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薄っぺらい政治の「責任」/政界地獄耳
https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201902080000138.html
2019年2月8日8時22分 日刊スポーツ
★昨今のニュースに毎朝気持ちが重くなる毎日だが、千葉県野田市立小4年の栗原心愛さんが自宅浴室で死亡し、傷害容疑で両親が逮捕された事件は、両親による虐待ぶりと少女のSOSを受け止められない児童相談所や学校、マニュアルや教育委員会の許可を取る必要があるなど、大人たちの底辺にはびこる「ひとごと感」や、わかっていながら手を差し伸べない不作為、何よりもこれは命の危険をはらみ、緊急に保護が必要だという判断力、さまざまなルールを守るべきだという順守派に阻まれたかもしれないが、それを乗り越える1人の命を救う判断に欠けていたのではないか。 ★1999年9月30日。東海村JCO臨界事故の際、時の官房長官・野中広務は官邸に状況説明に来た科技庁(当時)幹部に「とにかく現場へ行きなさい。現場を見ないでどうやってこちら(官邸)に報告出来るのか。現場を見てその状況を報告しないことにはこちらも対策を講じられないではないか」とし、専門家たちは5キロ圏内の屋内退避要請を進言。野中は10キロ圏に拡大して発表。「事なきを得て10キロが無駄だといわれれば私が謝れば済むこと」とした。 ★不祥事に際し、首相・安倍晋三は「責任は私にある」と連呼する。だがその責任という言葉の軽さが危険だ。子供を取り巻く環境の責任が取れず、責任者が「全ての責任を取るから子供を保護しろ」といえないのは、その責任の重さにある。政治は責任を軽く考えるが、現場の責任は人生をかける覚悟が必要になる。だから下は上の顔色を見る。「官邸に来るより現場に行け」は野中が受け止めるからできたことだ。政府の統計不正も役人がのらりくらりで遅々として解明できない。机上の数字の操作だからか。公金を動かすという公務員の重みがないから責任も軽いものになるのか。政治の「責任」を薄っぺらくしたのは誰か。(K)※敬称略
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