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イラン攻撃を正当化するため、自作自演で米空母を撃沈させるのではとの懸念
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201905130000/
2019.05.13 櫻井ジャーナル
アメリカ軍は空母エイブラハム・リンカーンと戦略爆撃機のB-52を中東へ派遣してイランに圧力を加えようとしているが、すでに空母は海軍の主役ではない。戦争になれば、ミサイルで簡単に撃沈されてしまう。今は潜水艦とミサイルの重要度が増していると言われている。 実際、イラン側は戦闘になればミサイルで撃沈すると警告しているのだが、どうしてもアメリカにイランを攻撃させたいアメリカのシオニスト、イスラエル、サウジアラビアなどはアメリカの空母を撃沈してイランに責任をなすりつけようとしていると疑っている。 いわゆる偽旗作戦だが、これはアメリカ支配層の常套手段でもある。例えば、1898年にキューバのハバナ港でアメリカの軍艦メインが爆沈した事件。アメリカはスペインが爆弾を仕掛けたと主張、「米西戦争」を開始、ラテン・アメリカを植民地化する。フィリピンもこの戦争で手に入れたのだが自作自演説は消えていない。 統合参謀本部やCIAの好戦派はドワイト・アイゼンハワー政権の時代からキューバへの軍事侵攻を計画していた。当初の予定では、亡命キューバ人の部隊に奇襲攻撃をさせ、その部隊を救援するという口実でアメリカ軍が攻撃するという手順になっていたが、アメリカ軍の侵攻はジョン・F・ケネディ大統領に阻止された。 そのケネディは1961年11月にアレン・ダレスCIA長官を、62年1月にはチャールズ・キャベルCIA副長官を、62年2月には秘密工作部門の責任者だったリチャード・ビッセル計画局長も解任している。 好戦派のひとりであるライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長はそれでも侵略を諦めず、1962年3月にノースウッズと名づけられた偽旗作戦を国防長官に説明、拒否されている。その後も議長は大統領を説得しようとするが失敗、1962年10月にケネディはレムニッツァーの議長再任を拒否した。 ノースウッズに関連した資料の大半は廃棄されてしまったので詳細は不明だが、残された文書によると、キューバのグアンタナモにあるアメリカ海軍の基地をキューバ側のエージェントを装って攻撃、グアンタナモ湾に浮かぶアメリカの艦船を爆破してその責任をキューバに押しつけることが考えられている。 また、マイアミを含むフロリダの都市やワシントンでプラスチック爆弾を爆発させてキューバのエージェントを逮捕、事前に用意していた書類を公表してキューバ政府が実行したと人びとに信じさせる計画もあった。 また、民間旅客機の撃墜も演出しようとしていた。フロリダ州にあるエグリン空軍基地で民間機のコピー機を作り、本物の航空機は自動操縦できるようにする。 CIAが選んだ人びとを乗せたコピー機を本物として通常のフライトのように離陸させ、途中で無人の本物と入れ替える。コピー機はエグリン基地へ降り、無人機はフライト・プランに従って飛行、キューバ上空で救助信号を出し、キューバのミグ戦闘機に攻撃されていると報告、その途中で自爆するというシナリオになっていた。 これらはノースウッズに含まれるテロ行為の一部にすぎないのだが、好戦派がキューバ制圧にこれほど執着する理由は、当時、彼らが計画していたソ連や中国に対する先制核攻撃にあったと見るべきだろう。 アメリカ軍が1957年に作成したドロップショット作戦では300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすることになっていたのだが、そのために必要な戦略爆撃機やICBM(大陸間弾道ミサイル)の準備にはある程度の時間が必要。 アメリカが必要なICBMを準備でき、しかもソ連が準備できていないという条件を満たすのは1963年の後半だと考えられていた。レムニッツァーは議長でなくなっていたが、好戦派仲間のカーティス・ルメイ空軍参謀長がいる。 そして1963年11月22日、ケネディ大統領は暗殺された。CIAはキューバ犯行説、ソ連黒幕説を流して「報復攻撃」へ誘導しようとするが、失敗した。 ベトナムへ軍事介入する口実として使われた1964年の「トンキン湾事件」も偽旗作戦のひとつとして有名。アメリカの駆逐艦が北ベトナムの魚雷艇に砲撃されたとアメリカ政府は宣伝、1965年2月には「報復」と称して本格的な北ベトナムに対する空爆を始めているが、この事件の背後にはアメリカの特殊部隊による作戦があった。 この特殊部隊の指揮下にあった南ベトナム軍の哨戒魚雷艇が1964年7月に北ベトナムを攻撃、北ベトナムが派遣した高速艇が到着したときには姿を消してた。そこには情報収集活動をしていたアメリカの駆逐艦、マドックスがいるだけ。北ベトナムはマドックスを「報復」として攻撃したと言われている。 アメリカでは北ベトナムからの先制攻撃で戦闘になったとされ、議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決、1965年2月からアメリカ軍は「ローリング・サンダー作戦」を開始、ベトナムへの本格的な軍事介入になる。 イランを攻撃するため、似たようなことをネオコンは目論んでいると疑われているのだ。 巨大金融資本と結びついたシオニスト、いわゆるネオコンは1980年代からイラクのサダム・フセインを排除しようとしていた。イラクに親イスラエル体制を築いてトルコ、イラク、ヨルダンの親イスラエル国帯を築いてシリアとイランを分断、両国を破壊しようと考えたのだ。 1991年、湾岸戦争が終わった直後に国防次官のポール・ウォルフォウィッツはイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官は語っているが、これはネオコンが1980年代から言っていたことだ。 1991年12月にソ連が消滅、その2カ月後にウォルフォウィッツを中心とするネオコンのグループは国防総省のDPG(国防計画指針)草稿という形で世界制覇プランを作成した。いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンである。ネオコンは現在に至るまでこの作戦に執着している。 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されるが、そのショックを利用してネオコンは一気に国内の刑務所化と国外での軍事侵略を本格化させた。 世界貿易センターとペンタゴンが攻撃されてまもなく、国防長官の周辺は軍事侵略の予定国リストを作成する。イラク、シリア、イランにレバノン、リビア、ソマリア、スーダンを加えた7カ国だ。いずれも9月11日の攻撃とは関係なく、関係が疑われた2カ国は含まれていない。 |
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