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東京一極集中、その知られざる理由…人々が東京から出ていかなくなったことで起きる事態
https://biz-journal.jp/2019/10/post_121510.html
2019.10.06 文=池田利道/東京23区研究所所長 Business Journal
東京・秋葉原の電気街(「Wikipedia」より/Jmho)
国立社会保障・人口問題研究所(以下、社人研)が2018年に発表した市区町村別の将来人口推計では、2020年の東京23区の人口を949万人、2040年には976万人と予測している(本連載前回記事の図表2参照)。これも前回紹介した通り、筆者推計による2020年の23区人口は974万人。社人研推計とは2020年段階で、すでに約25万人の誤差が生まれている。
この誤差が、主として高齢者の増加によってもたらされたのであれば、将来推計への影響はやがて収束していくだろう。一方、若いファミリー層が中心の場合は、上振れはさらに拡大していくことになる。新たな命が誕生する可能性が高まるし、超長期的に見れば、産まれた子どもが次世代の子どもを産むという拡大再生産が期待できるからだ。
巷間を賑わせている未来論の中に、地方から東京に移住してきた人たちが故郷から年老いた親を呼び寄せ、これが東京の超高齢化に拍車をかけているとの説がある。だとしたら、25万人の誤差は前述した前者の影響が大きいことになる。
2018年の『住民基本台帳人口移動報告』によると、23区の75歳以上の転出入状況は、およそ4500人の転出超過。多摩地域は約1300人の転入超過だが、その数は多摩地域に暮らす75歳以上のお年寄り(約54万人)の0.2%にすぎない。
データ入手の都合上60歳以上の分析となるが、2018年に都内の区市町村に転入した高齢者の前住地は、東京都内間での移動が59%、埼玉・千葉・神奈川の周辺3県からが22%で、地方(1都3県外)からは2割にも満たない。
子どもが老親を呼び寄せることについては、筆者もかねてから警告を発してきた。だが、それは高齢者にとってのハッピーライフという視点に立ったもので、問題意識がまったく異なる。ともあれ、「地方に住む親を東京に呼び寄せている」という説は、少なくとも現時点では事実から遠い。
これに対して、若いファミリー層を中心に誤差が生じているという考えは、かなり現実に近いと思われる。多くの区で出生率が上昇傾向にあること、幼児の数が増えていることなどが、その傍証といえるだろう。
仮に25万人の誤差が将来そのまま上振れ差となっていくとすると、2040年の23区の人口は1000万人に達することになる。だが、筆者の興味は1000万人という区切りの数字より、東京一極集中が一向に収束しない真の理由と、その先にある東京の未来にある。
■転入超過数が描く不思議な「波」
図表1は、23区の転入超過数の推移を長期スパンで追ったものだ。23区全体(図表1-1)を見ると、転入超過数が次第に増えていくという大きなトレンドがある。しかし、それは決して直線的ではなく、波を描きながら進んでいる。なぜ、不可思議な波を描くのか。どうやら、ここに問題を解くヒントが潜んでいそうだ。
23区の社会移動は、対首都圏郊外部(埼玉、千葉、神奈川の3県と東京都多摩地域の合計)と、対地方(1都3県以外)という性格が異なる2つの要素によって構成されている。
対首都圏郊外部との関係(図表1-2)は、前世紀においては次第に転出超過数が減っていき、今世紀に入ると転出入が均衡するという状態が続いている。波打っているのは2カ所で、1970年代に入ると転出超過数が大きく減少し始めたことと、80年代末に転出超過数が一時的に増えたことだ。
前者の背景には、1970年に住宅金融公庫(現:住宅金融支援機構)が分譲マンションへの融資を始めたことを契機として、マンション建設が一気に進んだことが考えられる。これにより、地価が高い23区でも持ち家を取得できる可能性が広がり、郊外部への転出者が減った。
後者は明らかにバブルの影響だ。中古住宅の転売市場が未成熟な我が国で、唯一バブル期だけは、23区内の住宅(主としてマンション)を売却すれば、郊外部によりリッチな住宅を手に入れることができた。
■「実感なき好景気」でも東京に人が集まる理由
対地方との関係(図表1-3)は、まさに我が国の現代経済史を見る感がある。高度経済成長期も後半になると、環境問題や過密の弊害、地価の高騰などの影響で、地方から23区への転入超過は漸減していたが、それでも高い水準を維持していた。これが急減するのが1973年。オイルショックが勃発し、我が国の高度経済成長期が終わりを告げた年だ。
いわゆる安定成長期といわれた1970年代後半を経て、1980年代に入ると、レーガノミクスによるドル高、円安に支えられた好景気が訪れる。このとき、23区への転入超過数は再び増加傾向へと転じる。しかし、1985年の「プラザ合意」後、円高不況に陥ると再び減少傾向に転換。転入超過数の減少はバブル期も続き、バブルが完全に崩壊する1993〜94年にはボトムを記録する。
その後、1990年代後半のITバブル、2000年代初頭のITバブル崩壊、2000年代中盤のいざなみ景気、2008〜11年のリーマン・ショックと東日本大震災、そしてアベノミクス。こうして見ていくと、日本列島全体がリゾートブームに沸き返ったバブル期を例外として、好景気時には23区への転入者が増え、不況時には減るという循環が繰り返されてきたことがわかる。景気の波が人々の心の波に反映し、東京への集中を進めたり抑えたりしてきたのだ。
しかし、今世紀に入って以降、こんな単純な図式では捉えられない動きが生じていることを見逃すことができない。いざなみ景気もアベノミクスも「実感なき好景気」といわれる。にもかかわらず、人々を東京に駆り立てているのは、かつてのようなポジティブ思考ではなく、格差社会が拡大していく中で「地方での生活に未来が見通せない」というネガティブな思考の結末ではないだろうか。
不安に背中を押された人々が、あたかも誘蛾灯に集うように東京に引き寄せられている姿だ。この事態を打開できるのが、リーマン・ショックや東日本大震災級のインパクトしかあり得ないのだとしたら、事はきわめて深刻である。
■東京の「ポンプ機能」が失われていく
さらに検証を進めよう。図表2は、図表1を転入数と転出数にセグメント分割した結果である。対首都圏近郊部(図表2-1)では、転入は大きく変化しておらず、転出が減少していることが明確だ。対地方部(図表2-2)では、近年は転入が増え、転出は横ばいという傾向が見られるものの、より長期的なトレンドとしては、転入の増加傾向以上に転出の減少傾向が大きいことがわかる。
東京一極集中と聞くと、私たちは得てして転入のほうを意識してしまう。地方から若い人たちが東京に集まってくる。都心居住の流れに乗って、郊外部からファミリー層が東京に移住してくる。しかし、実態はそうではなく、東京に集まった人々が東京から出ていかなくなってしまっている。デフレが続き、格差が広がり、人口が減少し、衰退への坂道を転がり落ちようとしている我が国の中で、もはや頼みの綱は東京だけ。東京に集まり続ける人々の心の奥に、そんな思いがあるのだとしたら、「東京ひとり勝ち」は「東京不戦勝」を意味していることになる。
2018年の『住民基本台帳人口移動報告』によると、23区への転入者(区内間の移動を除く、以下同)の49%が20代、22%が30代。転出は、20代が37%、30代が26%。社会移動とは、実は20代・30代のキャッチボールだ。
その中心は、地方から東京に転入してくる20代と、より安くより広い住宅を求めて東京から郊外部に転出する30代。しかし、20代で東京から地方に転出する人も少なくない。彼らは人生でもっとも多感な時期を東京で過ごし、そこで得た知識や経験を携えて故郷にUターン、Jターンすることで、地方に活力を吹き込む牽引役を果たしてきた。故郷に帰らず東京に残った地方出身者たちは、結婚し子どもができると首都圏郊外部に居を構え、郊外部の発展を担ってきた。
東京は、全国に活力を配分するポンプの役割を果たしてきた。しかし、東京に集まった人たちが東京から出ていかなくなると、ポンプの力は弱まり、我が国全体の地盤沈下を早める事態を招いてしまう。そして、その先には少子化が一層促進され、ポンプが空回りに陥る結末が待ち受けている。
表面的な現象論や感情論を超え、改めて東京一極集中、23区一極集中の本質と向き合う必要がある。そうでないと、1000万人都市の出現が最後に咲いた徒花に終わりかねない。
(文=池田利道/東京23区研究所所長)
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