http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/310.html
Tweet |
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52236842.html
2019年02月08日 「ジャーナリスト同盟」通信
<児童虐待と低すぎる女性の人権意識>
児童虐待が政界で問題になっている。これについての本末が定まっていない。従って、解決は困難である。不可能だ。そこには低すぎる日本人の人権意識にある。特に女性の人権意識の低さに起因している。教育の欠陥でもあるが、深くは日本の宗教にも根差している。児童を守る親、特に女性の人権意識の低さに、児童虐待の根源がある。
女性を支える活動家の存在も見えていない。TBS強姦魔事件とも関係している。伊藤詩織さんの救済さえも避けて通る日本の言論と議会である。これは飛躍ではない。真実である。政治も経済も、問題の根源には、人口の半数を占める女性の意識・観念がかかわっている。児童虐待にもそれが言える。
<低級かつ幼稚すぎる宗教観念>
多分に日本人の宗教とも関係している。有名な相対性理論のアインシュタインは、晩年に自らの宗教認識を披歴しているが、それは「幼稚すぎる宗教」に否定的な見方を打ち明けている。
それはキリスト教に対するものであろうが、広く宗教一般にもいえる。特に日本の宗教もそうである。人間は弱い動物である。ゆえに宗教学がそれぞれの時代に派生する。
だが、不幸にして人権意識を高揚させる宗教は、いまだ成功していない。多くが男女平等に成功していない。男女平等の観念が、制度面だけでなく、人間の精神面でも確立していれば、世の中は変わる。より争いのない世界に変わっていく。
児童虐待もなくなるのだが、現実はそうならない。
<女性差別の神道>
女性差別は、戦争神社で知られる神道(靖国などの神社)で確立している。競争をなくするどころか、競争を促進することに意欲的な宗教である。
敗北者は常に女性である。肉体的弱者は差別される。それが当たり前となる。神官は男の役割である。女性がつかさどると、必ず日本刀で斬り捨てられる。それが富岡八幡宮で、実際に起きた。捜査機関でさえも、その真相に迫ることが許されなかった。
宗教の壁に手も足も出ない日本の政治・法制なのである。
<諦観の仏教>
しからば仏教はどうか。神道に比べると、男女平等は上等に違いないが、ここでも完ぺきとは言えない。仏教の頂点に女性が立つことはない。男性であるが、問題は信者に対して、あきらめの境地を植え付ける。諦観だ。
これは為政者には、まことに都合の良い理屈であろう。強姦された女性が、警察に告訴することはしない。告訴しても、拍手されるどころか、反対に非難されてしまう。TBS強姦魔はやり得なのだ。
<秋田県の嫁の火つけ>
秋田県の知り合いが教えてくれた恐ろしい話は、実際にあった。それは「秋田県に嫁を出すな」という東北全体の教訓である。
秋田の男たちは、妻に対して傍若無人である。周囲に女性をはべらすことに躊躇しない。むしろ男の象徴として評価される。これによって耐えられない嫁は、遂に狂気と化し、自宅に火をつけて自害して果てる。
「木更津レイプ殺人事件」の被害者の美人栄養士は、そこで子どもを育てた後に、母親の暮らす木更津に帰って、やくざの餌食にされた。悲惨この上ない。やくざ強姦を運命だと受け入れて、警察に訴えようとしなかった。
<女性の土俵厳禁>
神道のスポーツである相撲だが、これも最近判明したことだが、相撲の地方巡業中に、そこの首長が土俵で倒れた。救済するため、近くにいた看護師が土俵に登った。これが非難の的になった。
神道では、女性は汚れた存在である。神聖な土俵に上がってはならないのだ。仰天するような神道ルールであろうか。
<女性は殿方のあそび道具>
こうした女性差別が、日本の半封建国家の象徴なのである。殿方の遊び道具のレベルの日本は、いまも続いている。恐ろしい、ほんとに恐ろしい日本の国なのだ。強姦文化が定着する日本は、反対に女性の人権意識の低さでもある。幼児を守る母親になれない。母親たちが虐待される日本だからである。児童虐待は、女性虐待を解消しないと、解決は困難なのである。
2019年2月8日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK257掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK257掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。