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ネオコンの好戦的な政策はアメリカ帝国の終焉を早めた(2/3)
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2019.10.29 2019.10.29
アメリカとソ連は1983年から84年にかけての時期に核戦争の寸前までいった。ロナルド・レーガンとユーリ・アンドロポフの時代だ。 アンドロポフは1984年2月に死亡、コンスタンティン・チェルネンコを経て1985年3月から西側を信奉するミハイル・ゴルバチョフが最高指導者になり、ソ連解体への道筋を作った。止めを刺したのはボリス・エリツィンだ。 その間、アメリカでは1982年にレーガン大統領がNSDD55を出し、憲法の機能を停止させる目的でCOGプロジェクトを始める。 ドワイト・アイゼンハワー大統領の時代にアメリカでは核戦争の際に国を動かす「秘密政府」を設置することが決められ、1979年にはFEMAが作られた。それを発展させたものがCOGプロジェクトである。 このプロジェクトは1988年に質的な変化を遂げる。大統領令12656によって、憲法は「国家安全保障上の緊急事態」の際に機能を停止できることになったのだ。自然災害でも何でも政府が「国家安全保障上の緊急事態」だと判断すればよくなったのである。 1980年代からネオコンはイラクのサダム・フセイン政権を破壊して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断し、その両国を破壊するという戦略をたてていた。 1991年12月にソ連が消滅した直後の92年2月、その戦略を発展させる形で国防次官だったポール・ウォルフォウィッツを中心に国防総省のDPG草案を作成する。これは一種の世界制覇プランで、ウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。 このドクトリンに基づき、PNACというシオニスト系シンクタンクは2000年に「アメリカ国防の再構築」という報告書を出す。この年に実施された大統領選挙で勝利したジョージ・W・ブッシュはこの報告書に基づいて国際問題に関する政策は決めていく。 アメリカの国防政策を「革命的に変化させる」としているのだが、そのためには「新たな真珠湾」のような何かが必要だと主張している。ネオコンに好都合なことに、2001年9月11日にそうした衝撃的な出来事が引き起こされた。 いわゆる9/11だが、この出来事を切っ掛けにしてアメリカ国内の収容所化と国外での侵略が急速に進められる。2003年3月にブッシュ・ジュニア政権はイラクを先制攻撃してフセイン政権を破壊するが、親イスラエル体制の樹立には失敗、2011年春にバラク・オバマ政権はジハード傭兵を使ってリビアとシリアへの侵略戦争を開始する。(つづく) |
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