悪の限りを尽くすアメリカ帝国主義。社会主義キューバに対しても人工気象操作で農作物が不作になるようにしたり、自分たちの敵国に対してしつこく攻撃を繰り返す、国家そのものが凶悪犯罪組織である。 キューバの話で申し訳ないが、この攻撃は60年も続いているのだ。親→子→孫の代まで続く、この理不尽さ。シリアに対しても、極悪組織の攻撃が続く。アサド大統領はアメリカ帝国主義の先兵組織、ISILに国を乗っ取られるところまで来たが、それでも国を放棄せず、ロシア航空宇宙軍の助けを得てISIL壊滅に成功した。 Russia: Russian Tu-22M3 bomber takes aim at IS positions near Deir-ez-Zor https://www.youtube.com/watch?v=7Cn1HG9iD_0 ●正義のロシア航空宇宙軍Tu-22M3による、胸のすく爆撃です。 ★劣勢になったアメリカ帝国軍は、それでもシリアから石油を盗掘するなど、悪の限りを尽くしている。そして今度は農作物を焼き払ったのか。これ見て思い出した。ベトナム戦争の北爆で、ニクソンは「北ベトナムを石器時代に戻してやる。」豪語し、第二次世界大戦における対日戦なみの爆弾投下量であった。 しかし北爆をやったアメリカ帝国は、これ以上ベトナムへの深入りをすることはできなかった。膨大な戦費でアメリカの財政は危機に見舞われ、ニクソン・ショックが世界を震撼させた。このため、南ベトナムから撤退するしかなかったのである。 アメリカ帝国の攻撃に長年耐え続けた北ベトナムだが、遂にチャンスが来た。パリ和平協定が結ばれた1973年1月。ニクソンはアメリカ国民にベトナム戦争の終結を宣言。そして3月29日には、アメリカ軍の完全撤退が実現した。 アメリカの財政危機の前に、これ以上の戦争継続は不可能であった。第二次世界大戦が終結してからも長く日本を占領し続けたのと比べると早い撤退だが、これをチャンスと考えた北ベトナム軍は体勢を立て直し、1974年からカンボジア側に攻め込んだ。 幸いなことに、北爆を命令した鬼のニクソンは、ウォーターゲート事件で失脚した。最大の敵が消えたのである。後任のフォード大統領は、ベトナムに手出しすることはなかった。それを見た北ベトナム側は、1975年3月より南ベトナムに対する大規模な攻勢に出た。 この時の状況は連日テレビにも取り上げられ、がぜん注目を集めた。南ベトナム政府はアメリカに緊急援助を要請したが、アメリカ議会は拒否した。南ベトナムの首都サイゴンの陥落は時間の問題となった。 そして1975年4月30日、北ベトナム軍と南ベトナム民族解放戦線の手でサイゴンは解放された。シリアにも、アメリカ軍を追い出したベトナムの栄光が与えられることを強く希望します ! ! 参考資料 ベトナム戦争 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89 ●当時、流行していたBCLをやっていましたので、ソ連のモスクワ放送をよく聴いていました。ベトナムの声放送は、使用周波数が高くて受信良好な日は少なかったためです。
|