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「映画『Fukushima 50』はなぜこんな『事実の加工』をしたのか?」
(中川右介 現代ビジネス 2020/3/6)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70707
福島第一原子力発電所の事故を描いた映画『Fukushima 50』(若松節朗監督)が3月6日公開される。
これは、一種の「戦争映画」だ。福島第一原発を戦場として描き、吉田所長以下の職員たちを兵士として英雄的に描く。
娯楽映画として、よくできている。
原発のプラント内の再現度が高い。といって、私自身が実際の原発を見ているわけではないので、どこまで再現されているかは確証できないが、リアルに感じた。
凄まじい事故だということ、原発内部の構造がよく分かる。そして、現場の職員たちの危機感もよく伝わってきた。よくぞ、日本は無事だったと思う。
しかし、大きな問題のある映画だ。
■ 混乱の元凶は「総理」だったのか?
娯楽映画なので、作劇上、主人公であるヒーローに対し、悪役が必要なのは分かる。
この映画が扱う戦争では、倒すべき相手は「どこかの国」でもテロ組織でもなく、暴走している原発だ。
そして原発そのものは敵ではない。むしろ、職員たちは原発を愛しており、傷ついて苦しんでいるのをどうにかしてやりたいという感情を抱いている。原発を救おう、という感覚だ。
この映画での悪役は、自分は安全なところにいて、無理なことばかり言う東電本店の役員たちであり、分かりもしないのに口を出してくる首相官邸なのだ。
といって、それは「敵」というほど大きな存在ではなく、「障害」程度だ。
その障害である「総理」を、佐野史郎が演じている。
佐野が脚本を読んで考えた演技で監督が認めたのか、監督の指示による演技なのかは分からないが、この映画での「総理」は、かなり浮いている。彼だけが熱くなり、ヒステリックにわめきちらしている。
「総理」は混乱の元凶のように、描かれている。
■ 菅直人元首相の実像
先にことわっておくが、私は菅直人元首相の40年近い「知人」である。菅直人事務所で働いていたこともある。
菅元首相が原発事故について書いた『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』 (幻冬舎新書)も手伝ったので、事故についても、普通の人よりは知っているつもりだ。
その上でこの映画について書けば、事故の事象は、「事実」に即していると思う。これまでに読んできた他の文献との食い違いは、なかった。
だが、「総理大臣」の描き方は、何か意図的に「事実」を歪曲、あるいは無視している。
宣伝資料によれば、撮影を見学に来た吉田所長をよく知る人たちが、渡辺謙演じる吉田所長を見て「そっくり。後ろ姿は本人かと思うほどで、のりうつったかのようだ」と言ったそうだが、菅直人元首相をよく知る私には、この映画の「総理」は、「全然、菅さんに似ていない。まるで別人」に見えた。
顔が似ているとか似ていないではない。雰囲気がまったく違う。
私も何度か菅元首相に怒られたことがあるが、たとえ激高していても、もっと理路整然としており、感情にまかせてわめきたてることはしない(だから、余計、怖いのではあるが)。
巧妙なことに、この映画の配役表では、佐野史郎が演じているのは「内閣総理大臣」であって、「菅直人」ではない。万一、抗議されても、「あくまで『総理大臣』であって、『菅直人』を演じたのではない」と言い逃れできるようになっている。
そこに、政治的意図を感じてしまう。せっかく、事故そのものをリアルに描いているのに、映画全体がどこかウソっぽくなってしまうのだ。
■ 観客をミスリードする作り
原作は、門田隆将著『死の淵を見た男』で、門田氏が関係者に取材して事故を再現したノンフィクションだ。この原作では、ちゃんと「菅直人」として描かれている。実際、執筆にあたり、門田氏は菅直人元首相にも取材している。
映画では、「吉田所長」は実名で登場するが、首相官邸にいた東電のフェローは「武黒一郎」なのに「竹丸吾郎」となっている。
また、「総理大臣」以下の政治家や関係者も「内閣官房長官」「経済産業大臣」「原子力安全委員会委員長」「原子力安全・保安院院長」などは、役職名として登場するだけで、個人の名はない。
つまり、映画のなかでの「悪役」は、モデルとなっている人物の実名では登場しない。
観客は、吉田所長という人物が実名で登場するので、この映画はすべて「事実」に基づいていると思うだろう。だが、映画は、官邸側の人物を実在の人物として描くことから逃げている。
映画のなかで、「菅さん」というセリフがなくても、誰もが佐野史郎が演じている「総理」が「菅直人」だとイメージするように作っておきながら、あの人物は「菅直人」ではないのと、言い逃れができる作り方をしている。
当時の政権にもさまざまなミスはあったろう。別に菅直人をもうひとりのヒーローとして描けとは言わないが、吉田所長と同程度の再現度で、「菅直人首相」として描くべきではなかったのか。
そのほうが映画としての価値も高くなったと思う。
以下、野暮を承知で、事実との相違点を記しておく。
■ 描かれなかった総理側の事情
地震は3月11日午後に起き、その日の夕方から、福島第一原発は危険な状態になっていた。12日未明、総理は自衛隊のヘリで現地へ向かい、視察した。
この現地視察は当時から、批判された。「最高責任者が最前線に行くなどおかしい」というのが批判の理由だ。
映画は、この立場から批判的に描く。
さらに、「総理が現地へ行くことになったのでベントが遅れ、被害が拡大した」したというストーリーに仕立てている。いまもこのストーリーを信じている人は多い。
総理の視察とベントの遅れとの因果関係は、何種類も出た事故調査委員会の報告書で否定されている。遅れたのは、手動でやらなければならず、準備に時間がかかったからで、これはこの映画でも詳しく描かれている。
映画では、準備が整い決行しようと思ったところに、東電本店から「総理がそっちへ行くので、それまでベントを待て」と言われ、できなくなったことになっている。吉田所長の感覚としてはそうだったのかもしれない。
だが、菅首相としては「午前3時にベントをする」と伝えられていたのに、3時を過ぎても「遅れていること」も、「遅れている理由も」も知らされない状態だったので、「行くしかない」となったのだ。
その首相側の事情は描かれていない。
12日午後、一号機が爆発する。映画では、首相は官邸の危機管理センターにいて、そのモニターでリアルタイムで知ったかのように描かれている。
しかし実際はこういう経緯だ。
爆発は15時36分。菅首相は15時から与野党の党首会談に出席し、16時過ぎに終わった。
執務室に戻ると、危機管理監から「福島第一原発で爆発音がした。煙も出ている」との報告を受けたが、管理監も「詳しいことは分からない」と言う。しばらくして、白煙が上がっているらしいとの情報も入る。
そこで東電から派遣されている武黒フェローを呼んで訊くと、「そんな話は聞いていません」との答え。武黒フェローは「本店に電話してみます」と言って問い合わせたが、「そんな話は聞いていないということです」と言う。
菅首相は原子力安全委員会の斑目委員長に「どういう事態が考えられますか」と質問し、委員長が「揮発性のものがなにか燃えているのでは」と答えたとき、秘書官が飛び込んできて、「テレビを見てください」と言う。
テレビをつけると、日本テレビが、第一原発が爆発しているのを映していた。
実際に爆発してから1時間が経過しており、その間、東電からは何の報告もなく、首相は、一般の国民と同時刻に、テレビで知ったのである。
東電の本店と福島第一原発はモニターでつながっているので、本店はリアルタイムに知っていたはずだが、それを伝えなかった。問い合わせにも「聞いていない」と答えた。
そういう東電本店のお粗末さが、この映画では描かれない。
「すべてを描くことはできないから、省略することもある」のは、事実に即した映画にもよくあることだ。だから批判はしないが、実際はこうだったと確認しておきたい。
■ 歪められた言葉の主旨
もうひとつの重要シーンは、3月15日だ。午前3時頃、菅首相は、東電が現場から撤退したいと言ってきたとの報告を受けた。
誰もいなくなったら原発の暴走を止めることはできず、日本は壊滅する。しかし、このまま、職員が現場にいたら、命が危ないのも事実だった。
東電社員は民間人である。民間人に、政府が「命をかけろ」と命令できるのか。法律上は総理にはそんな権限はない。だが、菅首相は「撤退はありえない」と、官邸に来た東電の社長に伝えた。日本を守るためには東電に対処してもらうしかないのだ。
さらに、午前5時半過ぎに、東電本店へ行き、事故対策にあたっているオペレーションルームで、「命をかけてください」と呼びかけた。
映画ではこのシーンでも、「総理」はヒステリックにわめいているが、実際はどうだったか。
私もその場にいたわけではないが、菅直人という人をよく知る立場からすれば、ああいう絶叫をする人ではない。
このオペレーションルームでのやりとりは録画されているが、なぜか菅首相の発言の間だけ、音声は残っていないということで、公開されていない。画像のみが公開された。
映画としては、モニターで総理の演説を見て聞いている吉田所長が、ズボンを脱いで下着を見せ(ようするに、ケツを向けているのだろう)、他の職員も総理に悪口雑言をつぶやいている様子が描かれている。
おそらく、そうした「社員の悪口雑言」までも録音されてしまったので、東電は公開を拒んで、「録音されていない」ことにしたのだろう。
そういうわけで、本店へ乗り込んだときの菅首相の発言は録音が「ない」ので、正確には再現できないが、その場にいた総理補佐官のメモなどから、おおよそのことはわかり、『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』にも記載されている。長くなるが、全文を載せる(同書は紙の本は品切れだが、電子版で読める)。
「今回のことの重大性はみなさんが一番わかっていると思う。政府と東電がリアルタイムで対策を打つ必要がある。私が本部長、海江田大臣と清水社長が副本部長ということになった。これは2号機だけの問題ではない。2号機を放棄すれば、1号機、3号機、4号機から6号機。さらには福島第二サイト、これらはどうなってしまうのか。これらを放棄した場合、何か月後かには、全ての原発、核廃棄物が崩壊して放射能を発することになる。チェルノブイリの2倍から3倍のものが10基、20基と合わさる。日本の国が成立しなくなる。何としても、命がけで、この状況を抑え込まない限りは、撤退して黙って見過ごすことはできない。そんなことをすれば、外国が「自分たちがやる」と言い出しかねない。皆さんは当事者です。命を懸けてくだい。逃げても逃げ切れない。情報伝達は遅いし、不正確だ。しかも間違っている。皆さん、委縮しないでくれ。必要な情報を上げてくれ。目の前のことも、5時間先、10時間先、1日先、1週間先を読み行動することが大事だ。金がいくらかかっても構わない。東電がやるしかない。日本がつぶれるかもしれない時に撤退はあり得ない。会長・社長も覚悟を決めてくれ。60歳以上が現地に行けばよい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない。撤退したら、東電は必ずつぶれる。」
映画での、「総理」の発言は、もっと短く、「逃げられない」と絶叫しているだけだ。
省略はいいとして、全体の主旨まで歪めているのは、どういう意図だろう。
*
この映画は門田氏の原作をもとにし、東電側には改めて取材しているようだが、菅首相サイドには取材していない。
どの段階で誰が、「総理大臣を悪役にする」と決めたのかは知らないが、出発点がそこにあるので、演技も演出も、「総理」登場シーンだけは、事実とはかけはなれてしまっている。
当時の民主党、菅直人政権を批判するためのプロパガンダ映画として作られたのなら、その目的は達成されるだろう。
しかし、そんなことが目的の映画だったのか。
俳優もみな熱演しているし、事故のシーンの迫力はものすごく、どんな事故だったのを知るために多くの人に見てもらいたいとも思うだけに、政治的な「事実の加工」が残念でならない。
------(引用ここまで)---------------------------------
門田隆将・原作ということで、どうしようもない民主党叩きのプロパガンダ映画だろうと
思っていましたが、その通りだったようです。
菅直人氏は、この作品を名誉毀損で訴えるべきでしょう。
もちろん、福島原発事故を描いている以上、こんな言い逃れは裁判では通用しません。
「
映画のなかで、「菅さん」というセリフがなくても、誰もが佐野史郎が演じている「総理」が
「菅直人」だとイメージするように作っておきながら、あの人物は「菅直人」ではないのと、
言い逃れができる作り方をしている。
」
われわれのすべきことは、この映画を観ないこと、ボイコットすることです。
(関連情報)
「もし福島原発事故当時、危機対応能力ゼロの安倍政権だったら、どうなっていたか?」
(拙稿 2020/3/2)
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/536.html
「菅首相『絶対に撤退は無い。何が何でもやってくれ』 勝俣会長『子会社にやらせます』
寺田学・元首相補佐官の証言がすごい」 (拙稿 2016/9/5)
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/421.html
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