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2018年12月6日 仲野博文 :ジャーナリスト
ウクライナで戒厳令、同国海軍船を拿捕したロシアの狙い
ウクライナのポロシェンコ大統領(左)とロシアのプーチン大統領は、ともに国内の支持基盤に脆弱さを抱える
ウクライナとロシアとの間の緊張関係が再び高まっている。ウクライナ海軍は先月25日、ロシア連邦保安局の監視船がクリミア半島に近いアゾフ海で、ウクライナ海軍の小型船3隻に向かって発砲したと発表した。発砲を受けたウクライナ海軍の小型船はロシア側に拿捕され、23人の乗組員は現在も拘束中だ。アゾフ海での衝突はウクライナの社会や経済にどのような影響を与えるのか。西側諸国はウクライナを守るために何らかのアクションを起こすのか。来年3月に大統領選挙が行われるウクライナで、今回の衝突とその後発令された戒厳令は何を意味するのか。ウクライナ国内外で活動する、3人のウクライナ人有識者に話を聞いた。(ジャーナリスト 仲野博文)
ウクライナ国民の愛国心が高まる11月に
アゾフ海で発生したロシアとの衝突
11月はウクライナ人にとっては特別な意味を持つ月だ。過去に発生した歴史的な事件を追悼する集会などが行われ、ウクライナ人としての愛国主義と、ソ連時代から続く反ロシア感情が顔を覗かせる。
親ロシア派のヤヌコヴィッチ大統領を退陣に追い込んだ市民デモは「マイダン」と呼ばれているが、自然発生的にマイダンの参加者が増え始めたのが2013年11月であった。また、ソ連時代の1932年にはソ連の中央政府によって、多くのウクライナ人が農業生産の向上などを名目に、ウラル地方などに強制移住させられ、1年の間に少なくとも500万人近くが餓死したとされる。これは「ホロドモール(飢餓による殺害)」と呼ばれており、ウクライナ国内の各地では11月にホロドモールで命を落としたウクライナ人の追悼集会が行われていた。
そんな11月に突然発生したのが、ロシア連邦保安局によるアゾフ海でのウクライナ海軍小型船の拿捕だった。ウクライナとロシアは2003年にケルチ海峡とアゾフ海周辺の海域を共有することで合意していたが、2014年のウクライナ政変後にロシアはケルチ海峡に全長18kmに及ぶ橋を建設することを発表。翌年には工事がスタートし、今年5月に橋が開通したことによって、両国間の領海問題は鮮明に。一触即発の状態が半年にわたって続いていたのだ。
2013年にキエフで開局したニュース専門のインターネットテレビ「フロマドスケ」で代表を務めるナタリヤ・グメニューク氏は、11月というタイミングでロシア側が動いた背景にはウクライナ社会を動揺させる狙いがあったのではないかと指摘。同時に、ウクライナ海軍の船をいつでも拿捕できる状態にあったロシア側が、最も効果的なタイミングと考えたのが先月であったという見解を示した。
「アゾフ海でウクライナ海軍の船が拿捕され、現在も乗組員全員がロシア側に拘束されていますが、これは起こるべくして起こった事件と言えるでしょう。アゾフ海周辺でのウクライナの経済活動や軍によるパトロールを徐々に困難にさせ、ウクライナ軍への直接的な行動に出るタイミングを狙っていたのです。ロシアによるクリミア併合が第2段階に入ったとも言えるでしょう」
ウクライナとロシアの対立では、ウクライナ東部で現在も続くウクライナ軍と「親ロシア派民兵(実際には現役のロシア軍部隊が加わっているケースが少なくないとされる)」との戦闘に注目が集まってきた。しかし、クリミア併合後に発生した事実上の海上封鎖によって、ウクライナは経済面でも大きなダメージを受けている。ロンドンにある英王立国際問題研究所でリサーチフェローとして、ウクライナとロシアの政治について研究するオリシア・ルトセヴィッチ氏は、クリミア併合はウクライナの領海の併合も意味し、地元の漁業や海運業だけではなく、石油や天然ガスの取引にも影響が出ていると語る。
「ロシアのクリミア併合後、アゾフ海に位置する港湾都市マリウポリとベルジャンシクでは、現在までに貨物取引量が約30%も落ち込んでいます。地元の漁業はこの4年で漁獲高が50%減少しています。(ロシアが2016年に着工を開始し、今年5月に道路部分が開通した)ケルチ海峡大橋は高さに制限があり、大型の貨物船は橋の通過が事実上不可能になりました」
1994年のブダペスト覚書の存在
ウクライナの主権を守れなかった国際社会
ウクライナの安全保障を考える際に忘れてはならないのが、1994年にウクライナが米英露との間で交わした「ブダペスト覚書」の存在だ。1991年のソ連崩壊時、ウクライナは世界第3位の核保有国で、国内には約5000発の核弾頭があった。しかし、第三国への売却を含む核の拡散を懸念したアメリカを中心とする核保有国は、ウクライナに対し、全ての核弾頭を廃棄するよう要求。その見返りとして、ウクライナの主権や領土の尊重と、非常時における防衛面での協力を約束した。
しかし、ロシアによるクリミア併合によって、大国との間で交わされた覚書が何の意味も持たないことをウクライナ人は痛感する。
キエフを拠点とする報道系NGO団体「インターニュース」で編集主幹を務めるヴォロディミル・イェルモレンコ氏は、アゾフ海で発生したロシア軍による拿捕が、2014年のウクライナ政変以降では初となるロシアによる直接的な武力行使であったことに注目。ロシアとの全面戦争の可能性は低いとの認識を示しながらも、ウクライナの現有兵力では国土防衛にも限界があると指摘し、西側諸国に軍事・経済の両面でロシアへの圧力を高めてほしいと語る。
「西側諸国に限らず、日本にもぜひおこなってもらいたいのが対ロシア経済制裁のさらなる強化だ。石油やガスといったエネルギー企業への経済制裁を強化してほしい。この分野に対する制裁強化で他国が団結してくれると、プーチン政権には大きな打撃になるのだが…」
支持率の低迷が続く両国の首脳
今回の衝突で得をするのはどちらか
ウクライナのポロシェンコ大統領は先月26日、ロシアやモルドバに隣接する地域に対して30日間の戒厳令を敷く大統領令を提案。戒厳令は議会承認を経て、先月28日から発動している。ウクライナで戒厳令が発動した日には、ロシアのプーチン大統領が「自身の支持率回復のために、ポロシェンコ大統領は何かをする必要があった」と発言。来年3月に行われる大統領選挙に向けて、ポロシェンコ大統領が起死回生のためのアクションを起こしたことを示唆したが、実際にはどうなのだろうか。
今回話を聞いた3人全員が、戒厳令によってウクライナ国内に緊張状態を作っても、ポロシェンコ大統領の支持率が大きく変わることはないと断言している。
「ロシアとの緊張関係と、ポロシェンコ大統領による国家運営の酷さは、ほとんどの国民が別問題として考えています。ポロシェンコ時代の4年間を評価し、来年の大統領選挙で彼に再び投票しようと考える人は極めて少ないと思います」(グメニューク氏)
「戒厳令は諸刃の剣と言えるでしょう。戒厳令によってウクライナ軍が国防のためにより効率的に動けるのなら、ポロシェンコ大統領の支持率はアップすると思います。逆の場合も考えられます。戒厳令が結果的にウクライナ軍や司令官の能力不足を露呈してしまう可能性です。その場合、ポロシェンコ大統領にとっては大きな打撃となるでしょう」(ルトセヴィッチ氏)
インターニュースのイェルモレンコ氏は、ポロシェンコ大統領が切った「戒厳令カード」は、来年3月に予定されている大統領選挙には大きな影響を与えないだろうと語る。ポロシェンコ大統領の支持率低下はどうにもならないレベルに達しており、戒厳令が大統領の人気を奇跡的に回復させることは現実的には起こり得ない話だと断言するイェルモレンコ氏は、大統領のレームダック化の背景を4つのポイントで指摘する。
イェルモレンコ氏が最初に指摘したのは、一般的にウクライナ人が政府というものを信用していない点であった。これはポロシェンコ政権以前から続く問題で、国民は国家としての基盤の弱さを理解しているという。2点目は、ロシアによるクリミア併合や東部の不安定化によって、限られた国家予算内で軍事費の割合が大きくなり、結果として福祉関連の予算が大幅にカットされたこと。3点目は、ポロシェンコ政権が掲げた政府改革や汚職の廃絶が全く成功せず、とりわけ警察や司法関係で汚職がより蔓延するようになったウクライナ社会の現状。4点目は、誇張した情報からフェイクニュースまで、ポロシェンコ政権を糾弾するさまざまな情報が、メディアやブロガー、ボットなどによってロシアから連日ウクライナに発信されている情報戦の影響だ。
「戒厳令は大統領選を中止に追い込みたいポロシェンコ大統領の政治的な賭けだという声もあるが、それは間違っている。来年3月の大統領選挙はウクライナ議会によって投票日が決められ、政治システムの点からも大統領がそれを覆すことは不可能だ。選挙前の支持率回復を意識した可能性は否定できないが、いずれにせよ、戒厳令では何も変わらないほどウクライナ人の政府や大統領への不信感は高い」
ポロシェンコ大統領もプーチン大統領も、国内では支持率低下に直面している。プーチン大統領にとってもシリア問題への積極的な介入やウクライナに対する強硬な姿勢は、「強いリーダー像」を国内外に示すチャンスである。しかし、支持率が思うように上昇しない現実が存在する。領土問題で火花を散らすポロシェンコとプーチンだが、皮肉にも自国での支持率低下という点だけは共通している。
https://diamond.jp/articles/-/187678
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