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インターネットの死
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2019年3月22日 マスコミに載らない海外記事
オープンで、自由で、分散しているよう意図されていたが、今は、我々が見ること、我々が言えることを支配するひと握りの会社に支配されている。
ジョナサン・テッパー
2019年3月8日
The American Conservative
インターネットはオープンで、自由で、分散しているよう意図されていたが、今日それは社会と経済のために重大な影響力を持っている少数企業に支配されている。インターネットは、そうであるよう意図されたものの逆になった。
1960年代初期、核攻撃に耐えることができる通信ネットワークの必要性について考え始めた時、ポール・バランはランド株式会社の技術者だった。ランドは、国防総省から、たとえ一部が核爆発に破壊されても、稼働し続けることが可能なシステムを作り出すことを請け負った。それは究極の分散システムになるはずだった。
1964年、バランはインターネット・アーキテクチャのコンセプトを確立する上で大きな影響力を持った「分散コミュニケーションについて」という題の論文を発表した。
ヴィント・サーフとロバート・カーンは1960年代後期に国防総省国防高等研究事業局DARPAでこれらの概念を実行に移し、インターネットを可能にする通信方式を作り出した。自由の原則と開放性が設計の核心だった。核攻撃に直面しても強靭なシステム、パケット交換とインターネット・プロトコルがオープンな相互接続を可能にした。
何年も後に、「インターネットの美しさは、それが、いかなる一つの集団によっても支配されないことだ」とサーフは語った。彼の考えでは「この革新的モデルは,インターネットを、誰にとっても、どこでも、オープンにしただけでなく、既得権益がそれを支配するのを阻止していることだ」。
分散の原則は、AT&TやIBMのようなハイテク巨大企業のビジネスモデルと真っ向からぶつかった。独占企業のAT&Tが1980年代初期に分割されるまで、通信は非常に中央集権化されていて、専用の、2地点間通信回線を通っていた。ネットワーク上での第三者製装置の使用は禁止された。
ティム・バーナーズ-リーがいなければ、インターネットは政府と科学者が通信するわかりにくい回線のままでいたはずだ。1980年代後期に、彼はWorld Wide Webを経由して、ハイパーテキストを使って情報を容易に共有する方法を作り出した。
バーナーズ-リーは途方もなく裕福になれていたはずだったが、そうはせず、彼はインターネットの民主的な精神を体現して、ソースコードを無料手公開した。バーナーズ-リーは「あらゆる場所の全員が情報共有し、機会を得て、地理的、文化的境界を越えて、協力することを可能にするオープン・プラットフォーム」を望んでいたのだ。
近年、オープンと無料というインターネットの大きな期待は、我々が何を見るか、どのようにやりとりするか、オンラインで何を言うことができるかを、ごく少数の巨大企業が、支配するするディストピアにとってかわられた。
今日、バーナーズ-リーは、インターネットは壊れたと考えている。2018年の「バニティー・フェア」インタビューで、彼は初期を思い出して 「その精神は非常に分散していた」とバーナーズ-リーは語った。「個人は信じられないほど権限がありました。それは全て、許可を得なければならない中央権力がそこにないことに基づいていました。あの個人が制御する感覚、権限を得ていた感覚を、我々は失っているのです。」
バーナーズ-リーは、これまで9カ月間取り組んでいる新規事業Inruptを立ち上げるためマサチューセッツ工科大学で仕事をひと休みしている。彼の任務は、インターネットを分散化させ、グーグルやフェースブックやアマゾンのような巨大ハイテク企業から権限を取り戻し、個人自身によるデータ管理を可能にすることだ。
インターネット・アーキテクチャはまだ分散的だが、World Wide Webの生態系はそうではない。少数の巨大企業がトラフィック、個人情報、通販と情報の流れのほとんどを独占支配している
もしインターネットが死んだ日を選ばなければならないとすれば、それは西暦2014年だろう。それまでは、ウェブサイトへのトラフィックは色々なところからのもので、Webは活発な生態系だった。ところが2014年以来、全トラフィックの半分以上が、たった二つのソースから来始めたのだ。Facebookとグーグルだ。現在、トラフィックの70パーセント以上が、この二つのプラットホームに独占されている。
インターネットはオープンで、無秩序で、分散していて、とりわけ自由であるよう意図されていた。1990年代、アメリカ・オンラインAOLは、人々がつながり、コンテンツを見つけるのを助けたが、究極的には「壁で囲われた庭」だったので、インターネット創立の理想には合致し損ねた。AOLがユーザー体験を決定し、管理して、Webの精神に反していた。ユーザーがオンラインで、地元のケーブル会社を使い始め、グーグルがwebで必要な情報をユーザーが見つけるのを手伝い始めた途端に、人々はAOLから離れ始めた。
フェースブックがそれ以来、AOL2.0となり、ユーザーのために一元的に設計されたインターネットとなった。人は、この会社が見てほしいと思うものしか見つけられない。それはAOLほどクールではないが、フェースブック・アカウントが、ユーザーの生活史や写真や友人や家族関係の余りに多くを含んでいるので、同じような死に方はしないはずだ。Facebookの「壁で囲われた庭」のに入らなければ、多くの記事やビデオは見えず、多くのアプリケーションやサイトは、ユーザーにフェースブック・アカウントがなければ参加さえさせない。
インターネットの父ヴィント・サーフはFacebookの「壁で囲われた庭」を非難している。ところがサーフは今グーグルで働き、会社最高のインターネット伝道師だ。彼はグーグルが同じように、どれほどインターネットを飲み込んでいるか見えていないのだ。
グーグルはユーザーが必要とする情報を素早く見つけるのを助けるサーチエンジンとして始まった。検索エンジン最適化の世界的専門家ランド・フィシュキンによれば、以来グーグルは、人々を内容に導くのみならず、それ自身に招きいれることまで行っている。
Yelpのような競争相手は、より良い評価が載っているかもしれないが、検索結果では、Google Reviewsが優先的配置を与えられている。ヨーロッパのFoundemのような買い物比較ウェブサイトが、より良い結果を提供するかもしれないが、グーグルは、彼らを効果的に要注意組織リストに載せることができるのだ。グーグルは、ウィキペディアやゲッティーイメージの抜粋やプレビューをますます提供している。これらウェブサイトへのトラフィックは、その後崩壊した。ユーザーを他のサイトに導くどころか、現在グーグルは、コテンツ制作者へのトラフィックを兵糧攻めにしている。
フィシュが指摘しているように「過去数年間のグーグルの振る舞いは、検索する人々を、その疑問への答えのために、他のウェブサイトへと向ける検索エンジンから離れ、自分が主宰する答えと解決に向かわせるものだ。グーグルが史上初めて、外部むけトラフィックをずっと減らしているので、検索エンジン最適化するのをずっと困難にしている。」
グーグルは新技術を通してWebを飲み込んでいる。Accelerated Mobile PagesやFirebaseのようなツールを使えば、ページはより速く読める。両方ともFacebookのInstant Articlesのようなものだ。より高速のページが、サードパーティー広告ネットワークに取って代わり、彼らが支配する場所で、彼らの生態系中に更にWebを中央集権化した、グーグルや、Facebookのサーバー上で走っていると悟るまで、それは素晴らしく聞こえる。
グーグルは、グーグルを使って捜索する必要を減らすような技術を絶滅させている。2013年、同社は彼らがRSSに依存するグーグル・リーダーの製造を中止したと発表した。RSSフィードは、発行者がグーグル検索を使わずに、直接読者と連絡を取るための方法だった。だが、2013年のグーグル・リーダーの死は、グーグル、Facebookとツイッターのような大組織での、RSSのような相互運用可能なウェブサービスの終焉となった。
Web生態系の最新構造はグーグルのビジネス・モデルを推進している。グーグルのAndroidモバイル・オペレーティング・システムは驚異的に大きい85パーセントの市場占有率で、世界の大半のスマートフォンを動かしている。Android OSを自社のサーチエンジンに統合し、Androidを自社のアプリ・ショップと統合し、実質的に、消費者が、どのウェブサイト、どのアプリ、どの企業にアクセスできるかの決める門番にしたのだ。
同社は同様に、ブラウザでの支配力を利用している。Chromeブラウザーは、世界規模で60パーセントの市場占有率があり、業界全体の共同取り組みの成果だと主張する、広告を遮断する新機能がある。それでも、このソフトウェアは、特定オンライン広告を遮断するだけだ。奇妙なことに、遮断される広告は競争相手もので、同社のものではない。
閉鎖されたウェブが二つの私企業に支配されている状態に直面して、ユーザーは益々Facebookとグーグルが行いを改めるよう要求している。ジャーナリストのマシュー・タイビが簡潔に表現しているように「グーグルとFacebookが問題の原因であり、解決でもあるということは、政府と規制当局が、どれほど無意味になったかを示している。」
現在、個人と私企業間に、大きな力の不均衡がある。二社が情報の流れを支配していれば、Webは無料でオープンではない。コンピュータ・プログラマーのアンドレ・ストルツが、技術系大企業は、ユーザーのアクセスを禁止でき、人々に彼らのネットワークへのアクセスを保証する必要はないと指摘している。個人はサーバー・アカウントの法的権利を持っておらず、社会として我々はこれらの権利を厳しく要求していない。
民主主義を愛する保守派の人々は、ユーザー自身の選択を可能にする分散を好むべきなのだ。中央集権化されたシステムで、ユーザーは、グーグルあるいはFacebookが許容できる見なす標準ものに対して何もできず、我々に代わり、誰かがそれらを選択するのだ。
Stanford Center for Internet and Societyの市民権部長ジェニファー・グラニックは、技術ユートピア論者たちが「インターネットは、検閲を障害として扱い、それを迂回する」という類のことを言っていたと指摘した。現在それは、もはや可能ではない。独占企業によるインターネットの集中化は「監視、検閲と支配を益々促進している」。
分散的で、自由であるように意図されたインターネットが、独占企業に支配されて、我々の生活に対する支配を常に拡大しているのは悲しい運命のいたずらだ。
記事原文のurl:https://www.theamericanconservative.com/articles/the-death-of-the-internet/
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