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『テレビ報道の深刻な事態』(2019年3月26日版) 広瀬隆 第一話全文引用 韓国と北朝鮮の民衆が体験させられた苦難の歴史
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投稿者 てんさい(い) 日時 2020 年 9 月 25 日 19:13:55: KqrEdYmDwf7cM gsSC8YKzgqKBaYKigWo
 

(回答先: テレビ報道の深刻な事態 (2019年3月26日版) (広瀬隆)  投稿者 魑魅魍魎男 日時 2020 年 9 月 25 日 03:44:55)

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◆物語の始まり──回顧譚
◆第一話 韓国と北朝鮮の民衆が体験させられた苦難の歴史
 ◆米朝首脳会談によって南北朝鮮に平和が訪れた
 ◆南北首脳会談によって朝鮮戦争が事実上の終戦宣言
 ◆朝鮮半島に生まれた南北朝鮮の歩みと歴史のミステリー
 ◆韓国の強制徴用被害者(徴用工)に対する賠償命令判決の正しい解説
 ◆朴槿恵(パク・クネ)を退陣させた韓国民のロウソク・デモ
 ◆韓国人が実行しようとしている歴史の清算とは何か
 ◆韓国に独裁者を君臨させ、朝鮮戦争を引き起こしたアメリカ軍政と大日本帝国の売国奴
 ◆南朝鮮の民衆が起こしたアメリカ軍政に対する反乱
 ◆南北朝鮮で二つの独立国家が成立し、朝鮮戦争の開戦に向かった
 ◆北朝鮮の日本人がたどった地獄の逃避行
 ◆北朝鮮に朝鮮民主主義人民共和国が成立した経過
 ◆北朝鮮に比べて韓国の生活水準と経済力はひどく劣っていた
 ◆日本で進められた軍国化
 ◆朝鮮戦争が勃発した
 ◆サンフランシスコ講和条約によって日本が独立した
 ◆日本と韓国は独立国家ではなかった


◆第二話 韓国ドラマと韓国映画が教える人間の気概
 ◆反政府活動を展開した韓国の文化人ブラックリストと、記録映画『共犯者たち』
 ◆朝鮮王朝の歴史を描いた時代劇
 ◆日本の植民地統治時代を描いたドラマ
 ◆戦後の韓国を描いたドキュメンタリー・ドラマ
 ◆韓国人の現代生活を描くドラマ
 ◆日本と韓国が崩さなければならない壁は何か
 ◆韓国の財閥問題
 ◆南北朝鮮を貫く天然ガス・パイプラインと交通網


◆第三話 ノーベル賞・東京オリンピック・大阪万博・異常気象
 ◆ノーベル賞騒ぎと、学歴・肩書社会にはびこる無知
 ◆東京オリンピック騒ぎで、福島原発事故を忘れろって?
 ◆大阪万博騒ぎで、おそろしいファミリーが再び動き出したぞ
 ◆二酸化炭素温暖化説の嘘が警告する地球の危機


◆第四話 先人の行動と、残された資料を受け継ぐ人間はいないか?
 ◆日本のテレビ番組はプロの域に達しているか?
 ◆編集者の気概と読書人の気概があって初めて、書籍を売ることが可能になる
 ◆ジャマル・カショーギ惨殺事件とダイアナ妃黄金伝説
 ◆実業史観をもって海外の人脈を調査しなければならない
 ◆次世代に受け継いでもらわなければならない資料が秘蔵されている
 ◆ナチスが略奪した絵画の行方
 ◆広瀬隆文庫
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◆物語の始まり──回顧譚


二人が囲碁で対局している時、 傍かたわらでその勝負を見ている者のほうが冷静に碁盤を見て、対局者より八はち目もく先まで手が読めることを「傍おか目め八はち目もく」という。私は、日本のテレビ番組を信用しなくなって以来、ここ何年も、テレビをほとんど見ない「書籍人間」であった。したがって本稿『テレビ報道の深刻な事態』で、テレビ報道に対して部外者の私が意見を述べるのは、おかめ八目のようなものである。
 その意見が厳しい叱責を述べることになっても、テレビ番組を批判することが目的ではなく、日本のテレビ報道が向上することを目的として記述するので、テレビ報道関係者は私からの批判に激昂 げっこうせず、このような事実が実際にあることを知って、感情を「クール」に抑え、謙虚に耳を傾けていただくよう祈念する。
 私のような部外者が、いくつかの問題について、テレビ報道に対して叱責・批判を述べるからには、本稿でテレビを論評する動機となった奇妙な経緯 いきさつを、初めに述べる。
 2011年の福島原発事故が起こってからテレビ報道を信用しなくなった私が、なぜ「テレビ放送」に目を向けるようになったかと言えば、昨年2018年の春先、4月20日のことであった。その日、私の脳の血管が破れ、アッという間に意識が失われた。そうして一時、半身不随で横たわったままになる死の体験≠通じて、退屈しのぎに、ふとテレビを見た。再びテレビ報道番組を見るようになったきっかけは、この時であった。
 この死の体験≠通じて私が痛烈に感じたのは、これからくわしく実証するように、本来すぐれているはずのテレビ報道が、韓国/朝鮮半島問題、原発問題、オリンピック腐敗問題、地球温暖化キャンペーンと自然災害の誤報、といった「ある種の重要な問題」に限ってだが、突然に大きな間違いを犯して、平然としている世界であった。このような場合の人間の習性は、次のようにたとえられる。「人は、物事がある方向に進み始めると、いっせいに全員が、もっとそれが進む≠ニ言う。ところが、それが逆の方向に進み始めると、同じ人たちが、逆の方向にもっと進む≠ニ言い始める」
 この言葉通り、テレビ局が大きな間違いを伝えているにもかかわらず、 夥おびただしい数の日本人の視聴者がテレビ報道に誘導されて、ニュース解説が事実であると信じて、テレビ画面に釘づけになっている姿が見えた。
 それで、社会がこのまま進んではよくない、という感情が呼び覚まされ、テレビ報道番組に出演しているコメンテイターたちの間違いを指摘し、正しい事実を知ってもらう必要性を痛感し、嫌われることを承知で、今まで自分がまったく書いたことのない「テレビ報道論」という本稿の執筆を手がけようと決意した次第である。
 私がこれから語ることは、一度死んで、死後の世界を見てきた人間の言葉である。これを読めば、読者が生きているうちに、死後の世界を知ることができる話であるから、滅多にめぐり合わない、逸すべからざる天佑 てんゆうだと思って、お聞きいただきたい。
 テレビ報道に関しておかめ八はち目もくの立場にある小生は、世間では、日本文芸家協会の「文芸年鑑」に文化人として登録されている市井の一作家だが、事実上は、肩書を嫌う一匹狼の社会問題の活動家なので、狭い世界では知られていても、現在のテレビ報道界では完全に無名の人間≠ナある。しかし私にとって、この原稿の内容を最も熟読玩味してほしい読者は、小生を知らないそのテレビ報道界である。どこぞの馬の骨≠ニ一いっ蹴しゅうされ、無視されることがないよう、初めに自己紹介をする。小生は、かつてアメリカの放送局CNNから「日本で報道番組を開設するのでニュース・キャスターになってほしい」と、テレビ報道の司会者の依頼を受けた時、「ニュースに対して、自分で調査してから語る人間なので、司会者は不適です」と、その依頼を断った人間である。
 一方、小生はかなり長い間、思考力をかざして書籍を出版し、いつしか著書の発行部数が、2018年で累計450万部を超えたので、「テレビ人間」ではなく、「書籍人間」であった。最初の本の出版が1978年で、当時35歳だった私は、さまざまな視点から意見を伝えるため10のペンネームを使い、十人十色の作家を装って、短編小説集『魔術の花』を自費で発刊し、それが作家・永六輔氏の目にとまって執筆生活を始めた。したがって私の書籍出版生活は、75歳となった2018年に指折り40年を数えた。過去40年間に450万部を発刊したということは、1年間の平均発刊部数≠ェ11万部を超える計算になる。
 ある人から、「あなたの本はどれぐらい出版されているかね」と部数を尋ねられてこの数字を答えたところ、「えっ、11万ってのは、高校野球で甲子園球場を一杯にする人数の2倍を超えるんだよ。あんたの本を、あの野球場を埋める人間の2倍が毎年毎年買って読んでいるなんて……」と、彼は絶句するように驚いていた。
 講演会や集会に参加する人の数に比べて、1年平均11万部は、確かに非常に大きな数に聞こえるかも知れない。しかし驚く必要はない。世の中には、誤ったニュースが大量に流れている。勘違いしたニュース解説も横行し、悪質な嘘(フェイクニュース)も大量に流されているので、そうした過ちを打ち消し、社会の木鐸 ぼくたくとまで言えなくとも、穏当な答となる事実を広めるには、その程度の部数が最低限必要である。
 比較的熱心に本を読む人を「読書人口」というようだが、書店に並ぶ本を見て私が勝手に「真に知性的」と評価する書籍はごく少数に限られるので、日本人の真の読書人口は100人に1人、つまり1%ぐらいであるとみている。したがって、正味の読書人口は1億人のうち100万人程度であろう。すると11万部は、知性的読書人口100万人のうち、ほぼ10%の人が私の本を読んでいることになる。
 昔から、社会の変革は、人口の5%が動き出せば起こると言われているので、社会を変えるきっかけとしては、私もある程度は知識の貢献をしてきた可能性がある。ただし11万部という数字も、1年だけの打ち上げ花火では意味がなく、毎年続けることに物書き人生の価値があり、40年間これを続けることは、読者がお考えになるより、一徹な精神力が求められる作業である。
 このように私自身が書籍を通じて事実を証明する目的は、誰の手によってでもよいから、過ちが事実によって正される≠アとを望んでいるからである。つまり、文学賞を狙う人のように己の名を売ることを望むからではなく、「社会が間違っている時、それに耐えられない」からである。したがって、私が自分で書いた本に著者として私の名前を記すのは、記述内容の責任を明記する以外の意味はない。
 私は、そうした社会問題の追跡調査と執筆作業に命を懸けてきたが、かなり多くの書籍愛好者が私の著書を読んでくれたので、過去に歩んできた人生の軌跡は、大きくは間違っていなかったと自負している。しかし、テレビ報道界に対して傍流の立場にある「書籍専門の人間」が、「テレビを碁ご盤ばんに見立てた世界で、八はち目もく先を読めもしないのに、余計な口を挟むな」という意見を投げる人も多いだろう。
 ところが、かく言う私も、かつて一時期は、ほとんどのテレビ局の報道番組に出演した体験がある人間で、テレビ局の内情については、さまざまな事実を知っているのである。そのためアメリカのCNNから声がかかったのである。一方、「岩波文化人は学者を重用する権威主義」と言われることがある岩波書店が出版し、私も頻繁に利用している『近代日本総合年表』が、この年表の1988年7月30日の社会欄に「テレビ朝日、<朝まで生テレビ>で <徹底討論・原発> 放送(広瀬隆他)」と書き、権威主義者から嫌われ、タブーである小生の名前を記述したほど、小生の出演した「朝まで生テレビ」が社会現象として耳目を集めたことがある。タレントの所ジョージから、面と向かって「広瀬隆は、テレビ局が上映禁止物体≠ノ指定して何も言わせないようにした」と聞かされたのは、そのような時期であった。いや、問題は私にあるのではなく、テレビ報道界にあるのだから、これから述べる当り前の発言に対して、口に蓋ふたをされては困る。
 2011年3月に福島原発事故の大惨事が起こってから今日まで、私は国会議員をはじめ、エネルギー産業界と市民運動から400回以上の講演を依頼され、原子力発電の危険性についてだけでなく、被曝の深刻さについて、エネルギー問題の解決法について、地震の脅威について、ほとんどの会場では「3時間」にわたって語る機会が与えられた。それは、私が『原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島』(ダイヤモンド社)を発刊し、「大地震によって原発の巨大事故が起こる危険性が迫っている」ことを予告したそのほぼ半年後、2011年3月に東日本大震災が発生し、警告が的中する形で福島原発事故が起こったからである。その後の私は、テレビ報道番組よりくわしく、はるかに分りやすく、正確にこれらの問題の本質を講演で説明してきたつもりである。
 しかしテレビ報道界は、小生のごとき報道界から締め出された人間が、福島原発事故後の講演回数が日本一≠ナあるばかりか、昨年2018年に九州で8ヶ所の連続講演′繧ノ疲労のため脳血管が破れて倒れたという現実が、日本全体の知性の低さを示していると思わないだろうか? それは「民衆のため」という視点が鍵を握っているからであり、テレビ報道に最も欠けているのがその真剣さ≠ネのである。私は「テレビ報道は絶対に必要だ」と信ずる。だが、そこに最も強く限界を感じるのは、「テレビ画面には映像があって、画像に視聴者の目を惹きつけられるので、その映像効果のため、事実について大した説明もナシですませてしまっている」ことである。テレビで10分も20分も説明したドキュメントでさえ、書籍用の文章にまとめると、ほんの1、2頁分ぐらいの中身しかないことがよくある。逆に言えば、書籍とは、それほど大量の資料を詰めこんだ知識の宝庫である。事実を語ることが量的に無制限の書籍に対して、テレビ報道の時間は制限されている。そのため、問題を深くあらゆる方向から解析・説明するのを阻んでいることは確かである。私の講演が、テレビ報道と同様に大量の図版を用いて分りやすくしても3時間以上になるのは、重要な社会問題に関する知識としてすべて必要な内容だからであり、来場者がその話の途中で帰ることは絶対にない。それに比べて、テレビ報道番組は、1テーマの割り当て時間があまりにも短すぎる。
 以上のような観点から、具体的に何が問題であるかを読者に知ってもらうため、私は読者と共通の話題となるテレビを見るようにつとめて、日々の出来事について、このテレビ報道論を執筆し始めた。
 テレビ報道番組を見始めた面白いきっかけを述べておく。死を体験し、半身不随となった時の私は、過去と同じように生活を送れなくなった自分の姿を見て、これから先の人生は、今までと違って厳しいものになりそうだと直感した。そして、何を、どうすればよいだろうか、と考え始め、ふとその瞬間、ひらめいたことがあった。最近は、俗悪なものだという先入観から、まず見たことがなかった日々のテレビの報道番組も、死の体験から考えを改め、独り合点でものごとを思索してきた自分の落ち度に気づくかも知れないと考えて、つとめて見るようにした。これが、人生の転機となったのであった。
 しかし、久しぶりにテレビ番組を見始めると、テレビ報道というものは、自分がそれを見なければ知らずにすんだ世界中の出来事を教えてくれ、余計な心配をしなければならなくなる奇妙な道具である、というのが最初に受けた印象であった。たとえ事件が自分と関係のない遠い土地や、見知らぬ外国で起こっていても、テレビ局が勝手にわれわれにニュースを押しつけて教えてくれ、私の思考力に介入してくる厄介な存在であった。この介入の仕方は、新聞・雑誌や書物と違って、相当に強引なものであった。
 さて一方、私はこれまで文筆家であっても、他方で東奔西走・南船北馬の市民運動に打ちこんできた人間だったので、「自分は病人だから、何もしないでよろしい」という認識を人生で初めて抱き、これまでのような日々の作業から解放され、不思議な特権を獲得した気分になった。韓国ではこのような人間を、「三さん食しょく」と呼ぶようだ。つまり定年退職して家にゴロゴロし、居い候そうろうのくせに朝・昼・晩の三度の食事をきちんとほしがる厄介者の旦那を、女房が煙たがって「三食」とバカにするのである。自慢ではないが、私は医者が認める公式の病人になったので、この「三食」とほぼ同等の権利を獲得して、社会問題のあらゆる雑事から解放されて、気分はすこぶるよかった。
 こうして社会と断絶した状態≠ノなり、他人からの連絡を一方的に断って、三食生活を味わうことになった結果、至福の雲に包まれた天国のごとき生活が訪れ、何ごとにも逆らわず、得心がゆくまで各局のテレビ報道を見続けたのである。
 外科手術ナシで、漢方薬だけで、1ヶ月後に奇蹟的に歩けるようになり、その後、リハビリを続け、後遺症もまったくなく、病状がほとんど完治したので、東京・杉並区にある自宅から、時たまバスに乗って荻窪 おぎくぼ駅にうまい食べ物を求めて買い物に出かけるようにつとめ、8月16日には、思い切って電車に乗って吉きち祥じょう寺じまで映画を見に行った。それが、後述する、韓国の光こう州しゅう事件を描いて、韓国で2017年に観客1200万人を動員した名作セミドキュメンタリー映画『タクシー運転手』であった。
 こうして、7〜8月に西日本を襲った豪雨と、猛暑と、9月の台風のテレビ報道と北海道の大地震被害を見て心を痛めながら、夏の季節を乗り切った。ところが私の脳には、あふれた血液がまだ少し残っていたので、10月下旬になって、メニエル氏病が発症した。体を寝起きするたびに、耳の三半規管の平衡感覚が失われ、遊園地のビックリハウスに入ったように周囲と天井がぐるぐる回る激しい目め眩まいに襲われ、これが治まるのに1ヶ月かかった。これではまだ、自分が考えるような完治までにはほど遠い体であると気づいて、しばらく生き延びるために、社会的な活動は自粛することにした。


◆第一話 韓国と北朝鮮の民衆が体験させられた苦難の歴史
 ◆米朝首脳会談によって南北朝鮮に平和が訪れた


 ここまでテレビに関わった経過について説明したが、私の本分は社会悪の鳥獣を追い立てる猟師であった。その猟師が、敢えて社会的な活動を避けなければならない健康状態に追いこまれたのだが、頭の働きが完全に回復した時点で、再び社会的なつとめを果たす意欲がムラムラと体内に沸き上がってきた。
 とりわけ2018年6月12日に、アメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の金キム正ジョン恩ウン労働党委員長が、史上初の米朝首脳会談をシンガポールで実現させ、成功した姿をテレビで見た時から、私の世界情勢に対する解析能力が復活したので、以下に、その解析結果を述べる。
 なぜ本稿の前半をそっくり、この問題の解説にあてるかといえば、私はたびたび韓国を訪れて民主化運動の渦中に身を投じてきた人間だったので、テレビ解説を見聞きしながら、日本のテレビ業界には朝鮮半島(韓国語で韓ハン半バン島ド)について正しく語れる人間がまったく存在しないことを痛感し、やり場のない感情を日本社会に伝える必要性を覚えたからである。朝鮮半島問題とは、日本人が最も重い責任を問われる歴史問題であるから、南北朝鮮が平和になれば、日本人にとって喜ばしい最大の事件のはずである。
 ところが、朝鮮半島通や政治学者と自称する有名・無名の人が山のようにテレビに出て米朝首脳会談を解説したにもかかわらず、この事件の主人公である「韓国と北朝鮮の民衆」がどのように日々を感じて生きているかという、欠くべからざる最重要の視点を簡潔かつ率直に、全面に出して語る人間が誰一人、まったくいなかった。コメンテイターの表情には、事情を知らないにもかかわらず「自分はテレビに出ているのだ」という特権意識がにじみ出ていた。つまり自分の個性をアピールすることを目的として喋っているだけで、彼らの個性など無味乾燥たる野暮なものだということに自覚もなく、極論すれば、形式主義者ばかりと見えた。「朝鮮半島情勢にケチをつける」しか能のないすべての解説者、コメンテイター、司会者のことを言っているのである。例外として、朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」の編集長である在日コリアン二世の辺真一(ピョン・ジンイル)氏だけは、韓国と北朝鮮の事情を正しく理解しているはずの解説者だが、テレビが彼に求めたのは、「政治家」の立場についての説明なので、朝鮮半島の「民衆」の感情を語る機会は与えられていなかった【2019年2月27〜28日の第二回/米朝首脳会談が合意発表に至らなかった件については、別の理由があるので後述する。またその後に新しい大きな展開があれば、この原稿に加筆する予定である】。
 私は韓国の人から話を聞いていたので、少なくともこの米朝首脳会談という世紀の大事件≠ノついては理解していた。韓国の民衆と、北朝鮮の民衆は、いずれもアメリカ/北朝鮮の第一回の米朝首脳会談によって、南北朝鮮の軍事的な脅威が取り除かれた目の前の出来事に、言葉に尽くしがたい喜びを感じていたのである。
 ただし、この感情は、南の韓国の民衆にとってみれば、胸中の半分以上、おそらく7割程度を占めたのが、空を見上げるように大きな希望であっても、残る3割ほどは海より深い疑念であった。希望とは、言うまでもなく「これからは南北朝鮮が平和裡に共存できる可能性が一気に高まった」ことであり、「南北朝鮮が和平に向かえば、南北に離散した家族の再会が可能になる」ことであった。経済的にも、「北朝鮮側に豊富にある地下資源を、韓国で利用できるようになる。さらに鉄道の物流ネットワークとガスパイプラインと送電線が連結されれば、朝鮮半島全体に産業の活性化が起こって、現在発生している若者の失業問題を解決する大きな雇用市場が開ける」だろうと、長いあいだ待ち続けていた展望が前途に見え、祝杯をあげたい気分であった。
 そこに水を差す3割ほどの疑念とは、「では、南北朝鮮の国家統一という朝鮮民族としての悲願は、現実的に、今後どのように成し遂げられるのか」という未解決の問題を捨てきれない韓国民の不安にあった。かつて1989年の「ベルリンの壁」崩壊後に、東西に分裂していたドイツが統一に向かった時には、東ドイツ側が経済も政権も共に崩壊していたので、東ドイツ国民が望んだ通り、西側が圧倒的な経済力で東側を包みこんで、翌年1990年10月3日にドイツ統一を成し遂げることができた。だが朝鮮半島では、北朝鮮の政権が健在である現状では、ドイツのようにはゆかない。最初は朝鮮半島全体にゆるやかな連邦制≠とるなどして、少しずつ巧みに南北朝鮮の交流を段階的に深めてゆく政治的戦略に期待したいが、その青写真ができていない現在、こと南北の「国家統一」に対しては、韓国民として、まだ疑念のほうがはるかに強いのである。
 トランプ大統領と金正恩委員長の初めての会談について言えば、日本のテレビ解説者の全員が「北朝鮮は本当に非核化を断行するか」、つまり容易には核兵器を放棄しないだろうと危ぶんで討論を重ね、その上「日本人の拉致らち被害者の問題をいかにして解決するか」について、とってつけたような疑念を表明し、誰でも分る政治的情勢を語っていただけであった。南北朝鮮の民衆にとって、そのように末梢的な事柄は、まったく歯牙にもかけない問題だということが日本のテレビ解説者には分っていなかった。朝鮮半島では、核兵器や拉致事件が問題なのではない。南北間の敵対関係と、そのため日常的に発生する武力紛争がなくなり、同じ兄弟姉妹の民族が普通に交流することが最も重要であり、それが達成されれば、ほとんどすべての問題は自然に解消されてゆくのである。少なくとも、そのような将来に向かうことで充分なのである。
 拉致問題はどうだろう。北朝鮮による韓国人の拉致被害者は、日本人の拉致被害者に比べて、その数十倍の500人近くに達するのだから、日本よりはるかに大きな問題であるはずだが、韓国民の世論がこの被害者の救済に、冷淡なほど無関心であることには理由がある。1950年の朝鮮戦争以来続いてきた南北の対立から考えて、北朝鮮がそのような軍事的行動をとることは当然の行為である、と韓国民は考えてきたので、そもそも拉致は事件≠ナはないからである。それに対して大半の日本人は、朝鮮戦争以来続いてきた南北の対立を、他人ひと事ごととしか見ない無責任な世界に生きてきたので、この問題について理解できない(理解していない)のである。この日本人の無知の原因と、南北の対立に関する歴史については、のちにくわしく述べる。
 テレビ解説者は、政治的な動きをテレビ視聴者に説明して、私はこんな内情を知っているのだという知識を語っていたが、それで日本の国民をどこに導こうとしていたのであろうか。彼らは、なぜ素直に喜ばなかったのか?
 実は北朝鮮とアメリカの首脳会談という大事件は、誰もが知る通り、2018年2月9日〜25日の17日間、韓国東北部の平昌(ピョンチャン)を中心にして、冬季オリンピック大会が開催された時から、着実にレールが敷かれた出来事であった。
 その2月9日のオリンピック開会式では、各国の選手団が入場したあと、最後に朝鮮民謡アリランのロック音楽が流れる中で、「韓国」選手団と「北朝鮮」選手団の「南北合同チーム」が、国境線のない朝鮮半島を描いた南北朝鮮統一旗を掲げて入場すると、会場を埋めた韓国の聴衆が全員起立して熱烈な拍手を送った。この平ピョン昌チャンオリンピック開会式が、数多くの日本人も見てきた数々の韓国ドラマを再現する雰囲気に包まれて、まさしく南北朝鮮民族の融和を象徴する偉大な祭典の幕開けとなり、その後の「南北朝鮮の平和」に向かって大きな一歩を踏み出したのだ。
 ところが南北合同チームが入場したその感動の瞬間、開会式に参加していた日本の安倍晋三首相は、隣にいたアメリカ副大統領マイク・ペンスの動きをまねて、立ち上がらなかった。この映像は、日本のテレビでは放映されなかったので私は気づかなかったが、のちに韓国人から教えられたのは、南北平和統一の気運に水を差すその無礼な安倍晋三とペンスの態度振る舞いを、韓国の全国民が見て、「これがアジアの平和を主導すべき人間なのか!」と、会場と韓国全体が大きな憤りを覚えたそうである。北朝鮮への強い経済制裁を主張するペンスは、この劇的な2月9日の平昌オリンピック開会式に出席しながら、すぐに退席し、歓迎行事にも参加しなかった。加えて、この時に韓国を訪問していた北朝鮮最高人民会議・常任委員会委員長の金キム永ヨン南ナムが、北朝鮮を代表して「国家元首」格として出席していたにもかかわらず無視するという不遜な態度に終始した。


◆南北首脳会談によって朝鮮戦争が事実上の終戦宣言


 そのオリンピック・ドラマから2ヶ月半後の2018年4月27日、南北朝鮮の首脳会談が南北朝鮮国境の板門店 はんもんてん(パンムンジョム)で開催されたのである!
 残念ながら私はこの時、ちょうど意識を失って半身不随、最悪の時だったので、この最も重要な会談のニュースを、テレビでは直接見られなかった。しかしのちに韓国のハンギョレ新聞などの報道を調べてみると、以下のようであった。
 その日、「北」の首脳は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の朝鮮労働党委員長の金正恩キムジョンウンに対して、「南」の首脳は大だい韓かん民国みんこく(韓国)の大統領・文在寅ムンジェイン大統領が、午前9時すぎに南北朝鮮の軍事境界線を越えて握手してから、会談をおこなった。南北の首脳会談は、最初が2000年の韓国・金キム大デ中ジュン大統領と北朝鮮・金正日キムジョンイル総書記の会談で、二回目は2007年の盧ノ武ム鉉ヒョン大統領と金正日キムジョンイル総書記の会談がおこなわれたので、それに続いて三度目だったが、今回は板門店パンムンジョム宣言と題する共同宣言を発表し、南北朝鮮民族の和解をめざす画期的な会談となったのである。
 その2年前の2016年から2017年にかけて、北朝鮮が原水爆実験とミサイル発射実験をくり返すのに対抗して、アメリカのトランプ大統領が北朝鮮攻撃を示唆して、米軍の空母などを朝鮮半島周辺に続々と派遣して、両者の軍事衝突の可能性が高まり、一触即発の危機的状況が迫っていた。そうした中で、激昂 げっこうする両者に対して、韓国の文ムン在ジェ寅イン大統領が「待った」をかけ、「朝鮮半島の問題は、アメリカのような他国が決めることではない! 朝鮮民族が決める問題だ。南北の朝鮮は二度と同じ民族が戦争をしてはならない」と、燃えるような信念を北朝鮮に伝えた末の成果であった。北朝鮮の金正恩に対して「同じ民族の南北朝鮮が、手を取り合って解決しましょう」と、韓国民の意思を伝えることによって、金正恩の心を動かした成果だったので、政治的駆け引きを目的とした首脳会談ではなかった。 平ピョン昌チャンオリンピックで南北合同チームを組んだ時から、金正恩と文在寅のあいだに流れていた男の友情が、過去の自じ縄じょう自じ縛ばくの憎悪とわだかまりによる対決心を吹き飛ばしていた。
 この2018年4月27日に起こった劇的な南北首脳会談の出来事をくわしく述べる。北緯38度線の軍事境界線上で、文在寅が握手をしながら「こちらに立ちますか」と声をかけると、金正恩がうなずいて軍事境界線を越えて韓国側に入った。歴史的には、北朝鮮の最高指導者が軍事境界線を越えて韓国の領内に入国するのは、これが初めてであった。それは、1945年に日本が無条件降伏して植民地統治から解放された朝鮮半島に、その年からアメリカとソ連が入りこんで朝鮮民族を南北に分断し、敵対させてきたからである。
 そのあと、第一歩に続いて、文在寅大統領が「私はいつ越えられるか」と言葉をかけると、金正恩委員長が「今越えますか?」と誘い、二人は手をつないで軍事境界線を越えて北朝鮮側に足を踏み入れた。
 その後、金正恩と文在寅の二人は二度の会談をおこなってから、「南北は完全な非核化を通して、核なき朝鮮半島を実現する」という文言を盛りこんだ板パン門ムン店ジョム宣言と題する南北共同宣言に署名した。この非核化は、日本では、朝鮮半島の歴史を知らないテレビ解説者たちによって「北朝鮮が核兵器を放棄するするはずはない」といった論調で説明されたが、金正恩と文在寅が謳うたった「核なき朝鮮半島」とは、北朝鮮とアメリカの両国が共に核兵器を放棄することだったのである。
 反共宣伝に熱中してきた日本のテレビ解説者たちが、あまりに史実を知らないので、私は驚いている。韓国の首都ソウルで夏季オリンピックが開催されたのは今を去るほぼ30年前の1988年で、その翌年、ベルリンの壁が崩壊した時期に、私が韓国を訪れて目撃したことを述べる。原子力発電は核兵器に通じるテクノロジーなので、当時の韓国では原発反対運動は死罪になる≠ニ言われた時代だったが、その時、私は韓国の市民運動に招かれて、生まれて初めて韓国に入った。当時、東京の私の自宅に「韓国電力公社」から脅迫めいた電話がかかってくる関係にあったので、「広瀬隆は入国できない」と言われながら、アメリカのCIAをまねた韓国の諜報工作機関である恐怖組織(旧KCIA)の国家安全企画部(安あん企き部ぶ)が、私を泳がせるために入国させたに違いなかった。事実、韓国内に入った私は、安企部に監視されて尾行され、走って尾行をまきながら移動して、講演をたびたびおこない、韓国で初めての′エ発に反対する市民デモの先頭を歩かされた。最後には、私も身の危険を感じてホテルを変えたが、私の行動は「すべて安企部に把握されているから、ホテルを変えても意味がない」と、韓国の人が教えてくれた。
 その間、韓国内に米軍の核ミサイルが大量に配備されている図面を見せられた私は、南北朝鮮の軍事的対立の実情を知るため、列車に乗って北緯38度線の北朝鮮国境まで連れてゆかれた。途中で列車の乗客がほかに誰一人いなくなると、いささか不安に襲われ、心細くなった。やがて危険な国境の板パン門ムン店ジョムに着き、北朝鮮に向けて配備されている「米軍の核ミサイル基地」近くまでタクシーで行った。その時、タクシー運転手から「これ以上近づけば殺される。絶対に基地の写真を撮らないでくれ」と警告を受けた。
 このように過去半世紀以上にわたって、韓国側から北朝鮮をおそろしい核兵器で威圧してきた張本人はアメリカだったのである。これは東西分裂時代のドイツ国民が、アメリカとソ連のヨーロッパ核配備に翻弄されて、核戦争の危機を味わってきた歴史と同じであった。
 日本のテレビ報道界が常識として考えている「北朝鮮は核兵器を放棄しなければならないが、アメリカは核兵器を持つ権利がある」という話は、幽霊屋敷ほどにも奇々怪々な理屈であって、誰が考えても通らないストーリーである。したがって、北朝鮮だけは核兵器を放棄せよ、という軍事的な選択肢は、現在でもあろうはずがないのである。まずここに、常識を欠く日本人コメンテイターが勘違いしている非核化と、南北朝鮮の首脳が謳うたった非核化が、まったく違う意味のものであることを、テレビ報道界は肝に銘じて、アメリカの非核化を平等に俎そ上じょうに乗せなければならないのである。
 そう考えれば、誰でもアメリカの軍需産業が核兵器を放棄するはずがないことに思い至り、ならば北朝鮮も核兵器を放棄しないことを知るはずである。いかなる核兵器廃絶運動をおこなっても、「核保有国は核兵器を手放さない」ということを認識して議論することのほうが人類にとって重要なのである。つまり1945年に広島・長崎に原爆が投下されて以来、政治体制が変った南アフリカ共和国のような国を例外として、「核保有国は核兵器を手放さない」という不文律が、人類の認めてきた常識なのである。
 そうした状況の中で、実は、北朝鮮の三代にわたる首脳の金日成(キム・イルソン)→息子・金正日(キム・ジョンイル)→孫・金正恩(キム・ジョンウン)は、ある時期から、本心では独善的な共産主義国家・ソ連が好きではなくなり、北朝鮮の後ろ楯となってきたモスクワのクレムリンを信用しなくなった。そのため裏では、「北朝鮮の存続にとって重要なのはアメリカである」という政治戦略をもって、いかにしてアメリカを味方につけるかという独自の政策を進めてきた、と言われているのである。
 その北朝鮮がことあるごとに「ソウルを火の海にしてやる」と叫んできた言葉は、韓国の首都ソウルに人口が集中し、南北国境の北緯38度線のすぐ近くにあるので、脅しではなく半ば本気であった。ところが、その北朝鮮軍部にとって最大の軍事作戦≠ヘ、ソウル攻撃ではなかった。北朝鮮に向けて核ミサイルを配備してきたアメリカに対抗して、原水爆を保有し、合衆国本土に到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発することにあったのだ。したがって、北朝鮮にとっては日本も眼中にない。ミサイル発射実験でミサイルが日本の上空を横断しても、北朝鮮の標的は日本ではなくアメリカ本土なので、日本人はまったく心配する必要はない。日本人がそれで空騒ぎするのは、安倍晋三らの軍国主義一派が日本を軍事国家に変える口実に北朝鮮を悪用し、事情を知らないテレビ報道界がそれに乗せられて騒ぐからである。
 こうして北朝鮮は世界最大の軍事国家アメリカ政府に対して、「余計なことをすると、ニューヨークかワシントンに一発お見舞いするぞ」という脅迫に成功して、首脳会談の場に引きずり出すまで手なずけたので、現在はアメリカの出方待ちの状態にある。
 よって私が日本のテレビ報道界に尋ねたいのは、アメリカとIAEA(国際原子力機関)は、なぜ北朝鮮やイランの核兵器だけを非難するのか、ということなのである。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の五大国が核兵器を持っていることをほとんどの人間が常識だと考えていると共に、紛争地域であるイスラエル、インド、パキスタンの核兵器が放任・黙認されているのはなぜなのか? おかしいではないか。この質問に答えられない人間は、北朝鮮の非核化などに言及する資格がないことこそ、むしろ人間の良識であろう。
 したがって国際社会は、あり得ない北朝鮮の非核化を議論して無駄な時間を浪費するより、現実の敵対的武装を解除するという和平に向けての議論を進め、互いに「友好関係を深める」だけで必要充分なのである。なぜなら北朝鮮は、「アメリカが北朝鮮の友好国になるなら、われわれに核兵器は一発も要らない。核の全廃は簡単なことだ」と全世界に向かって宣言しているのだ。それこそが、2019年2月27〜28日のベトナムのハノイにおける第二回・米朝首脳会談を前にしてトランプ大統領が表明した「非核化を急がない」という意味であったはずだ。周囲が、余計な口を挟んで問題をこじらせず、ただひたすら友好・和平関係を結ぶ方向に進めば、現状はそれで完璧な成果だと言ってよいのだ! なぜなら地球全体を平和が支配すれば、核兵器は意味もない道具になるのだから、持つ国だけが莫大な金を浪費してバカを見るだけだからである。
 ところが、朝鮮半島の平和を望まず、戦乱状態を望む人間がこの世に大量にいることを教えたのが、2019年2月28日のベトナム・ハノイにおける第二回・米朝首脳会談の「合意不成立」という結末であった。これは、「アメリカが北朝鮮に求めた完全非核化」と「北朝鮮がアメリカに求めた経済制裁全面解除」が折り合わなかったので、両国の合意声明が出されなかったと説明されたが、事実は、それほど単純ではなかった。
 この合意不成立を仕組んだ人間集団がいたからである。アメリカの野党・民主党が主導する下院議会で、米朝首脳ベトナム会談二日目と同時刻にぶつけて開かれた公聴会で「トランプ大統領は違法行為を犯してきた」と告発したマイケル・コーエンの証言があって、これが朝鮮半島の和平合意をぶちこわしたすべてであった。罵詈雑言を並べてトランプ批判を展開し、醜い証言をしたユダヤ人コーエンは、2006〜2018年5月にドナルド・トランプ大統領の個人弁護士でありながら、この日にトランプ大統領を裏切った。当然のことながら、彼にはその行為の見返りがなければならないので、巨大なアメリカ軍需産業の手先となって利益が得られる正体を見せたのである。もう一人、コーエンの行動と息を合わせてベトナム首脳会談における合意ぶちこわしをリードしたのが、米朝首脳会談に急遽割りこんで参加した大統領補佐官(国家安全保障問題担当)のジョン・ボルトンであり、この男は、1964年に「ベトナム戦争で核兵器を使え」と狂気の核攻撃論を展開した共和党大統領候補のユダヤ人バリー・ゴールドウォーターの支援活動に従事した根っからの悪人で、2003年にイラク攻撃を主導し、数十万のイラク人を殺戮した極悪ユダヤ集団「ネオコン(新保守主義者)」の頭目であった。いずれもトランプの側近だったこのコーエンの証言と、北朝鮮の金正恩をたじろがせたボルトンによる核兵器・ウラン濃縮プラント・ICBMの全面廃棄要求が、米朝首脳会談が目的とした「朝鮮半島の和平合意」どころではない状況をつくり出したわけである。北朝鮮の核施設に関してシロウトのトランプ大統領にとっては、ボルトンの強硬姿勢に口を挟むことはできなかったし、他方、アメリカの軍需産業を前にした金正恩も、ICBMを放棄する道理はないからである。
 ここから先は推測になるが、コーエンは同時刻に「ボルトンがベトナムで米朝合意を完全に破談にする」ことを知っており、他方、ボルトンは同時刻に「コーエンがトランプ批判の証言をおこなって全米のマスメディアを惹きつける」ことを知っていたから、このような結末になったことは、彼ら二人の口調がそれを証明している通り、間違いない。つまり米朝首脳会談前からコーエンとボルトンという狂言回し二人のあいだでこの悪質な劇場ドラマが完全に仕組まれ、そのことに気づかなかったトランプが、いざ会談を始めてみると、二人の罠にはまって、金正恩と約束していた合意発表を取り下げなければならなかったのである。
 したがって、日本のテレビ報道界が、この米朝ベトナム首脳会談の失敗という「朝鮮半島の和平合意声明発表に対するブレーキ」を解説するなら、
 ──「アメリカが保有する世界最大の核兵器を論ずることなく、北朝鮮は核兵器を放棄しろ!」と迫った「アメリカの民主党と、軍需産業・軍需財閥と、俺たちは地球上で最も偉い人間である≠ニふんぞりかえる軍国ネオコン」──が、いかにおそろしい人間集団であるかを痛烈に批判しなければならなかった。ところが日本のテレビ報道で、そうした正しい批判がまったく出なかったことに、驚かされるばかりである。
 テレビ報道に出演した人間たちは、ただトランプ個人と、金正恩個人の政治的な立場を解析しただけである。これはトランプ大統領と金正恩委員長の政治的問題ではない!この時、日本の安倍晋三らの邪悪で危険な軍国主義者も、北朝鮮とアメリカの友好関係が崩れたことを、大いに喜んだことが、状況を明確に物語っていた。
 朝鮮半島のすべての民衆の日常生活と命が、国際社会が北朝鮮に課している意味のない「経済制裁を解除するかどうか」にかかっている問題なのである。トランプは、「金正恩に、原水爆実験とミサイル発射実験をしないと約束させた」と言っていたが、金正恩にとってそれはアメリカの一方的な要求であるから、下手をすれば、再び金正恩と北朝鮮軍部がへそを曲げて、ICBM発射実験に戻るおそれさえある。だがそれは、日本やアメリカの軍国主義者だけが喜ぶ結末である。
 というのは今回と同じように、人類が「これで平和が訪れる」と希望を抱いた直後、大きく裏切られたことがたびたびあった。☆1945年の第二次世界大戦終了後、1950年に凄惨な朝鮮戦争が勃発した。☆1975年にベトナムのサイゴンが陥落してベトナム戦争が終結したと安堵した途端、1979年から泥沼のアフガン内戦が始まってアメリカとソ連の軍国主義者の激しい対立が再燃し、1980年にはイラン・イラク戦争が開戦した。☆1989年にベルリンの壁が崩壊し、翌年1990年に東西ドイツが統一されて東西冷戦が終ったと人類は歓喜したが、1991年から湾岸戦争によって中東は再び戦乱に巻きこまれ、ユーゴ内戦も手がつけれられなくなった。いずれも、政治家より力を持つ軍部と軍需産業が兵器を送りこんで、平穏な日常生活への道を許さないからである。
 以上が現在までの朝鮮半島の状況である。しかしそのようなアメリカ側の薄汚い工作で、朝鮮半島の和平≠ェ崩されるのであろうか? 朝鮮半島では、北朝鮮との和平を切望する韓国民の存在がイニシャティヴを握っているので、現在のところ、和平は崩れないと見ることができるが、日本のテレビ報道界はそれをただ傍観するのではなく、南北が二度と対立関係に逆戻りしないよう全世界が努力するべきことを主張することが、報道機関としての義務である。つまり、太平洋を越えて朝鮮半島・アジア情勢に余計な口を挟むアメリカの軍国主義者に対してこそ批判をおこなうべきである。
 希望的な話としては、朝鮮半島では、軍国主義者の動きを封じこめる一手が打たれていた。日本のテレビ報道では、「和平の合意失敗」だけが大々的に報じられたが、ベトナム米朝首脳会談より重要なことが、その2日後の2019年3月2日に決定されていた。それは、これまで米軍2万人と韓国軍30万人が参加しておこなってきた「大規模な共同軍事演習を今後は一切しない」という両国の軍部の決定であった。この毎年恒例の米韓軍事演習が、北朝鮮を核兵器開発に追いこんできたのだから、大規模演習をしないことによって、アメリカ・韓国・北朝鮮の三ヶ国が和平に向かう軍事的道筋が確実に定められていたと見ることもできる。これは、米朝首脳会談より重要なニュースであった。
 立ち戻ってみると、朝鮮半島でこうした和平の道筋をつける目的で、すべての入口となったのが、先に述べた2018年4月27日の韓国・文ムン在ジェ寅イン大統領と北朝鮮・金キム正ジョン恩ウン委員長の第一回南北首脳会談であったので、この会談の内容を解説する。
 文在寅と金正恩は、この会談で、「朝鮮戦争の終戦」と「平和協定の締結」を目指して、恒久的な平和構築に向けた「韓国・北朝鮮・アメリカ」の三者会談(または、そこに「中国」を加えた四者会談)の開催を積極的に推進することを宣言した。さらに、国境の軍事境界線一帯での敵対行為を中止して、国境の非武装地帯(DMZ──demilitarized zone)を実質的な「平和地帯」とすることを宣言に盛りこんだのである。
 金正恩と文在寅の二人は、「北朝鮮と韓国の全国民が、和睦の握手を交わし、抱擁し合い、経済的な交流を深める日々」を思い描いていた。1950〜1953年におこなわれた血みどろの朝鮮戦争に幕をおろしたあと、喧嘩が喧嘩を呼んで相手を誹謗中傷し合ってきた態度を捨てて、いまだに休戦協定さえ結んでいない南北朝鮮が事実上の終戦宣言を出そう、ということであった。
 よって、ここで、日本のテレビ解説者たちがなぜこの劇的な状況を読み違え
たかという原因を明らかにしなければならない。そもそも日本の無条件降伏によって第二次世界大戦が終った1945年の朝鮮半島の解放と、独立後の韓国の成り立ちの歴史について、日本人がよく分っていない歴史のミステリーに、すべての原因が潜んでいたのである。


◆朝鮮半島に生まれた南北朝鮮の歩みと歴史のミステリー


 1945年の独立後の韓国の成り立ちの歴史とは、以下のようなものであった。
 日本人が自らを「大日本帝国」と呼んで狂気の全アジアの侵略者となり、アジア全土で住民1700万人以上の死者を生み出し、そこに日本人の死者350万人以上を加えると、2000万人以上という凄惨な戦争被害を招き、挙げ句の果て、アメリカとの太平洋戦争に大敗して無条件降伏し、朝鮮半島における日本の植民地統治が終ったのが、1945年8月15日であった。
 しかしそれ以後の「朝鮮半島」の歴史的な経過は、ほとんどの日本人がよく理解していなかったことなので、日本のテレビ解説者たちが読み違えたのも当然であった。日本敗戦の日に、私は2歳半であり、したがって昨年2018年時点で75歳だったが、現在の日本のテレビ解説者たちは、みな私よりずっと若く、戦後に育ったので、1950年の朝鮮戦争については観念的に「アメリカとソ連を後ろ楯につけて南北の朝鮮が戦った」という程度にしか理解していないのである。
 私の場合は、曾祖父の代から母方の先祖が朝鮮半島に移り住み、朝鮮在住の日本人実業家として大成功してきた。それは、現在の韓国の首都ソウルが、まだ日本人によって京けい城じょうと呼ばれ、日本人が朝鮮全土を武力で植民地統治した時代のことであった。そのため私の祖父は、日本が敗戦後には全財産を失って無一文になった。つまり祖父は、朝鮮人に武力で襲いかかった軍人や憲兵ではなく、民間人ではあったが、日本の植民地統治時代に朝鮮人を酷使した朝鮮総督府に見こまれた実業家だったので、植民地統治という悪事に関しては同根であった。
 のちにそれを知った私自身も、自分の祖先について後ろめたいものを感じてきたので、わが家の先祖の根の深い歴史については、すでにくわしく調査して、韓国の親しい友人にはすべて隠さず伝えてきた。しかし、いまだに確認できない不明な部分があって、解明しなければならないことが原稿に残って調査中なので、別の機会に長大な「広瀬隆のファミリー・ヒストリー(自伝)」を語るつもりである。そのためこの原稿では、わが家に関する個人史は記述しない。だが、朝鮮半島と朝鮮戦争の歴史について私がくわしく調査しながら、南北朝鮮のあいだで同じ民族が戦わされた「朝鮮戦争」の本質について、私自身も、その歴史的な経過について知らない事実が多々あったことを率直に告白してから、以下の歴史の真相について語りたい。
 朝鮮戦争と対比されるベトナム戦争について、私は無知ではない。私の世代の日本人は、ベトナム戦争において、アメリカの政治家と軍人だけでなく、大資本家が、インドシナ半島でいかに残忍非道な殺人行為をおこなったかという点について、経過も人脈も調べつくして理解をしている。それに対して、朝鮮戦争についての日本人の知識は、隣国でありながら、実に乏しいのである。2019年に76歳の私にしてそうなのであるから、戦後生まれの日本人が、まったく無知になったのも致し方ないのである。
 しかしこの史実は、そもそもの始めから説明すると、多くの人は理解できるようになる。
 連合国のポツダム宣言を日本が受け入れ、1945年8月15日に、無条件降伏した時点で、朝鮮半島では朝鮮民族が解放された。そしてこの解放の日を、朝鮮では、「自由の光が戻った」との意をこめて「光こう復ふく節せつ(クァンボクチョル)」と呼んで祝ってきた。したがって、この出来事はヨーロッパにおけるナチスからの「パリ解放!」と同じであった。つまり前年1944年6月6日に、アメリカ中心の連合軍がフランス北西部ノルマンディーに史上最大の上陸作戦を開始し、続いて8月15日に連合軍の大軍が南フランスの地中海沿岸に上陸した。かくして8月24日にパリ市民が反ナチス武装蜂起を起こすと、翌日8月25日に連合軍がパリに入城して、ヨーロッパにおいてナチス・ドイツからの「パリ解放!」を果たし、米軍兵士とパリジェンヌが抱擁し合った。それから一年後の1945年8月に、アジアの朝鮮半島では、それと同じ性格の光復節に、朝鮮人がフランス人と同じように自由を手にして、歓喜に満たされたのである。
 このパリ解放と光復節を対比してみよう。その後のヨーロッパでは、1945年5月7日に戦争犯罪者のナチス・ドイツ第三帝国が無条件降伏して敗北後、ドイツが共産主義国と資本主義国の勢力によって東西に分割され、1990年10月3日に東西ドイツが統一されるまで45年間という長期間にわたって、ドイツ人は歴史的な処罰を受けた。
 ところが朝鮮では! 侵略者であった日本は分割されずに、解放されたはずの朝鮮が南北に分断され、朝鮮が再び植民地化される地獄に投げこまれたのである。 解放された光復節後の朝鮮が植民地化されたって? それは本当か? では、なぜなのか、という最大のミステリーが歴史に潜んでいる。この大きな疑問を、私自身を含むわれわれ日本人が持たずに、今日まで生きてきたことが間違いだったのである。
 一体、朝鮮の分断と、朝鮮戦争とは何であったのか?
 それを考える時、1943年1月24日に東京に生まれた私が2歳半の時に、日本が敗戦を迎えたのに対して、現在の韓国大統領・文在寅(ムン・ジェイン)は、ちょうど10年後の1953年に、私と同じ誕生日1月24日に生まれたので、彼は1945年の光復節による朝鮮民族解放の出来事を体験していない世代である。そして勿論、1950年6月25日から始まった朝鮮戦争も知らない。3年後の1953年7月27日の休戦協定によって朝鮮戦争が終った時でさえ、彼は生後6ヶ月という赤ん坊時代の出来事にすぎなかったので何も知らない。ところが彼は、北朝鮮の金正恩との首脳会談によって、南北朝鮮の統一に向けて偉大な一歩を踏み出すことができたのだ。その理由を考えてみよう。
 文在寅大統領の両親は、朝鮮戦争が開戦した日、1950年6月25日に、北朝鮮領の東岸の港湾都市・興フン南ナムに住んでいたが、年末の12月になって興南を去り、韓国南端の 慶キョン尚サン南ナム道ドにある巨コ済ジェ島ドに移った(このあと17頁の地図参照)。しかし両親は北朝鮮を脱出したいわゆる「脱北だっぽく者しゃ」ではなかった。というのは、開戦3ヶ月後の9月15日に、ソウル西方の仁川(インチョン)港に米軍が上陸作戦を成功させてから、北朝鮮に進軍を続けた米軍が興南を占領した。ところがそこに、北から共産主義国・中共(中国)軍が進軍して反撃してきたため、米軍がひとまず「興南からの撤収」を決め、その時、米軍が「興南の住民」を勝手に上陸用大型軍艦に乗せて、韓国南端の巨コ済ジェ島ドに急ごしらえでつくった避難民収容所に運んで収容したのである。こうして米軍に、どこに行くかも知らされずに韓国まで輸送されたのが文在寅の両親であり、この両親のもとで開戦2年半後の時代に生まれ、二男三女の長男として育てられたのが文在寅であった。では、彼の両親が住んでいた北朝鮮の興南とは、どのような所だったのだろうか。
 1910年(明治43年)に日本が韓国/朝鮮を武力で併合して以来、朝鮮全土を軍事侵略して植民地統治していた時代の1927年に、熊本県水俣 みなまたに工場を持つ日本窒素肥料(後年のチッソ)が、日本人が「こうなん」と呼んでいた興南に子会社「朝鮮窒素肥料」を設立して、10年後の1937年には朝鮮と満州の境界を流れる鴨おう緑りょく江こうをせき止めて東洋一の水すい豊ほうダムの建設に着工した。琵琶湖の半分の面積を水没させるこの巨大工事で朝鮮人と中国人の土地を略奪したチッソが、600万坪におよぶ化学軍需コンビナートをつくりあげて、興南一帯を支配したのである。そうして水豊ダムから得た豊富な電力を朝鮮全土と満州に供給して、日本敗戦時に従業員4万5000人というマンモス企業になった同社は、戦後に世紀の大公害「水俣病」を引き起こす犯罪企業であり、朝鮮総督・南次郎の指令のもと、強制連行した朝鮮人労働者を牛馬のように酷使した。そのチッソ本拠地・興南に、文在寅の両親が住んでいたのである。
 その時代の親の労苦について文在寅は何も語っていないが、のちに弁護士となってから、日本の植民地統治の残忍きわまりない史実を知ったのが文在寅だったので、彼の実体験に基づいた深い見識と、現在の日本人のあいだには、知識に雲泥の差があった。文在寅が6歳で小学校に入学する直前に、一家は巨コ済ジェ島ドから近くの朝鮮南部の最大都市・釜プ山サンに引っ越し、ここが彼の第二の故郷となり、釜山が、のちの弁護士活動の本拠地となった。ところが一家は、文字通りの貧困のため、アメリカが無償援助した余剰農産物のトウモロコシ粉の粉乳がカトリック教会で配られると、文在寅がバケツを持って並び、そんなこんなで母が熱心なカトリック信者になり、文在寅も小学校3年の時に洗礼を受けた。大半の生徒は貧困のどん底にあって、弁当を持って来られなかったので、学校がトウモロコシの餅もちやお粥かゆを給食に出し、そういう給食を食べる困窮にあえいだ文在寅は、母が行商で家族を養う生活のため学校の月謝が払えず、教室から追い出されるほどの苦学生であった。
 ほんの先年の2002〜2003年に韓国の公営放送MBCテレビで放映された朝の長編連続ドラマ『人生画報』に、まさにこの朝鮮戦争開戦と同時にソウルから釜山に避難した家族の貧しさがもたらした、すさまじい葛藤と波瀾万丈の生活が描かれたが、文在寅一家は、釜山でそのドラマに出てくる文字通り最底辺の生活であった。
 ここで、現代の韓国人に関する知識もまた、日本のテレビ解説者・コメンテイターたちが知っておくべき、本稿の重要なテーマなのでふれておくと、この連続ドラマ『人生画報』に主演した人気男優・宋一国(ソン・イルグク)の母方の曾祖父は「金佐鎮(キム・ジャジン)将軍」として知られる実在の抗日運動の英雄であった。1910年に日本が韓国(朝鮮)を併合して植民地化後、1919年3月1日に朝鮮人が三・一独立運動≠起こして、京城や平壌などで日本の植民地に抵抗する「朝鮮独立宣言」が発表されると、激烈な反日運動が朝鮮全土に拡大したが、日本人によって7500人が大量虐殺されて運動は弾圧されてしまった(数字は『朝鮮独立運動の血史』、朴殷植(パク・ウンシク)著、姜徳相(カン・ドクサン)訳、平凡社東洋文庫)。ところが翌年1920年10月21日から、満州の青せい山ざん里り付近で、日本軍に対して、朝鮮人の独立運動武装組織との間で戦闘がおこなわれ、キム・ジャジン将軍率いる朝鮮独立軍が日本軍を壊滅して大勝利をおさめた。その史実が、別の長編韓国ドラマ『野人時代』で、実話に基づいて描かれた。したがって、この将軍の実のひ孫である魅力的な韓国人俳優ソン・イルグクも筋金入りの日本帝国主義批判≠フ活動家であり、偉いもので彼は、先年、2012年8月15日の光復節に合わせて独トク島トまでリレーで泳ぐイベントに参加した。独島とは、日露戦争つまり「朝鮮侵略のために日本が戦端を開いたロシアとの戦争中」の1905年2月22日に、日本人が独島を一方的に領土化して「島根県の竹島」と命名したため、日本が朝鮮侵略の扉を大きく開いた行為の 証あかしとして、韓国が領土権を主張している日本海の島である。
 奇しくも読者の目の前、今年2019年3月1日に、韓国で三・一独立運動100年記念行事がおこなわれたのは、100年前の1919年3月1日当時、植民地統治反対に決起した勇気ある国民の歴史を胸に刻むと同時に、日本人によって独立運動が弾圧され、朝鮮全土で虐殺された朝鮮人死者7500人を追悼するためであった。この記念日の悲劇を、テレビ報道のコメンテイターをはじめとする現在の大半の日本人がまったく知らなかったり、隣の国の行事だとして「他人ひと事ごと」と見ている。そのこと自体が、虐殺した加害者側の日本人の驚くべき無知を示しているのである【写真は「三・一独立運動」で処刑される朝鮮人】。
 話を先に進めすぎた。
 1945年8月15日に日本が無条件降伏した結果、朝鮮全土で朝鮮民族が解放された時代に戻ってみる。この光復節のあと、「侵略者であった日本が分割されずに、解放されたはずの朝鮮人が南北に分断されて苦しめられてきた」──それは、なぜなのか、という歴史の謎を解いてゆこう。
 一般的な解説では、この時、「朝鮮半島の北部にはソ連が軍隊を進め、南部にはアメリカが軍隊を進めたので、資本主義国・アメリカと、共産主義国・ソ連のイデオロギーの対立のために、南北が分裂される道を歩んだ」ということになっている。この説明には、どこにも間違いはないが、具体的にアメリカ政府がとった朝鮮政策を見てゆくと、そのように単純な話ではなく、解放されたはずの朝鮮人が、再び植民地化の牢獄に投げこまれるという、朝鮮人から見て絶対に納得できないことが起こっていたのである。
 日本が無条件降伏する少し前から説明する。
 1945年8月6日に広島に原爆が投下され、8月9日に長崎に原爆が投下されて日本の敗北が決定的となった時、ソ連はその前日の8月8日に日本に宣戦布告し、中国東北部の満州と朝鮮への進攻に踏み切った。8月9日にはソ連軍が150万の兵力で日本軍に対する攻撃を開始し、朝鮮北部を爆撃したため、日本軍の前線が一挙に崩壊して、ソ連軍は破竹の勢いで満州から朝鮮半島に向けて進軍し、翌日8月10日に、アメリカの短波放送が「日本の無条件降伏」を予告した。この時、日本の敗北を夢想もしていなかった朝鮮人社会では、日本が敗北することを最初に知ったのが、朝鮮植民地を支配する日本の統治機関「朝鮮総督府」であった。当時、朝鮮にいた日本人は、軍人を除くと、一般の民間日本人は、推定で朝鮮北部に28万人、南部に44万人で、合計70万人余りとされているが、そこに満州からの日本人避難民が押し寄せてきたため、統計によってこの数字が異なり、正確な数字は不明である。この民間人に、軍人と警察を合わせるとざっと100万人以上の日本人がいたと考えられ、「日本敗戦」を予測した朝鮮総督府は、敗北後にこの日本人が朝鮮人に襲われないようにしなければならなかった。
 そうこうするうち8月12日、ソ連軍が地図の矢印の朝鮮東北部の要港・羅
津(ラソン)と清津(チョンジン)に上陸してきた。この時、米軍は、まだ日本を攻撃中で沖縄にいたので、「ソ連兵が朝鮮全土を占領する」のを食い止めるために、アメリカは南北朝鮮のあいだに急いで境界線を引くことを迫られた。
 実は8月10日(日本時間8月11日)、アメリカ国務省・陸軍省・海軍省による日本占領政策合同会議(State-War-NavyCoordinating Committee──SWNCCスウィンク)において、ソ連兵の朝鮮進攻を知った陸軍参謀本部の戦略政策委員会で、ディーン・ラスクとチャールズ・ボーンスティール三世が、南北朝鮮を分割する境界線を立案していたのだ。この二人によって、フィリピンのマニラにいたアメリカ太平洋方面軍の陸軍司令官ダグラス・マッカーサーに送る緊急指令として「北緯38度線(地図の赤い線━)による南北朝鮮の分割案」
が提起されて、現在の南北朝鮮の境界線≠ニなる緯度が決められていたのである【この立案者ディーン・ラスクは、のちに朝鮮戦争中の1952年からロックフェラー財団理事長となり、1961〜1969年にケネディー/ジョンソン政権の国務長官をつとめてベトナム戦争を進める男であり、ボーンスティールもまた同じ時期の1966〜1969年に韓国駐在の米軍総司令官として、韓国軍をベトナムの戦場に送りこむ男であった】。
 かくして8月14日に、「北緯38度線を境界にした朝鮮半島の分割占領案」をアメリカがソ連軍に通告したので、当時アメリカに従っていたソ連軍がそれを受諾した。
 一方、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の連合国が、7月のポツダム宣言で日本に無条件降伏を求めていたことに対して、広島・長崎に投下された原爆によるすさまじい惨禍を知った日本政府が8月14日に降伏を決定して、「ポツダム宣言を受諾する」とアメリカ政府に通告した。この報告が、朝鮮の朝鮮総督府と日本軍にも伝達され、翌15日に昭和天皇の降伏放送がおこなわれると伝えられた。そこで敗戦を知った朝鮮総督府の日本人は、最後の朝鮮総督・阿部信行のぶゆきが、朝鮮人による報復をおそれて逃げ腰になり、日本人の生命と財産の保護のための処理を、部下の政務総監・遠藤柳作りゅうさくに任せたので、遠藤柳作は急いで朝鮮人の調停人を探した。朝鮮人側の多くは、日本人との交渉を渋ったが、遠藤柳作は朝鮮人代表の一人である社会主義者・呂運享(ヨ・ウニョン)と接触し始めた。
 日本が降伏することを知らされて交渉に臨んだ呂ヨ運ウ享ニョンは、日本に対して「朝鮮人の政治犯と経済犯を即時釈放すること」を求めた。さらに「これから8〜10月の3ヶ月間の食糧を朝鮮総督府が確保すること」を要求し、「朝鮮人はこれから建国運動をおこなうので、朝鮮人が治安を維持して、建国運動のための政治運動と、朝鮮人の学生と青年の訓練が必要である。そして朝鮮人の労働者と農民を、建国事業に組織動員する。以上のことに対して、朝鮮総督府が一切干渉しないこと」を明確に要求し、これらの要求を呑むなら日本人の生命と財産の保護に尽力すると約束した。遠藤柳作がこのすべての条件を呑んだ結果、左派の呂運享が、朝鮮総督府から行政権を移譲された。しかし朝鮮人の右派は、左派の朝鮮人・呂運享が行政権を握ったことに不満で、同意していなかった。
 このような裏交渉が進められる中で、1945年8月15日に、日本が無条件降伏した。
 日本の本土と同様、朝鮮でもこの日の正午に、よく聞こえないラジオから昭和天皇の日本敗北を告げる玉音放送が流れた。すると、首都・京城の朝鮮人の市民が「光復(解放)」を知って、「マンセー(万歳)! マンセー! 朝鮮勝った、朝鮮勝った」と一斉に家から飛び出して来て、歌ったり踊ったりした。そして京城の町じゅうの家の屋根に、手作りで日の丸を書き換えた朝鮮国旗「太たい極きょく旗き」が波のように 翻ひるがえった。
 この時、日本の本国では、強制連行などで日本にいた朝鮮人(在日朝鮮人)は236万人以上という膨大な数に達していたが、日本敗戦のこの日から、全員が無国籍になった。このうちおよそ170万人が小舟などで朝鮮に帰国し、60万人が日本にとどまることになったが、在日朝鮮人は、このあとに韓国初代大統領・李イ承スン晩マン(日本語読み、り・しょうばん)が実施した反民族的な南北分断政策と独裁政治を支持しなかった。こうして在日朝鮮人は、その後の韓国を支配したアメリカ軍政と、日本を統治するGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策によって、不条理にも弾圧される民になった。
 この8月15日から翌16日にかけて、朝鮮総督府は、京城の西大門(ソデムン)刑務所に投獄していた朝鮮人の政治犯と経済犯を、約束通り釈放し始めた。一方、呂ヨ運ウ享ニョンは朝鮮建国準備委員会を組織して、そこに左派の人脈を結集した。
 8月16日から、すべての朝鮮人はこの【写真】のように歓喜と共に朝鮮服に着替え、朝鮮の国旗・太極旗を打ち振り、群をなした人たちが道路を練り歩いた。呂運享の朝鮮建国準備委員会は、その朝鮮人社会に対して、日本人に暴力を加えることなく日本帰還に協力するよう求めた。
 この時、朝鮮人の建国準備委員会は、治安部隊を組織し、日本の植民地統治時代の売国奴である朝鮮人の親日勢力≠追及し始めていた。しかし南朝鮮では、全土に展開した23万の日本軍人が日本人の安全を徹底して守ったので、朝鮮人に襲われたり殺される日本人は、いなかった。
 一方の朝鮮人社会は、こうして解放直後から権力の空白状態が生まれた期間、朝鮮人の人民委員会が中心になって、混乱状態にある秩序の維持につとめた。そして国外にいる朝鮮人を朝鮮半島に帰国させる行動を促し、食糧難の対策にあたった。こうした委員会は、8月末までに南朝鮮全土に組織されて広がり、名称は地方ごとに、治安隊または保安隊、建国準備委員会、人民委員会などと異なった組織名で活動したが、これらは上意下達の委員会ではなく、いずれも民衆の自発的な活動によって組織されていた。
 ところが! 8月20日になって、フィリピンの首都マニラにいたアメリカ太平洋方面軍のダグラス・マッカーサー司令官が、朝鮮総督・阿部信行に対して「南朝鮮の治安維持に全面的な責任を持つこと」を特別命令として指示し、日本人による南朝鮮の治安維持」を命じたのである。そして米軍が朝鮮に到着するまで、敗戦国の日本軍が鉄道・電力・水道などの重要施設と刑務所を警備するよう命じたのだ
 これは、連合軍がナチスからのパリ解放後に、犯罪者のナチス・ドイツ軍にフランスの治安維持を命じたかのような出来事であり、奇っ怪な、あってはならない命令であった。つまりこの日から、南朝鮮の人々は、解放されなくなったのである! ここから、朝鮮戦争の導火線となるアメリカ軍政府の悪逆非道な朝鮮政策がスタートしたのだ。
 翌日の8月21日になって、日本の内務省が、「アメリカとソ連が、北緯38度線を境界にして、朝鮮を南北に分断し、南側をアメリカが、北側をソ連が占領するという政策のもとに武装解除を進める」と朝鮮総督府に打電した。マッカーサーの指令と共に、この打電によって、米ソによる朝鮮占領と南北分割の密約を初めて知った日本側は、朝鮮人・呂ヨ運ウ享ニョンと交わした「朝鮮人の建国準備委員会に対して行政権を移譲する」と約束していた取り決めを一方的に破棄した。そして総督府に代って、23万の軍人を擁する日本陸軍が治安の確保をおこない、大国の米軍とソ連軍に行政を移譲させて日本人を安全に帰還させるという方針に切り換え、大日本帝国の軍隊を動員して、朝鮮人が接収していた警察署と放送局を、再び日本人が接収したのである。そのため日本軍はほぼ1ヶ月間、武装解除をせず、しかも日本が敗れたため自暴自棄になって、朝鮮にあった工場の機械を破壊したり、相変らず乱暴狼藉を働いたとされている。【以上すべては北緯38度線より南の朝鮮南部の話であり、朝鮮北部では、ソ連が侵攻したために南部とは違って、日本人が大量に死亡したので、この経過はのちに北朝鮮の項でくわしく述べる。】
 フィリピンを発って日本に向かったマッカーサーは、8月30日に神奈川県の厚あつ木ぎ飛行場にコーンパイプをくわえて降り立った。そして3日後の9月2日に、マッカーサー立合いのもと、東京湾に停泊するミズーリ艦上でアメリカ・イギリス・ソ連・中国・オーストラリア・ニュージーランドなど連合国の代表に対して、日本が無条件降伏文書に調印して、「日本敗北」の戦争が公式に終り、占領軍GHQが日本全土を占領した。
 日本時間同日9月2日、トルーマン大統領が、マッカーサーに対して、連合国最高司令官GHQ一般命令第1号≠ニして、「北緯38度線によって朝鮮を分割して、米軍が南朝鮮を占領する」ことを通達し、正式に南北朝鮮の分断が始まったのである。
 一体全体、解放されたはずの朝鮮半島を、米軍が解放せずに占領したという、この奇妙な経過の「動機」は何であったのか? 結論を最初に言ってしまうと、米軍が南朝鮮を占領した動機は、アメリカが、アジアに広がりつつあった共産主義勢力によるドミノ倒し現象をおそれて、南朝鮮を共産主義者に対する防壁「反共の砦」とする政策にあった。そのためには、南朝鮮の民衆をアメリカが自在にコントロールできなければならなかった。つまり後年のベトナムでおこなわれたアメリカの軍事政策と同じ蛮行が、ここ朝鮮半島で展開されたのだ。そこで、この日以後、「解放されたはずの朝鮮人が、再び植民地化の牢獄に投げこまれた」のである。南朝鮮の民衆がアメリカによって植民地統治されたというこの重大な史実が、われわれの世代の日本人に、今日までほとんど認識されてこなかったのである。
 アメリカが南朝鮮を「反共の砦」とする政策の裏に進行していたのは、中国において毛沢東もうたくとう率いる共産党軍が、全国解放戦争に突入し、 蒋介石(しょうかいせき)の国民党軍を破竹の勢いで追いつめ、共産主義勢力を拡大している戦況であった。アメリカはその共産主義勢力を、南朝鮮と日本で食い止めるのに必死だったのである。
 この時、すでに北朝鮮に進駐していたソ連軍はどうしたのであろうか。8月16日に、ソ連の独裁者スターリンは、「ソ連軍が北海道の北部を占領する」ことを公式にアメリカに提案して日本を占領する強欲な意思を示したが、アメリカのトルーマン大統領は日本を単独で占領支配する計画だったので、この提案を拒否した。それでもソ連はすでにこの年2月のヤルタ会談で、対日参戦の見返りに「北海道の千ち島しま列島をソ連領にする」という約束をアメリカからとりつけていたので、8月18日にソ連軍が千島列島に侵攻し、9月5日までに択捉えとろふ島・国後 くなしり島・色しこ丹たん島・歯はぼ舞まい群島の「北方四島」を占領した。同時に8月29日までに北朝鮮全域を占領したソ連は、「日本占領は、ドイツと同じように、連合国による分割占領方式をとるべきである。解放された朝鮮に分割線を引くべきではない」と主張したが、アメリカは再度ソ連の要求を拒否した。
 やむなくここでソ連が、アメリカの政策に妥協したことによって、加害国・日本が分割されず、被害国・朝鮮が分割されて占領されるという異常な約束のもと、朝鮮の悲劇が再び始まり、「北緯38度線による南北朝鮮の分断・占領」という民族の悲劇が確定されてしまったのである。その時、このように米軍が南朝鮮を支配した理由について、日本占領軍であるGHQの高官が奇怪な発言を放っていた。「朝鮮は、大日本帝国の一部として、われわれの敵であった。したがって、日本と同様に、朝鮮において降伏条件が守られているかどうかを監視する」と明言したのである。
 朝鮮人が連合国アメリカ人の敵だって?
 先に述べた通り、日本の植民地統治時代、1919年3月1日に朝鮮三・一独立運動≠ェ起こると、京城(ソウル)では延べ60万人が反日デモに参加し、日本人に虐殺された死者が7500人を数え、その翌年の1920年には金佐鎮(キム・ジャジン)将軍率いる朝鮮人たち、無数の独立運動の武装組織が決起し、朝鮮人が国を挙げて激しい抗日活動をおこなってきたではないか。これらの事実さえ、アメリカ人は知らなかったのだ。
 かくして1945年9月4日、朝鮮の首都・京城のすぐ西にある港・仁川(インチョン)沖に、占領軍である米軍第7艦隊が姿を現わすと、9月6日から、上陸した米軍が京城に向けて進駐した。ところがアメリカの軍隊は朝鮮について無知であり、進駐した目的は、朝鮮半島に対する「ソ連の覇権拡大を阻止する」ことだけにあった。しかも、ちょうどその9月6日に運悪く、左派・呂ヨ運ウ享ニョンの朝鮮建国準備委員会が、共産主義的な朝鮮人民共和国の樹立を宣言したので、彼らは米軍と真っ向から対立することになった。
 こうした状況下で、翌日の9月7日に、マッカーサーから朝鮮人民向けの布告第1号が次のように発表された。「近日中に、米軍が北緯38度線より南の朝鮮領土を占領する。朝鮮統治の権限は私(アメリカ軍政)にある。朝鮮人民は私の命令に服従しなければならない」──このように植民地統治宣言が下され、「諸君の財産権を尊重する。英語を公式言語とする」と、まるで朝鮮が自分の持ち物であるかのように傲慢な文句が付け加えられたのであった。
 この布告によって、南朝鮮全土に組織されていた人民委員会は解散を命じられ、アメリカ軍政に違反する者は軍法会議によって厳罰に処せられた。続く布告第2号では、「厳罰には死刑を含む」とされ、それまでの日本の朝鮮総督府と同じ悪政をおこなう政府が生まれ、しかし今度は、アメリカの白人支配者が、南朝鮮に君臨したのである。
 9月8日に、アメリカの連合軍司令官ジョン・ホッジ中将が、2個師団4万5000人の米軍兵士を率いて京城に入ると、この都市を、首都を意味するソウル(Seoul)と呼び換え、南朝鮮一帯に軍政を敷き始めた。日本軍は武装したままこの米軍を迎え、朝鮮人に対して最後まで威圧的姿勢で臨もうとした。このアメリカ軍政による支配は、のちに韓国が形式的に国家として独立し、初代大統領・李イ承スン晩マンに政権を移譲する1948年9月11日まで3年間続いた。この経過を日本人に分りやすく言えば、南朝鮮は日本敗戦直後の沖縄と同じように、米軍基地の中に人間が暮らす国家にされてしまったのだ。
 9月9日に、沖縄からソウルに進駐した米軍の第24軍団を率いるホッジ中将が朝鮮総督府に赴いて、総督・阿部信行に朝鮮の統治権を移譲する文書への署名を求めた。そこで阿部が署名後、朝鮮総督府前の広場に掲げられていた日の丸が引き降ろされ、この瞬間をもって、日本の朝鮮支配が完全に終りを告げた。ホッジは日本人に対して「来年1946年3月末までに日本に引き揚げよ」と命じ、さらにアメリカ軍政部は、ソウルに入るなり、午前0時〜4時のあいだ、夜間通行禁止令(夜間外出禁止令)を発した。この禁止令は、1982年1月5日に解除されるまで実に37年間続けられ、韓国人は自分の国に住んでいながら、深夜になると自由に外出することも許されなくなったのである。
 こうして1945年9月20日に、アメリカ軍政庁が正式に発足したのだ。
 ソウルに集まっていた朝鮮人の政客は、社会主義者と資本主義者の左右に分裂していたので、この奇怪な状態で解放された朝鮮半島≠フ苦難が始まると共に、米軍が両者を引き裂いて朝鮮戦争に向かって突っ走り始めたのである。このアメリカ軍政が、朝鮮人に対して何をしたかと言えば、信じられないことではあったが、朝鮮総督府に日本の売国奴として雇われていた朝鮮人を引き立て、その親日派£ゥ鮮人がこのあと南朝鮮(韓国)の新しい支配層にのし上がっていくようにレールを敷いたのである。
 この時期に米軍に取り入って支配階層になった親日派≠ニは、何者だったのか。
 日本の植民地統治時代の朝鮮警察には、日本に雇われた売国奴として朝鮮国民を苦しめた朝鮮人の警察官が多数いて、彼らは日本人名を名乗って、警察官や法律(裁判所)関係者となった売国奴の朝鮮人であり、日本の朝鮮総督府と特高(特別高等警察)の権威を笠かさに着て朝鮮人に命令を下し、威張り散らしてきた。ところが日本が敗北したので、いまや彼らは朝鮮人の民衆の怨えん嗟さの的であり、解放と共に民衆からの復讐を恐れ、ほとんどの者が姿を隠していた。そこにアメリカの軍政が進出してくると、米軍が南朝鮮(韓国)の治安を維持する目的のため、親日派≠呼び戻し、そのうち5000人以上を採用し、新生国家となるべき朝鮮の警察幹部が彼ら売国奴で占められてしまったのだ。かくして親日派≠フ警察官と法官たちが米軍の要請によって復帰し、今度は米軍の威を借りて権勢をほしいままにするようになったのである。 このような経過の中、「南朝鮮」では翌年1946年春までに、一般の日本人のほとんどが引揚げ船で帰国した。 


◆韓国の強制徴用被害者(徴用工)に対する賠償命令判決の正しい解説


 この歴史が、読者の目の前で現代に起こった事件の由来を説明しているのである。
 昨年2018年10月30日に、韓国大法院(最高裁判所)が、日本の植民地統治時代に強制労働をさせられた朝鮮人に対して、1人あたりほぼ1000万円の賠償をするよう、戦時中の日本企業である日本製鉄(現・新日鉄住金)に命令する判決を下した。この判決は、今述べたこの歴史的構造を知らなければ、日本人には正しく理解できないであろう。強制労働させられた朝鮮人を、日本の報道界は 徴ちょう用よう工こうと呼んでいるが、そのような生やさしい言葉で表現される労働者ではなく、韓国では「強制徴用被害者」と呼んできた。戦時中の彼らは、毎日が拷問と鞭むち打たれる日々で、地獄の奴隷労働者であったのだ。
 この賠償確定という事件は、翌日の10月31日にわが国のテレビ局各局と新聞で取り上げられ、次のように解説された。「1965年の日韓国交正常化における日韓請求権協定において、労働被害者の金銭・財産・救済の請求権については、日本が韓国政府に多額の経済支援をおこない、その中から韓国政府が徴用工に対して補償金を支払うことを取り決め、両国政府がすでに完全かつ最終的に解決済み≠ナあった。ところが6年前の2012年に、韓国最高裁が被害労働者個人の請求権は消滅していない≠ニの判決を下したために、2018年10月30日の賠償金支払い命令の判決が出されたのである。これでは、日韓両国の政府が取り交わした約束が守られないことになるからトンデモナイ事件である」という論調で、韓国の文在寅政権を批判することに終始したのである。安倍晋三首相が、「あり得ない判断だ」と激怒してみせ、河野太郎外相が「日韓両国の法的基盤が崩された」と息巻いて、韓国の外相に強く文句を言ったのだ。
 判決翌朝、10月31日のテレビ朝日・羽は鳥と り慎一モーニングショーも、同じ論調であった。その番組に出演して解説者をつとめ、「文在寅大統領は韓国の最高裁判所の人事を動かす確信犯である」と罵倒する発言をくり返したのが、武藤正まさ敏としという外交評論家だったが、この男は、植民地統治時代の朝鮮で日本人によっていかなる犯罪がおこなわれ、現在の韓国において過去の日本帝国主義に対する怒りの感情がなぜ存在するかを知らず、正しい歴史認識がまったく欠落した人間であった。この武藤は、2005年に韓国大使館の特命全権公使になり、2010年6月17日〜2012年11月13日に「韓国駐在の日本大使」をつとめ、2013年に朴槿恵(パク・クネ)大統領の韓国政府から修好勲章光化章を授かっていた。
 ところがこの男は、韓国大使を辞任した直後の2013年1月1日から三菱重工業の顧問に就任していたのである。三菱重工をはじめとする三菱グループは、日本の植民地統治時代の戦時中に強制連行で推定10万人の朝鮮人を働かせた犯罪企業の代表者であり、2018年時点で韓国の裁判所で判決が下されたり、または裁判が進行中の強制動員訴訟15件のうち、ほぼ半数の7件は三菱重工が被告であった。2013年7月30日には、三菱重工の広島工場に動員されて強制労働させられ、広島原爆で被爆した被害者5人に対して1人あたり約800万円の支払いが韓国の釜プ山サン高裁で命じられ、2018年11月29日に韓国の最高裁でその判決が確定した。三菱重工の名古屋航空機製作所で強制動員労働させられた別の原告たちは、動員当時14〜15歳の少女であった。2018年11月29日の韓国最高裁は、これらの元女子勤労挺身隊の韓国人女性や遺族合計5人が、終戦後、賃金を一銭も受け取れずに損害賠償を求めた訴訟でも、三菱重工に1人あたり約1000万円〜1500万円の支払いを命じる判決を確定した。
 このような日本の犯罪企業の使い走り(走そう狗く)となって顧問料を稼ぐ武藤本人こそが確信犯であった。彼はモーニングショーだけではなく。それ以後のテレビ各局の報道番組に出演して、みっともないことに自分が顧問をつとめてきた三菱重工の損害賠償判決を食い止めることができなかったため、三菱重工から「顧問料収入に見合った働きをしろ!」と叱責される立場にあった。そこで自分が無能のために果たせなかった顧問の責任を他人に転嫁しようと、「文在寅大統領は日韓関係を悪化させる元兇である」と、デタラメだらけの八つ当たり発言をくり返しては、一般の日本人と韓国人が仲良くしている間に割り入って、「日韓関係を険悪化させる」旗振り役をつとめてきたのである。
 また、2018年11月2日には、BS-TBSの「報道1930」のテレビ番組で、韓国最高裁判所の徴用工裁判で賠償命令が出されたことに関して、司会者の松原耕二に尋ねられた外交評論家の岡本行ゆき夫おが、「朝鮮人徴用工は、中国人の強制連行被害者と違い、自分で志願して日本企業に勤めたのだから、日本企業が賠償する必要はない。韓国最高裁判所の賠償命令の判決は、非常におかしい」と驚くべき発言をして、まるで史実に反する暴言を吐いた。松原耕二と岡本行夫のコンビは、TBSの日曜朝の報道番組サンデーモーニングで、しばしばコメンテイターとして一緒に出演する仲である。
 暴言を吐いた武藤正敏や岡本行夫が、故意に言及しなかった事実関係を記述すると、以下のようになる。


 ◎これらの経過は裁判の判決なので、最初に法律論を述べると、韓国大統領・文在寅は弁護士時代に問題の三菱重工業の強制徴用被害者の賠償問題を担当してきた法律の専門家なので、最もくわしいのである。それに対して韓国大使をつとめた武藤正敏が法律を知らない知性レベルにはあきれるが、1965年6月22日の「日韓国交正常化」における日韓請求権協定の締結にあたって、日本政府は「請求権協定1条の経済協力の増進(日本から韓国への資金提供)≠ニ、2条の権利問題の解決(日本の植民地統治時代の被害者救済)≠ニの間には、法律的に何の相互関係も存在しない」としていた。すなわち、「日本が韓国に支払った経済協力資金は、韓国民の請求権の対価として支払われたものではなく、それによって強制連行(強制動員・強制労働)被害者に対する補償(賠償)の債務が日本政府・国民から韓国政府に移転したものではない」ということを明らかにしていた。つまり日韓請求権協定の締結にあたって、「この協定で放棄されるのは両国の外交保護権(相手国の責任を追究する権利)であり、個人の権利を消滅させるものではない」という法律論が、日本政府の認識だったのである。
 それを裏付ける事実として、1991年8月27日に、外務省条約局長の柳やな井い俊しゅん二じが参議院予算委員会においておこなった以下の答弁がある。「(1965年の日韓基本条約の請求権協定は)いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。日韓両国間で、政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ」と、明確に答弁していたのである。加えてこの柳井俊二は、彼の岳父・松井明の父・松井慶四郎が日本の朝鮮植民地統治時代の外務大臣という侵略責任者であり、柳井俊二本人は、安倍晋三の諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇親会」で座長をつとめ、アメリカの戦争に対して日本の自衛隊の戦争介入を認める「集団的自衛権」必要論を吹聴してきた最右翼のブレーンなのである。
 ◎2018年10月30日の韓国大法院(最高裁)判決の基盤となったその6年前の2012年5月24日の韓国大法院判決は、次のように述べていた。「1965年の請求権協定は、日本の植民地支配賠償を請求するためのものではない。請求権協定の交渉過程で、日本政府が植民地支配の不法性(悪事)を認めず、強制動員被害の法的賠償を根本的に否定したため、韓国・日本の両国政府は大日本帝国の韓半島植民地支配の性格について合意できなかった。したがって日本の国家権力が関与した反人道的不法行為や植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権は、請求権協定の適用対象に含まれてはいない」ことを明確にしており、1965年の協定そのものが、損害賠償とは無関係であると断じたのである。この韓国最高裁判決は、日本による朝鮮半島の植民地支配を犯罪行為であると定義した最も重要な史実の指摘であり、保守派の李イ明ミョン博バク政権時代の判決なのである。
 事実、1965年の日韓基本条約で、日本政府は韓国に支払う金を「賠償」と表現することを拒否し、日韓基本条約を締結した外務大臣・椎しい名な悦えつ三郎さぶろうが1965年11月19日の国会で、「協定によって韓国に支払った金は、経済協力でありまして、韓国の経済が繁栄する気持を持って、また新しい国の出発を祝うという点において、 この経済協力を認めたのでございます」と答弁し、賠償ではなく独立祝い金≠ナあったと述べたのだから、外務大臣が「日本は賠償金を支払っていない」と明言していたのである。なぜこう答弁したかと言えば、「賠償金を支払った」とすると、「日本の植民地統治が重大な犯罪行為であったという史実」を日本政府が認めることになるからである。
 したがって、日韓請求権協定の条文には、「韓国民の個人請求権が消滅する」とか、「韓国政府が賠償・補償責任を肩代りする」という文言は、ひと言も記されていない!
 ところがなぜか、日本政府は「請求権協定全体の効果として韓国の日本に対する請求権の問題は解決した」と勝手に解釈して、「両国政府がすでに完全かつ最終的に解決済み=vの協定であると決めつけ、「個人に対する補償も解決済み」という、法的根拠がまったくない誤った主張を報道界に広めてきた。したがって、2018年10月以後に日本の全テレビ報道界が解説したストーリー「1965年の日韓請求権協定において、日本が韓国政府に多額の経済支援をおこない、その中から韓国政府が徴用工に対して補償金を支払うことを取り決め、両国政府がすでに完全かつ最終的に解決済み≠ナあった」は、報道界の大誤報、まさしくフェイクニュースであった。
 一体誰が、いつ、強制徴用労働者に対する賠償は済んでいるという根拠のない理屈を正当化したのか? テレビ報道界の責任ではないのか?
 ◎言うまでもなく、「朝鮮人の強制労働被害者は、強制的に連行(拉致らち)された大量の人間である。日本人の労務係が深夜や早暁に突如、朝鮮人の男子がいる家の寝込みを襲い、あるいは田畑で働いている最中に、トラックを回して何気なくそれに乗せ、それらの拉致被害者の集団を編成して、炭坑や製鉄所、鉱山、道路、トンネル建設の土建業など、重要基幹産業部門などに送りこむという乱暴狼藉がおこなわれた。終戦までに、70万人を超える朝鮮人が強制連行(徴用・拉致らち)され、女性は女子挺身隊として釜プ山サン港から日本に連れ去られ、およそ4万人の中国人が強制連行されたのである
 だが、それだけではない。甘い言葉で朝鮮人を日本企業に誘って、自ら志願させておいて、残忍苛酷な労働を強いた」というのが史実であった。1910年の韓国併合後、朝鮮半島全土を日本の植民地とし、その下で戦時体制下における労働力確保のため、朝鮮総督の南次郎らが「朝鮮人労務者募集 並ならびに渡航取扱要綱」を定め、朝鮮総督府配下の警察力を動員して、1939年から労務動員計画による強制連行が開始された。さらに1942年に日本政府が制定した「朝鮮人内地移入斡旋あっせん要綱」による国家的な就職紹介および就職促進事業(官斡旋あっせん)や、1944年に日本政府が植民地朝鮮に全面的に発動した「徴用令」による強制連行が実施される中で進行した労働だったのである。
 今回の訴訟の原告である元徴用工については、岡本行夫が事実をまったく調べもせずに暴言を吐き、安倍晋三と河野太郎も「募集に応じた朝鮮半島出身の労働者」と呼んで、原告を侮辱していたことが明らかである。この原告は、「日本で2年間訓練を受ければ技術を習得でき、終了後は朝鮮半島の製鉄所で技術者として就職できる」という募集広告にだまされ、実際には月に2、3円の小遣いを渡されただけで、賃金を入金した原告の口座の通帳と印鑑は寄宿舎の舎監が保管して本人に渡されなかった。感電死する危険があるなかで溶鉱炉にコークスを投入するなどの過酷で危険な労働を強いられ、窓に鉄格子が入った牢獄と同じ工場で外出も許されず、わずかで粗末な食事しか与えられず、逃亡を企てたとして殴なぐられるなどおそるべき環境に置かれ、軍隊と同じように警察官らによって監視されていた事実が、韓国の裁判で明らかにされていたのである。


 これは国際労働機関(ILO)条約に定める強制労働や、1926年の奴隷条約に記述されている奴隷制に当たるものであり、重大な人権侵害であった。ナチス・ドイツがユダヤ人をアウシュヴィッツ強制収容所に送りこんだのと何ら違わないことを、日本人が朝鮮人に対しておこなったのである。岡本行夫の発言は、原告にとって許しがたい暴言であった。
 そもそも韓国では、普通の人が聞いても意味不明の「徴用工」という言葉ではなく、「強制徴用被害者」、あるいは「強制動員被害者」と表現していることから考えて、日本のマスメディアが長らく徴用工という言葉を使って、こうした被害者の苦しみを日本国民の目に見えなくするよう、間違った方向に世論を誘導してきた。したがって私の知る外国人は、「日本人は北朝鮮の拉致らち問題になると辛辣な言葉で北朝鮮を非難するが、国際社会は、70万人を超える朝鮮人が日本人によって強制連行(拉致らち)され、そのすさまじい被害が戦後にまったく無視され続けてきたことを知っているので、日本人が何を考えているのか不思議でならない」と言って、日本人全体の知性と良識のなさを嘆いているほどである。
 しかしこの日本人の無知は、事情を知らなかった日本国民の責任ではなく、すべての責任は、テレビ局と新聞社の作為的に誤った報道が、日韓親善を分裂に向かう軌道を敷いたことにある。韓国の最高裁が賠償命令判決を出したすぐあと、この問題に精通する日本在住の弁護士有志9人が連名で、こうした日本の報道番組の間違いを指摘する2018年11月5日付けの声明文をすでに発表し、その後、多くの弁護士がその声明に賛同を表明したにもかかわらず、テレビ局と新聞社がそれを無視して、誤報を訂正しなかったのは、なぜなのか。この当り前の事実に耳を傾けることなく、無知蒙昧で危険な武藤正敏の言葉をテレビ報道が広めて、正しい報道と言えるのか?


 さて、では、この問題の根源的な原因は、どこにあったのか。
 ◎1965年の日韓国交正常化において日韓請求権協定を締結した時、強制徴用被害者に対する個人補償を明確に定めなかった韓国大統領は、朴正熙(パク・チョンヒ)であった。当時、日韓国交正常化交渉の内容が発表されると、韓国民はこの屈辱的な日韓条約に激怒し、「日本との屈辱外交に反対する全国民闘争委員会」が結成され、ソウル大学では多くの学生が断食闘争に突入するなど、反対の声が爆発的に韓国全土に広がった。追いつめられた朴正熙は、非常戒厳令を発布して、学生をはじめ1000人以上を逮捕し、内乱罪などで弾圧を続けたのだ。このように軍事独裁者・朴正熙は戒厳令下の強権をふるって、韓国民の声を圧殺して日韓条約を締結したのだから、そもそも、ほとんどの韓国民は日韓請求権協定を認めていなかったのである。
 ◎では朴正熙とはどのような人間であったかというと、日本の植民地統治時代に「日本の軍人になろう」と志して、満州で士官学校に自ら志願して入隊した。卒業後、大日本帝国の陸軍士官学校に留学して、満州軍団の副官という肩書きで日本軍人・高木正雄という日本人名に改名≠オ、悪しき日本式の軍人教育を受けた人物であった。
←写真は大日本帝国の軍人時代に撮影された朴正熙
 ◎朴正熙は、こうして出世街道を直進していた売国奴の日本軍人だったので、1945年8月15日に日本が敗北して朝鮮人が解放されるという「災難」に見舞われてしまった。そこで戦後は、自分の過去を隠して寝返り、軍事クーデターを起こして1963年に大統領となった親日派≠ナあったのだ。彼の娘が2013年に大統領となった朴槿恵(パク・クネ)であった。つまりここに、先に述べた、1945年に米軍が南朝鮮に進駐して以来、アメリカ軍政がとってきた親日派″フ用の地雷原が埋められていたため、現在になって未解決の賠償問題が火を噴いているのである。
 この植民地支配の経過については、昨年2018年4月12日におこなわれた私の講演会「広瀬隆・明治150年の驕きょう慢まんを斬る──日本近現代史の本当の話」の中でも述べてある。この講演会の動画がインターネットのYouTubeに掲載されると、たちまち視聴数4万回に達して評判になったので、読者もぜひともご覧いただきたい。下記サイトを開くと、最初の22分間は司会者の話なので、22分以後に、2時間を超える私の講演があり、その後半で日本の朝鮮支配について述べてある。

 https://www.youtube.com/watch?v=a6PI1ksqZug&t=2s
 これが、現時点で、私にとって最後の講演会≠フ記録である。
 今述べた2018年10月30日の最高裁の判決が出された時点で、韓国の文在寅政権の与党「共に民主党」だけでなく、与党の政策を支持する少数党「正義党」と、反対勢力である全野党も含めて、韓国民のほぼ全員が、韓国最高裁の「賠償金支払い命令」判決を支持したのである。この事実を知れば、判決は「韓国民の総意」であり、現在の論争の原因が文在寅政権の政策とは関係がないことを、日本人は認めるはずである。文在寅罵倒をくり返す武藤正敏がいかにデタラメをしゃべる嘘つきで、日韓関係を悪化させる旗振り役であるかという事実を、テレビ報道界は、まだ認識していないのであろうか?
 このように大半の韓国民が労働者に対する賠償に関して歴史の見直し≠求めていたのは、戦時中に日本人がおこなった朝鮮人支配であり、またそのことを解決していない戦後史の清算≠セったのである。その感情は同時に、その大日本帝国の手先となった朴正熙大統領と、娘・朴パク槿ク恵ネ大統領の強権政治に対する韓国民の怒りであった。
 つまり、強制労働させられた朝鮮人に対する個人補償を規定せずに日韓請求権協定を締結したのが朴正熙大統領であり、続いて、韓国においてその被害者に対する補償のやり直し裁判が提訴されながら、それを故意に遅延させてきたことが明るみに出されたのが娘の朴パク槿ク恵ネ大統領であり、この父娘がおこなってきた朝鮮民族に対する大きな犯罪が、韓国民の怒りを買っていたのである。今年2019年1月24日には、朴槿恵の要求に従って強制徴用労働被害者に対する補償判決を5年以上も先送りしてきた韓国最高裁の前長官・梁承泰(ヤン・スンテ)をソウル中央地検が逮捕し、ソウル拘置所に囚人服を着せて収監するという、司法界で前代未聞の事態に至ったのは、そのためである。


◆朴槿恵(パク・クネ)を退陣させた韓国民のロウソク・デモ


 韓国民のこのような意識の変化は、アメリカでニクソン大統領を辞任に追いこんだウォーターゲート事件をもじって、チェ・スンシル・ゲートと呼ばれる事件から始まった。3年前の2016年10月24日に、韓国のケーブルテレビ局JTBCが、朴槿恵(パク・クネ)大統領の女友達・崔順実(チェ・スンシル)のタブレット端末(パソコン)に保存されていた機密文書について一大スクープ報道をおこなって、チェ・スンシルが朴パク槿ク恵ネ大統領を操っていたという事実が発覚すると、翌日10月25日に、朴槿恵が事実を認めて謝罪した。そして、韓国市民が投資する資金で設立された進歩派の「ハンギョレ」新聞社などが次々と重大事実を暴露した。日韓基本条約を結んだ朴正熙大統領が何と霊感師を相談役にしており、その霊感師・崔太敏(チェ・テミン)の娘チェ・スンシルと親しくなった朴槿恵が、このチェ親子にあらゆることを相談して、朴槿恵本人は小学生並み≠フ無能者ながら大統領への道を歩むようになったため、一人では大統領の職務を何もできずに、ただチェ・スンシルの「操り人形」だったというのだ。そこに軍事機密が流出しているという数々の大統領府の大スキャンダルをきっかけに、国民の怒りが燃えあがったのである。
 おやおや、この無能の朴パク槿ク恵ネからおほめの勲章をもらったのが韓国大使・武藤正敏で、その人間の言葉を日韓関係の解説に採用してきたのが、テレビ朝日モーニングショーをはじめとする日本のテレビ報道界だったというから驚くではないか。
 奇しくもこの大スキャンダルが明るみに出た同じ日、2016年10月24日に、私は韓国民に招かれ、九州の博多港から高速船に乗って釜山に到着し、夜行列車でソウル入りした。そして韓国国会とソウル市内が騒然とする中で、「ハンギョレ」新聞社の協力も得て、10月26日にソウルの国会議員会館の大講堂で講演し、続いて 現ヒュン代ダイ財閥グループの本拠地・蔚山(ウルサン)、さらに慶州(キョンジュ)、釜山まで4回の連続講演をしたので、歴史的な激動に立ち会うことができた。
 私が講演中に朴槿恵大統領の名を出すと、聴衆から笑い声が起こった時に、テレビ報道の大統領スキャンダル事件をまだくわしく知らなかった私は、その深い意味を知り得なかったが、やがて韓国内で騒然たる動きが起こった経過を目撃してきた。
 その後、韓国民が史上空前と言われる「100万人のロウソク・デモ」を3度もおこない、大統領が罷免されるまで半年間も反政府デモを続けて、人口5100万人の国で、全国のデモ参加者が累計1700万人という聞いたこともない数字を超えた時、そこに掲げられたスローガンが、当初の大統領の政治不正スキャンダルに対する怒りだけではなかったことが、日本ではまったく報じられなかった。
 2014年に大型旅客船セウォル号沈没事件が起こった時、朴槿恵が「7時間」も手を打たず、高校生たち300人以上の死者・行方不明者を出してしまい、大統領府が「死者ゼロ」というデタラメ報道を続けさせたことの真相究明を求める声が再び高まると共に、デモの隊列に、日本人の男が植民地統治時代に犯した恥ずべき犯罪「日本軍の慰安婦」の巨大な少女像が掲げられていたのである。つまり韓国民の巨大デモは、過去の日本の植民地統治時代の歴史についての調査と清算を求めていたのであった。
←【写真は2016年12月に韓国の首都ソウルを埋めつくした巨大ロウソク・デモを報じるインターネット掲載写真──右端に赤丸○で囲った慰安婦の少女像はその左に「拡大」して示されている。左端にスポットライトが当たっている武将の立像は、豊臣秀吉が狂って日本人が朝鮮半島への侵略を試みた時に、日本軍と戦った朝鮮の英雄・李イ舜スン臣シン将軍を讃える銅像で、この光化門広場がソウルbPの観光名所である】。

 その結果として、民衆デモが朴パク槿ク恵ネを退陣に追いこんでゆき、2016年12月9日、韓国国会は大統領弾劾だんがい訴そ追つい案を審議し、朴槿恵大統領の与党セヌリ党からも大量の造反者が出て、賛成234、反対56の圧倒的な賛成多数で大統領の弾劾訴追を可決した。すると2017年3月10日には、憲法裁判所が、朴パク槿ク恵ネ大統領に対する国会の弾劾判決に対して、裁判官の全員一致で「朴槿恵大統領を罷ひ免めんする(クビにする)」と発表したのだ。韓国史上初めて、大統領が弾劾訴追によって罷免されて失職し、ここからの奔流が、文在寅大統領の誕生へと進んでいったのである。
 その歴史的犯罪を反故ほごにする朴槿恵のために立ち働いた日本の韓国大使・武藤正敏が、朴槿恵から勲章をもらって、いつしか日本で韓国通の仮面をかぶり、人権弁護士出身の人格者・文在寅を罵倒するという醜態を2018年10月にテレビ朝日モーニングショーで演じたわけである。つまり問題は、このように明々白々な歴史的事実を知ってか知らずか、武藤正敏を解説者として招いたテレビ朝日モーニングショーのディレクターの見識が問われているのである。安倍晋三とテレビ朝日の幹部が会食を重ねてきた。その結果、報道当日の誤報パネルを武藤正敏に創らせたはずである。
 このテレビ番組は、私がこの2018年から報道番組をつとめて見るようにした中でも、評価できる解説者を招いて説明するので、かなり信頼できるはずだったが、韓国の裁判に関する解説者には、最も不適切な武藤正敏を招いて、日本政府の代弁をさせたのである。武藤発言に異議を唱えるべきレギュラー・コメンテイターの玉川たまかわ徹とおるが、おそらく本稿に記述している歴史的事実について知らなかったためと推測されるが、聞き役に終始して、ほとんど反論しなかった。ほか、ほとんどすべてのテレビ局も、みな同じレベルであり、元NHKアナウンサー有う働どう由美子までもが、歴史を何も知らずに移籍後のテレビ局で韓国批判を展開していた。つまりそれほど日本人(日本のテレビ報道界)は、朝鮮半島の戦後史の流れについて知らない人間が集まって、報道番組をたれ流しているのである。
 肝っ玉の小さい安倍晋三と河野太郎に至っては、強制徴用労働者に関してこれから賠償を求められる日本企業を集めて、「賠償金を支払うな」と指導する犯罪を重ね、「日本企業の韓国内の資産が差し押さえられれば、韓国に対して報復関税を課し、日本製品の供給停止や、ビザ発給制限などの対抗措置」をちらつかせるほど、歴史についての無知もきわまり、国際的には、「これが日本の首相と外相か?」と疑われる存在であった。
 しかしそれでも、問題の1965年6月22日の「日韓基本条約」を結んだ朴正熙
大統領が、軍事クーデターで政権を握って、国民を弾圧し続けたヒットラー並みの軍事独裁者であったぐらいの韓国の歴史は、日本の報道に携わる人間が知っていなければならない常識以前のことであろう。似たような歴史を持つ国で言うなら、南アフリカ共和国(南ア)ですさまじい黒人虐殺・弾圧のアパルトヘイトをおこなってきた白人政権が倒され、1994年に黒人解放運動の指導者ネルソン・マンデラが大統領に就任したあと、世界各国は、過去に極悪非道の白人政権と結んだ約束を楯に、外交を展開したのであろうか?たとえマンデラ大統領が、白人と黒人が憎しみを越えるよう願って宥ゆう和わ政策を進めたとしても、アパルトヘイト時代の南アの昔の政策を完全に否定することは、人間の良識として初歩の初歩であろう。韓国では、朴正熙以後も、全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)たち軍人が、長い間、韓国で強権を握る独裁的な大統領となり、その後も、李明博(イ・ミョンバク)と、朴槿恵(パク・クネ)が再び右翼的な大統領として、保守路線を復活させたことが、現在の大きな問題として再燃しているのである。そこに人権弁護士出身の文在寅政権が発足したのだから、韓国の政策が過去の悪夢を洗い流して大きく変らなければ、韓国は非文明国のままになってしまうではないか。
 私が知っている韓国民の良識的感情を代弁するなら、日本人は歴史の中で犯した植民地統治の犯罪事実を認めるか、認めないか、と尋ねているのだ。暴言を吐いて根拠もなく韓国裁判を批判する武藤正敏・岡本行夫らを解説者として使う日本のテレビ報道界に、尋ねているのである。
 では、テレビ報道界が、「何と心の狭い人間たちなのか」と馬鹿にされないようにするには、どうすればよいのだろう? 以下のように、頭を使えばよいのである、


◆韓国人が実行しようとしている歴史の清算とは何か


 日本のテレビ・新聞報道界が、日韓関係について語る時、すぐに「反日」の言葉を口にし、韓国政府が反日であるかのように報道することが癖になっている。その原因は、韓国民が「歴史の清算」という言葉を使う時に、植民地統治時代に日本がおこなった従軍慰安婦や強制連行だけを対象としているという偏見に満ちた先入観を持っているからである。ところが韓国人は、以下に述べるような自分の国・韓国の軍事独裁政権がおこなった悪逆非道な行為も「歴史の清算」に含めているのだ。そのことを、日本人が知らないのである。
 このような韓国における認識はそもそも、以下のように開花した。現大統領・文在寅が若かった頃、釜山で彼と共同弁護士事務所を開いた盧武鉉(ノ・ムヒョン)が、2003年2月25日に大統領に就任し、文在寅が大統領秘書室に入った翌年、2004年3月5日に、「日帝(大日本帝国)強占下強制動員被害$^相糾明等に関する特別法」がつくられたが、それだけではなかった。同年8月15日の光復節の祝辞で、盧武鉉大統領が「歪曲されたすべての韓国史を正す」方針を打ち出し、「過去の歴史で争点になってきた事案を、包括的に取り扱う真相糾明特別委員会を国会内につくること」を提案し、その真相糾明は「日本の植民地統治時代の反民族・親日行為」だけでなく「国家権力が犯した人権侵害と不法行為も対象にしなければならない」と明言してから、明確な国家事業となったのである。
 そして翌年2005年5月3日に、問題となる過去の事件を法律的に再検討して整理する「過去事(または過去史と呼ばれる歴史的事件)整理基本法」が賛成159、反対73で韓国国会を通過し、「真実・和解のための過去事整理委員会(過去事委員会)」が設立された。この過去事委員会が5年間で明らかにした事件は、実に8000件にもおよび、後述する戦後間もない1948年の米軍と李イ承スン晩マン(初代大統領)による「済州島(チェジュド)四・三虐殺事件」や、朝鮮戦争前後の民間人集団死亡事件、国家公安権力による拷問のような反民主的・反人権的行為から、兵役中の自殺とされる疑問死などまで、膨大な数の国内事件の糾明があった。そしてこの歴史調査は、冤罪などで苦しめられてきた被害者を救済して、加害者の誠意ある謝罪によって被害者との「真の和解」を目的としたのである。言い換えれば、従軍慰安婦や強制連行問題は、そのうちの一つであるから、日本のテレビ・新聞報道界が「反日」という言葉を使うと、国の内外を問わずすべての事件で歴史の正義を明らかにしようと努力している韓国人には、日本人が何を言っているのか、理解できないのである。
 テレビ報道だけでなく、新聞も含めて日本のほとんどの報道界は、韓国の政策の変化を「ついて行けない国」だという視点から論じているが、日本政府の外交政策もコロコロ変ってきたぐらいのことは、報道人の常識であろう。歴史の真相を調査し直し、誤っていた点について自分の考えを改めるほど人間にとって重要なことはない。
 2018年12月20日には、韓国海軍の駆逐艦が北朝鮮の船を救助しようとレーダーを使って必死で探索し、漂流する北朝鮮の船舶1隻を発見すると、船員3人を救助して遺体1体を収容した。この捜索中に、日本の哨戒機がレーダー追跡範囲に入って来た。このことを安倍晋三の指令で日本政府が「韓国海軍の射撃統制用レーダーの使用は、きわめて危険な行為」であるとして外交問題化した際にも、TBSサンデーモーニングなどでは、司会者の関口宏はじめ、出演者のコメンテイターたちが一斉に、日本政府の言葉を借りて韓国政府と文在寅政権を批判した。2019年1月7日のテレビ朝日モーニングショーでは、安倍首相官邸と打ち合わせてきた海上自衛隊の元幹部・伊藤俊とし幸ゆきが、現場で何が起こったかについて正確な事実関係を説明できないにもかかわらず解説者となって、日本国民が興味さえ持っていない、勝手な軍事技術の説明をおこない、韓国政府を一方的に批判した。この制服組の人間の言葉を聞いて、日本の自衛隊という軍隊が「いつでも他国に喧嘩を売って戦争を起こしかねない」おそろしい存在であることを知って、私はぞっとした。冷静であるべき司会者・羽鳥慎一までもが伊藤俊幸に倣ならって同じ姿勢をとり、韓国の「反政府」右翼新聞・中央日報の記事まで引用していたのには驚いた。テレビ朝日の編集部ディレクターも、完全に反韓国政府の人材で固められているのか?
 テレビ報道界とは、政治家以上に、国民世論が戦争やファシズムに走らないよう、「シビリアン・コントロール」の役割を認識していなければならない存在である。コメンテイターの一人ずつが、常に豊かな知識を持って冷静に物事を考える見識が求められる。報道界がその自覚を失えば、戦前に軍人の大本営発表のニュースを流して、国民を欺いたと変らない危険な方向に突っ走る。それに乗る国民世論もまた、実に危ういものである。こうして、テレビ報道界が日韓関係を悪化させることに余念がない姿を見て、「現在の日本の報道界にシビリアン・コントロールの能力はあるのだろうか?」という重大な疑問が湧いてきた。
 この事件は、射撃統制用レーダーを使ったとしても、韓国海軍が砲撃態勢にはないことを日本の哨戒機が認識していた、つまり軍事的に危険ではなかったという事実がある。そして防衛省は、事務的に処理するつもりだったが、安倍晋三・首相官邸の指示で、両国が言い争うことになったのである。こういう軍事論争は友好国間ではあってはならないと戒められるべき話である。日本政府の態度は、道端に倒れている人を見て助けようとしている別の人に対して、通りかかったヤクザが「てめえ、ガンつけたな」と、からんでいるのと同じであった。この事件をテコに、安倍晋三らの軍国主義者が、憲法改悪への道筋をつけようとしていることは明らかであった。
 日本のテレビ報道を見ていると、「韓国海軍が北朝鮮の船を救助した」という最も重要な事実には、どの局も一切触れなかったが、なぜなのか。日本のテレビ・新聞の報道界は、アホじゃないのか! 韓国軍が人命救助のためにいかなるレーダーを使おうが関係ないのである。にもかかわらず「言いがかりをつけて喧嘩を売る安倍晋三の態度は、きわめて危険な外交である」と、テレビ報道ではコメンテイターが日本政府をひと言も批判もしないのだ。日本と韓国が、この小さな問題でなぜ事を大きくする必要があるのか? 言うまでもなく、従軍慰安婦と強制徴用被害者の問題で、加害者である日本政府が歴史の真相究明を迫られ、日本企業が賠償を迫られているからである。
 しかし日本のテレビ局と新聞社の頭もひどく悪い。2018年6月にトランプ大統領が金正恩委員長と第一回首脳会談をおこない、そのあとトランプが「米韓合同軍事演習」を中断させ、2018年10月には「米韓合同軍事演習を中止する」と発表したのは、すべて韓国の文在寅大統領が調停人(ネゴシエーター)となって、和平を働きかけたからである。そのアメリカ・韓国・北朝鮮の三者は「朝鮮戦争の完全終結」に向けて協議していた。そこに日本が介入していちゃもんをつけても、いずれ朝鮮半島に和平が訪れれば、やがて日本の報道メディアも、自分たちが騒いで日韓関係を悪化させていたのは何のためだったのかと、みっともない姿で黙りこむだけではないか。
 今年2019年1月10日には、文在寅大統領が韓国での年頭記者会見で、強制徴用労働者の賠償問題についてNHK記者から質問を受けて発言し、短い言葉で「過去、韓国と日本にあいだには35年続いた不幸な歴史があった。これは韓国政府が作った問題ではないので、日本政府はもう少し謙虚な立場をとるべきで、日本の政治家や指導者たちがこれを政治の争点としてくり返し取り上げて拡散していることは賢明ではない」とだけ言って日本を批判した。この発言に対して、日本のテレビ報道は一斉に猛反発し、そこに文在寅大統領の「支持率低下」を引用して見当違いの評論をしたが、35年≠ニいう数字を聞けばすぐに分るはずの日本人の立場さえ、テレビ報道界は何も分っていなかった。
 文在寅は、こうした態度をとる日本の政治家と、毎日のように韓国批判を続けるテレビ報道界の人間に対して、「日本が1910年から朝鮮を植民地統治した1945年までの35年間のことを、あなたたちはまだ自覚していないのか?」と、飛び回ってうるさいハエを追い払うかのように扱ったのである。つまり日本のテレビ報道界が日々のように主張してきた「韓国政府のために日韓関係が悪化した」というストーリーは、まったく責任の所在があべこべで、「日本のテレビ報道のために日韓関係が悪化した」のであった。なぜなら、2018年に日本を訪問した韓国人の観光客は753万人以上で、830万人の中国に次いで第2位で、日本人も韓国人も民衆は普段仲良くしている。ところが、日本のテレビ報道の相次ぐ焦点ズレの大誤報のために、韓国では一般民衆までもが「日本が1910年から1945年まで朝鮮を植民地統治したことを、あなたたち日本人はまだ自覚していないの? いまの日本人はネオナチなの?」と尋ねたくなるからである。
 2019年1月13日のTBSサンデーモーニングに出演した元衆議院議員の田中秀征しゅうせいが、同番組コメンテイターのボスを気取って、「文在寅の言葉にムカッとした」かのように品位のない言葉を吐いたが、まさに田中秀征は、植民地統治時代の自分たち日本人が朝鮮人に対して何をしたかを忘れて、かつての南アのアパルトヘイト政権や、1950年代までアメリカ南部の白人が「分離すれども平等」とうそぶいて黒人を犬のように差別し続けたと同じ精神レベルの人間であることを印象づけた。長らく人権弁護士として闘ってきた文在寅は、そうした人間を、人間として扱うつもりはないし、他方、韓国民の機嫌をとって政治をする人間ではなく、人権第一政策は大統領就任以来まったく変っていない。加えて後述するように、実は「支持率低下」は韓国独特のニューライト(日本で言うネット右翼)によって作られた一種のフェイクニュースなのである。
 賽さいの河原で石積みするように、このように無駄な議論をする時間があるなら、強制徴用された労働被害者に対してまったく賠償をしてこなかった現実を、日本人がどうすれば 償つぐなって解決できるかに、頭を使ったらどうなのか。日本が朝鮮を植民地統治した時代に、悪事をし尽くしたことは隠しきれない史実なのだから、日本政府と日本企業ばかりでなく、日本の報道界がまず率先して、その良識からスタートしなければならないはずであろう。このままの姿勢で日本のテレビ報道が続くようでは、私たち日本人は、韓国の人たちに恥ずかしくて顔向けできない。
 これだけ述べても、まだ事情を納得できないテレビ・新聞報道関係者は、相当な数にのぼるであろう。なぜなら、その人たちは、感情的になって日韓関係を考えているからである。その感情豊かな人たちに、特効薬がある。百の論説を聞くより、最近の二本の名作韓国映画『弁護人』と『タクシー運転手』を見て、韓国の民衆が何を考えているかを知ることをおすすめする。
 その一本は、1980年5月に 全チョン斗ドゥ煥ファンの軍部独裁政権が凄惨な市民虐殺を起こした光州事件を描いた映画『タクシー運転手』で、もう一本が翌年1981年9月に起こった「釜、山の学林、事件」、略して「釜林(プリム)事件」を描いた映画『弁護人』である。後者は、前年の光州市民虐殺事件を契機として学生運動が爆発したため、 全チョン斗ドゥ煥ファン政権が「共産主義分子を取り締まる」として学生運動団体すべてを反国家団体として弾圧した時、学生たちがそれに抵抗しようとソウルの「学林茶房(ハンニムタバン)」で会合を持ったところ、警察が学生と労働運動家24人を連行し、激しい殴打と水拷問・電気拷問を加え、国家保安法違反の罪で懲役2年から無期懲役までの宣告を下した。韓国南部の釜山でも、「学生の読書会」を根拠もなく「北朝鮮のスパイ」と断定するすさまじい拷問事件が起きたので、それが釜林事件と呼ばれた。この時、釜山でこれらまったく罪のない民主化運動の学生がすさまじい拷問を受けていることを知って立ち上がり、無償の弁護を買って出たのが若き弁護士時代の盧武鉉(ノ・ムヒョン)(のちの大統領)であり、盧武鉉と共同弁護士事務所を開いたのが、文在寅大統領であった。だがしかしその事件が起こった当時、盧武鉉は、まだ人権弁護士ではなかった。むしろ金かせぎが目的の高卒の弁護士として馬鹿にされていた。そうした盧武鉉をモデルにして「釜林事件」を描いた2013年公開の名作伝記映画『弁護人』は、韓国の観客動員数が1100万人を超える大ヒットとなったが、そこに登場するソン・ウソク弁護士こと盧武鉉を演じた俳優ソン・ガンホが、2017年に公開されて1200万人の観客動員を記録した光州事件の韓国映画『タクシー運転手』の主演俳優でもあった(『タクシー運転手』についてはのちにくわしく紹介する)。
 このように市民や学生たちに対して相次ぐ凄惨な拷問と虐殺を加えて政権を維持してきたのが、1963〜1993年の30年にわたって朴パク正チョン熙ヒ、 全チョン斗ドゥ煥ファン、盧ノ泰テ愚ウと続いた軍事独裁政権の悪事であり、その政権を利用して日韓基本条約を結んだのが日本政府であった。その韓国の国家の悪事と今日まで戦ってきたのが、弁護士・文在寅だったのである。
 このような韓国史の初歩さえ知らないあまりにも未熟な日本のテレビ報道コメンテイターとマスメディア関係者が映画『弁護人』と『タクシー運転手』を見ただけでは、一体これらのすさまじい虐殺・拷問弾圧事件が何を意味しているかを、深く理解できないはずである。感動的な映画『弁護人』に付け加えておかなければならないことがある。これらの事件は昔の出来事ではないのだ。「学林事件〜釜林事件」ですさまじい拷問を受け、被告となった無実の学生たちに対して、ほんの10年前の2009年に開かれた韓国の再審で、彼らはようやく「無罪」の宣告を受けた。さらに翌年2010年12月には、ソウル高等法院が学林事件の再審で「無罪」および「免訴」を判決し、判決文の中で「司法部の過誤によって被告人に苦痛を負わせたことに対して謝罪する。この判決がわずかでも慰めになることを願う」と裁判所が冤罪を謝罪し、2012年6月の最高裁(大法院)でこの事件に対する再審判決が下され、「無罪が確定」したのである。そしてこの判決が、同じ韓国の最高裁が「日本の徴用工の個人請求権は消滅していない」と判決を下した2012年5月と同じ年で、翌月の出来事なのだ。 この軍事独裁政権がおこなった拷問と虐殺は、植民地統治時代の日本人が35年間にわたって朝鮮人に対して続けた行為を、戦後に親日派%チ高警察の朝鮮人からそっくり受け継いだものだったのである。その史実に気づく時、読者がまともな人間であればおそらく、現在の日本のテレビ報道の姿勢が間違っていることにも気づくであろう。
 韓国についても、青瓦台の大統領府についても、知識があまりに未熟な日本の若いマスメディア関係者が、こうした韓国の歴史の基本を知るための必読書として、朴永圭(パク・ヨンギュ)の著書『韓国大統領実録』がある。この分厚い書が、韓国で5年前の2014年1月に出版され、李イ承スン晩マン・朴パク正チョン熙ヒ・ 全チョン斗ドゥ煥ファン・盧ノ泰テ愚ウらの歴代大統領の強権政治の腐敗の軌跡と、金キム泳ヨン三サム・金キム大デ中ジュン・盧ノ武ム鉉ヒョン大統領時代からの民主的改革が貴重なドキュメントとして詳細に記述されたのである(邦訳は、2015年10月15日初版、キネマ旬報社発行)。韓国で200万部の超ベストセラーとなった『朝鮮王朝実録』(邦訳キネマ旬報社)を書いた同じ著者・朴永圭の手によって、このような韓国の戦後政治史に新たな光が当てられたのだから、日本のテレビ報道界は、日韓関係について語る時には、この本を座右の書として熟読してから口を開くようにすれば、恥をかかない。
 名作映画『弁護人』と『タクシー運転手』を見ずに、また『韓国大統領実録』を読んでいない人間は、現在の韓国について論評する資格はないし、テレビ報道番組で司会者・解説者・コメンテイターをつとめる資格はない。羽鳥慎一、玉川徹、関口宏たち高い報酬を受け取っているテレビ報道の関係者であれば、映画『弁護人』と『タクシー運転手』のDVDと、『韓国大統領実録』の本ぐらいは買えるはずである。それほどの金と時間を惜しむなら、テレビ番組に出演して無責任に語る恥さらしをしないほうがよい。
 これらの韓国文化については、このあと本稿の第二話「韓国ドラマと韓国映画が伝える人間の気概」の項で、さらにくわしく紹介する。
 さて今後は、韓国だけでなく、戦後処理として国交正常化交渉をしていない北朝鮮に対しても、戦時中に強制徴用した労働被害者たちに対する巨額の賠償について、日本は国交正常化の第一歩からやり直さなければならない大きな罪の償いが残っていることを忘れてはならない。
 日本と比較されるドイツは、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領が、「過去に目を閉ざす者は、現在をも見ることができない」という格調高い演説をドイツ連邦議会でおこない、ドイツ人がナチス時代におこなった過去の行為について、被害国と被害者に対して誠実に謝罪し、賠償し、国内法によってネオナチ的行為を禁止できるようにしてきた。その結果、ドイツに対する戦時中の批判はまったく起こっていない。
 ところが、戦後に周辺諸国に対して誠実に謝罪して、賠償責任を積極的に正しく果たそうとしてこなかった日本人は、「金を払えばいいのか?」という程度のレベルの低い認識しかなく、戦時中の行為を心から反省もしていない。特にテレビ報道界は、何か言われるとすぐに開き直って「それは反日だ」というキャンペーンを続けている。これからアジアの外国人労働者を数多く受け入れようとしているのが、日本の国ではないのだろうか? 「いつまでも人権を無視して、恥ずかしくないのか?」と尋ねたくなる。


◆韓国に独裁者を君臨させ、朝鮮戦争を引き起こしたアメリカ軍政と大日本帝国の売国奴


 次に本稿で解き明かさなければならないのは、朝鮮半島で、なぜ同じ民族のあいだで朝鮮戦争≠ェ引き起こされたか、という歴史のミステリーである。たった今、この朝鮮戦争を完全に終結させようとしているのが、現在の文在寅と金正恩の南北首脳であるから、以下に述べるこの戦争の正確な歴史を知らずに、テレビ報道のコメンテイターが、目の前で進行している朝鮮半島問題に対する意見を語ることはできないはずである。
 初代の韓国大統領・李承晩(イ・スンマン)から、実質的に彼を継いだ軍人大統領・朴正熙と、さらに彼に続く軍人大統領の全斗煥、盧泰愚たちが、長い間、韓国で強権を握って独裁者になることができたのは、なぜであろうか?
 その理由もまた、日本が降伏した時代、1945年に戻ってみれば分る。
 日本の植民地統治時代の売国奴であった親日派≠フ朝鮮人たちは、南朝鮮に乗りこんできた米軍の意を受けて、いきなり「共産主義反対!」と叫んで反共スローガン≠掲げ始め、その行動によって南朝鮮の愛国者≠ノ化けたのである。朝鮮民族の反逆者を愛国者に変身させる魔法となったのが、共産主義者を攻撃する運動であった。彼らは、日本の植民地・朝鮮統治時代に特高警察が完成した残忍無比の電気拷問などの技術を日本人から受け継いだあと、それにさらに磨きをかけ、長期間にわたって韓国の独裁政権を支える主柱のひとつとなって、韓国民に襲いかかる恐怖の組織となった。
 その時、軍事独裁政権を育てたのが、ほかならぬ、光復節後に南朝鮮に進駐した米軍だったのである。その経過を、日本敗戦の年から振り返ってみよう。
 1945年、ソ連が日本を占領することをおそれていたアメリカは、日本領土の代りに、朝鮮領土の北半分を与えてソ連を黙らせた。その結果、ソ連兵が進駐した北朝鮮では、共産党思想の確たる素地がなく、ソ連が頼るべき指導者もいなかったので、ソ連軍部は、朝鮮人民革命軍の指導者と称する金日成(キム・イルソン)を引き立てて、この男をソ連の操り人形として指導者に据えることにし、金日成は自分の郷里の平壌(ピョンヤン)に帰り、最高指導者に成り上がっていった(この経過はのちにくわしく述べる)。
 占領軍である南朝鮮の「米軍」と、北朝鮮の「ソ連軍」は、いずれも朝鮮人の行動に深い関心を持たず、日本の植民地統治時代についても理解していなかったので、自分たちの朝鮮分割・占領行政だけに心を砕いた。本来であれば、分割されるべきは、朝鮮ではなく、ドイツと同じように敗戦国の日本であるべきだったが、南北に分断されて、占領されたのは、理不尽にも朝鮮半島の民衆であった。
 日本降伏から2ヶ月後、こうした時期の1945年10月16日に、民族主義者と自称する李イ承晩スンマン(り・しょうばん)なる人物が、亡命先のアメリカ・ハワイから米軍の特別軍用機でソウルの金浦(キンポ)空港に連れて来られて、朝鮮に帰国した。ところが彼は、記者会見で朝鮮語をまともに話せない男であり、1875年生まれの彼はすでに70歳の高齢であった。それまでアメリカ政府は、「李承晩は朝鮮で人気が高い」と聞いていたので、政界が李承晩に握られるのを阻止しようと、アメリカで足止めしていた。ところが李承晩が、実際の朝鮮独立運動とまったく関係のない人物であり、やがて「李承晩がモルガン財閥と結びつきのある親米勢力で、反共主義者である」と判断して帰国を許したのである。この人選の過ちが、後年までアメリカ最大の失政となった。
 このあと、李承晩が南朝鮮で政治的実権を握って、初代大統領に就任するまでには、国連を舞台にしたアメリカとソ連の数々の政治的駆け引きと、朝鮮人のさまざまな組織の対立があった。それは歴史的には面白いが、非常に複雑なので、本稿ではその経過を省略して、5年後に最悪の「朝鮮戦争」を招いたアメリカ軍政の動きを中心に述べる。
 日本敗北の翌年1946年に入ると、1月15日にアメリカ軍政が南朝鮮に「国防警備隊」と名づけた朝鮮人の軍隊を創立し、この朝鮮軍をアメリカの傭兵ようへいとした。新設したこの国防警備隊の幹部に就いた朝鮮人は、英語を流暢りゅうちょうに話せる人間が米軍にとって利用しやすかったので、前年1945年12月5日にアメリカ軍政が設立した「軍事英語学校」の卒業生であった。ところが同校出身者110人のうち、植民地統治時代の「日本軍」出身の朝鮮人が87人で、実に79%の大半を占め、さらに日本軍の支配下にあった「満州国軍」の出身者が21人、その他が2人であった。つまりほとんど全員が大日本帝国軍の出身者という朝鮮売国奴の親日派≠ナ占められたのだ。そうした軍人の一人が、のちの韓国大統領・朴正熙(パク・チョンヒ)であり、「満州国軍」出身の彼は、日本敗戦後に朝鮮警備士官学校に入学し、その後、色々と紆余曲折の苦難の時代はあったが、すべて大日本帝国時代の親日派$謾y軍人が彼を出世の道に導き、軍事クーデターで権力のトップに立つと、やがて大統領のポストを手に入れた。そして朴正熙の部下だった全斗煥と盧泰愚が、朴の後を継いで軍人大統領となったのである。
 こうしてアメリカは、朝鮮を大日本帝国の支配から解放したのではなく、日本の植民地統治時代の朝鮮人売国奴を軍の幹部に引き戻す主役を演じていたのだ。
 加えて、この南朝鮮史の初期の過渡期に、軍人ではない李承晩も、米軍に従って「共産主義に反対する親日勢力」を味方につけようとしたため、かつて朝鮮を植民地にしようと日本に協力した親日勢力の売国奴≠フ戦争犯罪者が、李承晩政権を支える資産家のパトロンとして、続々と有利な立場に復帰し、李承晩政権は事実上の軍事政権となった。このようなアメリカ軍政と李承晩の反共政策のため、「朝鮮人が自力で朝鮮半島全土を統治する朝鮮政府を樹立する」という夢が完全に消え去って、北緯38度線による南北朝鮮の分断が確定してしまったのである。


◆南朝鮮の民衆が起こしたアメリカ軍政に対する反乱


 しかしこの間、南朝鮮の民衆は、折角日本人を追い出したのに、自分の国で自分たちがいつまでも解放されない立場にあることに気づくと、当然のことながら次第に激しい憤懣ふんまんを覚えるようになり、アメリカ軍政と、それに追随する反共右翼と、戦時中の売国奴に対する抵抗運動が起こった。当時の一般の南朝鮮の民衆は、貧しいままで、救いようがない生活苦に追いこまれていたからである。というのも、日本の植民地統治時代には、日本人が南朝鮮の資産の90%以上を略奪して、裕福となった日本人が富を独占していた。日本敗戦後は、日本人が日本に帰国して朝鮮に残したその巨大な資産を、アメリカ軍政が本来の所有者である朝鮮人に返却すべきところ、すべて軍政下に置いてしまったのだ。そのうち一部の資産は、李承晩政権にコネを持ってアメリカ軍政に寄生する商人と、地主などの特権層にだけ、安価で払い下げられてきたのだから、大半の南朝鮮の民衆は、貧困のどん底から抜け出られなかった。
 かくして1946年6月には、南西部地方、全羅南道(チョルラナムド)の光州(クァンジュ=17頁の地図参照)にある和順(ファスン)炭鉱の労働者が、こうしたアメリカ軍政の寄生者である警察と右翼に反対して決起し、無実で投獄されている者の釈放を要求してデモをおこなった。その時、米軍の歩兵部隊と、韓国警察の武装騎馬隊がこのデモを鎮圧し、500人以上が死傷する光州虐殺事件が起こり、大惨事となった。さらに7月には、同じ全羅南道の農民が決起して、南朝鮮における最初の農民闘争が勃発し、9月24日には、南朝鮮の釜山(プサン)の鉄道労働者8000人が決起して「米よこせ、テロ反対」のゼネストが起こり、鉱業、電気、印刷、郵便局など、労働組合傘下の産業部門の全土にストが拡大し、大都市の学生を含めて25万人が参加した。このゼネストをまたしてもアメリカ軍政が呵か責しゃくなく弾圧し、9月30日にはソウルの龍山(ヨンサン)駅の鉄道労働者のストライキに対して、アメリカ軍政の指示のもとに警察が一斉射撃を加えて500人以上を死傷させたのである。
 10月1日には、南東部の大都市・大邱(テグ=17頁の地図参照)に「十月人民抗争」と呼ばれる大規模な反米闘争が起こると、民衆鎮圧のために、ここでも日本の植民地統治時代の売国奴が雇われた。これをきっかけとして、反米デモが南朝鮮全土に広がり、230万人の民衆が参加した。参加者のこの大きな数字は、南朝鮮におけるほとんど全国民の怒りを表わしていた。こうした反米闘争に対して、朝鮮の民衆の苦しみを
 顧かえりみない失政の責任者である米軍は、「デモは共産主義者の煽動である」とアカ呼ばわりして非常戒厳令を敷き、警察と、警備隊と称する軍人のほか、反共右翼団体を動員して彼らに対して苛烈な武力弾圧をおこなった。この70日間続いた十月人民抗争における「公式発表」の死者は136人だったが、実際の死者・行方不明者は何と3900人以上、負傷者は実に2万6000人以上、検挙者1万5000人以上を数えたのである。こうして南朝鮮の各地でアメリカ軍政に反対するデモが続発した。
 追いつめられたアメリカ軍政のホッジ司令官は、1946年12月12日に、南朝鮮の過渡立法院と称する臨時国会を開いて、南朝鮮の民衆に政治的な首輪をはめようとした。アメリカ軍政が立法権を完全に握っているのだから、この立法院に対して朝鮮人は何の権力もなく、加えて議員たちは買収工作のほか、警察とテロ団による暴力などの不正選挙によって選出される有様であった。
 1947年3月1日には、日本の植民地統治時代に朝鮮人が三・一独立運動≠起こしたこの記念日に、朝鮮南部の済州島(チェジュド=17頁の地図参照)で3万人の民衆が結集し、烈しいデモをおこなっていたところ、前年の大テ邱グ抗争で民衆を弾圧した警官が出てきて民衆が虐殺された。3月22日には、南朝鮮全土で24時間ゼネストが実施されて、ソウルでは大規模デモが挙行され、その結果、ゼネスト参加者2000人が大量に検挙されたのである。
 1947年6月3日には、アメリカの軍政庁を「南朝鮮過渡政府」と改称し、李承晩がアメリカの財閥と結びついて、アメリカ軍政下の資本関係を利用しながら権力の座についた。
 一方この頃、日本に関して、1948年1月6日に、サンフランシスコのコモンウェルス・クラブでアメリカ陸軍長官ケネス・ロイヤルが不思議な演説をおこなった。「日本は現状のままでは食糧の飢餓に動揺し、内外の煽動主義者(共産主義者)に動かされて、(アメリカの)援助がなければ非民主主義的な侵略思想の餌食となるであろう。これまで日本の全体主義(天皇制軍国主義)に代る自由主義の土台を築くことを可能にしたのはGHQ司令官マッカーサー元帥らの功績である。しかし今後の政治的な安定のためには、日本に健全な自立経済がなければならないことを、陸軍省と国務省は認識している。戦後日本の戦争力を弱めるためにおこなってきたことが、この国の最も有能な実業指導者(戦争財閥)を無力化させてきた。こうした過度の措置(財閥解体)に修正を加えなければならない。日本に、自立し、かつ今後、極東に生ずる全体主義的(共産主義者による)戦争の脅威を食い止める対抗手段としての政治を建設することを、われわれの確固たる目的とする」と主張したのだ。
 彼はなぜ唐突にマッカーサーの日本占領政策を批判し、明らかに「日本を反共の砦」として「日本再軍備の狼煙のろし」をあげる声明を発表したのであろうか。実は、このロイヤル陸軍長官と、彼の上官である初代国防長官ジェームズ・フォレスタルは、米軍の最高幹部でありながら、いずれも弁護士と投資銀行家であって、生粋の軍人ではなかった。つまりアジア極東の朝鮮半島と日本の情勢に対して、ウォール街を支配するモルガン=ロックフェラー連合の軍需財閥たち資本家の巨大な政治力が背後にのしかかってきたのである。それは、世界大戦で肥え太ったアメリカの軍部と軍需産業が、世界大戦が終ったあとに膨大な数の失業者を出している経済事情が原因であった。
 1948年2月7〜9日には、李承晩が「南朝鮮における単独の選挙」をめざしていることに南朝鮮労働党傘下の労働者が反対し、南朝鮮と北朝鮮の分裂を食い止めようとゼネストを挙行し、農民と学生200万人がこの反対行動に参加して全国に広がり、検挙者・死傷者とも数万人に達した。続く4月3日には、済州島(チェジュド=17頁の地図)に武装蜂起という大事件が勃発し、これが米軍による四・三大虐殺事件≠招いた。韓国南部の現在のリゾート地・済州島全域で、朝鮮半島の南北分断政策をめざす李承晩派が南朝鮮だけの単独選挙を挙行することに反対して、島の人々が武装蜂起したのである。
 この武装蜂起に対しては、最初からアメリカ軍政が警備隊を送りこみ、軍と警察が島に火を放って焦土化し、島民を虐殺しつくした。人口30万余の済州島で実に死者が3万人を超え、女性と子供だけでも1万人以上が殺される大虐殺を引き起こしたのだ。加えて、逮捕された無実の島民は、逮捕された意味も分らずに殴られ、激しい拷問を受け、軍法会議にかけられてアッという間に2530人にデタラメの有罪判決が下されたのである。
 当時、米軍にとっての済州島は、日本における沖縄と同じ軍事基地であった。3つの軍用飛行場があり、中国本土とソ連のウラジオストック、ハバロフスクおよび日本を射程に入れた攻撃基地だったので、米軍は何としてもここを死守しなければならなかった。ここで朝鮮人を大量虐殺し、焦土作戦を強行した韓国軍の国防警備隊第9連隊の隊長・宋堯讃(ソン・ヨチャン)は、またしても大日本帝国軍の陸軍特別志願兵訓練所で教育を受けた売国奴であり、先に述べた米軍の軍事英語学校の卒業生であった。
 この歴史的な済州島四・三大虐殺事件≠ノついては、島民の三つの地域の住民が、のちに最近まで韓国政府を相手どって賠償を請求する訴訟を起こし、すべて住民の勝訴が確定したので、歴史問題は解決したとみなされていた。ところがつい先年2013年に朴パク槿ク恵ネ政権が発足すると、四・三事件≠ヘ共産主義者が煽動した暴動だったと言い出し、政権高官が済州島を訪問したとき、処刑された無実の人々を事件の虐殺犠牲者と認定したことについて「再審査する必要がある」と暴言を吐いたため、済州島民の猛反発を受けてほうほうの体でソウルに逃げ帰った。2015年には、四・三事件追悼式典≠ヨの出席を朴槿恵大統領が拒否するという無ぶ様ざまな姿をさらけ出した。そこで昨年2018年4月7日には「済チェ州ジュの民衆を大量虐殺した責任は、李承晩政権とアメリカにある」として、韓国人の遺族がアメリカ大使館に抗議し、今年2019年1月17日には、事件当時に内乱罪などで軍法会議に引き渡され、懲役1年〜20年の刑に服した数少ない生き残りの元受刑者18人が訴えた再審裁判で、済チェ州ジュ地裁が「当時の軍法会議の有罪には根拠がなかった」と公訴棄却の「無罪判決」を下して、歴史の清算活動が、今になってようやく実ったばかりである。この時、裁判長は、実に70年以上前の事件で、高齢になるまで受刑者が冤罪によって味わってきた無念の思いに対して、「これまでご苦労様でした。裁判所の立場から、そう申し上げたいと思います」と、丁寧な言葉で 労ねぎらったほどである。


◆南北朝鮮で二つの独立国家が成立し、朝鮮戦争の開戦に向かった


 さて、済州島の虐殺が進行する中で、1948年5月10日には、ロックフェラー財団理事長でアメリカ国連首席代表となるジョン・フォスター・ダレスの工作によって、国連に「朝鮮委員会」なるものが登場して、アメリカが国連を国際的な政治儀式に悪用し始めた。この日、国連の朝鮮委員会が監視し、米軍が戦闘準備態勢をとる中で、南朝鮮の憲法制定議会の議員選挙が実施され、議長にアメリカ軍政の木戸番・李承晩が選出された。以上述べたように夥しい数の南朝鮮の民衆の怒りを買う危機的状況のアメリカ軍政下で、この足固めの前準備を整えてから、7月20日に、制憲国会が大だい韓かん民国みんこくの「憲法」を制定して間接選挙による大統領選挙が実施されたのである。この時、李承晩の政敵がことごとく軍部のテロによって殺害され、大統領選挙中に謎の急死を遂げていたので、当然のように李承晩が大統領に当選した。かくして翌月の1948年8月13日に南朝鮮に韓国(大だい韓かん民国みんこく)という新国家が誕生し、初代大統領に李イ承晩スンマンが就任したのである
 こうしてアメリカ軍政の手の中で転がされるままに韓国という国家が成立すると共に、国軍組織法が誕生し、先に創設されていた国防警備隊が「陸軍」と改称され、海岸警備隊が「海軍」と改称され、韓国の正式軍隊が発足した。その中で、韓国全土の警察幹部に、日本の植民地統治時代の特高関係者が登用されるようになったのだ。
 この建国時には、アメリカ軍政から韓国政府に政権が移譲されていなかったが、1ヶ月後の9月11日に「アメリカ・韓国間の財政および財産に関する最初の協定」が締結され、アメリカ軍政から韓国に政権が移譲された。ところが、韓国の軍隊に対する指揮権は米軍が掌握していたので、韓国軍はアメリカの傭兵 ようへいのままであり、発足した韓国政府は、最初からアメリカの言いなりに動くマリオネット(操り人形)たる傀儡かいらい政権であった。
 一方、この少し前の1948年2月8日には、北朝鮮でも人民軍が創設されていた。韓国成立直後の8月25日には、北朝鮮でも南に対抗して、国会にあたる最高人民会議の代議員の総選挙が施行され、9月8日に朝鮮最高人民会議の第一次会議で憲法を採択して、翌日9月9日に「朝鮮民主主義人民共和国」が樹立された。首相に金日成(キム・イルソン)が就任して、こちらは共産主義国・ソ連の傀儡かいらい国家となった。
 こうして1948年に、南に韓国、北に朝鮮共和国がほぼ同時に誕生したのである。


 ちょうどそこに、これまでの民衆グループや組合運動が起こした反政府運動と違って、韓国の軍隊≠ェ李承晩に対して反乱を起こすという大事件が勃発したのである!!1948年10月19日に、先述の済チェ州ジュ島ド蜂起を鎮圧するために派遣される予定だった韓国最南端、全羅道(チョルラド)の麗水(ヨス)に駐屯する軍隊が、出動を拒否して反乱に決起したのだ。というのは、済州島では、韓国政府の成立後も警察と軍に対する島民の激しい衝突が続いていたので、李承晩はアメリカと組んで済州島の焦土化作戦を進めようとしていた。そのため10月19日夜から、済州島の抗争鎮圧に反対する麗ヨ水スの南朝鮮労働党の軍隊・第14連隊が、「朝鮮人同胞に対する虐殺を拒否し、米軍の即時撤退を求めて」反乱を起こしたのだ。数千人の軍人が同調して行動したのだから、組織的にも、ケタ違いの人数においても、これまでの反政府・反米行動とは違っていた。「李承晩打倒!」を掲げたこの反乱は、翌日10月20日に麗ヨ水ス郡から隣の順スン天チョン郡にも拡大したので、この反乱は麗ヨ順スン事件と呼ばれた。
 10月24日には、麗水へ向かう韓国正規軍が反乱軍の待ち伏せに遭い、正規軍270人以上が戦死し、この間に反乱軍の主力1000人が北部の智異(チリ)山へ移動し、反乱軍がパルチザンとなって山中に潜伏して長期的なゲリラ闘争を展開した。ちょうどキューバ革命の成功前に、カストロとチェ・ゲバラが独裁者バティスタに山中からゲリラ戦を挑んだような大事件であった。
 李承晩大統領と米軍は、大規模な軍部の反乱に衝撃を受け、韓国に駐在するアメリカの軍隊が鎮圧に乗り出した。この時の李承晩は、この反乱を利用して左翼を撲滅する絶好機ととらえて、直ちに米軍と共に鎮圧部隊を投入したため、10月27日までに反乱部隊を鎮圧し、反乱部隊だけでなく非武装の民間人8000人を殺害する大事件となった。反乱軍に加担した嫌疑で1万7000人以上の市民が裁判にかけられ、866人に死刑が宣告されたのだ。さらに、終身刑を言い渡された568人の将兵は、1950年の朝鮮戦争勃発と同時に、全員処刑されたのである【この「麗順事件」の犠牲者に関しても、前述の過去事委員会が調査をおこなった結果、不法に逮捕・監禁された事実が明らかにされ、今年2019年3月21日に韓国最高裁(大法院)で71年ぶりの再審開始が決定されたばかりである】。
 1948年には麗順事件のあとも大邱(テグ)や光州(クァンジュ)、馬山(マサン)などの各地で反乱軍の決起が続発した。これら一連の反政府・反米事件では、いずれも、死者など被害者の数があまりに大きいことに驚かされるばかりである。
 このように国民虐殺が横行する不穏な形で韓国という国家がスタートしたのが1948年であった。そのため済州島事件・麗順事件直後の11月30日に、李承晩が韓国国会で「米軍の長期駐屯案」を強行採決して、いよいよ北朝鮮との戦争に備える準備に入り、翌日の12月1日には、軍隊内の粛清に乗り出した。彼は自分に反対する人間を根こそぎ弾圧できるよう、「国家保安法」を公布したのだ。この法によって、「米軍の撤退」もしくは「南北朝鮮統一」を主張する平和主義者≠ヘ無期懲役に処せられ、翌年には国家保安法が改悪されて死刑が含まれるようになった。
 この国家保安法は、北朝鮮を国家と認めず「反国家組織」と規定して、韓国の国民が許可なく(家族であっても)北朝鮮の人間や資料に接することを禁じ、最高刑は死刑に処すという鬼畜に等しい野蛮な法律であったため、1年間で逮捕者が11万人にも達し、軍隊内部では軍人4749人が摘発され、そのおよそ半数が銃殺刑で処刑されたのである。この処刑された者の中には、日本の植民地統治時代の1940年9月に創設された朝鮮の独立軍「光復軍」出身者が多数含まれていた。「光復軍」は、日本に宣戦布告して抗日運動を激しく展開した真の愛国者であった。1910年に韓国(朝鮮)が日本に併合され、朝鮮の民衆が一斉蜂起して日本に対して反乱を起こした1919年の三・一独立運動≠フ指導者も、李承晩はアメリカのCIAと手を組んで次々と投獄し、暗殺したのである。この粛軍の先頭に立ったのが、陸軍本部情報局大尉の金昌竜(キム・チャンリョン)であり、彼はのちに陸軍特務隊長となるが、またしても元日本軍の憲兵伍長であった。こうして韓国の大統領が、信じられないことに日本の植民地統治時代の売国奴を使って、朝鮮/韓国独立運動の英雄を惨殺しながら、軍事独裁者に成り上がっていったのである。またそれが、アメリカの指示によるものであった。このようにしてアメリカに支持された李承晩は、絶大な権力を持つ独裁者としての政権を確立したが、事実上、韓国内は無政府状態であった。
 こうして1948年に成立した韓国の国家保安法は、日本が1925年に公布した最悪の法律「治安維持法」の条文をほとんどそのまま受け継いだものであった。つまり戦時中に日本国民の意見表明さえ弾圧して許さなかった「思想」を裁く民衆弾圧法であり、物証を必要とせず、拷問による嘘の自白だけで好きなように罪を問うことができるこの悪法が、韓国では現在まで生き続けてきた。同じ時期に日本を占領したGHQマッカーサー指揮下のアメリカは、大日本帝国時代の軍国主義を日本社会から根絶しようと、1945年10月4日に日本の治安維持法を撤廃して、特高警察を廃止させ、財閥解体のために活動しながら、一方で韓国の米軍は、まったく逆のファシズムを実行していたのだ。共産主義撲滅というイデオロギー実現のために……
 私自身を含めて、われわれ日本人、とりわけ戦後世代に欠けているのが、この時代にアメリカ人によって苦しめられていた韓国人≠ノ関する知識だったのである。それは、戦後日本の重要な変革期なので、われわれの目は、当時の日本国憲法の成立など日本の変化だけに注がれて、朝鮮半島にまで頭が回らなかったからである。
 しかし韓国でも近年、1998年に「国民の政府」を謳う金大中(キム・デジュン)が大統領に就任して民主化を強く推進するようになり、彼を継いだ盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が「国家保安法は博物館に送らなければならない」と力説し、市民運動もあらゆる努力を傾け、何度も国家保安法の廃止が試みられた。若き弁護士時代の盧武鉉が韓国映画『弁護人』で「釜林(プリム)事件」の無実の学生を守ろうとした時に痛烈に批判して戦った相手が、この国家保安法であり、人間の思想まで統制し、拷問でも何でも警察に許したのが、この悪法であった。しかし盧武鉉大統領時代に与党が過半数を占めていながら、朝鮮民族に対する反逆者が反共≠叫んで愛国者に変身し、韓国経済の資本を動かす財閥が支配層を形成しているため、これら既得権を握った勢力の抵抗は強かった。その時、国家保安法の廃止を食い止めるファシズム運動の先頭に立ったのが、朴槿恵(パク・クネ)であり、2019年現在に至るも国家保安法の廃止が実現されていない。
 日本人から見れば韓国は、人権の尊重を謳う近代国家であるはずだが、韓国映画界が製作する一連の歴史ドラマを見れば分るように、そこに横行する朝鮮王朝時代の官僚機構を支配した上層階級の両班(ヤンバン)と、老論(ノロン)派たちによる身分差別主義は、日本の江戸時代の士農工商による差別どころではなかった。現在まで、その封建時代の身分制度と、何事にも父親の了解を求めなければならない家父長制度を引きずっていると言われるのが韓国である。一方で、学歴重視社会が企業内にはびこって、高校卒・中学卒の会社員が大学卒から激しいイジメを受けるという、韓国の会社員の差別問題も深刻である。そうしたサラリーマンとオフィスレディーの正視に耐えない姿は、現代の韓国ドラマ『未生(ミセン)』など数々の作品に描かれている。
 言い換えれば、このような朝鮮・韓国の身分制度や、生まれつきの貧富の差と、学歴が人生を決めるという国民の学歴差別主義を痛烈に批判して描くのが、現代の韓国ドラマの脚本の柱であり、それを演ずる韓国トップスターである芸能人・文化人のすぐれた反骨精神がそこに見事に表われているのである。またその著名な役者とストーリーに拍手を送って喜ぶのが現在の韓国の6〜7割を占める国民である。
 それら歴史ドラマ・現代ドラマのすぐれた映像に加えて、韓国民の進歩的な動きを加速させるのに大きな役割を果たしたものがあった。それが先に必読書として挙げた『韓国大統領実録』(朴永圭(パク・ヨンギュ)著、金重明(キム・チュンミョン)訳、キネマ旬報社)であった。李承晩・朴正熙・全斗煥・盧泰愚らの歴代大統領の強権政治の腐敗の軌跡と、中途半端な大統領・金泳三(キム・ヨンサム)のあと、金大中・盧武鉉大統領時代からの民主的改革と、李明博(イ・ミョンバク)大統領による再保守化が貴重なドキュメントとして詳細に記述され、同書最後の「未完の章」の大統領が朴槿恵(パク・クネ)にあたり、韓国民がそのあと、文在寅大統領を迎えて韓国の歴史的変化を体現しているところである。したがって文在寅は、そうした知性的な反骨精神の流れに乗って登場した人物であり、歴史の清算に取り組む彼の誠実な姿勢が多くの韓国民から支持されてきた所以はそこにあった。
 日本人の新聞記者・テレビ記者は、こうした現在の韓国の激動を知らずに、過去の古い知識に基づいて語る自称・専門家や、もと外交官と称する肩書人間にものを尋ねている。韓国民と共に活動したことがなく、韓国の国民の意識の変化をまったく読むことさえできないこれらの人間が解説者・コメンテイターとなって、朴槿恵を退陣させた2016〜2017年以降の韓国情勢をテレビ報道が解説しても、出がらしの茶のように、ほとんど意味がないのである。


◆北朝鮮の日本人がたどった地獄の逃避行


 ここまで、南朝鮮に韓国が誕生した時期の動乱について述べてきたが、それに対して、北朝鮮側はどうだったのであろうか。1948年9月9日に「朝鮮民主主義人民共和国」として新国家が誕生した北朝鮮で、光復節からこの日まで、日本人と朝鮮人の「民衆」がどのように生きてきたかについて、われわれ日本人はほとんど知らされてこなかったが、そのうちの重要なことだけ述べておく。以下文中の「北朝鮮」は、1948年の建国前、は、「国家」としての北朝鮮(人民共和国)ではなく、北緯38度線より北部の朝鮮を示す。
 1945年8月にソ連兵を迎えた北朝鮮には、日本人が28万人ほど居住していたが、そこに満州から避難してきた日本人が7万人ほど加わって35万人ぐらいだったとされている。2015年11月24日の朝日新聞に掲載された「各地からの引揚者数」の図では(旧厚生省の『援護50年史』の数字として)当時の北朝鮮にいた民間日本人のうち1割にも達する3万4000人という大量の人が、南北朝鮮の分断時期に死亡したとされているのである。「南朝鮮」では1946年春までに、一般の日本人はほとんどが引揚げ船で帰国できたのに対して、「北朝鮮」ではなぜ日本人がかくも大量に死亡したのか、その理由と経過をまず先に述べる。この日本敗戦当時の経過は、2014年8〜12月にかけて東京新聞夕刊に長期間掲載され、証言に基づくすぐれた連載記事「終戦と朝鮮半島 在留邦人の軌跡」を参考に記述する。ただし各地の事情は、北朝鮮の広い地域ごとにかなり異なっていたと考えられるので、全体的に以下のような悲劇があったと理解して読み進められたい。
 まず1945年8月9日に、ソ連軍が海上に進攻してきたのを認めた朝鮮最北部の日本の警察と憲兵隊は、ソ連軍の上陸を予想して自ら庁舎の爆破を開始した。8月12日にソ連軍が北朝鮮の要港・羅津(ラソン)と清津(チョンジン)(17頁の地図参照)に上陸し、ソ連軍の空襲で紡績工場などの重要施設が破壊された。そのため、北朝鮮の日本人住民は一斉に南に向けて避難を始めた。そのため移動中の日本人は、驚いたことに日本が無条件降伏した「8月15日」後も日本敗戦を知らずにいた。北朝鮮に日本軍は12万人いたが、彼らも8月19日までソ連軍と戦闘を交え、ソ連軍機による朝鮮北部への爆撃もこの日まで続き、そのあと日本軍は日本の無条件降伏を知ってようやく投降し始めたのである。ソ連軍が、北朝鮮の中心都市・平壌(ピョンヤン。のち北朝鮮の首都)に進攻したのは8月24日であった。
 その後のソ連軍は、北朝鮮に駐屯していた12万人の日本軍兵士を捕虜としてシベリアに抑よく留りゅうし、朝鮮総督府の幹部や警察官を拘束した。当時のソ連は自国内が史上最大の「スターリングラードの攻防戦」など、ヒットラーのドイツ軍との激戦で大破壊されていたため、勝利後のソ連の復興に必要な工業施設を手に入れるため、日本人が北朝鮮に設置した工業施設の機械類と資材を根こそぎ撤去して持ち去った。加えてこの初戦当時、北朝鮮に進駐したソ連兵は正規のロシア人兵士ではなく、中央アジアの監獄から釈放された「囚人の戦闘部隊」が多数いたため、略奪などの犯罪を平気でおこなう凶暴な兵士が多く、一般日本人の被害はすさまじく、特に女性たちはソ連兵に強姦されることが日常で、被害から逃れるために恐怖の日々におののいた。
 南朝鮮では、前述のように呂ヨ運ウ享ニョンが指揮した朝鮮人の建国準備委員会が、治安部隊を組織して日本人に暴力を加えることなく日本帰還に協力するよう努めたが、それと違って、北朝鮮に誕生した朝鮮人の保安隊は、それまで植民地統治時代に、苛酷な鉱山労働やチッソ工場に駆り出された奴隷労働などで、日本人から牛馬のような扱いを受けてきたことに対する当然の仕返しを望んだので、民間の日本人は、ソ連兵と朝鮮人によって自宅から追い出され、あらゆる暴行と略奪が続いたので、行くあてもなくさまよい歩いた。空腹の中、あてがわれた食料がごくわずかだけで、餓死に直面し、朝鮮人の農家に食べ物を無心しながら生き続ける人もいた。ソ連の憲兵隊が進駐して北朝鮮の秩序を回復し始めたのは、終戦から3ヶ月もたって、ようやく1945年11月頃からであった。
 このような地獄に投げこまれた民間の日本人は、暴行と略奪から逃れて生き延びようと、日本に向かう港がある朝鮮半島南端の釜プ山サンをめざして避難しようとしたが、真夏の熱暑のなかを歩き続けて、8月22日頃に初めて日本の敗戦を知って打ちのめされた。加えて8月25日に、ソ連が北緯38度線を封鎖したため、南への避難路も断たれてしまったのである。チッソがあった東部の工業都市・興南(フンナム)に隣接する咸興(ハムフン)では、9月26日になって、市外の荒れ地に追放されていた日本人がようやく市内に戻ることを許されたが、元遊廓や民家、学校、倉庫、兵器庫、機関車の車庫などに収容され、ひどいところでは一畳に4人というスシ詰めになって起居し、寒村の収容施設や日本軍の兵舎跡にも追いやられた。そこでは朝鮮人の保安隊が監視して外出も許されず、次々と死者が出て、それらの収容施設は死滅の村≠ニ呼ばれた。
 北朝鮮での日本人の扱いは、植民地統治時代の立場が逆転したのだから、ソ連兵ばかりでなく朝鮮人からも激しい憎悪を受けて、扱いが冷酷だったため、寒い冬になると、生活はますます厳しくなり、栄養失調の飢餓に加えて、発疹チフスが蔓延して治療もなく、2年目に入った1946年春までに、日本人死者は興南(フンナム)で3000人を越え、平壌(ピョンヤン)と咸興(ハムフン)ではいずれも6000人を越え、北朝鮮全土の死者は2万5000人に達した(前掲の数字では、このあと1万人近くが死亡したことになる)。
 それでもこの生活に耐えられずに避難路を探し続けた日本人は、雨露をしのぐ屋根さえもない中を1ヶ月も2ヶ月も歩き続けて釜プ山サンをめざした。途中、朝鮮人に見つかれば全身検査で金品を強要されて奪われながら、北朝鮮から南朝鮮に脱出した日本人は1945年内に7万7300人で、1946年3月下旬から6月までの3ヶ月で一挙に約10万人にも達した。陸路ではなく、木造の密航ボロ船で南に逃げた日本人もいた。最も悲惨だったのは、中国残留孤児と同じような戦争孤児たちであり、この罪もない子供たちは、この時代に最悪の日々に苦しみ喘あえいだのである。
 南朝鮮のホッジ中将が、北からの大量の日本人の避難民流入に驚いてソ連に抗議したが、当初は北緯38度線で日本人の避難を食い止めていたソ連は、北朝鮮の食糧が不足しているので、日本人の集団脱出を黙認して、むしろ南に追い出したのである。かくして28万人(+満州からの流入者7万人)を数えた北朝鮮の日本人のうち、南朝鮮を経由して日本に帰国した日本人は19万人を数えた。米ソが送還船による引揚げ協定を結んだのは1946年12月18日で、その時に北朝鮮に残っていた日本人はたった8000人になっていた。つまり、ほぼ35万人の日本人は、死ぬか、かろうじて脱出するかして北朝鮮からほとんど消えたのである(厚生労働省統計では、最近2016年3月31日までの北朝鮮からの引揚者は32万人である)。
 しかし南朝鮮にようやく脱出できた日本人も、空腹で疲労困憊 こんぱいしており、病気の蔓延をおそれる米軍によって、鉄条網に囲まれたテント村に隔離されて収容された。朝夕に与えられるトウモロコシのおかゆだけでひもじさをしのぎながら、時には米軍の缶詰にありつくこともあったが、引揚げ船に乗船できるまでに1週間〜10日間も待たされた。1946年12月になってソ連がようやく日本人の引揚げに着手し、12月16日に興フン南ナム港から2000人が長崎県の佐世保に向けて出航した。12月18日に米ソが送還船による引揚げ協定を正式に結び、以後、ソ連が日本に送還した日本人の数は8000人でしかなかった。
 この時点で北朝鮮に残っていた日本人8000人のうちおよそ3000人は、北朝鮮側から建国に協力するよう請こわれ、優遇されて残った日本人技術者と家族であった! 日本敗戦時の1945年に、朝鮮北部にあった日本の工場群は、チッソの水豊水力発電所や興南工場はじめ、大日本紡績の工場や、三菱系の製鉄所などの重要施設があったが、進攻してきたソ連軍の空襲と略奪を受けたり、日本人技術者がいなくなって使えなくなっていた。植民地統治時代の北朝鮮には金属、機械、化学、電力、鉄道、鉱山、造船所、製鉄所、製紙工場、セメント工場などの工業用プラントがあっても、日本人は植民地支配のため朝鮮人には一切技術を教えず、朝鮮人を肉体労働だけの下級労働者として使役したので、朝鮮人の技術者が皆無であった。そのため、1945年10月頃から北朝鮮側に日本人の技術が求められるようになって、彼らは北朝鮮政府に請こわれるまま残ったのである。 


◆北朝鮮に朝鮮民主主義人民共和国が成立した経過


 以上のように悲惨な運命をたどった日本人に対して、戦争の勝者側になった朝鮮人は、占領軍のソ連によって厚遇された。そのうち共産主義国家の中核となるべき朝鮮人の主な左派政治グループとして、当時は四つが存在したとされる。それは@朝鮮国内の共産主義者、A中国系の共産党員、B中央アジアなどにいたソ連派の朝鮮人、C満州の抗日ゲリラ出身のソ連軍人、であった。
 のちに北朝鮮の最高指導者となる金日成(キム・イルソン)は、Cソ連軍人の満州グループであり、北朝鮮ではごく少数の勢力にすぎなかった(金日成の出自については、その真偽に諸説あって疑念も出されているが、本稿では深入りしない)。
 1945年10月10日には、北朝鮮の中心都市・平壌(ピョンヤン)で共産党中央組織委員会の創立大会が開催され、この日が、北朝鮮で今日まで続く「朝鮮労働党」の創建記念日となり、国民の祝日となった(こうして労働党委員長のポストが北朝鮮の「国家主席」格となったので、アメリカのトランプ大統領と会談した金キム正ジョン恩ウン(金キム日イル成ソンの孫)が労働党委員長だったのはそのためである)。
 この時点で、ソ連の独裁者スターリンは、「金日成がたとえ少数派でも、ソ連軍人の仲間だった」という理由から、すでに彼をトップに据えることに決めていたので、10月14日に北朝鮮の平壌で、金日成の帰国歓迎市民集会を開かせ、10月16日にソ連が北朝鮮全土の行政権を北朝鮮の民衆に移管した。ここで重要なことは、ソ連政府が賢明にも、米軍が南朝鮮でおこなったような強圧的な軍政を敷かず、「朝鮮人民による独立国家の建設を援助する」と表明したことであった。そこで、朝鮮民衆の自発的な意思に基づいて組織された人民委員会(内閣)が誕生し、ソ連軍がそれを認めて、北朝鮮の行政権をすべてこの人民委員会に移譲したのである。
 この時点で、ソ連の敵意は主に大日本帝国の日本人の軍人と残党に向けられていたので、当時、57万人という膨大な数の日本人捕虜がシベリア抑よく留りゅうなどで苦しめられてソ連を恨んだが、ソ連は朝鮮人に対しては強圧的な態度をとらず、よく気を配って厚遇したので、朝鮮人から見ればアメリカ軍政よりはるかに民主的であった。
 年が明けて1946年2月8日には、北朝鮮に金キム日イル成ソンを主席(首相)とする臨時人民委員会が成立し、これが北朝鮮の行政を実行する内閣として活動を開始した。そこで金日成は、ただちに3月5日、北朝鮮臨時人民委員会の名で、民衆が農地を平等に所有できるようにする「土地改革令」を発布した。この土地改革が3月末に完了するという迅速な行政能力を発揮した結果、これまで土地を占有していた4万5000人の地主は、土地100万町歩(30億坪)という広大な財産を没収され、それらの土地が「人口の半分にあたる農民」に無償で分配されたのである。しかも土地を没収された地主も、自ら耕作する場合には、ほかの土地に移されて、規定の土地を分与されたので、農産物の収穫を減らすことなく収量は向上し、非常にすぐれた政策であった。この国民平等政策が功を奏して、北朝鮮の下層に生きる農民階級では、金日成に対する評判が一気に高まり、6000人余りにすぎなかった朝鮮共産党の北朝鮮分局の党員数が、一挙に20倍を超える13万5000人へと爆発的に急増したのである。
 戦後の日本で1946年10月11日から実施されて成功した第二次農地改革は、この北朝鮮に半年ほど遅れてスタートし、ほぼ同じ内容の改革であった。
 かくして金日成による農地解放の平等政策の成果が南朝鮮(韓国)に伝わると、当然、南朝鮮の左翼が「共産主義のほうがすぐれている」という大宣伝を展開することになり、驚いたアメリカ軍政が南朝鮮の共産党員に弾圧を加えるようになり、左翼的な新聞社を急襲して大量に逮捕した。南朝鮮では朝鮮共産党は不法組織として禁止され、左翼系の刊行物は徹底的に弾圧された。ついにはアメリカ軍政がソウルのソ連総領事館を閉鎖したため、ソ連総領事館員は全員がソウルを離れ、北朝鮮の平壌に向かった。
 戦時中の日本統治時代の朝鮮半島の産業の特色を説明すると、「南部(南朝鮮)」は平地が多いので主に農業と衣類・食料の小売り業が中心だったのに対して、満州に接する「北部(北朝鮮)」は山が多いので農地が少なく、農業生産と食糧が不足がちで、主に日本植民地の鉱山・工業地帯として利用され、水力発電ダムによる電力も豊富に持っていた。そこで戦後の北朝鮮は、強引なアメリカ軍政下で苦しむ南朝鮮(韓国)に比べて、金キム日イル成ソンが工業的な自立を進める政策をめざそうとしたが、先述のようにソ連が工業施設の機械類と資材を根こそぎ撤去してソ連に運び、水豊ダムの発電機も7基のうち2基しか残っていなかったので、残留してくれた日本人技術者を手厚く優遇して、工業施設を復活させる作業に傾注した。
 そこで、1946年6月24日には、日本人が残した北朝鮮の工業施設を復旧させるため、農地改革に続いて、工業社会向けの「労働法令」が発布され、「労働時間8時間」が決められたほか、「男女の区別なく、同一労働に対しては同一賃金を支払うこと。労働者には有給休暇と社会保険制度を定めること。少年労働を禁止すること」など、現代に照らしても理想的な労働条件を定める法律が制定された。日本人が経営してきた小野田セメント平壌工場は、戦後間もない1945年10月から国営工場となっていたが、1946年8月には、人民委員会が「北朝鮮技術者徴用令」を発布して、日本人技術者を北朝鮮にとどめる優遇政策を打ち出した。チッソ興南工場もその復旧対象の一つであった。
 これら北朝鮮における民主的な土地改革令(農地改革)と、工業社会の労働法令の実施が、奴隷化されていた南朝鮮の朝鮮人民衆にとって羨望 せんぼうの的となり、アメリカ軍政に反対する意思をますます強めた。そこでアメリカ軍政は、南朝鮮の民衆に北朝鮮の進歩的な政治事情を知られないようにするため、朝鮮人の北緯38度線の国境通過を禁止し、南北朝鮮の交通を遮断する布告を出して目隠し政策をとったほどであった。
 1946年8月10日には、北朝鮮の臨時人民委員会が「産業国有化法」を公布し、北朝鮮の共産主義政策が実施に移された。これによって、交通機関、郵便、銀行など、主要産業が国有化され、日本人と朝鮮人売国奴が所有していた重要産業は没収され、国家がこれらの重要機関を管理・経営しながら、国民にその利益を還元し始めた。しかも、正当な朝鮮民族資本家が所有する企業の活動は法的に保護され、奨励された。
 つまり現在の南北朝鮮のあいだにある「北朝鮮は民衆を苦しめる国家」という概念はなく、当時はまったく逆で、少なくとも朝鮮人にとっては「南朝鮮が民衆を苦しめる国家」であり、北朝鮮は「理想郷」と呼ぶにはほど遠くとも、はるかに民主的で、生活の向上に向けた労働条件が整っていたのである。
 1946年8月28日には、北朝鮮の共産主義勢力である共産党と新民党が合併して「北朝鮮労働党」を結成し、名誉議長にスターリンが就任し、副委員長・金キム日イル成ソンのもと、すべての行政がソ連の主導でおこなわれた。それを知った南朝鮮でも、11月23日に朝鮮共産党指導者・朴憲永(パク・ホニョン)が中心になって左翼グループの人民党・新民党・共産党が合併して、「南朝鮮労働党」を結成した。ところが彼らが戦闘的な路線に転換したので、アメリカ軍政が逮捕しようとしたが、朴憲永は北朝鮮に逃げのびた。ソ連の独裁者スターリンは、金日成と、朴憲永をモスクワに呼び出して面談し、二人を天秤にかけて、ソ連の言いなりになる金日成を北朝鮮の最高指導者に選び、アメリカと同様に、北朝鮮の単独政府樹立をめざすことになった。しかしのち1953年の朝鮮戦争休戦後に、朴憲永は金日成に「アメリカのスパイ」という濡れ衣を着せられて粛清された。
 3年目が明けた1947年に入ると、2月22日に北朝鮮人民委員会が正式に成立し、委員長(首相)に金日成が就任した。ところが3月12日に、アメリカでトルーマン大統領が上下両院合同会議で米ソ冷戦の進行を全世界に告げるトルーマン・ドクトリン≠宣言した。トルーマンは「武装した少数派や、外圧による征服に抵抗している自由な民族をアメリカが支援しなければ、共産主義のドミノ現象が起こる」と主張し、アメリカが世界の紛争に介入する政策を打ち出したのである。これで第二次世界大戦中のアメリカとソ連の協力関係が完全に断絶し、アメリカが共産主義と対決する事実上の「東西冷戦」の宣言となった。
 しかし朝鮮半島では、すでに1945年の光復節から南北が分断されてきたので、東西冷戦は既定の事実であり、トルーマン演説によって何か特別な変化が起こることはなかったが、朝鮮を愛する民族主義者が南北朝鮮を統一しようとする願いが、冷戦宣言のために叶わぬ夢となったことは明らかであった。南朝鮮だけの単独政府を樹立しようとする李承晩の南北分断政策が、このトルーマン・ドクトリンによって公認されることになったのである。
 こうした中で、先に述べた通り、1948年8〜9月に韓国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が、相次いで独立国家として誕生したのである。米ソが結んだ日本人送還協定によれば、ソ連軍の北朝鮮からの撤退開始がこの時期の1948年9月であったため、北朝鮮に残って建国に協力してきた日本人技術者と家族3000人はこの米ソ冷戦に巻きこまれ、複雑な事情で日本に帰国できなくなり、シベリア抑よく留りゅう者や受刑者となり、やがて1950年からの朝鮮戦争の戦火の中で命を落とす日本人もいた。


◆北朝鮮に比べて韓国の生活水準と経済力はひどく劣っていた


 韓国のアメリカ軍政と李承晩政権は、経済的にも民主的にも先を進んでいる北朝鮮に追いつく必要に迫られたので、翌年の1949年になってようやく、李承晩が韓国の経済的な土台を築くために、北朝鮮をそっくりまねて農地改革を実施し、アメリカの援助資金を基盤にした経済復興計画案を打ち出した。日本の植民地支配が終った光復節の時点では、南朝鮮の大半を占める80%が農業に従事していたが、その農民のほとんどが小作農であり、ごく少数の地主が農地の大半を占有していた。したがって、ほとんどの農民は、地主に雇われた使用人(小作人)という立場にあった。李承晩は、北朝鮮に倣ならって左翼出身の者を農林長官に任命して農地改革を実施させたので、政権末期の1960年までに、小作農民の90%が自作農になることができた。李承晩が国民につくした政治的な業績は唯一これだけであった。
 このような政策と共に、韓国にも工業的な産業が少しずつ広がり、アメリカの農産物が入ってきて農業人口が減少し、都市住民の人口が増えていった。しかし、韓国民の生活水準と工業力は、北朝鮮よりはるかに低かった。韓国民の生活は、この時期の1949年から14年後の1963年、つまり「朝鮮戦争の停戦」から10年後に朴パク正チョン熙ヒが大統領に就任した年になっても、国民1人あたりの所得が80ドル程度で、世界で最も貧しい国の水準にあり、ソ連と東ヨーロッパの社会主義諸国の支援を受けて復興し始めた北朝鮮に大きく引き離されていた。その1963年には、6月28日に北朝鮮政府が、韓国の食糧飢餓国民に対して、白米1万5000トンの無償提供を申し入れたほどであった。韓国人1人当たりの国民所得が北朝鮮と同じレベルに追いついたのは、ようやく1972年頃だったのである。
 しかし朝鮮戦争が開戦する前年の1949年には、韓国より進んでいた北朝鮮でも、短期の人民経済2ヶ年計画に着手したばかりだったので、まだこれからようやく国民生活の改善に着手できるかどうかという段階にあった。
 そうした中で1949年1月1日に、アメリカ政府が最もおそれていた出来事が起こった。当時、中国で北平(ペーピン)と呼ばれた北ペ京キンに、毛沢東もうたくとう率いる中国人民解放軍が入城して、「人民政府」を樹立したのだ。続く4月21日には、毛沢東が中国全土に進撃命令を下し、共産主義勢力が南下して揚よう子す江こう( 長ちょう江こう)を渡ると、4月23日に解放軍が南京ナンキンに入城し、5月27日には 上シャン海ハイを解放した。かくして中国のほぼ全土を解放軍が軍事的に制圧して、10月1日に30万の大群集が天安門広場に集まって建国式典が挙行され、北平を北京と改称して「華人民和国」が成立したのである。中央人民政府主席に毛沢東が就任し、首相・外相に
 周しゅう恩来おんらいが就任した。中国の共和国なので「中共」と呼ばれたこの新国家は、公式には臨時憲法で社会主義を謳うたっていなかったので、この時点では共産主義国・社会主義国ではなかったが、明白な共産党政権だったため、アメリカは中国からの撤退を余儀なくされることになった。
 ヨーロッパでは、この6日後の10月7日に、東ベルリンでドイツ民主共和国の建国が宣言され、共産主義国・東ドイツが成立していた。
 蔣しょう介かい石せき率いる中国の国府(反共軍)は、毛沢東軍に追い立てられて1946年5月1日に重じゅう慶けい(チョンチン)から南京 ナンキンに首都を移していたが、この時期の1949年12月7日には、国府軍の首都が大陸の南京から、台湾の台タイ北ペイに追い落とされて移転し、3日後の12月10日には蔣介石自身も四し川せん省の省都「成都」から台北に逃れ、翌年1950年3月1日に台湾で正式に中華民国の総統にようやく復帰する状況であった。
 このように相次ぐ共産主義勢力の台頭に対抗して、この1949年半ばに、韓国大統領・李承晩が、北朝鮮に進軍して首都・平壌を占領する「北進統一論」という危険な大言壮語を吐くようになり、反共政策を掲げるアメリカに、万事仰せの通りひたすら追随する軍事指導者となった。李承晩は1948年7月20日に大統領に当選した時に、傲慢にも「韓国政府は朝鮮半島における唯一の合法政府であり、武力によってでも北朝鮮に対する主権を回復する権限を有する」と宣言していたので、その政策の実現に踏み出したのである。北緯38度線の国境での武力衝突は1000回近くになり、いよいよ南北の開戦が近づいていることは明らかであった。韓国軍が北朝鮮の首都・平壌を攻めて占領すると公言しているのだから、北朝鮮軍としても座視することはできなくなった。


◆日本で進められた軍国化


 一体、「朝鮮戦争」とは何であったのか、という巨大な謎を解いているのだが、以上述べてきた南朝鮮と、北朝鮮と、アメリカ軍政と、ソ連と、中国に続いて、六番目の鍵は、この時の「日本」の経過にあった。次のような経過から、非常に興味深い歴史の謎を解くことができるのである!
 アメリカ本国政府は、韓国軍が軍事的にも工業技術においても未熟なので、北朝鮮軍と互角に戦えるとは考えていなかったので、急いで日本に軍事力を持たせる必要性を感じていた。先に述べたように、1948年1月6日にアメリカ陸軍長官ケネス・ロイヤルが「日本を反共の砦とする声明」を発表し、5月18日には、はっきりと日本の再軍備を提唱したのはそのためであり、これまでのマッカーサーの政策と正反対の「日本を軍国化する」流れが生まれていた。続く1948年10月7日には、アメリカの国家安全保障会議(NSC)が、以下のような「アメリカの対日政策に関する勧告」を承認した。
 ──(アメリカの占領を終らせて日本を独立させる)講和条約は、日本に対する懲罰をナシとする。横須賀と沖縄のアメリカ海軍基地を今後も強く維持し、日本の警察力を強化する。連合国軍GHQ最高司令官マッカーサーの日本政府への統制力は弱めるべきである。戦争遂行に関与した日本人の公職追放を緩和する。日本工業界の非軍事化は最小で一時的な制限に限定すべきである──
 このように、日本をはっきり中国・北朝鮮と対立する軍事国家として利用する路線に政策を転換したのである。そうして韓国南部で麗ヨ順スン虐殺事件が起こった10月21日には、たたみかけるように国防長官ジェームズ・フォレスタルが、「陸・海・空軍を持つ日本の再軍備≠フ検討を開始する」と公式に言明したのだ。【フォレスタルは第二次世界大戦前まで大手投資銀行ディロン・リード社長だった男だが、驚くべきことに赤軍恐怖症で、翌年1949年3月に消防自動車のサイレンを聞いてソ連から襲撃を受けたと勘違いし、パジャマ姿のまま家から飛び出して「赤軍が上陸した!」と叫び、5月22日に、ワシントン郊外の海軍病院の16階の窓から投身自殺を遂げた。この頭のおかしな国防長官を雇っていたディロン・リード社の創業2代目で会長のユダヤ人ダグラス・ディロンはロスチャイルド一族で、アメリカをベトナム戦争に引きこみ、1972年からロックフェラー財団理事長となる。このような人間たちが、この時代の日本と朝鮮半島の軍事情勢を動かしていたことを知れば、寒気がする話である】。
 一方、韓国では、ほぼ同時期の1948年9月7日に、日本の植民地統治時代に親日派≠セった売国奴を政界から追放するための反民族行為処罰法が、憲法制定議会の141議員のうち103人(73%)が賛成する圧倒的な支持で可決され、続いて反民族行為特別調査委員会が組織され、親日派を一掃する活動がスタートしていた。ところが親日派≠フ売国奴だった資産家を政治基盤に抱える李承晩大統領が、この動きを阻止しようと動きだし、翌年の1949年8月22日には、韓国国会に圧力をかけ、この調査委員会を「廃止する」議案を強引に通して、委員会が闇に葬られてしまったのである。これによって親日派の追放≠ェ雲散 うんさん霧む消しょうしてしまったのだ。
 8月29日には、アメリカの軍需産業が巨大化して暴走するのに対抗して、ソ連がシベリアで最初の原爆実験に成功し、地球上にもう一つの危険な国家が生まれた。アメリカ軍部にとって、原爆の独占が破られたこの事件は、きわめて深刻重大だったので、翌年、朝鮮戦争開戦直後の1950年7月17日に、ニューヨークでジュリアス・ローゼンバーグがアメリカの原爆製造機密をソ連に伝えたスパイとしてFBIに逮捕され、朝鮮戦争末期に妻エセルと共にシンシン刑務所の電気椅子で死刑に処せられた。
 ソ連の原爆成功翌年の1950年早々には、1月26日に「アメリカ・韓国相互防衛援助協定」が調印され、ついにアメリカが韓国政府と正式な軍事協定≠結んだ。今さら結ぶ必要もない軍事協定だと思われるが、この協定は、韓国に駐留する米軍が「軍事顧問団設置に関する協定」を結んで、アメリカが韓国に軍事援助をおこなう見返りに、「韓国の軍隊と警察に対するすべての指揮権をアメリカが所有する」と規定するものであった。つまりこれは、「目前に迫ってきた北朝鮮との戦争に米軍が参加して指揮する」という軍事戦略を定めた協定であり、この協定を進めたのは、トルーマン政権の国務長官だったディーン・アチソンであった【アチソンは火薬と原爆材料プルトニウムの製造でかせぐ死の商人<fュポン社の顧問弁護士であり、前年の1949年4月4日に西側12ヶ国の軍事同盟NATO(北大西洋条約機構)の設立に調印して、「東西陣営の軍事対立」を確立した国務長官であった。このアチソンの 女むすめ婿むこウィリアム・バンディーは、弟のマクジョージ・バンディーと共にベトナムへの軍事進出政策を立案し、積極介入を提案してアメリカをベトナム戦争への泥沼に導く男であった】。
 こうしてアメリカと韓国が、北朝鮮に対する開戦準備をスタートした時期、1950年1月31日に、アメリカ国防総省(ペンタゴン)トップの初代統合参謀本部議長オマール・ブラッドレーが、何と陸・海・空の三軍長官を引き連れて、極東の軍事情勢を確認するため来日し、「沖縄と日本本土における軍事基地を強化する声明」を出したのである。翌日2月1日からは、彼らがGHQ司令官マッカーサーと日本の軍事体制を強化する具体的な方策について会談したので、この滞日10日間で、日本を拠点に米軍が韓国/朝鮮半島に展開する軍事作戦の青写真をつくりあげた。かくして2月15日に、アメリカ議会でジョゼフ・コリンズ陸軍参謀総長が「日本に駐屯する米軍は数ヶ月以内に戦闘準備が完了する」旨を証言したことが公表されたのである。この時、アメリカの海軍と空軍が、トルーマン大統領の命令で朝鮮戦線と台湾海峡で、軍事行動を開始していた。
 そこに、火に油を注ぐ事件が起こった。2月9日に、アメリカ上院議員ジョゼフ・マッカーシーが「国務省に57人の共産党員がいる」と爆弾演説を放ったのである。アメリカ国内での東西対立を激化させる赤狩りマッカーシー旋風≠ェ吹き荒れ始め、ハリウッド映画界を赤狩り騒動が巻きこんでいったのが、この時期であった。
 日本では2月10日に、GHQが「沖縄に、米軍の恒久的な基地建設工事を2、3ヶ月以内に開始する」と発表して、沖縄の米軍基地を強化する道を開いたため、沖縄は今日の辺へ野の古こ基地建設まで続く、救いがたい米軍支配の状況に陥った。ここでマッカーサーは、韓国軍の具体的な戦力を確認するため、韓国大統領・李承晩に来日するよう招請し、2月16日に李承晩が来日して会談し、反共政策について両者が相談した。
 しかしアメリカ政府は、対北朝鮮および対中国に向けて日本を本格的に軍事利用するには、韓国で失敗したような反米気運を生まないよう、日本国民の同意を得て挙国的に進めなければならないという政治戦略を描いていたので、日本政府および日本人に対してアメ≠与えることにした。それは、日本に対するアメリカの占領を終らせ、日本を独立させる国際的な講和条約の締結に踏み切る、という政策であった。これは、アメリカが真珠湾攻撃を受けて以来、日本軍と展開した太平洋戦争から180度転換するというきわめて重要な政治的選択であった。
 そのため1950年4月6日に、アメリカ最大財閥のロックフェラー財団理事長<Wョン・フォスター・ダレスが、トルーマン大統領から日本を独立させる講和条約担当の国務長官顧問・国務省顧問として任命され、事実上の「外交トップ」に据えられた。そして早くも4月27日には、この強烈な反共主義者ダレスが、日本との講和条約の早期締結を提唱して、事態が急速に動き出した。ここで、「対日講和条約を早期締結することによって、同時に日米安全保障条約(軍事条約)を締結し、日本を軍国主義化する」方向へと、アメリカの政策が固まったのである。
 ところが翌月5月30日に、韓国で第1回総選挙が実施されると、李承晩率いる与党の大韓民国党が候補者437人を立て、反対派の政治勢力に呵か責しゃくないテロと弾圧を加えていながら、当選はわずか57人の13%で、選挙に惨敗したのである。この選挙で李承晩の独裁政治が韓国民の激しい怒りを買ったのを見た米軍は、このままでは韓国全体を「反共の砦」にはできないと読んで、李承晩に相変らずの国民弾圧政治を続けるよう求め、6月13日に、韓国に「準非常戒厳令」が敷かれた。
 そして同時に日本の独立と再軍備を急がせることにし、同時期の6月6日、日本でもGHQの方針が転換され、共産主義者を粛清するレッドパージが始まった。この日、マッカーサーが吉田茂首相に対して、徳田 球きゅう一いち、野坂参さん三ぞうらを含む日本共産党中央委員24名の公職追放を指令し、翌6月7日には機関紙「アカハタ」関係者17名の公職追放を指令した。このようにして大々的にスタートしたレッドパージは、共産主義者粛清に名を借りた反戦・平和運動弾圧≠フ赤狩りであった。6月16日からは、警察本部が全国的にデモと集会を厳重に禁止し、ヴァイオリン・コンサート禁止まで吉田茂内閣に求めた。
 6月17日には、ジョン・フォスター・ダレス本人がトルーマン大統領特使として、ついに初めて来日した。そして翌日6月18日には、アメリカ国防長官ルイス・ジョンソンと統合参謀本部議長オマール・ブラッドレーという米軍最高幹部二人が来日して東京会議を開き、ダレス/マッカーサーと共に、日本および極東の防衛・軍事体制の検討に入り、日本本土の軍事情勢を詳細に解析した。
 ダレスはそこから韓国に渡り、国境地帯である北緯38度線の韓国軍を視察して、最前線の韓国将兵を激励した。6月19日に韓国の国会に立ったダレスは、「諸君が力を発揮する時は近い」と、北朝鮮との戦争を予告する演説をおこない、ダレスの前に立った李承晩がこれに応えて「共産主義撲滅のために最後まで戦う」と宣言した。
 その日に北朝鮮では、最高人民会議が、「全朝鮮」立法機関の設置を含む「南北朝鮮の統一」案を採択して、韓国に和平を求めたが、李承晩はこれに応じなかった。
 6月21日にダレスが再び日本に戻って、マッカーサーと講和条約について会談し、6月22日に吉田茂首相と会談した際には、日本に「講和(独立)後の再軍備」を要求したが、吉田茂は、その要求をアメリカとの政治的な取引き材料のカードにできると考えて、反対した。


◆朝鮮戦争が勃発した


 かくして、ダレス、マッカーサーだけでなく、李承晩および米軍最高幹部たちのあわただしい行動から予測された通り、1950年6月25日に、朝鮮戦争が勃発したのである
 以下、戦争勃発の経過は、日本の京都大学経済学部を卒業した歴史学博士である白宗元(ペク・ジョンウォン)氏の著書『検証 朝鮮戦争──日本はこの戦争にどうかかわったか』(三一書房、2013年6月15日初版)を参考にして記述する。著者は、日本の植民地統治時代の1923年に中国国境に近い朝鮮最北部の平安北道(現・北朝鮮領)に生まれ、北朝鮮の事情に精通しているからである。
 1950年6月25日の早朝4時に、北緯38度線の全線にわたって、北朝鮮軍ではなく、韓国軍が攻撃を開始し、北朝鮮領内1〜2キロメートルまで侵入したので、北朝鮮政府は李承晩政権に対して戦争行為の即時停止を要求し、停止しない場合には反撃する、と警告を発した。しかしアメリカ本国の国務省は、韓国駐在のアメリカ大使ジョン・ムッチオから曖昧な開戦第一報≠受け取ると、戦況の確認もせずに「北朝鮮が韓国を不意に奇襲した」と言い立て、同日、国連で安全保障理事会を開催させたアメリカが、「北朝鮮の敵対行為(戦争行為)の即時中止」を要求するアメリカ決議案を採択させた。
 ところがこの決議案は、開戦前にアメリカ国務省内ですでに作成準備が進められていたものであったから、アメリカにとって開戦は予定通りの行動であり、この予定調和の経過が実証していた通り、攻撃を仕掛けたのは北朝鮮軍ではなく、韓国軍であった。「朝鮮戦争の開戦日=1950年6月25日」という歴史の定義が、そもそもおかしな話であった。
 というのは、南朝鮮軍はその3年前の1947年から北緯38度線を越えて270件もの北朝鮮侵攻事件を起こしており、1948年に韓国が誕生してからはその軍事規模が大きくなり、1949年にはアメリカ軍事顧問団の指揮下にあった韓国軍の師団と共に、虎林部隊、白骨部隊などの特殊部隊までが動員され、北朝鮮の開城(ケソン)市、甕津(オンジン)半島、江原(カンウォン)道など多くの地域で、戦闘が続発して朝鮮人が虐殺され、1949年8月の武力衝突では300人以上という多数の死者を出していたのである。1949年9月には海上からも、韓国軍の艦隊が北朝鮮の西海岸に侵入しており、このように南北の境界線では両軍がたびたび衝突していたのだから、「1950年6月25日に北朝鮮の奇襲によって突然に朝鮮戦争が勃発した」というストーリーは、アメリカと韓国側の一方的なプロパガンダであり、「国連という国際的な機関」が北朝鮮に対する軍事攻撃に加担するレールを敷いた日付が6月25日だった、というにすぎなかった。
 先述の通り、経済的にいまだ苦難の途上にあった小国の北朝鮮は、6日前の6月19日に「南北朝鮮の統一」案を採択して韓国に和平を求めていたのだから、原爆を保有する世界最大の軍事大国アメリカを敵に回して無謀な戦争を仕掛けるなどということは、軍事的な動機として根拠がまったくなく、あり得ない選択であった。したがって事実上は、北朝鮮侵略を公言していた韓国軍が、強大な米軍を後ろ楯にして、朝鮮戦争を起こしたことは明白であった。
 こうして6月25日に、「国連」が朝鮮戦争に巻きこまれたのである。その国連の儀式は、韓国代表だけが国連に招請されて北朝鮮批判をおこなうという形でおこなわれた。もう一方の戦争当事国である北朝鮮は、アメリカの圧力で国連に参加できなかったので、提出された北朝鮮非難の決議案は、戦争当事国が不参加という、明白な国連憲章違反のものであった。加えて北朝鮮の後ろ楯をつとめるソ連は、5月1日に中共を国連に加盟させようとして反対されたため、国連安全保障理事会をボイコットして欠席していたので、アメリカがその裏をかいて強引に北朝鮮非難決議案を採択させたのである。
 なお、南/北の朝鮮が国連に加盟したのは、これから実に41年後の1991年9月17日に、国連総会が「北朝鮮と韓国の国連同時加盟」を全会一致で承認した時なので、そもそも北朝鮮も韓国も、国連に悪用されて朝鮮戦争を戦わされることになったのである。


 朝鮮戦争の経過を述べる。
 北朝鮮軍は14万人で、その中に毛沢東の指揮下で中国での実戦経験を持つ4万人の老練兵士たちが含まれ、ソ連製の戦車部隊を擁していたので、戦車部隊を持たない兵力6万5000人の韓国軍を相手にせず、たちまち韓国北部にある首都ソウルを占領した。そのため李承晩大統領は、開戦3日後に早くもソウルを放棄して逃げ出し、臨時首都を水原(スウォン)→大田(テジョン)→大邱(テグ)→釜山(プサン)へと、次々と南に後退させなければならなかった(17頁の地図参照)。米軍が7月1日に韓国南端の釜山に上陸して反撃を開始してからも、ソ連の強力な軍事支援を得た北朝鮮軍が、圧倒的に有利な態勢で進み、初戦には韓国領土のほとんどを北朝鮮軍が支配したのである。
 ソウルを逃げ出した李承晩は、ソウル市民に向かって「北朝鮮軍をすぐに撃退するから安心しろ」と気休めをラジオ放送したため、この放送を聞いて安心して居残っていたソウル市民は、続々と進軍してくる北朝鮮兵士の姿を見てようやく危険を察して避難し始めた。ところがこの時、避難路であった大河・漢江(ハンガン)にかかる鉄橋を、韓国軍が爆破したため、ソウル市民は南に逃げることもできなくなった。
 さて、アメリカが頼りにしていた工業国・日本は、この戦争でいかなる役割を演じたのであろうか?
 日本では開戦9日後の1950年7月4日に、吉田茂内閣が閣議を開き、「朝鮮におけるアメリカの軍事行動に協力する」との方針を了承し、韓国向けの軍需品の輸送対策に着手した。その4日後、7月8日にマッカーサーが吉田首相宛ての書簡で、警察予備隊7万5000人の創設と、海上保安庁8000人の増員を指令し、8月10日に警察予備隊が発足して日本の再軍備がスタートした。ほんの3年前の1947年5月3日に施行されたばかりの日本国憲法が、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めていた憲法第9条の条項が、いとも簡単に足あし蹴げにされて、朝鮮戦争のために自衛隊の前身となる「警察予備隊」が発足して、7000人が入隊したのである。
 しかし勿論、太平洋戦争で日本軍と戦ってきたことを忘れないGHQは、この再軍備が、旧大日本帝国の軍隊と縁のない組織にすることを原則としていた。つまりここで生まれた日本軍は、「朝鮮戦争の予備軍」と位置づけられ、米軍が朝鮮半島に出動した時、軍隊がいなくなった日本国内の治安維持を目的として育てる計画であった。そのため警察予備隊の幹部からは「旧陸軍」が徹底的に排除されて、警察出身者が大半を占めた。
 8月25日には、GHQが日本の産業界に対して大量の軍需品を直接発注する「朝鮮特需」がスタートした(特需については後述する)。
 米軍の本格的な反撃がスタートしたのは、北朝鮮軍が韓国の奥深くに攻め入って戦線が伸びきった隙を突いて、9月15日にマッカーサーがソウルの横腹を狙って仁川(インチョン)への米軍上陸作戦を成功させてからであった。ここで一気に形勢が逆転し、開戦3ヶ月後の9月26日には、米軍が首都ソウルを奪還した。ところが国連軍の反撃によってソウルに戻った李承晩は、 夥おびただしい数の韓国市民が彼の失政のため逃げられずソウルにとどまり、北朝鮮軍の占領下で苦しんでいたのに、「北朝鮮に協力した」という罪名を着せて、銃殺したのである。おそるべき韓国大統領であった。
 10月3日には、韓国軍と米軍が北緯38度線の国境を突破して北進し、10月19日に大反撃を開始して北朝鮮の首都・平壌(ピョンヤン)を占領した。
 この時期の「日本の再軍備の経過」は、今から半世紀以上前の出来事だが、現在の朝鮮半島情勢と密接な関係を持っているので、ここでくわしく述べておく。日本の再軍備の経過を知る読者にこの記述は無用と思うが、テレビ報道界の人間は若くてこの経過を知らない。現在のアジア情勢を知る上で、これこそが現在必要な新しい発見になるので、知っている人も無駄と思わず、改めて再軍備の経過を確認していただきたい。
 1950年9月14日に、トルーマン大統領が「対日講和」と「日米安全保障条約」という軍事条約を締結する予備交渉の開始を国務省に許可したので、翌日9月15日に国務省顧問ジョン・フォスター・ダレスがワシントンで「日本再軍備に制限を加えない」と演説した。それを受けて日本側も、10月には、元海軍軍人の吉田英ひで三みが、GHQの方針に反して、「旧軍人の実力を復活させなければならない」と、詳細な海軍復活プランを日本政界に配布し始めた。
 一方の北朝鮮軍は、開戦直後から、艦船が接触すると爆発する機雷≠海中に設置していた。そこでこの北朝鮮の機雷を掃蕩 そうとうするため、この10月、アメリカ海軍が日本の海上保安庁の掃海 そうかい艇ていに戦闘地域である朝鮮水域≠ヨの出動命令を出し、国会の承認なしに°g田茂首相がこれを承認した。この時に、日本人の朝鮮戦争への実戦参加が始まってしまったのである。そして10月7日から、元海軍大佐の田村 久きゅう三ぞうを総指揮官とする海上保安庁の46隻の「特別掃海隊」が派遣され、ほぼ2ヶ月にわたる戦地での機雷掃蕩活動を開始した。防衛研究所の戦史部所員・石丸安蔵による「朝鮮戦争と日本の関わり 忘れ去られた海上輸送」によれば、「およそ8000人の日本人が、アメリカの命令で朝鮮戦争の軍事作戦に参加させられ、判明しているだけで朝鮮戦争勃発から半年間で56人の日本人が命を落とした」とされているのである。
 さてこの時、10月下旬から米軍と韓国軍が北朝鮮に進攻して、中国国境(旧満州)に迫ってきたのを見た中国は、ついに挙兵命令を出した。10月25日に中国人民義勇軍20万の大軍が朝鮮国境の鴨おう緑りょく江こうを越えて朝鮮戦線に出動し、「中国軍+北朝鮮軍」対「米軍(国連軍)+韓国軍」の対決となった。というのは、第二次世界大戦中の朝鮮人は、大日本帝国軍および蔣介石軍から満州を解放するため、中国の革命軍と共に戦ってきたので、この一帯の中国東北部(旧満州)にはおよそ200万人の朝鮮人が居住していたからである。さらに日本降伏後は、朝鮮人部隊が中国軍(中共軍)と共に活動してきたので、中国・北朝鮮国境には大きな軍事戦力ができており、彼らが韓国軍・米軍に対して決起したのだ。アメリカ軍需産業は、第二次世界大戦後に急激な縮小を余儀なくされ、大量の失業者を生み出していたので、その結果、軍需産業が待望していた本格的な大戦争に突入した。ところが米軍と韓国軍は、中国人民義勇軍の大攻勢に耐えられず、12月には興南から撤退し始め、年が明けて1951年1月〜3月にかけて、再びソウルを放棄して南に後退せざるを得なくなった(のちの大統領・文ムン在ジェ寅インの両親たち興南住民が米軍によって韓国南部に輸送されたのがこの時期、1950年末であった)。
 1951年1月25日には、ジョン・フォスター・ダレスが大統領特別代表として再び東京に来訪して吉田茂首相と会談したが、この時、前年から大日本帝国時代の軍人の復活を呼びかけていた元海軍大佐・吉田英ひで三みらが「日本海軍の再軍備計画」の私案をダレスに手渡すと、ダレスがそれに関心を示して、GHQが吉田英三に詳細な資料の提出を求めた。この吉田英三私案が、当時7万3000人に達した戦争関係者(実質的な戦争犯罪者)の公職復帰をアメリカに要望したため、これがホワイトハウスに伝えられて、トルーマン大統領も動き出し、1月29日には、ダレスが日本の防衛力増強を強く求め始めたのである。
 この1951年に、「マッカーサー解任」という大事件が日本に起こった。GHQ最高司令官マッカーサーは、朝鮮戦争の指揮をとる国連軍の最高司令官でもあったので、戦争の膠着状態を破るため「中国への原爆投下」を大統領に要請したが、すでにソ連が原爆保有国なので、ソ連との戦争に拡大する事態をおそれたトルーマン大統領に拒否された。そこでマッカーサーは3月20日に下院議長に、大統領と自分の意見が対立していることを直訴する書簡を送り、3月24日に「中国本土攻撃も辞せず」と声明して大攻撃を強行しようとした。この独断専行が大統領の怒りを誘い、1951年4月11日にトルーマンが「軍部の暴走を食い止めるため、マッカーサーを解任する」と発表して、後任にマシュー・リッジウェイ中将が任命されたのである。マッカーサー解任は、日本政府にとって寝耳に水の大事件であった。4月16日、日本の国民から絶大な感謝と敬愛の言葉を贈られながら、戦後日本に大きな足跡を残した71歳の老兵マッカーサーが日本を離れ、リッジウェイが代って第2代GHQ最高司令官に就任し、朝鮮戦争の指揮をとった。新GHQは、ただちに政策をアメリカ財界代理人ジョン・フォスター・ダレスの方針に切り換えて、6月21日に、「戦時中にアジア侵略戦争を主導した財閥」の解体に関する法令の原則廃止を打ち出し、日本の財閥解体を進めてきた委員会の解散を命じて、マッカーサーの政策を次々に葬ったのである。
 しかしトルーマン大統領が、朝鮮での戦争拡大をおそれたという話は妙である。マッカーサー解任の5ヶ月前、1950年11月30日に、トルーマン大統領当人が「朝鮮戦争で原爆使用もあり得る」と記者会見で発言して全世界から批判されていたのである。また1951年1月27日からアメリカ本土の西部ネバダ州で大気中の原爆実験を開始して、アメリカ兵を原爆被爆のモルモットに使った訓練をスタートしていた通り、米軍は対ソ戦を想定した原爆の実戦使用さえも計画していたのである。
 さらに翌年の1952年2月21日には、中国の国営・新華社通信が「1月28日〜2月17日に米軍が北朝鮮と中国東北部で細菌を撒布した」と報道して、恐怖の細菌兵器の使用が明らかになった。アメリカは、日本が開発した悪魔の細菌戦≠V31部隊の殺人技術をひそかに引き継ぐため、東京裁判で731部隊を免責してきたが、彼らから聞き出したBC兵器(Bio-Chemical Weapon──生物化学兵器)の技術を、ついに朝鮮戦争で米軍が実際に使用したのである。
 朝鮮半島には、空から色々な物が降ってくるようになり、死んだ動物の肉片が降ることもあった。この不思議な天からの贈り物のあと、ハエの入った容器が降ってきた。ハエはほとんどが産卵直前のメスで、すでに腐りはじめていた動物の死骸に群らがると、卵を産みつけ、すさまじい勢いで増殖し、一帯の村をハエの火山と変えていった。しかもそれは、腸の伝染病を媒介するハエであった。ある時は、木の葉が山のように桑畑や綿畑の上に舞い散った。この場合には、特に人体に有害な細菌類は見つからなかったが、その木の葉は、桑や綿に取りついて、植物の伝染病を蔓延 まんえんしはじめた。ちょうど農民がこれらを生活の糧かてとしている地帯で起こった出来事である。ある時は港の沖合に、黄こ金がね虫むしの異様な集団が突然現われた。なぜここに黄金虫が発生したのか、と不審に思って調べてみると、どれもみなチフス菌に感染しており、その港はただの港でなく、豊かな漁場として栄え、多くの魚が一帯から水揚げされていた。
 ベルギーのブリュッセルに本部を置く国際民主法律家協会がこうした数々の噂を伝え聞いて、急ぎ調査団を朝鮮半島に送りこんだ。オーストリアのグラーツ大学教授ハインリッヒ・ブランドワイネルを団長とし、ローマ最高裁の弁護士のほか、イギリス、フランス、ベルギー、ブラジル、中国、ポーランドなど、各国からの精鋭を揃えたメンバーであった。彼らが調べあげた内容は、──急性コレラ、ペスト、チフス、赤痢など、さまざまな種類の伝染病菌が空の降下物から検出され、その降下物はネズミ、ハエ、南京虫、クモ、カブト虫、貝、植物類と、あらゆるものが利用されていた。毒ガス弾も次々に発見された。それらが米軍の飛行機から落とされた──という報告書にまとめられ、すさまじい事実が判明した。すでに1951年から細菌兵器が使用されていたのである。


◆サンフランシスコ講和条約によって日本が独立した


 この朝鮮戦争中、今や日本に対する主権を握ったのは、巨大軍需財閥であるモルガン=ロックフェラー連合の代理人ジョン・フォスター・ダレスであり、1951年7月20日から、アメリカ政府は、日本を独立させるサンフランシスコ講和会議への参加を、全世界50ヶ国以上に呼びかけた。しかしアメリカと戦闘を交えている中国は、8月15日に 周しゅう恩来おんらい首相が日本との講和を非難した。ネルー首相のインドも、中国とソ連が調印しない講和条約はアジアの平和にとって無意味であるとして、不参加を表明した。
 こうして朝鮮戦争の激戦が続く中、1951年9月4日にアメリカが強引に開催したサンフランシスコ講和会議で、9月8日に日本の独立を認める講和条約の調印式がおこなわれ、対日平和条約に次々と署名が始まり、最終的に会議参加52ヶ国中の49ヶ国が調印した。アジアで署名したのはカンボジア、セイロン(現スリランカ)、インドネシア、ラオス、パキスタン、(アメリカが反共政策を進めていた)フィリピンと、(フランス軍統治下の)ベトナムだけで、第二次世界大戦中の日本によるアジア侵略の最大の被害国≠ナある中国、台湾、韓国、北朝鮮、インド、ビルマ(現ミャンマー)など主要なアジア諸国は出席もせず、ソ連、東西ドイツ、東ヨーロッパ諸国も署名しなかった。
 このうち韓国は、サンフランシスコ講和条約の締結時に、戦勝国(連合国)側としての参加を要求したが、「第二次世界大戦中に韓国は参戦していなかった」としてアメリカとイギリスに拒否された。実は、吉田茂首相が韓国を講和会議に参加させることに反対し、アメリカが求める日本の再軍備を取引き材料にして、アメリカに対して「韓国の参加拒否」を呑ませたという説がある。この事情は複雑であった。というのは、そもそもサンフランシスコ講和条約は、「署名国は、日本が植民地支配時代におこなった人権侵害や略奪・虐殺行為の責任を問う外交保護権を放棄する」というアメリカ政府が打ち出した前提条件に従うので、日本の戦争犯罪・侵略犯罪を認めずに無賠償にしてしまう内容であったから、アジアの戦争被害国にとっては受け入れられないはずのものであった。それを、アメリカが経済支配力などのさまざまな圧力を加えて参加国に認めさせようとしたわけである。
 逆に日本から考えれば、この条約に韓国を署名させてしまえば、植民地支配時代の戦争犯罪を問われないですむので、韓国の参加を望むはずであった。しかし一方で、日本政府は国内の在日朝鮮人に対する戦時中の補償問題を抱えており、「もし韓国が連合国として署名すれば、100万人前後の在日朝鮮人が連合国の人間として補償を受ける権利を得ることになる」として吉田茂内閣が反対し、アメリカも朝鮮戦争で日本を利用するために、日本政府の要求を受け入れたと言われる。この説の真相は不明だが、この時、アメリカが韓国にかけた圧力が、先に述べた1965年の日韓国交正常化の基本条約締結時に、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の上にしかかっていた政治力であり、戦後のアメリカは、韓国政府より日本を優先していたと考えられるのである。
 アメリカがこのように「日本の独立」を認めた目的は、朝鮮戦争で必勝を期すことにあったので、次の三つが目標であった。@米軍の発進基地に利用できる日本国内の恒久的な土地を確保する……A米軍が日本の軍事工業力を活用する……B米軍の指揮に従う範囲で日本人の兵員を確保する。つまり「米軍基地と、日本の兵器製造産業と、日本兵」……この三つの確保を急いで実現するために、講和条約を締結して、日本を「アメリカの属国」として形式的に(名目上)独立させることにしたのである。吉田茂たちはこの条約によって日本が独立したという政治的成果を誇ったが、そうではなかったのだ。
 当時の日本国民の世論は、アメリカなど西側の資本主義国だけとの「単独講和」に賛成する者はたった21%しかなく、ソ連・中国の社会主義国を含めて東西の両陣営と分けへだてなく講和条約を結ぶべきだとする「全面講和」を求める者が圧倒的に多く、59%であった。ところが敗戦後の日本人が本来求めていたこの平和志向は無視され、主要なアジア諸国が出席しないまま、米軍が日本の軍事力を利用するために「日本独立」のサンフランシスコ講和条約が結ばれた。したがって、その裏には、とんでもないオマケがついていた。
 講和条約と同じ日、1951年9月8日に、サンフランシスコ郊外のプレシディオ陸軍基地第6兵団駐屯地で締結された「日米安全保障条約」が、それであった。アメリカが日本を植民地統治するのと同様に、米軍の一方的な駐留継続を取り決めたこの「軍事条約」は、日米協定の内容さえ国会で議論もせずに吉田茂首相が調印したものであり、日本国民に対して、今後の軍事基地と米軍の行政についても、協定の内容を何ら公表しなかった。アメリカの上院議員が「米軍の日本駐留は無制限だ」と語り、外国のUP通信社が「アメリカの空軍基地は10ヶ所となり、アメリカ海軍が横須賀・佐世保をそのまま維持する」と報道しながら、日本の国会議員と、報道界をはじめ、日本人は何も知らされなかった。
 こうしてモルガン=ロックフェラー財閥の代理人ダレスが打ち出した新路線によって、日本の戦争関係者に対する公職追放令が白紙にされた。そして、日本が1945年8月15日に無条件降伏した時に受け入れたポツダム宣言【十二条】に、「日本国民の自由意志による政府が樹立されれば、連合国占領軍はただちに日本から撤退する」という条文があったにもかかわらず、米軍はそれを無視して、日本駐留を継続することに成功したのである。そして同日、日本政府がGHQの承認を得て、戦時中に拷問をくり返して日本国民を苦しめた恐怖の旧特高警察関係者336人の復帰(追放解除)を発表した。日本国内の反戦平和主義者の一掃をはかるため、特高警察の内務省関係者が、どっと復権したのがこの時であった。
 翌月の1951年10月31日には、アメリカ政府が日本の海上保安庁の軍事利用を考え、日本政府にその旨を指示したので、Y委員会≠ニ称する日本の海軍創設極秘委員会の第1回会合が開かれ、海軍の再軍備がスタートした。会合には、先に登場した吉田英ひで三みら「日本再軍備案」の計画者をはじめとする海軍組が計8人、海上保安庁側2人の合計10人が参加し、そこにアメリカの顧問も参加した。海軍組はトップを「旧海軍の軍人」が掌握する軍隊創設を主張したが、海上保安庁側はあくまで警察力にとどめる意見を主張して対立した。この議論がおこなわれたのは朝鮮戦争中であり、すでに米軍に命令されて掃海出動した海上保安庁が、朝鮮近海で攻撃を受けて死者を出していたので、平和憲法をないがしろにした軍隊行動だとの反発が強かったからである。海上保安庁は軍隊化を嫌い、海上保安庁長官の傘下にある警備救難艦の下に入る新組織を主張したが、海軍組は、海上保安庁長官直属で独立行動をとれる軍事組織を主張して譲らなかった。結局は1952年2月15日に、アメリカが海軍組の意見を採用して、独立行動をとれる軍事組織の発足を決定すると、4月25日にこの極秘委員会がアメリカに軍艦の借り受けを要請し、Y委員会を解散して、翌日4月26日に海上警備隊が海軍として発足したのである。
 一方、その少し前に、日本の兵器生産がスタートしていた。1952年3月8日のGHQ覚書が、日本政府に「兵器製造許可」を指令し、実質的に日本企業に対して米軍向けの兵器や砲弾などの生産命令が下されて、7月1日には「兵器生産協力会」が早くも発足した。かくして軍隊と軍需産業の復活が、同時になされたのである。ハワイ真珠湾攻撃を強行した東とう條じょう英ひで機き首相は戦後にA級戦犯となり、東京裁判の結果、1948年12月23日に絞首刑で処刑されていたが、戦時中に東條内閣顧問だった三菱重工業の会長で、自らもA級戦犯容疑者だった郷ご う古こ潔きよしがその兵器生産協力会の初代会長に就任し、この組織は1953年から「日本兵器工業会」と改称して、再軍備促進と軍需産業のリーダーとして息を吹き返した。経済団体連合会(経団連)は、1953年11月15日にミサイル研究会を発足させ、軍需産業を独占的に支配する三菱重工を中心に動き出した。国民からは再軍備反対の声が強く、誘導弾という言葉を使うことさえタブーだったため、彼らは誘導ミサイル(guided missile)の頭文字をとり、ひそかにGM懇談会と称して、ミサイルの研究にとりかかった。一方で、吉田茂内閣の国務大臣・山縣やまがた勝かつ見みが、米軍の基地輸送を肩代りする「米船運航」会長に就任して朝鮮戦争に貢献し、なんとこの山縣やまがたと郷ご う古こは、子供同士が結婚して、兵器工業会と米船運航が見事な個人的利権を結実させていた。こうして日本の防衛産業は、三菱重工を中心にした兵器工業会が、防衛庁/防衛省から三菱グループが圧倒的な大量受注を受ける現体制を確立したのである。兵器工業会は1988年に日本防衛装備工業会と改称した。
 こうした過程の中で、翌年1952年4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効し、それと同時に日米安保条約も発効した。「日本が独立し、占領軍GHQ≠ェ消滅した」とは言うが、まるで奇術師マギー司郎が「ほら、変ったでしょ。分らない? ほうら見なさい……変ったじゃない!」と、観客を疑う口調で、縦縞たてじまのハンカチを横縞よこじまに変えるマジックのように、GHQが米軍に入れ替わって′式に駐留し始めたのがこの日であった。その結果、GHQの公職追放令が無効となり、戦争犯罪者であった岸信介のぶすけ(安倍晋三の祖父)らおよそ5700人が大量に社会復帰し、戦後の日本の軍国主義者を監視してきたアメリカ、イギリス、ソ連、フランス、オランダ、オーストラリア、カナダ、フィリピン、中国(中華民国=台湾)、インド、ニュージーランドの11ヶ国で構成される国際組織の極東委員会も廃止された。
 日本で外国人登録法が公布され、在日朝鮮人が公式に日本国籍を喪失したのがこの時であった。東京のアメリカ大使館が再開され、戦時中の企業幹部がどっと復帰しはじめた。朝鮮戦争によってすべての過去が帳消しとなった、奇々怪々な日本の独立であった。
 1952年7月14日(朝鮮戦争開戦2年後)には、警察予備隊が大日本帝国時代の旧軍部の大佐ら236人を大量に採用し、軍部が復活し始め、同年10月15日には、警察予備隊が保安隊に改組されて発足し、軍事力が強化された。日米安保条約の発効を前にして駆けこみで設立された海上警備隊は、米軍指揮下で海上保安庁の内部に組織され、旧海軍出身者が深く関与するようになった。
 こうした時期の1953年7月27日に、「朝鮮戦争の休戦協定」が結ばれ、韓国と北朝鮮の戦闘がようやく幕を閉じたのである(朝鮮戦争の休戦の経過はのちに述べる)。
 すると翌年1954年3月8日に、日本とアメリカが相互防衛援助協定(MSA協定──Mutual Security Agreement)に調印した! MSA協定という名は、聞き慣れないが、この協定によって日本は、有事の安全保障のために「日本の国土に米軍を配置する」ことを認め、「日本は自国の防衛に責任を果たす」ことが義務づけられ、その防衛の目的で「再軍備する」ことが認められたのである。したがって、米軍にとっても、日本にとっても、これが実戦上で最重要の軍事協定であった。そして同日、日本はこのMSA協定に基づいて、防衛庁設置法と自衛隊法を制定し、保安隊を自衛隊に改組した
 吉田茂内閣は、1954年3月11日に防衛庁設置法案と自衛隊法案を国会に提出すると、これが5月7日に衆議院、6月2日に参議院を通過して、法案が成立した。かくして1954年6月9日に、防衛庁設置法と自衛隊法が公布され、7月1日に同法が施行されて、防衛庁の傘下に、陸・海・空の三軍方式に拡大された自衛隊が発足したのである。MSA協定はアメリカと結んだ協定であるから、アメリカのために、防衛庁と自衛隊が生み出されたのである
 外敵への防衛任務を担う軍隊が発足したので、保安隊(旧警察予備隊)と警備隊(旧海上警備隊)が自衛隊となって、海上自衛隊の幹部ほとんどを旧海軍軍人が占めた。生みの親であった吉田英ひで三みは海上自衛隊高官に出世し、以後、歴代の海上幕僚長は、海上自衛隊を大日本帝国海軍の継承組織という認識で指揮するようになった。
 南北朝鮮の同胞民族が殺し合い、戦わされていた時代の真っ最中に、日本で進行した再軍備は、以上のような経過であった。
 しかし一体、日本の再軍備とは何であったのか?
 読者は、以上述べてきたマギー司郎をしのぐマジックを、妙だと感じないだろうか?
 日本のテレビ報道界のすべてのコメンテイターにお尋ねするが、これほどの奇術で生まれた日本の軍事力を、今日まで一切批判しなかった諸君が、現在の北朝鮮の秘密の軍事力を云々できるとお考えなのか? できるんだよねぇ、諸君は頭がいいから。


◆日本と韓国は独立国家ではなかった


 自衛隊が発足した年の前年に戻って、この事態を考えてみよう。
 アメリカでは1953年1月20日に、朝鮮戦争の行き詰まりで支持率が20%近くにまで急落した民主党のハリー・トルーマン大統領に代って、第二次世界大戦の凱旋将軍である共和党のドワイト・アイゼンハワーが、「朝鮮戦争を終らせる!」と国民に約束して新大統領に就任した。それに対してソ連では、3月5日に独裁者ヨシフ・スターリンが死去して、最高指導者ニキタ・フルシチョフを迎える時代に突入した。かくして朝鮮戦争を開戦した時の米ソの両首脳がこの世から消えて、7月12日には、休戦に反対してきた李承晩が、アメリカの説得によってアメリカへの協力を約束した。その結果、南北朝鮮軍の戦力が拮抗して一進一退をくり返し、膠こう着ちゃく状態になっていた泥沼の朝鮮戦争は、
 1953年7月27日に、国連軍(アメリカ)と、敵対する北朝鮮軍・中国軍の代表が、北緯38度線の国境・板パン門ムン店ジョムで朝鮮戦争の休戦協定に調印したのである!
 この時、李承晩が「韓国軍が休戦協定に調印すること」に反対したため、韓国から正式の代表の派遣は認められなかったので、2019年現在まで、韓国は休戦協定に調印せず、形式上は、現在も南北朝鮮のあいだで戦闘が続いていることになる。しかしこの休戦協定によって、1950年6月25日以来、3年間におよぶ朝鮮戦争が一応の戦闘停止をみて、ようやく朝鮮半島での大戦争が幕を閉じたのであった。
 この戦争による死者は、前掲書『韓国大統領実録』によれば、南北朝鮮の総人口3000万人のうち、250万人が死亡または行方不明となり、280万人が負傷し、戦争による死傷者は全人口のほぼ20%、「5人に1人」におよんだとされる。しかしこの戦争犠牲者の正確な数字は確認されておらず、韓国内では「500万人説」も出るほど多くの犠牲者を出し、南北が完全な分断国家として生き続けなければならない現在までの朝鮮半島史を生み出した。一方、主にアメリカを中心とした国連軍の死者・行方不明者も4万3000人以上、負傷者は11万5000人以上であった。中国軍の死者・行方不明者は、それよりはるかに多い20万6000人以上、負傷者は72万人近くに達した。 
 したがって、参加国すべての犠牲者の総数は、3年間で死者・行方不明者はおよそ275万人、負傷者はおよそ364万人、「死傷者の総計639万人」という、とてつもなく巨大な犠牲者の数であり、10年以上続いたベトナム戦争の犠牲者と比べても遜色ない数であった。そして南北の国境線によって同じ民族の家族が離散させられる大悲劇を招いて、家族が離れ離れになった人は1000万人以上に達したのだ(文在寅大統領の母も家族と離散したが、2004年になって幸運にも離散家族再会の対象に選ばれ、北朝鮮にいた唯一の身寄りである妹と、54年ぶりに再会した)。この悲劇の中で膨大な数の戦争孤児が生み出され、韓国から海外に養子縁組された人は、朝鮮戦争後の60年間でおよそ20万人にも達したとされる。さらに物的被害として、北朝鮮の産業生産施設の80%が破壊され、韓国の国家基盤施設の60%が消失したのである。
 これほど痛ましい大被害を受けたのが朝鮮戦争であるという事実を、現在の日本人の何人が知っているだろうか。また本稿で、多くの人が知っている戦後の「日本再軍備のプロセス」を改めてここに記述したのは、なぜであろうか?
 それは、南北朝鮮の対立、つまり壮絶な悲劇である「朝鮮戦争」の真ん中に、日本の戦後史を置いて、重層的にとらえる視点がわれわれ日本人に欠けているからである。朝鮮戦争は、北朝鮮と韓国が戦った戦争ではない! 当時は、第二次世界大戦後に全世界に大きな翼を広げたアメリカの軍事戦略が、日本にも、南朝鮮(韓国)にも、同時に覆いかぶさっていた。1945年の光復節以来の歴史をここまで見てきたように、朝鮮人は南・北とも、アメリカ軍政とソ連の支配下にあって、自由な行動が許されなかった。とりわけ韓国の場合は、朝鮮戦争の開戦17日後の7月12日、「韓国軍の統帥権を国連軍(米軍)司令官に移譲する協定」(大田(テジョン)協定)が締結されていた。「韓国軍に対する作戦指揮権は米軍に属する」という重大な規定が決められて、マッカーサー総司令官が朝鮮戦争における国連軍の最高指揮官となり、韓国が独立国家としての自主権を放棄していたのである。「戦時において韓国軍に対する作戦指揮権は米軍に属する」と定めたこの規定は、驚くべきことに2019年現在も維持され、決定の判断権を米軍が握っている。したがって「韓国大統領の同意がなくとも、米軍が朝鮮半島/韓国内で自由に軍事行動をとれる」という米韓関係はおかしいと、文在寅政権になって議論が起こされているのである。
 その一方で日本は、サンフランシスコ講和条約を結んで「独立した」と言いながら、独立は言葉だけで、その後、ますますアメリカの言いなりになったのであった。日本の再軍備は、ここまで見た通り、すべてアメリカがお膳立てした通りであった。
 日本の再軍備によって自衛隊を誕生させた先述の日米相互防衛援助協定(MSA協定)は、朝鮮戦争のために「反共軍事同盟」の確立を目的としたものだったが、この協定は「日本がアメリカの友好国である」ことを動かない事実として定め、政治的にも、経済的にも、軍事的にも、日本がアメリカに従属することを強要する内容であった。つまりこの時、軍事協定と同時に、余剰農産物の購入協定など一連の経済協力協定が締結され、アメリカの余剰農産物も日本が買い取らなければならないという約束が結ばれ、まるで日本がアメリカのゴミ箱のように利用されていたのである。
 したがって、日本も韓国も、ワシントンの手の中で転がされるアメリカの属国であり、独立国ではなかったのである。
 ここまで記述した以上の歴史が現代に何を意味するか、しばらくじっと考えていた時、突然に昨年2018年の出来事が衝撃のように、私の脳裏に甦った。2018年4月27日と5月26日に、金正恩と文在寅が二度の南北朝鮮の首脳会談をおこない、続いて6月12日にシンガポールで金正恩とトランプの米朝首脳会談が実現したあと、9月18日に三度目の南北朝鮮の首脳会談が北朝鮮の平壌で開催された一連の出来事が、輝かしい歴史として 眩まばゆいばかりに浮かび上がってきた。三度目の南北首脳会談では、「 平ピョン壌ヤン共同宣言」を発表し、その付帯文書で「南北朝鮮双方が軍事境界線地帯で武力行使をおこなわない」ことに合意し、経済問題を含めて、和平に向かう実践的な行動を打ち出したのである。金正恩と文在寅の二人が抱き合って互いを認め合うと、「朝鮮戦争の終戦」と平和協定の締結をめざして話し合った。2018年の三度にわたる南北朝鮮の首脳会談を思い起こして、私は初めて、日本の左翼の論客も、右翼の論客も、歴史学者も、すべての日本人が、勿論、私自身も含めて……今日までずっと気づかなかったことに、気づいたのである。
 金キム正ジョン恩ウンと文ムン在ジェ寅イン二人の姿は、戦後の光復節後に初めて、朝鮮半島の同じ民族が一心同体となって、アメリカから離れて真の独立≠ノ向かって立ち上がったことを示していたのだ。
 そこで、ハッとしてわれわれの国を振り返って見た時、サンフランシスコ講和条約を結んでも、日本が現在までまったく独立していないことに気づいた。それは、人間の気概として独立していない、という意味である。朝鮮戦争が起こった1950年代は昔の出来事ではあるが、日本は当時と変らず現在も未熟な国なのである。韓国と北朝鮮が2018年からアメリカのトランプ大統領を巧みに利用しながら、ひそかにアメリカと手を切って、朝鮮民族として独立への道を歩み始めようと第一歩を踏み出しているのに、日本でテレビ報道に登場する人間たちが、この事実に気づいていないのである(その精神状態については、このあと第二話にくわしくその意味を述べる)。
 改めて述べると、ここまで本稿では、日本の植民地統治時代が終ってからの南北朝鮮の成り立ちを説明し、その中で、南朝鮮(韓国)の民衆が、どれほどアメリカ軍政によって弾圧されて苦しめられ、翻弄されてきたかを見てきた。だが、それと同じアメリカ軍政の手は、GHQが戦後の日本を風呂敷のように包んでいた。
 ただし日本では、韓国と違っていた。乗りこんできた占領軍司令官のマッカーサーとGHQが、最初は日本の軍国主義者を掃討して、治安維持法を廃止し、日本国憲法(平和憲法)の制定にも貢献してきた。そこで、われわれが日本の戦後史を見る時には、自衛隊の誕生は、「日本国内の軍国主義者と右翼」の復活が日本の再軍備を成功させたという視点で、この日本占領時代の歴史を見てきた。
 そして1950年6月25日からの「朝鮮戦争と日本の関わり」は、再軍備よりむしろ、開戦2ヶ月後の8月25日に、GHQが横浜に米軍兵站へいたん司令部を設置して「朝鮮特需」がスタートした時から、だと思っていた。兵站とは、兵器や車輌から軍人の衣類・糧食まで、一切の軍需品を確保する組織だったので、これが世に言う朝鮮特需を招来したのである。米軍から日本に対して大量に発注された朝鮮戦争の必需品を、日本の全産業が製造し、朝鮮の戦場における塹壕ざんごう工事などに必要なセメント……パイプ……鉄条網……軍人用衣類の生産を急がせ、鉄鋼や繊維産業など日本の基幹材料メーカーを活気づかせた。その特需を起爆剤として、日本が再び兵器生産に猛進し、そこから戦後の日本経済の復活が始まったのだ。これは動かない事実である。そこでわれわれは、朝鮮戦争が日本に与えた最大の影響はこの「朝鮮特需」にあり、朝鮮民族が分裂して殺し合わなければならなかった時に、日本国民はその 屍しかばねの上に戦後の奇蹟の復興を成し遂げたという程度にしか、認識していなかった。勿論それでも、朝鮮半島を植民地統治した日本人としては、大変な無責任さではある。
 しかし、南朝鮮におけるアメリカ軍政の横暴さは、李承晩大統領の残忍無比の独裁ぶりと相まってすさまじいものがあった。その同じアメリカ軍政が、日本に再軍備させる過程で、大日本帝国時代の日本の軍人と軍国主義者を復権させたのである。70年前の韓国と日本の両国の歴史を重ねて、アメリカ中心主義、つまりトランプ大統領が言う「アメリカ第一(America First)」の目で、このように同時に見たことがあっただろうか。
 米軍は、大日本帝国時代の日本軍は戦闘能力が高いと買いかぶって、日本の自衛隊と軍事工業力を「反共の砦」として育てようと決断した。日本が反共の砦になるなら、韓国軍の兵士は使い捨てで、いくら殺されてもいい「将棋の捨て駒」と見ていた可能性がある。それが朝鮮戦争の時代であったとすれば、何ともおそろしい歴史である。
 南朝鮮と日本を、同じアメリカ軍政下の国として重ねて見る時、日本は独立していなかったのである。独立できなかったのである。そして今も独立していないのである。


第二話に続く
 

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コメント
1. panbet37[3153] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2020年9月25日 19:42:42 : 6J7XudsF6g : SWhiVG1scjVucXc=[793] 報告
 貴重な文献、拝読させていただきました。読後感、一つだけ言います。世界には、ロシアとかイスラエルとか中国とか、いろんな国があるけれど、世界一、冠絶無比の極悪野蛮国はアメリカだということです。困ったもんですね。
2. 2020年9月25日 19:46:01 : eaIUlC9Ctw : T3drZ3FKNGphWnc=[303] 報告
無意識に 権威を感じ 信じ込み
3. てんさい(い)[1313] gsSC8YKzgqKBaYKigWo 2020年9月25日 20:39:01 : 0kUGInjLpY : ZUJoU1c2MzFGUzY=[321] 報告
◆第二話 韓国ドラマと韓国映画が教える人間の気概

 ◆反政府活動を展開した韓国の文化人ブラックリストと、記録映画『共犯者たち』


 いま「日本は、サンフランシスコ講和条約を結んでも、現在までまったく独立していない」と述べた。また「それは、人間の気概として独立していない、という意味である」と述べた。それに対して「韓国と北朝鮮は、2018年からアメリカと手を切って、朝鮮民族として独立への道を歩み始めようとしている」とも述べたが、この文章の意味を真に理解できる日本人は少ないであろう。しかし理解できる日本人もいるのだ。日本でも、大半の「沖縄県民」は日米安保条約に強く反対し、「米軍は出て行け!」と辺へ野の古この米軍基地建設に根強く反対して、人間の気概の上では、アメリカと手を切って、同じように独立への道を歩み始めているからである。
 問題は、日本で新聞とテレビに登場するほとんどの人間たちが、人間の気概を持って独立していないことなのである。いや、テレビ報道人の多くは、独立どころか、軍事国家アメリカに対する日本の従属性については、何も考えていない、と言ったほうが的確だろう。現在でも「日本はアメリカ合衆国51番目の州だ」と揶揄や ゆされている。その正反対に、アメリカ人の中には、「日本人のように自立心のない国民は、合衆国の州となる資格はない」と言う人間さえいるが、意味としては同じである。このように侮辱的な発言を許す日本人の気概に問題があることは、確かである。
 このような人間の気概≠ノついて、読者にどのように説明すればよいかと考えていた時、ちょうどその気概を示す人間が現われた。2018年12月下旬に、女優でモデル・タレントの人気者ローラが、「辺へ野の古この海への土砂投入に反対するホワイトハウス宛て請願署名」を呼びかけたため、彼女に賛同する署名者がドッと増えたのだ。彼女が辺野古の米軍基地建設反対を呼びかけたこの行為は、テレビ報道では芸能人の政治的発言≠ニして取り上げられ、彼女の側に立って賛成するコメンテイターはいたが、「彼女のように声をあげなかった自分は恥ずかしい」と言う人間は、見なかった。ローラの父親はバングラデシュ人なので、ハイチ出身の父親を持つテニス・プレイヤー大坂なおみ、エジプト人の父親を持つコラムニスト師もろ岡おかカリーマのように、思想が伸びやかで自由である。ローラが示した自由人としての気概を、ほとんどの人間が持っていないのが、日本のテレビ放送界である。政界の星≠ニ呼ばれる小泉進次郎などは、2018年の沖縄県知事選で自民党候補の応援演説にノコノコ出かけて行って敗北し、「辺野古の米軍基地建設に賛同する米軍下士官の腰抜け代表」と呼ばれるほどである。
 そして、この人間の気概という点で、日本人より韓国人のほうが、はるかに文化的にすぐれている、と断言できる。そこで、これから韓国文化について演説を一席ぶつことにする。日本と韓国の違いについて考える時、なぜ私がこの章で、これから韓国文化について一席ぶつかという理由を、先に述べておく必要があろう。
 私個人は、自分の運命は自分で切り拓くと決めているので、神仏には一切祈らない。一人の行動が好きな孤立主義者である。道祖神のお地蔵様が好きで、(観光客向けの祭りは大嫌いだが)小さな町や村に限れば神社仏閣でおこなわれるお祭りも好きで、キリスト教会にも通っていた私が、神も仏も信じない「無神論者である」と矛盾したことを言うのは、市井の一個人として自分の思想を守るため、だけである。ほかの人が敬虔 けいけんな気持で神仏を信じ、信仰を持つことは自由で自然な行為だと考えているので、他人の信仰を批判しないことを断っておく。
 孤立主義者で、無神論者である私は、また同時に無政府主義者でもあるから、世に言うアナーキストである。読者がアナーキスト≠ニ聞けば、「拳銃を握って反政府テロを実行する暗殺者」を連想するかも知れないが、無政府主義は、私が若い頃に認識した人間の気概≠ニしての哲学なので、私は危険人物ではない。二十代の若い頃に、改めて聖書や哲学書をひもとくうち、この世は不条理に満ちていると痛感し、天国で眠りこけて何もしない神と仏にひどく腹が立ち、今まで以上に強い不満を覚えた。私がこの世に生まれた時には、私が認めた覚えもない法律がすでにあって、それによって私の人生が束縛され、日本国民として生きなければならないことが、不条理であった。こんなひどい国になぜ税金を納める義務を課せられているかと思うと、現在も腹が立つ。したがって私は異邦人≠ナあり、非国民≠ニ呼ばれることに誇りを持っている。
 かといって、私は、たまたま東京に生まれ、原宿と渋谷で育ったから、法律上、国籍は日本人であるし、食べ物は日本風の煮物、漬け物、刺身、寿司、天ぷら、すき焼き、ソバといった和食が口に合う人間である。住宅は、私の父方の祖父が石川県金沢の宮大工で、京都の鞍くら馬ま寺でらの山門である南大門を造営した名工であり、父も日本のすぐれた木造住宅の建築家だったので、私も絶対的に日本式の木造住宅が好きだが、精神的には別に何なに人じんであっても構わない無国籍の世界人、コスモポリタンである。ただし地球主義のうち、近年の「グローバリズム」の言葉が意味するのは、先進国が弱小国に乗りこんで経済的な搾取を目的とし、世界各地の尊い文化文明を破壊するので猛烈に反対する。私は、そうした冷静な人間哲学に基づく無政府主義の非国民である。
 現在ドクターストップで禁酒中の酒は、高齢になってから日本酒だけが好みとなった。しかし若い頃は、洋酒のビールも、ウィスキーも、ワインも、ウォッカも飲んだ。文章は美しい日本語が好きで、自分なりの語彙ご い集をつくって、小説が書けるほど文学的な表現力を自分なりに磨いてから、小説家・童話作家として本を出版し始めた。だがある時期から、小説を書くより、社会問題の真相を調べて世に伝える書籍のほうが価値があるという認識に達してからは、文学的な語彙ご いを切り捨て、子供でも分る平易な文章を書くようにつとめてきた。 
 日本語には、一つずつの文字が意味を持つ表意文字の「漢字」だけでなく、発声する音おんだけを示す表音文字の「ひらがな・カタカナ」があり、この両方を組み合わせて駆使する世界でも珍しい言語であり、漢字にルビ(ふりがな)をふることもできるので、表音文字だけの欧米のアルファベットや、韓国のハングルよりすぐれていると勝手に思う。
 そのように、どっぷり日本文化につかって育ってきた私が、今や韓国ドラマと韓国映画に、すっかり惚れこむようになってしまったのである。
 正直なところ私は、韓国人が使っている文字「ハングル」は苦手で、いつまでもマスターできない。しかしそれは、私にとってなじみが薄い「アラビア文字」や「ペルシャ文字」の価値を知らないのと同じ程度の意味しかない。かつて中国の属国にされた朝鮮人も、日本人と同じように文書には中国由来の漢字を使っていたが、現代の韓国人が日常はほとんど漢字を使わなくなって、不思議な記号に見えるハングルを愛している。それは、15世紀に朝鮮の王様が創造した文字に誇りを持っているからであることを知っている。韓国人はハングルを使うようになったおかげで、国際的には理解されにくくて損をしているのではないかと思いやすいが、どうしてどうして韓国の映画俳優はアメリカ留学生が多く、韓国人は総じて日本人よりずっと語学力が達者であり、俳優や歌手のダンスや歌唱力は、日本人など足元にも及ばない。
 韓国の漬け物キムチと、焼き肉料理は、私の格別の大好物だが、それが動機で、私が韓国ドラマと韓国映画にすっかり惚れこむようになったわけではない。私は、韓国人が食べるトウガラシの辛い料理は、大の苦手であるし、食器は日本のものが一番落ち着く。以上のように色々並べた好き嫌いが、人種を区別したり、嗜好を決めているのではない。
 人間の気概という点で、日本人より韓国人のほうが、はるかに文化的にすぐれていると断言できるので、韓国人にすっかり惚れこんだのである。ここで言う韓国人は、韓国の全国民ではなく、ほぼ5〜7割を占めるだろうと推測される知性的な韓国人であって、ちょうど今、文在寅(ムン・ジェイン)大統領を支持し続ける冷静な国民層である。
 韓国人について語ろうとする時、日本のテレビ報道に従事する人たちが、北朝鮮の政策と韓国人の感情を、あまりにも知らないことに私は驚いている。本稿ではここまで、「北朝鮮政府は建国以来、共産主義国家・ソ連の支配下にあった」と述べてきたが、それは表面上であり、先述の通り、三代にわたる北朝鮮の首脳は、ソ連/ロシアよりアメリカ政府の心をつかむことのほうが北朝鮮の存続にとって重要であると気づいていたのである。このしたたかな北朝鮮は、覇権主義が露骨になった中国に対しても、同じように内心を隠して、巧みに接近する政治をおこなっている。北朝鮮に住んだことがない私は、「北朝鮮の民衆」の感情は知らないが、北朝鮮政府がどうであろうと、北朝鮮の民衆はわれわれと同じ人間であるのだから、北朝鮮に対して経済制裁を加えて民衆を苦しめることは、人間としてまったく知恵の足りない、非道で野蛮な行為だと憤りを覚える。在日朝鮮人/コリアンに対する日本人の偏見といやがらせも、恥ずかしくてならない。
 一方の韓国人は、朝鮮戦争でその北朝鮮と戦ってきた犬猿の仲ではあるが、現在では、自分たちが国際情勢のもとで「朝鮮戦争を戦わされた」ことを知っているので、もし万一にも米軍が北朝鮮攻撃をするなら、韓国民のうち特に若者世代の過半数が「北朝鮮側につく」と表明するほど、同胞民族であるという強い意識を持っている。そのためアメリカ大統領が北朝鮮を悪の枢軸≠ニ非難し、たびたび北朝鮮攻撃を示唆した時も、ホワイトハウスは韓国民の米軍に対する嫌悪感情≠知って攻撃には踏み切れなかったのである。その韓国民は、昔の歴史的な観点から当然のように、朝鮮王朝を支配した時代以来の横柄な大国・中国と、朝鮮を植民地統治した時代の兇悪な大日本帝国を嫌ってきた。しかし現在、韓国民の隣国に対する感情がどこにあるかと言えば、相変らず横暴で、マナーに欠ける中国人は嫌いで、交流を深めているアメリカの大衆文化は総じて好きなので、米中対立時代の現在の韓国人はアメリカびいきだとも言われる。日本人に関しては、安倍晋三のような日本政府の軍国主義者と、その飼い犬になって韓国批判を続ける知性レベルの低い日本報道界は大嫌いだが、私のような普通の(反政府的)民衆にはまことに好意的である。
 この韓国人を本当に知ろうとするには、以下のような数々の事実がある。
 文ムン在ジェ寅インが2017年5月10日に大統領に就任後、次のことが明らかになった。韓国では、2008年に李イ明ミョン博バクが大統領に就任した時代から、大統領府の青瓦台(チョンワデ)が韓国の放送界を弾圧して、すさまじい世論操作に乗り出した。続いて2013年に朴パク槿ク恵ネが大統領に就任すると、2014年4月に304人が死亡・行方不明になった大型旅客船セウォル号沈没事件が起こって、その悲惨な事故の対策をとらず、高校生たちを救助しなかったことについての真相糾明から朴槿恵が逃げ回った。その大統領・朴槿恵が、自分の悪事を隠すため、国民に対する世論操作を李明博から受け継ぎ、1万人を超える文化人・芸能人に関する巨大なブラックリスト作成を命じていたのである。
 文在寅政権がこの件に関して真相調査委員会を設立した結果、このブラックリストには、光州事件を描いた名作映画『タクシー運転手』の主演俳優ソン・ガンホたちの名前がズラリと並んでおり、人気女優や人気コメディアンたちも出演の場を奪われ、テレビに出演できなくなったという大変な事実が明らかになった。文在寅が属する「共に民主党」のソウル市長や大統領候補を支持した文化人がブラックリストに挙げられ、セウォル号沈没事故後には、政府を批判した文化人ら、計9473人の要注意人物<uラックリストが作成され、朴槿恵政権の文化体育観光省がその陰湿な作業をおこなってきたことが判明したのである。
 反政府活動を展開する人間として、ブラックリストに挙げられた韓国の文化人がほぼ1万人もいる、というだけで、日本との大きな差が分るであろう。「文化人」とは、ただ芸能に秀でた人間のことではなく、腐敗した政治に向かって、芸術や言論の力によって痛烈な鉄槌 てっついを下す人間、を指す言葉なのである。
 そうした意味の文化人の代表が、今年2019年3月1日の三・一独立運動100年を記念して、「 3 4 5 6 スリー・フォー・ファイヴ・シックス」を歌った韓国のフィギュアスケート界の女王・金キム妍兒ヨ ナであった。彼女が歌った「3456」の数字は、韓国の重大な歴史を物語っていた。
 3 は 三・一独立運動(1919年の反日国民総決起)
 4 は 四・一九学生革命(1960年の李承晩政権打倒運動)
 5 は 五・一八光州事件(1980年)
 6 は 六月民主抗争(1987年6月10日)
 いずれも韓国人にとって、現在の近代的国家の基礎を築いた独立運動・民主化運動の歴史的なシンボルとされる記念日であった。つまり「3456」は純粋に政治的な歌である。言うまでもなくキム・ヨナは、2010年カナダ・ヴァンクーヴァー・オリンピックの金メダリストであり、 平ピョン昌チャンオリンピックの最終聖火ランナーをつとめた韓国スポーツ界人気bPの女王で、文化人ブラックリストを作成した朴槿恵大統領と犬猿の仲≠ナあった。この深い意味を持つ政治的な歌を、スポーツ界の女王が美しい声で見事に歌って、韓国民の民主化運動を励まし、文化人の魅力あふれる姿を見せたのだ。
 それに対して日本は、モデル・タレントのローラが沖縄米軍基地建設反対の声を上げただけで芸能人の政治的言動≠ニして騒ぐほどの文化三等国である。日本では「スポーツ選手や芸能人は思考力のない人間だ」とみなされているのか? スポーツ選手や芸能人が政治に関与するのは、引退後に人気を利用して自民党の国会議員≠ノかつぎ出されるのが落ちだとみられ、非文化人として扱われる存在だが、そんな馬鹿なことがあっていいはずがない。
 NHKは言うに及ばず、安倍晋三と会食を重ねてきたのがフジテレビ、日本テレビ、テレビ朝日などの幹部で、これらのテレビ局が、スタジオ本拠地の東京から地方局に番組を販売している民放キー局≠ニして全国を制覇している。「東日本大震災・福島原発事故8周年記念日」を前にした2019年2〜3月に、事故を起こして被災者の救済もできない犯罪企業・東京電力のコマーシャルをテレビ朝日モーニングショーの前に流して平然としているほど良識を失った業界だから、テレビ番組に出るまずほとんどの人間は、政府かスポンサー大企業によって選ばれ、その 提ちょう灯ちん持ちをつとめ(させられ)ているわけである。テレビ出演者が「私は違う」と言いたいなら、テレビ局に「東京電力のコマーシャルをやめろ!」ぐらいのことは申し入れてしかるべきだが、勿論、テレビ朝日の出演者・コメンテイターたちは、誰一人、そのように無謀なこと≠ヘしない。
 かつて日本テレビ系の読売テレビの人気番組「イレブンPM」に、私が1時間の生放送にフル出演を依頼され、直木賞作家・藤本義ぎ一いち氏の司会で長時間にわたって私が原子力発電の危険性を説明したことがあった。すると番組の半ばでコマーシャルの休憩時間に入ると、控え室にテレビ局営業部の人間が飛びこんできて、藤本氏に「(スポンサーの)関西電力から電話が入って、彼らが怒っています……」と警告し、私の解説放映を中止させようとした。私はそのやりとりを 傍かたわらで聞いていて、どうするだろうと興味深く見ていたら、藤本氏が営業部員に向かって「広瀬さんが言っていることはすべて事実なんだぞ。事実を放送して何が悪いんだ!」と毅き然ぜんたる態度で反論して黙らせ、休憩時間のあとも、また長時間にわたって私は説明を続けることができた。
 現在のテレビ報道界で、藤本氏のように反骨精神を貫く人間がどこかのテレビ局にいるだろうか? いるはずがないよねぇ。加えて、全国紙の読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞の幹部も、同じように安倍晋三と会食を重ねており、テレビ局がこれら大新聞社の系列に組みこまれているので、全員が宗そう主しゅ国こくと植民地の関係に置かれて、反政府ブラックリストにも挙がらないメカニズムになっている。日本のテレビ出演者には、反政府的言動を起こしたい人間が山のようにいるはずだが、皮肉をつぶやいたり、笑いながら問題をごまかすのが報道界の 掟おきてとなって、まず絶対に「強い言葉」を口にしない。よって、映画やドラマや歌で、公然と政治的活動を展開する韓国の文化人とは、月とスッポン、格段の差が出てくる。

 ここに、その重要な証拠がある。今述べたような言論弾圧がおこなわれた韓国報道界の実態を撮影した記録映画『共犯者たち』が一昨年2017年に公開されると、韓国民が映画館に殺到して大ヒットしたことである。この映画のタイトル『共犯者たち』は、李イ明ミョン博バク大統領と朴パク槿ク恵ネ大統領が、国民に対して報道を弾圧した主犯者≠ナあることを意味する。そしてこの保守派大統領二人の主犯者に追随した政府出資の公共放送KBS(韓国放送)と、放送文化振興会を大株主とする公営放送MBC(文化放送)が、大統領の進めた国民弾圧政策の共犯者≠セった、という意味である。
 大統領二人が、KBSとMBCに対して、政権を批判する経営陣を追放して、真実を調査する報道チームを解散させ、300人もの真のジャーナリストを懲戒処分させたすさまじい実態が、この映画に実写記録されたのである。
 この韓国映画をつくった監督チェ・スンホ自身が、その弾圧によってMBCを不当解雇された本人であり、「韓国民はこの事実を知っているか!」と、韓国の報道界に鉄槌てっついを下しているのだ。セウォル号沈没事故の時に「全員が救助された……死者ゼロ」という大統領府・朴槿恵からの信じがたい誤報を流して、304人死亡の事実を隠蔽しようとしたのが、韓国民のための公共放送・公営放送局であったのだ。加えて、水難事故で救えたはずの子供たちをあまりにも無責任な行政によって失った遺族が怒った時、報道界と大統領府が、悲しむ遺族に攻撃さえ加えようとしたのである。さらに、朴槿恵大統領の女友達・崔順実(チェ・スンシル)が国政を私物化した事件によって朴槿恵を退陣させた世紀の大スキャンダルを一切報道しなかったのも、公共放送KBSと公営放送MBCであった。その時、報道界の犯罪を放置することなく、「この暗黒の時期にも、自分たちは沈黙しない」との誇りを持って、マイクとカメラで現場に斬りこみ、撮影記録を続けるジャーナリストたちを、市民が5億円の資金カンパで支えたというから、韓国人民衆のエネルギーと情熱に驚かされた。
 言い換えれば、気の抜けたサイダー≠ニ呼ばれて久しい日本の自称・文化人と映画界・報道界に対して、「日本で、同じようにメディアが沈黙し続ける腐敗を記録した映画が製作され、上映されることがあるのだろうか?」と、私は尋ねたい。
 元NHKアナウンサーだった堀 潤じゅんさんは現在フリーのジャーナリスト・キャスターとして活躍しているが、彼がこの韓国映画『共犯者たち』の日本上映に際して、次のようなコメントを寄せていたので、紹介しておく。
 ──2014年5月、私は韓国公共放送KBSを訪ねた。この映画(『共犯者たち』)の舞台だ。大統領府からの圧力に抗議し職員がストを続けていると聞き、いてもたってもいられなかった。その前年私はNHKを辞めた。屈したくなかったからだ。(KBSの)エレベーターホールではプラカードを掲げた若い職員たち声をあげていた。夢中でカメラを回しマイクを向けた。「公共放送は国民の財産です。権力者の所有物ではない。国民の財産です」。この声が届くか? 見るべきだ。日本でこそ、いま。──
 堀さんのこの言葉は、韓国の問題ではない、ということなのである。堀さんは公共放送NHK時代に貴重なドキュメンタリー映画を製作しながら、それが放映されずに唇を噛んでNHKを退職した。その彼にとって、「韓国の報道界で起こっている進歩的改革の変化を見て、日本のテレビ視聴者は、同じ深刻な事態が起こっている日本のテレビ報道の実態を知っておくべきだ」ということである。彼と同じように、日本の真のジャーナリストは全員が、『共犯者たち』を見て「日本では……」と、自分の胸に突き刺さるような痛みを覚えたはずである。放送メディアと映画界の沈黙の腐敗、沈滞を警告する映画が生まれない恥ずべき日本では、Googleの流すニュース源の「中央日報」のような韓国紙が、文在寅政権を根拠もなく批判する現在の共犯者なので、日本人はそれに気づかず共犯者が流す悪質・低劣なスマホ韓国ニュースを読んでいる。映画『共犯者たち』を見た時の私は、「隣国の韓国に起こっていたこれほどの報道界の大事件を、日本のテレビ・新聞報道は一度でも大きく伝えたのか?」と驚いたが、NHK−BSで放映されている「ワールドニュース」の韓国ニュースは、この肝心のことを何も伝えない韓国KBS放送のニュース番組だったのだから、NHKもまた、韓国の『共犯者たち』とグルだったわけである。
 では、韓国にいま何が起こっているかを知るには、どうすればよいか? これから述べるような韓国のトップスターが主演している韓国ドラマと韓国映画を日本人が見れば、それが最も手っとり早いのである。なぜなら、そうした作品が、人口が日本のおよそ半分、5000万人の韓国で、1000万人規模の韓国民を映画館に動員しているからである。人口2倍の日本であれば、2000万人以上の国民が映画館に押しよせるほどの政治事件・歴史事件を扱った名画が日本にあるかどうかを想像してみればお分りだろう。その韓国市民が、真実を追求するジャーナリストに5億円を寄付して、改革の努力がスタートし、国を変えようとしているのだ。大したものだと思わないか? そうした韓国ドラマと韓国映画に描かれる朝鮮半島の常識≠知らない人間が、日本のテレビ報道番組に出演して、韓国と北朝鮮について「ニュース解説」をしている姿が、私には深い井戸の底でブツブツうめく 蛙かわず≠ノしか見えない、と言えば、テレビ報道番組の出演者は怒るだろうが、腹を立てる前に、韓国の文化人のようにすればよいだけのことである。日本のテレビ局にも行動を起こしてほしいのだ。そこでこの章で、韓国文化を紹介することにしたのである。かといって、以下は韓国の芸能文化にくわしい専門家として説明するのではなく、韓国の文化が万能だと言っているわけでもない。これは誰でも分る話だ、という点が重要なのである。

◆朝鮮王朝の歴史を描いた時代劇

 韓国の映像文化としては、DVDディスクと、日本のテレビ番組で見られる「韓国ドラマ」と、映画館の劇場で上映される「韓国映画」がある。これらを時代順に並べると、大きく分けて次の4種類がある。
 @古い朝鮮王朝の歴史時代を描いた作品
 A日本の植民地統治時代
 B戦後のアメリカ軍政下の軍事独裁政権時代
 C現代ドラマ
 である。50〜60話ぐらいの大長編でも普通、という韓国ドラマだが、物語が進行中に、この@−A−B−Cの時代が時折重なって、主人公やその家族の古い歴史が引っ張り出されるところにシナリオの妙味があり、朝鮮半島の歴史を知っている人間には、その機微がたまらなく面白いのである。
 日本でいわゆる韓流ブームが起こったのは、2002年の現代ドラマ『冬のソナタ』が秀逸な作品として大人気となってからだが、私はその頃、主人公を演じた「勇浚(ペ・ヨンジュン)が日本で「ヨンさま」と呼ばれて熱狂的人気者となっても、まったく韓国ドラマに無関心で、一度も見たことがなく、「見ろ」と言われても興味がわかなかった。ところが偶然、翌2003年に『宮廷女官チャングムの誓い』を勧められて見たところ、イタリア映画のように韓国の子役が実に上手であることが魅力で、見始めた。すると朝鮮王朝の厳しい身分制度と、まことに陰湿な王朝内の主権争い・利権争いにイライラさせられ、宮廷で陰謀が次々と展開するので、次回の物語を見なければ眠れないような韓国人シナリオライターの罠にはまって、長編韓国ドラマを楽しむようになってしまった。
 このような朝鮮王朝の歴史時代を描いたすべてのドラマに、朝鮮における身分制度の悪習が、これでもか、これでもか、という形で登場する。両班(ヤンバン)と呼ばれる上層階級が、王様直属の高官として威張り散らし、そのいやらしい上下関係が、幼い子供たちのイジメにまで受け継がれる。そうした悪習に 抗あらがう主人公が、国王の後継者や、王様に仕える医師や獣医であったり、薬剤師、絵師、焼き物師の陶工であったり、宮廷料理人の女官や剣客、商人、芸妓、子供であったり、彼らがハラハラドキドキの復讐計画を織りまぜたストーリーの中で、見ていて殺したくなるほど憎たらしい悪役を退治する。またその歴史時代に、西洋医学の解剖手術によって治療を試みようとする主人公に対して、封建社会が進歩的な治療を絶対に認めないので、思想的文化の闘いがしばしば展開する。ところがハリウッド映画や007映画と違って、韓国ドラマでは正義の主人公がすぐれて機転が利くわけではなく、見ていて腹が立つほど間抜けで、肝心のことを盗み聞きされ、大事な秘密を盗まれ、絶えずだまされて罠に落ちるので、視聴者はイライラして引きこまれてしまう。最後には、陰険きわまりない陰謀を何とか乗り越えるので、見ていて飽きない。
 つまり韓国のトップに立つ芸能人・文化人は、総じて、過去の身分制度の悪習が嫌いであり、朝鮮の歴史を決して美化しないのである。私の見た中で秀作の時代劇ドラマには、以下のような作品がある。『宮廷女官チャングムの誓い』、『馬ば医い』、『ホジュン 宮廷医官への道』、『商道(サンド)』、『火の女神ジョンイ』、『奇皇后』、『同伊(トンイ)』、『風の絵師』、『帝王の娘スベクヒャン』、『チュノ(推奴)』、『オクニョ運命の女』、『イ・サン 正祖大王』、『秘密の扉』、『ソドンヨ』……これら数々の作品に、同じ名優が何度も登場するので、韓国人俳優の名前を覚えなくとも、個性的な顔を覚えてゆくから、まったく見飽きない。
 日本で明治時代初期まで穢え多た
・非ひ人にんとして差別されたと同じような、朝鮮で白丁(ペクチョン)と呼ばれた被差別部落や、奴婢ぬ ひと呼ばれた奴隷身分の苦難も出てくるし、古い時代には、朝鮮に渡った日本人の海賊である倭わ寇こ うや、豊臣秀吉時代の日本の朝鮮侵略軍との戦いも、この歴史物語には時折、登場する。
 朝鮮王朝の歴史ドラマは、講談調に面白く仕上げてあるが、ほとんどの作品が、中国の支配下にあった朝鮮半島の史実をベースにしているので、その点でも、隣国の歴史を知ることができるので、韓国ドラマ入門には歴史ドラマが向いているかも知れない。

◆日本の植民地統治時代を描いたドラマ

 さて、韓国ドラマで日本人がしっかり見ておくべきは、次の時代日本の植民地統治時代のドラマ≠ナある。
 長編ドラマ『済衆院(チェジュンウォン)』は、前半に朝鮮国内の差別問題を取り上げ、後半に日本の朝鮮侵略を描いた史実をベースにしている。朝鮮王朝時代に最下層の被差別身分だった白丁(ペクチョン)の若者が、日々を朝鮮の差別制度の屈辱的な扱いに耐え続けて、実在した朝鮮病院・済チェ衆ジュン院ウォンで朝鮮一の医師になるまでを描いた傑作であった。その間に、日本人が朝鮮王・高コ宗ジョン(こうそう)の妃・閔ミン妃ビ(びんひ)を虐殺し、植民地化してゆく経過などが、当時の日本人朝鮮総督府とアメリカ人医師たちとの複雑な関係の中で次々に描写されるので、日本史の本を読むよりずっと面白い。
 日本の植民地統治時代に、朝鮮人の仮面男が大活躍する『カクシタル』は、前述の『共犯者たち』で批判された公共放送KBSが、2012年に制作し、韓国で絶大な人気を誇った長編ドラマである。朝鮮人が危機一髪になると正体不明の「韓国版・怪傑ゾロ」の仮面男カクシタルが現われて、植民地統治者の日本人をこてんぴしゃんにやっつけるので、活劇として最高に面白い。一方、当時の朝鮮人の若者が、日本の朝鮮総督府の手先となって、朝鮮人を取り締まる売国奴の悪徳警察官の姿が憎たらしく描かれ、ストーリーの伏線には、『モンテ・クリスト伯』のエドモン・ダンテスの復讐物語を置いて、「日本人の犬」として日韓併合の役割をになった朝鮮人の姿を描いている。おそらく大日本帝国の軍人となった朴正熙たちを皮肉ろうとした作品だろうと感じられたが、朴正熙の娘・朴槿恵が大統領に当選する前に、KBSで放映されたのが、このドラマであった。物語の最後には、従軍慰安婦や朝鮮人民衆を徴兵・徴用する時代と、それに対するレジスタンスが描かれる。このようなストーリーなので、日本で人気のある韓国の俳優たちが出演に迷ったという話が流れたほど日本帝国主義批判≠フ活劇ドラマである。
 日本のテレビ解説者は、まず真っ先に、このような活劇ドラマを韓国民が心から楽しんでいることを認識し、自分もこれを見て楽しめなければダメである。「韓国政府」の歴史教育が反日的なのではなく、当り前の正しい歴史を日常の韓国ドラマが教えているのである。しかも、北朝鮮との対決を求めた軍国保守派・李明博(イ・ミョンバク)政権を嫌う韓国の文化人が製作して、これが放映されているのだ。カクシタルが日本人を襲う場面に期待して見続けた私は、 平ピョン昌チャンオリンピック開会式に安倍晋三の姿が見えた時、思わず「カクシタル、あいつを襲え!」とテレビに向かって叫んだほどであった。何しろ日本の植民地統治時代に朝鮮人を弾圧した日本人の憲兵たちは、当時の日本の民衆も弾圧した 獣けだもののような人間であるから、その連中をやっつけるカクシタルは、決して「反日」なのではなく、正義の男なのだから、日本のテレビ報道人がカクシタルの活躍を楽しめなければ、自分は人間失格だと思ってよい。
 2011年に公開された韓国映画『マイウェイ 12,000キロの真実』は、日本の植民地統治時代にマラソンの優劣を競った日本人と朝鮮人の若者二人の物語だが、世界的にも珍しい不思議なシナリオで、すべての国の軍人の愚かさを浮かび上がらせていた。最初は、日本による朝鮮人弾圧時代の渦中で、支配者・日本人と、弾圧される朝鮮人が敵・味方となって、二人の若者がマラソン・ランナーのライバルとなる。やがて一方が大日本帝国の残虐な皇軍指揮官となって「天皇陛下万歳!」と叫び、朝鮮人のライバル兵士を痛めつける。この日本人と朝鮮人が憎悪むきだしの主従関係に突入するが、ソ連との国境紛争ノモンハン事件が起こって、ソ連軍が奇襲をかけ、日本の皇軍部隊全員が捕虜となり、シベリアの極寒地帯に送られて重労働をさせられる。反目する二人のマラソン・ライバルの若者が殺し合いをさせられが、そこに今度は、ヒットラーのバルバロッサ作戦でナチスが襲ってきてソ連軍を壊滅し、今度二人はドイツ軍の捕虜となり、ナチス・ドイツの軍服を着てノルマンディーに配属される。ところが今度は、そこに連合軍が史上最大の作戦でノルマンディーに上陸してくる。こうして次々と勝者の軍隊が変化する戦争を通じて、第二次世界大戦のすべての国の「軍人の愛国精神」の狂気を描き出すシナリオがすぐれていた。最後には日韓二人のマラソン・ライバルが友情を分かち合って助け合うようになり、朝鮮人が死ぬと、日本人が彼のゼッケンをつけてマラソンに出場するという物語。日本兵の悪役として、助演者・山本太郎が登場し、熱演しているので驚かされた。山本太郎によれば、韓国でこの『マイウェイ』の撮影が終って日本に帰国した翌年、東日本大震災によって福島原発事故が起こり、反原発運動に飛びこみ、参議院議員になったというから、彼の正義感も筋金入りである。
 
 日本の植民地統治時代の野球をテーマにしたコメディー調の『爆烈野球団!』も、『タクシー運転手』の名優ソン・ガンホ主演で、かなり面白い。
 日本降伏による朝鮮人の独立時代を描いた『ワンス・アポン・ア・タイム』は、日本人名に創氏改名させられた朝鮮人が次々と登場して、ある者は日本人の手先になり、ある者は独立闘争をするなど、複雑な時代を活劇化して描いている。
 日本の植民地統治時代の京城で、新文化の恩恵を受けるモダンボーイと、正体不明の歌手モダンガールの愛を描いた『モダンボーイ』は、二人が次々と事件に遭遇するという物語。1937年の日中戦争開始後の朝鮮における反日テロを生き抜いた朝鮮人たちを中心に、当時の京城の光景や朝鮮総督府がよく描かれている。
 1930年代の中国の上海臨時政府関係のゲリラ組織が、朝鮮で日本の要人の暗殺を計画するストーリーを描いた韓国映画『暗殺』は、かなり事実に基づいて製作され、2015年に韓国で1200万人以上を動員し、歴史的に大ヒットした。しかし日本人の私が映画として面白く感じなかったのは、抗日ゲリラの歴史を知らないからだろう。
 2001年に放送された韓国ドラマ『黄金時代』は、1927年、つまり日本の「昭和二年恐慌」時代から物語が始まる。朝鮮で唯一残っていた民族資本の京城銀行(実在しなかったフィクション銀行)を三井銀行が吸収合併しようとするが、京城銀行の頭取が朝鮮を守るために拒否し、殺人事件の陰謀に巻きこまれてゆく物語。日本の敗戦は描かれないが、当時の首都・京城の出来事を描写し、子役がうまかった。
 2017年の韓国映画『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』は、日本の植民地統治時代の最後の朝鮮王朝時代、国王・高宗(コジョン)の側室の娘として生まれた李徳恵(イ・トッケ)が、日本の命令でわずか13歳で学習院に強制留学させられ、母が危篤でも帰国が許されず、昭和天皇の 詔しょう勅ちょくによって、対馬つしま藩主の息子・宗そう武たけ志しと強制結婚させられた実話悲劇を描いたが、ストーリーはフィクションである。
 『ワンチョ』は日本の植民地統治時代に、幼くして猟師ギャングに襲われて姉と生き別れた弟が、ギャング団から脱走して乞食仲間に拾われるすさまじい物語。
 2002年の長編ドラマ『野人時代』は、朝鮮独立軍の総司令官である金佐鎮(キム・ジャジン)将軍の息子として日帝時代を生きた金斗漢(キム・ドゥハン)の生涯を、実話に基づいて描いた迫力ある作品。キム・ドゥハンは、1966年に韓国政界を揺るがしたサムスン財閥のサッカリン密輸入事件で、国会に糞尿をばらまいて西大門刑務所に収監された実在の国会議員だが、物語はそこから彼の少年時代に遡る。1920年にキム・ジャジン将軍率いる朝鮮独立軍が日本軍を壊滅して大勝利をおさめるが、息子の少年キム・ドゥハンは、その父と別れる。1926年に5階建ての巨大な日本の朝鮮総督府の新庁舎が竣工し、落成式がおこなわれ、日本の植民地支配機関である東洋拓殖と朝鮮殖産銀行を独立軍烈士が爆破するなど、数々の史実を織りこんで、無類の活劇が展開する。
 こうした一連の日本の植民地統治時代の韓国ドラマを見ていると、韓国の映画界が、当時の大日本帝国下の首都・京城の街並みを再現し、そこに朝鮮総督府のほか、路面電車やデパートなども見事に再現しているので、史実に対する取り組み方は、実に大したものだと思う。こうした時代は、本来は日本の映画界が描くべきだと思うが、なぜ描けないのか、それが不思議でならない。

◆戦後の韓国を描いたドキュメンタリー・ドラマ

 次に戦後の時代になると、歴史上のすさまじい実話事件を描いた作品が多い。 
 印象深いドラマ『シルミド SILMIDO』は、1968年1月21日に北朝鮮の特殊部隊の武装ゲリラ31人が休戦ラインを越えてソウルに侵入し、朴パク正チョン熙ヒ大統領暗殺を企てて大統領府の青瓦台を襲撃しながら、韓国中央情報部(KCIA)に察知されてゲリラ29人が射殺された実際の事件から始まる。朴正熙大統領がこれに激怒して、北朝鮮に対抗して実尾島(シルミド)訓練兵と称する秘密の部隊を創設し、北朝鮮に侵入して金キム日イル成ソンの暗殺を企てた。ところがこの島での訓練があまりに厳しいため、隊員が反乱兵となって1971年に島を脱出して韓国の国軍と激しい銃撃戦を展開し、隊員20人が手榴弾で自爆した。生き残った隊員4人も死刑で処刑されたという実際の大事件だが、これほどの大事件の真相が、このドラマ公開前の韓国民には知らされなかったのである。
 朝鮮戦争が勃発した時代に、強制的に入隊させられて最前線に送りこまれた兄弟を描いた韓国映画『ブラザーフッド』と、南北朝鮮の国境・板門店共同警備区域(JSA──Joint Security Area)における北朝鮮兵と韓国兵の友情≠描いた韓国映画『JSA(共同警備區域)』は必見である。
 食糧難に苦しむ北朝鮮の元サッカー名選手が、貧しい生活の中で妊娠中の妻の病気を治したい一心で、愛する息子を家に残して、薬を求めて北朝鮮から脱出する脱北者を描いた韓国映画『クロッシング』や、韓国に潜入した北朝鮮の工作員数人が、家族を装って生活し、そこで出会った隣家の韓国人家族に惹かれてゆく物語『レッドファミリー』も、南北朝鮮史の実情を知ってから見ると、現代の韓国人が北朝鮮の人たちに対して抱いている人間的な感情がよく分る。
 先に述べた朝の長編連続ドラマ『人生画報』は、朝鮮戦争の開戦後の時代を、主演男優・宋一国(ソン・イルグク)が名演技で惹き付け、複雑な人間模様の中に描いた物語で、恋愛ドラマとしては最高傑作と言ってよいだろう。
 2016年の韓国映画『戦場のメロディ』は、実話を基にした感動的な作品であった。1950年に勃発した朝鮮戦争時代に、親を殺された貧しい孤児たちを救おうと、一人の韓国兵士が子供たちに合唱団をつくらせ、戦争渦中の兵士に平和を求める天使の声を届けた物語で、南北に分断され、同じ民族が敵味方に別れさせられた朝鮮半島の悲劇が浮かび上がってくる。
 朝鮮戦争映画『戦火の中へ』も実話に基づいた物語で、北朝鮮軍の猛攻の前にソウルを追われた韓国軍が、最南端の最後の砦・釜山(プサン)を失う危機に立たされ、学徒動員された戦闘経験のない若い韓国兵士たちが銃を持たされ、戦略上の拠点である浦項(ポハン)に取り残されて北朝鮮軍に殲滅された悲劇を描いた。
 独裁者・朴正熙(パク・チョンヒ)時代に、政府の弾圧にレジスタンスを示した1970年代当時の若者たちの姿を通じて、韓国社会の歴史を描き出した『GOGO70s』も面白い。そうした時代を生きた韓国人の若者たちの群像を、貧困農民から暗黒社会まで、政界と、検察と、学生運動をベースに描いた長編ドラマ『砂時計』は、役者の名演技があって、韓国ドラマ中の最高の作品であった。
 1980年5月18日に始まった光州(クァンジュ)事件を描いた『光州5・18』は、軍事独裁者・全斗煥(チョン・ドゥファン)時代におこなわれた韓国人民衆に対する大量虐殺を、史実に基づいて、莫大な制作費を投じて描いたドキュメンタリー映画で、800万人近い観客動員数を記録した。
 名作韓国ドラマ『砂時計』でも、当時の実写記録を初めて挿入したように、光州事件は戦後の韓国史の中でも特筆されるべき一大事件である
 光州事件は、韓国南部の全羅南道(チョルラナムド)にある光州市で、地元出身で民主化を求める政治家・金大中(キム・デジュン)が内乱陰謀罪で拘束されたことに抗議する反政府デモがこの写真のように激化して、機動隊と衝突して発生した。私が、民主化を求める市民運動に招かれて韓国訪問中に、虐殺現場で市民から何度も光州事件の説明を受け、市民側の証言で2000人以上と言われる累々たる死者の墓を見てきたので、2017年に公開されて1200万人の観客動員を記録し、光州事件を描いた大ヒット韓国映画『タクシー運転手──約束は海を越えて』は、体調不良をおして吉祥寺の映画館まで見に行き、目から涙があふれて止まらなかった。
 その名作『タクシー運転手』は、光州で 全チョン斗ドゥ煥ファンの軍政に反対して民主化を求める大規模な学生・民衆デモが起こった時、市民を暴徒とみなした軍が厳戒態勢を敷く中、ドイツ人記者ピーターことユルゲン・ヒンツペーターを乗せ、光州を目指したソウルのタクシー運転手マンソプことキム・サボクの実録を基に、映画ドラマに脚色した作品である。
 「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」というドイツ人記者の約束を信じて、タクシー代を受け取りたい一心で機転を利かせて検問を切り抜け、時間ギリギリにピーターを光州まで送り届け、たまたま光州虐殺事件に遭遇したタクシー運転手マンソプは、それまでは学生の反政府デモを批判していた。ところが、無防備の市民が軍人に虐殺されているすさまじい真実を知ってから、自ら私服警察に命を狙われても命懸けで市民を助けようと動きだし、病院内部の負傷者と死者について真実を全世界に伝えるようピーターに頼んだ。最後には、光州のタクシー運転手たちが総力をあげ、次々と殺されながら、この市民虐殺の実写記録を持つドイツ人記者ピーターの乗った運転手マンソプのタクシーを光州からソウルに脱出させる。かくしてドイツ人記者が当時のすさまじい実写映像を全世界に放映し、それが韓国に逆輸入され、全斗煥たち独裁軍人の悪事を初めて知った韓国民が衝撃を受けたのである。タクシー運転手マンソプを、韓国を代表する演技派俳優ソン・ガンホが迫真の演技で演じ、実在のドイツ人記者ピーターを『戦場のピアニスト』でドイツ人将校に扮したトーマス・クレッチマンが演じた。
 その光州事件の翌年、1981年9月に起こったのが「山の学事件」、略して「釜林(プリム)事件」であった。先に述べたように、光州事件によって学生運動が爆発したため、全斗煥の軍部独裁政権が拷問を駆使してすさまじい「アカ狩り」を展開し、警察が罪もない学生たちに殴打や水拷問・電気拷問を加え、国家保安法のもとに懲役刑を科した。その時、釜山で無実の学生に対して弁護を買って出たのが若き弁護士時代の盧武鉉であり、盧武鉉をモデルにして「釜林事件」を描いた2013年公開の伝記映画『弁護人』は必見の作品で、韓国の観客動員数が1100万人を超える大ヒットとなった。
 ただしこれら一連の韓国映画で、ひとつだけ腑に落ちないことがあった。その光州虐殺現場に、韓国軍を指揮した米軍がいたという重要な史実が映画に描かれていないことである。米軍に対する責任追究は、現在でも韓国映画界のタブーなのだろうか、という疑問が残った。1978年から韓国軍の作戦統制権は、アメリカ/韓国の連合司令部に置かれており、1980年の光州虐殺事件が起こった当時、「米軍が光州市の市庁舎の上から韓国軍の市民虐殺行為を見ていた」と、私は光州市民から聞いている。この時の米韓連合司令部の司令官は、「国連軍」の司令官で、ベトナム戦争の指揮官だったジョン・ウィッカムであった。韓国軍はウィッカムの許可がなければ移動できない組織だったから、韓国軍が光州市民を虐殺することを承認したのが米軍であった。加えて、人口70万の光州全市で、30万人がデモに立ち上がり、しばらくしてほとんどの市民が戒厳令を解除しろと要求して動き出した時、光州市民に襲いかかったのは、ベトナム戦争で秘密工作を展開した米軍の特殊部隊グリーンベレーがきたえた最も強力な部隊であり、彼らが手榴弾まで使用して市民殲滅を実行し、捕虜にしたデモ隊員を踏みつけて銃殺し、手をあげて投降する市民も射殺したのである。事件時の光州市は、まったくの血の海であった。
 この全斗煥政権を支持したのが、アメリカ政府と日本政府であったのだ。

 こうした軍部独裁事件の背景として、韓国が徴兵制で、すべての男子に徴兵義務が課せられていることが、日本との大きな違いとして挙げられる。韓国映画を見ると、1950年に朝鮮戦争が始まった時代に、戦争をいやがる若者を無理やり軍隊に徴用するシーンが出てくるように、強制的な徴兵制度は実質的に朝鮮戦争からスタートした。私から見て、徴兵制の国などいいわけがないが、現在の韓国をそこに追いこんだのは、戦後のアメリカ軍政と日本人の責任なのである。
 長編名作ドラマ『砂時計』では、良心的な検事をめざす若き主人公が、徴兵制によって軍隊の一員として光州事件に駆り出され、罪もない市民と学生を鎮圧する時、内心では上官に反発しながら悩むシーンが描かれていたが、すべての韓国民が反政府思想にめざめて、この主人公のように反共政策と独裁政治に対する反抗のジレンマの中で生きてきたと考えるのは安易な見方であろう。むしろ現代の韓国民は、常に北朝鮮を軽蔑して、敵対意識を持つよう、われわれ日本人より戦闘的に育てられてきたことは確かである。
 また戦後を描いた韓国ドラマ・韓国映画の中には、韓国人がベトナム戦争に参加した物語もある。私はすべての韓国製ベトナム戦争映画を見たわけではないが、ベトナムへの韓国兵の派遣を描いた『あなたは遠いところへ』など、ほんの二、三本だけを見た限りでは、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領時代に、アメリカから大金を引き出すために1965年から大量の韓国兵が米軍と行動を共にしてベトナムの戦場に参戦し、ベトナムの民衆に対して、殺戮・強姦などのすさまじい蛮行をおこなった行為を、韓国映画界は反省していないように感じた。こうしたベトナム参戦の歴史も、盧武鉉政権が打ち出した歴史清算の調査対象として、現在の韓国で見直されているのである。
 朴正熙が目論んだ通り、ベトナム参戦に年間5万5000人規模という大量の戦闘員と、1万6000人規模の民間人技術者が投入され、韓国経済に「ベトナム特需」がもたらされた。その結果、ベトナム戦争の装備品の納入や建設費でかせいだ10億ドル規模の莫大な外貨は、同じ1965年の日韓国交正常化で日本政府が韓国政府に無償供与した経済協力金3億ドルと共に、第一次・第二次経済開発5ヶ年計画に投入され、韓国の経済成長に対して漢江(ハンガン)の奇蹟≠ニ呼ばれるめざましい成果をあげ、韓国民の生活水準がようやく北朝鮮に追いついた。1971年に連隊長としてベトナム戦争に参戦し、空挺特戦旅団の旅団長となったのが、のちの韓国大統領・全斗煥(チョン・ドゥファン)であり、彼が光州事件の主犯であったから、光州事件で韓国軍による市民虐殺を承認したベトナム戦争の指揮官ジョン・ウィッカムと全斗煥が連動していたことは間違いない。また韓国陸軍の中でベトナムに出陣して名を馳せたのが、大量にベトナム住民虐殺をおこなった猛虎(メンホ)部隊であり、その大隊長をつとめたのが、全斗煥を継いだ韓国大統領・盧泰愚(ノ・テウ)であった。
 当時の韓国人は、朝鮮戦争以来続く北朝鮮との武力対決の時代にあって、米軍と一緒になってベトナム戦争を戦うことが、当たり前の愛国心であると教えられていた。ここに、同時代にベトナム反戦運動を起こした多くの日本の民衆との違いがある。
 韓国では最近、外国に倣ならって、良心的な兵役拒否を認めるべきだという議論も起こっているようだが、韓国の徴兵制の行方を左右するのは、これからの南北朝鮮の和解と和平の確立にかかっている。
 文ムン在ジェ寅インを知ろうと、『運命 文在寅自伝』(矢野百合子訳、岩波書店、初版2018年10月4日)を読んで最も驚かされたのは、文在寅がソウルの慶熙(キョンヒ)大学法学部の学生だった1972年に、朴パク正チョン熙ヒ大統領が全国に戒厳令を布告して国会を解散し、ヒットラー並みの権力を掌握して「十月維新」と呼ばれる過激な独裁制のもとで野党政治家を全員逮捕・監禁した恐怖時代のことである。1975年に、文在寅が朴正熙の人形を燃やす学生集会を主宰すると、令状ナシに逮捕され、ソウル市の西大門刑務所に収監されてしまい、執行猶予で釈放されたあとのことだ。文在寅は反政府活動家としてただちに徴兵制で強制入隊させられ、軍隊に送られて第一空挺旅団に配属され、韓国ドラマ『シルミド(実尾島)』のような猛訓練を受けさせられたことがくわしく記述されている。そこでパラシュート降下要員になった文在寅が、こともあろうに旅団長の全斗煥から生物化学放射能戦の訓練で最優秀賞を受けたという一節がある。1980年の光州事件で、全斗煥が虐殺のために空から投入した部隊こそ、このような空挺旅団(パラシュート部隊)であるから、文在寅の入隊がもう少しあとであれば、彼も虐殺部隊に送りこまれて光州市民に銃を向けていた可能性があったのだ。
 そう考えてみると、韓国ドラマ・韓国映画で大立ち回りを演じる男優たちは、ほとんどの人が若い時代にざっと2年以上の厳しい軍隊訓練の体験者である。北朝鮮に対する工作訓練では、文在寅も銃を肩にかついで重装備したまま戦闘水泳をさせられ、ゴムボートで敵地に潜入する訓練を受けてきたのである。女性も、志願すれば現役に入隊できる。その準オール軍人国家≠ナある現在の韓国人が「北朝鮮との和平を切望している」ということの意味は、幸運にも日本国憲法のおかげで平和にひたってきたわれわれ日本人とはまるで違うのである。日本のテレビ報道番組に出演するコメンテイターが見当違いの国際情勢を語る言葉は、幼稚すぎて話にならないほど、韓国人はもっと真剣なのである。安倍晋三が自衛隊の式典で儀仗隊員に向かって胸を張る姿などは、韓国人には、ゲームセンターの張り子の虎≠ノ見えているのだ。

 日本の映画館で最近公開された韓国映画としては、『タクシー運転手』のほかに、『1987、ある闘いの真実』がある。これは1987年1月14日に、韓国のソウル大学生が活動家をかくまった嫌疑を受けて警察で取調べ中、拷問によって死亡した歴史的事件について、登場人物をすべて実名で描き、人気俳優が主演してドキュメンタリーとして克明に描写した作品である。この殺された学生の追悼集会を実行したのが、のちの二人の大統領・盧武鉉と文在寅であり、二人は警察に催涙弾を打ちこまれ、護送車に乗せられて連行され、盧武鉉は法律違反で起訴された。この時の盧武鉉を裁く裁判で、傍聴席を埋めた釜山の弁護士99人が盧武鉉無罪の弁護を買って出た感動的な出来事が、前述の映画『弁護人』のラストシーンに描かれた。こうして引き起こされた1987年6月の民主化抗争が、キム・ヨナの歌った「3456」の「6」だったのである。また韓国の恐怖組織の実態を告発した実写記録映画『スパイネーション/自白』も日本で公開された。これらの作品の背景には、1961年に朴パク正チョン熙ヒによって設立された韓国中央情報部(KCIA)が、1980年の 全チョン斗ドゥ煥ファン時代に国家安全企画部(安企部)と改組され、1999年の金キム大デ中ジュン大統領時代にさらに改組されて国家情報院(国情院)となっても、共産主義
 =イコール犯罪者と決めつける国策のもとに、今日まで膨大な数の無実の民衆に「お前は北のスパイだ! 吐け」と残忍無比の拷問を加え、嘘の自白を引き出しては、有罪に仕立て上げてきた韓国政界のおそろしい歴史がある。
 日本のテレビ報道は、北朝鮮は悪の帝国≠ナあると吹きこむ解説者だけをインタビューしたりスタジオに連れてきて、まるでナチス時代のゲッベルスのように一方的に日本人を洗脳することに余念がないが、先に紹介した『韓国大統領実録』を読めば、長い間、韓国は北朝鮮に劣らず国民を苦しめた悪の帝国≠セったのであり、その実態が日本のテレビ報道ではまったく知らされていない。要するに今年2019年まで、日本で言う戦後74年≠フうち韓国では真の民主的大統領が「金キム大デ中ジュンと盧ノ武ム鉉ヒョン」の10年と、現在の「文ムン在ジェ寅イン」のわずか3人で、文在寅が5年の任期をつとめても74年のうち合計15年(2割)しかないのである。戦後にどれほど韓国民が苦難を味わってきたか、そして今、国民がどれほど政界の民主化と南北朝鮮の和平を熱望して活動しているかを理解するぐらいのことは、日本人ならできるはずだ。日本人はそんなこともできない民族なのか? アメリカ軍需産業のために、北朝鮮に対する制裁解除と和平合意が先延ばしになった現在、良識ある韓国民の落胆はきわめて大きいが、いま韓国民の心を支えるのは、ゴミのように悪意ある日本政府ではなく、良識ある日本国民の総意であると思わないか? 日本のテレビ報道界が続けている節操のない文在寅批判は、いい加減に、もう控えるべきである。
 『韓国大統領実録』を読んで、「本当かよ」と驚いた日本人もかなりいるに違いないが、この書を読み、いま挙げた最近の韓国映画を見ただだけでは、足りないのである。私は500頁近い『韓国大統領実録』の分厚い本を、すべて自分の知識で理解できるようになるため、文字を原稿に打ち、韓国の年代記を、さまざまな他書の記録と突き合わせて検証してみた。この作業をしたので、『1987、ある闘いの真実』と『スパイネーション/自白』の映画が何を訴え、何が韓国民の心を動かしているかを理解できるようになった。私自身も一時期は、韓国に入るとスパイ組織・安企部に追跡され、彼ら恐怖組織と闘ってきた人間であるから。
 そうした現実を知らない知識では、日韓関係など議論できずに、テレビ解説が悪徳政権の太鼓持ち・武藤正敏のような田舎芝居のレベルに落ちてしまうのである。
 なぜ、初代韓国大統領・李イ承スン晩マンから、実質的に彼を継いだ大統領・朴パク正チョン熙ヒと、彼に続く大統領の 全チョン斗ドゥ煥ファン、盧ノ泰テ愚ウたち軍人が、長い間、韓国で強権を握って独裁者になることができたのか、という謎に対する答は、これまた韓国ドラマに描かれている。韓国ドラマのすべてが、反政府的ではなく、むしろ逆に軍人大統領と財閥を持ち上げる内容もあるので、その描き方から分る。財閥の成り立ちを追う物語では、そこにしばしば、テレビ局や新聞社の社長が登場して、韓国民を悪事に誘導する姿が見える。それが歴史上の『共犯者たち』である。
 今まで日本のテレビ番組表を一度も見たことがなかった私は、2018年に初めて新聞のテレビ番組表を一見して、韓流ドラマが非常にたくさん並んでいることに驚き、日本で大変な人気を得ていることを知ったのである。私はそれらの番組をチェックしたわけではないが、おそらくそのすべてが「朝鮮王朝時代」の歴史ドラマか、愉快で面白い、恋愛を描く「現代」ドラマやファミリードラマであろう。つまり佳作『冬のソナタ』のように、日本人の思想信条に影響を与えない、政治的に毒のない作品であろう。
 日本では、ここに述べているような日本の植民地統治時代のドラマと、戦後の李承晩政権および軍事独裁政権時代のすさまじい民衆弾圧を描いた映画とドラマはテレビ放映することがタブーで、放映されていないはずである(2019年にケーブルテレビで放映された『弁護人』を例外として)。その種の日本のテレビで放映タブーの作品に、韓国のトップスターが出演して、韓国民から絶大な声援を受けていることが、多くの作品を観賞しているうちに分ってくる。したがって、名作を見たければレンタル店でDVDディスクを借りてくるのが一番早い。

◆韓国人の現代生活を描くドラマ

 韓国ドラマ最後の時代は「現代ドラマ」だが、現代の韓国物語であっても、愉快なファミリードラマと恋愛物語だけではない。
 公営放送MBCで2004〜2005年に放映された長編韓国ドラマ『英雄時代』は、日本の植民地統治時代から現代までを通じて、韓国の自動車財閥ヒュンダイ(現代)¢n業者・鄭周永(チョン・ジュヨン)と、エレクトロニクス財閥サムスン¢n業者・李秉普iイ・ビョンチョル)をモデルに、二人の生涯を重ね合わせて、韓国の大スターが熱演する全70話という財閥ドラマであった。 現ヒュン代ダイ財閥の救世主として最後のほうに登場する李明博(イ・ミョンバク)のような人物が美化されているので、内容的には問題があるが、歴史的現代ドラマとしては滅法面白かった。
 長編ドラマ『エデンの東』は、『英雄時代』のようには財閥を美化せずに描いた作品で、1960年代から現在に至る激動の現代史を背景に、財閥の悪事によって、炭鉱街の労働者たちが苦しめられた歴史と共に、韓国現代史を描く壮大なストーリーであった。
 韓国の放送局SBSで2010年9月から11月まで放映された全24話のドラマ『レディプレジデント 大物』は、環境保護運動を通じて、韓国初の女性大統領が誕生する面白いフィクション物語であった。その大統領に就任するソ・ヘリム役を演じたのが『砂時計』の主演女優・高賢廷(コ・ヒョンジョン)で、不良あがりの検事ハ・ドヤ役を演じた權相佑(クォン・サンウ)も名演技で、見応えがあった。このドラマ放映から2年後の2012年12月におこなわれた大統領選挙で、朴槿恵が韓国初の「レディープレジデント=女性大統領」に当選しながら、2017年に罷免・逮捕され、2018年8月24日には懲役25年の実刑判決を受けたが、『レディプレジデント』はなかなかの作品である。
 2016年12月に公開された韓国映画『パンドラ』は、東日本大震災が福島原発事故を誘発した事実を基に、韓国の原発が大地震によって大事故を起こす物語を描いた迫力ある映画で、舞台に設定されたのは釜山と蔚山(ウルサン)の間にある古里(コリ)原子力発電所である。製作から完成まで4年の歳月をかけ、トップスターが韓国大統領を演じ、住民の恐怖の大避難を迫力ある映像で描写して、韓国でも原発が大事故を起こす将来を警告した。この映画製作者の予言通り、2016年9月12日夜、韓国南東部の慶州(キョンジュ)付近を震源として、韓国気象庁が1978年に地震観測を始めて以来、最大の揺れを記録する地震が相次いで発生し、映画の警告が現実となった。ほとんど地震が起こらない韓国だったので、韓国民が震え上がって、映画公開12日目にして早くも観客動員300万人を突破した。映画最後のナレーションで「韓国は原発の密集率が世界1位」の文字が流れ、このような原発事故が本当に起これば国家壊滅の事態になることを韓国民に教えた。
 韓国の原子力産業は、「この映画のような事故は起こり得ない。まったくでたらめだ」と批判したが、文在寅政権の韓国原子力安全委員会の新委員長に就任したカン・ジョンミンが、昨年2018年1月24日の記者会見で、映画『パンドラ』について意見を問われ、「まったくでたらめだという主張の方がまったくでたらめだ」と答えた。彼はソウル大学原子核工学科を卒業し、日本の東大でシステム量子工学の博士学位を受け、韓国原子力研究院の研究員と、韓国科学技術院招聘教授をつとめた人物であり、その委員長が「この映画のような事故シナリオは、すべて起こり得る」と断言したのである。
 2016年10月26日に、私が韓国に招かれて、国会議員会館の大講堂でおこなった2時間の講演は、この原発と大地震の危険性についてのものであり、録画は下記で見られる。
 https://drive.google.com/file/d/0BzZ4y6DIL7m4MzU4VXNZYmZsQ3M/view
 映画やドラマではないが、2014年秋に韓国で放送が始まった人気バラエティー番組『三食ごはん』の「チョンソン編」は、爆笑の連続で見飽きなかった。これは、ソウル南東140キロの韓国中部・忠清北道(チュンチョンプクト)の玉筍峰(オクスンボン)の麓に広がる高地で、『イ・サン』や『本当に良い時代』に主演した韓国トップスターのイ・ソジン(李瑞鎮)が、踊りのうまい若手歌手で俳優のオク・テギョンと共に、寒暖の差が激しい田舎暮らしをさせられ、毎日三食を自炊で過ごすテレビ企画に乗せられた実生活ドキュメントである。三食の鉄則は、その田舎の家の畑で栽培されているオーガニック野菜に限り、化学調味料禁止という厳しい条件を命じられ、肉を食べたければ奴隷労働によって大量のキビや、自分で栽培したトウモロコシを刈り取って、企画ディレクターに売って金をかせがなければならないので、都会好き俳優のイ・ソジンが不平不満をこぼし続ける。そこに毎回のように、ドラマや映画で有名な韓流スターが次々にゲストとして訪問し、働かされたり料理を披露したり、彼らの飼う愛犬と山羊がからみあって、韓国の家庭料理が次々に紹介されるので、まことに愉快であった。
 韓国ドラマ『ドリームハイ』は、そのオク・テギョンが本職のダンサー&歌手として登場し、若い5人を率いてデビューする恋愛物語で、韓国人のダンスと、振り付けのうまさが抜群であった。そのほか、長編ドラマ『愛情の条件』も、傑作中の傑作と言える恋愛物語であった。『ベートーベンウィルス』、『私のちいさなピアニスト』、『ゴールデンタイム』、『マルティニークからの祈り』、『食客』、『未生(ミセン)』、『町の弁護士チョ・ドゥルホ』、韓国版の医学界の暗部を描いた『白い巨塔』、映画『提報者〜ES細胞捏造事件』などは、いずれも見応えのある問題作であった。
 読者が名作や問題作を探して見たいなら、『韓国映画で学ぶ韓国の社会と歴史』(キネマ旬報ムック)に、日本の植民地統治時代と韓国の歴史解説と共に、2015年までの韓国映画100本以上がまとめられ、『韓国テレビドラマコレクション2019』(キネマ旬報社)には新旧1000本を超える韓国ドラマがコレクションされているので、参考にされるとよいだろう。 

◆日本と韓国が崩さなければならない壁は何か

 ハリウッド映画がメカニックと暴力的な作品ばかりで魅力を失い、おちぶれているのに対して、このように多くの韓国作品のほうがはるかに面白く、世界的にトップレベルの人気を誇っているのだ。勿論、韓国ドラマのすべてが傑作・佳作であるはずもなく、最近は物語に凝りすぎて、ストーリーが分りにくい。その韓国文化を観賞しているうちに、「韓国のトップスターが出演して韓国民から絶大な声援を受けている」ことが次第に分ってくる。「それはなぜなのか」という疑問を持てば、自然、韓国の政治と文化の流れを調べて、現状を読み取れるのに、日本のテレビ出演者は、小さな島にこもって、それをしていないようである。
 日本では、現在のマスメディアに対する信頼性が示すように、世界的にきわめて低い水準にランクづけされるほど、報道内容が落ちているのはなぜであろうか。2016年4月20日に国際ジャーナリスト組織である国境なき記者団=iRSF──Reporters SansFrontières)が発表した各国の報道機関のランク付けによると、この時に韓国は前述の『共犯者たち』が暗躍していた最悪の時期だったので報道の自由度が「世界70位」というひどい評価を受け、そこから報道改革がスタートした。ところが日本は、韓国よりさらに低い「世界72位」という自由度であり、2018年になっても「世界68位」であった。これが、日本のテレビ報道に対する国際的な評価だという事実は、すべての日本人が認識しておかなければならないことである。つまり「日本のテレビ視聴者は、日本のテレビ報道は信用できないほどレベルが低いということを知ってからテレビに向かい合う必要がある」と国境なき記者団≠ヘ言っているのである。この言葉を聞いて、「自分のことを言っているな」と気づく人間であれば救いがあるが、日本のテレビ報道界が「そんなことは自分に関係ない」という態度で反発するようであれば、日本の文化的知性は、ますます韓国と大きな差がつくのである。日本は、記者クラブ制度によって、フリージャーナリストを締め出す権威主義が大手を振って横行しながら、テレビ報道界のコメンテイターが、記者クラブ制度をまったく非難しない保守的封建制の中で、「俺たちは別格の偉い人間だ」と勘違いし、あぐらをかいてテレビ出演しているのだから厄介である。
 極言すれば、韓国人は、韓国ドラマ・韓国映画を見て愉しむ日本人や、朝鮮史・韓国史を正しく深く理解するまともな日本人だけと交流すればよいのであって、朝鮮史・韓国史を知ろうとしない世界68位≠フ日本のテレビ報道界など、相手にする価値がないので、無理に仲良くする必要はない。日本の新聞や、低劣悪質な週刊誌・雑誌が何を書こうが、日本のテレビ報道が何を言おうが、人権第一の文在寅政権の韓国に対する批判は、まったく次元が低すぎて見当違いの内容なので、ほっておけばよい。日本のテレビ報道界が、ネオナチとなって「軍国主義時代の日本は正しかった」と国際的な人権意識を無視している今、このままでは日本人全体が世界から取り残されてゆくだけだ。日本政府は、「強制徴用労働者(徴用工)に対する賠償問題について国際司法裁判所に訴える」と息巻いていたが、訴えれば、百パーセント日本は敗訴になるだろう。
 これほどまでに朝鮮史・韓国史を知ろうとしない日本人が多数いることの大きな原因の一つに、日本のテレビ解説者・コメンテイターたちが、市民運動の中に入って、自ら活動することを禁じられていることがある。これは、韓国/朝鮮問題に限らず、すべての問題に言えることであり、市民運動や住民運動を知らないのでは、ジャーナリスト失格である。テレビ解説者・コメンテイターたちの言葉を聞いていると、「私は……を取材したことがありますが……」と、まず取材経験を口にするが、そのような第三者だからダメなのである。人間は、スタジオの高みから取材・見物しているだけでは、何も分らない。時には市民と一緒にデモ行進をして、デモを規制する警官や機動隊、公安と張り合う中で、たとえそれが無駄な時間の浪費であっても、横暴な人間たちに抵抗を示す市民と共に行動し、感情を共有する気概が必要である。
 私が、この日本という国で誇りにしていることは、企業を訪問してエネルギー技術について教えてもらう意味で取材したことはあるが、失礼にも苦難にあえぐ住民に意見を尋ねる第三者のジャーナリストとしての取材≠したことは一度もないことである。その代り、広い北海道のすべての主要都市と、青森県から沖縄県までの残る46都府県のすべての土地において、住民運動と共に活動してきた体験がある。それは、私が望んだことではなく、76歳まで生きながら活動を続けてきた自然の成り行きで、すべての都道府県の住民運動に求められて現地に出向いた結果、すべての土地の問題を知っている体験者が、いつしか次々にこの世を去って、見渡すと、まるで私だけしかいないような感じになっていた、というだけのことである。
 しかし現在の日本の市民運動・住民運動はどうであろう。日本の電力を維持するにはガスと石炭だけで充分であるのに、「自然エネルギーを普及しよう」と叫んで、私が愛する森や林を伐採してメガソーラーや風力発電機を設置しようと、大自然を平気で破壊する「都会的な頭でっかちの市民運動家」も多くなっている。この問題の原因は、「二酸化炭素による地球温暖化説」の真偽を自分で調べたことがなく、その説の科学的な間違いに気づかないことと関係があり、それが石炭火力発電を憎む間違った偏見の源になっているので、この間違いについては、のちにくわしく述べる。このように市民運動・住民運動も間違いを起こしているので、彼らのすべてが正しいとは言わない。
 だがテレビ報道界のジャーナリストが、市民運動や住民運動を知っているか、知らないかの差は、大きい。日本のテレビ解説者たちは、市民運動の中に入って、自ら活動しない。そのため、米朝首脳会談後に、テレビ解説者の誰一人、南北朝鮮の「民衆」を第一に考える発想が生まれず、自分は政治家でもないくせに、全員が政治家の立場から発言してきたのである。日本報道界のコメンテイターたちが今もって日本が世界の経済大国だという傲慢な意識を持つわけではないだろうが、市民と共に『共犯者たち』を製作した韓国報道界の精神との違いを感じてならない。
 たとえば私が1980年の光州虐殺事件について光州現地で韓国の市民からくわしく話を聞いた時には、夜に、車座に坐って十数人の韓国の知識人と、朝鮮の酒マッコリを飲み交わしながら、どのようにすれば韓国と日本が、「米軍の 軛くびき」から解放されるかを語り合った。その時、私がふと「この中で牢獄に入れられた人がいますか?」と尋ねると、まるで当然のように、全員が笑顔で手を挙げたのである。活動する知識人であれば、ほとんどの人が牢獄生活を体験していた。それが1988年のソウル・オリンピック後、盧ノ泰テ愚ウ大統領〜金キム泳ヨン三サム大統領時代の韓国であった。この人たちが現在までの韓国の民主化を進めてきた主役であり、当時彼らは「まだ数千人の知識人が投獄されている」として、救出活動を続けていた。ところが日本に帰国すると、「韓国では民主化が進んでいる」と、大新聞がまったくの大嘘を書き立てていた。
 つまり、現地に飛びこんで多少の危険を冒さなければ、現実問題を体得し得ないのが真のジャーナリストの直感である。現在で言うなら、シリアしかり、パレスチナしかり、北朝鮮しかり、である。
 しかし韓国のマスメディアも、MBCやKBSばかりでなく、昔は政府と財閥の言いなりで、ひどかったのである。1980年の光州市民蜂起は、テレビでも新聞でも、まったく正しく報道されず、虐殺された市民が「暴徒」や「アカ」と呼ばれて、悪者にされていたのだ。ところが事件のあと、アメリカに対する韓国学生の認識は大きく変化した。光州市民に対する 全チョン斗ドゥ煥ファン一派による殺戮は、アメリカの同意のもとにおこなわれたという事実に学生や市民が気づき始めて、学生たちが光州のアメリカ文化センター(文化院)に放火し、独裁政権打倒と共に、「ヤンキー・ゴー・ホーム」を叫び始めた。
 光州事件の最高責任者だった 全チョン斗ドゥ煥ファン大統領は、1995年ついに拘束され、1996年8月26日に開かれた公判では、内乱罪などで全斗煥に「死刑」、盧ノ泰テ愚ウに懲役22年6ケ月の宣告が下された。しかし1997年12月に、重罪を宣告されて服役中の二人の軍人大統領「全斗煥と盧泰愚」に対して、金キム泳ヨン三サム大統領が刑の免除を発表し、大統領選挙で金キム大デ中ジュンが当選したので、「金泳三と金大中」の合意によって、大罪人の全斗煥・盧泰愚が赦免され、釈放されてしまったのである。こうして長い間、改革派の韓国民には内心の不満が残っていたため、『タクシー運転手』が封切られると、膨大な数の観客が押し寄せ、今年2019年3月12日現在も「ヘリコプターからの機銃掃射で市民に対する殺戮を命令した」事実をめぐって、全斗煥が光州地裁に出廷して追及を受けているのである。
 文在寅は、学生たちがアメリカ文化センターに放火した事件当時、彼らを弁護する法律事務所の弁護士であり、のちに市民の代表として大統領府・青瓦台に入った大統領であるから、市民の怒りを共有してきた。そこで文在寅は、2017年に大統領に就任後、当時の光州虐殺事件について調査する特別委員会をつくって、歴史の真相を次々に明らかにしてきた。これも、前述の「過去事委員会」と同じく、時効≠問わずに続けられている歴史に対する清算である。

◆韓国の財閥問題

 ただし文ムン在ジェ寅イン大統領は、北朝鮮を敵視する保守派の国民も味方につけなければ、経済苦にある国民から支持が得られないので、そこに立ちはだかる財閥退治という大きな課題が、まだ残されている。韓国・北朝鮮ともに、経済問題を、いかにして立て直せるかが、これから最大の課題なのである。
 韓国では巨大資本が「経済」だけでなく、「軍事」と「原子力産業」を握っているので、財閥の存在は、国家の影のようにつきまとう韓国で最も強大な壁なのである。歴史的には、朴パク正チョン熙ヒ、 全チョン斗ドゥ煥ファン、盧ノ泰テ愚ウたち軍人出身の独裁大統領が、財閥の総帥そうすいに女をあてがい、酒を飲ませて、政治資金の上納を強要することによって、長期間にわたって軍事政権を維持してきた。この政治家を本稿では「保守派」と呼んできたが、韓国では「北朝鮮との軍事的に危険な対立と紛争(戦争)にのめりこむ政策」を保守と呼ぶのだから、尋常ではない。彼らの性格は、日本の右翼と同じである。
 こうして韓国では、軍閥に深く根をおろす政界と財閥の癒着が常態化し、1970年代までに現代(ヒュンダイ)財閥、大宇(テウ)財閥、三星(サムスン)財閥、LGグループ(旧・ラッキー金星グループ)、SKグループ(石油精製業や韓国の携帯電話業界最大手の通信事業)などの大財閥が誕生するようになった。
 韓国の雑誌「思想界」1970年5月号に、詩人・金芝河(キム・ジハ)が長編詩『五賊』を発表し、「ソウルのど真ん中」に住む「五人の盗っ人」を五匹の化け物に置き換えて描いた。その化け物の筆頭が「財閥」であり、国会議員、高級公務員、星をつけた軍人幹部の将星、次官、という四匹の 獣けだものと共に、朴パク正チョン熙ヒ体制のもとで権力層がいかに不正を働き、腐敗しているかを、痛烈に、コミカルに風刺したのである。この『五賊』に怒り狂った朴正熙が反共法違反で金芝河を逮捕し、1974年に死刑判決を下したが、政府批判をすべて禁止した時代にも抵抗し続けた金芝河は、全世界から大喝采を受けて釈放され、その後も韓国の民主化運動をリードする活動を続けてきた。
 こうして政治家の腐敗によって巨大に育った化け物の財閥が、政治家のペットではなく、今では逆に、政治家に女をあてがい、酒を飲ませて、政策を操るようになった。
 最近では、サムスン、LG、現代電子などの財閥グループが携帯電話事業に本格的に参入して、生産量が大幅に増加して韓国経済を支えたのはいいが、2012年には、わずか10社の財閥グループの売上高が、GDP(国内総生産)の75%を超えるまでになってしまったのだ。加えて、大企業ではグループ企業間の株の持ち合いによって創業者の一族が独占的に経営権を握り、数ではたった1%の大企業が、韓国内の売上高の6割を占めるので、この問題を解決しないことには、国民の経済格差を解消できないのである。
 そこに2017年2月17日、チェ・スンシル・ゲート事件の中で、「スマートフォン出荷台数が世界一」のサムスングループの経営を事実上支えてきたサムスン電子副会長の李在鎔(イ・ジェヨン)が、朴パク槿ク恵ネ大統領への贈賄などの疑惑で逮捕され、8月25日に懲役5年の実刑判決を受けた。この朴槿恵スキャンダルで発覚したように、政界と一体になった一財閥の危機が、国家全体を揺るがす重大な経済問題に発展する構造になっているのが韓国なので、文在寅は大統領就任後に「財閥問題の解決」を政策に掲げてきた。
 ところがその後、これら財閥の手先となって動く韓国の新保守主義者、「ニューライト」と呼ばれる若く無知な右翼が、悪質なフェイクニュースを山のようにインターネットで流し、こうした正体不明の発信者が、文在寅政権に対する攻撃に熱中し始めたのである。こうした動きは、日本より携帯製品の普及率が高いスマホ世界一の韓国≠ノおける悪い面の特徴である。世間を知らない高齢者が、その種の悪質な噂に惑わされることもあり、文在寅大統領の支持率を下げたおかげで、失脚した前大統領・朴槿恵の支持母体だったセヌリ党が、自由韓国党へと党名を変更して復活し始め、急追する現象が起こってきたが、自由韓国党の議員が「光州事件は暴動だった」と暴言を吐くにおよんで、韓国内の各種の進歩的な歴史研究団体が、我慢できずに怒りの声をあげ始めた。この「作為的な支持率低下」を見たアホな日本のテレビ報道界のコメンテイターが、どこまで無知なのか、安倍晋三並みに鬼の首をとったように喜ぶ。文在寅本人の政策は、強固で平和的な思想信条を土台にしているので、支持率を見て悪政をおこなうことは絶対にない、ということが日本のテレビ報道界には、いまだに分っていない。
 しかし文在寅大統領にとっては、経済の好転が望めない限り、この「ニューライト」からのいやがらせ批判をかわすことができないので、「保守派を含めてすべての韓国民のための大統領になる」と宣言した人間としては、この先の政治の舵取りは多難である。では文在寅大統領は、どうすれば正攻法で韓国経済を立て直せるのであろうか?

◆南北朝鮮を貫く天然ガス・パイプラインと交通網

 実は、朝鮮半島の経済危機の建て直しには、特効薬がある。すでに三度にわたる南北首脳会談後の2018年10月初めに、南北朝鮮の国境・板門店(パンムンジョム)の共同警備区域における80万発の地雷撤去作業がスタートして10月22日に完了し、この区域内に配備されていたすべての武器と弾薬は不要である、として撤去され、この警戒所に勤務する人員が撤収したのだ。北緯38度線の国境において何十年にもわたって続いてきた敵対関係が、春先の雪解けのように、和解と友好に転じたのである。
 文ムン在ジェ寅インと金キム正ジョン恩ウンの南北首脳は、このような軍事境界線の武力放棄によって、とてつもなく大きな経済的な利益が朝鮮半島にもたらされることをめざしてきたのである。
 というのは、これまで韓国(南朝鮮)は、中国大陸と地続きの半島にありながら、陸路が敵国・北朝鮮≠ノよって阻まれてきたので、ロシアに行くにも、中国に行くにも、陸路が使えず、実質的には日本と同じ島国だったのである。この地政学的条件は、北朝鮮にとっても同じで、南の海路に出ようとすると、韓国との国境線の存在が邪魔になって、特に漁業にとっては同じ不都合さを漁民にもたらしてきた。
 それが2018年の三度の首脳会談後、軍事境界線の実質的な消滅によって、同じ民族の同胞国・北朝鮮〜韓国≠フ間がいずれは自由に往来できるようになるので、韓国では、これまでのように天然ガスをわざわざLNGに液化して、ロシアや中東やアメリカからタンカーで輸送しなくてすむようになるのだ。「世界最大の地下資源の宝庫ロシア」の天然ガスを直接、北朝鮮経由のパイプラインで輸入することができるからである。
←【パイプラインの地図はハンギョレ新聞2018年10月25日より引用】
 それは、現在の技術をもってすれば、韓国のほとんどの発電所の燃料をガス化し、クリーンな電力を使って、コストを大幅に下げ、原子力発電所を閉鎖できる未来を意味する。逆に韓国から北朝鮮に向けて、鉄道による石油や大量の商品の輸送も自由になる。さらにEUヨーロッパ諸国のように、南北朝鮮〜中国〜ロシア間を広大な送電線でつなぐ「広域電力網スーパーグリッド」の構築も可能であるから、北朝鮮にとっては韓国からの電力輸入が自由になる。
 この「韓国・北朝鮮・ロシアの天然ガス・パイプライン構想」と、「南北鉄道網の連結計画」と、「送電線ネットワークのスーパーグリッド」は、2018年すでに文在寅と金正恩の南北首脳の間で、具体的な作業が進められてきた。これらの計画は、ヨーロッパの西端からやってくるユーラシア大陸鉄道や、オリエント急行との連結も視野に入れて、朝鮮半島の南端が、客車や大型貨物列車によってロシアを通じてヨーロッパの大都市ベルリン・パリ・ロンドン・マドリッドと直結し、中国を通じてベトナム・タイ・マレーシア・カンボジア・シンガポール・インドと直結するのである。
 加えて、この南北鉄道連結を韓国同様に強く望んでいるのが、ロシアなのである。北朝鮮は高価な稀少金属などの鉱物資源が豊富で、一方、韓国はモバイル(携帯)製品で世界有数の国なので、北朝鮮に対する経済制裁さえなくなれば、この両者の文化・文明のコンビネーションによって、想像もできないほどの経済効果を生むと見られている。 
 2018年11月24日には、韓国外務省がこの件で、「南北朝鮮を連結する鉄道の共同調査について、国連安全保障理事会の北朝鮮制裁委員会が制裁を免除することになった」と発表した。つまりアメリカ政府や日本政府が北朝鮮に対しておこなってきた一連の経済制裁も、南北朝鮮の和平交流が進めば、この鉄道のようにいずれ消滅するだろうというのが国際社会に広まりつつある認識である。
 鉄道は、朝鮮半島東側を走ってロシア・シベリア横断鉄道と直結する青い線━が東海(トンヘ)線で、半島西側を走って中国と直結する赤い線━が京義(キョンウィ)線である。←【鉄道地図はハンギョレ新聞2018年6月18日より引用】
 2018年4月の南北首脳・金正恩/文在寅による板門店(パンムンジョム)宣言に、「東海線と京義線を南北で連結する」ことを謳い、9月の南北首脳会談でも、「南北鉄道連結工事の着工式を年内に開く」ことで合意していた。そしてその合意通り、2018年12月26日に連結工事の着工式を実施したのだから、この連結工事が完成すれば、北朝鮮に向けて石油でも何でも大量に大型貨物列車に積んで搬入できるようになる。
 2019年2月27日のトランプ大統領との第二回首脳会談に臨む北朝鮮の金正恩委員長が、平壌(ピョンヤン)からベトナムの首都ハノイまで4000キロ以上、中国の丹東〜天津〜武漢〜南寧を経て、往復とも走破する鉄道旅行の大長征≠演じて見せたのは、その予行演習であった。

 韓国の情報通信技術は、世界一のレベルにある。現代人が登場する韓国ドラマを見ていると、携帯電話・スマホによる連絡が日常会話のほとんどを占めるのではないかと錯覚するほど使用頻度が高い。私は、韓国人のインターネットや携帯電話などのモバイル製品の使用頻度は、使いすぎだと感じるほどだが、私が韓国講演のために、韓国で発刊された過去の新聞記事の検索を頼んだところ、たちまち無料≠ナ古い貴重な「ハンギョレ新聞」の記事を集めてもらえた。そして私が、韓国のすぐれたメディア情報収集システムに驚くと、彼らは、「日本の報道メディアは、韓国に比べりゃガラパゴスなんだよ。化石時代だ」と言った。確かに日本では、無料で過去の新聞記事を入手できるということはなく、高額の費用を請求されることが常識になっているので、韓国人の見識と技術の高さに驚いた。おそらく、このような韓国の情報通信技術のエネルギーが、平和時代に南北朝鮮を結んで、現代の朝鮮半島の経済力の源になることは間違いない。
 韓国貿易協会が発表した2017年の韓国の外国貿易の国別シェアを見ると、韓国最大の輸出国は中国向けで、この中国に香港を含めると1812億ドルで、輸出全体の32%(3分の1)を占めている。これに対して、アメリカ向けは686億ドル、日本向けはたった268億ドルで、「アメリカと日本の合計」でも954億ドルなので、中国向けの半分にしかならない。韓国の輸出先で急激な伸びを示しているのは、サムスンが首都ハノイに進出しているベトナムの478億ドルで、すでに日本の2倍近い。そのため第二回・米朝首脳会談をベトナムで開催したのである。それに比べて日本向け輸出額は全体の5%にも達しないので、日本政府と日本メディアが韓国に無意味ないやがらせを続けても、韓国にとっては大した被害がないので、文在寅政権は日本など眼中になく、相手にしていないのである。これから世界的に巨大な朝鮮ブーム≠ェ起こる可能性がある今、その時に大損して孤立するのは日本なのだ。
 したがって、南北朝鮮の平和交流に待ったをかけようとするアメリカ軍需産業の悪意をアジア全土が非難し、われわれ日本も南北朝鮮の平和交流を支援するべき時期を迎えている。
 その時、最大の気がかりは、中国の周近平政権が、原発と軍備拡大に熱中し、かつて中国全土に吹きまくった紅衛兵の狂気のように、暴走する大国に見えるようになりつつあることだ。韓国民は、マナーの低い中国人をあまり好きではないというが、朝鮮半島は北朝鮮・韓国いずれも、この中国を商業的にうまく利用しているので、朝鮮半島が巨大な人口を抱える中国の毒気に当てられないことを祈るばかりである。
 私が見るところ、文在寅大統領が「原発を廃絶する政策は正しい」という個人的哲学を持っていることは認める。だが、原子力発電が生み出す核分裂生成物(高レベル放射性廃棄物)の本質的な危険性、つまりいかなる科学工学技術をもってしても、永遠に人類の生活を脅かす存在物≠ノついて、彼はまだ深い知識では理解していないように感じる。それが、韓国の原発輸出政策を続行する致命的な欠陥になっている。正しい戦争≠ニいうものがこの世に絶対に存在しないように、正しい原子力利用法≠烽り得ないことを理解しない限り、韓国も日本と同じ過ちから抜け出られないであろう。

4. panbet37[3154] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2020年9月25日 21:01:18 : 6J7XudsF6g : SWhiVG1scjVucXc=[794] 報告
本稿も、大変啓蒙させられました。悲劇は続いていますね。
5. てんさい(い)[1314] gsSC8YKzgqKBaYKigWo 2020年9月25日 22:16:06 : 0kUGInjLpY : ZUJoU1c2MzFGUzY=[322] 報告
◆第三話 ノーベル賞・東京オリンピック・大阪万博・異常気象

 2018年に私がテレビを見る人間に化けてから、テレビに登場する人間を評価することが日課となり、「これがテレビか? これが報道か?」と首をひねりながら、気がかりになる本当のことを、本稿に記述している。その中で、とりわけ多くの人が気づいていないと思われる「ノーベル賞」・「東京オリンピック」・「大阪万博」・「異常気象に関するテレビ報道」の深刻な問題について、この章で扱うことにする。

◆ノーベル賞騒ぎと、学歴・肩書社会にはびこる無知

 例年のように、ノーベル賞の受賞者が発表され、彼らは、あたかも有史以来の地球が生んだ天才であるかのように手放しで賞讃される。しかし! われわれ一般大衆から見て、これらの受賞者が人類に貢献したという認識は、まったくない。それが証拠に、ノーベル賞受賞者の名前など、一年もたつと、ほとんどの人はすぐに忘れている。
 ノーベル賞には、自然科学部門の三賞「物理学賞」、「化学賞」、「生理学・医学賞」のほかに、ややあやしげな「文学賞」と、きわめてあやしげな「平和賞」のほかに、見当違いの「経済学賞」まである。

 * * *

 最もいかがわしいのは経済学賞であり、この賞は、1968年にスウェーデン王立科学アカデミーが新しいノーベル賞として設立を承認したが、そもそもノーベル賞の遺言を残したアルフレッド・ノーベルの子孫と、ノーベル財団はこれをノーベル賞として認めていないのである。経済の問題は、難民を生み出す深刻な世界経済に関するので、しっかり述べておく必要がある。
 ロスチャイルド財閥の申し子で、ノーベル経済学賞の受賞者ミルトン・フリードマンが唱えた「新自由主義」のために、現在の世界がどれほど混乱に陥ったか、その経過を、テレビ報道界は知っているはずである。同じくロスチャイルド財閥の申し子で、ノーベル経済学賞の受賞者ポール・サミュエルソンが唱えた経済理論の研究者であるハーヴァード大学経済学者ロバート・マートンと、スタンフォード大学のマイロン・ショールズも、1997年に共にノーベル経済学賞を受賞した。このマートンとショールズが、アメリカの巨大ヘッジファンド、ロングターム・キャピタル・マネージメント(LTCM、長期資産管理会社)の経営幹部となって、1998年にLTCMが破綻して、ウォール街と投資家に空前の大損害を与えたのである。何と彼らは、投資家から集めた22億ドルを担保に、銀行から120億ドルを借り入れ、それで証券を購入し、今度はそれを担保にデリバティブなどの投機金融契約に深入りしてゆき、契約総額が1兆2500億ドルにも達した。自分の財産でもない22億ドルを元手に、その500倍以上の1兆2500億ドルにふくらませ、挙げ句の果て、それを最後に破綻させ、ゴールドマン・サックス、メリル・リンチ、J・P・モルガン、チェース・マンハッタン銀行など14社の大手金融機関に1兆円の損害を与え、これが予行演習となって、10年後の2008年にリーマン・ショックで世界恐慌を起こした。その張本人が、ノーベル経済学賞の受賞者だったのである。
 なぜなら、この大被害を与えたロバート・マートンがシティグループ傘下の投資部門担当重役もつとめ、ノーベル経済学賞受賞者2人が理論的指導者となって進められたデリバティブの破綻が引き金で、2008年に恐慌の火を噴いたのがリーマン・ショック≠セったからである。この連中の経済学に対しては、いい加減にしろ、と言いたくなる。
 ニューヨーク・ タイムズやワシントン・ポストおよびそれに追随する日本のマスメディアは、アメリカのトランプ大統領を生理的に嫌いだという理由から、トランプの移民排除政策をしきりと批判し、株価が落ちるとトランプ・リスク≠セと、子供のように喜んでいる。しかしトランプを批判する前に、「近年、世界中に貧富の差が広がって、その経済格差のために大量の難民の移動が生まれて、先進国が混乱に巻きこまれてきたのはなぜなのか?」と疑問を抱き、難民発生のメカニズムを考えたことがあるのだろうか? 中南米と中東とアフリカからの大量の移民と難民の流入が、ヨーロッパ諸国とアメリカに外国人排斥の気風を生み出しているのは事実だが、移民と難民が過度に流入すれば静かな生活者が困惑するのも事実なのだから、その排除を求めるトランプ大統領支持者をファシストと決めつける前に、難民の発生を止める方策をとらない国連と、難民を生み出す原因となっている報道界と経済界に、まず目を向けるべきである。
 中東では、そもそもこの発火源のテロ集団イスラム国IS≠ェ生み出された最大の原因が、2003年3月20日に始まったアメリカ政府の狂気のイラク攻撃にあったことは火を見るより明らかで、2006年のジョンズ・ホプキンズ大学による調査では、イラク戦争開戦から3年後の2006年6月までの「イラク人の死者数は60万人以上」とされている。したがって、被害者はその10倍の数百万人に達するであろう。イスラム教徒に対するこのアメリカの大量虐殺に怒って決起したイスラム教徒が、テロリストに変貌し、今後数十年にわたって活動を続け、難民が大量発生することは、残念ながら必然的な結末である。またその反動として起こる白人至上主義者のテロも、混乱を複雑化している。
 しかしイスラム国IS≠轤フテロリストが展開してきた行為は、預言者が説いたイスラム教の律法から外れたもので、イスラム教徒には容認できるはずもない。
 イスラム教の聖典コーランには、預言者マホメット(ムハンマド)による神の啓示が次のように書かれている。
 ── 汝なんじらが追放されたところから、汝らに敵する者を追放せよ。もし彼ら(敵)が戦いを仕掛けるなら、彼らを殺せ。迫害がなくなるまで、彼らと戦え。
 この法を忠実に実行するなら、イラク人を殺戮した米軍と、パレスチナ人の領土を不法に略奪して殺戮を続けるイスラエルのユダヤ人に対して戦いを挑むことは正当な行為である。ところがコーランには、
 ──彼らが戦いを仕掛けない限り、汝らは戦ってはならない。
 とも書かれている。つまり、何もしない人間には攻撃をしかけないことが、イスラム教徒の掟なのである。テロリストが展開してきた無辜む この民に対する殺戮≠ヘ、この法を外れたものであり、正当なイスラム教徒にとって許されない行為である。同じように、シリアのアサド政権による残忍な住民虐殺や、(アフガンではなく)パキスタン・タリバン運動による児童の大量射殺も、ナイジェリアにおけるボコ・ハラムの学校襲撃や女子生徒の拉致も、ケニアにおけるキリスト教徒の学生射殺も、これまでの「正当なイスラム武闘集団」とはかけ離れた行為なのである。実は、彼らの手にしている武器・兵器が、敵方のヨーロッパ・アメリカ・ロシアやイスラエルの死の商人≠ゥら送りこまれたものである可能性が濃厚である。つまり、アメリカをはじめとする反「イスラム国」有志国連合≠ェ続けてきた一般人を巻きこむ無慈悲な殺戮空爆が、中東・アフリカを戦乱に巻きこんで、全世界の軍需産業を隆盛させている。それ以外には、現状の答がみつからない。
 こうした流れのすべての発端となった2003年のイラク攻撃♀J始の火付け役が、2002年9月8日のニューヨーク・ タイムズが「イラクの核兵器開発」をあたかも事実であるかのように根拠もなく大報道した記事(フェイクニュース)であったことを、日本のテレビ報道界は知っているのだろうか? この記事をいま読むと、トランプの大統領補佐官ボルトンが北朝鮮の核兵器を非難して、憎悪を煽あおっている言葉とそっくり同じ文面なのである。こうしておそろしい大殺戮の原因をつくった新聞ニューヨーク・ タイムズが現在もリベラルを名乗り、トランプ大統領の移民排斥政策を非難して、どこに説得力があるのだろうか? 日本のテレビ報道界がその尻馬に乗って軽々しくトランプ批判に熱中するようでは、日本のテレビ・コメンテイターもまったく信用ならない人種だということになる。
 シリアのように、軍需産業が引き起こすテロや紛争、内戦が原因で生まれる難民は最も悲惨だが、一方で、中米・南米のように経済格差≠フために生まれる難民の数も非常に多い。難民発生の本当の原因を知りたいなら、トマ・ピケティの経済学書などを読むより、私が世界の財閥について実名を挙げて解析した『アメリカの経済支配者たち』と、グローバリズムの真相を解説した『資本主義崩壊の首謀者たち』(いずれも集英社新書)を読んで、対策を立てたほうがためになる。貧困国と先進国との経済格差を広げる原因は、先進国の一部の資産階級の強欲さにあるのだから、全世界がその資産家たちの実名をあげて非難することが、最も重要であるからだ。
 最近では、昨年2018年クリスマス休日前に起こったウォール街の株価大暴落は、リーマン・ショックと同じく「またも世界的なバブル崩壊再来だ」、「トランプ・リスクだ」と大騒ぎしたが、2日後の12月26日には逆にダウ工業株平均株価が史上最大の1086ドルの上げ幅を記録するというメチャクチャ相場だったので、見当違いの騒動を煽あおったマスメディアが恥をかいただけであった。
 トランプ大統領が中国に対して関税引上げ戦争を仕掛けたことは、反グローバリズム/反自由主義の保護主義(America First)だから、アメリカ人として正しい行動である。過去数十年、アメリカ人がウォール街の詐欺まがいの金融力に頼って経済の維持につとめ、国民の持つモノづくりの技術力・工業力を無視してきたことが、労働者階級に失業者を生み出してきた原因なので、この米中貿易戦争で、「横暴なアメリカと中国」の両大国とも貿易が不振になり、アメリカ人が自国でモノづくりに戻れば、人類にとってこれほどいいことはない。どこがトランプ・リスクなのだ? トランプがWTO(世界貿易機関)から脱退の意向を示したことを大歓迎する。私は、すべての国との文化・文明の交流を支持するが、それは、ほかの国を理解し、ほかの国の知恵を取り入れる、という意味においてである。1995年にWTOが誕生したあとのグローバリズムと呼ばれる経済交流は、それとは違って、先進国が弱小国に乗りこんで一方的な経済搾取と自然破壊・文化文明破壊をすることにほかならない。それ以来、全世界のマスメディアが推奨してきたグローバリズム/自由主義こそが人類に対する重大犯罪であり、反グローバリズムと保護主義を批判するエコノミストの頭は、完全に狂っている。
 トランプ大統領が気候変動対策に関するパリ協定から離脱したことも、のちにくわしく述べるように、科学的に完全に正しい行動であった。
 トランプが「戦争ゲームをやめよう!」と言って、北朝鮮と初の首脳会談を実施し、北朝鮮を挑発する米韓合同軍事演習を中止したことは、過去いかなるアメリカ大統領も成し得なかった朝鮮半島の和平に向けての歴史的な偉業であった。シリアからの米軍撤退も、アフガニスタンからの米軍撤退も、もしそれが完全に遂行されるならば正しい決断になるが、ホワイトハウスの決定を米軍の幹部と軍需産業が受け入れるかどうか、現状では不確かである。
 トランプ大統領が完全に間違っていることも、挙げておく必要がある。私は、好き嫌いがはっきりしているこの男が大統領に就任した時から、オバマやクリントン夫妻のように平然と嘘をついて人殺しをする偽善者にはならないので、アメリカ政府が歴史的に続けてきた独善的な悪事が分りやすくなると期待していた。しかし選挙票目当てに、イスラム教徒をすべて悪人と決めつけ、横暴なイスラエル・ユダヤ人の肩を持って、イスラム教の聖地エルサレムをイスラエルの首都と認定し、イスラエルが武力でシリア領を占領したゴラン高原をイスラエル領土と認定するなど、アラブ人・パレスチナ人を追いつめる中東政策は、彼の言動の中でも最悪の致命的ミスである。またフロリダ州の選挙票目当てのキューバ制裁や中南米政策でも、好き嫌いの主観が強すぎる。アメリカ大統領の宿命は「巨大な軍需産業を維持しなければならない」ことにあるので、兵器輸出と、国内での銃砲野放し政策も危険である。トランプがとってきたこうした行動の規範が、多くはアメリカが金銭的に利益を得られることにあるので、全世界はトランプをうまく利用するだけの悪知恵が必要である。日本人は、トランプ政権が続いている時代に、米軍の日本駐留経費支払いを停止する嫌がらせをして、沖縄からの米軍(海兵隊)撤退を促すべきチャンスだと思うのだが……
 メキシコとの国境の壁の建設は、トランプが始めたことではなく、1994年に始まったので、民主党のクリントン大統領の時代からおこなわれてきた愚行である。自称リベラル派の新聞はまったくクリントン批判をしなかったくせに、トランプ大統領になってから突然に批判を始めたのだから、トランプ批判は卑劣なフェイクニュースである。そもそも国境の壁やフェンスは、大量の難民が押し寄せる東ヨーロッパのハンガリー国境や、イギリスの北アイルランド/アイルランド国境など全世界至る所の紛争地に建設されているので、トランプの問題ではない。最もひどい壁はイスラエルのユダヤ人がパレスチナ人の土地に不法に入植して、その強奪した土地からパレスチナ人を追い出すために築いてきた分離壁で、真っ先にこれを批判しないマスメディアや国連は、人間失格である。
 マスメディアは、個性の強いトランプを絵にしやすいので、諸悪の根源であるかのようにジョークを飛ばして論じているが、そうした態度は低レベルの漫画家レベルのフィクションにすぎない。ジョークは慎むべきであり、問題を個別に真剣に解析するのが、ジャーナリストの役割である。
 一方、日本の経済はどうであろう。東京証券取引所で日本株の7割を所有しているのは外国人投資家なので、アメリカの株価が動けば、彼らウォール街の投機屋が日本株を売り飛ばして損失の穴埋めをするメカニズムになっている。その結果、ウォール街の株価大暴落/急上昇に引きずられて、日経平均株価が乱高下するたびに、日本人が右往左往している。加えて日本では、日本銀行という中央銀行が2018年に6兆5000億円を相場に投じ、累積で25兆円近くまで株購入に熱中し、恥ずかしくもなく株価を維持するのに奔走しているのだから、日本の株価はルール違反のデタラメ数値なので、経済と産業のレベルと動向を知る指標として、ほとんど意味を失っている。
 人間は衣食住を確保できれば、それ以上、経済成長のように余計なことをしなければよいのだが、現在のようなバブル経済の発生源は、世界経済の大半を動かす意味もないインターネット関連業界にあることが分っている。したがって、これからも続くインターネット時代は、バブル経済→崩壊→バブル経済→崩壊のくり返しになり、そのたびに経済難民が大量発生する宿命にある。では、どうすればよいのか?
 このバブル崩壊という現象は、ほとんどの人が、巨額の資産が「株式市場から消える」現象だと勘違いしているが、存在する資産がこの世から消えるということは、絶対にないのである。「株価暴落を先に察知した投機筋の株主が売り逃げて、莫大な額の儲けを懐に入れる」ことによって起こるのがリーマン・ショックのようなバブル崩壊である。その売り逃げる株主が仕手し て集団の場合もあり、相場に巣喰うこれら投機業者によって株価暴落が計画通りにおこなわれることもしばしばである。
 したがって、彼ら投機筋はバブル崩壊のたびに必ず莫大な利益を懐に入れて大儲けに儲ける。これら投機筋が売って得た巨額の資産を、どこに隠すかを徹底的に暴露し、タックスヘイヴン(脱税資産の隠し場所)をつぶすように国際社会が共同で突きとめれば、簡単に、大衆に対する被害を小さくできるのである。ところがその役割を課せられて大統領に就任したバラク・オバマが偽善者だったため、「タックスヘイヴンでの資産家の隠し資産」を追究せず完全に放置し、ニューヨーク・ タイムズやワシントン・ポストなど全世界のリベラル派と称するマスメディアが、財閥の手先となって、いつまでも資産家の実名を挙げる批判をせず、トランプ大統領が全責任者であるというキャンペーンを展開してきた。財閥子飼いのリベラル派マスメディア≠ェなぜそうするかと言えば、「リベラル=自由」という民主主義を看板に掲げることによって、何も知らない庶民の財布を自由に♀Jかせ、そこに財閥が入りこんで、全財産を盗み取る目的を果たすためなのである。この「新自由主義」によって、貧困国と先進国との経済格差がますます広がるので、難民発生が止まらないのだ。こうして彼ら自称リベラル派<<fィアがファシズム社会を招来する元兇になっているのである。こういう当たり前のことを指摘するのが経済学なのである。 

 * * *

 ノーベル「経済学賞」と並んで「平和賞」も、かなり怪しいことは昔から有名である。時折のまともな受賞者にまぎれて、トンデモナイ人間がたびたび受賞している。
 とりわけ1973年にノーベル平和賞を受賞したアメリカのヘンリー・キッシンジャーは、もともと米ソ対立時代に大量報復論をはげしく展開して、米軍の海外進出を鼓舞しつづけ、自ら班長をつとめるベトナム特別作業班を使ってラオス・カンボジア侵攻作戦を指令した男である。こうしてキッシンジャーがベトナム戦争を泥沼に引きこむ作戦を強行しながら、1971年にニューヨーク・タイムズによって「ベトナム秘密報告」(ペンタゴン・ペーパーズ)がスッパ抜かれてから、自らの戦争犯罪を釈明する目的でベトナム和平交渉に力を入れ始め、1973年のベトナム和平パリ協定調印を成功させたとして、ベトナム戦争のA級戦犯がノーベル平和賞を受賞したのである。ノルウェー・ノーベル委員会では、この授賞に抗議した2人の委員が辞任したほどであった。
 キッシンジャー受賞の翌年、1974年に、非核三原則によってノーベル平和賞を受賞した日本の首相・佐藤栄作に対しては、「おいおい、本当かよ」、と日本中が驚いた。そればかりか、ノルウェーのノーベル賞委員会が2001年に出版した「ノーベル平和賞・平和への100年」の中で、「佐藤栄作はベトナム戦争でアメリカの政策を全面的に支持し、日本は米軍の補給基地として重要な役割を果たした。のちに公開されたアメリカの公文書によると、 佐藤栄作は日本の非核政策をナンセンスだと語っていた」などと述べ、「佐藤栄作を選んだことはノーベル委員会が犯した最大の誤りであった」として、選考委員会を自ら批判した通りである。
 現在もまた、ノーベル平和賞受賞者であるミャンマーのアウン・サン・スーチーが、イスラム教徒のロヒンギャに対する差別と虐殺で全世界から烈しい非難を浴び、「ノーベル平和賞を剥奪せよ」の声があがっている。
 1989年に、中国・チベット問題の渦中にあるダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞したが、これは、中国とアメリカの確執が作用し、アメリカとヨーロッパの政治力の結果なので、信用できる受賞者ではない。そもそも、自分を仏の化身≠ナあると称する人物が、代々のダライ・ラマなので、私は信用していない。
 アメリカ大統領はどうだろう。セオドア・ルーズヴェルトは、偽クーデターを起こして南米のコロンビアから運河計画地帯を奪い、パナマ運河をアメリカ領土として植民地化した男である。大統領ウッドロー・ウィルソンは、黒人を虐殺するKKK(クー・クルックス・クラン)を礼讃する映画『国民の創生』を自ら観賞してほめたたえた男である。大統領ジミー・カーターは、1979年に米軍から独り歩きしようとする韓国大統領・朴正熙(パク・チョンヒ)をKCIAの手で暗殺させ、同年にホメイニ師によるイラン革命が起こって、アメリカが支援する悪逆非道の独裁者パーレヴィの王制が倒されると、首都テヘランのアメリカ大使館の人質50人を奇襲攻撃で救出するブルーライト作戦を強行して失敗した男である。大統領バラク・オバマは、「核なき世界」を国際社会に呼びかけたが、それは口先だけで、自国アメリカが非核化を実行せず、北朝鮮の非核化の足を引っ張り続けてきた。加えてアフガン内戦に米軍を投入して住民虐殺を続け、シリア・イラクの内戦に対しては有志連合による空襲を続けた。この4人の大統領が「ノーベル平和賞」を受賞しているのだから、一体どのような頭を持ったノーベル委員会が受賞者を選んでいるのかと考えると、こちらの頭がおかしくなる。
 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)とアルバート・ゴアにノーベル平和賞を与えた問題は、このあと「二酸化炭素温暖化説の嘘が警告する地球の危機」の項で実証する通り、デタラメの受賞である。
 言わずもがなであるが、ノーベル賞が誕生した歴史は、読者がご存知であろう。1866年に、スウェーデン人のアルフレッド・ノーベルが、爆発しやすい危険なニトログリセリンを珪けい藻そう土どにしみこませることによって、落としても叩いても爆発せず、雷管によって確実に爆発する道具をつくりだし、それまでの黒色火薬に代る新しい強力な火薬を発明して「ダイナマイト」と命名した。翌1867年に、ドイツの工場で特許製品ダイナマイトの製造が始まり、1868年(日本の明治維新の年)から、アメリカとヨーロッパ各国にノーベル会社が設立され、100近いノーベル工場でダイナマイトの製造が世界的な規模で急ピッチに進められた。
 かくてノーベルは、敵・味方の双方に弾薬を売りつけて、戦場の死体でかせぐ死の商人≠ニして巨万の富を築いた。そのため自分の死後に悪口を言われることをおそれて、遺産をもとに賞を授けるよう遺言を残して1896年にこの世を去った。この遺言において、アルフレッド・ノーベルが自分の故国スウェーデンをノーベル賞を授ける責任者に定めながら、なぜ平和賞だけはスウェーデンではなくノルウェー・ノーベル委員会に授賞者を定めたのかという理由は、明らかにされていない。
 以来、人類は、第一次世界大戦(死者1700万人)と、第二次世界大戦(死者5000万〜8000万人)で、また朝鮮戦争とベトナム戦争で、膨大な量が使用されるようになった火薬を通じて、「戦死者の 屍しかばねの上に築かれたノーベル賞」を最高の栄誉として押し戴くことになったわけである。死の商人≠フ利益が、平和賞まで人類に与えるとは、立派なものである。
 ノーベル賞は人類最高の栄誉なのか、それとも人間として恥ずべき、殺人鬼の死の商人≠フ賞なのか? 私が調べた限りでは、北欧スカンジナヴィア半島のスウェーデンとノルウェーの二つの王国が、1814年から1905年まで一人の君主を戴く同君連合として姻戚関係を持っていたことに、ノーベル「平和賞」を授ける側の問題の起源がある。つまり、ノーベル・ダイナマイト・トラストが生み出したのがノーベル産業という会社で、この殺人材料メーカーの経営者を動かしてきたのが、スウェーデン最大の経済・金融支配者ヴァーレンベリ(Wallenberg)家であり、彼らがこの北欧の二つの王室一族と姻戚関係を持っていた。この一家が、代々ノーベル賞の主催者であるノーベル財団の理事をつとめてきた支配者である。
 同時に、世界最大のユダヤ金融財閥ロスチャイルド家が、1886年にノーベル兄弟から当時世界最大のロシアのバクー油田の権益を買い取った深い利権関係を結んで、ヴァーレンベリ家はロスチャイルド家の一族でもあった。かくしてこのヴァーレンベリ家が設立したストックホルム・エンスキルダ銀行(のちのスカンジナヴィア・エンスキルダ銀行)に、アルフレッド・ノーベルの遺言書が預けられ、その金庫から取り出された遺言によって、ノーベル賞が誕生してきたのだから、ヴァーレンベリ家およびロスチャイルド家にとって都合のよい意向がノーベル賞選考委員会に政治的に反映されることになった。その結果、時には、政治色を持たないまともな受賞者を選ぶこともあるが、それ以外では政治色が作用してまったく信用できない受賞者を選ぶという当たり外れ≠くり返しているのである。スウェーデンの首相として全世界に平和運動を広め、反核運動のシンボルとして尊敬を集めていたオロフ・パルメが、イラン・イラク戦争のためのイランへの兵器輸出と、インドのラジブ・ガンジー首相と進めていた兵器輸出取引きを進めてきた死の商人≠セったという驚愕の事実が暴露されたのは、彼が暗殺された翌年の1987年のことであった。
 そうした「平和賞」の一面に対して、よく考えてみると、20世紀の1901年になって、最初のノーベル賞の受賞者が誕生したのだから、いわゆる自然科学系の物理学賞や、化学賞でも、あるいは生理学・医学賞でも、19世紀より前の偉大な人間は、誰一人ノーベル賞を受賞していないのである。ヘリコプターやパラシュートを考案し、さまざまな人類の科学工学技術の基礎を築いたレオナルド・ダ・ヴィンチはノーベル賞を受賞していない。地動説を唱えたニコラウス・コペルニクスもガリレオ・ガリレイも、万有引力の発見者アイザック・ニュートンもノーベル賞を受賞していない。天然痘を撲滅するワクチン接種法を発明したエドワード・ジェンナーも、近代細菌学の父ルイ・パストゥールも、ノーベル賞を受賞していない。われわれ現代人が実に偉大な功績だとみなし、人類の思考力のもとになった大半の原理を発見した人間は、19世紀より前の人間である。また現在も、大衆の生活にとって実益をもたらす発明者の大半は、ノーベル賞を受けてもいない町工場の人間たちである。ノーベル賞が、虚像の権威であることは間違いない。
 ニュートンは珍しく大学の学歴ある学者だったが、一方、いわゆる「専門科学者」ではないのに、人類に対して偉大な科学的貢献をした代表的な人物がゾロゾロいるので、以下に挙げてみる。日本のテレビ報道界の文科系の人たちは、この偉人たちのさまざまな職業を見ておけば、このあとに論ずる「二酸化炭素温暖化説の嘘」を思考する際に大きな糧が得られるはずであるから、愉しんで一読されたい。
 公証人と農夫の娘のあいだに生まれ、画家となって、人体解剖を手がけ、ヘリコプターとパラシュートを考案した科学技術開拓者がレオナルド・ダ・ヴィンチである。
 世界最初の望遠鏡と顕微鏡を発明して製作した人は? オランダのメガネ職人ハンス・リッペルスハイと、メガネ職人ハンス・ヤンセン〜ツァハリアス・ヤンセン親子である。
 ポーランドの銅商人の息子として生まれ、司祭に育てられ、司祭をつとめ、天体観測を続けて、地球は太陽の回りを公転しているという地動説をヨーロッパに生み出した天文学者が、ニコラウス・コペルニクスである。
 人類で最初に「太陽は星である」という事実を主張した人は、イタリアの哲学者ジョルダノ・ブルーノである(彼はコペルニクスの地動説を支持して宗教裁判で審問され、1600年に火あぶりで処刑された)。
 織物業者の店員で、公会堂の守衛をつとめながら、自ら世界一精巧な顕微鏡をつくって、人類で初めて微生物を次々と観察した人が、今から400年前に死去したオランダ人アントニ・ファン・レーウェンフックである(彼に因んでもうけられたのが、微生物学で最高の栄誉レーウェンフック・メダルであり、細菌学の父パストゥールはノーベル賞ではなく、このメダルを受賞している)。
 ローソク屋の息子として生まれ、学校にも行かずに印刷屋の職工となって、雨中のタコあげの実験によって雷雲が帯電していることを証明した人が、アメリカ合衆国を独立に導き、アメリカ最高額紙幣100ドル札の顔となったベンジャミン・フランクリンである。
 徴税官の息子として生まれ、学校に行ったことがなく、人類最初の機械式計算機(コンピューター)を完成し、高い山に登るほど気圧が下がる大気の真理を証明してコペルニクスの地動説を支えた数学者で物理学者が、「人間は考える葦あしである」と語ったフランスの思想家ブレーズ・パスカルである。
 修道院長ながら、エンドウマメを栽培して植物を研究し続け、二つの遺伝子が交配することによって新しい一対の遺伝子がつくられるというメンデルの遺伝の法則≠証明した人が、チェコ人グレゴール・ヨハン・メンデルである。
 製紙工場の経営者の息子として生まれ、たき火をした時の煙を紙袋にためると紙袋が浮かび上がることに気づいて、人類最初の熱気球を発明した人は、フランス人のモンゴルフィエ兄弟である。
 貧乏な鍛冶か じ屋の職人の子に生まれ、小学校しか卒業していないのに、電磁気を使って電気エネルギーを運動エネルギーに変換する実験に成功し、現在人類が使っている発電機のモーターと発電機の原理を発見した人が、イギリス人マイケル・ファラデーである。
 靴屋でありながら、人類最初の電磁石を発明した人は、イギリス人のウィリアム・スタージョンである。
 木工職人でありながら、世界一精巧な置き時計と懐中時計を発明し、温度変化と揺れによってまったく狂わず、航海中の経度(時差)を正確に知ることができるこの道具によって、ヨーロッパ人の航海を成功に導いた人は、イギリス人ジョン・ハリソンである。
 牧師の息子ながら、田舎の開業医となって、酪農婦が持っている天然痘に対する免疫作用を観察し続け、天然痘を撲滅するワクチン接種法を発明したイギリス人がエドワード・ジェンナーである。
 画家でありながら、使用頻度に応じたアルファベットの電信符号を考案して、全世界に電信機を普及し、インターネットの源を生み出した人は、アメリカ人サミュエル・モース(モールス)である。
 パノラマ画を描く舞台装置画家でありながら、銀に光を当てたあと、水銀の蒸気にさらすと撮影された画像が現われることを発見し、世界で最初に人間の写真撮影と現像に成功した人は、フランス人ルイ・ダゲールである。
 小学校を3ヶ月で中退し、蓄音機、白熱電球、映画の映写機、トースター、トーキー映画映写機を発明(または改良実用化)した人は、発明王トマス・エジソンである。そして1931年に死んだエジソンがノーベル賞を受賞していないことは、世界の七不思議の一つである。
 まだまだ、人類に対して真の貢献をしてきた無学歴の人が山のようにいる。日本人でも、西洋の天文学をまったく知らなかった商人ながら、西洋式天文学と測量術を使って世界一と言える精確無比の日本全図を作成した人が、江戸時代の伊い能のう忠ただ敬たかである。また「日本の植物学の父」牧野富太郎博士が小学校を中退した人であることは、誰でも知っているであろう。そのほか山のような真の偉人が歴史上にいても、テレビ界は無視して、NHKが毎年つまらない人間を主人公にしたデタラメ脚本で「大河ドラマ」を放映している。私の自著『文明開化は長崎から』(集英社)に、真の文明開化の歴史と、本物の日本の偉人の偉業をまとめて紹介してあるので、テレビ報道のコメンテイターと落語家・講談師は、まず日本人の基礎知識として、この面白い書籍を熟読して、本物の偉人の業績ぐらいは暗記してほしいものである。
 したがってノーベル賞を無批判に褒めたたえる風潮は、権威主義を助長するきわめて悪しき行為である。このような権威主義に対する警告の同じ立場から、まず何より、ノーベル賞受賞者を無批判に賞讃するテレビ報道界に言うべきことは、テレビ番組に招くコメンテイターから、大学などの学歴主義と、えせ弁護士、元政府高官などの肩書主義を排除しなさい、ということだ。つまらない肩書をひけらかしてテレビ報道のコメンテイターをつとめ、評論している者の大半は、私が見てろくでもない人間であり、テレビ報道界には、報道を解説する資格が疑われるコメンテイターと解説者が多すぎる。
 自分の肩書に満足するテレビ出演者に言っておきたいのは、「あなたたちの知識は未熟すぎる」ということである。もう少し謙虚になりなさい。ましてやノーベル賞なんて、大したものではない。日本人がノーベル賞を受けて「大金を手に入れる」のは結構なことだが、「よっし、名前が売れたのだから、沖縄で米軍基地反対運動の先頭に立とう」というノーベル賞受賞者が出ないのは、どうしたことだろう。日本のノーベル生理学・医学賞受賞者で、危険な原子力発電に対して真っ向から先頭に立って反対運動をする人間が、まったくいないというのは、どうしたことだ、と疑問を持たなければならない。ノーベル生理学・医学賞の受賞者である山中伸しん弥やも本ほん庶じ ょ佑たすくも関西の人間なのだから、自分の知名度を活かして、関西電力の高浜原発・大おお飯い原発の運転に反対する活動の先頭に立てば、どれほど多くの人が救われるだろうか。モデル・タレントのローラが沖縄の米軍基地建設反対を呼びかけたように、人間の気概を示すぐらいのことをして初めて、その人間の人格が評価されるものである。というのも、西ドイツでは、かつて国内の著名な医師たちが先頭に立って、国民の原発反対運動をリードしたので、真の環境保護運動の基礎が築かれたというのに、日本では、人間の生命を守るべき本流の医学界(日本医師会)が、病院検査にX線(放射線)とCTスキャン(Computed Tomography)と呼ばれるコンピューター断層撮影を大量に使い、放射線被曝で利益を出しているという理由から、ひと言も発言しないのである。最高の医学は、いかなる治療薬の発明より、危険きわまりない放射性物質を大量放出する原子力発電を全廃する予防医学であろう。福島原発事故が、癌・白血病のほか、大量の疾患を生み出しているのだ。病人をつくってから治療薬をつくるって? 何のための医療・医学であるのか?
 核分裂によるエネルギーの放出という大原理を発見し、ノーベル物理学賞を受賞したアルベルト・アインシュタインは、戦後に、彼が発見した原理を基に誕生した原水爆が氾濫する世界に対して、「人類の科学の進歩は誤った方向に進んでいる」と語って無視されたが、彼の偉大さは、相対性理論によるE=mc2の発見より、この警告にあったのだ。

◆東京オリンピック騒ぎで、福島原発事故を忘れろって?

 いよいよ、2020年の東京オリンピックが近づいてきたと、騒ぐ者がいる。
 そもそも、今回のオリンピック大会の東京招致が決定したのは、2013年9月7日の南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにおける国際オリンピック委員会(IOC──International Olympic Committee)総会での出来事であり、時差のために、日本での新聞報道は9月9日の夕刊であった。日本でその9月9日当日は、東京電力♀イ部ら42人の福島原発事故の責任者を、私たちが告訴・告発したにもかかわらず、政治圧力を受けて腐敗した東京地検が「全員不起訴」にして無罪放免しようとした同じ日だったのである。なぜそれが、オリンピックのIOC総会と歩調を合わせた出来事であったのか?
 東京オリンピック招致のプレゼンテーションでは、東京電力≠フコマーシャルで稼いできた滝川クリステルと、東京電力&a院を取得する予定だった医療法人から5000万円の不正な金を受け取ったことが暴露されて2013年12月に東京都知事の辞職に追いこまれた猪いの瀬せ直樹と、「2020年を迎えても世界有数の安全な都市・東京でオリンピックを開けます。大事故を起こした福島原発は、アンダーコントロール状態にあることを保証します」と、大嘘の演説をした虚言癖総理大臣・安倍晋三という厚顔無恥の面々が示す通り、国際社会に対して「東京電力≠フ福島原発事故の大被害を隠す目的」のために、オリンピックを開催し、原発事故の責任者を無罪放免することにしたのである。したがって東京オリンピックは、動機が「スポーツの祭典」ではなかったのだ。この当時、IOCの委員たちが、日本からどれほど薄汚い裏金を受け取って、東京招致を決定したかをテレビ報道界は追究するべきだと思うが、不思議なことに、今日までテレビは真相をまったく追究していない。
 日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恆つね和かず会長が、この時のオリンピック招致委員会のトップ、理事長をつとめて、安倍晋三と共に東京招致プレゼンをおこなったのだが、竹田恆和は広告代理店「電通」を通じて、IOC委員ラミーヌ・ディアック(国際陸上競技連盟・前会長)の関連会社に2億3000万円という莫大な金を支払った責任者であり、自分でその送金を認めているのである。勿論この賄わい賂ろが、ディアックの手を通じて山のようなIOC委員にばらまかれたから、東京招致に成功したことは、招致委員たち全員の常識である。
 竹田恆和が、なぜ日本のスポーツ界に君臨するJOC会長になったかといえば、父親が竹たけ田だ宮のみや恒つね徳よし王おうで、その名の通り皇族で、昭和天皇の従弟にあたり、戦時中には関東軍参謀の陸軍中佐だったが、悪名高い石井四郎隊長の悪魔の細菌戦≠V31部隊の協力者として知られていた参謀なのである。彼が戦後は皇籍を離脱して竹田姓を名乗り、日本スケート連盟会長や日本馬術連盟会長を歴任し、1964年の東京オリンピック後、1967年からIOC委員となったので、息子の竹田恆和が父親の威光を継いだわけである。このJOC委員長・竹田恆和の甥・竹田恒つね昭あきが、オリンピック招致委員会がワイロ送金に使った広告代理店「電通」の社員で「スポーツ事業局」に勤務し、麻薬の所持で逮捕歴があるのだから、よくできた話である。このような人間グループを、スポーツ界では、オリンピック貴族という。
 2019年1月11日にフランスのル・モンド紙が「フランス当局が竹田会長の贈賄行為に対する刑事訴追の手続きに入った」と報じてから、にわかに日本の怠慢なマスメディアがこの一件を報じた。私が驚いたのは、この報道にみなが「驚いた」と発言していることであった。本稿でここまで書いたのは、前年(2018年)の8月頃だったからである。ル・モンド紙の報道後、竹田会長は「コンサルタント料の適切な対価として支払った」と釈明したが、それで言い逃れたと思っているのか? コンサルタントの仕事って何だ、と誰もが尋ねているんだよ。「東京誘致ワイロのほかにコンサルタントに相談することは何もない」と誰もが知っているんだよ。2億3000万円は大金で、これを正当な対価だと呼ぶ神経が、普通の人間には分らないんだよ。そもそも誰の金なんだ? 国民や都民の税金なんだろ? 全世界の報道が「金で買った東京オリンピックだ!」と報じているのに、毎日毎日色々な犯罪事件を取り上げている日本のテレビ報道界が、こんな大スキャンダルも追究しないのは、不思議な現象だと思わないだろうか。東京の前に開催された2016年ブラジルのリオデジャネイロ・オリンピック招致事件では、まったく同じ人物ラミーヌ・ディアックを経由したほぼ同額の賄賂で、ブラジル・オリンピック委員会の会長カルロス・ヌズマンが逮捕されたことを、日本のマスメディアが知らないはずはあるまい。日本では竹田会長が辞任に追いこまれたが、それですむ話ではなく、「竹田恆和は、なぜ逮捕されないんだ?」という疑問が残ったままだ。日本は法治国家なのか?誰の手で、どこに、国民の大金が消えたかがくわしく公表されるまで、テレビ報道界は追及する義務がある。この大金は、本来は東日本大震災と福島原発事故の被災者の救済に使われるべきだからである。
 私がたびたび関係者の実名を挙げて、金に汚れたオリンピック批判を展開するので、JOC(日本オリンピック委員会)が「広瀬隆を名誉棄損で告訴する」と新聞報道された時、私はこれでようやくJOCの犯罪を裁判所で明らかにできると喜んだが、彼らが今まで一度も私を告訴しないのは、どうしたわけなのか? 言うまでもなく、私が記述した山のような事実が、表沙汰になれば困る人間ばかりだからである。
 さて読者は、このような腐敗の根源であるオリンピック貴族と、オリンピック金庫の歴史≠ご存知であろうか? 以下の記述内容は、私が書いたオリンピック批判の一文だが、さる高名なスポーツ評論家が高く評価してくれた折り紙付きの内容なので、アスリート必読文として紹介しておきたい。
 イタリアの芸術の都フィレンツェのメディチ家は、誰もが知っている。ヨーロッパ全土に、広大な通信のネットワークを張りめぐらし、世界最大の、そして国際的に世界で初めての金融帝国を築きあげたのがメディチ家であった。メディチ家は天才芸術家ミケランジェロやダ・ヴィンチ、ラファエロのパトロンとなって美術界を育てただけでなく、その通信網を使ってヨーロッパ各地の「ニュース」を伝えるのに大きな役割を果たした。
 一方、オリンピックのクライマックスを飾る象徴的なマラソン競技は、ペルシャ戦争の中でギリシャのアテナイ軍の青年がマラトン勝利の「ニュース」を伝えるため、42キロを走って息絶えた有名な故事に由来する。このようにメディチ家とオリンピックのいずれも、ニュース伝達の因縁を持つからではあるまいが、メディチ家はオリンピックと深い関係を持っていた。それはバチカンのローマ法王を血族とする、この世で最高の上流貴族の物語でもあった。
 メディチ一族のピエール・フレディは、ルイ11世の時代にフランスに移住し、国王に仕えることによって、今から500年以上前にフランス貴族の位を授けられた。その一族が植民地貿易によって財をなし、やがてヴェルサイユ郊外にあるクーベルタンという土地の荘園を手に入れることによって、クーベルタン男爵家が誕生した。つまりオリンピック創始者として高名なクーベルタンという名前は姓でなく、爵位名である。のちに古代ギリシャのオリンピックを再興した人物の正確な名前は、メディチ家のピエール・ド・フレディ・クーベルタン男爵という。
 このクーベルタンが近代オリンピックを創始しようと考えた時、彼はまず、司令官のトラモン将軍、あるいは政治・経済分野の有力者や実業家に声をかけ、かなり大がかりなシンジケートを結成した。実はこの出発点が、われわれの見ているどす黒い現代オリンピック支配者の世界を形成することになった。そのオリンピック創始キャンペーンを成功させたのは、フランス上流社会の知名人60名を数える一団で、彼らは当時ヨーロッパにあふれかえっていた植民地主義や帝国主義と、ドイツのハインリッヒ・シュリーマンがトロイの遺跡を発見したように、もうひとつの流行であった考古学の遺跡発掘事業による財宝の強奪を結びつけ、ちょうどギリシャで発掘されたオリンピアの遺跡から、おもしろいゲームを思いついた。
 時間も金もあり余るほど持っていた貴族や大富豪が、古代ギリシャ・ローマ時代の皇帝ネロのように、子飼いの選手の戦闘訓練も兼ねて競技を観賞したり、自ら参加もする上流社会のゲームをやってみようではないか、それはまさしくオリンピアの祭典の復活だ、というわけであった。こうして19世紀末の1896年、ギリシャのアテネで第1回オリンピックが開催されることになった。
 このクーベルタン・キャンペーンに参加した名士のひとりが、のちにフランス財閥の中心的ファミリーを形成するジョルジュ・ピコであった。孫がスエズ運河会社の社長となって中近東から全世界の貿易行路を支配し、直系のひ孫がフランスの大手テレビ局TF1の利権を握った大統領ヴァレリー・ジスカールデスタンであり、スエズ運河会社は1990年代に世界最大級の金融会社スエズへと発展した。この発展の過程で、スエズ金融は、フランス植民地のベトナム支配銀行として頂点に君臨していたインドシナ銀行と合併して、インドスエズ社となった。その銀行の重役室に坐っていたのが、2001年まで国際オリンピック委員会(IOC)会長だったフアン・アントニオ・サマランチと共に、現代のIOCに流れこむ巨額の紙幣や小切手を数えてきたIOC財務委員長ジャン・ド・ボーモン伯爵であった。
 オリンピックの金庫番ボーモン伯爵とは、何者だったろう。
 オリンピックの暗部を描いた『黒い輪』(ヴィヴ・シムソン、アンドリュー・ジェニングズ共著、光文社)には、IOCのサマランチ会長と、ドイツのスポーツ用品メーカーとして巨大な利権を握る、誰もが知るアディダス(adidas)創業者のホルスト・ダスラーの関係がくわしく述べられている。この本は私が翻訳と監修を担当し、解説者≠ニして著者に対する疑問や私見、調査結果を記したので、全体的な調査結果をここでくわしく述べてみたい。サマランチ会長とスポーツ用品メーカーだけに目を奪われると、オリンピックの真相が見えないからである。
 クーベルタン男爵家は、フランス東インド会社の利権者であり、ボーモン伯爵も、フランス東インド会社が姿を変えたインドシナ銀行(植民地時代のベトナムの金融機関)の利権者であった。両者は植民地の世界で商売仲間だったのである。これが、ほぼ100年の歴史を通じて用意されてきたオリンピック金脈史の裏の裏になる。
 フランスと並んでヨーロッパの上流社会を代表するイギリスでは、貴族が現在でも世襲制度によって生産されており、一見すると民主的な国家が、実は旧来の貴族によって大がかりに支配されている。1989年の数字によれば、イギリスの長者わずか200人の資産を合計すると、国民総生産(GNP)の8パーセントにも達し、その後、現在では富の集中がますます加速された状態になっている。その中心にある貴族は、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵(いわゆる公侯伯子男)の序列で爵位が与えられ、その下に准男爵(Baronet)とナイト(Knight)、女性はデイム(Dame)まであり、男爵以上の貴族は、21歳を過ぎると自動的に上院議員の資格が与えられる。
 当時その議員数は750人にもおよび、先年に労働党のトニー・ブレア政権が、ようやくこの世襲議員制度を廃止する方針≠打ち出したが、存在理由の分らないこの貴族院を廃止する機運はない。イギリスの選挙は日本やフィリピンに比べてどれほど民主的か、といった報道がなされてきたが、選挙なしに議員になってしまう国家を民主的と呼ぶのは、ブラック・ジョークとしか思えない。
 アメリカ自動車業界が、地獄の不況時代にもクライスラーのリー・アイアコッカ会長たちが億単位の収入を平然と受け取り、今また日産のカルロス・ゴーン会長の巨額の所得隠しが問題になったように、わが国や第三世界に貿易戦争を仕掛けてくるアメリカ・ヨーロッパの支配階級は、たとえばイギリスのエリザベス女王の資産が1998年(20年前)時点で1兆9200億円で、日本の同年度の国家予算の40分の1にも達する。わずかひとりの財産である。彼女の資産を運用してきたのが、世界的な投機屋ジョージ・ソロスであり、女王の資産は10年間で8000億円近くも増えてしまった。
 エリザベス女王の娘アン王女は、チャールズ皇太子の妹で、世界各国の貴族と同じように、乗馬が大好きであった。ミュンヘン・オリンピックで金メダル、ソウル・オリンピックで銀メダルを取った乗馬の名手マーク・フィリップス大尉と結婚して、話題となった。ところが、この大尉はニュージーランド女性とのあいだに隠し子がいるという噂が真実味を帯び、また娼婦とのスキャンダルが発覚したため、両人は離婚する羽目になった。
 アン王女が彼に支払った離婚の慰謝料は、2億円とも3億円とも言われている。このアン王女の財産も、また相当な金額に達するはずである。IOCのイギリス代表委員だった彼女は、他人から賄賂もプレゼントも一切貰わず、金に汚れていないオリンピック委員だと評されるが、2兆円規模の財産を持つ母親の娘が、オリンピック誘致キャンペーンのなかで、他人から小銭を貰う必要があるとは、誰も考えないだろう。彼らこそが真のオリンピック貴族であり、彼女は西暦2025年までIOC委員をつとめるという。
 この王室に近い閨閥でつながるエクセター侯爵は、イギリス・オリンピック委員会の会長のほか、IOC委員、国際アマチュア運動連盟の会長などの要職をつとめてきたが、実は大英帝国商業会議所の会頭であった。この人も、おそらく貧しくはなかっただろう。先年までイングランド銀行総裁だったロバート・リー=ペンバートンの一族でもあるからだ。
 しかし貴族の世界は、歴史上の継承争いに示されるように、一枚岩ではない。男爵の多くは、ロスチャイルド男爵家のように「巨大資産を抱える金融業や商人」として大成功を収めた新参者であるから、王室がその資金を利用しようと最下級の爵位である男爵の称号を与えた集団である。上流社会を上流にのぼってゆくと、「あれは○×男爵だ」と成金の大富豪≠ニいう底意をもってささやかれ、色眼鏡の妬ねたましい目で見られているのだ。それが転じて、貴族の存在しないアメリカでも、ビジネス界の支配者や財閥の代用語として男爵の言葉が使われ、泥棒男爵、ほらふき男爵、貧乏男爵、石油男爵、鉄道男爵といった侮蔑的な呼び方が誕生した。新世代のオリンピック貴族≠ニ呼ばれるのは、そうした人種である。
 大昔から支配者だった本物の世襲貴族が、日本では天皇の親戚である皇族であり、彼らは今もって自分たちは庶民より偉い人間だと勘違いしている前世紀の遺物である。そうした本物の世襲貴族であるイギリス王室のアン王女や、モナコのグリマルディ公爵などがオリンピックやサッカー・ワールドカップに関与したとき、サマランチ会長ら新世代のオリンピック貴族の商業主義に抵抗するとは限らない。イングランド・サッカー協会は、2006年のワールドカップ招致のため、アルゼンチンなどに対する援助活動を積極的に展開し、タイのサッカー監督の給料まで受け持って、開催国を決定する投票の間接的賄賂″U勢を強めたことが問題になってきた。
 金そのものは古来からある道具にすぎないもので、とりたてて憎むべきものではないが、スポーツ界に大量のうさん臭い金が流れ、その大金によるドーピング隠しも起こっているとなると、スポーツ全体が八百長ゲームになるので話は別だ。問題なのは、IOCの委員が豪華なホテルに泊り、山のようなプレゼントを受け取り、世界中を家族で旅行してきたというような、ほほえましい物語ではない。彼らがそれよりはるかに気の利いたプレゼントとして莫大な現金を受け取り、買売春が横行し、次のオリンピックやワールドカップの開催地を決定しながら、自分の国に帰って若い選手たちに高邁 こうまいなオリンピック・アマチュア精神を語るそのどす黒い世界こそが、スポーツ記者のあいだで重大な疑惑を生み続けてきた。
 インド・オリンピック委員会の委員長をつとめていたIOC委員ラジャ・バレンドラ・シンは、先年この世を去ったが、彼自身が大銀行の重役だったばかりでなく、その父ブペンドラ・シンは、インドの大王マハラジャであった。
 中米・南米のオリンピック界で有力者だったのが、ペルーのワシントン・パティーニョであり、パナマでは同姓のマヌエル・パティーニョだが、ボリビアの鉱山王として、南米の麻薬産業の背後にあるのがこのパティーニョ財閥で、ロスチャイルド家の一族である。どこの国でも有力者がオリンピックに乗り出してくるのは、そこに甘い蜜があるからだ。
 ところが1998年12月12日、国際スキー連盟の会長を40年以上つとめたIOC理事のマーク・ホドラーが、重大な内幕をスイスで明らかにしてからオリンピック委員会の大スキャンダルが発覚した。その腐敗メカニズムが、今日現在まで続いているのである。「オリンピック開催地を決定する投票では、票のとりまとめをおこなう4つのエージェントが存在していることを確認した。そのエージェントの中にIOCの委員が入っており、彼らは50万ドルから100万ドルでIOC委員に話をもちかけ、招致がうまくいったときには、成功報酬として300万ドルから500万ドルが支払われた。すべてのオリンピックでこれらのエージェントが暗躍し、開催地が決定されてきた」というのだ。
 買収額500万ドルとは、1ドル100円として5億円である。
 この爆弾発言をしたホドラー理事は、スイスの弁護士で、IOC財務委員長だった当時「オリンピックの誘致活動に格別の不正はない」と、記者団にとぼけていた人物なのだ。かつて1980年には、サマランチとIOC会長ポストを争ったその大物が、ついに口を開いたとなれば、最も信憑性が高い話であった。しかも1963年からIOC委員をつとめてきた80歳の最古参で、国際冬季オリンピック競技連盟連合の会長であった。少なくとも1963年以後すべてのオリンピックの開催地が、買収によって決定されてきたことになる。かねてから噂の流れていた買収行為が、初めて内部告発によって暴露された。
 このあと、喧騒なスキャンダル報道が続いたが、どうもその報道が怪しいとみな気づいていた。報道されていない真相を述べよう。
 1998年の長野オリンピックの誘致を成功させようとした日本は、田中 秀しゅう征せいら誘致担当者が、ホドラー理事が指摘した怪物エージェントを相手に、悪い頭を使った。ちょうどバブル経済時代の1980年代末、成金の日本円をふんだんに使って、IOC委員1人に芸者3人を密着させた上、「たかが100万円ぐらいの出費」には領収書ナシという気前よさで、闇の中で接待と買収がくり返され、そこに買春・売春があったとの噂が絶えなかった。最後には、招致費用およそ25億円の明細を記しておいた会計帳簿が、うまい具合に消えてしまったのである。それまでは紛失したと伝えられていたが、オリンピック招致委員会の事務局次長の指示で、段ボール箱十数個分にのぼる資料を1992年に燃やしてしまったというのだ。領収書も何もかも、オリンピック開催前に証拠品を焼却した理由は明白だった。当初から犯罪行為と知っていたからである。2019年にTBSサンデーモーニングのコメンテイターをつとめていた田中秀征は、JOC会長・竹田恆和のワイロ・スキャンダルが報じられても、自分に火の粉が飛ばないように素知らぬ顔でとぼけていた。
 しかし、このエレクトロニクス時代に、資料を燃やせばなくなるとは誰も考えまい。会計原簿の記録は、コンピューターに残っていたはずだ。「IOC委員にたかられた」などと嘘ばかり言ってはいけない。自分たち日本オリンピック委員会(JOC)も接待で遊びほうけていたくせに。
 驚くまいことか、1998年長野オリンピックでは接待費などが11億円と巨額だったばかりか、「買収工作で代理店は使ってない」と言い張っていながら、スイスの広告エージェントIMS・スタジオ6≠フゴラン・タカチ社長に45万スイスフラン(当時のレートで5100万円)が支払われた。IOCの猪いが谷や千ち春はる理事の義父が会長をつとめる出版社が、タカチ社長と共同でオリンピックの公式写真集を出版していたことも判明し、その会社が、IOC本部と同じスイスのローザンヌにあることが、最大の謎として残った。総工費90億円をかけてローザンヌにオリンピック博物館が建設されるにあたって、JOC初代会長だった 堤つつみ義明・名誉会長(西武鉄道社長)が100万ドル(約1億3000万円)を寄付、さらに日本の企業19社が協賛金として合計2000万ドル(約20数億円)を寄付していたのだ。
 問題になった長野関係者からサマランチ会長に贈られた日本画や日本人形など数々のプレゼントは、「オリンピック博物館のサマランチ・コレクションとなっている公共陳列物であって、会長個人の余得ではございません」と釈明しながら、IOCは急いで(あわてて)それらを博物館に陳列してみせた。その行動は、「サマランチ・コレクションというより、サマランチ・コネクションですな」と言われたものだ。
 私がこうしたさまざまな問題の真相を雑誌に書いた当時、JOCが「告訴するぞ」と新聞紙上で脅しておきながら、いつまで待っても告訴しなかった理由は、告訴するどころか、告訴されるべき人間たちだったからである。泥沼の腐敗が明らかになった現在、日本の国民は、煙と消えた会計帳簿のコンピューター記録を見たいものだと思っている。
 1999年1月8日には、2002年の冬季オリンピック開催地であるアメリカのソルトレーク・シティー・オリンピック組織委員会のフランク・ジョクリク会長とデヴィッド・ジョンソン副会長が、不祥事の責任をとって辞任を発表する大事件に発展した。この組織委員会は、全世界のIOC委員の息子や娘をただで留学させるよう5000万円近い奨学金で便宜をはかったばかりか、判明した限りで現金40万ドルをIOC委員たちに贈ったほか、プレゼントを含めて合計78万ドル(当時の1ドル120円で9360万円)と、ほぼ1億円におよぶ便宜供与をおこなった。そしてついに、長野オリンピック以来最も噂の高かった買春疑惑が証拠づけられた。組織委員会のクレジットカードを使って、IOC委員を買春接待した事実が露顕したのである。
 その時点でのIOC委員114人のうち、すでにさまざまな形で関与した疑惑の委員40人近くの名前があがりながら、最終的にIOCから追放されたのはわずか10人の委員だけだが、彼らは発覚組≠ニ呼ばれ、残りほぼ80人は潜行組≠ニ呼ばれてきた。われわれが聞いている名前がまだ出ていないばかりか、指摘された買収の金額が小さすぎる。買収を取りもった国際的な仲介組織(エージェント)はかなりの数にのぼり、そのうち、ソルトレークで表面化したのは半数にも満たないからである。
 贈収賄などの買収工作が発覚したオリンピック開催地と候補地は、現在まで以下の都市である。
 ○1964年冬季 オーストリアのインスブルックと争って敗れた日本の札幌
 ○1988年夏季 韓国のソウルと争って敗れた日本の名古屋
 ○1992年夏季 スペインのバルセロナ
 ○1994年冬季 ノルウェーのリレハンメル 
 ○1996年夏季 アメリカのアトランタ
 アトランタと争って敗れたオーストラリアのメルボルン
 アトランタと争って敗れたカナダのトロント
 ○1998年冬季 日本の長野
 ○2000年夏季 オーストラリアのシドニー
 シドニーと争って敗れたドイツのベルリン
 シドニーと争って敗れた中国の北京
 ○2002年冬季 アメリカのソルトレーク・シティー
 ソルトレークと争って敗れたカナダのケベック
 ソルトレークと争って敗れたスイスのシオン
 ○2004年夏季 ギリシャのアテネと争って敗れたスウェーデンのストックホルム
 ○2016年夏季 ブラジルのリオデジャネイロ
 ○2020年夏季 日本の東京
 半世紀以上にわたって切れ目なく続いてきた買収工作は、今やマラソン競技をしのいで、最もオリンピックらしい行事に数えられるようになったが、その中でも日本の買収工作は突出している。
 贈収賄などが発覚したIOC委員の実名は、膨大な数なので本稿では省略する。ソルトレーク・シティーが大がかりな買収工作に出たのは、長野オリンピック招致のためのすさまじい日本人の買収工作に敗れた時、その悪事に学んだためだったというから、わが国の買収が同規模だったことも間違いない。日本人の責任は重い。
 IOC委員たちは、誘致関係者やエージェントが「俺のところに現金を1000万円も持ってくれば、招致を実らせるのはいとも簡単なのに」と思いながら、早く話がこないかと、心待ちにしてきた。しかし本当のオリンピック疑惑は、このように個人的なものではない。
 これらの全体を動かすIOCの理事会と会長が、オリンピック最大の収入源であるテレビの放映権と公認スポンサーの利権を握り、その収益を動かしてきたのである。ジャーナリズムがあまり小さな金額をほじくってばかりいると、嘘が本当になるおそれがある。オリンピックの利権は、そのような金額にあるのではない。
 IOC委員個人の買収額とは比較にならないほど桁違いに大きな利権は、100億から1000億円単位、時には1兆円規模にまで広がる「テレビ放映権」、「建設業と地元観光業」、アディダスのような「スポーツ用品」、コカ・コーラ、マクドナルド、VISA、IBMなどに代表される「オリンピック公認スポンサー商品」の4大分野にある。それを差配するのが、エージェントである。ホテル代やファーストクラス航空運賃など、小さな買収に満足して、これらの利権屋に一服盛られたIOC委員の追及に明け暮れたのでは、オリンピック腐敗問題の真相は見えない。
 オリンピック開催から生まれた大金の決算がどのように報告されているかといえば、これまで一切数字が公表されず、スキャンダル発覚後の1999年3月18日に、ようやくIOCの資産内容の一部が公開されたが、1998年末で現金、銀行預金、放映権料の信託資金を合計して2億3700万ドル(およそ284億4000万円)で、1年間で100億円を超える収入があったという。ところがこの金額が正しいかどうか、外部にはチェックする術がないので、完全なブラックボックスである。この秘密主義にこそ、IOC幹部、通常オリンピック・マフィアと呼ばれてきた組織の謎が隠されている。
 実はIOC理事会のさらに上に立つ組織、「IOC財務委員会」がある。この委員会は名目上はIOC理事会に収支決算を報告しなければならない立場にあり、サマランチ会長の下部組織のひとつと説明されてきたが、事実上は、金庫の扉を彼ら財務委員会が開き、彼らが閉じてきた。
 1998年末に爆弾発言をしたIOC理事のマーク・ホドラーがその財務委員長だった人物で、しかも報道されてきたように「爆弾発言がすべて事実だった」という経過が、金脈メカニズムを証明していた。彼自身その後、事態が大きくなった成り行きにあわてて、長野オリンピック1周年記念行事に参加し、スキャンダルの火消し役をつとめはじめたのは、まったく怪しげではないか。
 サマランチ会長に帳簿をつける能力があるはずもなく、実際にはオリンピック・クラブの中を何人かの実務家が取り仕切って、徹底した秘密主義を貫いてきた。
 この財務委員会の委員長として1972年から君臨してきた黒幕が、さきほど紹介したクーベルタン男爵の後継者、フランス人ジャン・ド・ボーモン伯爵なのである。ボーモン家は男爵のような成り上りの商人貴族ではなく、侯爵家の分家として伯爵位を持つ旧家であり、しかも本家ピエール・ド・ボーモン侯爵の母は、フランス貴族として最高位、ブロイ公爵家の娘ジャンヌであった。ブロイ公爵家は、3代目がフランス首相となり、その妻は文学界で知らぬもののない女流作家スタール夫人の娘で、スイス銀行界から登場したファミリーである。その息子もまた、フランス首相となった。
 これが真のオリンピック貴族であり、「IOC財務委員長」ボーモン伯爵当人の過去を追跡すると、今を去る半世紀以上前から、当時インドシナと呼ばれたベトナム南部の利権を争う選挙戦で勝利を収め、2年後の1938年にその時の買収が発覚して失脚したという異常な記録が発見される。東南アジアや中南米諸国における不正まみれの国家元首の選挙どころではない。フランス植民地の中枢にあったボーモン家は、アジア太平洋地域の広大な利権を握って、彼自身は、その頂点に立つインドシナ銀行の重役室に座り、植民地の7つの会社で社長、さらに別の7つの会社では副社長、さらに別の10の銀行・鉱山・農業・工業会社で重役のポストを占めてきた。オリンピックの五輪マークは、5つの大陸の明るい輝きと友好を象徴するはずだが、ボーモン伯爵はこれらの大陸を黒い輪で結ぶシンジケートの元締めであった。1973〜1974年版のフランス人名録に掲載されていたボーモンの欄には、この汚名であるはずの「インドシナ銀行重役」という履歴が記されていたが、彼がIOCの重要人物として注目されるようになった1988〜1989年版では、その記載が消えてしまっている。
 植民地という言葉は古めかしく聞こえるが、映画『キリング・フィールド』に描かれ、今日のアジアで大きな問題となってきたカンボジア紛争では、現地で使用されてきた兵器がヨーロッパ、ことにこのフランスから大量に流れこんで殺し合いがおこなわれた。ジャン・ド・ボーモン伯爵は、IOCの副会長に就任する1970年までの十数年にわたって、問題のカンボジア商会の社長であり、現代フランスで最大規模の軍需産業トムソンCSFの重役をつとめてきた。1991年の中東湾岸戦争で莫大な利益をあげ、アメリカの軍需産業買収に乗り出してアメリカ議会で問題になった会社である。カンボジアのシアヌーク殿下が痛烈に批判したこの危険な履歴も、最近の彼の人名録では抹消されている。
 さらに、一族のユーグ・ド・ボーモンは、ヨーロッパ大陸屈指の投資銀行ラザール・フレールの重役室にあり、ピエール・ド・ボーモン侯爵は電力建設シンジケートの幹部である。これらの実業界はみなユダヤ系のロスチャイルド財閥傘下にあるが、そこに不思議な矛盾がある。第二次世界大戦中にヒットラーがパリへ無血入城を果たし、フィリップ・ペタン元帥を傀儡かいらい政権としてフランス国内のファシスト勢力と手を組んだ当時、ユダヤ人を迫害したそのペタン元帥の政権を認める一票を投じたのが、ほかならぬ後年のIOC「副会長」・「財務委員長」ボーモンだったのである。
 そこには反ユダヤ主義から「第二次世界大戦後」にユダヤ財閥に身を委ねるようになったボーモンの変節が見える。したがって問題は、過去のファシストや反ユダヤ主義者の犯罪歴を買い取って、彼らに首輪をつけ、現在の金融を動かしているのが誰か、という点に戦後史の真相が隠されているのである。
 ボーモン伯爵の場合は、結婚相手の所有するリヴォー銀行が、イタリア最大の商業銀行として君臨してきたトリノ・サン・パオロ銀行の強力細胞を構成し、そこからシチリア・マフィアとフリーメーソンを動かす力を持っている。しばしば日本で過大に評価されている陰謀史観の首謀者フリーメーソンは、近代的な国際実業界では取るに足らない下部組織である。しかし一方、オリンピックにつきものの観光の世界は、西ヨーロッパ大陸全域が、ホテルからキャバレー、セックス産業に至るまでこれらメーソン人脈によって大がかりに動かされている。1998年8月には、ストックホルム市内の売春クラブが家宅捜索された時、偶然アイルランドなどのIOC委員を買春接待した伝票が押収される事件が発覚したが、2004年夏のオリンピック候補地に挙げられ、アテネに敗れたスウェーデンの首都での出来事であった。これらの売春組織や麻薬密売シンジケートなどの幹部を公式資料で調べると、かなり高い確率でフリーメーソンとの関係を見つけることができる。
 このようなイタリアの銀行は、メディチ家の遺産を受け継ぐ世界的金融マフィアであるアンドレオッティ首相やコシガ大統領、ベルルスコーニ首相たちが辞任に追いこまれたイタリアの腐敗によって明らかになった通り、多くがこれら上流階級と麻薬・売春マフィアとスポーツ貴族の結束力に依拠したものであった。
 1999年の大スキャンダル後に、IOCを改革するため発足した「IOC2000委員会」は、委員長にサマランチが就き、委員にイタリア産業界の総帥そうすいジョヴァンニ・アニェリが参加を表明したというのには驚かされた。アニェリはフィアット会長に君臨してきた自動車業界の大物だが、彼の妻の実兄カルロ・カラッチオロは、1982年にアンブロシアーノ銀行のロベルト・カルヴィ頭取が、ロンドンのテームズ河の橋の下で首吊り死体で発見され、ヨーロッパを震撼させた大事件に、フィクサーとして登場した人物である。イタリアで国家の中の一国家≠ニ言われるフリーメーソンの大組織プロパガンダ2──通称P2が、カルヴィ頭取の死に関与し、カルヴィが殺される¢Oに助けを求めたのがマフィアのフィクサーとして知られるそのカルロ・カラッチオロだった、と全世界に報道された。このような改革委員会では、オリンピックのIOCがマフィア直結組織だと証明するようなものだ。
 そこから汚れた金が流れる隣国スイスの秘密口座を管理する人間たちと、ボーモン一族は、直結する人脈を持っていた。IOC本部やISLがスイスに存在する理由もそこにある。
 買売春を含む買収疑惑が発覚すると、多くの人がアフリカやアジア、中南米などの買われた国、いわゆる後進国を連想するが、売春≠ニ買春≠フいずれに罪あるかは、言うまでもない。報道された一連の事実から明らかなように、買った国である日本、アメリカ、スイス、オランダ、ノルウェー、フィンランド、ドイツ、ロシア、大英帝国のカナダとオーストラリアなどの先進国が主体となった買収行為であった。 
 ここまではやや古い話だとお感じになっただろうが、これが新しい話なのである。現在の東京オリンピックのワイロ問題は、すべて長野オリンピックとソルトレーク・オリンピックのメカニズムと同じであり、登場人間も同じなのである。当時のスキャンダル発覚後に、IOCが倫理規定を強化し、「いかなる性質の報酬、手数料、手当、サービスも、間接的にも直接的にも受領したり、提供してはならない」と明記されたことに端を発している。その結果、何のことはない、IOC倫理規定がワイロを禁止したので、それをくぐり抜ける「オリンピック招致のためのワイロ専門のコンサルタント会社」が誕生しただけなのである。
 つまり腐敗まみれのIOCサマランチ会長の取り巻きとして倫理規定を定めたのは、当時のサマランチ会長の取り巻き理事ジャック・ロゲであり、2013年9月7日に日本人の目の前で2020年東京オリンピック≠フ誘致を決定した時のベルギー貴族(伯爵)のIOC委員長が、このロゲなのである。さらにもう一人のサマランチ取り巻き理事トマス・バッハが、ロゲのあとを継いだ2019年現在のIOC委員長なのである。
 これら取り巻き理事が、自ら定めた倫理規定を無視して、IOC傘下のコンサルタント会社に、JOC(日本オリンピック委員会)の竹田恆和会長らが裏金をばらまいて取り入り、福島原発事故の被害を隠すために2020年東京オリンピックを招致し、サマランチ会長の美しい商業主義≠復活させたのだから、もはや言い訳のしようがない。2020年東京オリンピックは「スポーツの祭典」ではないから、即刻返上がふさわしい。
 加えて、サマランチ会長時代に不正が発覚後に発足した「疑惑調査委員会」の委員長となって、ほとんどのアメリカとヨーロッパのIOC委員を免責処分にしたのが、副会長ディック・パウンドであった。彼はオリンピックの水泳選手だったことはあるが、正式名リチャード・ウィリアム・ダンカン・パウンドといい、モントリオールの公認会計士として活動し、ニューヨークからロンドン、香港まで世界を股にかけるオフィスの有力メンバーであった。カナダとアメリカを拠点にして、実業界を動かしてきた財政の専門家だから、潤沢な資金を持つオリンピック公認スポンサー11社のうち、9社がアメリカ企業となっているIOCのマネー・フローは、すっかり彼の頭の中にあったメカニズムだ。
 このように莫大な金銭の取引きが発覚したそもそもの事件は、発展途上国ではなく、アメリカ・オリンピック委員会の会長で、IOCの理事でもあったロバート・ヘルミックが、オリンピック関連企業から1億円近い金を受け取っていた疑惑が明るみに出た当時にあった。この事実は、スキャンダルによってヘルミックが辞任した1991年に、全貌が判明していた。アメリカのスポンサーと、テレビ局のNBCが放映権を握って、それが枝分れしてアメリカ三大ネットワークのCBS、ABCなどから流れこむドルによって競技が成り立ち、その「金の分配」を誰が決定するかというメカニズムが腐敗の原因だったのだ。このことは当時から現在まで、オリンピック関係者の常識である。
 その深層を追及するのがジャーナリズムの役割であるのに、表面の上澄み部分しか報道されていない。前述の『黒い輪』で、同書の著者がこの問題を追及しながら、故なくヨーロッパなどの先進国を美化する姿勢に、解説者≠ニして私が大いなる異議を記したのは、そうした理由からである。これが神聖と考えられてきたスポーツ界の金融事情である。
 緻密な解析が好きな読者であれば、紙を広げて過去の報道内容をひとつずつ線で結び、ワールドカップのサッカー貴族と、オリンピック貴族を区別することなく図解してみるとよい。実に見事に、全員が呼吸を合わせて、スケジュール通りに全世界から集金した成果を確認することができる。大統領も首相も、餌をあさる鳥のごとしである。そこからスタートして、まだ誰にも知られていない人名と組織名の謎を解きあかす作業が、テレビ報道界に待たれているのである。スポーツだからと見くびっていると、世界の醜悪な仕組みに驚くことも一度や二度ではない。
 ギリシャは、2004年に第2回アテネ・オリンピックを開催したため、そのバブルが破裂して、巨額の財政赤字が積み重なり、リーマン・ショック翌年の2009年に経済危機が表面化して、ついに天文学的な財政赤字43兆円となったため、ギリシャ国債が大暴落して国家そのものが崩壊した。オリンピック大会のために倒産したギリシャ企業は数千にも達し、ユーロ圏全体や世界中を巻きこむ金融危機へと発展し、オリンピックから13年後の2017年になっても、若者の失業率が45%、つまり2人に1人が職のない状態にあって、ホームレスが激増した。その結果、今日までEUの中で、ギリシャ人がどれほどひどい扱いを受けてきたかぐらいは、誰でも知っているだろう。
 日本に最後に訪れるのは、ギリシャと同じように東京オリンピックのバブルが崩壊したあとに襲いかかる経済混乱である。東京オリンピックは当初予算が7000億円だったはずだが、いつしか4倍を超える3兆円まで膨張したというのに、テレビ報道界は、「これは、詐欺だ!」という声もあげないままである。「マラソンの競技時刻が真夏の酷暑だ」といったことしか問題にしていない。新国立競技場を建設する中心人物であった建築家・安藤忠雄らの無責任さが放置されている。このままでは一体、日本と東京はどうなるのか!
 私は高校時代に甲子園を目指した野球少年で、スポーツが無類に好きだった人間なので、オリンピックをやめろと言っているのではなく、福島原発事故の被曝被害隠しのための「東京オリンピックをやめろ」と言ってきたのである。最近の日本スポーツ界には、「日本が勝った! 日本が勝った!」と叫ぶ国粋主義のアナウンサーが多く、スポーツの技を楽しまない気風なので、どうも好きになれない。だが、2018年の韓国 平ピョン昌チャンオリンピックのスピードスケート女子500メートルで優勝した小こ平だいら奈な緒おと、プロテニスのグランドスラム全米オープンで優勝した大坂なおみ、この二人は、文句ナシに素晴らしかった。小平は、地元の韓国代表・李相花(イ・サンファ)とライバルだったが、彼女を破ったレース終了後に、二位になった親友の李相花をあたたかく抱擁してリング上を走る姿が、人間として実に美しかった。
 大坂なおみは、日本人としてのグランドスラム(公式の世界四大大会)全米オープン初優勝と、2019年の全豪オープンでの連続優勝は立派すぎたが、父親がカリブ海ハイチ出身のアメリカ人というハーフなので、彼女の言うことが当意即妙、実に面白くて、テニス以上に彼女のユーモラスな人柄が日本中を魅了した。「あなたは大阪で生まれたから大坂さんなのですか?」、「そうよ、大阪で生まれた人はみんな大坂さんなのよ」……???
 このように明るい話題、愉快な話題がありながら、福島原発事故の大被害を隠そうという魂胆で、放射能を浴びて逃げまどってきた膨大な数の人たちに、ただちに救済の手を差し伸べるべき金を使わず、大金を使って東京オリンピックを開催しようとする欲深い人間たちに牛耳られてきた日本のスポーツ界は、あまりに薄汚いと思わないか? これで若い世代に「正々堂々たるスポーツマンシップにのっとり」と宣誓させられるだろうか。東日本大震災後、いまだに仮設住宅に入っている人が大量にいて、避難者が5万人を超えるというのに、「復興オリンピック」だという。福島県内では、原発事故によって人生を追いつめられた関連死者が2000人を超えている。テレビ報道の出演者は、仮設住宅がどのようなものか知っているだろうか? たとえば私が見た仮設住宅は、土地がないという理由で、人里はなれた山奥に設置され、人間が暮らす場所ではなかった。山奥では、やることもないので仕方なくパチンコ屋にゆけば、「あいつらは……」と陰口を叩かれる。そのような孤独感にうちひしがれる人たちをほっておいて、平気でオリンピックを楽しめる日本人の気が知れない。
 スポーツの名勝負を決定する土地は、たいてい決まっているのに、なぜオリンピック開催地を決めるのに大金が動くのか、ということが問題なのである。テニスの最高の栄誉はイギリスのウィンブルドン大会、マラソンの名所はボストン、正月の関東大学駅伝の名所は箱根、競馬はダービー、ゴルフもそのほかのスポーツも、世界的に栄光ある大競技会の会場は決まっている。プロ野球では、リーグ優勝の球場が最後のワールドシリーズや日本シリーズを開催し、高校野球は甲子園球場、大学野球のメッカは神宮球場と決まっている。毎回開催地を移動するために、招致の汚職や、無用のスタジアム建設によって自然破壊問題を起こしているのは、恥ずかしいことにサッカー・ワールドカップと、オリンピックと、アジア大会だけである。アジア大会でも、八百長が横行し、スポンサーの商業主義が横行して、さまざまな問題を起こしている。オリンピックは開催地を常にギリシャと決めておけば、大半の余計な利権が消滅し、委員や選手たちも余計なことを考えずにすむではないか!

◆大阪万博騒ぎで、おそろしいファミリーが再び動き出したぞ

 もうひとつ、似たような騒ぎが起こった。2018年11月23日(日本時間24日)のパリで、2025年の大阪万博の招致が決定して、大喜びしている人間たちがいた。困ったものだ。
 あろうことか、その前年の2017年10月4日に、原子力規制委員会が、犯罪企業・東京電力の新潟県・柏崎刈かり羽わ原発6・7号機に対して、新規制基準に適合するという再稼働の合格証を出したが、「この出来事」と「大阪万博」がつながっているのである! つまり、「東京オリンピック」と「福島原発事故」の関係と似たような構図になっているのだ。
 原子力規制委員会で、田中 俊しゅん一いちの後を継いで2017年9月22日に新委員長に就任した更田豊志ふけたとよしが、東電に重罪を問うどころか、合格証を与えて日本中の怒りを買ったが、この男は一体何者なのか?
 いつまでたっても、この男の正体を日本のテレビ・新聞がまったく報じないのでは、ジャーナリストとしての調査能力が低すぎて、報道人の資格がない。よってここで、明らかにしておきたいことがある。彼は東海村の原子力研究所の出身で、この原研が動燃と合体して組織された原研機構(日本原子力研究開発機構)の幹部となって高速増殖炉「もんじゅ」を破綻させ、さらに原子力安全委員会の委員として凄惨な福島原発事故≠導いた責任者である。
 日本列島すべての原子力発電所に対して、稼働するか、稼働してはならないか、を決定する権限を持つのが、この原子力規制委員会である。その委員長に、かくも無責任な人間が就任したのでは、すぐにでも次の原発大事故が起こるおそれが高いことは、子供でも分るであろう。マスメディアが自分のために「こいつは危ないぞ」と考えて調査しなければおかしいのに、それをせずに怠っている。
 この話を持ち出すのは、実は、大阪万博は次の2025年が2度目の開催で、最初の大阪万博≠ェ開催されたのが半世紀前だったことに関係がある。1970年3月14日〜9月13日の半年にわたって、EXPO70大阪万博≠ェ大阪千せん里り丘陵で開会され、77ヶ国が参加した。ところが! 万博が開会したその日に合わせて、開会を祝してテープが切られ、日本原子力発電株式会社(日本原電)の敦つる賀が原発1号機が大々的に営業運転を開始したのである。
 これが、福井県の原発第1号となって、高速増殖炉「もんじゅ」を含めて、合計14基もの原発が林立する悪名高い原発銀座・福井県≠ェ誕生するスタートとなったのだ。
 大阪万博が開会された直後の1970年3月31日には、 八幡製鉄と富士製鉄が合併して新日本製鉄が発足し、日本の高度経済成長のシンボルとしてもてはやされたのが、この時代であった。
 それだけならまだしも、1970年の大阪万博♂長となった財界総理の経団連会長・石坂泰たい三ぞうは、原発メーカー東芝℃ミ長と、東京電力≠ニ日本原電≠フ取締役を歴任した男で、彼が万博の開会日に合わせて、自社・日本原電の敦賀原発の営業運転を大々的に開始させたのである。「東芝と東京電力と日本原電の親分が?」 そうですよ。
 当時の高度経済成長時代とは、一体何だったのであろうか? 現在のテレビ報道に携わる若い世代は、こんなことも知らないのか、とわれわれが驚くほど、日本史を知らないようなので説明しておこう。
 この大阪万博開催中の1970年7月18日には、東京都杉並区の立り っ正しょう高校の女生徒43人がグラウンドで運動中に呼吸困難となり、目やノドの痛みを訴えてバタバタ倒れた。
 これが、わが国最初の光化学スモッグ発生となり、大公害時代を迎えて、国民が震撼した時代である。ところがすでに公害で200人を超える死者を出す時代にあって、この万博開催中、1970年8月18日の毎日新聞の「 0ゼロから四半世紀」シリーズ「経営者意識」のなかで、インタビューを受けて公害について尋ねられた万博会長・石坂泰三が、「お江戸のなかに八十何年住んでいるが、公害なんて感じたことはない。公害のために死んだ者はいないよ。産業をつぶしても公害を防げというのはおかしいね。どっちを選ぶかといえば、ぼくは産業を選ぶ」と、うそぶいたのだ。
 毎日新聞記者が「それにしても最近の公害はひど過ぎるとは思いませんか」と言い返すと、「ちっとも、そう思わないね」と発言したのである。これが、2015年に巨額の不正会計が発覚して糾弾された原発メーカー「東芝」の親分であった。
 記者が「四日市などはひどいでしょう」と言えば、「あまりひどくないね。正月に(三重県の)桑名と四日市へ行ったことがある。桑名は至って地味だが、四日市へ行ってみると、振りそでなんかきらびやかに着て、立派な帯を矢の字に締めてね。大変繁栄してますよ。公害のおかげなんていうとしかられるだろうが……」と、水俣病と共に「四大公害病」と呼ばれた四日市ぜんそくで苦しむ膨大な数の被害者に対して、その感情を逆なでする暴言を平然と吐いたのである。大量の死者を出し、被害者がもがき苦しんでいる時代に、財界トップが公害についてこの程度の認識であったのだ。この男が、福井県を原発銀座に変えた人物であった。
 こうなると読者も、石坂泰三がどのような人物かを知りたくなるであろう。姻戚関係を調べると、石坂泰三の義弟にあたる更ふけ田た健彦たけひこが、原発メーカー三菱電機重役をつとめて、現在の原子力規制委員長・更田豊志ふけたとよしの祖父だったのである。
 石坂泰三の義弟・更田健彦の婿養子・更ふけ田た豊と よ治じ郎ろ うが東海研究所の所長をつとめ、原子力委員会の委員を歴任した。この豊と よ治じ郎ろ うが規制委員長・更田豊志の父で、豊治郎の姉の夫・近藤健たけ男おが原発を最大ビジネスにする三菱商事社長で、その息子・近藤健一郎が「もんじゅ」をはじめとする原発メーカー三菱重工という原子力一色のファミリーであった。こうした出自から、出世の街道を歩んで規制委員会のトップに就いた更田豊志は、原子力産業の巨大利権人脈が送りこんだ人間だから、原発の危険性などにお構いなく、次々と原発を動かす使命を与えられてきたのである。
 しかも2019年現在の更田委員長は、福島第一原発の事故処理現場の敷地にずらりと並ぶ巨大タンク群に、100万トン以上も貯蔵されている危険きわまりない放射能汚染水を、「タンクが貯蔵不能になってきたから、薄めて海に流せ」と主張してきた頭のおかしな超危険人物である。「海水をもってきて薄めて流せばいいなら、最初から放射能汚染水をタンクに貯蔵せず、そのまま海に流すのと同じ」ではないのか? こうして福島県から海に放流される大量の放射性物質は、寒流の親潮に乗って南下し、日本最大の水揚げを誇る千葉県の 銚ちょう子し漁港に押し寄せ、2018年に新設されたばかりの豊と よ洲すの魚市場≠ナ、魚介類にたっぷり入って売られることになる。テレビ報道界は、なぜこの更田委員長の犯罪を追及しないのか?
 このように1970年・大阪万博には、歴史上でトンデモナイ「原発の放射能」とその人脈というおまけがついてきたが、2025年・大阪万博も同じようなおまけ付きである。今度の万博会場は、大阪湾に浮かぶ人工島「夢洲」だが、これを「ゆめしま」と読む。この名前を聞いて多くの人が思い浮かべる東京・江東区にある「夢の島」は、ご存知の通り、東京都のゴミ埋め立て地として利用され、1960〜1970年代にハエの大群が発生して住民を苦しめ続けた「悪夢、の島」としての歴史がある。実は、大阪府は2008年「オリンピック招致」が失敗に終ったため、懲こりもせずに万博を誘致して、間違って「二度目の万博誘致」に成功してしまったのだが、当初はオリンピック選手村を建設する計画だった夢洲もまた、工事で出る大量の建設残土や、有害な 浚しゅん渫せつ物ぶつを含むゴミ捨て場として建設された人工島である。ここを廃物利用して万博会場に変えるには、有害物質が大量に埋まったゴミを掘り起こさなければならないのだから、毒物が流れこむ大阪湾はどうなるのかねえ。
 大阪万博を開催する時のトンデモナイおまけとは、大阪府知事がぶちあげているように、「カジノを設置する統合型リゾートの候補地」、分りやすく言えば、バクチ打ち会場として夢洲を開発するというお話である。現在でも、このあたりの治安が悪化して問題になっているが、実現すれば、これからは暴力団のヤクザ王国・大阪府のイメージが強くなることは間違いない。
 万博会場の建設費は1200億円を超え、東京オリンピックの先例から、実際にはそれをはるかに上回る出費に苦しむと分っている。万博にまったく気乗りがしない関西経済界は、その金を負担しろと奉加帳を回されても、金を出せない。無駄に無駄を重ねて、開催前から「万博バブル崩壊」の声が強いのである。

◆二酸化炭素温暖化説の嘘が警告する地球の危機

 ダメを押すように、2018年11月7日には、このような大阪万博のボスで「日本原電」および「東京電力」取締役だった石坂泰三の親族・更ふけ田た豊と よ志しが委員長をつとめる原子力規制委員会が、「東京電力」柏崎刈羽原発だけでなく、40年の運転寿命を迎える「日本原電」の茨城県・東海第二原発に対して、運転期間の20年延長を認め、ボロボロ原発を「60年までは運転してよろしい」と決定して、安全審査を終了したのである。東京駅からほぼ100キロ圏の原発で、東日本大震災以後、地元・茨城県では地震が続発しているというのに、何とおそろしい原発ファミリーなのだ。東京都・千葉県・埼玉県・神奈川県・茨城県にまたがる首都圏の5都県で、原発事故の放射能を直接浴びる総人口は、ざっと3900万人、日本の人口の3分の1ですよ。
 加えて、信じられないことに、原子力規制委員会には、地震学者が一人もいないのだ。
 いいかね、テレビ報道界の諸氏よ、あなたたちは原子力と地震についてシロウトらしいから、自分の身のためだと思ってよく聞きなさい。
 昨年2018年6月18日に、大阪北部で内陸直下地震が起こった。震度6弱の地震は大阪府で観測史上初めてであり、この震源の断層は確定できていないのである。
 そのあと、7月6日から西日本が豪雨に襲われ、岡山県・広島県・愛媛県・岐阜県などで死者・行方不明者200人を超える大被害を出し、2ヶ月後の9月4日には、強烈な台風21号が関西を直撃して上陸し、関西国際空港(関空)が甚大な被害を被った。ここ関空も夢ゆめ洲しまと同じ人工島なので、高潮が防潮堤を乗り越え、ほぼ全域が冠水して空港は停電し、第一ターミナルでは浸水が40〜50センチにも達した。最大瞬間風速58メートルが記録される中、吹き飛ばされたタンカーが連絡橋に衝突して、すべての航空便が欠航となった。ここに津波が重なっていれば……人工島・関空はどうなっていたか、というのに、大阪万博会場の夢洲では、地盤沈下が起こっているのである。
 この関西直撃の台風被害が続く真っただ中、9月6日には北海道南部の胆い振ぶり東部を震源とする内陸直下の大地震が起こって、北海道民を震え上がらせた。北海道で初めての震度7、つまり2016年の熊本大地震と同じ「地震で最大の揺れ」を記録した北海道厚あつ真ま町ちょうでは、火山噴火で形成された地層が大規模な土砂崩れを起こし、全山の山崩れで生き埋めになって36人が死亡した。そして北海道全土が一週間以上にわたって停電になる「わが国初めての域内全停電──ブラックアウト」を招き、病院や酪農家などが、深刻な被害を受けた。
 2018年の漢字に「災」が選ばれたほどだが、テレビ報道界は、この災害が続発した2018年を、忘れたわけではあるまい。そこでテレビ報道に出演するコメンテイターたちは、出てくる人間ほぼ全員が、「2018年の夏は異常な猛暑だった。災害の原因は地球温暖化である」と、口にした。彼ら彼女らは、「地球温暖化は、もはや議論する必要もない」とまで、言いたそうであった。ところが彼ら彼女らは、ただの一人も「二酸化炭素(CO2)の放出によって地球の温暖化が加速している」という自分たちの簡単な主張を、科学的に実証しようとはしなかった。どうも日本人は、他人の噂話に惑わされやすく、子供でも分る科学を議論することが苦手なようだ。それでいてノーベル賞などを喜んで礼讃する珍妙な人種である。
 私は『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(集英社新書)の著者として、CO2による地球温暖化説が間違いであることを科学論によって実証したが、同書を2010年に発刊してから、すでに10年も経とうとしているので、分りやすい要点を本稿に記述しておく。CO2による地球温暖化説の嘘について説明するのに、私の講演は普通4時間だが、ここではダイジェストだけを述べる。
 石油や石炭を燃やした時に発生する二酸化炭素(CO2)によって地球が温暖化するという説を流布してきたのは、国連のIPCC(Intergovernmental Panel on ClimateChange──気候変動に関する政府間パネル)で、その名の通り、いかにも怪しげな政治集団である。このIPCCが最も非難されるべきは、過去の人たちが生涯を捧げておこなってきた考古学、文化人類学、生物進化学、気象学、地質学、宇宙科学のすべてのデータをまったく無視して、根拠のない「疑似科学」を人類の頭にすり込んだことにある。
 2015年までこのIPCC議長だったラジェンドラ・パチャウリは、アメリカ副大統領アル・ゴアと共にCO2温暖化説を煽あおって、先述の通り最もいかがわしいノーベル平和賞を受賞した人物である。CO2温暖化説が、ノーベル物理学賞に値する科学的真理ではなかったので、どうでもいい平和賞を与えたのである。このパチャウリ議長は、温室効果ガス(CO2)の排出権取引きで莫大な利益を得る銀行の顧問をつとめ、この取引きで多国籍企業とエネルギー業界が生み出す資金を、パチャウリ自身が理事長・所長をつとめる「エネルギー資源研究所」に振り込ませていたことが、2010年1月に発覚した。この通り、IPCCは、CO2を食い物にする詐欺グループだったのである。
 実は、1988年にIPCCが設立された時、初代議長に就任したバート・ボリンが、「2020年には、海水面が60メートルから120メートルも上昇し、ロンドンもニューヨークも水没している」と予測して、CO2温暖化説を煽あおったのだからたまげるではないか。2020年というのは、東京オリンピック開催の年である。その時に、新幹線5輌を縦に立てた高さ、120メートルという天を見上げるほどの海水でロンドンもニューヨークも水没している、と信じる読者がいるだろうか? 青木 理おさむのようにテレビ報道に頻繁に出演するコメンテイターたちは、「2018年の夏は異常に暑かった。地球温暖化が原因であろう」と、つい口にしてしまうが、まさか彼らが、IPCCの詐欺師集団やCO2学説を信じる新興宗教のために、そのようなことを主張するほど愚かとは思えないので、聞いてもらいたい。
 この問題を真剣に考察してきた賢明な読者であれば、1998年頃まで「温暖化、温暖化」と騒いでいた人類が、最近は「異常気象、異常気象」と言葉を変えてきていることに気づいているはずである。IPCC集団は、なぜ表現を変えたのだろう。

 その理由は、科学的にはっきりしている。このグラフのように、1998年をピークとして、それ以後10年間も地球の気温が上昇せず、むしろ温度が下がる期間が続いて、その間に、驚異的な経済成長を続ける中国でもインドでも、CO2の排出量が猛烈に増え続けて、地球の大気中のCO2濃度が毎年更新されていたのだから、CO2増加によって地球は温暖化しないことが、誰の目にも明らかとなった。CO2温暖化説は科学的に崩壊したのである。
 人類が、気温上昇が続いた1998年まで「CO2地球温暖化説の誤り」に気づかない人間が多かったことは仕方ないにしても、2010年になってもその過ちを認めないので、現在のように虚構の地球科学が横行しているのである。
 地球の気温が上昇していた1990年代には、NHKテレビがニュースの冒頭に「南極」の氷が崩れ落ちる映像を流して、「温暖化対策は待ったなし」と叫んでいた通り、「南極の氷が溶けて地球が水没する」という説は、地球温暖化の脅威を煽あおる目玉であった。ところが、現在では誰一人、南極を口にしない。どうしたわけなのか? それは、南極では2010年代に入って、氷が溶けるどころか、逆に分厚い氷と大量の積雪に、南極観測隊が四苦八苦する寒い年が続いたからである。さらに「南極の氷が崩れ落ちるのは、太古の大昔から続いてきた自然現象だから、人類によるCO2の排出とは無関係なんだよ」と指摘されて恥をかいたからである。このようにIPCCの主張がコロコロ変ってきているのに、おかしいと気づかないのは、テレビ報道界の故意であるから、日本のテレビ局もIPCC同様にかなり悪質である。 

 IPCCがCO2による温暖化を強調するために第1次評価報告書に明示し、全世界を欺いてきた有名な「ホッケースティックの図」(IPCCが主張してきた左のグラフの青線➡で示される温度変化)は、実際にあった中世の温暖期≠烽サの後の小氷河期≠熹イけている「誤りだらけで、根拠のないデータ」であることが暴露されて、IPCC第4次評価報告書(2007年11月17日)から削除されてしまったのである。つまり「1900年代の20世紀に入って、工業界のCO2放出量が急増したので、地球が急激に温暖化した」と主張していたIPCCは、「ホッケースティックの図」が真っ赤な嘘だと認めたのである。
 そこで恥をかいたIPCC集団が、ここで嘘の主張を取り下げれば問題はなかったのだが、人間というものは屁理屈をつけて言い訳したがる生き物である。引っ込みがつかないので、「CO2による気温上昇論の嘘」を知られないようにするには、「温暖化」ではなく、山火事や台風、竜巻などの自然現象を、一緒くたにまとめて「異常気象が広がっている」という情緒論で、自然の脅威として煽あおれば、大衆なんてすぐにだませるという戦略に切り換えたところ、共犯者のマスメディアがそれに乗ったのである。
 そこでたった今! 2018年12月15日に採択された現在の「パリ協定」の運用ルールでは、従来の「ホッケースティックの図」で主張していたような20世紀に入ってからの気温上昇ではなく、「産業革命以後の1800年代の気温と、現在の気温」を比較して、気温上昇を2℃未満におさえることを目標にする、と決めたのだ。これは、人類が産業革命によって石炭を燃やしてCO2を出し始めた時代に戻らないと、地球の気温上昇を主張できなくなったからである。ところが笑止、その産業革命時代にはCO2放出量が現在の1億分の1程度の微々たるものなので、石炭のCO2によって気温上昇が始まったという科学的根拠になるはずがない。さらに今のグラフに示されるように、人類が石炭を使い始めた産業革命時代の前(1600年頃)から、地球の温暖化が始まっていて、世界中の氷河の融解もスタートしていたことを、ありとあらゆる自然界のデータが示していたのである。かくして「1900年代の20世紀、しかも後半になって、工業界でCO2の放出量が急増したことと、地球の温度変化は無関係である」ことも科学的に明白であった。
 科学者が知る通り、温暖化および寒冷化は、地球上で太古の昔からたびたびくりかえされてきた自然現象である。日本では、考古学で「縄じょう文もん海かい進しん」として知られるように、人間が石油も石炭も使わなかったほぼ1万年前の縄文時代に、東京湾の海が栃木県あたりまで広がるほど海面水位が高く、現在よりはるかに温暖化していたことは、関東地方各地の縄文人の貝塚の遺跡から明らかになっている。数千年前の日本中の、たとえば読者の郷里の海面水位を調べてごらんなさい。数千年前には、今よりはるかに地球は温暖化して、海面水位は5メートルも高かったのである。したがってこのような「地球の気候変動」と「工業化によるCO2排出」がまったく無関係だということは、はっきりしている。地球に気候変動を起こす要因は数々あって、エルニーニョもラニーニャもあればミランコヴィッチ・サイクルもあり、火山の大噴火もあり、前掲の私の著書にそれを列挙しておいたが、主に太陽の活動のような宇宙の変化が、気候変動を起こしていることは明らかである。したがって、気候変動は、人間には手の届かない現象なのである。 
 ところが、子供でも分るその科学的な真理を、葬ろうとする人間がいる。答を明かせば、そもそもIPCCは政治的組織で、参加している研究者は単なるボランティアであって、学術研究連合や国際学会のような性格を持つ科学的な組織ではない。日本のすべての大新聞には、現在も温暖化のデタラメキャンペーン記事が毎月2、3件は出ているが、その出典は、CO2温暖化説を利権にし、国家予算をもらって食っている人間が出す科学的根拠のない100年後の予測なのである。IPCCは気候変動を研究する科学の専門家ではないので、独自の調査研究は実施せずに、自分の主張を強化するために、そうした温暖化説に合致する研究成果だけを集めているグループで、背後には原子力産業があって、彼らがCO2温暖化説を悪用して原発建設を進めてきたのである。したがってIPCC報告書というのは、政策立案者向けに作成された独断と偏見に満ちた政治的メモにすぎず、学術論文ではない。その結果、2000年にIPCCが公表した100年後の気温シミュレーションは、高度コンピューターを使った採用データの全員が「気温上昇」を予測していたが、わずか10年後の予測で全員が外れて、先ほどのグラフのように気温が低下してしまったのだ。
 読者は、IPCC専属の「専門家」が10年後の予測もできないのに、100年後を予測することができるとお考えであろうか。日本では、IPCC報告書は世界のトップレベルの研究者の意見の一致だと勘違いしている人間が多いが、IPCC専属の専門家は小学生並みの頭脳なのである。このように、多数決で世論を形成しようとする責任者は、エコロジストと自称する、非科学的で無知な自然破壊者たちと、彼らの言葉を自分で検討もせずに引用する新聞記者・テレビ記者なのである。
 今年2019年3月15日には、全世界120ヶ国で一斉に「地球温暖化対策の強化を政府に求めるデモ」が、若者たちを中心におこなわれたと、テレビ・新聞は騒ぎ回ったが、この若者たちが抱いている危機感の前提が、科学的根拠のない100年後の気温予測だとは、どのテレビ・新聞も報道しなかった。この若者たちが50歳ぐらいになって、「なんだ、俺たちが聞いていた予測は、まったく間違ってたじゃないか」と恥をかくのが落ちである。この若者たちは、原発の運転を金科玉条に掲げる経済産業省の「温室効果ガス削減キャンペーン」を支持し、自分たちが犯罪を広める手先になっていることの自覚さえない。
 科学的な反証データを次々と突きつけられたIPCCは、地球の気温が上昇しているように見せなければならないため、大量の温度データを改竄かいざん
・捏造ねつぞうし始めたのである。ところが10年前の2009年に、その改竄・捏造が暴露されてしまったのだ。左のグラフのように温度データに理由もなく手を加えて、気温は上昇していると主張する悪質きわまりない例が世界中で山のように見つかったのだ。クライメート(気候)をもじって呼ばれたこの世界的クライメートゲート・スキャンダルによって、「IPCCは詐欺師」と呼ばれるようになった。ところが日本では、驚くべきことに、すべての大新聞とテレビ局がこの巨大スキャンダルをまったく報道しなかった。なぜなら自分たち報道界が、IPCCの片棒をかついできた共犯者だったからである。
 しかし全世界に広まったクライメートゲート・スキャンダルの結果、ドイツのシュピーゲル誌(Spiegel)2010年3月27日号によれば、3月22〜24日におこなったドイツ人の意識調査で、「地球温暖化はこわいと思うか?」という質問に、58%が「Nein(ナイン)」(=英語の「NO」=「いいえ」)と回答した。環境保護運動が最も盛んでCO2温暖化説のリーダーだったドイツ人の過半数が、ついにCO2温暖化説を信じなくなったのである。ほぼ同じ時期にアメリカ・ヴァージニア州の大学調査(George Mason University, Centerfor Climate Change Communicarion 2010年3月29日発表)で、1〜2月にアメリカ気象学会と全米気象協会のテレビ気象予報士にアンケートをとった結果でも、571人の回答者のうち63%が「気候変動の主因はCO2ではなく、自然現象である」と回答し、26%が「地球温暖化論は詐欺の一種である」とまで回答した。
 このように、真の科学者のあいだで詐欺師と呼ばれる人間が集まってパリ協定を決めた本拠地フランスでは、2018年12月に毎週土曜の黄色ベスト運動≠ェ全土で吹き荒れて、「パリ協定? 脱炭素? 冗談じゃない。マクロンのようなペテン師はぶっ飛ばせ!」と、ロスチャイルド銀行出身のエマニュエル・マクロン大統領を追いつめるデモを展開し、フランス国民の8割がこのデモを支持した世論は、誰でも知っているであろう。
 これほど中学生に分る科学を論じない無知な国民が、先進国の日本人であるということが不思議でならない。日本人はバカではないのに、なぜ日本人は無知になったのか。その責任は、世界的なクライメートゲート・スキャンダルさえ報道しなかったすべての日本の報道界──新聞とテレビにある。詐欺集団IPCCの手先となって、根拠のない話を語る江え守も り正せい多たの言葉を引用し、古くて朽ち果てたCO2温暖化説を再びゴミ箱から拾い出して煽動するのが、テレビ報道界の常套手段になっているが、この男は、国立環境研究所地球環境研究センターの「温暖化リスク評価研究室室長」として、温暖化説によって得られる利権のために発言しているだけだということが、マスメディアには分っていない。ところがクライメートゲート事件ですっかり人望を失ったIPCCが、まったく信用ならない地球の温度データを発表し続け、2016年あたりから巻き返して、シロウト記者を欺き始めた。
 たとえば昨年2018年11月のアメリカ西部カリフォルニア州の山火事が、同州で史上最多の犠牲者を出したことをもって、温暖化が原因だと騒ぎ立てる人間がゾロゾロ出てきた。カリフォルニア州では夏に山火事が発生するのは毎年のことだが、2018年は秋に入っても雨が少なく、そこに電力大手「PG&E」社の送電線の火花から山火事が起こったので、例年以上に燃え広がった。しかし実は、近年に人口が増加したカリフォルニア州では、1990年代以降に新たに建てられた住宅の6割が山火事の発生しやすい場所なので、そこでの人口が増えて、数字の上で犠牲者が多くなったのは当然なのである。
 この山火事について、よく聞いていると、CO2が原因だとは誰も断言していない。だが、トランプ大統領が「CO2温暖化説を信じない(I don't believe!)」と発言してパリ協定から脱退したので、トランプを嫌いな人間だけが、「気候変動が原因ではないか?」と、よく分らない曖昧な説明をするのである。偽善者のノーベル平和賞受賞者である民主党のオバマ大統領がアフガン攻撃をやめず、人殺しに熱中していた時、ひと言も文句を言わずに沈黙していた俳優レオナルド・ディカプリオのような民主党の太鼓持ちは、共和党のトランプ大統領が登場した途端に、「カリフォルニア州の山火事は温暖化が原因だ。トランプ大統領が悪い」と、空っぽの頭で騒ぎ出した。最近のアメリカで山火事が増え、大災害化していると騒がれるが、これはまったくの嘘である。1988年のイエローストーンの山火事では158万エーカーという焼失面積を記録して温暖化のせいだと言われたが、それよりはるか昔の1910年の山火事(Great Idaho wildfire)ではその2倍の300万エーカーが焼失している。アメリカ合衆国火災局の報告書によれば、 19世紀の 1894年の山火事(Wisconsin wildfire)で数百万エーカー、1871年の山火事(Peshtigo wildfire)で378万エーカーと、はるかに大規模の山火事が頻発した。ところが、大騒ぎした2018年11月のカリフォルニア州の山火事は、それより一桁下のわずか数十万エーカーなのである【これらの山火事に関しては、“October 2000,Wildland Fires: A Historical Perspective”の報告が正確な数字であり、Wikipedia ウィキペディア≠フ数字は間違えているので注意】。
 ここで私はテレビ報道界に対して、「噂や、書き手署名のないWikipediaに惑わされず、IPCCやCO2温暖化論者が言っていることを自分の頭で考えて、本当かどうか検証してご覧なさい」と言っているだけである。
 テレビ報道に携わる人間が、たとえば羽鳥慎一や玉川徹や青木理や、サンデーモーニングの司会者・関口宏が、文科系であるか理科系であるかは、関係ない。先のノーベル賞受賞者の項で、学歴のない人たちが数々の大発見・大発明をした事実を列挙したのは、自然界の科学を論ずる時に、学歴がまったく不要だということを知ってもらうためである。というより、私よりずっと頭のいい人間であるテレビ報道人にとって、これは中学生の理科≠ナ分る話なので、このような理屈が「自分の頭で分らない人間」は、テレビに出てニュース報道を解説する資格はない。

 私が、「地球の気象を左右しているのは主に宇宙であり、CO2ではない」と敢えて発言するのは、IPCCや、そのプロパンガンダの手先である江守正多らがまき散らす根拠のない噂話を信ずれば大変なことになるからである。罪のないCO2を犯人だと決めつけ、あたかCO2を論ずれば環境を守れるかのように悪質な偽善者ばかりが横行するようになった現在、アホで間抜けな人類が、環境破壊を起こしている真犯人を放置し、子供たちの体をむしばんで、ぜんそくやアレルギー症状を引き起こし、自然を破壊しているのだ。そうした数々の実害を忘れつつある人間に緊急に警告することが目的なのである。
 それらは、自然界のコンクリート化、大量に増えつつある都市排熱(ヒートアイランド現象)、窒素酸化物(NOx)、硫黄酸化物(SOx)、浮遊粒子状物質、放射性物質、環境ホルモン、遺伝子組み換え食品、有害な食品添加物、農薬、大量のプラスチックゴミの排出、戦争行為など、山のようにある。そのうち中国・韓国などアジア各国で近年問題になっている大気汚染物質のPM2・5は、浮遊粒子状物質のうち粒子径が2・5ミクロン(0・0025mm)以下の微粒子である。
 さて、地球の気候変動に最も影響を与える太陽の活動に、話を戻してみよう。
 1610年に、ガリレオが太陽に「黒点」を発見して以来、人類が観測を続けてきた結果、太陽黒点が増えたり減ったりする平均的な周期11年が明らかにされている。そして、黒点がゼロ近くに減った時期には、地球が氷河期のように寒くなった。この事実に、異を唱える人間はまったくいない。なぜ黒点の増減が地球の気候に影響を与えるのであろうか。
 太陽の活動が活発化すると、内部の磁力が表面に現われる。この磁力線によってエネルギーの流れが妨げられた部分は温度が低くなって、太陽表面に「黒点」が出現するのである。太陽の温度は6000℃ぐらいだが、3000℃しかない部分が黒点となるのである。
 つまり、黒点が増えた時は太陽の活動が活発で、黒点が少ない時期は太陽の活動が小さい。黒点が少なく、太陽の活動が小さい時には、【次頁の左の図】に示すように、宇宙線が太陽風に 遮さえぎられずに地球に降り注ぐため、大気中の分子が活性化して、空気中の水滴が雲をつくりやすくなるので、地球の気温が下がって寒冷化する傾向がある。逆に、黒点が増える時期は、太陽の活動が活発なので、右の図のように太陽風のプラズマが強くなり、地球に降り注ぐ宇宙線を 遮さえぎる。すると大気中の分子が水滴になりにくくなるので、雲が減って、地球は温暖になる傾向がある。

 そこで気がかりなのは、2015年にイギリスのノーザンブリア大学のバレンティーナ・ザーコバ教授が、「太陽の活動は2030年代に現在の60%にまで減少し、97%の確率でミニ氷河期(地球の大寒冷化)が到来する」と発表したことである。事実、5年前の2014年をピークに太陽の黒点数は減少に転じており、毎日の黒点の平均個数は、2014年2月が102個だったのに対して、2年前の2017年11月は6個、12月は8個と激減したのである。去年2018年1月には、黒点がまったく観測できない日もしばしばあり、ほぼ300年前に全世界が大寒冷化した時とそっくりだったのである。NASAとアリゾナ大学の専門家によれば、2022年に起こる次の太陽黒点の第25周期のピーク時には、太陽活動がはるかに弱くなると予測されているので、温暖化どころか、逆に人類は、極寒のミニ氷河期に備えなければならなくなる。つまり地球の寒冷化説がきわめて有力であり、ここ10年以上、冬の豪雪・積雪・最低気温・大寒波の記録が次々に塗り替えられている。このような寒冷化のほうが、人類の遭遇する苦難が、温暖化よりはるかに大きくなることは、誰が考えても分る。
 今年2019年1月には、アメリカとカナダが厳しい寒さに襲われ、アメリカ中西部のミネソタ州では、1月30日に体感温度が氷点下53・9℃という猛烈な寒さとなった。ヨーロッパのアルプスでも記録的大雪となり、オーストリアのチロル地方では1月1日からの15日間で、100年に一度という4メートル51センチの積雪を記録し、スイス東部でも平年の2倍の積雪となった。
 このような諸説と日々のニュースが流れる中で、私自身は、温暖化説も、寒冷化説も、どちらも当てにならないので、信じないことにしている。神ならぬ人間にとって、将来の宇宙と太陽が与える気候の変化がどうなるかは未知で、絶えず人類の予測は外れるから、「今後の地球の気候を観察して判断します」と答えるのが、最も科学的であるからだ。

 重要なのは、「CO2が気候変動に無関係である」ことを知ったなら、先進国で使用されている最新の石炭火力≠ェ発電法としてコストが最も安い事実を認識することである。現在のヨーロッパ、アメリカなど先進国の石炭火力は、中国やインドのように粉塵ふんじん巻きあげる老朽化した石炭火力とはまるで違うのである。日本では横浜市磯いそ子ごにあるJパワー(電源開発)の石炭火力発電所のように、煙も出ないほど世界一クリーンになっている。ここまでクリーンになった高度な石炭燃焼技術を広く活用するべきである。
 この石炭に関連する議論といえば、TBSサンデーモーニングが代表的な間違いに視聴者を誘導していたので、読者も知っておくべきことを述べておく。本稿はテレビ報道を非難するために書いているのではないので、先に、この番組がすぐれている点を紹介しておくと、解説にできるだけエレクトロニクス技術を使わないように心がけているらしく、説明用のプラスチック・パネルの代りに、段ボールの紙に手書きして、マギー司郎をしのぐ超絶技巧のテクニックで次々と紙芝居のように時事解説を披露するコーナーがあって、実に魅力的である。また、ホワイトボードにマジックで書くと筆の味が出ずに下手な文字になるので、昔の学校の黒板のような「緑板にチョーク」で文字を書いて説明する、といったところまで工夫をこらしているところが見事である。さらに一週間まとめての「スポーツニュース」が、張本はりもと勲いさおの解説付きで充実していることと、番組の最後に報告される「自然界の四季の変化」もなかなか面白い。
 ところが2019年3月10日放映のサンデーモーニング「東日本大震災8年特集」で、「将来の日本のエネルギー(電力)をどうすべきか」という問題について、「原発を続けるべきか、それとも再生可能エネルギーに切り換えるべきか」という二者択一の設問を掲げていた。この設問は、市民運動でも最近の主流になっているが、原発と再生可能エネルギー(自然エネルギー)は、いずれもよくない、という事実が抜けているので、間違いである。何もかもまとめて自然エネルギーと呼ぶのは間違いであり、私が日本で推奨できる自然エネルギーは、住宅や工場の屋根に設置するソーラーパネルと、小水力発電ぐらいである。メガソーラーや風力発電が、広大な山林を伐採して日本の自然破壊を進めていることに、どれほど多くの人間が迷惑しているかということも知らないのが、最近の心ない大都会の人間と市民運動かと思うと、愕然とする。地熱発電は、日本では温泉を枯渇させたり、地震を誘発する。バイオマスも、福島原発事故で山林が放射能を浴びた東日本では、廃物木材を燃焼させると放射性セシウムをまき散らすので、危険である。日本では、原発をゼロにするのに、自然エネルギーも不要だから、あわてて普及する必要はないのである
 サンデーモーニングのディレクターは、現在の日本の電力は、大部分が天然ガス石炭火力で維持されていることを知らずに、「原発か自然エネルギーか」という設問を立てたのであろう。東日本大震災後、2013年9月15日に福井県の大おお飯い原発が運転をストップして以来、2015年8月11日に鹿児島県の川内せんだい原発が再稼働されるまで、丸々2年間、真夏の猛暑期も、真冬の酷寒期も、「完全に原発ゼロ時代」を達成したのが日本であった。
 その2年間の電力を、どのようなエネルギーが供給してくれたかを、テレビ報道界は自分が大電力消費者でありながら知らないらしい。この表の通り、2014年度の原発はゼロ%で、自然エネルギーもゼロ%に等しいたった3・2%、つまりほとんどをクリーンなガスと石炭と、少々の水力発電で日本全土の電力をまかなったのだ。この表の数字は、当てにならない「目標」ではなく、「実績」である。石油が10%近く使われているが、これは工業界がガソリンやプラスチックなど石油化学製品に使った残りの重油を火力に使った廃物利用のようなものだから、実質的にはゼロ%とみなしてよい。
 現在、天然ガスはシェールガスだけでなく、タイトサンドガス、コールベッドメタンなどが世界各国で大量に採掘できるようになって数百年の埋蔵量がみこまれており、地下資源として豊富な石炭は、ほぼ無尽蔵にあることが明らかになっている。そして前述の通り、ガスと石炭の燃焼によって出るCO2は気候変動に無関係である。現在の技術で、日本の石炭火力は無害だから、人間の生活にとって最大の必需品である鉄をつくる製鉄会社では石炭火力が使われ、製鉄会社で余った電力は、電力会社経由で一般家庭にも供給されている。加えて、これら火力発電所の最大の利点は「大量の電力消費地である大都市」の真ん中に設置でき、小さな面積しか必要とせず、きわめて発電効率の高い発電所で間に合うので、メガソーラーや風力発電のように自然を破壊しないことにある。勿論コストも、自然エネルギーより安い。
 しばしば日本との比較で引き合いに出されるドイツは、山がほとんどない地形なので水力発電ダムに向いた日本とまったく異なり、地域的な産業構造も日本と違うので、比較しても意味はない。ドイツも昨年2018年には3分の1以上の電力をクリーンな石炭火力でまかなっているが、自然エネルギー普及を政策に掲げるドイツ最大の問題は、電気代が高騰し続けて、工業界が悲鳴をあげていることである。
 日本の場合、産業界が日本最大の電力消費者であるので、東日本大震災で大被害を受けたあと、自分たちが生き残るために世界の最先端を走る独自の進歩を遂げてきた。ところが、その実業界の知識を知らないテレビ報道界や、情緒的な市民運動と、悪質な日本政府が、いまだに「原発と自然エネルギーのいずれを使うべきか」という間違った設問を投げかけて、CO2温暖化論と共に人々を混乱させているのである。
 人類には、先に述べた通り、科学的根拠のない気候変動で騒ぐより先に考えるべき問題がある。人口集中が加速する都会において、自動車と冷暖房、コンクリート化などによって過大な都市熱が島状にこもって、さまざまな異常気象をもたらすヒートアイランド現象と、原子力発電の次の大事故による脅威のほうが、差し迫った深刻な問題である。
 では読者は、どう考えればよいのだろうか。昨年2018年夏に、日本に住んでいた読者自身が実際に「異常な猛暑」と感じた原因は何だったのだろうか、と尋ねてみればよいのだ。
 この世の災害などの異常気象はすべてCO2が原因だと主張する人たちは、「地球温暖化によって、水害や台風が起こりやすくなっている」と考えがちだが、それは憶測や観念的な噂であって、ただの一度も、誰からも、科学的な証明がなされないのである。
 2018年の夏は猛暑で、台風が多くて異常気象だったと読者は感じてきただろうが、2018年の台風の発生数は29回であって、ほとんどの人にとって意外なことだが、このグラフが示すように1967年の39回よりはるかに少ないのである。加えてその1967年は、なぜか「地球が極端に寒冷化した時期だった」のに台風が最多だったのである。現在、台風の発生数は、むしろ減少の傾向にあるのだ。
 なぜ地球温暖化説と、台風を日本人が結びつけて考えやすいかといえば、2018年9月4日に関西地方を直撃した台風が甚大な被害をもたらし、テレビが一日中、台風特集を組んで大騒ぎし、その時、テレビ報道界のコメンテイターが「異常気象だ。地球温暖化のせいだ」と騒ぎ立てたからである。
 青木理のようなコメンテイターは、7月の西日本の大水害の時から、「私は長野県の出身ですが、先日、長野県で自動車に乗っていて今まで体験したことがない豪雨に遭いました」と言って、温暖化による異常気象を強調した。青木さん、あなたは理性的な人間だと知っているから申し上げておきますが、悪いけれど2018年にわずか52歳で、半世紀の人生体験しかないあなたが言う個人的な体験≠ヘ、気候変動とまったく関係ないのですよ。つまり今示した台風のグラフで、台風が最も多かった1967年に青木さんは1歳なんだから、「自分が体験した記憶がないんです」よ。
 2018年の西日本水害の雨量は、被害者にとって例年より多かったと感じたのは本当だが、それは気象庁が「記録的な雨量だった」と大袈裟に言ったためで、記録的の的は最高記録ではなく、「平成の雨量記録」の中でやや大きかったという意味である。そして、平成というのは、たった30年の期間なのである。このように気象庁の言葉はまぎらわしいので、ニュースで驚かせるビックリ詐欺に引っかからないよう聞き分ける必要がある。人間という生き物は、自分の短い人生体験でものごとを大袈裟に感じやすいが、たいていは、その思いこみが間違っているものである。私も長野県に家を持っているが、広い長野県では、山ひとつ越えるだけで天候がガラリと変る。私が50年前に、長野県ではなく東京都心で自動車を運転していて、目の前がまったく見えないドシャ降りの豪雨に遭遇して、危うく地下鉄工事の深い穴に突っこみそうになり、一命をとりとめた体験がある。そんなわずか半世紀前の個人的な体験≠持ち出して、「気候変動」を議論するのに必要な「1000年、2000年」いや「地球の歴史46億年の出来事」を比較するような、シロウトでも分る嘘をテレビでしゃべってはいけない。現在テレビに出てくる気象庁の担当者たちが、最近はIPCCの手先となって、2013年の豪雨の予測以来「今まで体験したことがない」と大嘘を連発しては、そのたびに予測が外れて恥をかいているが、全員が40〜50代の年齢層で、気象庁の係官が体験したことがないだけなのだから、視聴者はだまされてはいけない。こういう体験談の話にだまされるのは、自分が大嘘をつくのと同じぐらいの罪である。
 一方、われわれ高齢者にとっても、2018年に風速58メートルを超えた関西の台風は、東京でも強大な台風だと感じてこわかったのは、これも事実である。ところがそれは東京の台風が久しぶりだっただけで、実際には、われわれの若い時代に記憶のあるほぼ60年前の伊勢湾台風(1959年9月21日〜27日)では、死者・行方不明者が5098名であり、思い出すだに本当にすさまじい台風であった。台風の強風の記録では、1965年9月6日に発生した台風シャーリーが四国・高知県の室むろ戸と岬みさきに上陸して「日本観測史上最も強い最大風速」69・8メートルを記録した。翌年1966年9月に沖縄の宮みや古こ島じまに大きな影響を与えた台風18号(第2宮古島台風)が、宮古島で「最大瞬間風速」85・3メートルを観測し、2018年までの日本の観測史上1位の記録である。これら1965〜1966年も不思議なことに、有名な地球の寒冷期の出来事だが、現在のテレビ報道界で記憶している人間はほとんどいない。加えてこれらは明治時代以降に気象学的に観測された記録≠ネのであって、その前の江戸時代に 遡さかのぼると、1828年8月9日(文政11年)には、北九州に空前の巨大台風が襲いかかった。これが「子ね年どしの大嵐/シーボルト台風」と呼ばれ、北九州全体で1万9000人の死者という現在まで日本史上最大の台風被害記録≠ナある。明治時代より前のこの出来事には、気象学的な観測記録さえない。
 このように人間の記憶は、過去についてどんどん薄められるが、一方、テレビ報道は、ニュース=NEWS≠ニいう言葉が新しい出来事≠ニいう意味だから、今日きょうのニュースを視聴者に対して衝撃的に伝えて驚かせてやろうという、宿命的な魂胆を持っている。そこで、今が一番大変な時期だと思うように「記録的」を多用する大袈裟な報道がおこなわれ、誰もが錯覚させられるのである。2018年の西日本の大水害と台風被害は、「日本近海の海水温度の上昇」と、「上空の高気圧の配置」と、「インド洋からの季節風が例年以上に強く吹いた気象条件」などが組み合わさった結果なので、気象学的には異常気象ではなかったのである。
 テレビ報道では誰も言わなかったようだが、2018年に広島県や岡山県で水害の被害者があれほど多くなった原因は、自然災害の豪雨そのものより、山間の無理な住宅地開発と、川の氾濫を予測できない治水対策の不備にあって、いずれも人災の面が強かったのである。
 そうした2018年の数々の出来事のうち、読者が地球温暖化説と結びつけやすい現象として、説明する必要があるのは、埼玉県熊谷 くまがや市で7月23日に41・1℃の日本の最高気温記録を更新したことと、日本近海の海水温度が上昇した、この二つの出来事の原因である。熊谷市は過去にも最高気温を記録しているが、最近の日本における高温記録は、最も暑いと想像しやすい東京都心ではなく、ほとんどが岐阜県・山梨県・埼玉県・群馬県など内陸の山間部である。なぜ山間部の都市が高温になるのだろうか? これは、東京など首都圏の中心部の大都市に人口が集中したための「人工的ヒートアイランドの熱のかたまり」が風で内陸に運ばれ、大都市を通るうちにどんどん加熱されることによって、山間部の都市に高温が生じる現象の結果である。したがって、地球の気候変動とはまったく関係がない。現在のような大都市への人口集中と、それによるヒートアイランドが続く限り、日本の最高気温記録の更新は、今後も続くことは間違いない。
 一方、「フィリピン海などの日本近海の海水温度が上昇した」という事実に対する私の科学的な考察は、以下の通りである。海水温度の上昇が、風水害と台風を増やしていると推測した場合、海水温度上昇の原因は何であろうか? 日本の場合、「大地震」が起こる時期には、地球表面を覆っているプレート(岩板)が激動するので、プレート境界付近の海底で、マグマの噴出が誘発される。これは火山噴火のマグマ噴出と同じような現象だが、少量ずつのマグマ噴出であれば、海底なので人間は気づかない。こうして西日本の地下に潜りこんでいるフィリピン海プレートの動きが、南海トラフ地震のような「大地震を誘発する時期」に、「海底」でマグマがぶくぶくと噴出すれば当然、海水温度が上昇する。こうして大地震と共に、台風の発生源であるフィリピン海≠フ海水温度が上昇するので、豪雨や台風が発生しやすくなる。

 これを裏付ける事実として、2004年6月から10月にかけて、日本に上陸した台風の数が観測史上最大の10回と異常に増えたことがあった。その時、私が気がかりになって台風発生源であるフィリピン海の海水温度を調べてみると、異常に高くなっていた。「ひょっとして大地震の予兆ではないか」と内心で案じていたら、その悪い予感通り、年末にインドネシア・スマトラ島沖の巨大地震・巨大津波が起こって、20万人以上(東日本大震災の10倍以上)の死者・行方不明者を出す大悲劇となった。

 その4年後の2008年5月2〜3日にかけて、ミャンマーを巨大サイクロンが直撃して10万人という大量の死者を出した時にも、直後の5月12日に中国の四し川せん大地震が起こって、死者・行方不明者が9万人近くに達した。このサイクロンは、インド洋で発生する台風の呼称であるから、今述べたのと同じメカニズムで、インド洋に巨大サイクロンが発生した時期に、インド洋からの力を受けるヒマラヤ東部の中国・四川省に大地震が誘発されたと考えられる。この地方に世界最高峰エヴェレストなどヒマラヤ山脈が生まれたのは、地震を起こすプレート移動の力、つまりインド亜大陸がユーラシア大陸に激突した力によるからである。
 このように「大型台風」と「大地震」の発生のあいだには明らかに相関性がある。
 つまり大地震が誘発される時期には、「海底のマグマ噴出」→「海水温度の上昇」と相関性があり、海水温度の上昇は気候変動ではなく、大地震の予兆である、と私のように考える地震学者が一人もいないのは不思議なことだが、その理由は、それが確実に起こる現象ではなく、必ずしも起こると断言できないからである。最近の人類は「陸上」の表面の動きを地殻変動として調べているが、地震学も火山学も、地殻変動を知っても地震や噴火の予知さえできないほど未完の学問である。それに比べて、「海底」の場合には「マグマ噴出」と「海水温度の上昇」の関係について、陸上より一層予測が困難になる。したがって「台風・暴風・水害」と「大地震」の相関性について正確には因果関係を監視できず、災害が起こってからあわてふためく、そのくり返しである。これが、私が観察してきた地球科学からの警告である。
 では、権威ある学者が因果関係を証明できないからといって、放置していてよいのか?大地震に関して権威者と狼少年と、いずれが的中率が高いかと言えば、歴史上では圧倒的に狼少年の予測のほうが当たっているのだ。私の直感では、現在は相当に危ない。
 なぜなら、@2018年に大阪北部地震と北海道胆い振ぶり東部地震という内陸直下の大地震が続発し、Aそこに真夏の大水害と台風が重なったからである。この動きを、B2017〜2018年に中米・南米で続発してきた地震と火山活動が日本に次の大地震をもたらす太平洋プレートを動かしている状況と重ねて見る時、C2011年3月11日の東日本大震災以来、地球を覆っている全世界のプレートが激動している証であることは間違いない。ほっておいていいのか? D耐震性ゼロの東海第二原発を60年間運転していいとゴーサインを出し、茨城県知事に還暦祝いの赤いチャンチャンコを贈ればすむことなのか!

 その時、日本からの原発輸出が、ベトナム、リトアニア、台湾、アメリカ、トルコ、イギリス向けの計画がすべて白紙に追いこまれ、全滅した原因を考えるとよい。それは、福島原発事故のあと、全世界で原発に必要な安全対策費がケタ違いに増加し、たとえばトルコでは建設費が2倍近くにもなったからである。三菱・東芝・日立の原発メーカー御三家は、輸出向け原発≠ノはそれだけ厳しい新基準を課せられるようになったのだ。ところが日本国内の原発は、そのような安全対策費をかけると、電力会社の採算がまったくとれなくなるので、耐震性の計算もできないシロウト集団の原子力規制委員会・規制庁が、手抜き審査でゴーサインを出して、再稼働させているのである。全世界ですでに運転中の原子力発電所はすべて、同じように過去に耐震性に関して手抜きで建設されてきたのだ。したがって日本だけでなく、中国・韓国・台湾・インドを含めて、アジア〜中東の原発はすべて大地震の対策をとっていない危険物である。
 日本は、バブル崩壊で苦しむに違いない東京オリンピックや大阪万博なんぞを、喜んで開いている時なのか? このままほっておいて、何か取り返しのつかないことが起こったら、「原発の危険性を警告しない」無責任なテレビ報道界全員の責任であることを、ここに明記し、警告しておく。いや、テレビ報道界などという抽象的な呼びかけでは目が覚めないだろうから、モーニングショーの羽鳥慎一と玉川徹、およびサンデーモーニング司会者の関口宏は、高い確率で起こり得る原発大事故による国家大崩壊≠フ危険性を放置したので、原発大事故が起こった時には法律上未必の故意≠ノあたる責任が問われると忠告しておきたい。私は、テレビ報道界のこの三人が良識と責任感を持っていると信じるので、最後の大きな期待をかける。こう個人名をあげておけば、「権力の監視機関であるべき放送局」が、今や「己の言論を権力にしてしまったテレビ報道界」であるとしても、重い腰をあげてくれるであろう。

 その時、テレビ局が議論するべきは、日本で最大の問題は、政権によって任命される最高裁判所の裁判官の人事権≠ェ、高等裁判所と地方裁判所におよんで、原発裁判の原発運転許可という悪事を助長していることである。また官僚が召集する知識のない有識者委員会≠ェ、正義に反する悪事を助長する存在だということである。
 テレビ報道を聞いていると、コメンテイターたちが軽く政府批判をする≠アともあって、一見すると出演者たちの玉川徹や青木理は「正義の人」のように見えるが、そのようなジャブを打っても、選挙結果を見れば明らかな通り、悪徳政治家や腐敗裁判官や御用有識者にとっては痛くもかゆくもない。正義≠ニは、正しいこと≠指摘したり、意味する言葉ではないということが、テレビ報道界や新聞・雑誌に関わるほとんどの日本のジャーナリストには分っていないようである。ほんの時折だが、すぐれたアメリカの裁判映画に出会うことがあり、弁護士たちが陪審員に求める「正義(JUSTICE)」という言葉の使われ方を聞いていると、正しいことが社会で実行されること≠意味するのである。何が正しいかが分っていても、それが実行されなければ正義ではないのだ。
 よって、日本に、沖縄米軍基地、原発強行運転、韓国と北朝鮮への敵対行為、国防予算膨張と軍国主義拡大、憲法改悪計画、秘密保護法、水道法改悪、非正規社員に対する冷遇、外国人労働者に対する冷遇、AIロボット信奉、グローバリズム信奉、膨張する国家予算を埋めるための増税計画と、数限りなく、これほど悪質な政治が横行しながら放置されている現実は、日本のテレビ報道界と新聞・雑誌には、悪事を食い止める正義が存在しない、と実証していることになる。
 したがって、テレビ報道界は、他局の報道部に呼びかけて、とことん問題を追及して解決するにはどうすればよいか、そのための行動をとらなければならない時期にあるはずである。それでも日本のテレビ報道界が立ち上がらないとすれば、そこに、「正しいことが社会で実行されることを求めて最後まで行動する」市民運動・住民運動の足元にも及ばない違いが、存在するのである。

6. てんさい(い)[1315] gsSC8YKzgqKBaYKigWo 2020年9月25日 23:06:50 : 0kUGInjLpY : ZUJoU1c2MzFGUzY=[323] 報告
◆第四話 先人の行動と、残された資料を受け継ぐ人間はいないか?

 さて、以上のように事実を調査している私にとって、どうしても耐えがたいのは、日常の社会問題のニュース解説をしっかりおこない、すぐれているはずの日本のジャーナリズムが、本稿で取り上げてきた「韓国/朝鮮問題」、「ノーベル賞騒動と経済問題・グローバリズム」、「オリンピックの底なし腐敗」、「万博誘致騒動」、「気候変動の空騒ぎ」のように深刻かつ重大な問題になると、その見識と力量が急激に低下することである。
 先に述べた通り、最近の日本の報道界の自由度は、国際ジャーナリスト組織国境なき記者団≠ノよって「世界ランク72位〜68位」という見るも惨めな判定を下されている。国境なき記者団≠セけがそのように評価しているのではなく、日本のテレビ報道界のマスコミを指して、広く「マスゴミ」の言葉が濫用されるほどである
 ジャーナリストの安田純平氏が、シリアで拘束されて、長い歳月を苦しんだあと、2018年に帰国した時、すぐに沸き上がったのが、「自己責任」という珍妙な言葉であった。そしてテレビ各局が、「自己責任論がインターネットなどで拡散している」と取り上げて、さまざまな人間がそこに口を突っこんで議論しているのを見て、私はこの国は末期的だと思った。世界中の先進国のジャーナリストのあいだで、こういう低劣な言葉が話題になるのは、全世界広しと言えども、日本だけである。日本人全体の民度がいかに低レベルであるか、という恥ずべき知性のなさを示していた。したがって本稿では、このように愚劣な議論には紙面を割かない。
 問題は、そこに時間をかけて無駄な議論をするほど低レベルのテレビ報道なのである。
 私たちは「正しい報道ヘリの会」を設立して、このように低迷する日本のテレビ報道に挑戦したことがある。福島原発事故の翌年、日本の原発の全基が運転を停止していた2012年6月22日金曜日の夜に、首相官邸前に「5万人の巨大デモ」が結集して、市民が原発の再稼働反対≠叫んだ時、これほど重大な怒りの市民行動を、テレビ朝日で古舘 ふるたち伊知郎・司会の報道ステーションが空撮映像を流しただけで、日本の全テレビ局が一切、実況報道しなかったからである。デモというのは、デモンストレーションの略語であって、周囲の人に「見せる」、それによって「広く問題を知ってもらう」ための行動である。したがって、首相官邸前に巨大デモを展開し、5万人という膨大な数の市民が集まっても、それがテレビ報道を通じて、無関心な人にも原発反対行動を喚起しなければ、大きな意味が失われることになる。これは、町の愉快なお祭りに5万人が集まったのとは違うのである。その時、日本のテレビ報道の無責任さに憤激した私が、原発反対運動に共鳴する城南信用金庫の当時の理事長・吉原よしわら毅つよし氏を訪ねて、城南信金に市民向けのカンパ口座を開かせてもらい、マスメディア批判の市民グループを「正しい報道ヘリの会」と命名して設立したのであった。
 つまり、「日本のテレビ報道が死んでいる」ことを日本中に知らせるには、報道もせずに惰眠をむさぼっている彼らに代って、われわれ市民が自発的にヘリコプターをチャーターして飛ばし、デモの光景をビデオと写真で実写撮影し、その正しい報道をインターネットを通じて全国民の前に実証しなければならなかった。それを目的として、「正しい報道ヘリの会」を設立したのであった。
 ヘリコプターのチャーター費用は1回数十万円で、市民にとって高額なので、私が個人メールを通じて「酒一杯分のカンパ」を全国に呼びかけたところ、信じられないことであったが、またたく間に通帳5冊分を超える1000万円以上の大金が城南信金の口座に全国の市民から振りこまれた。つまり日本の膨大な数の市民は、「日本のテレビ報道が死んでいる」ことを見抜いていたのである。その結果、翌週6月29日の金曜の夜には、1960年の安保反対デモ以来という、20万人の巨大な原発稼働反対デモが首相官邸前に展開された。そのデモの夜、会がチャーターしたヘリコプターに搭乗したリポーターの俳優・山本太郎氏のすぐれた解説と、上空から撮影したフォトジャーナリスト野田雅まさ也や氏によって、この歴史的史実を膨大な数の人たちに伝えることができた。その市民ニュース実行人は、多忙なフリーランスの仕事の合間を縫って私たち市民の企画に即座に対応し、ヘリコプター会社と交渉して企画をプロデュースしたジャーナリストの綿わた井い健たけ陽はる氏と、実際に映像をインターネットで広げた「市民を主役とする報道プロ」である白石 しらいし草はじめ氏のOurPlanetアワプラネット−TVおよび岩上 いわかみ安やす身み氏のIWJ(Independent Web Journal)であった。「正しい報道ヘリの会」は、その後もたびたびヘリコプターをチャーターして正しい報道を続け、2018年に私が体調を崩したため、その役割に一旦終止符を打ったが、少なくともNHKと民放テレビ局につとめる良心的な報道スタッフと、報道番組の出演者たちは、こんなことで市民に先を越された自分たちが、プロフェッショナルのジャーナリストとしてどれほど恥ずかしい存在であるかを感じたはずである。デモがあるなんて知らなかった、ニュースとして伝え忘れた、ではすまされないのだ。果たして彼らはプロなのか?

◆日本のテレビ番組はプロの域に達しているか?

 NHKテレビは、ここ何年か、しばらく日本政府の使い走り、いわゆる走そう狗くとなって、こうした原発反対デモを一切ニュース報道せずに、その時間帯に上野動物園でのパンダ誕生などのニュースを流して口をぬぐい、「これが報道です」という信じがたい姿勢であった。さらに、福島原発事故の被曝の影響をごまかす番組も、二度や三度ではない。東日本大震災以来の「大地震の脅威」については、2011年12月25日に、NHK−Eテレで高知大学の岡村 眞まこと教授と北海道大学の平川一臣 かずおみ教授がおこなった貴重な調査に基づく大地震切迫の警告を放映したのが唯一の報道である。その後のNHKスペシャルでは、「大地震の脅威」をたびたび煽あおりながら、そこに登場する地震学者が一切、まったく、完全に、ひと言も、原子力発電所の危険性には言及しない、という態度で国民を愚弄し続けてきた。
 この姿勢が痛烈な批判を浴びているのを知ってか、最近では、良質の番組を制作したり、海外のすぐれたドキュメンタリー映像をBSで放映しているかのようだが、ようく見ると、やはり肝心の本稿で取り上げているような重大問題にはふれずに、ほかのニコニコ娯楽番組や、海外からの特集番組で放送時間を食わせて、ごまかしている。折角のNHKスタッフのすぐれた調査能力が、有効に活かされないのでは、プロとは呼べない。
 NHKスペシャルで昨年2018年8月11日に放映された小野文恵アナウンサーの「祖父が見た戦場〜ルソン島の戦い 20万人の最期」は、第二次世界大戦中に日本人がフィリピン人に対しておこなった戦争犯罪を初めて知った彼女の正直な驚きの心情を伝えて、すぐれた番組であった。しかし、その日本人が犯した肝心の戦争犯罪の部分は、あまりにも説明が短すぎたので、もっと掘り下げたドキュメンタリー番組の制作が必要で、終戦記念日だけでなく、日常的に放映されるように知恵をしぼる必要があるだろう。
 NHKに対して民放テレビ局は、基本的にはコマーシャルを提供するスポンサー企業の傘下にあって、放映内容は完全な自由にならないので、「これじゃあ、コマーシャルの合間に、番組が放送されているようなもんだ」と皮肉を言われるほどの番組も非常に多い。TBSサンデーモーニングが犯罪企業・東京電力のコマーシャルを2019年3月現在も流していたのには落胆させられたが、しかし、編集部に気概さえあれば、反政府番組であろうが反戦・反原発の番組であろうが、堂々と制作して、放映できないことはないのである。事実2017年10月8日に放映された日本テレビのNNNドキュメント──「放射能とトモダチ作戦」米空母ロナルドレーガンで何が≠ヘ、東日本大震災の時に津波被災者を救出するため、東北地方の太平洋岸にやってきたアメリカの原子力空母の乗組員ほぼ5000人が、福島原発事故によって放出された大量の放射能を浴びて、大量の男女の兵士が、甲状腺異常、癌、震え、出血、脱毛、下痢、全身の激痛、両脚切断など、きわめて深刻な被曝症状に襲われ、2017年9月までに白血病などで9人の死者が出ている事実を伝え、非常にすぐれた内容であった。このような出来事は、それがいかに深刻であっても、ディレクターの決断さえあれば事実を放映することが可能である。私が知る限り、民放テレビ局には、すべての日本人が見ておくべき大量の貴重なドキュメント記録がある。だが、最近の民放テレビ局の番組では、それらが局内に秘蔵されたままで、滅多に放映されないのは残念である。
 毎日、毎回、このように深刻なテーマのドキュメント番組を放映しろと言っているのではない。月一回か半年に一回、時折でもいいのだ。芸能人もスポーツマンも、眠っていないで、真の文化人として立ち上がれよ!
 反政府番組・反スポンサー番組を放映すれば、先に述べたように「イレブンPM」のスポンサー関西電力が私の出演を阻止しようと動いたように、テレビ局の営業部がただちに日本政府やスポンサー企業からクレームをつけられる。そのため、事前に自主規制が働き、他人ひ と事ごとのような評論でお茶を濁すばかりで、原発廃絶のために「問題を解決しよう」というジャーナリストとしての気力が感じられない。現状、視聴者は、コメンテイターからよき解説を聞かされても、言葉に本気の迫力を感じないのである。
 というわけで、最近は、日本のテレビ報道番組は低劣すぎると思ってほとんど見たことがなかった私が、つとめてテレビを見るようにしたので、日本のテレビ報道について強く述べなければならない心境に至ったわけである。

 まず最初に、「番組の質」を論ずる内容以前のことで、基本的な苦言を述べるので、耳をふさいではいけない。私は、テレビを見るようになった現在でも、テレビ番組のうち、見ている時間帯は主に早朝と、夜だけである。テレビ番組で第一に見たいのは(できれば実話に基づく)「外国の名画」だが、最近の映画評論家は若く、われわれが映画館で見た山のような外国映画を知らない。そのため名画はほんの時折しか放映されず、若い世代の視聴者は名画を知らずに育ってしまう。ほかに私が見るのは、ニュースや事件の真相を伝える「報道番組」と「ドキュメンタリー番組」と、BS11の「世界の国境を歩いてみたら…」のような「外国現地の取材番組」を、資料として録画して見ることにしている。それ以外の娯楽番組やバラエティー番組は、私の感性と波長が合う反骨精神を持った出演者が登場しないので、まったく見ないが、唯一の例外は、日本テレビ(NTV)の「笑点」で、落語家7人が好き放題の人生戯評・社会戯評を展開するのを愉しむだけである。
 そこで、欠陥人間の私が見ているドキュメンタリー番組と報道番組についてだけ述べる。

 テレビ報道とは、「国民の電波」を使用する権利を許可されたプロフェッショナルな職業である。テレビ局の生中継用電波には「航空局の許可」が与えられる。それに対して、私たち「正しい報道ヘリの会」が苦労したのは、インターネット配信用に使う電波は携帯電話と同じ扱いになるので、ヘリコプター飛行中は電波使用が許可されないことであった。したがって私たちが本来目指していたようには、デモを「実況」中継できなかった。ヘリコプターから上空で録画したあとに、ヘリがエアポートに帰着してから、実際のデモに少し遅れてインターネット放映したのである。
 それに対してテレビ局は、プロであるとして、優先して電波を使用し、「実況」中継することが許されている。それなら、プロであるはずの報道番組の編集者とディレクターたちは、プロと言えるほどの仕事をしているのであろうか?
 プロであるなら、テレビ出演者に対してまず最初に、声を出す発声法を指導しなければならない。人間の中で最もすぐれた発声法を体得しているのは、オペラ歌手である。彼らは、マイクを使わずに大劇場の天てん井じょう桟さ敷じきまで歌声を聞かせることができる。歴史的な名画『二十四 にじゅうしの 瞳ひとみ』に主演した名女優・高峰秀子が、「私は自分の発声が気に入らなかったので、オペラの第一人者について、しごかれながら2年間、発声法を習ったので、しっかり発声ができるようになりました。発声・発音のだめな人は、俳優でも歌手でも、直すべきです」と語って、最近の俳優と歌手が、発声の練習もしていないことを批判して2010年にこの世を去った。まさに名女優の彼女が言った通りである。
 テレビ朝日モーニングショーでも、出演している人間のうち、男女を問わず語尾が聞き取りにいことが多く、特に女性コメンテイターは、(明瞭な発声ができるアシスタント宇賀なつみ、コメンテイター吉永みち子を除けば)全員が視聴者に対する喋り方を知らないのである。視聴者が聞き取れないほど自分が早口になっていることに気づかないのだ。報道番組では、早口で話すことがすぐれた特技ではない。視聴者にはっきり言葉を聞いてもらう能力が、重視されるのである。こんな人間は、テレビ番組に出演して社会問題を解説するプロの資格はない。音声だけのラジオであれば、即刻クビになるだろう。
 話しながら、笑い声をあげる人間も非常に多い。笑いながら話せば、言葉が聞き取れないことぐらい子供でも分ることであり、完全失格である。さらに、二人以上の人間が同時に話せば、視聴者には言葉が聞き取れないので、司会者が割って入らなければならない。そうした基本の基本ができないまま、ほとんどの社会問題を解説する放送がおこなわれているのは、驚くべきことである。
 ここで論じているのは、ニコニコ娯楽番組ではなく、報道番組なのである。地震や津波などの災害時に、人命救助の最も重要な役割をになっているのがテレビ報道界である。誰でも聞き取れる発声法で、誰でも分る日本語を使えなければならない。なぜなら、諸君らは、プロなのであるから。
 そしてスタジオ出演者も、ギャラを貰っているのだから、謙虚にならなければならない。
 深夜放送のラジオでディスクジョッキーが、訳の分らない若者言葉を乱発するなら、ラジオのスイッチを切ればすむことだが、テレビ報道で、社会問題を解説する人間として、発声の悪い者は失格である。
 テレビ報道界が、「広瀬隆のような人間に批判されたくない」と思っていることは百も承知しているが、本稿は、テレビ番組を批判することが目的ではなく、日本のテレビ報道が向上することを目的として記述しているので、これぐらいの批判は聞き流さず、聞く耳を持たなければ、ジャーナリストとは言えない。これはテレビ報道に関する非常にレベルの低い、基礎的な話をしているのである。言われた人間は、すぐに自分だと気づくはずだから、ここに名前を挙げることはしない。報道番組のディレクターたちは、スタジオ入りするテレビ出演者に対して、化粧より先に、「発声の指導」をすることが、まず不可欠の基本である。テレビ出演をファッションショーと勘違いして華美な衣装を着てくるバカ女もいる。余計なお世話かも知れないが、見ていて気が散る女性の大げさなイヤリングなどのアクセサリーは、報道番組では取り外させる必要がある。
 NHKのすぐれたドキュメンタリー番組で、有名な女優≠ェナレーションを読んでいた時、「最近の俳優は発声もできないのか」と、腹が立つほど聞き取れないボソボソ声だった例があり、このような録音のままチェックもせずに放映するNHKに、信じられない思いをしたこともある。NHKのテレビニュースを語るアナウンサーは、女性でも男性でも発声はしっかりして、私の耳でもきちんと聞き取れるのだから、発声もできない有名女優に高いギャラを払ってナレーターに使う必要など、まったくない。
 最近は若手漫才師や、NHK海外ニュースの同時通訳も、言葉がよく聞き取れない人が多く、「話し方が下手になったなあ」と感じさせる。若手漫才師は、落語家に発声法を習って、話芸の修行が必要である。

 もう一つ、テレビ報道の本質論を語る前に、テレビ報道番組で頻繁に使われる言葉で、いつも気になる例を挙げておく。出演者(と新聞)が最近「SNS」の言葉を頻繁に使うが、SNSは、social networking serviceの略であって、この略語で重要な単語はネットワークだけである。つまり誰もが分る言葉で言えば、SNSはインターネットを利用するさまざまな通信手段である。この英語を正確に書ける人間はほとんどいないくせに、何も、偉そうに新略語のSNSを使って、そうした通信手段を使わないジイサン・バアサンの高齢者を惑わす必要はないのだから、「インターネット」や「ネット」と言えばすむではないか。テレビ放送している国は、ここ日本なのだから、絶えず作られては消えるアルファベット略語は、極力使わないようにするべきである。
 こういう話をするのには、文化的な理由がある。実は、私は1960年代に大手企業の研究所で半導体材料の開発エンジニアだったが、1972年に退社後は日本の公害被害を海外に伝えるため、プロの英語・フランス語の翻訳者になる道に進んだ。そして主に医学書の翻訳を引き受けて医学を基礎から学び、そこから入って原子力の放射能被曝問題に取り組んだ。だがそれだけでなく、かつて技術者だった経験を活かして、大手企業から依頼される技術科学文献の翻訳も大量に引き受けた。時代はIBMがコンピューターを大量に普及させようと日本に乗りこんできた時期にあたり、当時、初心者向けの数百頁におよぶコンピューター・マニュアル≠フ膨大な用語を日本語に翻訳することをIBMから任されたのが、私であった。パソコンを使う人がご存知のように、現在のコンピューター用語はほとんどが英語になって初心者には実に不親切な世界だが、たとえばインターネットで何かを探すことを「検索する」というように、わずかながら日本語が残っている。私は日本人の初心者向けに、膨大なコンピューター用語についてそうした適切な日本語の辞書≠作成して納めたが、IBMは私に大金を払いながら、アクセス、ダウンロード、タスクバー、ディスプレイ、アイコン、フォルダー、マウスのように英語を汎用する方針に切り換えてしまった。なぜかと言えば、アメリカ合衆国の文化である英語≠全世界の人間に使わせることによって、フランス語やドイツ語、スペイン語、イタリア語を駆逐することが、その頃のアメリカの重要な政治・経済的戦略となったからであった。そのため英語を極力避けていた文化プライドの高いフランス人も、ついにコンピューターの世界から英語の侵入を許してしまい、フランス語が駆逐され始めたのである。私が目撃したそうした体験を基に日本人に警告したいのは、「インターネット」や「テレビ」のように基本的なカタカナ英語を使うことをためらう必要はないが、新聞記者とテレビ報道界が「SNS」のような略語を安易に使うと、一体それが何の略語かと調べなければならないので、そこから英語が侵入し始める。こうして見えない裏の世界から、日本語の佳き文化が英語に食われてゆく危険性が潜んでいて、アメリカが目論んでいる経済的侵略を不用意に許すからなのである。
 それから、「インスタ映ばえ」がすると言う人間も多いが、私のように流行語に関心のない異邦人には通じない。「見ばえがいい」とか「写真写りがいい」という、昔からの言葉を使って、誰にも分るように話すのがプロである。
 私が何を言おうとしているか、テレビ報道界はお分りだろうか? 私は、第一話から述べてきたように、これまでは、俗悪なものとしてまず見たことがなかった日々のテレビ・ニュース報道番組に対して、死の体験者となってから考えを改め、独り合点でものごとを思索してきた自分の落ち度に気づくかも知れないと考えて、つとめて見るようにした人間である。これまでの「書籍人間」が、そうした「テレビ人間」に変化した時に、非常に奇妙に思えたことがテレビ上に展開され、このように当たり前のことを誰一人指摘しないので、テレビ局に嫌われてもよいから、報道界が自分の落ち度に気づくように、伝えておくべきだと考えている。
 テレビ番組で使われている汚い日本語については、山のように文句を言いたいが、この先はテレビ局が自分で考えるべきことなので、ここらでやめておく。さて以上は、放送する人間が身につけておくべき基本の、きわめて低レベルな話であり、これから本質的なジャーナリズム論を語ることにする。
 テレビを見ない私が、テレビ朝日の羽鳥慎一モーニングショーの番組をなぜ見るようになったかと言えば、偶然にこの番組をつけた時に、出演していたコメンテイターの元プロ野球選手・長嶋一茂かずしげが、普通の人間の言葉で、ニュースに出てくるバカ者に対して「こいつはただのバカだ。アンポンタンだよ」と言いながら決して下品にならずに、「俺は……と思う」と言い切り、難しい社会問題についても遠慮せずにズケズケと物を言っているのに共鳴・感嘆したからである。私も講演会では、差別用語を使って政治家たちを平然と罵倒するが、テレビ出演者は、社会問題では、躊躇せずに、政治家と刺し違えるぐらいの気魄で、強い批判の言葉を口にしなければならない。長嶋一茂という人物と、私の思想信条はまったく違うと思うので、彼に迷惑がかからないよう彼の話の中身については言及せずに断っておくと、彼の物の言い方がストレートで、魅力的に感じ、テレビ解説者は臆せず、彼のように正直になるべきだと感じたからである。
 それがきっかけでこのモーニングショーを毎朝見るようになり、司会者の羽鳥慎一がさまざまなすぐれた技術開発者・発明者を訪問して日本の新技術を紹介する姿に共感し、そこに鋭い言葉で口を挟むレギュラー・コメンテイターの玉川徹のやりとりに耳を傾けるようになった。特に羽鳥慎一が、「玉川さんには訊きいていません」と言って黙らせるような、軽妙なやりとりがごく自然で、ほほえましく見えた。日本各地を訪れて地元文化を紹介しながら思想信条を感じさせるアシスタント女性・宇賀なつみ、時事解説に大活躍するキャスター・野上慎平という軽妙なコンビが加わって、このショーのニュース報道を支えていた。そのうち私は、早朝4時ぐらいからニュース報道がスタートし、モーニングショーが朝8時という早い時間から、これだけ毎日の事件を分りやすく解説するには、前の晩か夜中から準備をするのに、編集部はどれほど大変であろうかと、頭が下がるようになった。確かに、報道番組として、よくできている。もし私がコメンテイターで、知らないことを尋ねられれば黙秘してパスするのに、出演しているすべてのコメンテイターが、政治問題から時事ニュース、芸能界のどうでもいい話題にまで意見を述べる、この図々しいほどの「特異な能力」には驚くばかりだ。

 しかし放送内容から見ると、必ずしもこの番組と、レギュラーの玉川徹を支持するわけではない。彼らの評論を聞いていると、どうも「道具の進歩」を賞讃する人種であるように感じるが、私の聞き違いであろうか。5年後、10年後の社会全体をロボット化する道具、すなわち人工知能ともてはやされるAI(artificial intelligence)≠ェすぐれたもので、いずれ社会のすみずみまでロボット化が普及する時代が到来する、という宣伝を、何のためらいも疑問も持たずに信ずる新興宗教の信者であるなら、電気自動車や、無人運転自動車が普及する、と信じる知恵の足りない集団と同じである。
 冗談ではないが、社会全体をAI化(ロボット化)すれば、福島原発事故の大惨事を契機として電力消費を減らそうとしてきた努力を、日本の産業界が忘れ、AIによる機械化によって、とてつもない量の無駄な電力を消費するようになる。加えて、ちょっとした停電があれば、工場でもオフィスでも一切がストップして何もできなくなる。最大の問題は、機械化された職場が次々に人間を馘くびにするので、若い世代に膨大な数の失業者があふれ出ることだ。何のための社会なのだ? ただでさえ現在の大学生が面白半分でロボット開発に熱中して、自分たちの未来に墓穴を掘っている時代である。人間ができることをロボットに置き換えることは、進歩ではない。その必要はまったくない!
 AIというのは、今の時代に生まれた格別な技術ではなく、1960年代に品質管理を重視した工業界が、製造ラインに機械化を採用し、そのコンピューター頭脳に、人間の思考法と行動を学習させることによって、段階的に応用範囲を広げて進歩させてきたものである。それを必要とする分野は、やむなく障害者となった人の手足にとって代る便利な道具の開発に見出せるので、そうした分野では広めればよい。しかし、たとえば医療分野で、不必要なところに過度のAI化を進めれば、医者が機械に頼りすぎて、やがては患者の体を直接観察しなくなり、病人の苦痛を見逃すケースが出るようになる。便利さの利益より、人間そのものの能力をかえって減退させる害のほうが大きい。人間はバカなので、ほっておいてもどうせAI化が広がるに決まっているから、私はAI信奉者は重犯罪者であると執拗に批判し、足を引っ張るつもりである。
 また、電気自動車とは、電気モーターで走る自動車である。モーターそのもののエネルギー効率は高い。ところが、発電効率がわずか3割程度の発電所から送られる電気を、バッテリーに蓄えてから利用するのだから、大容量バッテリーをフル充電するための充電器そのものが大量の電気を消費する。つまり電気自動車とは、もともと大都会の大気汚染を防止することを目的として開発された自動車だが、電気自動車に電気を送る発電所が超危険な原子力発電所であっても、発電所が大気汚染物質を放出してもそうしたことには無頓着なので、どこがクリーン≠ネのかまったく分らないという無責任きわまりないテクノロジーである。日本国内の自動車のうち半数の4000万台が電気自動車になれば、日本の総電力の30%を消費してしまうという計算もある。加えて電気自動車の命であるリチウムイオン電池は、原料のリチウムが稀少金属なので世界的な消費には向いていない上、充電・放電を数年間くり返すと老朽化が著しく、規格通りの走行距離が出なくなり、バッテリー交換に多額の費用がかかる。そのほかドライバーの好みから見ても数々の問題があり、全体のコストから計算すれば、ガソリン・エンジンやディーゼル・エンジンのほうが、はるかに安価で効率が高い。
 結論を言うなら、電気自動車の普及は、電力消費量を増やしたい電力会社と原子力産業の謀略だったのである。それは、原子力王国フランス → ルノー → カルロス・ゴーン → 日産 → 三菱自動車 → 電気自動車のコネクションを見ていて、明確に分ることである。したがって、JR東海が熱中して最後に失敗することが確実な無用のリニア新幹線と同じで、今後減らすべき電力消費量を増やす電気自動車の普及に、私は絶対に反対である。
 もうひとつ、無人運転の自動車も、自動車が誕生して一世紀たった今も自動車の不良品回収が果てしなく続く「リコール事件」を見れば分るであろう。不完全な無人運転車が路上を走りまわれば危険きわまりなく、完璧な無人運転の技術など存在するはずがない。その技術は、交通事故を減らす目的で自動運転の技術を有効利用するにとどめるべきであり、実際の自動車は無人運転であってはならない。これらの普及を推進する新興宗教の信者たちは、世間のごく一部の噂を吹聴しているだけで、ノーベル経済学賞の受賞者並みである。自分の頭脳を使った思考力で解析していない。
 社会のロボット化をほめそやす人間が多いが、ロボットを見れば分るように、子供ができることを「機械がやった」と喜んでいるだけで、ただのアホである場合がほとんどだ。それより、「人間が過度の機械化からできるだけ離れるよう心がける」ことによって、日常どれほど多くの人が、人間として心のこもった協力と助け合いをするようになるかを想像してごらんなさい。東日本大震災が起こって、あの大悲劇の中で人間が助け合った時を思い起こしても、ロボットを開発するより、人間の心やさしさを知っておくことのほうが、よほど大切なことだと思う。私が本稿の前半で、隣国の韓国/北朝鮮との友好を強く訴えたのは、そうした関係を持って生きなければ、日本人の人生は面白くないと感じるからである。ところが日本のテレビ報道界が、韓国/北朝鮮に対してそれと正反対の「喧嘩」を売って楽しんでいるのは、あまりに子供じみて大人げない。
 テレビ報道界はまた、ロボットに投資するソフトバンク会長・孫正義を大物実業家として持ち上げるが、それはテレビ・コマーシャルのスポンサー企業だからである。孫正義は、2011年の福島原発事故の直後には、「原発反対」のようなスタイルをとってみせたが、あの男は大嘘ツキであった。2016年4月1日からスタートした電力自由化では、「日本最大の公害=福島原発事故」を起こしながら新潟県・柏崎刈羽原発を動かそうと目論む犯罪企業・東京電力とソフトバンクが提携して、携帯電話料金と抱き合わせで、安価な料金メニューを提示し、これまで市民を欺いてきた偽善者であることが明らかとなった。そもそも孫正義のパートナー東京電力は、福島の事故対策費と被害者に対する賠償金などで完全に経営破綻し、国税を注いで形だけ生き延びてきた企業であるから、同社の資産はわれわれ国民の血税である。福島の事故処理コストが総額70兆円に達する見通しで、それを国民が負担していることぐらいは、テレビ報道界も知っているはずだ。さらに茨城県の危険な東海第二原発の再稼働を後押ししているのも、東京電力が日本原電に注入している資金(税金)なのである。その巨大な血税を流用しても、もうけようとするソフトバンクは許しがたい会社であり、この態度に象徴されるように、金、金、金で生きるソフトバンクの強欲な孫正義をかつぎあげ、「ソフトバンクと東京電力」が並んでテレビ朝日モーニングショー直前のコマーシャルに登場する姿は、醜いにつきる。このようなメカニズムによって、最大の悪事をまったく批判しないのが、現在の日本のテレビ報道界なのであろうか?

◆編集者の気概と読書人の気概があって初めて、書籍を売ることが可能になる

 私は、ごく少数の例外を除いて、インターネットを通じて広まっているほとんどの記事に誤記があることを確認しているので、基本的には署名のないインターネット記事をまったく信用していない。出版社で私の原稿をチェックする校閲の担当者には、「絶対にWikipediaのようなインターネット記事を参照しないこと」を要求し、私自身もほとんど利用しない人間である。しかしここまでお読みいただいたように、今でも「えっ、スマホって何のために必要なの?」、「フェイスブックって何なの?」、「ラインって何?」、「なぜツィッターを使うの?」と尋ねるほど世間知らずで欠陥人間の私が、決して無知でもバカでもなく、むしろこの「異邦人」の思考力のほうが、社会より一歩先を歩いていることはご理解いただけるであろう。かつてはコンピューター開発エンジニアのはしくれだった人間として言わせてもらうと、日本の社会と全世界で、噂話や井戸端会議に毛の生えた程度の、当てにならないインターネット記事が、テレビ報道の世界と複雑にからみ合って、真の読書人口を減少させている。そこに、語るべきジャーナリズム論がある。
 最近では、本屋さんでまともな書籍があまり売れなくなって、出版業界が苦境にあることは知っているが、ここまできたか、という痛恨の思いがするほど、まともな本が売れない。その最大の原因は、インターネットの普及にある。私自身の書籍について言えば、編集者の気概と、読書人の気概があって初めて、過去に数百万部の書籍を売ることが可能になったのであって、私自身だけの努力では絶対に成し得ないことを可能にしたのは、インターネットに頼らない人たちの持つ読書力があったからである。

 日本の反公害運動・反戦運動・反原発運動の中にいた私が、誰よりも幸運だったと感じて自慢できることは、私の知人・友人に、格別に頭のよい人間がいて、知恵が働き、行動力にすぐれた先人が、私に絶えず数々の事実を教えてくれたことにあった。
 しかし時には、そうした市民運動の仲間が、『ジキル博士とハイド氏』の二重人格かと疑われるスキャンダルで告発され、罪のない多くの人を巻きこむこともある。その種の個人的な℃膜盾フために、われわれ市民運動全体が萎縮してはならないと心して、本稿を書いている。
 私は過去40年間にわたって、優秀な人たちが調べて、彼らが語る言葉を聞いて、それが時には「難解だ」と感じた。だがその時、私が彼らの言葉をすぐに理解できないのは、こちらの頭が悪いからではなく、彼ら頭のいい秀才たちが己の専門用語に陶酔しているだけで、彼らに追いつけない私のほうが人間としてすぐれていると考えた。つまり、専門家の言葉を私が徹底的に調べ直し、できる限り分りやすく翻訳して人々に伝えるようにすれば、「私に理解できることは、誰にでも理解できるはずだ」という理屈である。
 こうして私は、専門家の有能な代理人のメッセンジャーになろうとした。そのため、スライドの図解に工夫し、資料集めには人一倍の努力を重ねてきた。ジャーナリストは、そのように、優秀な人たちの代理人になって、「民衆のために重要な真実」を分りやすく伝えればよいのである。ある時には書籍で、ある時には学習会で、ある時には講演会で、ある時にはデモと集会で、ある時には報道界で、ある時には少数の信頼できるインターネット・サイト上≠ナ……それはちょうど、テレビ報道番組の解説のように分りやすくおこなえばよいのである。

 しかし講演会とは条件が違って、書くことが量的に自由な書籍の場合は、本を売るとなると、出版社が経済的に採算がとれなければ、話にならない。採算がとれないと、本が出版されない地獄に陥ってしまうので、出版社の編集者は、腹を決める度量と、人間としての特別の気概と見識が必要になってくる。その意味で、反骨的な私の書籍を、長い間、絶えず支えてくれたのは、この編集者たちであった。しかし書籍が出版されて書店に並んでも、次に、気概ある読者がそれを買って読んでくれなければ、悲惨な結末になる。これが、過去にないほど、現在の出版界を襲っている危機なのである。
 さてこの時、ニワトリが先か、卵が先か、という問題がある。
 書籍が売れなくなった原因がどこにあるかと言えば、私の立場で考えるなら、書き手が「読み手にとって買う価値がある本」を書いているか、という私自身の責任が問われる問題である。下らない本ばかりを出版して、それで書籍が売れなくなったなら、それは、われわれ書き手の責任である。しかし最近、書籍が売れないのは、書き手の責任もかなりあるが、どう見ても編集者や書き手の責任だけ、ではない。購入する読み手の側に、インターネットに頼りすぎる社会の脆弱さがあるのだ。多くの人が、書物を読む落ち着きを失って、すぐに答を出そうとインターネットに目をやってしまう。
 そのインターネットが、テレビ報道の世界と複雑にからみ合っている。テレビ報道を聞いていると、しばしば「……のニュースがインターネットで広まって……」と言いながら、自分たちテレビ局がインターネット記事を一生懸命に広める手伝いをしている。
 そのように軽薄なインターネット記事ばかりに時間をとられる人間がますます増えた結果、内容の濃密なすぐれた書籍や、すぐれた雑誌記事が無視され、日々の新聞記事が軽視されて、若者が新聞さえ読まない現象が横行しているのである。さらには新聞や雑誌どころか、テレビ報道番組さえも見ない人間が増加しているという。
 テレビ朝日モーニングショーは、すでに述べた韓国/朝鮮問題で、デスクやディレクターが、不適切で悪質な解説者を選択する問題を除けば、ある程度すぐれたニュース報道番組だと思うので、これを例に引くと、テレ朝モーニングショーの編集部は、ニュースに関しては、各紙の朝刊の記事を引用しながら解説している。それと同時に、事件などに関して、世界各国のインターネット画像を、頻繁に引用している。
 テレビ視聴者はこのようなテレビの報道姿勢に慣れているようだが、私から見ると、すぐれた新聞記者が苦労して調査した内容を、テレビ局は盗用して(パクッて)いるのである。この言葉は、私が言っているのではない。あるテレビ局のアナウンサーが、かなり以前のことだが、「この頃のテレビ報道はおかしい。私たちは新聞や週刊誌の記事を裏付け調査もせずに盗んでいるだけなのではないかと、自分がジャーナリストとして疑問に思うことがあるのです」と、私に言ったので、ここに記すのである。
 モーニングショーの場合は、新聞記事や週刊誌を参照しても、解説者がそれを別の視点から解析するので、悪意を持って新聞や週刊誌を選択しなければ、それはそれで正当なジャーナリストの姿勢であると言える。しかしインターネットから直接引用する場合は、出典と責任者が明らかな新聞や雑誌・週刊誌の記事に比べて、さらに報道の信憑性が低くなって、噂話か流言蜚語、ひどい時には「飲み屋の愚痴」に近くなる。 
 では、テレビ報道問題の本質はどこにあるのか?
 テレビの報道番組そのものが、日常の雑多な事件を面白おかしく混入させて時間をかせぐため、本来報道すべき重要な問題にまったくふれずに、自分たちジャーナリズムの義務を果たさずにごまかしている、と言われる。私から見ると、まったく興味のない山のような事件や現象を毎日のように解説し続けている。これが、視聴者に見えないテレビ局の裏世界で進行する「自主規制」の問題なのである。
 またスタジオの司会者と出演者には、問題の真相と深層を知らないまったく不適格な人間が多すぎる、と言われる。
 テレビ報道界に対して大変失礼な言い方になるが、はっきり結論を書くと、日本の報道番組は、ショーの価値しかなく、重要な報道目的に限るならば、体を成していない。報道スタジオのディレクターがたまたま選んだ出演者(司会者・解説者・コメンテイター)の「感覚的な意見表明」の場にすぎないのであって、「夥しい事実(英語のFACT)の集積の上に、正しい結論を導く」場になり得ていないのが現実である。つまりスタジオで出演する解説者とコメンテイターは、司会者に意見を求められると即座にその質問に答えるのが、テレビ報道番組である。その時、司会者に指された者は、いかなる問題に対しても答えているが、しかし解説者やコメンテイターが、重要な問題に関してその質問に答える能力と知識を持っていないことは明白である。したがって、未熟な知識と体験によって導かれるその間違いの意見が、社会を誤った方向に誘導している。
 具体例で言えば、まず第一に、韓国/朝鮮問題について、本稿前半の第一話と第二話で述べた内容を、自分の知識・見識としてすべて正しく理解し、体得している日本人が、この国にいるだろうか。朝鮮半島における南北朝鮮の歩みと現代史を正しく理解している日本人は、テレビ報道界にはまず絶対にいないと、私は断言できる。またテレビ報道番組で説明用のパネルなどを準備させる編集部・デスク・ディレクター・プロデューサーも同様に、韓国/朝鮮問題について、事実に基づく知識を持っていないことは明白である。その結果、すべての司会者や解説者やコメンテイターが、日本政府が敷いた「誤った歴史認識キャンペーン」のレールの上に乗って発言したために、彼らが日韓関係を悪化させたのである。
 その時、私の知己であるすぐれた弁護士の人たちは、少なくとも強制徴用労働者(徴用工)に対する賠償裁判の判決を正しく解説することができるが、これら朝鮮半島における南北朝鮮の歩みと現代史を完全に理解した人が、テレビ報道番組のスタジオに出ることは、まずあり得ない。テレビ局の幹部が安倍晋三・首相官邸の政治家と食事を共にするほどの関係を結んでいるので、「国政に関与することについては、まず政府に尋ねてから放送しなさい」と言われているはずである。かくして、一日の報道の始まり≠ナある番組のテレ朝モーニングショーが、政府の手先である武藤正敏を解説者に迎え、まともな人はスタジオに呼ばれない。これでは、最初から日本の全テレビ局が脱線して、間違った方向に踏み出してしまう。現在は、そのように「知識のない人たち」が集まってテレビ報道番組のショーを放映しているのである。
 第二に、「ノーベル賞の空虚な権威主義」と、「東京オリンピックの底ナシ腐敗」と、「大阪万博と原発問題」と、「大地震が切迫しながら二酸化炭素温暖化説の嘘≠ニいう巨大な落とし穴にはまった日本」について、テレビ報道番組のスタジオで語れる司会者と解説者とコメンテイターもまた、日本には絶対にいないと、私は断言できる。出演者はみな、先ほど私が示した数々の事実を自分で調べたことさえない、無責任なシロウトである。東京オリンピックと大阪万博≠ニ二酸化炭素温暖化説の嘘≠ノ共通する問題は、国民の7割が反対している原発の運転であるというのに、それほど重大な問題について、積極的に正しい解説をできないのが、テレビ報道の現状である。
 つまり、テレビ報道番組は、一体、何のために存在するのか、という大きな疑問をもって、私が本稿に、日本に住むすべての人向けに「正しい事実」を書き始めた動機はそこにある。ここまで記述したのは、そのうち、ごく当り前の大きな問題だけを取り上げたので、以下には、もっと違う視点から国際的な人脈について、述べることにする。
 シェイクスピアの舞台劇『ハムレット』では、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と、ハムレットが音に聞こえた台詞せりふを語るが、これは英語の“To be, or not to be: that is the question.”の名訳である。それをもじって、“TV, or not TV: that is the question.”──「テレビを見るべきか、見ざるべきか、それが問題だ」という名文句がある。シェイクスピアのハムレットと同じ韻いんを踏んだこの絶妙な替え言葉を考案したのは、一時代前のアメリカのウィットに富んだ学生だが、これほど現代人に贈るにふさわしい言葉はない。「テレビをつけるべきか、静かに本を読みながら時を過ごすべきか」、それは実際われわれ人類にとって深刻な問題である。物事を深く考える人間にとっては、重大な問題について語られるテレビ報道が、あまり役に立っていないことが多いのである。ところが今や、そのテレビ報道を追い越して、インターネット・マニアが一層深刻な問題になってきたわけである。
 電車に乗ると、驚くべき高い割合で、ほとんどの人がみな、スマートフォンの画面をのぞきこんでいる。つまり大衆が、インターネットに掲載されるごく短い記事に満足してしまい、そこから、全世界に進行している深刻な問題の現実を見誤って、人類が断崖から落ちるような事態に直進している、と疑われる現象だ。
 あたかも中世のヨーロッパで、ハーメルンの笛吹き男≠フ伝承にあるように、子供たちが笛吹き男のあとを追って、ついていったまま帰ってこなかったように、インターネットの幻想にとらわれている人類の姿が見える。

◆ジャマル・カショーギ惨殺事件とダイアナ妃黄金伝説

 具体的に、最近のひとつの事件を取り上げて解説してみれば、読者も理解できるはずである。
 ちょうど私がリハビリ中にテレビを見ていて、2018年10月2日に、「おやっ」と思う事件が起こった。サウジアラビアのジャマル・カショーギ記者が、婚約者と結婚する手続きのため、トルコのイスタンブールにあるサウジ総領事館に入ったまま、サウジから送りこまれた15人の殺人部隊に殺され、遺体が切断されて処分されたのである。この事実が、トルコ政府が盗聴した領事館内の音声記録をリークした情報によって明らかとなり、国際的な大事件に発展した。このおぞましい猟奇的殺人をサウジ政府が認め、18人の殺人容疑者を拘束したと発表したのは、ようやく10月20日であった。ところが殺人指令を出した容疑が最も濃いサウジのムハンマド皇太子の名前は、サウジ政府から殺人容疑者として挙げられなかった。しかし、誰からの指令もなしに15人もの殺人部隊が動くことは絶対にあり得ないので、アメリカのCIAはムハンマド皇太子が殺人を命令したと結論づけた。ムハンマドのビジネス・パートナーがソフトバンクの孫正義であった。
 ざっとこのような報道で、全世界が満足して、事件に幕を引いたのではなかったか? 
 しかし読者は、このまま満足してよい事件だと、お思いであろうか!?
 日本ではジャマル・カショギという名で報道されたが、この名を耳にした時の私は、すぐに、その人物は、世界最大の兵器商人アドナン・カショーギの近親者ではないか、と思って調べてみたら、その通りであった。このアラビア語の名前を英語で書くとKhassoggi で、この正しい読みは、カショギでもカショーギでもなく、ハショクジらしいが、本稿では以下、広く通用してきたカショーギの読みを使う。
 殺されたジャマル・カショーギ記者と、世界最大の兵器商人アドナン・カショーギが、重要な姻戚関係を持っているのだから、最初からそこに焦点をあてて議論するべきだったが、日本のテレビ報道では、しばらくたってからようやく、申し訳程度にふれる人間がいただけであった。そればかりか、世界中で膨大な数の人が調査の資料に使っているインターネットの情報サイトWikipedia ウィキペディア(英語版)≠ェ、「ジャマル・カショーギは、アドナン・カショーギの甥である」と、明らかな間違いを記述し、また「一族はユダヤ人の末裔である」と、根拠不明のことを記述していた。これほどいい加減なWikipediaを頼りにして、殺人事件を解説しているのが、全世界のジャーナリズムなのである。Wikipedia(日本語版)は以前から、インターネットを批判する私に激しい敵意を抱いているので、こう書けば、今度は私に関する根拠不明のデタラメ批判をおこなうはずだが、インターネットのWikipediaが、ジャーナリストとしてよろしくないのは、書き手の責任者の名前を出すことなく、平然と他人を批判したり論評していることである。インターネット利用者は、「書き手不明の無責任な記事はすべて信用できない」と、最初から断定して無視する態度をとるべきである。
 さて以下の物語は、イギリス皇太子妃の「ダイアナ妃黄金伝説」であるが、読者は、そこに世界最大の兵器商人アドナン・カショーギが登場していた史実をご存知であろうか。書籍とテレビ報道の大きな違いを、以下の記述から読み取っていただけるであろう。
◎皇太子妃ダイアナ交通事故のミステリー
 マスコミの世界には、年末に1年を回顧して、地球上をぐるりと見渡し、国際的事件にランクづけをおこなう習慣がある。1997年の10大ニュース第1位は、パリの高速道のトンネル内で死亡したイギリス王室ダイアナ妃の自動車事故であった。
 皇太子チャールズと離婚したあとに死亡したので、この時点での彼女は、新聞の表記に従えば元″c太子妃だが、ナポレオン皇帝、暴君ネロ、秦しんの始皇帝とは言わない。元≠竍前≠つけるのは、文章の流れを阻害する悪しき形式主義である。正式な肩書としても、ダイアナ妃がチャールズ皇太子と離婚後も妃殿下(ハー・ロイヤル・ハイネス)≠フ称号を維持することをエリザベス女王が認めたと、当時のイギリス紙が報道していたので、本稿では一貫して、ダイアナ妃と書く。
 この事故は、何年にもわたって皇太子夫妻がイギリス・ゴシップ界をにぎわせたあとに発生したのだが、不思議と怪奇と謎のかたまりのようなミステリー事件であった。
 1996年8月28日に皇太子夫妻が正式離婚して、ほんの1年後(1997年8月31日)に彼女が死亡したため、かなり衝撃的な事件となった。総じて言えば、死者のダイアナ妃に対して報道が好意的だったことは、人間の心やさしさとして当然であった。また、彼女が恋人と一緒に乗っていた自動車を、醜悪なゴシップ・カメラマンたちがオートバイで追跡し、そのパパラッチ≠ニ呼ばれる大金目当ての変質者的行動が、ダイアナ妃を死に追いやったと、全世界から非難が集中した。 
 男女のゴシップ追跡は、写真家として下の下の行為である。その非難には、誰しも同感であった。パパラッチ≠こう非難しながら、全世界ほとんどの人間が先を争ってゴシップ記事を読むのは、不思議なことだが、実は、ダイアナ妃の死亡事故そのものが、数年来のゴシップ記事のクライマックスを成していたのである。そして、ダイアナ妃の葬儀では、ゴシップを追ってきたパパラッチに代って、彼らの記事をむさぼり読んできた全世界の人間が、葬儀参列者の数を数えながら次第に興奮し、自らゴシップの主役を演じていたのだ。
 大事件発生後、そうした報道の勢いに乗って、それ以上に私の理解を超える不思議な論調が、続々と海を渡ってやってくるニュースの中にみられた。
 イギリス国民の中から、「エリザベス女王は、ダイアナ妃の死に対して冷たい」と、批判の声がわきあがったのだ。この批判は、どう考えても首をかしげざるを得ない。説明するまでもない。女王はチャールズ皇太子を産んだ実の母親である。ダイアナ妃が貞淑を絵に描いたような女性であれば、その批判も当たっている。しかし、自分の息子をほったらかして、ほかの男とべたべた熱愛中で、心中同然の形で最期を遂げた嫁さんに、思いやりを持つ母親が、この世のどこにいるものか。ダイアナ妃は勝手に死んだのに、エリザベス女王にとっては合点のゆかない言いがかりで、とんだ災難であった。
 さらに、ダイアナ妃の生前の善行が、洪水となってマスコミにあふれた。さまざまな施設を訪れて病人たちを励ましたダイアナ妃……地雷廃止を訴えてきたダイアナ妃……などである。それを、中傷するわけではない。が、別の視点もある。
 皇太子妃の立場にあれば、全世界ほとんどの王室や皇室の関係者と同じように、本人の意志とは関係なく、そうした施設を慰問することになっている。むしろ、彼らが、訪問して初めて庶民生活の現状を知るのは、大昔の童話『王子と乞食』に描かれた通りで、まったく困ったことである。ダイアナ妃は、慈善事業への寄付を呼びかけたことで慈善家として名を挙げたが、ダイアナ妃の一家がオルソープに所有した湖つきの大邸宅などは、庶民生活とかけはなれたとんでもない資産だから、それを売り払えば慈善事業の寄付を集めずに大金をすぐに得られるではないか。それをしない人間は、慈善家ではなく、偽善家と呼ばれるべきだ。これこそ先述のオリンピック貴族の世界である。
 地雷廃止はどうだろう。地雷が問題になるのは、戦乱が終ったあとにも、畑を耕す人の脚を吹き飛ばしたり、罪もない子供を殺したり、すべての人の日常生活に支障をきたすからである。戦争当事者は、敵も味方も、自分たちがおこなった戦争の愚かさを、十字架として背負ってゆかなければならない。
 地雷廃止や核兵器廃絶、生物化学兵器廃絶は、きわめて重要である。こんな危ないものは、国際会議など開かずに、早くなくせばよいのだ。ところが! 過去の戦争の死者と負傷者の99パーセントは、その地雷と核兵器と生物化学兵器を使わない場合、つまり通常兵器によるのである。その通常兵器について、最近ほとんど議論されないことが、地球上で最大の問題なのである。いや、この問題は、以下のように、ダイアナ妃に責任の一端があるのだ。
 現在、戦乱が最も多いアジア中東各国は、地球上の兵器輸入の大半を占めるまでに悪化している。それを販売する兵器商人と軍需産業のすべてに批判を向けなければ、意味もない。
 そこで、ダイアナ妃にまつわる、気がかりな数々の事実に目が向いてゆく。
 一体どのような兵器商人が人間を殺すための戦争を引き起こしているかについて、雲をつかむような現象を報道し、高速のコンピューターでインターネット通信を重ねても、ニュースはただ時間を空費するだけである。こうした場合われわれは、時間というものを、「正確な事実」と「ソクラテスの知恵」に置き換えなければならない。
 まず、ダイアナ妃とは何者か、というところから、古い書籍の調査をはじめる。

◎兵器商人カショーギのコールガール組織
 ダイアナ妃が何者であったかを説明する。
 イギリスの8代目ジョン・スペンサー伯爵と、ファーモイ(フランス読みフェルモワ)男爵家のフランセス・ロシュは、恋に落ちた。当時、全世界で大ヒット中のポール・アンカの歌があった。ダイアナよ、どうか私を見捨てないで=gOh! Pleasestay by me, Diana”……やがて2人は結婚式を挙げ、女の子が生まれたのは1961年7月1日のことであった。
 この世に呱々こ この声をあげた三女がダイアナ・フランセス・スペンサーと命名されたのは、フランク・シナトラにマイ・ウェイ≠捧げたポール・アンカが、このダイアナ≠ヒットさせた4年後のことであった。

 さて、彼女の生みの母フランセスは、ダイアナが7歳になると、早くもマイ・ウェイ≠歩みだし、スペンサー伯爵と離婚して、たちまち別の男ピーター・シャンド=キッドと再婚してしまった。だが、ダイアナの父スペンサー伯のほうも負けてはいなかった。レイン・マッコーコデールという女に言い寄ると、こちらも再婚したのである。ところが、ダイアナの継まま母ははとなったこのレインは、伯爵の財産を売り飛ばして散財の限りをつくす女で、みなから酸性雨と呼ばれるようになった。
 英語で書けば、Raine という名前なので、ヨーロッパの森林を枯らす酸性雨──英語の acid rain (アシッド・レイン)──にひっかけたあだ名であった。
 散財する妻を嘆きながらスペンサー伯が1992年にこの世を去ると、自由の身となった酸性雨は、1年後にたちまちフランスの女たらしジャン=フランソワ・ド・シャンブラン伯爵と結婚した。しかしこの55歳の伯爵は、そのとき別のアメリカ女性と離婚したばかりで、慰謝料の支払いに困り果て、金目当てに8歳年上の女、63歳の酸性雨をひっかけたのだ、と報じられた。
 しかも当のダイアナの長姉セーラは、生まれた時からエリザベス女王が庇護者となって、この酸性雨が降り注ぐ継母 ままははの生家マッコーコデール家に嫁ぐ、という乱脈をきわめた一家であった。このように立派な環境に恵まれたダイアナは、ある日、めでたく華燭の典をあげ、チャールズ皇太子妃となった。
 さてダイアナ妃の弟も、同名のチャールズだったが、こちらは後年の9代目スペンサー伯爵で、アパルトヘイトが続く南アフリカ(南ア)で、父親譲りのダイヤモンドや金銀の利権をむさぼり続けていた。ダイアナ妃が事故死したとき、弟のチャールズが南アのケープタウンから悲しみの談話を語ったのは、そのためである。そのあと、ロシア最大のダイヤモンド会社「サハ」が、同社の64カラットの巨大なダイヤを、事故死した悲劇の皇太子妃に因んで「プリンセス・ダイアナ」と命名すると発表した。さらにダイアナ妃の死のほぼ2ヶ月後、南アから世界のダイヤ市場を支配するロスチャイルド財閥の「デビアス」が、その「サハ」との提携を発表したのである。すべて、チャールズたち利権者の差し金であった。
 世界最大のダイヤ業者デビアスの社長となり、鉱物採掘のため黒人を地獄の労働にかり出してきた南アのオッペンハイマー家、その一族と姻戚関係を結んでいたのが、ほかならぬダイアナ妃の姉と継母ままははの一族、酸性雨の生家マッコーコデール家であった。
 一方、結婚生活に入ったチャールズ皇太子とダイアナ妃が、それぞれ“Oh!
 Pleasestay by me.”と歌った相手は、数知れなかった。それが追っ掛けカメラマン・パパラッチのゴシップ・ネタとして全世界をかけめぐった。
 ダイアナ妃の実母フランセスは、ピーター・シャンド=キッドと再婚した、と述べたが、イギリス貴族の最も格式ある人名録“Debrett's People of Today”を開くと、確かに彼女の履歴がシャンド家の一員として記録されている。シャンド家の人間は、そこに数人しか記載されていないので、ふと、彼女の前に目を落とすと、ロザリンド・シャンドという女性の名があり、さらにその前を見ると、ロザリンドの夫ブルース・シャンドについての記述がある。そして、この夫妻のあいだに生まれた娘の名前を読み取って、私は愕然としたものである。
 ──カミラ(パーカー=ボウルズ夫人)──と書かれていた。
 この名前には、誰しも聞き覚えがある。
 ある日、妻ダイアナ妃に興味を失ったチャールズ皇太子が、「君を熱愛している」と電話でささやき、密かに録音されたそのテープが、1992年にイギリス全土に放送されたからだ。世紀のゴシップとして目を注がれた皇太子の不倫相手の女性が、そのカミラ・パーカー=ボウルズであった。
 ダイアナ妃の母が再婚したシャンド家が、ダイアナ妃から夫チャールズ皇太子を奪って、のちに皇太子妃となった恋人の生家だったことになる! 加えて、そのカミラの夫アンドリュー・パーカー=ボウルズのかつての恋人が、チャールズ皇太子の妹で国際オリンピック委員(IOC)のアン王女だったというから、音が合わないコーラスのような男女関係であった。
 イギリス王室は、このようにわれわれと変らず、普通どこにでもある恋愛をくりひろげていた。小生は、このように興味深い事実を密かに山のように探りあてても、ほかにやらなければならないことがたくさんあって、こんな乱脈な男女関係に付き合っているひまがなかった。むしろチャールズ皇太子が、かねてから、イギリスの建築を近代化することに強く反対し、大英帝国古来の文化を守ろうとしている態度に強く共鳴し、この男は、珍しく知恵のあるイギリス国王になる可能性があると見ていた。しかしこれは、世間が考えるようなゴシップではなかった。
 ここから、全世界が震撼する物語が進行していたのである。チャールズ皇太子の恋人カミラの母ロザリンドを調べてみると、義理の妹の父は、ピーター・キャリントン卿であった。彼はゴシップが報道された当時、国連代表として、目をおおうばかりの人殺しが続くユーゴスラビア内戦の調停人をつとめたヨーロッパ軍需産業の総帥そうすいだったのである。キャリントン卿は、イギリス国防大臣だった時には、国防省の機密の軍事施設ポートンダウンで生物化学兵器(BC兵器)の人体実験をさせた責任者でもあったのだ。

 1997年8月31日、パリでダイアナ妃が交通事故で死亡したとき、彼女の恋人ドディ・アル=ファイドも同乗しており、ダイアナ妃と共にこの世を去った。
 ドディは、1981年にアカデミー作品賞を受賞したイギリス映画『炎のランナー』の映画プロデューサーであった。そのため、ダイアナ妃との熱愛に陥る前には、女優のブルック・シールズとできあがり、その艶聞はあまねくビヴァリーヒルズに知れ渡っていた。
 ドディの父モハメッド・アル=ファイドは、イギリス王室御ご用よう達たしのデパート「ハロッズ」のオーナーとして有名なアラブ人大富豪で、彼は1954年にサミラ・カショーギという女性と結婚し、その兄アドナン・カショーギの義弟となっていた。そのあいだに生まれたのが、ダイアナ妃と一緒に死んだ恋人ドディである。しかしドディの父は、なぜ豪華デパート「ハロッズ」を買い取るほど巨額の金を持つ大富豪だったのか。
 ドディの伯父にあたるアドナン・カショーギは、1966年、サウジアラビアの3代目国王ファイサルに同伴してアメリカを訪問した。ファイサル国王は、ニューヨークなどで重要なアラブ外交を展開したが、同伴者のカショーギは、さらに重要な非公式の昼食会に出席していた。
 誰が、そこに集まっていたかといえば、ロッキード社、マクドネル・ダグラス社、レイセオン社、クライスラー社、リットン・インダストリーズ社など、全米の軍需産業の社長・会長クラス、最高幹部がずらりと顔を揃え、カショーギを囲んで、ある世界情勢について、危険な会話をはずませていたのである。ライバルである彼らが一堂に会するのは、尋常な出来事ではなかった。これまでにない大量の兵器が全世界を行き交い、ベトナムに対して北爆が開始された翌年、ついにアメリカが北ベトナムのハノイ市にも爆撃をしかけ、戦火が激しく燃えあがった時代である。
 やがてモハメッド・アル=ファイドは、義兄カショーギの秘密事業で総支配人となり、全米を代表するそれらの軍需産業から、莫大なコミッションが支払われるようになった。ジュネーヴにあるスイス銀行のカショーギ口座に、大金が振りこまれるようになったのである。
 軍需産業の代理人となったカショーギは、返す手で、ヨーロッパ全土と日本に大金をばらまいて世界的ロッキード事件をひき起こしたのち、フィリピンのマルコス大統領をワイロぜめにした。さらに1980年代には、アメリカの敵国であるはずのイランに武器を売りつけ、ホワイトハウスの全閣僚と、イスラエルのユダヤ人兵器商と直接取引きするイラン・コントラ事件で、主役をつとめた。そのころ、女優のブルック・シールズは、カショーギのメッセンジャー・ガールであることが全米に知れ渡った。彼女の当時の恋人は、まだドディではなく、カショーギの息子モハメッドだったのだから。

 これらは、発覚した中のわずかな事実である。ほとんどは発覚せずに、アドナン・カショーギの名前は、全世界の戦乱の陰に暗躍する死の商人≠ニして、欠かせない代名詞となった。サウジの兵器商ではなく、アメリカとヨーロッパの軍需産業がひき起こす戦争の火付け役として、アル=ファイドと共に、数百万人から一千万人単位の生命を、傷つけ、あるいは、この世から消す役割を果たしてきた。その商品のひとつが、地雷だったのである。
 この目的を果たすため、カショーギがつくりあげた世界的な高級コールガール組織は、すさまじいものであった。彼が使ったコールガールたちは、マダム・ミミ≠ニ呼ばれるフランス美人が組織するグループで、マダムの本名は、ミレーユ・グリッフォンといい、12歳のときに炭鉱で石炭掘りをしたことがある苦労人であった。結婚して息子を3人もうけた彼女は、美人だったお蔭で、パリのモデル仲間と知り合い、そこで高級モデル・エージェント≠ニいう会社を設立して妖艶な女性を斡旋しはじめた。これが、国際的な高級娼婦の大事業のスタートとなったのである。
 欧米では、この女性に関して、長大な記録が残されていた。
 マダム・ミミと自称した彼女は、18歳から24歳までの優美な女を厳選して使い、彼女たちが25歳になると馘くびにした。映画『マイ・フェア・レディー』の物語そのままに、自分が雇った女に教養から言葉、衣裳の着こなしまで教えこみ、全身をクリーニングして、一流の女に仕立てあげてから男のもとへ送りこんだのである。それが、世に高級コールガールと呼ばれるものであった。マダム・ミミが誇りとしたのは、自分が雇っている女はただの娼婦とは違い、ベッドの中で男と政治を語らい、歴史、文化にまで及んで楽しませるほど会話ができる女だ、ということであった。
 そこに接近してきたのが、世界各国の兵器の商談に奔走していた男、サウジアラビアのアドナン・カショーギである。
 やがてマダム・ミミとカショーギは、その高級コールガール組織を運営する事業に、カショーギが50パーセント出資することで話が折り合った。コールガールたちは、時には特別機で中東へ飛び、時にはヨーロッパ全土へ送られ、次々と兵器取引きの商談を成立させていった。
 その娼婦の一人が、世界的なスキャンダルを巻き起こしたミス・インドのパメラ・ボルド──インド名ボルデスであった。彼女はカショーギに抱かれたあと、ヨルダン国王フセインと関係を深め、プロ・テニスのイワン・レンドル、リビアのカダフィ大佐のいとこにあたる将校、俳優アラン・ドロンの息子アントニー・ドロン、イタリアの軍需産業フィアット社の幹部、北大西洋条約機構(NATO)の高官、イギリス政界の要人たち、ローリング・ストーンズのビル・ワイマン、遂にはエリザベス女王の娘アン王女の夫マーク・フィリップス大尉などを次々に寝室に招いたことを誇り、最後にはその錚々そうそうたる相手の名前を暴露してしまったのである。
 そのためオリンピック貴族アン王女とフィリップス大尉は、のち1992年、チャールズ皇太子とカミラの熱愛電話がゴシップとして流れた同じ年に、離婚する羽目になった。母親のエリザベス女王にとっては、苦悩の時期であった。
 しかし1989年、何者かの手でインドネシアのバリ島へ連れ出された娼婦パメラ・ボルドは、謎の交通事故に遇った。そのため、殺けされる危険を感じた彼女は、以後、沈黙を守ってきた。
 その事件に先立つ5年前の1984年、すでにフランス警察の盗聴によってこの売春組織は摘発され、その全貌が明らかにされていた。ついに逮捕され、ニースで裁判にかけられたマダム・ミミは、1年半の実刑判決を受けた。マダム・ミミは摘発されたが、コールガール組織は、まだ生き続け、その後ますます広大なものになっていった。東ヨーロッパ、とりわけベルリンの壁が崩壊後、貧困にあえぐポーランドなどでは、美人娼婦を集めるための人買いが公然と横行した。

◎イギリス王室と武器商人
 アドナン・カショーギの最初の妻ソラヤも、大変な女であった。
 ロンドンでこの世に生を受けたサンドラ・ジャーヴィス=デイリーは、カショーギと結婚後にソラヤと名乗るようになった。
 ところが、やがてソラヤ・カショーギが深い関係を持つ男≠ェいるという風聞が広がって、それがイギリス政界の重要人物だという話が、ほぼ確実となった。世界最大の兵器商カショーギとの関係から、その交情が大英帝国の国防機密漏洩に関わる重大な政治問題に発展してゆき、ソラヤは裁判所に召喚され、その男性の身許を明かさなければならなくなった。
 それでもソラヤは、裁判官に対して、その男性はミスターX≠ナあると紙に書くばかりであった。
 こうなると、イギリス議会の全議員に疑惑が投げかけられるに及んで、ついにミスターX%鱒lが事態の重大さに責任を感じて、名乗りをあげることになった。それが誰あろう、ウィンストン・チャーチルだったのである。
 ただし第二次世界大戦当時の首相ではなく、同じ名前を受け継いだ、首相の孫であった。これからのイギリス政界の希望の星として期待を集めていた若き議員チャーチルが、死の商人と切っても切れない仲にあったのだ。ダイアナ妃のスペンサー伯爵家と、このチャーチル家は、もとは同じモルバラ公爵家であり、チャーチル首相の正式名は、ウィンストン・スペンサー=チャーチルという。ダイアナ・スペンサーは何重にも、死の商人カショーギと関係を持っていたのである。
 ダイアナ妃にまで筆はおよばなかったが、チャーチル議員のゴシップは、驚愕すべきニュースとして、イギリス全土の新聞に書き立てられた。
 一体、その背後に何が横たわっていたのか。
 世界大戦の英雄チャーチルの孫であるということは、祖父と孫のあいだにもう一人、息子の世代が入らなければならなかった。しかもソラヤ・カショーギは、このチャーチルと深い仲にあった1980年に女の子を出産し、その子をペトリーナと命名していた。ペトリーナの父親の名は、いまだ明らかにされていないが、それが3代目のウィンストン・チャーチルであることを疑う人間は一人もいない。
 では、あいだに入る世代、つまりウィンストン・チャーチル議員の父母は誰だったか。
 父がランドルフ・チャーチルで、母がパメラ・ディグビーという女性であった。
 1992年秋のアメリカ大統領選挙で、ビル・クリントン陣営の民主党で全米議長をつとめ、最大の選挙資金援助をした女性、のちのクリントン政権のフランス大使をつとめた女性、全米の鉄道王ハリマン家のパメラ・ハリマン未亡人こそ、そのパメラ・ディグビーである。世界最大の金融財閥ロスチャイルド家の一員で、世紀の娼婦≠ニ呼ばれた女であった。クリントン大統領をつくりだしたパメラの息子が、カショーギ一家≠ノなったのである。
 ウィンストン・チャーチル議員の正妻は、メアリー(通称ミニー)・ダーランジャーという女性で、南アのデビアスの販売代理人として、全世界のダイヤモンドを支配する名門ファミリーであった。
 アメリカの国防産業界にあって、見えない爆撃機ステルスB2のメーカーとして君臨し、ついにグラマンを買収したノースロップ社の代理人もまた、アドナン・カショーギであった。こうしてカショーギは1990年に、ユーゴスラビアに工場建設の商談を成立させたが、その直後から、ユーゴ内戦がはじまり、国連部隊と連動して、ミサイルや地雷が大量に凄惨な戦場に送りこまれていったのである。
 兵器商人カショーギの親友は、「アフリカの子供たちを救おう」とテレビ・コマーシャルを流しながらアフリカに戦乱を起こす国連の偽善者ユニセフ♀イ部たちであり、カショーギの指一本で、ハリウッド映画界の大スターたち、ショーン・コネリーもシャーリー・バッシーも動かされてきた。その図は、007映画に登場する、猫を抱いたスペクターの総帥そうすいそのものであり、中東と東南アジア、アフリカの紛争地に氾濫する兵器の大部分は、カショーギの汚れた金と共に、アメリカとヨーロッパから送りこまれてきた。「全世界が震撼する物語が進行していた」と述べたのは、この経過である。チャールズ皇太子の秘密の恋人カミラ・パーカー=ボウルズの母ロザリンドの近親者が、ピーター・キャリントン卿であった。国連代表として、ユーゴスラビア内戦の調停人を装いながら、実際にはカショーギと共に国連部隊を通じて戦場に兵器を送りこんだヨーロッパ軍需産業の総帥そうすいキャリントンだったのである。ダイアナ妃の生母が再婚したシャンド家である。
 ダイアナ妃が、1996年にチャールズ皇太子と正式に離婚するにあたって、彼女がエリザベス女王に請求書をつきつけた慰謝料≠ヘ、膨大な額におよぶものであった。
 22億円を超えるケンジントン宮殿を自分の居城にしたのをはじめとして、年金5億円のほか、イブニングドレス120着、ドレス300着、靴350足、帽子320個、バッグ200個、無数の貴金属宝飾品、骨董品など、残念ながら知的なものはほとんどなく、ただただ値段のはる品ばかりが並んでいた。フィリピンの独裁者フェルディナンド・マルコス大統領夫人イメルダが集めた靴やドレスは、全世界の怒りを呼び起こしたが、それとは比較にならないダイアナ妃の強欲を絵に描いたようなカタログであった。立派な皇太子妃ダイアナの死後、その遺産は45億円を超えることが明らかにされた。
 ダイアナ妃の未来の夫ドディの父アル=ファイドと伯父カショーギが、ドディのハリウッド映画製作費を生み出し、地雷をユーゴに敷きつめていたことは、彼女にとって、常識以前のことであった。彼女が地雷をこの世からなくす運動を呼びかけたという根強い伝説は、これからも続く。地雷廃絶運動を進めてきた市民運動に、ノーベル平和賞が贈られた。
 これだけの数々の事実を組み合わせた全体像が、ダイアナ妃の死後、一体どのメディアで報道されただろう。
 これは、一女性にまつわる王室ゴシップであろうか。
 この女性の葬儀に、200万人が参列したという。
 これが、情報≠フ氾濫と呼ばれるものの正体である。200万人を動かした情報≠ニは、屑の山、ということである。
 問題は、ダイアナ妃にあるのではなかった。今や、代理人カショーギたち兵器商に動かされるようになった全米の軍需産業が、われわれの地球上にあって、膨大な数の死者と難民が生み出されていることだ。

 以上のように膨大な事実を語るストーリーは、ダイアナ妃の死亡当時から今日まで、まったく、ただの一度も報道されていない。2013年に製作されたナオミ・ワッツ主演の『ダイアナ』は、こうした事実を1ミリも描かない退屈きわまる三流ゴシップ映画で、それでも伝記映画≠セというのには驚いた。ところが、酸性雨と呼ばれたレイン・マッコーコデイルが2016年に死亡したので、当事国のイギリスでもようやく彼女とダイアナ妃の密接な関係を特集する番組がテレビ放映され、また今になって2018年9月21日に、そのイギリス番組を引き写したNHK−BS1世界のドキュメンタリー「ダイアナ妃の憎き′p母」が放映された。しかし私が問題にしている肝心の死の商人アドナン・カショーギとの関係には、イギリスでも日本でも、これらの特集番組でひと言もふれられなかった。
 実は、ここまで記述した「ダイアナ妃黄金伝説」は、私の著書『地球の落とし穴』の一節をほとんど丸ごと写したものであり、2018年にサウジのジャマル・カショーギ記者が惨殺されたよりはるかに古い、20年前の1998年に「NHK出版」から刊行した内容なのである。したがって、NHK記者が知っていなければならないはずの事実であるから、カショーギ記者の惨殺事件は、「サウジアラビアがイエメン空爆に熱中して住民を虐殺してきた」という最重要の問題に焦点が当てられるべきであった。そして「全世界の兵器輸出の36%をアメリカ軍需産業が占め、そのアメリカからの兵器輸出の52%が、世界最大の兵器輸入国サウジ≠中心とする中東地域である」という事実を追及すべきである。ジャマル・カショーギ惨殺事件とアドナン・カショーギとサウジの関係は、報道界によってこれからも深く追究されなければならない。
 書籍では、以上のように膨大な事実関係を記述できるが、テレビ報道ではその片鱗も報道できないのだ。書物が伝える「事実」と、感覚に頼るだけのテレビ報道の「評論」の大きな差を、以上の記述から読み取っていただけたであろう。いま記述したような「ダイアナ妃黄金伝説」を、コマーシャルなしで2時間以上のドキュメンタリー番組に仕立てれば、テレビ視聴者は、はるかに意味深いジャーナリスティックな世界ニュースを知ることができると、読者はお考えにならないだろうか。しかし日本のテレビ局は、そうした番組の製作をこわがって、絶対に実行しない。たった一度の人生である。事実を伝えることを、どうしておそれるのか、その臆病さが私には理解できない。
 そうした戦場の実情を解き明かすための鍵を求めて、ジャーナリストが命を懸けて危険地帯に取材に入るのである。

◆実業史観をもって海外の人脈を調査しなければならない

 私は「ダイアナ妃黄金伝説」のような外国の著名人のコネクションを、数々の著書で明らかにしてきたので、知性ある読者がその著書を購入してくれたわけである。またそれと並行して私は、アメリカとヨーロッパで発刊されている膨大な量の書物を購入して読むようになり、特に数々の伝記類から、全世界に流布している陰謀史観が、すべて間違ったものであることを確かめ、そうした間違いの証明を著書に記してきた。一民族や、一宗教、一国、一情報機関、一産業、フリーメーソンの秘密結社などに、強引に事件のすべての原因を帰結させようとする陰謀史観は、常に嘘であり、間違っている。では、何がさまざまな国際的事件を発生させるのか?
 謎をとく鍵は、ほとんどの物語において、百パーセントがマネー、すなわち実業であった。歴史を読み解くのに必要なのは、陰謀史観ではなく、実業史観なのである。
 さらに踏みこんで、アメリカ人やヨーロッパ人が語らないジャーナリズムのタブーが何であるか、その正体を、彼らが発刊している資料を 渉 猟 しょうりょうすれば、自宅の調査でつきとめることができる。
 いい加減な外電記事や、出典が不明で、書き手が不明のインターネット記事≠ネどのエレクトロニクス情報と呼ばれるものを、安易に頭に取りこまないためには、事前に、かなりの書籍調査が必要である。その調査作業を一度体験しておけば、海外ニュースのいかがわしさが、自然に記事の行間からにじみ出てくる。先に述べたダイアナ一族にまつわる物語はすべて、足の踏み場もないわが家の狭い書斎に坐りながら、そこにうずたかく積まれ、しかし私の流儀で整理した書物と新聞記事とファイル・カードから、わずか一日の調べでまとめた内容である。
 コンピューターのマウスやスマートフォンを操作しながらディスプレイ画面を走りまわるのではなく、重い本を次から次へと開き、推理と記憶をたどりながら人間関係を追跡してゆくと、たちまち、先ほど示したような事実の図解と系図ができあがる。私の調べ物のなかで、ダイアナ妃のような現代人の調査は、きわめて手間のかからない作業のうちに入る。パソコンやスマホを操作しながらインターネットで海外に尋ねても、わが家の書物が教える重要な人間関係は、ほとんど断片も出てこないことを指摘しておけば充分であろう。
 ハッキリ言えば、現在のテレビ報道に登場する日本の解説者とコメンテイターは、誰一人、そのような国際的な調査をおこなっていないし、調査する能力も持っていない。この種の事実を調査して、ある程度の概略を知っていると思われるのは、海外のジャーナリストだが、彼らもタブーに拘束されて、肝心の点になると一向に重要な事実を伝えない。なぜなら、欧米では彼らジャーナリスト自身が、まず99パーセントは、財閥に雇われているからである。
 それでいて毎日、国際的な事件を視聴者に向かってテレビ解説する資格が、この人たちにあるのだろうか? とりわけ国際社会に関して極度に無知である日本の報道界は、大丈夫なのだろうか?
 そうした現在の状況に耐えられないのが、真のジャーナリストなのである。

◆次世代に受け継いでもらわなければならない資料が秘蔵されている

 したがって、冒頭に述べたように、私が地獄の三丁目の死を体験してから、「しまった! 一生の不覚だった」と感じたのは、自宅に買い揃えた海外の資料を、受け継いでくれる「次世代の人間を育ててこなかった」自分の失敗なのである。海外の人脈資料の使い方を若い世代に教えて、しっかりバトンを渡してから死ななければならないのに、私がその準備をまったくしてこなかったのだ。
 次世代に託したい人脈資料の一端をこれから紹介する。
 全世界の事件を起こすのは、マネーであるから、資産家・富豪・財閥を追究すれば、大抵は事件の鍵を発見できるし、それを手掛かりにして、多くの謎が解けてゆく。海外で大金を持つ資産家や富豪や財閥を調査するための資料としては、数々の国際的な人名事典がある。幸いにもヨーロッパ人とアメリカ人は、自分のルーツに誇りを持っているので、古い中世の時代から正確な家系記録を残す習慣がある。それに対して日本人の系譜書は、長らく女性を人間としてその存在を無視してきたので、「生みの母」が不明の人間ばかりで、系譜と呼べないほどいい加減で、まるで講談の世界にある。ヨーロッパ人とアメリカ人は、日本人と違って無類の正確な伝記好きであるから、誕生日から結婚の日付、子供の名前・生年月日まで正確に記述した人名事典には事欠かない。日本では国会図書館がそれら外国の人名事典の一部を所有しており、書架にそのうち現代に近いものを出している。それ以外で書庫に内蔵されている「閉架」図書は、司書に頼んで出してもらえばよい。しかし、国会図書館や東京都立図書館などの大図書館を訪れても、外国の人名事典はほとんど使われた形跡がない。
 つまり日本人は、事件のキーマンである海外の資産家たちの素性を調べず、したがって資産家たちを知らずに、グローバリズムに関して的外れの論評をしているのだから、TPP(Trans Pacific Partnership──環太平洋戦略的経済連携協定)のような多国籍企業によるビジネスの問題であれ、政治の問題であれ、戦争の問題であれ、利権者に関してはシロウトの域を出ないのである。そうした理由から、私は全世界の重大ニュースに登場する人物のうち「利権者」の系譜を徹底的に調べて、図書室から大事件の真相を追究し、パズルを解き明かす、つまり安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティヴ)となることに生涯をかけるようになった。私の著書では、これら膨大な文献の出典を記す紙幅が許されなかったので、本稿に紹介しておきたい。

 当初1986年に、私が『億万長者はハリウッドを殺す』(講談社)を書くために、外国人を調べる基本的なデータ集としたのは、現代人の履歴を集録した@[Who's Who] のアメリカ編・イギリス編・フランス編・ドイツ編および全ヨーロッパ編であった。アメリカ編については Marquis Who's Who Inc.社刊のものがある。そのほか、死亡者の履歴を集録したA [WHO WAS WHO] も参照した。後者は、Marquis Who's Who Inc.社刊など、アメリカ編・イギリス編でほぼ10年ごとに過去の死亡者の人名録が発刊されている。
 その基礎資料を入口として、ロックフェラー家やモルガン家などの巨大財閥の広範な家系をたどるには、B [The National Cyclopædia of American Biography] (JamesT. White & Co. 社刊)がすぐれている。数十種あるアメリカの人名事典の中で、これが人物の詳細な伝記と家系の記録において最も充実しており、全巻で50〜60冊におよび、私は海外の古書オークションで大枚をはたいて数十巻を買い揃えた。このほかに[TheAnnual Obituary](St. James Press, Chicago and London社刊)という全世界の著名人の死亡記録集も、死亡者のくわしい伝記をまとめて記述し、毎年発刊されている。
 続いて、ヨーロッパ最大の金融財閥ロスチャイルド家を調べるのに、イギリス貴族の資料として、12世紀という大昔からの大地主を記述した系譜書C [Burke's LandedGentry] も大量に買いこんだ。 3000頁におよぶ分厚い貴族の系譜書D [Burke'sPeerage & Baronetage] (Burke's Peerage Ltd. 社刊)を追跡すれば、イギリス人貴族について、准男爵(Baronet)から公・侯・伯・子・男の爵位を持つ全人物について、先祖の時代から結婚相手、子孫までの系譜を詳細に知ることができる。
 こうした資料を使って家系を読み解き、多数の系図を描いて、世界最大のユダヤ人金融財閥ロスチャイルド家を中心にした全世界の利権構造を解き明かしたのが、1991年に発刊した『赤い楯』(集英社)であった。
 ロスチャイルド系のユダヤ人が全世界の金融界を牛耳る一方で、ユダヤ人の苦難の歴史を知るには、E[International Biographical Dictionary of Central EuropeanEmigrés]という「ヨーロッパからの移民」の人名録が必要になる。これはドイツのK.G. Saur社刊の3冊組みで、ナチス隆盛時代にヨーロッパから脱出した人物のうち、主にユダヤ人のファミリーについて、家族が強制収容所に送られた履歴と系譜などを詳細に編纂している。
 ちょうどその頃、「熱帯雨林の保護」を訴えるために来日したイギリスのロック歌手スティングと週刊誌で対談する機会があったので、彼に世界的な経済支配者の系図を見せて、「あなたが自然保護のために戦っている相手はこの系図の連中ですよ」と言って説明したところ、流石にヨーロッパ財閥のことをよく知っているイギリス人の彼は、系図をじっと見て納得していた←【写真:左がスティング、右が私】

 ドイツ貴族については、F [Genealogisches Handbuch des Adels] (C. A. Starke社刊)という100冊を超える貴族人名録を次々と開いて追跡しなければならないので大変だが、ドイツも第一次世界大戦に敗北するまでは国王を戴く貴族国家だったので、このシリーズには、ドイツ貴族の家系だけを詳細かつ正確に記述してある。ヒットラーを首相にした当時の財閥シュレーダー男爵や、鉄鋼王クルップ家たちを追跡するのに有効である。このほか、ドイツの著名人について深く調べるには、詳細な家系と伝記をコレクションした新ドイツ人名事典[Neue Deutsche Biographie] ( Duncker &Humbolt/Berlin社刊)がある。
 面白いのは、わが家に7巻あるスイスのジュネーヴ人名録G [NoticesGénéalogiques sur les Familles Genevoises] ( Éditions Slatkine社刊)で、これはスイス人およびフランス人の家系だけを15〜16世紀から詳細、正確に記述した人名録で、フランス革命時代のスタール夫人を取り巻く人脈などが浮かび上がってくる。このアルプスのスイスという山岳国家が、歴史的にフランスの二百家族≠ニ呼ばれてきた金融支配者グループのルーツ(起源)を解き明かしてくれる鍵となった。世界的な財閥たちが、最後には中立国スイスの銀行に隠し口座をつくってタックスヘイヴンを利用しているのは、こうした古くからの家族的人脈を持つからである。日本人の場合は、たとえ大金をかせぐ人間でも、そうした金融の世界からは排除されているのである。
 ヨーロッパ王室について、私は山のような書籍を持っているが、全世界の王室を網羅したH [Burke's Royal Families of the World](2巻)は、基本的な必携書である。アメリカの大統領については、[Burke's Presidential Families of the UnitedStates of America]が、すべての大統領一家の系譜を先祖まで詳細に記述している。
 いま紹介した[Who's Who]、[WHO WAS WHO] 、[Landed Gentry] のような系譜書は、何年版であるか、またどこの国の人物事典であるかによって、記載人物が違うので、少なくとも1800年代から現代までの200年間、ほぼ30年ごとに世代が交代する親子関係が途切れないように、各国版を揃えなければならないので、膨大な金が必要になる。私もさまざまな市民運動の活動費とカンパ資金が必要であるというのに、印税が右から左へと、ほとんど消えてしまうのである。また[Who's Who]には、著名な女性だけをコレクションした[Who's Who of American Women]や[International Who's Who of Women]のような大部の書も数々あり、調査目的によっては、スパイ特集、ナチス第三帝国特集や、映画人特集や、軍人特集、音楽家特集、などさまざまな種類の[Who's Who]がある。
 こうして私は、ありとあらゆる家系図を、最初は手書きでノートに記述していたが、1991年に『赤い楯』の出版後に、家系図をワープロで打つ独自の方法を自分で開発するようになって、全世界の富豪や財閥が、一家族として結び合い、経済支配していることが、一目瞭然となったわけである。
 つまり、白人の支配階級は、資産家同士が結婚時に資産≠ニ会社役員ポスト≠ニ爵位≠求め合い、その目的を果たすために国境を越えて婚姻をくり返しているのである。したがって、実業史観の答として「人脈の重要な事実」を突きとめるには、一国の人物事典を開いても、謎を解くことができない。アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・スイス・ドイツ・イタリア・スペイン・ポルトガル・オランダ・デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランドといった主要国のすべての人物事典が、同時に手元に必須になる。
 この作業について私が誇りに思っていることは、全世界のジャーナリストの誰一人として、私のように「国境を越えたヨーロッパ・アメリカ人の結びつき」を明らかにしていないのに対して、私はいかなる国家と民族と宗教に対しても偏見がなく、タブーのない無政府主義者のコスモポリタンの日本人であるので、このような調査をとことんまで実施できたことにあった。また、その調査結果と歴史的事件と系図のコネクションを書籍に記して、それを公刊してきた人間も、不思議なことに全世界で私一人である。
 たとえばイギリス王室や、大統領ケネディー家の家系図を描くというような、単に一家族の家系について調査をすることは、きわめて簡単で、誰にでもできるので、ヨーロッパ人とアメリカ人の伝記には、ほとんど必ず系図がついている。しかしそうした単純作業と違って、私が著書で明らかにしたように、各国の国境を越えた国際的な人間の横のつながり(コネクション)を調べ、そこにニュースの事件に登場する人物、および個人の伝記に記述されている内容を当てはめてパズルを解くことは、歴史的な重大事件の裏に潜む鍵を知る上で、実に興味深い作業だということが、さきほどの「ダイアナ妃黄金伝説」を読めばお分りであろう。
 こうした家系の追跡は、重大事件のパズルを解く目的があるので、鍵を探すのにスリルがあって、熱中しはじめると、麻薬のようにやめられなくなる。しかし、しばらくすると人名が頭に記憶されるので、シャーロック・ホームズのように勘が働くようになり、INDEX(索引)をつくっておけば、ほとんどの人間について追跡が可能になる。
 この時、世界のどの国の人物事典でも、「古書」ほど内容が充実して、家系の記述がすぐれていることを忘れてはならない。古書に比べて、現代に発売されている人物事典は、プライバシー保護云々の理由からか、それとも私が大量の家系図を発表し始めたからなのか、資産家が自分の家系の秘密を隠すようになってきた。そのため、記述内容がまったく無味乾燥になって、家系資料の価値がない人物事典の[Who's Who]が流通するようになっている。その意味で、先に紹介した人物事典は、まことに貴重な古い文書の書籍である。
 さきほど、ごく基本的な人物事典を@〜Hまで紹介したが、ほかにも山のような系譜事典がある。特に興味深い人物事典を紹介しておくと、1917年のロシア革命によって、この世から存在が抹殺されたロシア貴族の人名録がある。入手してみると、タイプライターで打ったあと「ガリ版刷り」、というきわめて珍しいロシア貴族の人物事典であった。ロシア皇帝のロマノフ家が倒されたロシア革命後のロシア貴族は、多くの者がフランスに亡命したので、フランス語で書かれたロシア人貴族の人名録[La Noblesse deRussie] (ロシア貴族連合系譜協会会長ニコライ・イコニコフ編)という50冊を超える大部のシリーズであった。この系譜書は、国会図書館にもない貴重なものであり、日本では、私しか持っていないようである。
 この50冊以上を調べるうち、ロシア貴族のフルシチョフ家(Khrushchev)の系譜が、1300年代という、大昔の中世から出ていたので、おやっ、まさか、と思って調べたところ、「キューバ危機を引き起こしたソ連の第一書記・首相だったニキタ・フルシチョフが、ロシア皇帝のロマノフ家ときわめて近い姻戚関係を持つロシア貴族の出だった」という奇想天外の驚くべき事実が明らかになった。この事実は、1993年に『ロマノフ家の黄金』(ダイヤモンド社)に、フルシチョフ家のくわしい全系図を掲載して発表したのだが、現在まで日本の共産党から、「その事実を確認したい」という申し出さえない。このように重大な史実を知らずに、日本の共産党は成り立つのであろうか? 私が『ロマノフ家の黄金』に書いたようなロシア貴族の台頭が今しきりとなって、ロシア革命翌年の1918年に殺された皇帝ニコライ2世が「聖人」として崇められるようになっているというのに。
 そのほかアメリカ人が、メイフラワー号などで新大陸アメリカに移住して以来400年の家系を知るには、[The Compendium of American Genealogy] ( GenealogicalPublishing Company刊)がなくては、まったく家系の秘密は解けない。ウォール街を調べるにはニューヨークの古い商人[The Old Merchants of New York City](GreenwoodPress Publishers, NEW YORK)の人名事典が必要であり、またユダヤ人財閥の系譜は、ロスチャイルド家を生んだドイツ・フランクフルトのユダヤ人の系譜書[Stammbuchder Frankfurter Juden]( Alexander Dietz著、 Frankfurt am Main, Verlag von
 J.St. Goar, 1907)というドイツ語の花文字の書籍が最高である。つまり先に挙げた基本書籍は、私が持っている人名事典類のうち、数十分の一≠ノしかならないのである。
 ヨーロッパ・アメリカと同様に、日本人を調べるには、古書の『人事興信録』が有効であり、私は東京・神田の古本屋街を歩いては、年代別に大量の『人事興信録』を揃えてきた。同書も、重要な戦時中の人物については、ごく少数の版だけが有効である。ほかにも『帝国 会社役員・知名人 名鑑』など数々の人物事典・実業家事典があり、地方ごとの人物事典も発刊されている。
 どうですか? 面白いでしょ?
 1993年に作家・井上ひさしさんの学校で私と一緒に講師をつとめた一人の懐疑的なジャーナリストが、私が書いた数々の書籍に疑いを持って、「広瀬はデタラメを書いているに違いない。その嘘を暴いてやろう」と企んでか、わが家にやって来た。しかしそうとは気づかない私が、「人脈を調べるにはこういった人名辞典・人物事典のすべてが必要です。たとえば現在の全世界の軍需産業の総帥そうすいであるNATO事務総長マンフレート・ヴェルナーは、ドイツ人ですね」と言って、調査した人間のINDEXカードからヴェルナーを探し出し、そこに、先ほどのドイツ貴族人名事典 [GenealogischesHandbuch des
 Adels] の88巻と記述してあるので、書棚から88巻を取り出して見せ、「軍需産業NATOの事務総長は、不思議なことに昔のドイツ貴族の一族なんですよ」と証明すると、彼は私の調査方法に合点して、しばらく話しこみ、なるほどと納得したようであった。
 以来、私は彼と親友になった。あとで聞くと、彼は私の書斎に入って、書棚に並んでいた先ほどの人物事典の山を見るなり、「しまった。帰ろう」と思ったそうである。その人は、当時TBS(東京放送)のディレクターでワシントン支局長をつとめ、わが国最初の宇宙飛行士となった秋山豊寛とよひろ氏であった。人の調査結果に疑いを持って私の家まで調べに来た、そこに、彼の鋭いシャーロック・ホームズのような鑑識眼があった。ジャーナリストは、それぐらい懐疑的でなければならない。秋山氏は、パソコン開発者マイクロソフトのビル・ゲイツの投資先を調べ、それが人類にとって悪しき産業であると知っているので、現在でも電子メールも使わなければ、パソコンもインターネットも使わない一見奇人≠フごとき、実は社会の隅々まで知っている真の賢人≠ナある。
 一方、私が著書に示したヨーロッパ人とアメリカ人の詳細で正確な系譜の調査結果に、格別の関心を持って、目を注いでいる別の人種もいる。それは、財閥の手先であるアメリカの「大手テレビ局」と「大手新聞社」と、ホワイトハウスの手先として活動する「CIA」と、イスラエルの諜報機関「モサド」のメンバーである。彼らは、どのようにして私があれだけ大量の人間の系譜を調べたかを探るため、デタラメの目的を言いながら私にインタビューを申しこんでくると、私立探偵のようにビデオカメラを持ってわが家に調べに入ったり、書庫などのビデオ録画をとりまくるために来訪した。まったく怪しげな連中だが、こうした人間の存在も、私にとっては恰好の調査資料になるので、インタビューを断らないことにしているのである。
 さて、しかし、である。私にも死期が迫っていることは明らかなので、今すぐにでも、少なくとも数千万円以上の、計り知れない価値がある≠が家の数百冊ないし数千冊の人物事典の資料を使いこなせる後継者を育てて、次世代にバトンを渡さなければならないことは確かである。そうしないと、計り知れない価値がある人物事典類≠ヘ、まったくその価値を知られないまま、紙屑として捨てられる運命にある。幸運にも古本屋が引き取ってくれても、店の片隅に置かれて、誰にも気づかれずに、朽ち果ててゆくであろう。
 そこで、引き取ってくれる人を探そうと、色々な人に相談してみたが、まだ、この人物事典類を引き継いでくれる、能力ある後継者がみつからない。つまり、ヨーロッパ・アメリカの語学力よりも先に、何よりも国際的な人物コネクションの調査に強い興味を持ち、1を聞いて10を知りたがる≠謔、な推理力を働かせる人間が、この適任者である。1を聞いて10を知る≠ニいう言葉は、1を聞いて10の疑念を持ち=Aそこから自分の知らない世界に入りこんで、果てしなく枝葉が広がる事件調査と、家系調査に踏み出す、という意味である。この鋭い好奇心さえあれば、語学力は、そのあとに自然に身についてくる。
 したがって、その人は、これらの人物事典を受け継いでも、その書籍を死蔵するのでは意味がない。存分に使いこなして、目の前に起こっている国際的な事件の謎を、次々と解き明かす能力を発揮して、社会に報告しなければならない。それは、たとえばNHKテレビが「映像の世紀」で放映してきたような歴史ドキュメンタリー番組に使われて、世界でも例のない新鮮なストーリーの中で事実が生き返ることが、私の願っている理想である。
 やはり私の蔵書は、国会図書館に寄贈するほかないのであろうか? しかし国会図書館がそれを引き受けてくれても、日本人に正しく利用してもらえるのであろうか? どうも、そこに希望ある確信を見出せない心境にある。

◆ナチスが略奪した絵画の行方

 具体的な一例によって、私が所蔵するこれらの資料の有効な使い方を示しておこう。
 NHK−BSプレミアムに、新たな別の史実≠追究するアナザーストリーズ≠ニいうシリーズ番組がある。昨年2018年10月9日に、そのシリーズの一編「発見! ナチス略奪絵画 執念のスクープの舞台裏」が放映された。その番組は、ナチス・ドイツが戦時中に強奪した美術品を、ひそかにコレクションしていたヒルデブラント・グルリットという謎の人物≠ノついて特集した、ぞくぞくするような興味深い内容であった。
 その放映内容をざっと紹介する──ヒルデブラント・グルリットは、ナチス・ドイツの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスに美術品の審美眼と人脈の広さを買われ、1930年代から1940年代にかけて、ナチス政権が求める芸術作品の売買責任者に任じられた。かくして、ナチスお抱えの四大画商となったグルリットは、ナチスがユダヤ人から奪ったり、だまし取ったりした絵画などの芸術作品と、ドイツやフランスの美術館から押収した芸術作品の管理を任された。ところがナチス・ドイツが敗北したので、彼は「私は芸術作品を守った。だが、爆撃によってすべて焼失した」と語っていた。しかし実際の彼は戦後に、それらの絵画をドイツ南部ミュンヘンのマンション6階の部屋に隠して秘蔵し、個人的に売りさばいてきたのである。
 これらの所蔵品は、のちに彼の息子コルネリウス・グルリットに相続されたが、ミュンヘンのマンションの一室から、第二次世界大戦前〜大戦中にかけてナチス・ドイツがユダヤ人から略奪した絵画などが、驚くべきことに、今になって実に1200点以上も発見されたのだ。2013年11月4日にドイツの週刊誌フォークス(Focus)が暴露したスクープ報道によれば、発見された絵画には、長年その所在が不明だったピカソ、マティス、セザンヌ、ルノワール、ロートレック、シャガール、ムンク、ドラクロワ、ドーミエ、クールベ、デューラーといった大画家の作品の数々が含まれており、時価総額で10億ユーロ相当(1300億円以上)の価値があるという。フォークス誌によれば、それらの驚くべき財宝は、2011年にドイツ警察が脱税容疑でこのマンションに家宅捜索に入った際に偶然に発見されたもので、薄暗い室内で古いジャムの瓶びんやガラクタと一緒に60年以上にわたって隠されていた絵画であった。
 マンションのこの部屋の所有者コルネリウス・グルリットは、彼の父親が、前述のナチス幹部お抱えの美術収集家ヒルデブラント・グルリットで、今回発見された絵画は、父ヒルデブラントが1930〜1940年代に入手したものであった。戦後の1956年に彼が交通事故で死んで、それを受け継いだのが息子のコルネリウス・グルリットで、彼は、ドイツ国籍を持たず、オーストリア国籍で、無職の隠遁生活を送りながら、これまでひそかに絵画の何点かを売却し、その売り上げで生活してきたものらしい。
 これらの財宝がドイツ政府に発見され、バレてしまったので、コルネリウス・グルリットは2014年4月に、絵画の正当な所有者を突き止める調査に協力する合意をドイツ政府との間で結んだ。そこで、ドイツ政府が任命した美術専門家の国際調査団が、グルリット・コレクションの作品すべてについて、本来の所有者が誰であったかという来歴を調査してきた。ところがコルネリウス・グルリットは、2014年5月6日に「コレクションすべてをスイスのベルン美術館に寄贈する」との遺言を残してこの世を去った。
 現行の法では、これらの絵画が、ナチスによって「誰か」から略奪されたものであっても、本来の所有者の「絵画返還の請求権」は30年で消滅してしまうのである。したがって30年を過ぎると、法律上の所有権は、その時点での絵画所有者に移るので、戦後70年近くも過ぎてしまった現在、コルネリウス・グルリットには正当な所有権があったことになる。しかし、これらの巨大な財宝は、戦時中の不当な略奪品なのである。普通の言葉で言う盗品≠ナあり、グルリット親子は社会に対して「焼失した」と嘘をついてきたのである。盗品の売買は、明らかな犯罪であるが、果たして、誰が正当な所有者なのか?
 BSアナザーストーリーズ≠ナは、これら強奪された作品のうち、ドイツのユダヤ人印象派の代表的画家マックス・リーベルマンの絵画「浜辺の二人の騎手( ZweiReiter am Strand)」の本来のオーナーだったユダヤ人の息子(現在、アメリカ在住のニューヨークの弁護士)デヴィッド・トーレンが、ドイツ政府に対して訴訟を起こし、グルリット・コレクションからその絵画を取り戻した経過もくわしく語られた。番組では、この絵を「浜辺の乗馬」と呼んでいた。
 ざっと、このような内容のミステリアスなドキュメンタリー番組だったので、絵画美術の愛好家でなくとも、世界最高の画家たちがこの世に残した1200点を超える秘蔵の絵画がどのような作品であるか、見てみたいと思ったに違いない。
 しかし私は、この興味深いドキュメントを見て、「この話は、どうもおかしい」と、不審なものを感じた。
 それは、以上のことが事実であるならば、これほどの莫大な額におよぶ貴重な財宝の歴史的絵画を、半世紀以上も隠し持って、誰にも教えなかったグルリット親子は、ナチス・ドイツの手先となったトンデモナイ犯罪者だと見るのが、人間の常識であろう。ところがドイツ政府が任命した絵画鑑定の美術専門家たち、国際調査団が番組に登場して語った言葉を聞いていると、グルリットに対して、まったく寛容な態度であったのだ。犯罪者追究という姿勢が、まるで見られなかった。むしろグルリット親子をかばうような発言をくり返していたのである。また、名作絵画「浜辺の二人の騎手」を取り戻した本来のオーナーであるユダヤ人、アメリカ在住のニューヨークの弁護士デヴィッド・トーレンも、絵を奪われた父親がアウシュヴィッツ強制収容所で殺されたというのに、犯罪者のグルリット親子をまったく非難していなかった。
 なぜなのか?
 そこで私がこの事件を調べてみると、その理由はすぐに判明した。ナチス・ドイツの手先となってユダヤ人の絵画をコレクションし、隠し持っていたトンデモナイ犯罪者であるグルリット親子当人が、ユダヤ人であったのだ。
 アメリカ在住のニューヨークの弁護士デヴィッド・トーレン(David Toren)が取り戻した名作絵画「浜辺の二人の騎手」の本来のオーナーは、番組が言うように彼の父親ではなく、ユダヤ人の砂糖商人の大富豪ダヴィッド・フリードマンという人物で、デヴィッド・トーレンの大伯父であった。トーレンの父は、なぜか、姓が異なるゲオルク・タルノウスキ(Dr. Georg Martin Tarnowski)という弁護士で、その名から、ポーランドのユダヤ人と思われる人物であった。1938年11月9日に、ゲッベルスの指令によってドイツ全土でユダヤ人に対する迫害と虐殺が組織的におこなわれた。その惨劇で窓ガラスが飛び散ったので、事件は水晶の夜≠ニ呼ばれ、裕福なユダヤ人たちを中心に、およそ3万人が強制収容所に送られた。その時、タルノウスキは、絵画所有者ダヴィッド・フリードマンの代理人をつとめて、ナチスと「身柄の解放と財産の譲渡」の交渉をしていたが、水晶の夜≠ゥら3日後の11月12日にナチスがユダヤ人の財産没収を決定したため、ナチスが「浜辺の二人の騎手」の絵画を強奪し、タルノウスキは逮捕されてドイツ国内のブーヒェンヴァルト強制収容所に送られ、一旦釈放後、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所に送られ、ガス室で殺されたのである。
 その時、少年だった息子デヴィッド・トーレンは、父母と生き別れてイスラエルやヨーロッパを転々とした後、アメリカに移住してニューヨークの弁護士となった。トーレンが記憶していた「浜辺の二人の騎手」の絵画は、ユダヤ人画商ヒルデブラント・グルリットがゲッベルスの依頼で秘かに保管していた巨大隠匿コレクションの中に発見され、トーレン親子が訴訟を起こしてドイツ政府から取り戻した。
 しかし、デヴィッド・トーレンの姓を、先述したアメリカ移民のユダヤ人について詳細 に 記 述 し て あ る 人 名 事 典 [International
 Biographical Dictionary of CentralEuropean Emigrés]と、アメリカの[Who's Who]に探しても、その姓は見つからなかった。一方、タルノウスキという姓のポーランド系ユダヤ人移民の一家がアウシュヴィッツ収容所で殺害された記録はその移民録に見つかったが、私が探しているゲオルク・タルノウスキとの姻戚関係は判明しなかった。生き残った少年が、タルノウスキ姓をなぜトーレンに改姓したかという理由についても、それ以上の詳細は不明である、というのが私の調査結果であった。
 問題の美術商グルリット親子は、ナチス・ドイツの手先となって略奪美術品を隠し持っていたのだから、きわめていかがわしい人物であるという印象を、このNHKドキュメンタリー番組から受けた視聴者が多かったと思う。確かにいかがわしい人物ではあるが、番組が謎の人物≠ニ呼んだのに、実は、われわれの想像を超える世界が、そこにあったことが、グルリット家の系譜を調べて判明したのである。
 さきほど紹介した新ドイツ人名事典ーNeue Deutsche Biographie](Duncker &Humbolt/Berlin社刊)に、グルリット家の広大な伝記が正確に記録されていたからである。その人名事典をもとに系譜を追跡し、大系図を描いて、その中から主な人物だけを取り出すと、ここに示す「グルリット家の系図」のようになる。

 ナチス美術商ヒルデブラントの従弟いとこにあたるマンフレート・グルリットは、ユダヤ人でありながらナチスに入党した奇妙な履歴を持っていた。彼は、ユダヤ人であるため1937年にナチスの党員資格を剥奪されて、第二次世界大戦が勃発する半年ほど前の1939年4月に日本へ脱出し、世界的な藤原義よし江え歌劇団の常任指揮者となり、作曲家・指揮者として活躍した人物で、日本人のオペラ歌手・日高久子と結婚していたので、日本の音楽界では著名な人物だったのである。そしてこの系図にあるように、グルリット家は、いかがわしい謎の人物≠ヌころか、美術商や画家と音楽家だらけという大層なファミリーであり、系図の一番上に描かれている通り、♪真夏の夜の夢、♪イタリア、♪フィンガルの洞窟、♪ヴァイオリン・コンチェルトで知られる世界的な大作曲家フェリックス・メンデルスゾーンとつながる一族であった! 作曲家メンデルスゾーンの義兄が、一族の美術品のコレクションの管理人であり、従兄はマインツ市立美術館長であった。ユダヤ人にとって聖典である旧約聖書の『モーゼの五書』すなわち創世記・出エジプト記・レヴィ記・民数記・申命記をドイツ語に翻訳し、これによってドイツのユダヤ人啓蒙運動を大きく切り拓いたのもメンデルスゾーン家であったから、ユダヤ金融財閥ロスチャイルド家がシンジケート・グループを創設したメンバーに「メンデルスゾーン商会」が名前を連ねるほどロスチャイルド家に身近な近親者がメンデルスゾーン家だったのである。つまりこの系図は、ロスチャイルド財閥の系図の一端なのである。なぜ、ドイツの週刊誌フォークスとNHKは、これほど簡単に分る調査をせずに、謎の人物≠ニして追跡したのだろう?
 一体、この系図が意味することは、何であろうか?

 バート・ランカスターとジャンヌ・モロー主演のスリルに富んだ半世紀前のハリウッド映画『大列車作戦』は、ナチス・ドイツが1944年に敗色濃厚となる中、ピカソ、マティス、ルノワール、ゴッホ、マネ、ドガ、ミロ、セザンヌ、ゴーギャン、スーラ、ユトリロといった名だたる芸術家の名画を、ナチス軍将校がフランスの美術館からドイツに運び出そうとするのを、フランスのレジスタンス組織が阻止しようとした実話に基づく物語であった。フランスでは1940〜1944年に、絵画、芸術作品、織物(タペストリー)、古美術品など総計10万点が、ナチス占領下の政権によって定められた人種差別法の下で、ユダヤ人から没収されたとされている。
 このようなナチスの財宝収集を指揮したアルフレート・ローゼンベルクは、ナチス党の外交政策の全国指導者として、戦後にニュールンベルク裁判で死刑判決を受けて「絞首刑で処刑された10人」のうちの1人という重罪人である。だが不思議なことに、このローゼンベルクは、ナチス幹部としてアーリア人の優生思想を誰よりも理論的に普及させた残忍な男とされながら、「祖先がユダヤ人ではないか」と、ユダヤ人から疑われていた。ローゼンベルクやローゼンバーグの姓は、ユダヤ人にきわめて多い姓だからである。1953年にアメリカで電気椅子で処刑された原爆スパイのユダヤ人ジュリアス・ローゼンバーグ夫妻や、フランスのルーヴル美術館にあるロスチャイルドの間ま≠ナ1983年から管理主任をつとめてきたベアトリス・ロスチャイルドの夫ピエール・ローゼンベルグのように……
 フランス人は、パリがナチスによって占領される直前に、主な美術館にある著名な画家の作品を巧みにカバーで覆い隠して秘蔵し、イミテーションを表に出してナチスの目を欺いたので、パリ占領時には、めぼしい大作は収奪されなかったとされる。そこでユダヤ人富豪の美術品を管理する権限をヒットラーから与えられたアルフレート・ローゼンベルクは、パリだけでなくフランス全土を徹底的に捜索した。確かにナチスは、ユダヤ人が所有する財宝を狙ったが、実際に彼らが最大の収穫を得たのは、ユダヤ人財閥ロスチャイルド家からであったことを、当時の略奪品のリストが示していた。その強奪美術コレクションの数は、1944年7月13日までに、上位5家族がいずれもユダヤ人富豪で、最も多いロスチャイルド家が3978点、カーン家1202点、デヴィッド=ウェイル家1121点、レヴィー=ド=ヴァンジオン家989点、セリグマン家556点で、総計2万点を超える美術品が強奪されたのである。
 このように豪華な美術品をユダヤ人の富豪たちが大量に所有していたことは、当時のナチス・ドイツが、ドイツ国民に向けてユダヤ人を迫害する悪質な口実に利用したであろうと推測される。グルリット家はユダヤ人で、ロスチャイルド家と姻戚関係を持つ美術商だったのだから、金融財閥ロスチャイルド家と深い取引き関係を持っていたことは間違いないが、1200点を超えるグルリット・コレクションの絵画について、本来の所有者の追跡は、戦時中のユダヤ人の財産問題がからんでくるので、かなり煩雑になるだろうと想像される。これが、私の調べたアナザーストリーズ≠ナある。こうした事実は、放映内容から受けた印象とかなり異なるので、NHKテレビの編集部に、この調査結果を届けたいと、調査後に思った。
 ひと昔前であれば、NHKで貴重な記録フィルムを保存しているアーカイブの編集者は、「いい記録フィルムを入手しました。広瀬さんには、特別に記録フィルムをお見せします」と言ってわざわざ声をかけてくれ、私と資料を交換し合ったものである。そして、互いに事実を調べ合って、事実の究明のために協力し合う関係にあった。ほかの民放テレビ局も、同じように真実の調査には、敵も味方も、右も左もなく、私と協力し合った。なぜ現在のテレビ局は、自分たちの調査の狭い殻にとじこもるのであろう。報道の目的は、テレビ局の名を売ることではなく、真実を発掘して世に広く伝えることにあるはずだが……

◆広瀬隆文庫

 こうして、みなさまに伝えたいテレビ報道の真実を記述してきた。
 現在は、縷々るる述べたようなインターネット隆盛の社会情勢のもとで、出版社だけでなく、読者がAmazonに直接注文して本を買うので、本屋さん(書店)も大変な状況に置かれている。そのため、過去に出版した小生の貴重な著書も、絶版になってゆく運命にある。出版社は古い書籍の在庫を抱えられないので、これはやむを得ないことで、事情は私にも理解できるが、しかし、何種類かの書籍については、精魂こめて調査した書き手として、絶版の通告には、果たした努力を傷つけられる思いがする。なぜなら、私の書籍のうち、「人物関係」について記述した資料書籍は、人類が地球上に生存する限り、永遠に使える国際的な資料だからである。
 そこで、死を体験してからの私は、自著のうちから、特に人物関係の貴重な記録を記した10冊ほどを選んで、現在の最新知識に合わせて、文章にわずかな加筆と修正を加え、読者が安価にそれを利用できるようにしたいと、過去の書籍原稿に手を入れてきた。

 一方、私は、福島原発事故の被害者である福島原発告訴団および福島原発刑事訴訟支援団の人たちとは、生涯、命の火がつきるまで共に活動を続けるつもりでいたが、昨年予期せぬ急病に襲われたため、現在はそれが叶わぬ状況になった。昨年「正しい報道ヘリの会」の口座を閉鎖したのも、そのためである。医学的には、すでにみなさまに心配をかけずにすむ健康状態まで回復し、リハビリを続けているので安心していただきたいが、生き延びて調査を続けるため、今までのように激しい講演・集会参加などの活動を控え、表面的にはしばらく活動に関知しないので、ご理解下さい。
 だからと言って、私の意思に何か変化があったわけではない。小さな意志の実行が積み重なって、大きな結果を成すと思えば、筆を執って事実を記述しようと決意して、このテレビ報道に関する意見を執筆してきた。テレビ報道の質が高まることを祈って、この書籍を出版社から出版するつもりで書いてきたが、最後になって、私はこの書籍を出版社から発行することは無理だと気づいた。 
 なぜなら、この原稿の量は、日を追うごとに増え続けて、いつしか400字詰め原稿用紙600枚以上になっていたので、かなり分厚い単行本1冊と同程度である。出版社がこれを普通に書籍化すれば、定価が2000円前後になってしまう。過去40年間、(文庫本や新書版のサイズを除けば)四六版の普通サイズの本を出版するたびに、できるだけ多くの人に事実を広めたいと願う時、「なぜ定価を1000円にできないのか?」と常々感じてきた私にとって、出版社に高価な書籍を発刊してもらうことは望まない。
 本稿は、日本に住む人の誰にも、落ち着いてすべてのページを読んでほしい内容であり、誰の家にもこの本が一冊置かれてほしい。が、読書離れしている日本人にとって原稿の量が多すぎる。この原稿の最大の欠点≠ヘ、読者一人一人の個人にとって、すぐに関心の持てない内容も数々含まれているはずなので、その箇所をうまく飛ばし読みして、原稿を最後まで読んでもらわなければならない。内容を、「韓国/北朝鮮」問題の前半だけにすれば半分に減らせるが、それでは私が本心から書きたかった「テレビ報道」という主題テーマが落ちてしまう。さらに後半の「第三話 ノーベル賞・東京オリンピック・大阪万博・異常気象」という原子力発電に関わる問題と、「第四話」の国外問題も、「テレビ報道」の深刻な問題として、決して欠かせない。
 私の理想は紙に印刷された本である。デザイナーが装幀した書籍には生き物としての味があり、好きな頁を即座に開くことができ、本屋さんと図書館の書棚を飾ることができる。しかしそれが現在は不可能になったインターネット中心のメディア社会であることを認めなければならない。
 そこで、この社会情勢の中で、日本のテレビ報道界が持っているはずの気高い魂を貫いてもらうために、いかにして広く事実を伝えられるかと思案した末に、一理ある思い付きとして考えたのが、「正しい報道ヘリの会」を設立した時と同じように、私の知人・友人に直接、この原稿をメールで送って読んでもらい、それを広めてもらうという方法であった。
 この原稿は、PDF(Portable Document Format)と呼ばれる電子ファイルなので、誰にでも電子メールで送ることができる。受け取った人が、それを読んで内容に共鳴してくれれば、多くの人に転送することもできる(受け取った人は、私に断りなく本稿を自分のホーム頁などに掲載したり、転送して下さい)。PDF文書の長所として、本稿で3ヶ所に使った「系図」の小さな文字を、いくらでも拡大して読むことができるという利点がある。そして「異常気象と温暖化」の説明を、モノクロではなく、分りやすいカラーにできる。
 あとは、みなさんが、本稿を定価1000円で購入してくれれば、私にとって言うことなしです。いや、価格は買い手のみなさんが、自由に決めることです。タタキ売りします。
 今後も、さまざまな社会問題の議論に資する資料を、全国多くのみなさまに直接、安価に頒布するための郵便口座「広瀬隆文庫」を開設しました。

◎郵便振替口座名:広瀬隆文庫 口座番号:00160−8− 588281
◎ほかの金融機関から振り込む場合の口座↓
ゆうちょ銀行 〇一九(ゼロイチキュウ)店(019) 当座預金 0588281

 この文庫の趣旨は、富山の薬売り&式で口座を運営致します。富山の薬売り≠ヘ訪問先の家に前もって医薬品を預けておき、必要な時に薬を使ってもらったあと、次に訪問した時に、使われた薬の分だけの代金をいただく、つまり病気を直すことを第一義とするすぐれた方式です。この薬売りと同じように、私のこのPDF原稿を、みなさまに送ります。それをみなさまが読んで(時間をかけてもいいから、落ち着いて読まなきゃダメですよ)、「これは書店で買った本と同じ価値がある」と思った人が、上記の郵便振替口座「広瀬隆文庫」に、評価した額だけを振り込んでいただければ幸いです。

 敬愛するみなさまの友人・知人・ご家族たち、とりわけテレビ報道界の知人に、この原稿を直接送ってくださり、ここに書かれた重要な事実を広く伝えて、世の中を変えて下さるよう、心からお願いを申し上げます。
 韓国/北朝鮮問題は、日々、アメリカ・韓国・北朝鮮が現在も複雑な心理を反映した言動を続けていますので、私が望んでいる平和的な最終結論が出る前に、こちらが最期の眠りについて帰らぬ旅に出る可能性もあるので、ここで原稿に一旦ピリオドを打ちます。大きな修正・加筆が必要となった暁には、またの機会を見て、一文を送ります。
 読者のみなさまは、社会から隔絶された私の行動を観察することはできませんが、逆に私は、社会と隔絶されていても、人びとの行動を観察することができます。つまり私にとって、みなさまは片想いの恋人の関係にあります。
 世間に徘徊する悪人たちが、透明人間のような私の姿を見ることができずに油断すれば、私がこれから明らかにする彼らの犯罪事実から、逃れることはできません。
 私の霊魂が生き続ける限り、私が持っている鷹の目は、彼らの罪を、これからも暴き続けることを、誓っておきます。
 せめてこの著書を通じて語り合うことができる方がいれば、私も和やかな夢見心地になり、恍惚たる境地に遊ぶことができます。
 日本全国およびアジア・全世界の静穏なる日々のため、
 平和活動家たる皆々様のご健勝を心より祈念して……

 2019年3月26日 広瀬隆

【追記──出版社の校閲の人のチェックが入っていない原稿ですので、万一、誤記・誤植に気づいた時は、お知らせくだされば感謝します】
7. panbet37[3157] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2020年9月26日 01:46:22 : 6J7XudsF6g : SWhiVG1scjVucXc=[797] 報告
この情報収集力、調査力は凄いとしか言いようがありません。僕はそもそもは、広瀬さんがデュポンやモルガンを追いかけた著書を読んだのがきっかけで、広瀬隆という名前を、頭にしっかり刻み込んだ経緯があります。

 もう一つは、「問題意識」ですね。広瀬さんの問題意識は、とにかく図抜けていた、そんな印象があります。

 贅言、多謝。

8. 2020年9月26日 17:59:02 : g0Wf9nkLZg : ejI5Q0tERzEzdWs=[2] 報告
日本において、太田龍と双璧を成す2大陰謀論者の広瀬隆は、こういう論文を書かせたらピカイチだね。

さも真実ではないかと多くの人が騙される。

実際、広瀬隆の予測に基づく仮定が真実を言い当て、その通りの謀議が行われているものも、少なからずあるかも知れない。

しかし広瀬隆が本質として隠している事こそが、南北朝鮮そして中国共産党を知る上で、本当に重要な事である。

9. 2020年9月27日 03:45:56 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[548] 報告
日米韓朝の関係に関しての認識が残念なことになっている
広瀬さんの認識は真実からほど遠い
残念なことだな
と思ったら8さんによれば、それは故意であり、読者を欺いているということなのか

日米韓朝の関係は、日米軍産の存在抜きでは語れない
軍産潰しをやっているトランプによって、軍産の存在が明確になった
なぜならボルトンが半島から戦争屋CIAを回収したら、北ミサイルはピタリと止まったからだ

北朝鮮は日韓の国民を脅して、防衛予算を拡大させる
その予算が全部日米軍産の企業の収入になるのだ

広瀬さんは軍産など存在しないという話になっているから
それは政府の意向を汲んでいるのではないかと思える

じゃあ、原発爆破の半年前に「大地震によって原発の巨大事故が起こる危険性が迫っている」ことを予告していた
というのは、テロでないと思わせるための活動??

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