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ブレグジット迷走の根っこにある疑心と誤解の歴史
ぶつかり合う伝統、偏見、無知、嘘――英国とEUの厄介な関係
2019.3.20(水) Financial Times
(英フィナンシャル・タイムズ紙 2019年16/17日付)
EU大統領、ブレグジットの「大幅延期あり得る」との見解示す
欧州理事会のドナルド・トゥスク常任議長(右)と英国のテリーザ・メイ首相。エジプト・シャルムエルシェイクで開かれた会談の様子(2019年2月24日撮影、資料写真)。(c)Francisco Seco / POOL / AFP〔AFPBB News〕
欧州共通の歴史書の物語ほど、かつてないほど厄介な英国と欧州連合(EU)の関係を見事に描写するエピソードはないだろう。
EU加盟国からそれぞれ1人の歴史家が選ばれ、1章ずつ書くよう委託された。
ところが英国人の歴史家が、エリザベス朝の海の英雄で1588年にスペイン無敵艦隊を撃破したサー・フランシス・ドレイクのことをスペイン人の歴史家がただの「海賊」として片づけたと文句をつけた後、プロジェクトは頓挫した。
経済政策、人の移動の自由、国家主権、欧州統合の適切な度合いをめぐる論争が、英国がEU離脱へ向かっている主な理由だとよく言われる。
しかし、ぶつかり合う伝統や誤解、偏見、無知、そして全くの嘘が、英国が1973年に当時の欧州経済共同体(EEC)に加盟したほとんどその日から、英国のEU加盟がいつつまずいてもおかしくない石ころだった。
時折、英国はやられる側に立っていた。
フランスのジャック・シラク元大統領はかつて、ドイツのゲアハルト・シュレーダー元首相とロシアのウラジーミル・プーチン大統領を相手に英国人に関するジョークを披露し、「料理があれほどまずい国のことは、とにかく信じられない」と言ったことがある。
しかし、英国人の側もそれなりに愚弄や暴言を繰り出してきた。
ジェレミー・ハント英外相が昨年、EUをソ連になぞらえた比較はただ単に、1980年代後半以降に英国、もっと正確に言えばイングランドから出てきたとんでもない愚行のうち、最新かつ最も侮辱的なものにすぎない。
欧州の他国の政府や市民も時折、思いつくままにEUを批判する。だが、自国の問題をEUのせいにし、何事についても絶対にEUの功績を認めない政界エリートの本能が英国以上に強い国はほかにない。
EUの現在の形が英国によるところが大きいことを考えると、これはなおのこと驚きだ。
英国は、単一市場の創設と冷戦後の中東欧へのEU拡大の原動力になった。だが、現実と虚構が争う英国の競争では、ほぼすべての場面において、虚構が結局勝つことになった。
この責任の一端は、英国の主流メディアが冷静なEU像を描けなかったことにある。
EUの活動について意図的なナンセンスを売り込むことにかけては、ハント氏の前任の外相で1990年代前半にデイリー・テレグラフ紙のブリュッセル特派員だったボリス・ジョンソン氏の上を行く人はいない。
「ブリュッセル(EU本部)は、欧州の肥料の臭いが確実に同じになるよう、鼻が利く人材を採用している」
次の保守党党首および英首相としてテリーザ・メイ氏の後を継ぐことを期待しているジョンソン氏は、こんなことを書いていた。
もっと大きな意味では、英国の学校と大学は1973年以降、EUの知識を普及させる努力が全くもって足りなかった。
英国が加盟国である期間が長くなるほど、教育システムにおいて欧州の言語が学ばれる時間が減っていった。
こうした事情がすべて重なり、2016年の英国の国民投票に向けたキャンペーンで散見された欧州に関する虚偽やカリカチュア、妄想が肥沃な土壌にばらまかれることになった。
英国人有権者のぎりぎり過半数が国民投票でEU離脱を支持するよう説得された理由が、これでかなり説明できる。
しかし、これはもっと長く、もっと陰鬱な構図の一部でしかない。
国民投票の何年も前、ロンドンの代々の英政府は、EUと加盟国のムードと政策論争を読み誤ることで自ら問題を招いた。
際立つ事例が、保守党政権と、保守党政権のドイツとのつき合い方にまつわるものだ。
ドイツ政府とブンデスバンク(ドイツ連邦銀行)が英ポンドを欧州為替相場メカニズム(ERM)内にとどめるために何の手も打たなかった1992年の「ブラックウェンズデー(暗黒の水曜日)」の大混乱の後、英国人は手助けするドイツの意思の限界を理解したと考えてもおかしくないだろう。
にもかかわらず、メイ氏の前任にあたるデビッド・キャメロン前首相は、2016年の国民投票でEU残留を勝ち取るために、英国の加盟条件についてドイツのアンゲラ・メルケル首相から十分な譲歩を引き出せると自信を持っていた。
キャメロン氏は完全に間違っていた。
あの当時、ドイツの優先課題は、ユーロ圏危機と難民危機の余波を食い止めることによりEUの結束を保つことだった。
すでにいいとこどりをしているように思える英国のために、一肌脱いだりしない。
何しろ英国は、EU予算の払い戻しと単一市場への自由なアクセスを含むEU加盟の恩恵を享受する一方で、欧州の通貨同盟と国境検問なしで人が行き来できる「シェンゲン協定」に加わる義務はなかった。
至極真っ当な理由から、ドイツ人などは20世紀半ばの不幸な歴史を過去のものにし、緊密化する欧州国家の同盟を築くことに必死になっていた。
だが、多くの人は、このプロジェクトに対する英国人の大きな疑念に共感を抱くのは難しいと思っていた。
英国人は1945年以降、民主的で国家主権に基づく自分たちの制度機構が、まさにナポレオン戦争と第1次世界大戦を切り抜けたように、英国史上最も危険な歳月を無傷で生き延びたことに大きな誇りを感じていた。
しかし、もし大陸欧州の人々が本当にミスを犯したのだとすれば、それは皮肉に満ちたミスだった。
2016年の国民投票の結果が出た直後、「perfidious Albion(不実の英国、英国の狡猾な外交手法を指す軽蔑的な用語)」の伝統にどっぷり浸かった英国の交渉担当者らはおそろしく賢いため、離脱協議でEU側の交渉担当者を悠々と負かすという不安をEUの政治家が口にするのを聞くのは珍しくなかった。
いかにも英国的な控えめな表現をするなら、筆者は今、この不安は少しばかり的外れだったと言うことができる。
By Tony Barber
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