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特集/露呈する公明党の欺瞞と独善。拉致問題で反省すべきは誰か
公明党は代表団を北朝鮮に送り、金日成独裁体制を礼賛。創価学会新聞で北朝鮮を称賛。
FORUM21編集部
「○○党代表団は朝鮮人民が敬愛する金日成(キム・イルソン)首相のチュチェ思想を指針として、千里馬(チョンリマ)の勢いで駆け社会主義建設で大きな進歩をとげたことに対し祝賀した」(○○新聞一九七二年六月七日付)
「(日朝両国の)国交を樹立することができることを確認し、そのための方途として(中略)朝鮮民主主義人民共和国に対する国連の敵対決議に反対し、国連への共和国の無条件招請……」(××新聞同日付)
右の○○、××に入る語は何か。
本誌読者なら容易におわかりだろう(念のために、○○は「公明」、××は「聖教」である)。
北朝鮮が韓国に対する「南進」や「武装遊撃隊」といった戦略を表面化させたのは一九六七、六八年頃。七〇年代に入ると金日成を「世界革命の首領」と位置づけ、個人崇拝の体制を鮮明にしてきた。日本の各種の運動体や自治体首長、議員らにその路線を押しつけようとする姿勢も露骨になっていた。
まさにその時期に、公明党は代表団を北朝鮮に送り、金日成独裁体制を礼賛し、創価学会はそれを「訪朝が日朝間の相互理解と親善に寄与」し、「今後の日朝友好を促進するものとして注目されよう」(同「聖教」紙)と高く讃えたのだ。
この訪朝を、公明新聞は連日のように伝えている。
「この国を解放し、この国を本当に廃墟の中から革命思想によって立ち上がらせた、皆様の敬愛する金日成首相にお目にかかり……」 「チョンリマ(千里馬)運動で前進する共和国の社会主義建設が大きな成果を収めていることに深い感銘……」(同六月四日付)
当時、拉致事件はまだ起きてはいなかった。北朝鮮による日本人拉致は七〇年代後半からだとされている。
国会でこの問題を最初にとりあげたのは八八年三月、共産党の橋本敦参院議員の質問だった。福井、新潟、鹿児島などで起きた事件をとりあげ、捜査状況をただした。これに対し、梶山静六国家公安委員長が「恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚であります」と答弁。国会の場で初めて、公式に拉致疑惑の存在が確認された(公明党の神崎武法代表らは、公明党が最初だと宣伝しているが、同党議員は「蒸発」事件として質問したのであり、「拉致」には言及していない)。
拉致疑惑が公然化して以後の公明党の態度はどうだったのか。再び公明新聞から検証する。
一九九九年七月といえば、自公政権樹立(同年十月)の直前。公明党はこんな「基本政策」を打ち出した。
「拉致事件などの解決をあえて『入口』に位置づけないで、国交回復交渉をすすめる機会を粘り強く探る必要があると考えます」(七月二十二日付) そして神崎武法代表は、こんな念押しまでした。
「拉致問題は重要だが、対話の前提条件にすべきではなく、対話の姿勢を強く打ち出すべきだ」(同年九月二十八日付)
現在の同党幹部や公明新聞の言葉を借りれば、拉致問題の「棚上げ」を主張したのは、公明党自身なのである。
二〇〇〇年八月といえば、拉致疑惑はますます濃厚になり、政治・社会問題として大きく浮上しつつあった。そのさなか、公明党議員による「日朝友好訪問団」が北朝鮮に行った。
行って、拉致問題で直談判をするのなら、それもよいだろう。だが、実際はそうではなかった。
「『近い将来、公明党の公式訪問団を派遣したい』とする神崎武法代表の伝言を伝え」、北朝鮮側が「公式訪問団には必ずお会いしたい」と答えるような、「公明党と北朝鮮との新しい友好関係を築きゆく、意義ある旅」(同年八月十八日付)だったのである。
唖然とするような事実もある。一九八九年、国会議員百二十八人が当時の盧泰愚・韓国大統領に「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」なる文書を提出した。
釈放を求めた「政治犯」のなかの辛光洙、金吉旭両容疑者は、今回「死亡」と伝えられた原敕晁さんを拉致した実行犯と共犯者とされる人物である。その事実は前年の橋本質問(前出)ですでに明らかになっていた。政府が答弁で、原さんになりすまして韓国で逮捕されたのが辛容疑者だと公式に認めている。拉致犯容疑者の「釈放」を求める要望書には、次の六人の公明党議員が署名している。
鳥居一雄、小川新一郎、西中清(以上衆院)、猪熊重二、和田教美、塩出啓典(以上参院)――これについての弁明も、一切ない。
今回の日朝首脳会談で、北朝鮮は初めて「拉致」を認めた。八八年三月の橋本質問から十四年目にして、「疑惑」は「事実」として確認された。国民は、痛ましく、やり切れない現実に直面させられた。これを機会に、この間の対応は適切だったかどうか、政府も政党もマスコミも自らに問い直すべきだろう。
社民党は、まがりなりにも「謝罪」と「反省」を表明した。北朝鮮は七〇年代初め、それまで激しい論争を展開してきた共産党と手を切り、社会党(当時)を対日工作の窓口にすえようとしたとされる。事実、同党はラングーン事件(八三年)や大韓航空機爆破事件(八七年)などで北朝鮮擁護の立場をとりつづけ、拉致問題でもつい最近まで「北の犯罪」説を否定しつづけてきた。「反省と謝罪」は当然だろう。
では公明党はどうか。すでに見てきた事実で明らかなように、独裁と個人崇拝の政権を礼賛し、拉致問題「棚上げ」を主張してきたのは、ほかならぬ公明党である。同党こそまっ先に強い「反省と謝罪」をしなければならない立場にあるのではないか。
拉致問題解決に熱心だったかどうかについて評価の基準は引きにくい。むしろすべての党が自省、自問すべきだというべきだろう。その点でも公明党の態度はきわだっている。
十月二十日、NHK「日曜討論」で冬柴鉄三幹事長はこう言ってのけた。
「交渉の中で北朝鮮に求償(賠償を求めること)することで、早急に拉致被害者家族に対して24年間の補償をきちんとするべきだ」(公明新聞十月二十一日付)
十月二十一日、衆院本会議の代表質問では太田昭宏幹事長代理は、こう演説した。
「社民党は旧社会党時代から『拉致はない』として北朝鮮を擁護する姿勢をとりつづけ……社民、共産両党は拉致問題への対応について国民に対して明確な総括を行なうべきだと思います」(同十月二十二日付)
「共産党の方は『拉致問題は共産党が一番頑張ったんだ』というビラを配っている。過去を反省もできない」(神崎代表=二十六日、福岡・久留米市)、「共産党は拉致はねつ造されたものだ、本来はなかったんだという国会質問を繰り返していた」(松あきら参院議員=同日、和歌山市)……と、他の党幹部も同様だ。
「拉致問題などの解決をあえて『入口』と位置づけないで……」などとしてきた自らの過去には一切ほおかぶりなのだ。しかも、事実をねじ曲げることまでして、拉致という人道上の問題を党利党略に利用する。それが公明党の実態なのだ。
同党の党略的他党攻撃は歴史をさかのぼり、在日朝鮮人帰国問題にも及ぶ。
「(冬柴幹事長はNHK日曜討論で)日本共産党がかつて北朝鮮を『地上の楽園』と同党機関紙などで宣伝するなど帰還運動に加担し、大きな災禍をもたらしたことを厳しく批判した」(公明新聞十月二十一日付)、「帰国をあおり、片棒を担いだ形の共産党の責任は実に大きい!」(公明新聞記者座談会)……という具合い。
戦前に強制連行された在日朝鮮人の帰国問題は戦後、大きな政治課題となった。一九五八年、鳩山一郎元首相(自由民主党)や浅沼稲次郎社会党委員長ら、超党派で「在日朝鮮人帰国協力会」がつくられたように、これは人道上の問題でもあった。
当時、公明党はまだ存在していないが、創価学会の政治進出は始まっていた。創価学会の小泉隆理事長も都議会議員であった。この小泉氏も「在日朝鮮人帰国促進」意見書の提出者の一人である。
六七年に帰国が打ち切られると、公明党はこう主張している。
「政府は、在日朝鮮人の帰国問題については、一応その事業は終わったから打ち切る、こういうふうな一方的なことをきめておるけれども(中略)同じ人道的立場ということを考えて、現に困っていらっしゃる方々の帰国を進めてあげるような方法をとるべきである」(七〇年四月十三日、衆院連合審査会)
聖教新聞の一九五七年三月六日付には、こんな記事もある。
「(帰国希望の学会員に対しては)心配しないでしっかり信心して北朝鮮支部長ぐらいになりなさい、といってあげて下さい」
かつての在日朝鮮人帰国問題でも、他党をあげつらう前に、まず反省すべきは創価学会・公明党自身なのである。
独善、批判拒否、党利党略、欺瞞、破廉恥……それらすべての言葉が、創価学会・公明党にすっぽり当てはまるのだ。
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