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日本はとっくに“製造業の国”“輸出主導型経済”ではない…認識の欠如が経済停滞の原因
https://biz-journal.jp/2019/11/post_125623.html
2019.11.02 文=加谷珪一/経済評論家 Business Journal
「Getty Images」より
10月1日に消費税が10%に増税された。前回の増税はリーマンショック後の景気回復局面だったが、今回は世界景気が減速しつつあるなかでの増税となる。一方で、デフレと言いながら物価は上昇を続けており、労働者の実質賃金は低下している。年末から来年にかけてはさらに消費が冷え込む可能性が高く、景気対策を求める声が大きくなるのは確実だろう。
だが、日本経済が成長できていないのは、景気対策が不十分だったからではない。日本経済の仕組みが時代に合っておらず、あらゆる面で機能不全を起こしていることが原因であり、ここに手を付けなければ、すべての政策は対処療法に終わってしまう。
■日本は「かつて」物作りの国だったが……
日本は物作りの国というイメージがあり、経済政策についても製造業支援を念頭に置いたものが多い。アベノミクスは特にその傾向が強く、原発輸出を国策にしたり、製造業の設備投資を促進するといった施策を実施している。だが、日本はすでに物作りの国ではなくなっており、国内消費で経済を動かす成熟型の消費国にシフトしている。
日本経済の変質は世界の輸出シェアに顕著にあらわれている。全世界の輸出における日本のシェアは、1980年代にドイツに肉薄したこともあったが、その後は一貫して低下が続いており、2017年にはわずか3.8%まで下がっている。残念ながら、製造業における日本のプレゼンスはかなり低くなったというのが現実である(ちなみに輸出シェア1位の中国は10.6%、2位の米国は10.2%、3位のドイツは7.7%と圧倒的に差を付けられている)。
筆者はこの現実についてそれほど悪いことだとは考えていない。製造業で競争力を発揮した国が、やがて新興国にキャッチアップされシェアを落としていくというのは、ある意味で歴史の必然であり、無理にこの流れに逆らう必要はない。もし、この流れに逆張りするのであれば、ドイツのように高付加価値製造業に特化したり、米国のように徹底した市場メカニズムを導入するといった特異な方向性を発揮するしか方法はなく、日本人にとってこうしたエクストリームな施策は現実的ではないだろう。
GDP統計の支出項目の比率も大きく変わっている。
日本におけるGDPの支出項目をみると、1960年代と1970年代は設備投資の比率が高く、GDP全体の3割以上を設備投資が占めていた。説明するまでもなく、一連の設備投資の多くは輸出産業向けのものであり、製造業による設備投資が経済成長を支えていたことがわかる。
■「現実」と「昭和脳」のギャップ
当時の日本は旺盛な設備投資需要があり、銀行は資金の確保に苦労していた。このため、東京の虎ノ門界隈に次々とオフィスビルを建て始めていた森ビルですら、製造業を優先する銀行の方針で融資を断られることもあったという。
しかしバブル時代から徐々に設備投資の比率が下がり始め、現在では、個人消費と政府支出の比率が顕著に上昇している。90年代までの政府支出は景気対策による公共事業が牽引していたが、その後の政府支出増大は、いうまでもなく、年金や医療に対する国庫支出の増加なので、基本的に社会保障費である。
つまり日本は、製造業による輸出主導型経済から、個人消費や政府支出を軸にしたコンパクトな成熟型消費国家にシフトしている。
消費を原動力にしなければ成長できない仕組みに経済が変わっているにもかかわらず、多くの経営者、労働者、政治家が昭和型の大量生産モデルの価値観から脱却できていない。現実の経済構造と認識のギャップこそが、日本経済を低迷させている最大の要因である。
日本の経済構造に基本的な問題があるため、量的緩和策といったマクロ的な政策を実施しても効果が半減するのではないかという指摘は、実は量的緩和策を実施する前から出ていた。日銀の白川方明前総裁もこの問題について何度も会見で取り上げていたが、十分に議論されたとはいいがたい。
日本では、「これしかない!」といったフレーズに代表されるように、ひとつの方策ですべてを解決できる(と期待させてくれる)派手なマクロ政策にばかり注目が集まり、地道な諸改革がおざなりにされる傾向が顕著である。根本的な制度疲労を放置したまま、量的緩和策や財政出動といったマクロ的な施策を実施しても、その場限りの効果で終わってしまうのは、ある意味では当然の結果といってよい。
日本ではどういうわけか、現実の政策という分野においても、マクロ経済政策と個別の施策が完全に分断されており、総合的な議論ができない環境にある(マクロ政策に付随して個別の施策を提示すると、「マクロとミクロを混同すべきではない」といった、アカデミックな議論と政策議論を混同した意味不明な批判を受けることも多い)。
■消費者のマインドを考慮しなければ経済政策は機能しない
では、経済構造が消費主導型にシフトした今、どうすれば消費拡大で経済を成長させることができるのだろうか。個人消費というのはニワトリとタマゴの関係であり、経済学的には何が消費拡大の原動力になるのか明確に示されているわけではないが、消費者のマインドが大きく影響していることだけは間違いない。
現在、個人消費が極端に低迷しているのは、消費者が将来に対して大きな不安感を持っているからである。高齢化が進み、年金財政が悪化しているのは紛れもない事実であり、これを誤魔化して美辞麗句を並べたところで、不安の解消にはならない。年金減額が避けられない以上、消費者の将来不安を取り除くためには、今後、長期にわたって就労できるという安心感が必要となる。
だが、この安心感を終身雇用や解雇の禁止というかたちで担保しては意味がないだろう。
消費社会というのは、多くの個人が多種多様なアイデアを出し合い、生み出された商品やサービスを消費者がポジティブに評価してこそ、うまく回っていく。日本社会は基本的にネガティブであり、新しいことに対する抵抗感が根強く、これが新しい産業の創出や消費の拡大を阻害している。わかりやすい言い回しをすれば日本社会は基本的に「しかめっ面」なので、これでは豊かな消費社会を実現できないのだ。
残念なことに、政府が企業に雇用を強制すると、社会の流動性が低下し、こうしたネガティブで閉鎖的なカルチャーが拡大することがあっても、縮小することはない。むしろ、転職を推奨し、新しいスキルを身につけるための教育プログラムにこそ多額の支出を行うべきである。
仮に解雇されたり、役職定年や再雇用で望まない仕事を斡旋された場合でも、教育プログラムを受けて新しいスキルを身につけることができ、その間に、十分な失業保険が給付されるのであれば、あまり深刻になる必要はない。
転職が活発になれば、組織に新しいアイデアが入ってくるので、新規事業が立ち上がる頻度は確実に高まる。遠回りなようだが、こうした地道な取り組みを行わない限り、日本経済に未来はない。
(文=加谷珪一/経済評論家)
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