http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/647.html
Tweet |
日興證券が裏切り、三菱が怒った…三井住友は大和証券を切り捨て、日興証券と提携した
https://biz-journal.jp/2019/06/post_28334.html
2019.06.21 文=菊地浩之 Business Journal
かつては三菱銀行との関係が深かったものの、現在は三井住友FG傘下にある、SMBC日興証券。
【前編】「大和証券、日本郵政と提携発表!山一破綻が加速させた、証券会社と銀行の合従連衡の結末」はこちら
■三菱を怒らせた日興證券の外資提携
1998年5月、日興證券が米トラベラーズ・グループ(のちに米シティグループに合併。以下、米シティグループ)と資本提携に踏み込んだ。
日興證券は、リテール分野(日興コーディアル証券)とホールセール分野(日興シティグループ証券)をそれぞれ子会社として分離し、日興證券本体は米シティグループから12パーセントの出資を受け容れて日興コーディアルグループと改称、持株会社になった。さらに、日興シティグループ証券には米シティグループから49パーセントの出資を受け入れ、合弁会社とした。つまり、米シティグループからの出資を受け入れ、その傘下に入ったと宣言すると共に、ホールセール部門では共闘する体制を整えたわけだ。
この業務提携発表を聞いて、東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)の首脳が激怒する。
日興證券はもともと三菱グループ、特に東京三菱銀行と親しい関係にあった。そのせいもあって、東京三菱銀行としては、証券会社と手を結ぶなら日興證券だと考え、日興證券もその気を見せていたらしい。ところが、諸説あって真相は藪の中なのだが、どうやら多少の行き違いがあったらしく、日興證券は米シティグループとの業務提携になびいてしまった。
これに対し東京三菱銀行は、日興證券の業務提携発表から10日も経たないうちに、事実上傘下におさめていた菱光証券と大七証券を合併させて東京三菱パーソナル証券を設立し、これに証券子会社の東京三菱証券(旧・三菱ダイヤモンド証券)も合同させると発表。独自に三菱グループの証券会社を育成する意思を表明した。さらに当時、もっとも優良な中堅証券と名高かった国際証券を買収し、2002年には傘下の証券会社(東京三菱証券、東京三菱パーソナル証券、一成証券)を合併させ、三菱証券を設立する。
日興證券の顧客には三菱グループ企業が名を連ねていたから、米シティグループもそれをアテにしていたのに、提携して早々に離反にあってしまったのだから、困惑することこの上ない。一方、三菱証券はその後モルガン・スタンレー証券を吸収合併し、三菱UFJモルガン・スタンレー証券となって、今では「五大証券」の一角と呼ばれるほどの地位を占めるまで育っていったのだから目も当てられない。
■大和証券と住友銀行の主導権争い
翌1999年12月には、大和証券が住友銀行(現・三井住友銀行)と提携を発表する。
大和証券はリテール分野(大和証券)とホールセール分野(大和証券SBキャピタル・マーケッツ[略称・大和証券SBCM、のちに大和証券SMBCに改称。SMBCは三井住友銀行の略称])をそれぞれ子会社として分離し、自らは大和証券グループ本社と改称して持株会社になった。さらに、大和証券SMBCに住友銀行から40パーセントの出資を受け入れ、合弁会社とした。
つまり、日興證券と米シティグループの業務提携とほぼ同様の形で、大和証券と住友銀行が業務提携を結んだことになった。相違点といえば、大和証券と住友銀行の業務提携では持株会社本体への出資がなかったことだ。
もともと住友銀行は証券部門への進出に積極的な都市銀行として知られ、この業務提携を機に大和証券SMBCに行員を出向させ、証券戦略を積極化していった。
一方、大和証券は住友銀行に主導権を渡さないように抵抗し続けたようだ。このことが住友銀行からの不満を招き、さらなる証券業界再編への伏線となった。
1925(大正14)年に創立された野村證券
■野村と三菱の外資買収
証券業界の再編第二幕は、米国発のリーマン・ショックが引き金になった。
2008年、サブプライムローン問題を発端として米国のバブル経済が崩壊し、9月15日に世界有数の大手証券会社である米リーマン・ブラザーズが破綻する。
その1週間後、野村ホールディングス(野村證券)は、米リーマン・ブラザーズのアジア・欧州・中東部門の買収を発表。リーマン・ブラザーズの日本法人トップが「関心を示した世界の金融機関は当初多数いたが、短期間で意思決定をできたのは野村だけだった」という電光石火の早業だった。
米リーマン・ブラザーズの破綻後、信用不安の矛先は米モルガン・スタンレーに向けられる。窮地に陥った米モルガン・スタンレーは、2008年9月18日に三菱UFJフィナンシャル・グループ(以下、三菱UFJ-FG)へ1000億ドル(おおよそ10兆円)の融資を要請する。
これに対し三菱UFJ-FGは米モルガン・スタンレーの90億ドル(おおよそ9000億円)にも及ぶ資本増強にも応じ、同社を持ち分法適用会社にすることに成功した。さらにモルガン・スタンレー証券のインベストメントバンキング部門を買収して三菱UFJ証券に合併させ、2010年5月に三菱UFJモルガン・スタンレー証券を誕生させた。
■日興證券の買収、大和証券との提携解消
米シティグループもリーマン・ショックで経営不安に陥り、日興コーディアルグループの所有株式売却を決断し、入札を実施する。
その最有力候補はみずほフィナンシャルグループ(以下、みずほFG)で、三菱UFJ-FGとの一騎打ちが予想されたのだが、最終的に手に入れたのは三井住友フィナンシャルグループ(旧・住友銀行。以下、三井住友FG)だった。先述したように、三井住友FGは大和証券グループ本社との業務提携で証券部門への足がかりを築いていたが、主導権を握ることができず、業を煮やしていたので、買収によって完全に支配下に置ける日興コーディアルグループは魅力的だったのだ。
こうして、三井住友FGは傘下に旧日興證券、提携相手に旧大和証券を持つことになった。旧日興證券を完全な支配下に置いた三井住友FGにとって、主導権を握らせない証券会社は無用の長物でしかない。ゆえに2009年、大和証券グループ本社との提携を解消。2011年に日興コーディアルグループを完全子会社として、SMBC日興証券と改称させたのである。
それから8年、元号は平成から令和へと変わった。
大手証券会社は平成の黒歴史から脱却して、新たな歴史を紡ぎだすことができるだろうか?他の金融機関にはない、証券会社固有の強みは何かを強く問われることになりそうだ。
(文=菊地浩之)
1997年の山一證券破綻後の、証券会社再編の流れ(筆者作成)
●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『徳川家臣団の謎』(角川選書、2016年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)など多数。
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民132掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 経世済民132掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。