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上のリンクの登場は明るい未来を期待させるが、懸念がひとつある。それは日本に根付く悪の根は予想以上に深いことだ。浄土真宗などの仏教信者のことだが、彼らは例えるなら檻の扉が開いていても逃げないような人々だ。捕まった魚や虫でさえ必死で逃げようとするが、そう考えると、浄土真宗信者はもはや生物でさえない。本願寺の命令無しでは、安部総統を捨ててトランプ大統領の支持に回ることはないだろう。
浄土真宗から決して逃れようとしない彼らの正体とは?彼らは、本願寺に心から帰依しているわけではない。なぜなら高級盗賊に過ぎない浄土真宗に帰依すべき知は皆無だからだ。彼らは単に弱いので、生きていくために平穏な日常と生活の保障(悪は警察、医療、教育などのインフラを掌握している)を求め、悪(人喰い人種)に完全服従しているに過ぎない。先祖代々、それ以外の人生を知らないのだ。
彼らは喜ぶ時も、怒る時も、笑う時もすべてが芝居である。所有物が心から喜ぶこと、怒ること、笑うことは許可されていない。邪教信者とはいわば売れない役者である。主役になれない役者は生まれてから死ぬまで楽屋暮らしだ。華やかな舞台ではなく、薄暗い楽屋で人生を送るのだ。彼らが死の床にあるとき、脳内を駆け巡る走馬灯さえ、芝居しかない。ただ、信者が泣く時だけは芝居ではない(誰も見ていないところで泣くことを指示されている為泣いているところは誰にも見られていない)。
仏教信者とは、その弱さゆえに自らが、自分の意思、感情、本能を放棄している人々である。俺の記事で遺伝子組み換えが有害だと理解しても尚、意志を持たぬ人々は体の不調も厭わず、食物アレルギー伝説を信じ、GM作物を安全だと信じて食べ続けていくのだ。ブタやブロイラー、養殖マグロなどの家畜でさえ意志、感情、本能を放棄してはいない。
意志、感情、本能を放棄した浄土真宗信者は道具でしかない。単なる人の姿をしたツールであり、所有者に所有されている所有物だ。死神タナトスの子孫である東西本願寺は、1000年近い年月の中でその残酷さを見せ付けることで弱い人間に完全な調教を施した。信者は道具であり、所有物であるため、ゴミのように捨てられても文句も言わない。ゴミ捨て場に横たわるもの言わぬ廃棄物の山は、人間として、というよりは生物として生きることが出来ずに果てた浄土真宗信者の亡骸のようだ。
タナトスの子孫である東西本願寺は弱い人間というものを研究し尽くしている。「弱い人間とは何か」を知ることで、強い英雄や王者に挑戦し、優位に立つことができた。本願寺は強い人間に対して優位には立つことができるが一度も勝った事がない。生まれながらに負けることを運命付けられた人間は、例え強い人間を殺しても、それでも尚、負けているのだ。
※「集団ストーカーの親玉は加害者に金銭を支払っている」と考えている人も多い。だが、良く考えてみよう。集団ストーカーのような悪行を指揮する者が手下に報酬を支払うはずがない。集団ストーカーを指揮するような悪党は、すべての利益が自分のものでなければ気が済まないのだ。報酬など発生しない。
集団ストーカー加害者は浄土真宗&曹洞宗信者だが、彼らはなぜ集団ストーカーに参加するのだろう?答えは簡単だ。集団ストーカーされたくないから集団ストーカーに参加するのだ。それが弱い人物の最たる特徴だ。自分の生活、生命、人生のためならなんでもする。それが無力な人間というものだ。弱い人間なら誰でも一時でも集団ストーカーに参加すれば、それ以降、集団ストーカー従事を断ることは出来ない。例え命令であっても、集団ストーカーに参加して自分が知らない人にしたことをされたくないのだ。
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