第2次池田内閣時、田中角栄は44歳の若さで大蔵大臣となった。 就任時、大蔵官僚を前にした挨拶は語り草になっている。>大蔵官僚を前に「すべての責任はこの田中角栄が負う」https://bunshun.jp/articles/-/10389 まず、田中さんの人心掌握術がいかに優れていたかを示すエピソードをひとつ。1962年、第2次池田内閣の大蔵大臣に就任して居並ぶ大蔵官僚を前にあいさつをした、そのあいさつ文が記録に残っています。___ 「私が田中角栄であります。皆さんもご存じの通り、高等小学校卒業であります。皆さんは全国から集まった天下の秀才で、金融、財政の専門家ばかりだ。かく申す小生は素人ではありますが、トゲの多い門松をたくさんくぐってきており、いささか仕事のコツは知っているつもりであります。これから一緒に国家のために仕事をしていくことになりますが、お互いが信頼し合うことが大切だと思います。従って、今日ただ今から、大臣室の扉はいつでも開けておく。我と思わん者は、今年入省した若手諸君も遠慮なく大臣室に来てください。そして、何でも言ってほしい。上司の許可を取る必要はありません。できることはやる。できないことはやらない。しかし、すべての責任はこの田中角栄が背負う。以上!」 これを聞いた大蔵官僚たちは、一発で参ってしまいました。君たちは自由にやれ、責任は私が取る、と言われて心酔しない部下はいないでしょう。さあ、今の政治家に、こう言い切れる人はいるのだろうかと、つい考えてしまいます。 1965年、前年からの証券不況の中で山一證券が経営不振に陥りました。その救済のために日銀特融、日銀による特別融資が行われました。それを断行したのが大蔵大臣の田中さんでした。官僚であれば、過去に例のないことはやりたがらないものです。それを田中大臣は「いいからやれ。責任は俺が取る」と言って救済させました。先の就任あいさつはハッタリでも何でもなかったことになります。 田中角栄は「コンピューター付きブルドーザー」の異名で、数字の暗記力や強引なまでの実行力が称えられました。総理大臣に就任したのは1972年の7月。当時54歳で、のちに安倍総理が誕生するまでは最年少の総理大臣でした。_________引用終わり 現在の政治家にとって最も大切なことは、「本当に国家・国民のための政治を行う」という一点に尽きるのだと思います。それは、小沢一郎や山本太郎等の政治姿勢に現れています。その一方、利権と腐敗にまみれた日本政治の現実に飲み込まれた人間は、「国家・国民のための政治」ではなく、「力あるものへの忠誠」を優先させているのだろうと思います。それはパスカルの「パンセ」にもあるとおり。 だから、民主主義が本当の意味で実現されている国ならば善政が行われるのは必然なのですが、残念ながらジャーナリズムが死滅状態にあり、公正な選挙さえ実現できていない偽装民主主義状態の日本政治の現状では、国民が悲惨に追いやられるのが必然ということになるのでしょう。だから小沢一郎が言うように、権力を手にしなければ何もできない、政権交代を実現すること、腐敗の極みとなった自民党に選挙で勝つことこそが民主主義である、との思いに至るのでしょう。 __________________________________________ >第五章 正義と現象の理由 http://james.3zoku.com/kojintekina.com/pascal/pascal298.html 正義。力。____ 正しいものに従うのは、正しいことであり、最も強いものに従うのは、必然のことである。 力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的である。 力のない正義は反対される。なぜなら、悪いやつがいつもいるからである。 正義のない力は 非難される。したがって、正義と力とをいっしょにおかなければならない。 そのためには、正しいものが 強いか、強いものが正しくなければならない。 正義は論議の種になる。力は非常にはっきりしていて、論議無用である。 そのために、人は正義に 力を与えることができなかった。 なぜなら、力が正義に反対して、それは正しくなく、正しいのは自分だ と言ったからである。 このようにして人は、正しいものを強くできなかったので、強いものを正しいとしたのである。 __________________________________________
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