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2023年4月30日 15時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/247126
東京電力福島第一原発の事故で一時、全町避難となった福島県浪江町に今月、「福島国際研究教育機構」(FーREI=エフレイ)の仮事務所が開設された。国は「世界に冠たる『創造的復興の中核拠点』を目指す」とうたう。しかし、町民の大半は避難先から戻っていない。町民からは「機構ができても、地元住民の復興にはつながらない」と冷ややかな声が上がっている。(宮畑譲)
◆「福島イノベーション・コースト構想」の一環
「福島に既に立地する研究施設の取り組みに横串をさし、司令塔としての機能を発揮してもらうことを期待する」。1日の開所式に出席した岸田文雄首相はあいさつでこう述べた。
エフレイは、福島県沿岸地域の復興の中心となる「福島イノベーション・コースト構想」の一環として国が設置した特殊法人だ。廃炉や放射線関連、ロボット、農林水産業、エネルギーの五つの分野をテーマに研究開発を目指す。2029年度までの中期目標には、これらの産業化や人材の育成・確保も盛り込む。
復興庁の資料では「地域における産業の集積、人材の育成、暮らしやすいまちづくりを進め、福島・東北の創造的復興、さらには日本創生を牽引けんいんするものとする」とある。
◆「働く場所がなければ多くの人が戻ってくることはできない」
しかし、各地に避難した町民は懐疑的だ。
「エフレイの建物が建てられる時は一部の建設業者が潤うかもしれない。しかし、地元の業者はどの程度関わっているのか。地元の人の雇用は少なく、賃金も低いと聞いている。働く場所がなければ多くの人が戻ってくることはできない」
こう嘆くのは、横浜市青葉区に住む伊藤まりさん(63)。首都圏で生まれ育ったが、結婚を機に浪江町に移り住み、子育てをした。
「一番長く住んだのが浪江。多くの知り合いができて、地元にどっぷり漬かっていた」。地域に溶け込み、自然に築かれたコミュニティーは原発事故で崩れてしまった。
「復興事業は地元の人の意見を取り入れてつくられたとは言えない。国や県の職員が中心なのではないか。地元にどういう影響があるのかも見えてこない。自分も帰るかどうか、今は迷っている」
◆「復興は地元住民がやるものではなくなり、バラバラに」
原発事故により、2万1542人いた浪江町民は全町避難を強いられた。17年に一部地域の避難指示が解除されたが、8割は帰還困難区域のまま。今年3月末の時点で町内に居住しているのは1996人にとどまる。22年度の意向調査では「戻らない」との回答が5割に上った。
震災後の12年から6年間、浪江町商工会の会長を務めた原田雄一さん(74)は「元々、住んでいた人が戻るのが復興だと思ってやってきたが、そうはなっていない。住民が戻るために必要なのは仕事や病院だ。機構に集まる研究者の多くもずっと住むわけではない」と憤る。原田さんは現在、福島県二本松市で眼鏡店を営む。
住民がバラバラに避難したままでは、地域のつながりがなくなり、町に戻る人はいなくなると原田さんは考えた。放射能の影響がなくなるまで福島県内の数カ所に町民がまとまって暮らす案を役場に提案したこともあったが、聞き入れられることはなかった。
震災から10年以上がたち、避難先で生活が根付いてしまった人もいる。原田さんは不本意な経過を残そうと、書きためた日記を大学教授に託している。
「いつの間にか、復興は地元住民がやるものではなくなり、バラバラになってしまった。これでは、大きな災害の後にまた同じことが起きる。繰り返さないためには検証して伝えることが必要だ」
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