まるで戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」の再現じゃありませんか。 それで思い出したのが、中国の周恩来先生。47年前の今の時期。田中角栄首相は中国を訪問し、日中国交正常化を果たしました。中国を訪問した田中角栄首相、大平正芳氏など訪問団は国交正常化交渉を行いました。この中で最大の問題だったのが、日本の戦争責任と戦争賠償金です。中国は日本軍国主義勢力の最大の犠牲者ですから、この交渉は並大抵のものではなかった。 その交渉の中で周恩来首相が「日本人民も日本軍国主義者に苦しめられてきました。日本から賠償金を取ることは、日本人民を苦しめることになります。」と、日本から戦争賠償金を取らないと表明され、ここで最大の難題がクリアできたのです。 [昭和47年9月] 中日ニュース No.976_2「日中国交回復の道」 https://www.youtube.com/watch?v=t9muYWp1GFs [昭和47年10月] 中日ニュース No.977 2「日中国交回復」 https://www.youtube.com/watch?v=r-K5eJXX7_4 ●動画中のコメントが重要です。東京から北京まで飛行機で4時間なのに、ここに至るまで27年もかかったと。1945年から27年もかかったのです。日中国交正常化の道は、アメリカ戦争屋との戦いの歴史であったと言ってもいい。 日中国交正常化を目指した鳩山首相、石橋湛山首相は相次いで短命に終わり、それからは岸信介の清和会政権になり、中華民国重視の姿勢が続きました。この間、国連における中国代表権問題は何度も討議されましたが、日本は常に中華人民共和国の国連加盟に反対し続けたのです。 日中国交正常化の前年の1971年10月25日の国連決議で、中華人民共和国政府の国連招聘、中華民国の国民政府追放(国父追放)が決まりましたが、日本政府はそれにも反対しました。佐藤栄作首相はその後、訪中する東京都の美濃部知事に親書を託しましたが、中国政府は受け取りを拒否したのです。 この頃から、あまりに長く続く佐藤栄作内閣の終わりが見えてきました。「もう佐藤ではダメだ。」今でいうならば、新機軸外交のできない佐藤氏では無理だと。 [昭和46年10月] 中日ニュース No.928 1「追いつめられた佐藤政権」 https://www.youtube.com/watch?v=jZzg58OykyI [昭和46年11月] 中日ニュース No.932_1「国会、国民を無視」 https://www.youtube.com/watch?v=WSsf5rZpgXw ●沖縄、中国。佐藤首相は行き詰りました。親戚のバカも同じ問題に晒されています。下の中日ニュース No,932。岸信介も佐藤栄作も、強行採決を繰り返した。同じことを親戚のバカがやっているのです。歴史は繰り返すじゃないけど。 佐藤栄作をやめさせたように、今こそバカを葬り去るしかない !
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