った。そうした意気込みがすぐに結果として出てくるわけではないが、日米との関係が国家としての生命線という時代はとっくの昔に終わった。
経済でも日本への依存度は大きく低下
冷戦終結と時を同じくして韓国経済は先進国水準に進入した。韓国は1996年、「先進国クラブ」と呼ばれた経済協力開発機構(OECD)に加入。2010年には途上国支援を担う主要先進国29カ国と欧州連合(EU)がメンバーとなっているOECD開発援助委員会(DAC)に加盟した。第2次世界大戦後に独立した旧植民地で「援助される側」だった国としては、現在でも唯一のDACメンバー国である。韓国の経済成長は称賛に値する。
韓国の一人当たり国民所得は、朝鮮戦争直後の50年代後半には100ドルにも満たなかった。当時の世界でも最貧国の一つである。そこからの驚異的な経済成長には、65年の国交正常化を受けて日本から供与された資金と技術が大きく寄与した。この点については、韓国で知られていないとか徴用工訴訟と請求権協定の関係などと脇道に入るときりがないので、ここでは深入りしない。
韓国が日本に頼ったのは資金と技術だけではない。貿易相手としても、日本は米国と並んで重要な相手国だった。日韓国交正常化から5年たった70年を見ると、韓国の貿易相手国としてのシェアは日本が37%、米国が34.8%で合計すると7割に達した。日米の比率は徐々に落ちていくが、90年でも日本23.1%、米国26.9%で貿易全体の半分が日米を相手としたものだった。ただ日米合計の比率が50%を超えたのは90年が最後で、その後は直線的に落ちていく。韓国がOECDに加盟した96年には30%台となり、04年には20%台、11年にはついに10%台となった。昨年(18年)は日本7.5%、米国11.5%で計19%である。
80年代から細々とした交易が始まった中国のシェアは90年に2.1%だったが、01年に10.8%、09年には初めて2割の大台に乗せるとともに日米合計(20.1%)を上回る20.5%と順調に伸びた。昨年は23.6%に達している。
注目すべきは、日米中3カ国のシェア変動だけではない。3カ国を足しても昨年のシェアは4割強だ。かなり大きな数字ではあるものの、日米の2カ国で7割だったほどの寡占状態ではない。韓国は既にGDP規模で世界10位前後の経済力を誇るようになっており、それに伴って貿易相手も多角化が進んでいるのだ。
結局、政治と経済の両面で韓国にとって特別な国だった日本の位置づけは、冷戦終結を前後して大きく変わらざるをえなかった。どちらも不可逆的な変化だから、かつてのような状況に戻ることはありえない。これからの日韓関係はそれを前提にしたうえで考えていかねばならないのに、こうした変化に対する認識が両国ともに不十分というのが現状だ。この点にもっと注目すべきだろう。
(次回は、冷戦終結と時を同じくして起きた韓国の民主化についても考えます。)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15370
韓国国会議長による「天皇謝罪」発言の裏側
日韓関係の構造的変化を考える(1)
2019/02/13
澤田克己 (毎日新聞記者、元ソウル支局長)
韓国国会の文喜相議長が米ブルームバーグ通信とのインタビューで、天皇陛下が元慰安婦の手を握って謝罪すれば「その一言で問題は解決する」と述べた。河野太郎外相はこの発言に対し「(慰安婦問題は)日韓合意で完全、最終的に決着したと考えている。韓国側も特に再交渉その他を求めていないとのことなので、しっかりとした正しい認識で発言をしてほしい」と不快感を表明した。
2017年5月に韓国大統領の特使として文喜相氏は来日している(写真:ロイター/アフロ)
近年、よく見る光景だが……
菅義偉官房長官によると、外交ルートでの抗議に対して韓国側は「早期の日韓関係改善を願う思いが出たもので、報道のされ方は文氏の本意ではなかった」と説明したという。韓国の外交当局は、なんとか火消しをしたいと考えたのだろう。ところが聯合ニュースによると、文議長はさらに訪問先の米国で「日本の責任ある指導者が、慰安婦のハルモニたちの納得できるような心からの謝罪をすることが優先されなければ」と語ったという。天皇を「指導者」と思っているような節があるが、その程度の浅い理解から出ている発言ということだ。
最近の日韓関係を見ていれば想像のつく展開だが、安倍晋三首相は12日の国会答弁で「発言を読んで本当に驚いた。強く抗議をするとともに謝罪と撤回を求めた」と語った。これに対し、同日の記者会見で「謝罪するよう議長に勧めるのか」と聞かれた韓国外務省の報道官は直接の回答を避け、対応に苦慮していることをうかがわせた。
日韓関係では近年、こうした光景を見ることが多くなった。それは「進歩派の文在寅政権だから」とか「右派の安倍晋三政権だから」ではなく、ここ四半世紀ほどで起きた両国関係の構造的変化を反映したものだ。一部の人が語る「文政権が終わりさえすれば」「安倍政権はひどすぎるから、次になれば」というのは、根拠のあやふやな希望的観測でしかない。政治的な関係は一時的なアップダウンを繰り返すものだから、政権が変われば多少の変化は出てくるはずだ。ただし、現在の日韓関係はかつてとは質的に変わっているという根幹は変わらない。構造的変化を踏まえたうえで双方が賢明なアプローチを取らなければ、本質的な関係改善は難しいように思える。
もちろん長期的に見れば落ち着きを取り戻すだろうが、それには数年という単位ではない長い時間が必要かもしれない。昔の構造が頭にしみついた古い世代の意識に問題があるので、先入観を持たない若い世代の交流が大切になる。ただ現時点でも構造的変化の実相を知ることはできるし、そうした知識を持てば適切な対処をできるかもしれない。韓国の国会議長による信じがたい発言の背景にある日韓関係の構造的変化とは何か、数回に分けて改めて考えたい。
日本側の反応を予想しようとしない「軽さ」
国会議長の発言を見て、私はソウル特派員をしていた2012年8月に李明博大統領による似たような発言があった時のことを思い出した。あの時は李氏による竹島上陸直後であり、そもそも大統領という最高指導者の発言だっただけに日本側の反応はきわめて激しくなった。韓国側でも「あれは行きすぎた発言だった」と批判されたが、それは日本側の反応を見てから出てきたものであるように思えた。
文議長と李元大統領の共通点は「日本側の反応をあらかじめ考えることなく発言した」ことである。別の言い方をすれば、日本との関係に細心の注意を払おうとする感覚の欠如だろう。現在の文政権は発足当初には日韓関係に配慮しようとしていたが、米朝首脳会談や南北首脳会談など北朝鮮との対話が進んできた昨年夏ごろからはそうした姿勢が薄らいでいる。文在寅大統領が今年の年頭記者会見で徴用工訴訟について質問された時に、過去の不幸な歴史に起因する問題だと指摘して「日本政府がもう少し謙虚な立場を取るべきだ」と語って日本側の反発を買ったのも同じことだ。徴用工問題が日韓関係の根底を突き崩しかねないという日本側の懸念は、韓国側では一部の専門家にしか共有されていない。
直近の日韓関係のイシューといえば、韓国海軍艦艇による自衛隊機へのレーダー照射問題だ。日本では大きく報道されたが、韓国メディアでの関心はいまひとつだった。1月下旬に会った駐日韓国大使館の政務担当者は「さすがに日韓関係がここまで悪くなってくると韓国政府内では関心が高まってきたけど、一般の人はそうでもない。韓国は国内政治がゴタゴタしすぎているから、人々の関心が向くのはそちらばかり」と困ったように話していた。
レーダー問題では韓国側主張に無理が目立ったから、日本側に強い不信感を抱かせてしまった。それだからか日本では韓国側の不可解な強硬姿勢に対して「文政権が支持率上昇を狙った」という解説が一部に出たが、こうした十年一日のような珍説にはため息しか出てこない。そもそも政権発足当初に比べて下がったとはいえ、文氏の支持率は40%台後半だ。文政権は支持率を強く気にする傾向にあるとはいえ、外交的な無理をしてまでと考えねばならない水準ではない。本当の専門家はこんな無責任なことを言わないので、発言者を信用できるかどうかのバロメーターには使えるかもしれないけれど…。
韓国大統領の支持率調査に出てこない「日本」
では実際には、韓国の世論はどうだったろうか。
防衛省が「韓国の駆逐艦から火器管制レーダーの照射を受けた」と発表したのは12月21日だった。韓国ギャラップは毎週金曜日に大統領支持率を発表している。ちょうど21日は金曜日で、この日発表された支持率は前週比1ポイント増の46%だった。間の悪いことに年末年始は調査を休むので、次の数字は3週間後の1月11日で48%。上がっているとはいえ誤差の範囲内だ。
その間、防衛省は12月28日に動画を公開し、韓国国防省は1月4日に反論動画を公開した。その後も防衛省が探知音を公開したり、二国間協議での日本側の対応を韓国国防省の報道官が「無礼」と言ったことで感情的な反発を日本側に生んだりと対立は深まった。2月5日には防衛省が、4月に予定していた海上自衛隊護衛艦「いずも」などの釜山港寄港を見送ることを韓国側に通知したと発表した。
そして文氏の支持率は48%(1月11日)→47%(18日)→46%(25日)→47%(2月1日)だった。ほとんど変化なしである(旧正月連休のため2月8日は発表なし)。
同社の調査は自由回答で「支持理由」と「不支持理由」を挙げてもらう。いくつか理由を挙げてもらった上で、同社が分類して発表する形式だ。それぞれ20項目くらいずつにまとめ、前週からの増減が大きいものには表示がされる。文政権の場合、いつも「北との関係改善」が支持理由、「経済・民生問題を解決できない」が不支持理由のそれぞれトップになる。
理由に「日本」が出てくるのは今まで見たことがないのだが、1月25日発表では支持理由に「外交をうまくやっている10%(前週比3ポイント増)」とあった。同社に電話して具体的に聞いてみると、担当者は「米国と北朝鮮の間をうまく仲介して2回目の米朝首脳会談を実現させたという回答がほとんどですね」。よく見たら不支持理由に「外交2%」というのがあったのだが、これには「外交がらみのいろんな回答を集めて2%ですからねぇ。日本がらみがないわけではないけれど、少なすぎて意味のある数字として出せません。韓国の外交にとって重要なのは、圧倒的に米国と中国です。日本との関係も特別なイシューがあれば回答に入るかもしれないけれど、日常的にそうしたことは起こりません」という答えが返ってきた。
韓国メディアの報道を見ていても同じことだ。日本側がレーダー問題で大騒ぎしていても韓国側では小さな扱いが続いた。こうした光景は、近年の日韓関係では珍しくない。世論を強く刺激する慰安婦問題についても同じことで、韓国世論の関心は日本で考えるほどには高くない。韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協、日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯に改名)が昨年初めに青瓦台(大統領府)サイトで行った電子署名は、1カ月で1919人しか集められなかったほどだ。慰安婦問題への韓国社会の関心という問題については、「『慰安婦の日』が騒ぎにならなかった理由」(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13713)や毎日新聞サイトのコラム「挺対協は過大評価されていないか」(https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20180727/pol/00m/010/004000d)で詳しく紹介した。
日韓の温度差を生んだ冷戦終結とグローバル化、そして…
ここで挙げた事象について韓国世論や政治家が熱くなっていないというのは、落ち着いているとか冷静というのとは違う。政治家などはマイクを向けられたら強硬発言をしてしまいそうだから、まったく当たらない。そうではなくて単純に、「考えていない」というに尽きるから始末に悪いのだ。日本政府の対応も満点とは言い難いが、韓国側対応の「軽さ」には目を覆いたくなるものがある。
こうした状況が生まれた背景にあるのは、30年前の冷戦終結であり、その後のグローバル化の進展だ。さらに韓国の経済成長と民主化、日本のバブル崩壊という要因が重なっていった。韓国にとっての日本の重要度は低下し、冷戦下の韓国には許されなかった「ジャパン・パッシング」すら可能になった。
それまでの韓国では日本の存在感は圧倒的に大きかった。植民地支配された歴史を考えれば韓国側には面白くなかったことだろう。それだけに現在は反動で、ことさらに日本を「軽く」見ようとしているように感じられる。それが、この30年間に相対的な国力低下に見舞われた日本側を強く刺激してしまう。現在の日韓関係はこうした構造に入っているから、簡単に好転はしない。相手との新しい関係性に互いが慣れていかねばならないからだ。その手始めとして、この30年間に何が起きたのかを改めて考えてみるべきだろう。
(次回は、冷戦終結やグローバル化が日韓関係に与えた変化を考えます。)
→2回目:「日本は韓国にとって”特別な国“」は冷戦終結で終わった
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15343
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