掲載日:2019.03.14
研究成果は、国際科学誌「Urology(ウロロジー)」に2018 年5 月8 日掲載
この度、名古屋市立大学大学院システム自然科学研究科村瀬研究室と、名古屋市立大学大学院医学研究科小児泌尿器科学、腎・泌尿器科学分野との共同研究による論文(福島原発事故後の停留精巣の全国的増加)が、国際科学雑誌Urology に掲載されましたのでご報告いたします。
小児先天性奇形の一つである停留精巣は出産前に診断することができず、それを理由とする中絶は発生しません。そのためこの疾患は、2011 年に発生した東日本大震災とそれに続く福島第一原子力発電所事故が先天性疾患にどのような影響を与えたかを評価するのに適していると考えられます。私たちは、医療費の包括支払い制度(DPC/PDPS*1)を導入している病院に関して、中央社会保険医療協議会により公表されている退院件数データを用い、2010 年度から2015 年度の6 年間で連続して停留精巣の手術退院件数が得られた35 県94 病院のデータを集計*2しました。その集計データについて2010-2011 年度と2012-2015 年度を比較したところ、停留精巣の手術退院件数は、原発事故後に13.4%(95%信頼区間:4.7%-23.0%)の有意な増加が認められ、調査終了時の2015 年度まで高い水準が維持されていました。停留精巣のリスクファクターである低出生体重児や早期産の割合は調査期間中においてはほぼ一定であり、原発事故の関与が主要な原因として考えられました。しかしながら、本研究ではそれを証明するには至っていません。
*1 DPC/PDPS:Diagnosis Procedure Combination / Per Diem Payment System
*2 10 件未満の手術退院件数は個人情報保護の観点から公表されていないため、手術がそれほど多くない病院では年度によっては手術退院件数が得られず、欠損のあるデータとなることがある。本研究ではこのような病院は集計していない。
ポイント
- 福島原発事故の健康への影響について、全国的な評価は未だ行われていませんでした。
- 停留精巣は頻度の高い先天性奇形の一つであり、一回の手術治療で根治しうるため、その手術件数は先天性疾患に対する原発事故の影響を評価するのに望ましい性質を備えています。
- DPC/PDPS を導入している病院については、DPC survey により、年間10 件以上であれば停留精巣の手術退院件数が公表されています。
- 35 県94 病院における2010-2015 年度の手術退院件数データを用いて解析を行ったところ、全年齢層における停留精巣の手術退院件数は、震災後に13.5%(95%信頼区間:4.7%-23.0%)有意に増加していました。
- 3歳未満の推定手術件数を用いた場合は、16.9%(95%信頼区間:2.9%-32.4%)の有意な増加が認められました。
【解説】
停留精巣
停留精巣は小児泌尿器領域では最も頻繁の高い先天性奇形の一つであり、生後半年以降に診断され、1 歳児の1.0-1.7%に認められます。基本的には一回の手術治療で根治しうる疾患であり、ガイドライン上では1-2 歳までの手術治療が望ましいとされていますが、近年は将来の妊孕能を考慮して生後半年以降から手術が行われるようになってきています。
DPC survey
DPC/PDPS は近年厚生労働省により進められている入院治療に関する医療費の包括支払い制度で、このDPC 制度は大学附属病院をはじめとする大規模病院を中心に導入が進められています。
DPC survey はDPC 制度導入による影響を評価する目的で行われており、この調査の一環として退院患者数の調査が行われています。
DPC 制度で規定されている疾患に関して、2009 年度までは6 ヶ月、2010 年度は9 ヶ月、2011 年度以降は12 ヶ月全ての退院患者数が集計・公表されています。全国の件数が合計されている集計表では年齢分布が示されている一方、病院ごとに集計されているデータでは年齢分布は不明であるため、全ての年齢層の手術退院件数の合計となっています。
停留精巣の手術退院件数の推移
DPC survey による退院件数データにおいては、10 件未満の手術退院件数は個人情報保護の観点から公表されていないため、手術がそれほど多くない病院では年度によっては手術退院件数が得られず、欠損のあるデータとなることがあります。本研究では停留精巣の手術退院件数に関する連続したデータが得られた病院のみを集計しました。
DPC 制度を導入している病院は2015 年度から遡るほど少なくなるため、連続したデータが得られる病院数も年度を遡るほど少なくなりますが、連続して5 年以上遡ることのできる(即ち2011 年度を含む)病院の集計のいずれにおいても、2011 年度と2012 年度の間で手術退院件数の増加が認められました(図1)。
また、2010-2015 年度(6 年データ、35 県94 病院)及び2008-2015 年度(8 年データ、
25 県40 病院)の人口当たりの手術退院件数についても、2011 年度と2012 年度の間で増加が認められました(図2)。
震災前後における手術退院件数の変化
停留精巣は生後半年以上経過してから診断されることを踏まえると、震災の影響が手術退院件数に主に反映されるのは2012 年度以降であると考えられました。そこで、2010-2015 年度の6年間を集計したデータ(35 県94 病院)において、2010-2011 年度を震災前、2012-2015 年度を震災後として比較すると、13.4%(95%信頼区間:4.7%-23.0%)の有意な増加が認められました(図3、分布図は図4)。2008-2015 年度の8 年間を集計したデータ(25 県40 病院)においても、12.7%(95%信頼区間:2.1%-24.4%)の有意な増加が認められ、6 年間データと同様の結果となりました。なお、6 年間データについて3 歳未満の推定手術件数を用いた場合は16.9%(95%信頼区間:2.9%-32.4%)の有意な増加と推定されました。
【研究助成】
本研究は、文部科学省・日本学術振興会科学研究費補助金(JSPS 科研費 JP 16K00575)による助成を受けて行われました。
【掲載された論文の詳細】
【論文タイトル】
Nationwide increase in cryptorchidism after the Fukushima nuclear accident.
「福島原発事故後の停留精巣の全国的増加」
【著者】
Kaori Murase1* (*Corresponding author), Joe Murase2, Koji Machidori3, Kentaro Mizuno4, Yutaro Hayashi4, Kenjiro Kohri5
名古屋市立大学大学院システム自然科学研究科1、オオタカ保護基金2、まちどりクリニック3、名古屋市立大学大学院医学研究科 小児泌尿器科学4、名古屋市立大学大学院医学研究科 腎・泌尿器科学分野5
【掲載学術誌】
「Urology(ウロロジー)」
図1. 停留精巣の手術退院件数の推移
2015 年度から遡って連続して10 件以上のデータが存在する病院の手術退院件数を合計した。(a)2008-2015 年度、(b) 2009-2015 年度、(c) 2010-2015 年度、(d) 2011-2015 年度、(e) 2012-2015 年度、(f) 2013-2015 年度、(g) 2014-2015 年度。図中の数字は集計した病院数。2011 年度と2012 年度の間で手術退院件数の増加が認められる。
図2. 停留精巣の手術退院件数の推移 (人口1 千万対)
A. 2010-2015 年度 (6 年データ、35 県94 病院)、B. 2008-2015 年度 (8 年データ、25 県40病院)。いずれの場合でも2011 年度と2012 年度の間で増加が認められる。2010 年度は9 ヶ月分の集計、2008 年度及び2009 年度は6 ヶ月分の集計であったため、それぞれ合計件数を4/3 倍あるいは2 倍したものが示されている。各年度における人口1 千万対の手術退院件数がポアソン分布に従うと仮定した際の95%信頼区間も示されている。2008-2010 年度に関しては4/3 倍あるいは2 倍した件数に対するものであるため点線で示している。(解析の際は、4/3 倍あるいは2 倍した値は使用していない。オフセット項を用いることで、2008-2010 年度のデータをそのまま使用した。)
図3. 停留精巣の手術退院件数の増加率
6 年データ (2010-2015 年度) を用いた場合の震災前後での増加率が示されている。A. 全国 (35県94 病院の合計) での増加率、B. 県別の増加率。全国集計では13.4%の有意な増加が認められた(95%信頼区間:4.7%-23.0%)。
図4. 停留精巣の手術退院件数の増加率の分布
6 年データ (2010-2015 年度、35 県94 病院) を用いた場合の震災前後での増加率の分布が示されている。調査された全ての県で停留精巣の手術退院件数は増加していた。