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鳩山元首相が憧れたブルネイの正体
迷走する日本の「働き方改革」への処方箋(4)
2019/02/20
立花 聡 (エリス・コンサルティング代表・法学博士)
豊かな産油国ブルネイは非資源国と比べて先天の優位性を有し、その格差を自ら誇示しているほどだ(参照:「働かなくても、頑張らなくても食べていける世界」)。その延長線上において、労働をめぐって、先天の優位性・格差の本質を探っていきたいと思う。
鳩山氏の倒錯する論理?
ブルネイと北朝鮮の比較は必ずしも妥当ではないかもしれないが、ブルネイで見聞したことから北朝鮮を連想せずにいられない。核武装の代わりに石油や天然ガス、主体(チュチェ)思想の代わりにイスラム教がある、というのが私の受けた印象だった。
iStock / Getty Images Plus / EmreKayalar
視覚的な相違は、偶像崇拝くらいだ。北朝鮮は国中いたるところに金日成や金正日の肖像が掲げられているが、ブルネイの場合は国王像を街中で目にすることはない。これもひとえにイスラム教の偶像崇拝禁止によるものではなかろうか。スルタンというアラビア語は「権威」を意味し、宗教の担保によって絶対王権が確固たるものとなった以上、むしろ偶像崇拝は不要だ。
宗教共産主義国家――。私が勝手に作った名称だが、もう少しこの延長線上で展開してみたい。
ブルネイの大ファンという日本の元政治家がいる。2009年11月、当時の鳩山由紀夫首相がブルネイのボルキア国王との会談で、石油など天然資源が豊富で、所得税が課税されないブルネイの税制をうらやむような発言をし、読売新聞は2009年11月14日付けで「日本国民も、ブルネイに移住したいと考えるだろう」と題した記事を掲載した。事実ならば、それが鳩山氏の本音吐露だったのではないかと私は思う。
十数億ないし数十億円の資産をもつとされる日本有数の金持ち政治家ではあるが、資産総額2兆円規模のブルネイ国王と比べれば、鳩山氏の資産は微々たるもので取るに足らない。ただ、鳩山氏が果たして国王の資産規模そのものに羨望の眼差しを向けたのかというと、違うような気がする。
十数億円の資産だけでも日本国内では超富裕層の部類に入る。野村総合研究所(NRI)の統計基準では、金融資産1億円以上5億円未満が富裕層、5億円以上の場合は超富裕層となる。このような超富裕層である鳩山氏はまさに資本主義の産物、貧富の格差の体現といっても過言ではない。
ところが、資本主義の申し子ともいえる鳩山氏は、その出自や立場とまったく矛盾する姿勢を取っていた。氏が海外メディアに論文を寄稿し、「日本は米国主導の市場原理主義の暴風に襲われてきた」と批判し、「制御のない市場原理主義をどう終わらせるかが問題」と述べ、持論の「友愛」論を展開した。
資本主義の所産という出自をもちながらも、友愛や平等を掲げる社会主義に傾倒しているイデオロギーは、論理の倒錯ではなかろうか。
鳩山氏が憧れたブルネイの正体
資本主義は競争による流動性に富んだ社会制度であるのに対して、社会主義(共産主義)はその正反対で競争を排斥する非流動性社会である。
資本主義や民主主義の下で築き上げた富と権力を既得利益として確保するには、ある意味で流動性よりも非流動性のほうが都合が良い。さらに、特権階級の支配者地位を既得利益化し、その既得利益を固定化・肥大化・恒久化するには、資本主義の民主制度よりも社会主義の独裁制度のほうがはるかに都合が良い。
財力と権力、人間が目指す究極のダブルパワーを一度に担保するには、社会主義(共産主義)しかない。目を向ければ、ブルネイはほぼすべての条件がそろっていた。
税金を課さない。聞こえは良いが、世の中はそんなに甘くない。税金とは一旦国民に帰属した富を再度、国家が取り上げる公共コストである。そこでいくら税金を取られたか、誰よりも国民自身が身をもって感じている。その実感から、国民は自ずと税金の使い道にも口出しする。
無税社会とは、税金を課さない代わりに、一次取得富から国家や支配者が勝手にその分を「源泉」控除してしまう、という国家天引き型である。そこに極めて透明な監督制度がなければ、どんぶり勘定で国民搾取の原点となる。「金は国民の皆さんのために使います。余った分は国民の皆さんのために積み立てておくからね」というのがブルネイ。
そのうえ、絶対王権である。そんなブルネイの政体と社会構造に、羨望の眼差しを向けたのが鳩山氏だった。
不平等や格差は雲の上にあればよい
「ブルネイは世界でも屈指の金持ち国家」というが、それは国・国王と一部の特権階級の話であり、広義的な国民全体ではない。一般市民は至ってごくごく普通の生活を営んでいる。市内を走る車もシンガポールや香港、クアラルンプールと比べて高級車の絶対数が断然少ない。ただ他の東南アジア諸国と比較すると、貧困層も少ないのが特徴である。
ドームブルネイのモスク、ウォーターヴィレッジのコントラスト(iStock Editorial / Getty Images Plus / Sophie_James)
社会保障完備で公務員を中心とする格差の小さい国、ブルネイ。これが非常に重要なポイントだ。ある意味で平均的な理想像として、日本人の価値体系に近いかもしれない。
2010年6月に朝日新聞社が発表した全国世論調査で、ある事実が判明した――。 「経済的に豊かだが格差が大きい国」と「豊かさはさほどでないが格差の小さい国」のどちらを目指すかで、「格差が小さい国:73%」が「豊かな国:17%」を圧倒的に上回った。
日本人は、総量の豊かさよりも、格差の解消と平等に価値が置かれたのである。同世代や同期入社と比較して倍ないし数倍の格差をつけられることに、違和感を覚える。一方で、一部の特権階級が数百倍や数千倍の格差をもって、想像もできないような贅沢な暮らしを享受していても、雲の上の人間で自分の視界に入らなければ、どうでもいいのだ。
その影響か定かでないが、日本の富裕層は人前で派手に消費しようとしない。数年前、かなり富裕層の友人が自家用ヨットでクルーズしたり、プール付きの自宅で豪華なパーティーを開いたりするのをフェイスブックに投稿していたところ、大変なことになった。どうやらタレコミされたらしく、国税局からの査察が入ったのだ。これで彼もすっかり懲りたという。雲の上の世界を地上にさらけ出してはいけないのだ。
人間はおそらく、雲の上の「非日常的格差」よりも、目前にある「日常的格差」のほうが受け入れ難いものだ。格差や不平等の可視化は禁物。格差を見せつけられて憤怒した大衆は、ときにルサンチマン的な復讐情念に駆られ、行動に出るのである。日産自動車のゴーン元会長の一件もその好例だった(参照:「ゴーン独裁者への制裁願望、ルサンチマンに遡源する復讐情念」)。
そうした意味で、宗教を除いてブルネイは日本人が目指したい国の理想像といってもよかろう。鳩山元首相いわく「日本人もブルネイに移住したいだろう」という仮説もこれで成り立つ。だが、資源貧国の日本は逆立ちしてもブルネイにはなれない。
日本人にとっての均貧・均中・格差
世の中の国・社会は、4つのグループに分けられる――。
均等に富む「均富」、均等に貧しい「均貧」、均等の中産である「均中」、そして問題の「格差」社会である。
「均富」以外の場合、雲の上にいる少数の特権階級は必ず存在し、彼たちは一定の、時には絶大なる格差をもって君臨している。ただ庶民にとってこれは、非可視かつ非日常的な存在となっている。
「均富」社会は世界のどこにも存在しない。現実は、「均貧」「均中」と「格差」が相互転化する世の中である。中国は「均貧」から30年かけて「均中」にたどり着けずに一気に「格差」社会に突入した。日本は戦後40年かけて「均貧」から「均中」へ、さらにその後30年かけて今は「均中」から「格差」への転化を遂げようとしている。
日本人が望んでいるのは、「均貧」でも「格差」でもなく、「均中」なのだ。その「均中」状態の維持は、資源の存在や市場の拡大、持続的成長を前提としているだけに、今の日本は残念ながらこれらの条件をほとんど持ち合わせていない。
<第5回へ続く>
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