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誰も指摘しない北方領土の軍事的価値
軍事カードが大きくものを言う領土交渉の現実
2019.1.23(水) 数多 久遠
日ロ首脳が会談、北方領土交渉の打開に至らず
ロシアの首都モスクワで行われた日ロ首脳会談の後、共同記者会見を行うロシアのウラジーミル・プーチン大統領(右)と安倍晋三首相(左、2019年1月22日撮影)。(c)Alexander NEMENOV / POOL / AFP〔AFPBB News〕
(数多 久遠:小説家、軍事評論家)
事前報道で北方領土返還交渉の進展が囁かれていた2019年1月22日の日ロ首脳会談では、プーチン大統領から「解決は可能だ」と前向きな発言があったものの、結局のところ目あたらしい情報はでてきませんでした。
ただし、こうした重要な交渉では、合意ができるまで、交渉状況を外部に出さないことが多いため、実際には交渉が進展している可能性もあります。過去には、観測気球と思しきリーク情報をマスコミに流した日本サイドに対して、ロシアから釘を刺されたこともあるため、新たな情報がないことをもって、政府を非難するのは不適切です。
むしろ、2018年末に、プーチン大統領が米軍の展開を意図したと見られる言及をしたことを考えれば、交渉が新たなステージに入った可能性も考えられます。一方で、この発言を受け、日本国内の報道では、急に軍事・安全保障に関する言及がなされるようになってきました。
本稿では、理解されているとは言い難い北方領土の軍事的価値を概観し、交渉の今後を占う一助としたいと思います。
北方領土の軍事面の価値
軍事的観点から、ロシアが北方領土を返還したくない理由を整理してみましょう。
(1)ロシアの核抑止戦略への影響
ロシアの核戦力は、主に地上発射の弾道ミサイルと潜水艦発射の弾道ミサイルに依っています。この内、北方領土問題が大きく影響するのは、潜水艦発射弾道ミサイルに対してです。
地上発射の弾道ミサイルは、移動式のものであっても衛星などによって発見され、発射前に破壊される可能性があります。そのため、いわゆる報復核戦力(攻撃を受けたあとの反撃用)としては潜水艦発射の弾道ミサイルが重視される傾向は、米ロとも共通です。
しかし、ロシアの海軍力は、アメリカに遠く及びません。アメリカは、戦略ミサイル原潜(弾道ミサイルを運用する原子力潜水艦)を世界中の海で使用していますが、ロシアの戦略ミサイル原潜は、バレンツ海など北極周辺海域とカムチャツカ半島と千島列島で囲まれたオホーツク海ぐらいでしかまともな運用ができていません(ただし、クリミアを占領しているので、今後は、黒海でも戦略原潜を運用する可能性はあります)。
ロシアは、オホーツク海を戦略原潜の聖域とするため、多数の水上艦艇を運用しているだけではなく、北方領土にも対艦ミサイル部隊を配備するなどしています。しかし、もしも返還した北方領土に日米の部隊が展開することになれば、戦略原潜を守る防御網に穴が開くことになってしまいます。
北方領土の地図(出所:外務省)
(2)ロシア太平洋艦隊への影響
世界史で勉強した方も多いと思いますが、帝政ロシアは、冬期に凍らない不凍港を求めて、南下施策をとっていました。それは、ヨーロッパ方面だけに限りません。ウラジオストクを確保したのも、その一部です。
現在のロシア太平洋艦隊は、北方艦隊に次ぐ戦力を保有していますが、前述のように米海軍には遠く及ばないため、外洋での活動は、それほど活発とは言えません。本来、海軍力は必要な時に遠方まで戦力を投射できることに価値があります。ところが、不凍港があっても太平洋の出口となる海峡が結氷してしまえば、砕氷船しか外洋に出て行くことができなくなります。狭い海峡が結氷してしまえば、潜水艦が安全のために浮上航行することも当然困難となります。そのため、不凍港だけでなく、結氷せず、安全が確保できる幅や水深がある海峡が必要になります。
しかし、ロシア太平洋艦隊の基地は、日本列島とカムチャツカ半島、そして千島列島で囲まれたエリアにあるため、津軽海峡や対馬海峡などの日本周辺の海峡以外では、結氷せず、かつ安全に通峡できる海峡は、国後島と択捉島の間にある国後水道くらいしかないのです。
ロシアとしては、もし北方4島、あるいは択捉島を除く3島を返還しただけでも、国後水道は、日米によって封鎖される可能性が高い海峡となってしまいます。
(3)米軍がイージスアショアを設置する可能性
上記の2つは、以前から専門家が時折指摘してきたものです。
しかし、近年の国際情勢において、北方領土の重要性と価値を考えるうえで新たに考慮しなければならない軍事的要因が出てきています。それは、北朝鮮の弾道ミサイルです。
北朝鮮は、アメリカとの交渉に応じるポーズを見せただけで、いまだに核・弾道ミサイル開発を続けています。このままでは、早晩アメリカに届く実戦級核搭載弾道ミサイルを完成させてしまうでしょう。
詳細には述べませんが、ICBM(大陸間弾道ミサイル)を高確率に迎撃するためには、弾道ミサイルの発射後の早い段階で(実際には、エンジンが燃焼中のブースト段階での迎撃は困難なため、エンジンが停止し、慣性で上昇を続けているターミナル段階の初期に)迎撃を試みることが重要です(この段階で一部でも迎撃できれば、その後の迎撃チャンスに再度試行することできる上、弾頭が分離される前なので、迎撃すべき目標数を大きく減らすことができます)。
しかし、北朝鮮からアメリカに向かうICBMは、図に示すようにロシア沿海州方面を北北東に飛翔します。このため、ターミナル段階の初期に迎撃を行うためには、北海道からさらに北東の地点から迎撃ミサイルを発射する必要性があります。
北朝鮮からアメリカに向かうICBM(『北方領土秘録 外交という名の戦場』より)
日本が配備をすすめる陸上型のイージス、イージスアショアは、山口県と秋田県に設置される予定であり、この2カ所からではアメリカに向かうICBMの迎撃は困難です。
では、どこが適切かと言うと、理想的な候補地が北方領土、択捉島なのです。択捉島が配備適地であることは、アメリカがイランの弾道ミサイルからヨーロッパを防衛するために設置しているイージスアショア(EPAA:European Phased Adaptive Approach)の配備地を見れば分かります。
EPAAは、何度か計画内容が変遷し、現在はヨーロッパ防衛を目的としたシステムとされています。しかし、もともとはアメリカを防衛するものとして計画されたものですし、使用する迎撃ミサイルのアップグレードで、現在もアメリカ本土の防衛に寄与するものと考えられています。
イランからアメリカに向かう弾道ミサイル(『北方領土秘録 外交という名の戦場』より)
そのEPAAの2カ所の配備地の内、最初にイージスアショアが設置されたルーマニアのデベゼルは、イランに対する位置関係を北朝鮮にとってのそれと置き換えると、択捉島にあたる位置なのです。
他方、択捉島から発射する迎撃ミサイルは、ロシアがオホーツク海に潜航する潜水艦から発射する弾道ミサイルに対しては、距離が近すぎて迎撃が困難でしょう。しかし、イージスアショアのレーダーで捕捉できるため、アメリカがアラスカなどに配備している迎撃ミサイルで撃墜できる可能性が大きくなります。
アメリカの意図が、対北朝鮮の弾道ミサイル対処であっても、ロシアのミサイルに対しても影響がでます。
ともあれ、北方4島を日本に返還し、自衛隊やアメリカ軍の展開が可能となれば、ロシアはアメリカに対北朝鮮の弾道ミサイル防衛用最適地を提供することになってしまいます。これは、ロシアにとって損害とは言えませんが、みすみすアメリカを助けることはしたくないでしょう。
北方領土の軍事的価値を考慮してきたか?
こうしたロシアにとっての北方領土の軍事面での価値を考えると、返還交渉が非常に困難なであることは理解できると思います。
しかし、このことを理解しないと交渉が進むはずもありません。
今般の交渉担当が河野外相と決められたように、北方領土交渉を担うのが外務大臣、そして外務省であることは当然といえます。しかし、既に述べたように、軍事は非常に大きな影響を与えています。そのため、北方領土交渉では、外務大臣同士の交渉だけではなく、防衛大臣同士の交渉も行う「2プラス2」と呼ばれるスキームが使われています。ところが、2プラス2が北方領土交渉において使用されるようになったのは、第2次安倍政権が発足した以降の2013年からなのです。
つまり、それまでは、こうした軍事的要素が軽視されたまま交渉が行われていたことになります。交渉が進展しなかったのも、さもありなんでしょう。相手の思惑が読めなければ、着地点を探ることもできません。
その理由としては、マスコミを中心とした日本社会全体の軍事アレルギーが大きな要素でした。加えて、外交を外務省だけのものにしようとする外務省の姿勢も大きかったと思います。鈴木宗男事件の際、その背後にあって、鈴木宗男氏や田中真紀子当時外相を外交の舞台から追い出したのは象徴的事例でした。
同時に、無関心を貫き通してきた防衛省の姿勢にも問題があったと言えるでしょう。アメリカに限らず海外の軍隊が領土紛争地に空母機動部隊を派遣したり、デモンストレーションとしての演習を行うことはニュースで頻繁に目にすることができます。
しかし、自衛隊が北方領土関連に限らずそうした行動を行ったことは、私が知る限り皆無です。筆者が現役自衛官だった当時にも、そうした計画は聞いたことがありませんでした(逆に、演習を抑える方向の要求があったことはありますが)。
外交において不可欠な軍事情報の活用
北方領土問題に限らず、領土問題や世界各地で起る事件には、軍事が大きな影響を与えています。それらの情報収集には、大使館などの在外公館が大きな比重を占めていますが、そこで軍事面の情報収集にあたるのは、防衛省・自衛隊から外務省に出向した「防衛駐在官」と呼ばれる自衛官です。現在では、47の大使館などに、67名の自衛官が派遣されています。ただし、世界全体を見回せば、防衛駐在官の赴任地はまだ一部に留まっています。
2003年までは、彼らの報告は外務省から防衛省に渡っていませんでした。重要な情報が、軍事知識の足りない外務官僚から注目されることなくムダになっていたわけです。
現在では、こうした状況はかなり改善され、軍事が絡む外交課題は、各大臣が参加する国家安全保障会議(通称「NSC」)で議論されるようにもなっています。北方領土問題に解決の兆しが見られるのも、こうした外務省と防衛省の連携の賜物と言えるでしょう。
北方領土交渉は今後も難航が予想されますが、外交における軍事情報、防衛省の役割は今後ますます大きくなっていくはずです。
妥結の一歩手前まで進んだ2016年の交渉
筆者は北方領土交渉の行方を決して悲観しておらず、妥結の可能性があると考えています。過去には、今以上に妥結の一歩手前まで行っていたこともあるのです。2016年の12月に行われた日ロ首脳会談は、安倍首相の地元、山口県で実施されました。安倍外交の集大成として、アピールするつもりだったことは間違いありません。ですが、この時も直前になって、交渉は暗礁に乗り上げました。
『北方領土秘録 外交という名の戦場』(祥伝社)
当時、どのような交渉があったのかは、当然明らかにはされていません。2016年は、北朝鮮の弾道ミサイル発射が相次ぎ、アメリカではトランプ大統領が誕生する国際情勢の大変動年でした。こうしたことが、何らかの影響を与えたのかもしれません。
拙著『北方領土秘録 外交という名の戦場』(祥伝社)では、そうした可能性の1つを歴史小説として描きました。本稿で述べたような、外交における軍事の重要性を理解していただけるものともなっています。ご一読いただければ幸いです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55232
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