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ドンバスをキエフ政権に制圧させるため、米国が武器の供給を拡大へ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201809030000/
2018.09.04 櫻井ジャーナル
アメリカ政府はキエフ政権に対する武器の供給を拡大し、海軍と空軍を強化する準備を進めているという。これはアメリカ政府のウクライナ担当特使、カート・ボルカーがイギリスのガーディアン紙に語っている。脅しのつもりなのだろう。
この記事が掲載される前日、2018年8月31日にキエフ政権と対立しているドンバスの政権を率いるアレクサンダー・ザカルチェンコがレストランで暗殺されている。内部に仕掛けられた爆弾によるもので、副首相も重傷を負ったという。
キエフ政権は現在、ペトロ・ポロシェンコが大統領を務めているが、実態はネオ・ナチの体制。2014年2月22日にバラク・オバマ政権の支援を受けたネオ・ナチのグループはビクトル・ヤヌコビッチ大統領をクーデターで排除することに成功、それ以来のことだ。
ネオ・ナチのリーダー、アンドリー・パルビーはウクライナ社会国家党(後にスボボダ/自由へ改名)とウクライナ愛国者党を作り上げた人物で、2016年から国会の議長を務め、今年6月にはフランスとアメリカを訪問した。アメリカの議会は親イスラエル派で有名だが、その議会はパルビーを歓待、下院議長のポール・ライアンなどと私的に会談している。社会国家党はナチスの正式名称、国家社会主義ドイツ労働者党を連想させるので改めたと言われている。
アメリカ支配層はパルビーがネオ・ナチだという指摘に対し、ロシアのプロパガンダだと主張、それで押し切ろうとしてきたが、パルビーたちがステファン・バンデラの信奉者であり、ナチが使っていたマークに似たマークを使用してきたことも秘密ではない。
ステファン・バンデラは1930年代後半から活動していた反ロシア派OUNのリーダーで、この一派はイギリスの対外情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーに雇われていた。
ウクライナがドイツに占領されていた時代、彼らは「汚い仕事」を引き受け、ユダヤ人90万名が行方不明になった出来事に関与していると言われている。1941年以降、バンデラ派はドイツから資金を受け取り、その幹部だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入った。
その後、ウクライナの民族主義者が独立を宣言するとナチスの親衛隊は弾圧に乗り出し、バンデラたちも逮捕されるが、ザクセンハウゼンの強制収容所では特別待遇を受けている。その間、レベジは拘束されていない。
1943年になるとバンデラ派はUPA(ウクライナ反乱軍)を編成、反ボルシェビキ戦線を設立した。この組織は大戦後の1946年にABN(反ボルシェビキ国家連合)となり、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になる。言うまでもなく、1991年はソ連が消滅した年だ。こうした動きの背後にはCIAが存在していた。ソ連消滅後、こうした人脈は旧ソ連圏へ入り、活動を始める。
こうした流れの中でパルビーたちも暗躍、2014年のクーデターを成功させた。ウクライナのネオ・ナチへイスラエルが武器を提供していたことも判明している。
ところで、ウクライナの大統領を務めているペトロ・ポロシェンコは国立キエフ大学を卒業しているのだが、そこで親しくなったひとりが2004年から13年にかけてジョージアの大統領を務めたミハイル・サーカシビリ。
このサーカシビリは1994年にコロンビア・ロー・スクールで学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学ロー・スクールに通っている。その後、ニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働き、そこでエドゥアルド・シェワルナゼの下で働いていた旧友に誘われて政界入りしたという。
2000年10月にサーカシビリはシェワルナゼ政権の司法大臣に就任するが、すぐに辞任し、01年10月にUNM(統一国民運動)を創設する。2003年11月の議会選挙ではシェワルナゼの政党が勝利するのだが、サーカシビリは選挙に不正があったと主張、混乱がはじまる。
選挙前、ジョージアでは選挙の信頼度を上げるためだとして投票のコンピュータ化を進める。そのための資金、150万ドルを提供したのはCIAの資金を扱っているUSAID。アメリカ大使として2002年からジョージアにいたリチャード・マイルズはサーカシビリ支持の若者を扇動してシェワルナゼを辞任に追い込み、サーカシビリが実権を握る。これが「バラ革命」だ。ちなみに、マイルズはジョージアへ来る前、ユーゴスラビアで政権を転覆させている。
その後、ウクライナではビクトル・ヤヌコビッチを排除するため、2004年11月から05年1月にかけてオレンジ革命が実行されるが、その正体が西側の巨大資本とその手先による国民の富の略奪にすぎないことが判明、2010年に再びヤヌコビッチが大統領に選ばれる。そこで、今度はネオ・ナチを使ったクーデターを実行したわけだ。
しかし、ヤヌコビッチの支持基盤、つまりウクライナの東部や南部ではキエフのクーデター体制に対する反発は強く、迅速に動いたクリミアはウクライナから離脱することい成功、ドンバスでは今も戦闘が続いている。そのドンバスに対し、アメリカは軍事的に恫喝した。ドンバスのリーダーを殺したのはキエフ政権だと推測する人は少なくない。
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