http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54145 台湾に迫る危機、日本よどうする!台湾統一を理由に終身国家主席となった習近平氏 2018.9.20(木) 樋口 譲次 中国空母が台湾海峡を通過、中台の緊張高まる中。写真は香港に到着した中国の空母「遼寧」(2017年7月7日撮影、資料写真)。(c)AFP/Anthony WALLACE 〔AFPBB News〕 台湾は、国際社会では「地域」として扱われることが多いが、正真正銘の「国家」である。 国家とは、明確な領土領域、永久的住民および統治機関が備わっている有機的な組織体をいい、近代国家の統治機関は一般的に、立法、行政および司法の三機関から成り立っている。 すなわち、民主主義国においては、領土領域の住民である国民が、主権者として法律を制定し、法律に基づいて住民に対する行政が行われ、法律違反の疑いがあれば司法機関によって有無罪の判断が下される仕組みを整えた組織体が国家であり、国際法上の人格をもつ主権国家は外交能力を備えている。 いずれに照らしても、台湾は十二分に条件を満たしており、国家と定義することに全く疑問の余地がないからである。 しかしながら中国は、「台湾は中国の一部であって、台湾問題は中国の国内問題である」との基本原則を主張して曲げず、「一つの中国」の原則は中台間の議論の前提であり、基礎であるとしている。 中国の全国人民代表大会は2018年3月、中国共産党の指導的役割を明記し、国家主席の任期を2期(10年)までとしていた規定をなくす憲法改正案を圧倒的賛成多数で可決した。 習近平国家主席は、任期制限がない中国共産党トップの総書記、人民解放軍トップの中央軍事委員会主席を兼務しており、このたびの憲法改正で終身国家主席の地位を手に入れたことによって、いわば「中国皇帝」として長期君臨の体制を確立したことになる。 中国には、習国家主席が地盤とする「浙江閥」「太子党」のほかに、前々国家主席であった江沢民が率いる「上海閥」、前国家主席を務めた胡錦濤の「中国共産主義青年団(共青団)」派の3大派閥による権謀術数の権力闘争が繰り広げられてきた。 しかしそのような中で、なぜ、習国家主席の独走・独裁を許すに至ったのかについては、様々な議論があるが、台湾問題の解決が大きなウエイトを占めていると見られている。 中国の憲法は、その前文で「台湾は、中華人民共和国の神聖な領土の一部である。祖国統一の大業を成し遂げることは、台湾の同胞を含む全中国人民の神聖な責務である」と定めている。 そして、中国は、平和的な統一を目指す努力は放棄しないと表明しつつも、台湾を「核心的利益」と呼び、中台統一に対する外国の干渉や台湾独立運動に対して反対する立場から、武力行使も辞さないことを定めた「反国家分裂法」を制定している。 それを盾に、習近平主席は、香港返還(1997年)そしてマカオ返還(1999年)を成し遂げた今、最も困難な台湾問題を解決して祖国統一の大業を完成し「中華民族の偉大な復興」の夢を実現するには、強力な指導者に率いられた長期安定の政治体制が必要であると主張した。 反論の余地のないその主張に対しては、共産党内の反対派であっても口を閉さざるを得なかった、というのが終身国家主席へ至った見立てだ。 それは取りも直さず、1953年6月生まれの習近平(65歳)時代に台湾統一を成し遂げることを意味する。 もし、その間に平和的統一が達成できなければ、武力統一も辞さない構えであり、台湾はもとより、日米などの周辺国・関係国に向けて、台湾危機が現実のものとして切迫しつつあることを示す重大な警告と見なければならない。 ロシアのクリミア半島併合を 研究させた習近平の台湾統一工作 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領をロール・モデルとする習近平主席にとって、「あいまいハイブリッド戦」と呼ばれるプーチンのクリミア半島併合は格好の教材である。 習近平主席は、中国のシンクタンクにその研究を命じ、それによって、中国の台湾統一研究が劇的に変化したと言われている。 中国は、すでに、台湾に対して、いわゆる「グレーゾーンの戦い」を仕かけており、外交工作、軍事工作、そして対国内工作などを複雑に絡ませながら、熟柿が膿んで自然に落ちるのを待つ「熟柿作戦」を展開している。 それが功を奏さないと見れば、最終手段としての武力統一に打って出る手筈であることは、前述のとおりだ。 外交工作:台湾の国際空間からの締め出し 中国は、台湾を国際機関から締め出し、また、その圧力で台湾と外交関係のある国々を断交に追いやっている。 この背景には、中国が主張する「一つの中国」原則の受け入れを台湾に強要し、国際社会に認めさせようとしていることにある。 1949年に中華人民共和国(中国)が成立し、国連では「中国代表権」問題が生起したが、当時の中華民国(台湾)政府の蒋介石総統は「漢賊並び立たず」と述べ、台湾政府が「唯一の中国正統政府」であるとの主張を崩さなかった。 日米両国は「二重代表方式」を模索し説得に努めたが、蒋介石がこれを拒否したため、1971年に代表権は中国に移転し、台湾は国連から排除された。 それが国際社会における中台確執の始まりであり、以来、台湾は中国との関係から国際的な活動が制限されてきた。 2003年に中国を発端とする重症急性呼吸器症候群(SARS)が近隣各国や北米にも伝播するという事件が起き、台湾でもSARSの流行が深刻な社会的混乱を招いた。 これを契機として、台湾を世界保健機関(WHO) から排除することが、台湾だけではなく他国への脅威になり得ることを国際社会に認識させた。 紆余曲折はあったが、台湾は、ようやく2009年からWHO総会へのオブザーバー参加が認められるようになった。 しかし、中国は、「一つの中国」原則の受け入れを拒んでいる、民主進歩党(民進党)の蔡英文政権が発足した2016年5月前後から、国際社会に圧力をかけたため、2017年5月のWHO総会へのオブザーバー参加が認められなかった。 そればかりではない。 経済協力開発機構(OECD)の鉄鋼委員会(2016年4月)、国連食糧農業機関(FAO)漁業委員会(同年7月)、国際民間航空機関(ICAO)総会(同年8月)、国際刑事警察機構(ICPO)総会(同年11月)、国際放送協会からの台湾国際放送の排除(2017年6月、失敗)、東アジア・ユース・ゲームズ(2018年7月)など、台湾の国際空間を閉塞させるべく、ありとあらゆる国際組織や会議への台湾不招待やボイコットを執拗に働きかけている。 最近では、中国が外国の民間航空会社に台湾を中国の一部として表記するよう強制したことも記憶に新しい。 一方では、中国の圧力によって、台湾と外交関係のある国々が次々と断交に追いやられる「断交ドミノ」が急速に進んでいる。 蔡政権下で台湾と国交を断絶し中国と国交を樹立した国は、時期的順に、西アフリカの島国サントメ・プリンシペ(2016年12月)、中米パナマ(2017年6月)、同ドミニカ共和国(2018年5月)、西アフリカのブルキナファソ(同年5月)、中米エルサルバドル(同年8月)であり、すでに5か国との断交に追い込また。 今後、南米パラグアイや大洋州パラオなどの断交の動きも取り沙汰されている。 現在、台湾が外交関係を維持しているのは、中南米や大洋州などの17か国となった。いずれも大国の利害に大きな影響を及ぼさない小国であり、台湾の国際的悲哀を象徴している。 このままでは、台湾は「中国による台湾の国際的空間を圧縮する行為」が「やがて外交関係をゼロにする」との危機感を強めざるを得ない。 また、現在、辛くも世界貿易機関(WTO)加盟(2002年)とWHO総会オブザーバー参加の地位を維持しているものの、今後中国による国際機関などからの締め出し圧力が一段と強まって、台湾の孤立・弱体化が進み、再び国民党政権時代のように中国の影響下に組み込まれる恐れが大いに懸念されるのである。 軍事工作:台湾周辺海空域からの軍事的圧力 尖閣諸島周辺をはじめ、わが国の周辺海空域で中国軍の活発な活動が常態化していると同じように、中国軍は台湾周辺海空域での活動を活発化させ、軍事力を背景とした威嚇を強めている。 中国は、2018年1月、台湾との事前協議を行わないまま、台湾海峡の中台中間線の中国側に新たな民間航空路を設定し運用を開始した。 同中間線の台湾側には、台湾軍の3つの訓練空域が設定されているが、そこでの活動を妨害する狙いが込められていると見られている。 また、2017年12月、蔡総統は記者会見で、中国軍機が台湾周辺で活動を活発化させているとして、中国への警戒感を示した。 そのように、中国軍の戦闘機(H-6、Su-35など)や艦艇(空母遼寧を含む)が常態的に台湾本島を周回している。 これまでの台湾は、極力中国を刺激しないよう、中国軍の活動に対する表立った非難を抑制してきたが、2017年の「国防報告」では、台湾周辺海空域における中国軍の活動の実態を次の図をもって公表した。 さらに、2018年4月には台湾海峡で実弾演習を行うとともに、海空作戦や着上陸作戦のための軍事演習・訓練を増加させており、台湾に対して一段と軍事的圧力を強めている。 このような中国の軍事的圧力は、台湾初の総統直接選挙の直前の1996年3月、台湾海峡で弾道ミサイル発射と3軍統合演習を行った軍事恫喝を想起させるものである。 前述のとおり、中国の軍事展開能力は、当時と比較して格段に強化されており、台湾国民に「四面楚歌」の心理を植え付けるには十分であり、今後、その恐怖は強まることはあっても弱まることはないであろう。 対国内工作:台湾国内の混乱助長と抵抗意志の弱体化 近年、台湾では、中国のスパイ活動が政治、経済、国防や情報、文化、イデオロギーなどあらゆる分野に浸透し、特に民進党政権となって以降、その活動が一段と強化されている。 台湾で暗躍する中国のスパイの数は、5000人以上と見られ、台湾メディアの調べによると、中国のスパイ容疑で逮捕された事件は2002年以降だけでも60件(2017年3月現在)に上っているが、これは氷山の一角だと言われている。 政府関係者によると、このうちの9割が軍事機関に集中しており、例えば、中国人民解放軍を退役した鎮小江・元中将が、台湾の政界および軍の関係者を買収して台湾の戦闘機に関するデータを入手した罪で、2016年に4年間の禁固刑を言い渡された。 台湾史上最大の中国共産党スパイ事件となった。 また、台湾国防部の陳中吉報道官が、「我が軍の退役軍人が中国に行った後、買収されました。弱みを握る、高額な報酬を持ちかける、ハニートラップにかける、などです」と公表したような事件も起きている。 中国人民解放軍が国境に迫ってくる前に、台湾軍は敗れてしまう恐れがあるとの警戒心も高まっている。 一方、政界では、中国との統一を主張する政治団体「中華統一促進党」が中国当局から資金を得て、反「台湾独立」運動や民進党の蔡英文政権への抗議活動に人を動員していた疑いが持たれている。 同党は、八田與一の銅像を破壊した反日団体としても知られおり、中国は台湾を併合するために、政界をターゲットとして政治工作にも力を入れている。 また、2期8年にわたった民進党・陳水扁政権の後、国民党の馬英九が総統に就任した頃から、台湾のマスメディアの報道・言論空間のなかに中国の影響力が浸透するようになっている。 日本台湾学会の川上桃子氏の論考『台湾マスメディアにおける中国の影響力の浸透メカニズム』によると、中国の浸透メカニズムのうち、その浸透経路は下記の4つに代表される。 (1)中国で事業を展開ないしは展開を計画している台湾の事業家たちによる、中国政府からの庇護や支持を取り付けるための台湾マスメディアの買収と報道・言論内容への介入 (2)中国の各級政府による台湾での「報道の買い付け」 (3)台湾テレビ局の番組の売買や番組制作面における中国の省・市傘下のテレビ局との提携等の強化→中国側の政治的意図の浸透 (4)中国政府と台湾メディア企業の直接的なコミュニケーションの日常化→メディアによるニュース処理プロセスのなかでの中国の影響力の侵入 このようにして、新聞やテレビにおいて、「中国を褒めたたえる報道」が増える一方、中国政府にマイナスとなるニュースを意図的に小さく扱ったり、無視したりする傾向が現れている。 また、中国とドラマ番組の商談を進めていた台湾のテレビ局が、中国側からの示唆を受けて中国に批判的なトークショー番組を打ち切るといった事案が起きている。 台湾統一を国家目標として掲げる中国の情報戦・世論工作が、マスメディアを通じて日々台湾国民の中に浸透し、ボディ―ブローのように効いていくことになろう。 これと関連して、台湾の交通部(交通省)は2016年5月、立法院で、「中国からのサイバー攻撃が『戦争に準じる程度』まで深刻化している」と報告したように、中国の台湾に対するサイバー攻撃も常態化している。 また中国は、硬軟両様の工作を展開しているが、最近、台湾の若者を中国に取り込もうと躍起になっている。 それは、馬英九政権末期、中台間で調印された「海峡両岸サービス貿易協定」の阻止を目的に、学生を中心とした若者たちが立ち上がった「ひまわり運動」が台湾人意識を一段と高めたからである。 また、近年、台湾では「天然独」と呼ばれる、「生まれつき自分たちは台湾人であり、中国人ではない」との台湾アイデンティティーをもつ若者たちが増えていることにもよる。 中国は、このような若者に対して、中国大陸におけるビジネス展開、就業、起業、税制など、すべての面において台湾人は中国人と同等の待遇を受け、台湾の学生が中国の学校に入学するにあたっても特段の差別を受けることはない、との懐柔策を提案している。 「甘い蜜の罠」であることは明白であるが、台湾での給料より、中国の特定の地域での給料が2〜3倍高いということになれば、中国に機会を求めようとする若者たちがでてきても、不思議ではない。 このように、様々な懐柔策を駆使して、台湾アイデンティティーを弱めようとする中国の浸透工作は、台湾に新たな課題を投げかけている。 以上述べたように、中国は、外交工作、軍事工作、そして対国内工作などを複雑に絡ませながら、台湾国内を混乱させ、「台湾独立」の動きを封じ、中国に対する抵抗意志を弱め、戦わずして台湾統一を成し遂げようと目論む「グレーゾーンの戦い」を執拗に展開している。 そして、和戦両様を常套手段とする中国は、次の手段として武力統一を着々と準備しているのである。 武力統一:最終手段としての軍事侵攻 中国は、台湾への軍事進攻を念頭に、継続的に高い水準で国防費を増加させ、軍改革、統合作戦、武器開発、軍事演習・訓練などを通じて大幅に軍事力を増強している。 一方、台湾の国防費は約20年間でほぼ横ばいであり、2017年時点の中国の公表国防費は台湾の約15倍となっている。 明らかに、中台間の軍事バランスは中国有利に傾いており、台湾の「国防報告2017」は、「台湾にとって軍事的脅威が増大している」との認識を示している。 日本の平成30年版「防衛白書」は、中台の軍事力の一般的な特徴について、次のように分析している。 (1)陸軍力については、中国が圧倒的な兵力を有しているものの、台湾本島への着上陸侵攻能力は、現時点では限定的である。しかし、近年、中国は大型揚陸艦の建造など着上陸侵攻能力を着実に向上させている。 (2)海・空軍力については、中国が量的に圧倒するのみならず、台湾が優位であった質的な面においても、近年、中国の海・空軍力が急速に強化されている。 (3)ミサイル攻撃力については、台湾は、「PAC-2」の「PAC-3」への改修およびPAC-3の新規導入を進めるなど、弾道ミサイル防衛を強化中である。しかし、中国は台湾を射程に収める短距離弾道ミサイルなどを多数保有しており、台湾には有効な対処手段が乏しいとみられる。 そのうえで、防衛白書は、軍事能力の比較は、兵力、装備の性能や量だけではなく、想定される軍事作戦の目的や様相、運用態勢、要員の練度、後方支援体制など様々な要素から判断されるべきものであるが、中台の軍事バランスは全体として中国側に有利な方向に変化し、その差は年々拡大する傾向が見られる、としている。 そして、台湾国防部は2018年8月、「2020年までに中国が全面的な侵攻作戦能力の完備を目指している」とし、両岸関係が重大な局面に移りつつあるとの見解を示している。 迫る台湾危機は日本の危機 日本はどうすればよいのか 米国は、ドナルド・トランプ政権になって、「台湾関係法」を根拠に、バラク・オバマ政権が凍結していた14.2億ドル(約1562億円)の台湾への武器売却を承認した。 台湾が目指す潜水艦の自主建造(国産化)についても、米政府は2018年4月、米企業に対し台湾側との商談を許可するなど、台湾への軍事協力を強化している。 また米国は、中国の反対によって台湾との交流を自粛してきた結果、両国の交流不足を来したとして、「台湾旅行法」(2018年3月6発効)を制定し、米台政府関係者の交流をあらゆるレベルで促すこととした。 米議会も、2018年8月に「国防授権法」を成立させ、台湾の要求に基づく防衛装備品や役務の提供、台湾軍の軍事演習への参加招請、台湾政府高官・軍高級幹部との交流プログラムの実施、西太平洋における台湾海軍との二国間海上訓練、米国海軍と台湾海軍の相互寄港の実行可能性の検討などを求めている。 このように米国は、台湾の安全保障・防衛強化のための措置を講じつつあるが、米国は台湾カードを利用し、この地域、特に南シナ海での中国の軍事的支配を牽制・抑制し始めたとの見方もある。 では、台湾を「運命共同体」と位置づけ、死活的利益を共有する日本は、どうすればよいのか。 安倍晋三政権になって、日台関係は少しずつ強化されつつあると言ってよかろう。 日本と台湾は、昭和47(1972)年の断交後、双方が窓口機関を設置して実務的な交流を行ってきた。 日本の対台湾窓口機関の名称は「交流協会」であったが、平成29(2017)年1月に「日本台湾交流協会」に変更された。台湾側もこれに呼応した形で、対日窓口機関の名称を「亜東関係協会」から「台湾日本関係協会」に変更した。 両機関の旧名称はともに「一つの中国」原則を主張する中国への配慮から名づけられものであり、日台関係の困難を示す象徴であった。 その困難を克服し歴史的な一歩を踏み出したのは安倍首相のイニシアティブによることが、陳水扁元総統のインタビュー(産経新聞、2018年9月5日付)で明らかにされている。 わが国には、米国と同様に「台湾関係法」や「台湾旅行法」のような法律を作り、法的整備の面でも台湾を支援しなければならないとの意見が存在し、大きな課題である。 その面で、両国間に意義ある進展をもたらしたのは、いわゆる平和安全法制の制定である。 武力攻撃事態対処法の改正では、これまでの武力攻撃事態等に加え、存立危機事態」(わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態)への対処が追加された。 また、重要影響事態安全確保法は、重要影響事態を「我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態(そのまま放置すればわが国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等)」とし、支援対象となる重要影響事態に対処する軍隊等を、「日米安保条約の目的の達成に寄与する活動を行う米軍」、「国連憲章の目的の達成に寄与する活動を行う外国の軍隊」及び「その他これに類する組織」と規定した。 その際の対応措置として、 @後方支援活動 A捜索救助活動 B船舶検査活動 Cその他の重要影響事態に対応するための必要な措置 とし、外国領域での対応措置も、当該外国等の同意がある場合に限り、実施できることとしている。 他方、日米防衛協力のための指針(ガイドライン、平成27年4月)では、そのW項「日本の平和及び安全の切れ目のない確保」B項「日本の平和及び安全に対して発生する脅威への対処」において、「同盟は、日本の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対処する。当該事態については地理的に定めることはできない」と記述されている。 以上のことから、平和安全法制は、明らかに台湾有事をカバーしていると解釈され、また、そのような事態に日米が共同して対処することを、ガイドラインは裏づけている。 しかし、このように法的整備ができても、日米台の3か国による平時からの協議、政策面および運用面の調整、そして共同演習・訓練などが行わなければ、有事における有効な機能発揮を期待することはできない。 一方、いきなり有事演習・訓練を始めれば、中国の激しい非難や抵抗を受けることは容易に想像がつく。 そこで、米国の「国防授権法」が求める台湾政府高官・軍高級幹部との交流プログラムの実施、台湾軍の軍事演習への参加招請、西太平洋における台湾海軍との二国間海上訓練などの動向を見極めつつ、 中国も容認せざるを得ない平和目的の活動や措置、例えば、国際人道支援・災害派遣、非戦闘員を退避させるための活動、サイバー空間に関する協力、捜索・救難、海洋安全保障、空域管理のための調整、海空連絡メカニズム(ホットライン)の構築など、実行可能なことから始めたらどうか。 それらが有事体制の基礎を作り、最も現実的に日米台の安全保障・防衛協力を前進させる大きな一歩となるのではないだろうか。
中ロの急接近が脅威に、米国が本格的に対策を検討 米国を敵視し、軍事面、経済面で連帯を強化する中国とロシア 2018.9.19(水) 古森 義久 ロシア「史上最大」の軍事演習、中国・モンゴル軍とパレード ロシア東部シベリア地方のチュゴル軍事演習場で行われた軍事演習「ボストーク2018」で開かれたロシア・中国・モンゴル軍による軍事パレード(2018年9月13日撮影)。(c)MLADEN ANTONOV / AFP〔AFPBB News〕
9月中旬、中国とロシアがこれまででは最大規模の合同軍事演習を実行した。この演習が象徴する中ロ両国の軍事的な連帯強化は、米国に対抗する意図が明確だといえる。 では、米国は中国とロシアの連帯強化にどう対応すべきなのか。米国でこの課題を究明した大規模な官民合同の研究結果が公表された。この研究はその総括において、米国がこれまでどおり米国主導の国際秩序を守るため軍事、経済、政治などでの力をさらに強め、中ロ両国に対決していくことをトランプ政権に提案していた。 連邦議会で強まる中ロ連帯への懸念 中国とロシアがここ数年、米国を共通の競合相手とみて連帯を強めてきたことは、米側でも重大な懸念の対象と受け止められてきた。その懸念はオバマ前政権から存在したが、ここに来て連邦議会の超党派議員多数の間で特に懸念が強まり、トランプ政権の確固した対応を求めるようになった。 懸念の対象は主に中国とロシアが最近、軍事面での協力を強めてきたことである。トランプ政権も昨年(2017年)12月に公表した「国家安全保障戦略」のなかで、両国を「米国の利益や価値観を崩そうとする修正主義勢力で戦略上の競合相手」と定義づけた。 こうした背景の中、米国のアジア研究の学者や研究所多数から成る民間研究組織「全米アジア研究部会(NBR)」は9月中旬、「中国・ロシア関係=その戦略的意味と米国の政策選択肢」と題する報告書を公表した。 この調査研究はトランプ政権誕生直前の2016年12月に開始され、米国の民間の学者、研究者80人ほどに、中国やロシアなどの専門家約30人を加えたスタッフによって行われた。米国政府の国家安全保障会議、国防総省、国防総省などの関係部門の代表たちも多数、非公式な形でこの研究に加わった。米国でこれまで行われた中ロ連帯問題についての官民合同の研究としては最大規模といえる。 なぜいま連帯を強めているのか 同報告書の総括は、プロジェクトの中核となっていたジョージ・ワシントン大学教授のロバート・サター氏が執筆した。その骨子を紹介しよう。 まず注目されるのは、全体の傾向として今後も中ロの連帯は強まり、米国の国家安全保障や対外戦略全体への大きな脅威やチャレンジになっていくという懸念を表明している点である。報告書の総括には次のように記されていた。 ・習近平政権、プーチン政権ともに今後少なくとも5年は連帯をさらに強めていく意図が明白である。習主席の任期が無期限になったことがプーチン政権の独裁傾向とさらに合致するようになり、米国に共同で抵抗する動機を強めた。 そのうえで同報告書は、中国とロシアがなぜいま連帯を強めているのか、その基本的な理由として以下の要因を指摘していた。 ・中国とロシアの対外戦略と価値観の共通性 (米国主導の民主主義に反対し、南シナ海やクリミアでの軍事膨張行動を進めることがその実例) ・共に民主主義陣営から非難されている状況 (中ロ両国が米国主導の民主主義陣営から「侵略」や「弾圧」を非難されることを共通の弱みのように受け取っている) ・「米国の衰退」という共通認識 (米国が主体となる民主主義陣営の力が米国自体も含めて衰退してきたとする認識) 経済面でも連帯を強化 さらに同報告書は、中ロ両国を接近や連帯へと動かしてきた具体的な動因として以下の諸点を挙げていた。 ・中ロ両国はともに米国のグローバルな影響力に対抗し、国際秩序の改変を意図している。両国は南シナ海、クリミアなど、ともに自国に近い地域で米国の主導権に反発するようになった。 ・中ロ両国はともに米国主導の民主主義と人権尊重の動きに反発する。両政権は米国側から民主主義や人権の弾圧に関して非難を受け、ともに弱みと反撃の必要を感じている。 ・米国の軍事力と軍事態勢への反発が中ロ両国の連帯をもたらした。特に中ロがそれぞれ自国の安全保障にとって極めて重要とみなす地域で米側がミサイル防衛や長距離ミサイル、軍事偵察の能力を増強していることを、自国への脅威と感じている。 ・中ロ両国はともに「反米」と呼べる米国へのネガティブな認識を抱き、その認識が自国への自己認識と重複している。米国とその同盟諸国の意図への強い不信と反発が共通する。 ・中ロ両国は、貿易や投資の面でも連帯することによる利益が増えてきた。ロシアはクリミア侵略への米国や西欧の経済制裁の結果、貿易面で中国への依存を増してきた。中国もエネルギー資源の調達先としてのロシアの重要性を高めてきた。 報告書は以上のような諸点を挙げ、中ロ両国の連帯が米国とその同盟諸国にもたらす影響はきわめてネガティブであり、その結果、米側にとっての国際情勢展望は暗い、とも述べていた。 正規の軍事同盟を結ぶ可能性は低い しかし、報告書は以下のようにも記し、中ロ連帯には抑制の要因や限界もあることを指摘する。なかでも、中ロ両国はいくら軍事協力を進めても公式の同盟パートナーにはならないという見通しは重要だろう。 ・中ロ両国の経済力の差が軍事や政治での連帯を抑える可能性がある。ロシアの経済力は中国よりもはるかに劣り、対中経済依存を高めている。モンゴルや中央アジアではロシアは経済覇権を中国に譲った。この不均衡がプーチン大統領のロシア復活の野望とぶつかる見通しもある。だから、中ロ両国が正規の軍事同盟を結ぶ可能性はきわめて低い。 ・ロシアの軍事面での立場も変化してきた。ロシアの軍事力は中国よりずっと強力で優位な立場から援助する構図だったが、それが変わってきた。ロシアの国家資産は核戦力、軍事技術、秘密作戦能力、諜報能力などに限られ、国際的なソフトパワーは皆無といえる。その軍事優位も最近は中国に追いつかれ、指導的な立場が崩れてきた。 ・中ロ両国の間には相互不信や敵対の長い歴史がある。民族性の差異にまでさかのぼる闘争の歴史は完全に消えることはないという見方がなお存在する。米国への対処でも、中ロ両国は自国の利益のために相手を利用し、欺くという言動を最近まで続けてきた。せいぜい10年ほどにしかならない最近の米国に対する足並みの一致が果たしてどれほど堅牢なのか疑問である。 ・米国側の中国とロシアへの政策は異なる場合がある。トランプ政権はプーチン政権との融和を模索しながら、習政権に対しては強硬な態度を崩さないというような「使いわけ」政策をとることも珍しくない。この米側による差別が中ロ連帯を阻む可能性がある。 ・中ロ両国の日本や西欧などに対する姿勢はときに大きく異なる。米国のアジアでの主要同盟相手である日本への態度は、中国よりもロシアの方が友好的である。西欧諸国や中東、さらにはアジアでのベトナム、インドなど重要な相手への政策をみても、両国には違いが目立つ。この差異が中ロ連帯のさらなる進展を難しくしうる。 米国がとるべき政策は? 同報告書は以上のように中ロ連帯に多角的な光をあてながら、米国のトランプ政権がどのような政策で臨むべきかを記していた。この大規模な調査研究に加わった専門家たちの間では、米国のとるべき政策として大きく分けて以下の4つが挙げられたという。 (1)中ロ両国がこのまま連帯を続けることを想定し、米国は軍事、経済、外交の各面で国内外の力を着実に強化し、両国に正面から対決し、抑止する。 (2)中国との関係を改善して対決要素を薄める。ロシアに対してはさらに強硬な措置をとり、中ロの離反を図る。 (3)米国への長期の最大脅威は中国とみなして強固な抑止策をとり、ロシアに対しては融和政策を導入して、中ロの離反を図る。 (4)米国は長年の国際的な覇権や主導権を後退させ、中国とロシアという新興の大国の国際的役割拡大を受け入れる形で協調を図る。 以上のような政策選択のなかで、この調査研究に参加した米国側の専門家たちの圧倒的多数が、(1)の対決と抑止の政策への賛同を表明したという。その結果、同報告書は米国政府や議会に対して、実質的に強固な政策を勧告していると言えるのである。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54140 ウラジオ柔道外交はプーチン大統領の「一本勝ち」 北方領土は「我慢する」か「長期戦を覚悟する」かの問題に 2018.9.20(木) 新潮社フォーサイト 新潮社の会員制国際情報サイト「新潮社フォーサイト」から選りすぐりの記事をお届けします。 プーチン大統領、日ロ平和条約締結を提案 年末までに「前提条件なし」で ロシア東部ウラジオストクで開催中の「東方経済フォーラム」に臨む、同国のウラジーミル・プーチン大統領(中央)、中国の習近平国家主席(右)、安倍晋三首相(2018年9月12日撮影)。(c)AFP/Kirill KUDRYAVTSEV〔AFPBB News〕
(文:名越健郎) ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が9月12日にウラジオストクで、「(領土などの)前提条件なしで日露平和条約を年内に締結しよう」と突然提案したことは、日本側に困惑を招いた。前々日の日露首脳会談でそのような発言はなく、唐突かつ意表を突く発言だったからだ。 難航する北方領土問題の棚上げを意図したことは明らかだが、日本側が拒否すれば、ロシアが反発し、交渉はさらに難航しよう。プーチン大統領と22回の会談を重ねた安倍晋三首相の対露外交が、曲がり角に直面していることを示した。 「1島返還」の恐れも プーチン発言は、日中露韓とモンゴル首脳が登壇した東方経済フォーラムのパネル・ディスカッションで飛び出したが、引き金は安倍発言だった。首相は「プーチン大統領と今後も会談を重ねていきたい。聴衆の皆さんにも、平和条約締結に向けたわれわれの歩みを、支持してもらいたい」と拍手を催促すると、大統領は「シンゾーは『アプローチを変えよう』と言ったが、是非そうしたい。たった今思いついたアイデアだが、平和条約を今とは言わないが、年末までに無条件に結ぼう。その後ならば、平和条約を基礎に、すべての係争問題の解決ができるはずだ」と提案すると、安倍首相を上回る拍手が起きた。 ◎新潮社フォーサイトの関連記事 ・北朝鮮「建国70年」の実相(4・了)金正恩「態度」と「言葉」の意味 ・「クリントン図書館」が公開したエリツィン独白「プーチンは狂信主義者」 ・米露首脳会談が「不調」に終わったこれだけの理由 4島の帰属問題を解決して平和条約を結ぶ――が国是の日本にとって、プーチン提案は到底受け入れられない。最大の問題は、平和条約を締結すれば、国際法上、戦後処理の完了を意味することだ。火事場泥棒のような終戦直後の旧ソ連による「4島不法占拠」が一瞬にして「合法支配」と化すことになる。 1956年の日ソ共同宣言は、「平和条約締結後に、善意のあかしとして歯舞、色丹の2島を引き渡す」と明記しており、全面積の7%の2島引き渡しで決着する可能性が強まる。国後、択捉について、プーチン政権は「大戦の結果ソ連領となった」としており、返還は考えられない。プーチン大統領自身、国後、択捉の帰属協議に応じたことは一度もない。 本コラムは新潮社の会員制国際情報サイト「新潮社フォーサイト」の提供記事です。フォーサイトの会員登録はこちら しかも大統領は「2島を引き渡すといっても、主権を移管するのか、レンタルするのか、具体的には何も書かれていない」と公言している。無条件で平和条約を締結した後の交渉は、56年宣言の解釈をめぐって難航しそうだ。大統領は「共同宣言に沿って日本が2島を領有することは、日本の“一本勝ち”だ」と述べたこともある。「引き分け」を唱える大統領の方針からすれば、2島を折半し、日本が得るのは無人島の歯舞諸島だけにとどまりかねない。歯舞なら4島の全面積の2%で、日本側の外交完敗となってしまう。 中韓も棚上げを支持? 今回のプーチン提案はサプライズ効果があり、普段日露関係には無関心な欧米のメディアも、「プーチン大統領、長く待たれた平和条約を日本に提案」(『ワシントン・ポスト』)、「プーチンが年末までの日露平和条約を希望」(『NBCテレビ』)などと大きく報道した。「日本がプーチンの平和条約提案を拒否」(『ブルームバーグ』)などと、日本に問題があるかのような報道もあった。 ◎新潮社フォーサイトの関連記事 ・北朝鮮「建国70年」の実相(4・了)金正恩「態度」と「言葉」の意味 ・「クリントン図書館」が公開したエリツィン独白「プーチンは狂信主義者」 ・米露首脳会談が「不調」に終わったこれだけの理由 これは、壇上で「平和条約締結」だけを訴え、領土問題解決に触れなかった安倍首相の対応にも問題があろう。首相はプーチン発言を笑顔で聞き、その後も4、5回発言の機会があったのに、北朝鮮問題やシベリア鉄道の輸送問題などに触れただけで、プーチン提案に反論しなかった。菅義偉官房長官が「4島の帰属問題を解決して平和条約を締結する基本方針に変わりはない」と強調したが、首相がその場で日本の立場を説明し、反論すべきだった。 「反論も何もせずに薄ら笑いを浮かべていた。外交上の大きな失態」(国民民主党の玉木雄一郎代表)、「(無条件の平和条約締結は)領土要求を放棄し、国を切り売りすることになる。それを目の前で言われて反論も異論も言わないのは外交的大失態」(共産党の志位和夫委員長)といった野党指導者の批判は的を射ていた。 パネル・ディスカッションではその後、日露の領土問題が話題になり、司会者から振られた中国の習近平国家主席は「領土をめぐる係争が存在するのは問題だ。解決できないなら、それをうまく管理することが重要だ。歴史の教訓から学んでほしい」と述べた。韓国の李洛淵(イ・ナギョン)首相は「国際的な文書を基に、英知で解決すべきだ。中国のケ小平は『現世代が問題を解決する英知を持たないなら、次の世代に委ねるべきだ』と述べたことがある」と語った。日本と領土問題を抱える中韓首脳はいずれも、ロシアの領土棚上げ論を暗に支持した。 プーチン大統領が得意とする柔道は、相手の力を利用して逆襲に転じるのが極意だが、今回は大統領が首相の前のめり姿勢を利用して技をかけ、「一本勝ち」を収める形となった。 安倍首相の「外交失敗」 プーチン提案の直後、イーゴリ・モルグロフ外務次官が日本側に年内の平和条約締結で交渉開始を求めており、提案を事前に用意していた可能性もある。旧ソ連は1970年代、領土問題を棚上げした中間条約の締結を日本に提案したことがあり、領土先送り論は目新しくない。 ◎新潮社フォーサイトの関連記事 ・北朝鮮「建国70年」の実相(4・了)金正恩「態度」と「言葉」の意味 ・「クリントン図書館」が公開したエリツィン独白「プーチンは狂信主義者」 ・米露首脳会談が「不調」に終わったこれだけの理由 ロシア科学アカデミー極東研究所のワレリー・キスタノフ日本研究センター長は『独立新聞』(9月12日)で、「センセーショナルに見えても、現実性はあまりない。年内または近い将来の平和条約締結はないだろう。ロシアが4島への日本の主権を認め、次に2島を返還し、国後、択捉はかなり後に返すというのが日本の立場だ。しかし、ロシア政府は4島が合法的にソ連領になったことをまず日本が認め、それから平和条約交渉を行うとの立場だ」とコメントした。 『タス通信』東京支局のワシリー・ゴロブニン支局長はラジオ局『モスクワのこだま』のブログで、「これまで、ロシア外務省は無条件の平和条約締結案を日本側に伝えていなかった」とし、「安倍首相は重大な外交的失敗を喫した。ロシアは島で1センチも譲歩せずに、自らの立場を強化できたからだ」と書いた。モスクワ国際関係大学のドミトリー・ストレリツォフ教授は「思いがけない発言だったが、平和条約問題は日露政治対話の中心であり、ロシアもある程度イニシアチブを取って、日本に熱意を示す意味での発言だったかもしれない」と好意的に評価した。 日本側も「両国関係を発展、加速したいという強い気持ちの表れだろう」(菅官房長官)、「なるべく早く平和条約を締結したいという思いがよく分かった」(河野太郎外相)と前向きに受け止めつつある。しかし、4島での共同経済活動がまとまらない中、新たに無条件の平和条約締結案を協議するなら、交渉が複雑化し、混乱するのは確実だ。 プーチン政権が続く限り日本の国内問題に 日本のメディアでは報じられなかったが、プーチン大統領はパネル・ディスカッションの最後に再度北方領土問題に触れ、「ロシア連邦の地図を見てほしい。巨大な国だ。面積は世界最大であり、ここに問題の島々がある。そこには道徳的、政治的な性格と特徴があり、わが国にとって極めて先鋭で敏感な問題だ。従って、その点を考慮して正しく解決に当たらねばならない」と述べ、4島の問題は政治的、心理的問題であることを強調した。一方で、「われわれは中国との40年来の領土問題を、相互に受け入れ可能な妥協案によって解決した」とも強調した。 ◎新潮社フォーサイトの関連記事 ・北朝鮮「建国70年」の実相(4・了)金正恩「態度」と「言葉」の意味 ・「クリントン図書館」が公開したエリツィン独白「プーチンは狂信主義者」 ・米露首脳会談が「不調」に終わったこれだけの理由 中露の国境問題は2004年、係争中の3つの川中島を面積折半にするとの妥協案で解決したが、これは技術的な領土問題であり、第2次世界大戦の結果が絡む北方領土問題とは異なるとの認識である。広大な面積のロシアにとって、4島が技術的問題なら面積折半でも惜しくないが、膨大な犠牲を出した大戦の「戦利品」である以上、譲れないという発想だ。同じく大戦の結果が絡むバルト3国との領土問題でもロシアは一切譲歩しなかった。プーチン大統領自ら高揚させた戦勝意識と愛国主義が譲歩を妨げる構図だ。 こう見てくると、プーチン政権が続く限り、ロシア側が最大限譲歩しても2島止まりであり、国後、択捉の返還はもはや考えられない。北方領土問題は次第に、2島(または1島)で我慢するか、それとも4島を目指してプーチン後へ長期戦を覚悟するか、憂鬱な国内問題になりそうだ。 名越健郎 1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
◎新潮社フォーサイトの関連記事 ・北朝鮮「建国70年」の実相(4・了)金正恩「態度」と「言葉」の意味 ・「クリントン図書館」が公開したエリツィン独白「プーチンは狂信主義者」 ・米露首脳会談が「不調」に終わったこれだけの理由 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54136
中ロの急接近が脅威に、米国が本格的に対策を検討 米国を敵視し、軍事面、経済面で連帯を強化する中国とロシア 2018.9.19(水) 古森 義久 ロシア「史上最大」の軍事演習、中国・モンゴル軍とパレード ロシア東部シベリア地方のチュゴル軍事演習場で行われた軍事演習「ボストーク2018」で開かれたロシア・中国・モンゴル軍による軍事パレード(2018年9月13日撮影)。(c)MLADEN ANTONOV / AFP〔AFPBB News〕 9月中旬、中国とロシアがこれまででは最大規模の合同軍事演習を実行した。この演習が象徴する中ロ両国の軍事的な連帯強化は、米国に対抗する意図が明確だといえる。 では、米国は中国とロシアの連帯強化にどう対応すべきなのか。米国でこの課題を究明した大規模な官民合同の研究結果が公表された。この研究はその総括において、米国がこれまでどおり米国主導の国際秩序を守るため軍事、経済、政治などでの力をさらに強め、中ロ両国に対決していくことをトランプ政権に提案していた。 連邦議会で強まる中ロ連帯への懸念 中国とロシアがここ数年、米国を共通の競合相手とみて連帯を強めてきたことは、米側でも重大な懸念の対象と受け止められてきた。その懸念はオバマ前政権から存在したが、ここに来て連邦議会の超党派議員多数の間で特に懸念が強まり、トランプ政権の確固した対応を求めるようになった。 懸念の対象は主に中国とロシアが最近、軍事面での協力を強めてきたことである。トランプ政権も昨年(2017年)12月に公表した「国家安全保障戦略」のなかで、両国を「米国の利益や価値観を崩そうとする修正主義勢力で戦略上の競合相手」と定義づけた。 こうした背景の中、米国のアジア研究の学者や研究所多数から成る民間研究組織「全米アジア研究部会(NBR)」は9月中旬、「中国・ロシア関係=その戦略的意味と米国の政策選択肢」と題する報告書を公表した。 この調査研究はトランプ政権誕生直前の2016年12月に開始され、米国の民間の学者、研究者80人ほどに、中国やロシアなどの専門家約30人を加えたスタッフによって行われた。米国政府の国家安全保障会議、国防総省、国防総省などの関係部門の代表たちも多数、非公式な形でこの研究に加わった。米国でこれまで行われた中ロ連帯問題についての官民合同の研究としては最大規模といえる。 なぜいま連帯を強めているのか 同報告書の総括は、プロジェクトの中核となっていたジョージ・ワシントン大学教授のロバート・サター氏が執筆した。その骨子を紹介しよう。 まず注目されるのは、全体の傾向として今後も中ロの連帯は強まり、米国の国家安全保障や対外戦略全体への大きな脅威やチャレンジになっていくという懸念を表明している点である。報告書の総括には次のように記されていた。 ・習近平政権、プーチン政権ともに今後少なくとも5年は連帯をさらに強めていく意図が明白である。習主席の任期が無期限になったことがプーチン政権の独裁傾向とさらに合致するようになり、米国に共同で抵抗する動機を強めた。 そのうえで同報告書は、中国とロシアがなぜいま連帯を強めているのか、その基本的な理由として以下の要因を指摘していた。 ・中国とロシアの対外戦略と価値観の共通性 (米国主導の民主主義に反対し、南シナ海やクリミアでの軍事膨張行動を進めることがその実例) ・共に民主主義陣営から非難されている状況 (中ロ両国が米国主導の民主主義陣営から「侵略」や「弾圧」を非難されることを共通の弱みのように受け取っている) ・「米国の衰退」という共通認識 (米国が主体となる民主主義陣営の力が米国自体も含めて衰退してきたとする認識) 経済面でも連帯を強化 さらに同報告書は、中ロ両国を接近や連帯へと動かしてきた具体的な動因として以下の諸点を挙げていた。 ・中ロ両国はともに米国のグローバルな影響力に対抗し、国際秩序の改変を意図している。両国は南シナ海、クリミアなど、ともに自国に近い地域で米国の主導権に反発するようになった。 ・中ロ両国はともに米国主導の民主主義と人権尊重の動きに反発する。両政権は米国側から民主主義や人権の弾圧に関して非難を受け、ともに弱みと反撃の必要を感じている。 ・米国の軍事力と軍事態勢への反発が中ロ両国の連帯をもたらした。特に中ロがそれぞれ自国の安全保障にとって極めて重要とみなす地域で米側がミサイル防衛や長距離ミサイル、軍事偵察の能力を増強していることを、自国への脅威と感じている。 ・中ロ両国はともに「反米」と呼べる米国へのネガティブな認識を抱き、その認識が自国への自己認識と重複している。米国とその同盟諸国の意図への強い不信と反発が共通する。 ・中ロ両国は、貿易や投資の面でも連帯することによる利益が増えてきた。ロシアはクリミア侵略への米国や西欧の経済制裁の結果、貿易面で中国への依存を増してきた。中国もエネルギー資源の調達先としてのロシアの重要性を高めてきた。 報告書は以上のような諸点を挙げ、中ロ両国の連帯が米国とその同盟諸国にもたらす影響はきわめてネガティブであり、その結果、米側にとっての国際情勢展望は暗い、とも述べていた。 正規の軍事同盟を結ぶ可能性は低い しかし、報告書は以下のようにも記し、中ロ連帯には抑制の要因や限界もあることを指摘する。なかでも、中ロ両国はいくら軍事協力を進めても公式の同盟パートナーにはならないという見通しは重要だろう。 ・中ロ両国の経済力の差が軍事や政治での連帯を抑える可能性がある。ロシアの経済力は中国よりもはるかに劣り、対中経済依存を高めている。モンゴルや中央アジアではロシアは経済覇権を中国に譲った。この不均衡がプーチン大統領のロシア復活の野望とぶつかる見通しもある。だから、中ロ両国が正規の軍事同盟を結ぶ可能性はきわめて低い。 ・ロシアの軍事面での立場も変化してきた。ロシアの軍事力は中国よりずっと強力で優位な立場から援助する構図だったが、それが変わってきた。ロシアの国家資産は核戦力、軍事技術、秘密作戦能力、諜報能力などに限られ、国際的なソフトパワーは皆無といえる。その軍事優位も最近は中国に追いつかれ、指導的な立場が崩れてきた。 ・中ロ両国の間には相互不信や敵対の長い歴史がある。民族性の差異にまでさかのぼる闘争の歴史は完全に消えることはないという見方がなお存在する。米国への対処でも、中ロ両国は自国の利益のために相手を利用し、欺くという言動を最近まで続けてきた。せいぜい10年ほどにしかならない最近の米国に対する足並みの一致が果たしてどれほど堅牢なのか疑問である。 ・米国側の中国とロシアへの政策は異なる場合がある。トランプ政権はプーチン政権との融和を模索しながら、習政権に対しては強硬な態度を崩さないというような「使いわけ」政策をとることも珍しくない。この米側による差別が中ロ連帯を阻む可能性がある。 ・中ロ両国の日本や西欧などに対する姿勢はときに大きく異なる。米国のアジアでの主要同盟相手である日本への態度は、中国よりもロシアの方が友好的である。西欧諸国や中東、さらにはアジアでのベトナム、インドなど重要な相手への政策をみても、両国には違いが目立つ。この差異が中ロ連帯のさらなる進展を難しくしうる。 米国がとるべき政策は? 同報告書は以上のように中ロ連帯に多角的な光をあてながら、米国のトランプ政権がどのような政策で臨むべきかを記していた。この大規模な調査研究に加わった専門家たちの間では、米国のとるべき政策として大きく分けて以下の4つが挙げられたという。 (1)中ロ両国がこのまま連帯を続けることを想定し、米国は軍事、経済、外交の各面で国内外の力を着実に強化し、両国に正面から対決し、抑止する。 (2)中国との関係を改善して対決要素を薄める。ロシアに対してはさらに強硬な措置をとり、中ロの離反を図る。 (3)米国への長期の最大脅威は中国とみなして強固な抑止策をとり、ロシアに対しては融和政策を導入して、中ロの離反を図る。 (4)米国は長年の国際的な覇権や主導権を後退させ、中国とロシアという新興の大国の国際的役割拡大を受け入れる形で協調を図る。 以上のような政策選択のなかで、この調査研究に参加した米国側の専門家たちの圧倒的多数が、(1)の対決と抑止の政策への賛同を表明したという。その結果、同報告書は米国政府や議会に対して、実質的に強固な政策を勧告していると言えるのである。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54140 ウラジオ柔道外交はプーチン大統領の「一本勝ち」 北方領土は「我慢する」か「長期戦を覚悟する」かの問題に 2018.9.20(木) 新潮社フォーサイト 新潮社の会員制国際情報サイト「新潮社フォーサイト」から選りすぐりの記事をお届けします。 プーチン大統領、日ロ平和条約締結を提案 年末までに「前提条件なし」で ロシア東部ウラジオストクで開催中の「東方経済フォーラム」に臨む、同国のウラジーミル・プーチン大統領(中央)、中国の習近平国家主席(右)、安倍晋三首相(2018年9月12日撮影)。(c)AFP/Kirill KUDRYAVTSEV〔AFPBB News〕
(文:名越健郎) ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が9月12日にウラジオストクで、「(領土などの)前提条件なしで日露平和条約を年内に締結しよう」と突然提案したことは、日本側に困惑を招いた。前々日の日露首脳会談でそのような発言はなく、唐突かつ意表を突く発言だったからだ。 難航する北方領土問題の棚上げを意図したことは明らかだが、日本側が拒否すれば、ロシアが反発し、交渉はさらに難航しよう。プーチン大統領と22回の会談を重ねた安倍晋三首相の対露外交が、曲がり角に直面していることを示した。 「1島返還」の恐れも プーチン発言は、日中露韓とモンゴル首脳が登壇した東方経済フォーラムのパネル・ディスカッションで飛び出したが、引き金は安倍発言だった。首相は「プーチン大統領と今後も会談を重ねていきたい。聴衆の皆さんにも、平和条約締結に向けたわれわれの歩みを、支持してもらいたい」と拍手を催促すると、大統領は「シンゾーは『アプローチを変えよう』と言ったが、是非そうしたい。たった今思いついたアイデアだが、平和条約を今とは言わないが、年末までに無条件に結ぼう。その後ならば、平和条約を基礎に、すべての係争問題の解決ができるはずだ」と提案すると、安倍首相を上回る拍手が起きた。 ◎新潮社フォーサイトの関連記事 ・北朝鮮「建国70年」の実相(4・了)金正恩「態度」と「言葉」の意味 ・「クリントン図書館」が公開したエリツィン独白「プーチンは狂信主義者」 ・米露首脳会談が「不調」に終わったこれだけの理由 4島の帰属問題を解決して平和条約を結ぶ――が国是の日本にとって、プーチン提案は到底受け入れられない。最大の問題は、平和条約を締結すれば、国際法上、戦後処理の完了を意味することだ。火事場泥棒のような終戦直後の旧ソ連による「4島不法占拠」が一瞬にして「合法支配」と化すことになる。 1956年の日ソ共同宣言は、「平和条約締結後に、善意のあかしとして歯舞、色丹の2島を引き渡す」と明記しており、全面積の7%の2島引き渡しで決着する可能性が強まる。国後、択捉について、プーチン政権は「大戦の結果ソ連領となった」としており、返還は考えられない。プーチン大統領自身、国後、択捉の帰属協議に応じたことは一度もない。 本コラムは新潮社の会員制国際情報サイト「新潮社フォーサイト」の提供記事です。フォーサイトの会員登録はこちら しかも大統領は「2島を引き渡すといっても、主権を移管するのか、レンタルするのか、具体的には何も書かれていない」と公言している。無条件で平和条約を締結した後の交渉は、56年宣言の解釈をめぐって難航しそうだ。大統領は「共同宣言に沿って日本が2島を領有することは、日本の“一本勝ち”だ」と述べたこともある。「引き分け」を唱える大統領の方針からすれば、2島を折半し、日本が得るのは無人島の歯舞諸島だけにとどまりかねない。歯舞なら4島の全面積の2%で、日本側の外交完敗となってしまう。 中韓も棚上げを支持? 今回のプーチン提案はサプライズ効果があり、普段日露関係には無関心な欧米のメディアも、「プーチン大統領、長く待たれた平和条約を日本に提案」(『ワシントン・ポスト』)、「プーチンが年末までの日露平和条約を希望」(『NBCテレビ』)などと大きく報道した。「日本がプーチンの平和条約提案を拒否」(『ブルームバーグ』)などと、日本に問題があるかのような報道もあった。 ◎新潮社フォーサイトの関連記事 ・北朝鮮「建国70年」の実相(4・了)金正恩「態度」と「言葉」の意味 ・「クリントン図書館」が公開したエリツィン独白「プーチンは狂信主義者」 ・米露首脳会談が「不調」に終わったこれだけの理由 これは、壇上で「平和条約締結」だけを訴え、領土問題解決に触れなかった安倍首相の対応にも問題があろう。首相はプーチン発言を笑顔で聞き、その後も4、5回発言の機会があったのに、北朝鮮問題やシベリア鉄道の輸送問題などに触れただけで、プーチン提案に反論しなかった。菅義偉官房長官が「4島の帰属問題を解決して平和条約を締結する基本方針に変わりはない」と強調したが、首相がその場で日本の立場を説明し、反論すべきだった。 「反論も何もせずに薄ら笑いを浮かべていた。外交上の大きな失態」(国民民主党の玉木雄一郎代表)、「(無条件の平和条約締結は)領土要求を放棄し、国を切り売りすることになる。それを目の前で言われて反論も異論も言わないのは外交的大失態」(共産党の志位和夫委員長)といった野党指導者の批判は的を射ていた。 パネル・ディスカッションではその後、日露の領土問題が話題になり、司会者から振られた中国の習近平国家主席は「領土をめぐる係争が存在するのは問題だ。解決できないなら、それをうまく管理することが重要だ。歴史の教訓から学んでほしい」と述べた。韓国の李洛淵(イ・ナギョン)首相は「国際的な文書を基に、英知で解決すべきだ。中国のケ小平は『現世代が問題を解決する英知を持たないなら、次の世代に委ねるべきだ』と述べたことがある」と語った。日本と領土問題を抱える中韓首脳はいずれも、ロシアの領土棚上げ論を暗に支持した。 プーチン大統領が得意とする柔道は、相手の力を利用して逆襲に転じるのが極意だが、今回は大統領が首相の前のめり姿勢を利用して技をかけ、「一本勝ち」を収める形となった。 安倍首相の「外交失敗」 プーチン提案の直後、イーゴリ・モルグロフ外務次官が日本側に年内の平和条約締結で交渉開始を求めており、提案を事前に用意していた可能性もある。旧ソ連は1970年代、領土問題を棚上げした中間条約の締結を日本に提案したことがあり、領土先送り論は目新しくない。 ◎新潮社フォーサイトの関連記事 ・北朝鮮「建国70年」の実相(4・了)金正恩「態度」と「言葉」の意味 ・「クリントン図書館」が公開したエリツィン独白「プーチンは狂信主義者」 ・米露首脳会談が「不調」に終わったこれだけの理由 ロシア科学アカデミー極東研究所のワレリー・キスタノフ日本研究センター長は『独立新聞』(9月12日)で、「センセーショナルに見えても、現実性はあまりない。年内または近い将来の平和条約締結はないだろう。ロシアが4島への日本の主権を認め、次に2島を返還し、国後、択捉はかなり後に返すというのが日本の立場だ。しかし、ロシア政府は4島が合法的にソ連領になったことをまず日本が認め、それから平和条約交渉を行うとの立場だ」とコメントした。 『タス通信』東京支局のワシリー・ゴロブニン支局長はラジオ局『モスクワのこだま』のブログで、「これまで、ロシア外務省は無条件の平和条約締結案を日本側に伝えていなかった」とし、「安倍首相は重大な外交的失敗を喫した。ロシアは島で1センチも譲歩せずに、自らの立場を強化できたからだ」と書いた。モスクワ国際関係大学のドミトリー・ストレリツォフ教授は「思いがけない発言だったが、平和条約問題は日露政治対話の中心であり、ロシアもある程度イニシアチブを取って、日本に熱意を示す意味での発言だったかもしれない」と好意的に評価した。 日本側も「両国関係を発展、加速したいという強い気持ちの表れだろう」(菅官房長官)、「なるべく早く平和条約を締結したいという思いがよく分かった」(河野太郎外相)と前向きに受け止めつつある。しかし、4島での共同経済活動がまとまらない中、新たに無条件の平和条約締結案を協議するなら、交渉が複雑化し、混乱するのは確実だ。 プーチン政権が続く限り日本の国内問題に 日本のメディアでは報じられなかったが、プーチン大統領はパネル・ディスカッションの最後に再度北方領土問題に触れ、「ロシア連邦の地図を見てほしい。巨大な国だ。面積は世界最大であり、ここに問題の島々がある。そこには道徳的、政治的な性格と特徴があり、わが国にとって極めて先鋭で敏感な問題だ。従って、その点を考慮して正しく解決に当たらねばならない」と述べ、4島の問題は政治的、心理的問題であることを強調した。一方で、「われわれは中国との40年来の領土問題を、相互に受け入れ可能な妥協案によって解決した」とも強調した。 ◎新潮社フォーサイトの関連記事 ・北朝鮮「建国70年」の実相(4・了)金正恩「態度」と「言葉」の意味 ・「クリントン図書館」が公開したエリツィン独白「プーチンは狂信主義者」 ・米露首脳会談が「不調」に終わったこれだけの理由 中露の国境問題は2004年、係争中の3つの川中島を面積折半にするとの妥協案で解決したが、これは技術的な領土問題であり、第2次世界大戦の結果が絡む北方領土問題とは異なるとの認識である。広大な面積のロシアにとって、4島が技術的問題なら面積折半でも惜しくないが、膨大な犠牲を出した大戦の「戦利品」である以上、譲れないという発想だ。同じく大戦の結果が絡むバルト3国との領土問題でもロシアは一切譲歩しなかった。プーチン大統領自ら高揚させた戦勝意識と愛国主義が譲歩を妨げる構図だ。 こう見てくると、プーチン政権が続く限り、ロシア側が最大限譲歩しても2島止まりであり、国後、択捉の返還はもはや考えられない。北方領土問題は次第に、2島(または1島)で我慢するか、それとも4島を目指してプーチン後へ長期戦を覚悟するか、憂鬱な国内問題になりそうだ。 名越健郎 1953年岡山県生れ。東京外国語大学ロシア語科卒業。時事通信社に入社、外信部、バンコク支局、モスクワ支局、ワシントン支局、外信部長を歴任。2011年、同社退社。現在、拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学東アジア調査研究センター特任教授。著書に『クレムリン秘密文書は語る―闇の日ソ関係史』(中公新書)、『独裁者たちへ!!―ひと口レジスタンス459』(講談社)、『ジョークで読む国際政治』(新潮新書)、『独裁者プーチン』(文春新書)など。
◎新潮社フォーサイトの関連記事 ・北朝鮮「建国70年」の実相(4・了)金正恩「態度」と「言葉」の意味 ・「クリントン図書館」が公開したエリツィン独白「プーチンは狂信主義者」 ・米露首脳会談が「不調」に終わったこれだけの理由 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54136
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