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私の来店を速攻で“通報”した京都の食事処
京都では産経も「容共」的?
2019.2.12(火) 筆坂 秀世
京都の先斗町の一角(写真はイメージです)
(筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家)
1月30日付の産経WESTに面白い記事が掲載されていたことを知った。
「京都五花街の一つ、先斗町(ぽんとちょう、京都市中京区)で、昭和39年から営業を続けてきた食事処(どころ)『山とみ』が31日、のれんを下ろす」という書き出しの記事だ。この店には、京都南座(京都市東山区にある劇場)に出演する俳優らも飲みに来るといい、テレビドラマ「半沢直樹」のロケ地にもなったそうだ。
この店のおかみはなかなかの有名人だとのことで、同記事には次のようにある。「『山とみに乾杯』『おかみ、今までありがとう』 店じまいを4日後に控えた27日夜、1階カウンターやテーブルの約30席を埋め尽くした常連客らが名残惜しそうに酒を酌み交わした」とある。中には仙台から駆けつけた客もいたようだ。「山とみ」やおかみに対して、惜別の思いが込められた暖かみのある記事だと受け取った。
私はこの記事を知って、山とみにまつわる、ある出来事を思い出した。
実はこの店には、共産党の参議院議員時代に何度も行ったことがある。鴨川沿いにあるので川に突き出した有名な納涼床(のうりょうゆか)もある。ここで何人かの京都の共産党員や同僚の共産党参院議員と飲み食いしたこともある。
鴨川沿いの納涼床は、一見すると涼しそうに見えるが、それは見た目だけで、風がなければすこぶる蒸し暑い。角っこの場所だと間違いなくズボンもシャツも汗まみれになる。私たちはその角っこだった。二度と来たくはないと思ったものだ。
京都・鴨川の川床(納涼床)の様子(出所:Wikipedia)
大歓迎から一転して敵対視
さて、記事によれば、おかみは今年77歳になるそうだ。私が参議院議員時代には、行けば歓迎してくれたものだ。1人で行ったことはなく、おかみとごく親しい京都の共産党員といつも一緒だった。
ところがある時期から歓迎するどころか、敵対視されることになってしまったのだ。
もう10年くらい前のことだったと記憶している。私が読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」(現在は「そこまで言って委員会」に改称)に出演した際、それを知った京都にいる友人2人から「久しぶりに一緒に飲みませんか」と誘われた。当時は、この番組によく出演していた。
そこでどこにしようかということになり、山とみにしようということで話がまとまった。私はすでに共産党を離党していたし、2人も元共産党員だった。ただ「山とみ」には、私は京都に行けば行っていたし、2人も共産党員時代によく通っていた。そこで懐かしい山とみで旧交を暖めようとなったのだ。
そこでこのうちの1人が個室を予約してくれていた。私が行くことは言っていなかったそうである。私が行けば、「びっくりするだろうな」と思いながら、3人で待ち合わせて店に行ったところ、予約していた個室ではなく大座敷に案内されたのだ。私が予約をした人に、「予約してなかったの」と聞くと、「いや個室を予約していました」と言うので、3人ともピンときた。私が離党したことは、「しんぶん赤旗」に記事が掲載されていた。共産党の敵対者である私が来たとでも思ったのだろう。個室の使用を拒否したのである。
客商売の店で、ここまで露骨に共産党員か、そうでないかで差別されるとは予想もしなかった。「なぜ予約した個室を使わせないのか」、文句を言おうかとも一瞬思ったのだが相手にしても仕方がないので、ほんの少しだけ飲んですぐに場所を変えることにした。これが山とみという店だった。
速攻で共産党に通報
しかも私と元党員の3人が山とみを訪れたことは、速攻で共産党に通報されていた。聞くところによると、京都府委員長だった市田忠義書記局長にまで報告されていたそうだ。
気の毒だったのは、私に同行した京都の元共産党員の2人だった。
実は、2人とも共産党から除名処分を受けていた。だがそのことは、党内でも公表されていなかった。1人は夫人も子供も共産党員だった。もう1人は、夫人が党員だった。2人は共産党の専従職員ではあったが、幹部ということでもなかった。除名理由は知らないが、共産党に敵対するというようなことではなかったのだろう。もしそうなら「しんぶん赤旗」紙上で公表されていたはずである。
除名にして、専従職員としては解雇したとしても、その後の再就職や生活のこともあるので公表しないことはよくある。また共産党の専従活動家だった人間の再就職は簡単ではないので、共産党とつながりがあるところに再就職することもままあることなのだ。
ところがこの2人が私と飲んでいたことが山とみの通報で明らかになったため、「3人が共産党に敵対するための謀議を図っている」と見なされ、しんぶん赤旗に除名の事実が公表されてしまった。
すると、2人とも共産党とつながりのあるところに再就職していたので、どちらも再び解雇されることになってしまったのだ。1人などは、娘も熱心な共産党活動家だったので、「親子の縁を切る」と言われたそうだ。
しんぶん赤旗には、さすがに私と反共産党の謀議を図っていたという推測は書かれなかった。ただ2人とも京都府委員会から派遣されて衆議院の比例近畿ブロックの事務所で働いていたので、関係する大阪、京都、兵庫、奈良、滋賀、和歌山の共産党幹部には「3人が反党活動の謀議を行っていた。警戒するように」という趣旨の報告が緊急になされたそうである。このことは私と親しいある県の幹部が教えてくれた。
山とみのおかみは、自分の共産党への通報がこんな影響をもたらしていたことなど知る由もないだろう。
3人が反共産の謀議を行うわけがない
私と違って、2人とも共産党を除名になっても、なおかつ共産党支持者だった。1人などはポスター貼りやビラ配りを率先して行っていた。現在もそうだ。もう1人も共産党に敵対する行動など、その後も行っていない。
ただ共産党にとって“不都合な真実”を明らかにしたことはある。だが、共産党にとっては都合が悪くても、反共産党の活動ではない。この2人と私が「共産党に敵対する謀議」を図ることなどあり得ない。
私は『日本共産党』(新潮新書)、『悩める日本共産党員のための人生相談』、『日本共産党と中韓』(ワニブックスPLUS新書)など、日本共産党をテーマに何冊かの本を出版しているが、事実を書いているだけで、日本共産党に対して虚偽の批判など行ったこともない。『日本共産党』を出版した際、不破哲三氏の私への大々的な批判が「しんぶん赤旗」に掲載されたが、間違いだという指摘は1カ所のみだった。それも論稿の筋立てにはなんの影響もない些末なことだった。
また、ここでは山とみのおかみが共産党とどういう関わりを持つ人物なのかは、あえて書かないが、仮に我々が反共産党の謀議を図っていたとするなら、山とみなどに顔を出すわけがないのだ。筒抜けになることは百も承知だからだ。我々は、それほど間抜けではない。そもそも共産党に対して、謀議を図ってまでしなければならないことなど、我々には微塵もない。
いかにも器が小さい共産党
共産党という政党は、こんなことをやっているから駄目なのだ。
私は共産党のために再び働く気などまったくないが、除名されてもけなげに貢献している人もいる。こういう人を大きく包み込むことができないのが共産党という政党である。だから赤旗新聞は減り続け、党員の高齢化が進み、党員数そのものも減り続けているのだ。これは反共産党的言説ではない。事実である。だがこれを反共と受け取るのが共産党なのである。
京都は共産党が強い地域である。さすがの産経も「容共」的になるしかないのだろうか。山とみの閉店を伝える記事を読んで、そんなことを考えてしまった。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55452
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