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“比類なき街”上野・アメ横、70年間客が殺到し続ける秘密…年末の客減で迎えた岐路
https://biz-journal.jp/2019/02/post_26879.html
2019.02.28 文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント Business Journal
JR御徒町駅側から見た「アメ横」商店街
「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数ある経済ジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。
あと2カ月で「平成時代」が終わる。メディアでは、さまざまな切り口で「平成時代を振り返る」企画が紹介されてきた。3月や4月に入っても続くだろう。
だが、今回取り上げたいのは、昭和を象徴した街「上野アメ横」(商店街)だ。後述する課題があるとはいえ、平成年間もずっと人出が絶えなかった。
それはなぜか。実は、時代を超えて「選ばれる場所」だったからだ。今回は紹介される機会が少ない街の横顔を伝えつつ、消費者心理の視点で考えたい。ちなみに、筆者は学生時代にアメ横でアルバイト経験があり、その後も定点観測を続けてきた。
■「食品」「衣料」「化粧品」が豊富に揃う
昨年開店した「二木の菓子」の別店舗(手前右)と、中田商店(その奥)
「アメ横」という言葉は、(1)甘いものを売った「アメ屋横丁」と、(2)舶来品を売った「亜米利加(アメリカ)横丁」に由来するといわれる。
この2説を象徴する店が、前者は「二木の菓子」(アメ横に正式な店を構えたのは1949年)、後者は「中田商店」(同1956年)だ。二木の菓子は“お菓子の総合デパート”といわれる豊富な品揃えで知られる。中田商店はジーパンやMA-1ジャケットなど、“ミリタリー販売の老舗”として名高い。
実は、名前の由来だけではない。昭和時代も平成時代も、アメ横人気を支えた2大商材は「食品」と「衣料」だった。
商店街めぐりには、JR上野駅側から入っても、御徒町駅側から入ってもよいが、線路と並行するように生鮮品や乾物、菓子、衣料、スポーツ用品、ゴルフ用品などの店が立ち並ぶ。近年は、簡易食堂のような飲食店も増えた。
一方、駅の高架下建物内には、化粧品店や雑貨店も多い。外国の化粧品をいち早く揃えた一帯で、当時の目利きの女性から「海外ブランドの化粧品を安く手に入れるならアメ横」と支持されてきた。インターネットはもちろん、並行輸入も難しかった時代だ。
つまり、“宝探し感覚”で商品を探せるのだ。それは人気小売店の「ドン・キホーテ」にも通じる。商品を探す楽しみは消費者心理の本質だ。こうした飽きさせない店舗構成が、後述する昭和の終戦後から、70年以上も人気を保った理由のひとつだろう。
■「安さ」と「勢い」で売る
スポーツ用品が充実する「ZUEN(ジュエン)」
「アメ横は安い」が、消費者の基本認識だ。実際に格安商品は多い。筆者も最近、1箱90円(税別)の箱入り茶菓子を買って、当日夜の会食に参加した知人に配ったことがある。「アメ横で安かった」と言って渡したら、みんな喜んで受け取ってくれた。
もちろん、「あの商品については、それほど安くない」といった意見もあるだろう。だが、それは「木を見て森を見ず」に近い考えかもしれない。
いつの時代も、買い物の楽しさは“掘り出し物”だ。たとえば「これを買おう」と、目的意識を持って商品を探す。あるいは当初は買うつもりのない商品を「買ってみようか」と思い、価格を見る。それが思いのほか安いと得した気分になる。節約ではなく「達成感」なのだ。
一方、お客をその気にさせて売る店もある。
「この中にチョコレートが入ります。入れちゃえ、入れちゃえ〜」で有名な志村商店のパフォーマンスもアメ横名物だ。1袋1000円で、2000円分以上の菓子が入る。
こうした勢いに誘われて買うのは「参加型」でもある。この場合の消費者の心理は、催事感覚だ。菓子が苦手な人は少ないので、もし同じ品が多く入っていても、他人にあげやすい。もらったほうも負担を感じないで済む。
衣料の掘り出し物なら、近くに格安Tシャツが揃う店がある。リュックなどのカバンが3000円台という店や、スポーツシューズが5000円未満からの店もある。
もちろん今は、Tシャツは「ユニクロ」や「ジーユー」、スポーツシューズは「ABCマート」のような大手チェーン店がある。だが、路面を歩きながらの買い物は、商業施設内の“ワンストップショッピング”とは別の楽しさなのだ。
■「東日本大震災後」は厳しかった
そんなアメ横にも、過去何度か危機が訪れた。
「最近では、東日本大震災後が厳しかったね」と、勤続46年のベテラン販売員は明かす。
もともとJR上野駅は、東北地方や北関東地方と都内を結ぶ大動脈として栄えた「北の玄関口」だ。2011年3月11日に発生した大地震と津波で、東北と北関東が甚大な被害を受け、同地域からのお客さんが激減した。福島原発の影響で首都圏も計画停電を実施し、消費マインドも冷え込んだ。
被災地が少しずつ復興するにつれて消費意欲も出て、アメ横の客足も戻ったのだ。
ただし、18年の年末は例年に比べて客足が伸び悩み、「年末5日間で約157万人」(アメ横商店街連合会)だったという。
「理由は調査中ですが、年明け早々から営業する大手小売店が増え、以前ほど『年末の買い出し感がなくなった』という声もあります。一方で『働き方改革』もあり、正月はきちんと休もうという大手の動きも出てきた。さまざまな対策を考えながら注視しています」(同)
筆者が今月、2度にわたり平日に視察した際の客足は順調だったが、稼ぎ時の年末の訪問客減少は、気になる部分だ。
■戦後の「ヤミ市」が残る場所
近年は、外国人観光客も多い
平成時代の30年で、東京の街は大きく変わった。新しい商業施設やビルが次々に建ち、古い町並みは再開発などで取り壊された。
だが、アメ横はほとんど変わらない。実は「ヤミ市の面影を残す」都内最大の場所だ。
「ヤミ市」とは、一般には昭和の終戦直後に出現した「非合法の物品販売場所(ヤミの市場)」として知られる。まだ物資統制が続き、食品や生活必需品が手に入らないなか、こうした市場が都市部の庶民の焼け跡生活を支えたのだ。
ちなみに、昭和21年に大蔵省(現財務省)が発表した「国民の生活費」では、その70%が「飲食費」だったという(出所『昭和・平成家庭史年表』/下川耿史編/河出書房新社刊)。支出の大半を「食べるために使わざるを得なかった」時代だ。
そのヤミ市の雰囲気を残す場所は、現在、都内では「新宿ゴールデン街」などがあるが、約400もの店が軒を連ねるのは「アメ横」だけだ。
スタイリッシュでも現代的でもないが、「生活の息吹がある場所」や「日本人の生活ぶりがわかる場所」として、外国人観光客も多く訪れる。
■「キャッシュレス」は似合わない
「二木の菓子」の店内の様子
「二木の菓子」の店頭の様子
「最近はよく、『キャッシュレス対応はどうしていますか?』という取材を受けます。でも、アメ横はもっともキャッシュレスが似合わない街なのです」
アメ横商店街連合会名誉会長の二木忠男氏はこう話し、次のように説明する。
「現金のやりとりで、お客さんと店が交流してきた場所だからです。たとえば、小銭のお釣りが発生しても、店によっては『この商品をおまけするから残り分で買います?』と言い、お客さんが納得すれば買っていただく。そんな伝統が根づいているのです」(同)
一方で、たとえば外国人観光客のなかには「母国ではキャッシュレスが当たり前。ほとんど現金は持ち歩かない」という人もいる。
「世の中の趨勢に合わせる」のか、「郷に入れば郷に従え」で今後もやっていけるのか。商店街側も状況を見守っている段階のようだ。
どの業界や企業にも横たわる「中期的な課題」をアメ横も抱えながら、今日も威勢のよい声が店のあちこちから響く。世界各国の大都市も、商業ビルのクールな空間があれば、庶民の暮らしが息づく市場もある。
平成の次の時代も、アメ横は元気でいられるのか。引き続き注視して、折にふれて報じていきたい。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)
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— biz-journal (@biz_journal) 2019年2月28日
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— 美容まとめ (@biyonda1) 2019年2月28日
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