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https://diamond.jp/articles/-/245187
■今度は「うがい薬」に殺到
なぜ真に受ける人が多いのか
「免疫力をアップさせてコロナに効くらしい」と、品薄になった納豆に続いて、今度は「うがい薬」が店頭から消えてしまったようだ。
大阪府の吉村洋文知事が、府内の新型コロナ患者にポビドンヨード入りうがい薬を使用したところ、唾液からウイルスが検出される人が減ったと発表したことを受けて、もはや風物詩になりつつある「買い占め」が起きてしまったのである。
パニックぶりは、ドラッグストアだけにとどまらない。メルカリでは「うがい薬」が高額転売されたほか、うがい薬の製造販売をしている明治ホールディングスの株価は年初来高値を叩き出した。この調子でいけば、「コロナウイルスを撃退!ポビドンヨード入りサプリメント」などという怪しげな健康食品が登場するのも、時間の問題だろう。
という話を聞くと、「なんでこんな話を真に受ける人がいるの?」と首をかしげる方も少なくないのではないか。
発表直後から、テレビでは研究者が登場して、「対象としている患者数が少なくて医学的根拠にならない」とバッサリやっている。ネットやSNSでも同様に懐疑的な声が多く、吉村知事に対しても「不確かな情報でパニックを煽っている」とボロカスだ。
にもかかわらず、ドラッグストアへ駆け込んでうがい薬を買い求めるというのは、いったいどういう気持ちなのかと、なかなか理解できない人も多いはずだ。
もちろん、シンプルに転売目的の人もいるだろう。が、転売の難しい納豆も似たような情報が流れたことで品薄になったことを踏まえると、世の中には「これがコロナに効くらしいよ」という話をノンフィルターで受け入れるピュアな人たちも、かなりの割合で存在しているのは間違いないのだ。
では、なぜこんなことになってしまうのか。経済分野のエラい先生などは、「本当に効果があるとわかったときに入手できないと困るから、とりあえず買っておくか」という、ゲーム理論に基づく消費者の自然な行動だという。また、日本人は権威に弱いので、公的な立場の人間が言うことは無条件で信頼する、と説明する人もいる。
どの説明も「なるほど」と納得できる一方で、もう1つ大きな要因があるのではないかと考えている。
納豆が効くと聞いてワッと飛びつき、うがい薬が効くと言われると買い漁り、という感じで、いともたやすく操れる人が多いというのは、我々日本人が、そういう教育を受けてきたからではないのか。
つまり、幼いころから「偉いセンセイの言っていることは素直に信じましょう」としつけられてきたので、知事自身が「ウソみたいな本当の話」と前置きするような眉唾な話でも、素直に信じてしまう人が多いのではないか、と申し上げたいのだ。
■OECDの調査から見て取れる
明らかに非常識な日本の教育
「そんなムチャクチャな暴論こそ信じられねえよ」と冷笑する人も多いだろうが、経済協力開発機構(OECD)が、48カ国・地域の小中学校段階の教員を対象に行った『国際教員指導環境調査2018』(TALIS 2018)の中には、日本の教育についてクスリとも笑えないシビアな現実が指摘されている。
48ヵ国の教員たちが実践している指導の中で、「批判的に考える必要がある課題を与える」という項目がある。批判といっても、クレーマーのように無理筋のイチャモンをつけるのではない。目の前に提示された話をハイハイと鵜呑みにするのではなく、客観的事実に基づいてゼロベースで論理的に考える力をつける、という立派な教育だ。
このような指導をしていると回答した教員の割合は、やはりというか欧米豪が高い傾向があり、アメリカは78.9%、カナダ(アルバータ)は76%、イギリス(イングランド)は67.5%、オーストラリアは69.5%となっている。
ただ、他の国もそれほど低いというわけではなく、アジアではシンガポール54.1%、台湾48.8%、韓国44.8%。イデオロギー的に国民の体制批判に敏感な中国(上海)でさえ53.3%、ロシアも59.7%なっており、48カ国の平均でみると61%だった。
このOECD調査から浮かび上がるのは、子どもたちに対して、「なんでもかんでも言われたことを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で論理的に考えてみなさい」と教育するのは、社会や文化に関係のない「世界の常識」ということだ。
が、この常識に頑なに背を向けて、我が道をつき進む国が1つだけある。そう、我らが日本だ。先ほどの調査で47の国・地域が40〜87%の範囲におさまっている中で、なんと日本だけが12.6%と、ドン引きするほどダントツに低いのである。
ちなみに、これほどではないが、日本の教員がほとんど実践しない指導がもう1つある。「明らかな解決法が存在しない課題を提示する」という項目だ。48ヵ国平均が37.5%という中で、日本は16.1%。下にはチェコやリトアニアという旧共産圏の国しかなく、ビリから3番目だ。
つまり、我々は何かにつけて、「ここまで識字率が高くて、レジでもお釣りの計算を間違えない国民が多い国は他にない」などと日本の教育レベルの高さを誇るが、実は一方で、世界のどの国でも当たり前にやっている「複雑な問題を先入観ゼロで自分の頭で考える」ということを子どもに教えない、ダイナミックな教育理念を持つ国だったのである。
■「ゼロから調べるレポート」で
宿題の存在意義を調べてはいけない不思議
そう言われてみれば、皆さんも身に覚えがあるだろう。小中高の授業で先生から、「世の中で当たり前となっていることを疑ってみる」というようなことや、「そもそもなぜそんなルールがあるのか」などということを考えさせられたという経験のある人は、かなり少数派ではないか。もちろん、それは最近の学校も変わらない。
少し前、知り合いの子どもから非常に興味深い話を聞いた。その小学校では、夏休みの宿題として、自分が興味を持ったことをゼロから調べてレポートにするという課題が出された。テーマは自由で、「なんで地球は丸いのか」ということから、「なぜ戦争がなくらないのか」というような壮大なものまで、興味を持てばなんでもいい。レポートは休み明けに、クラスのみんなの前で発表する。
そうした教師の説明を受けて、盛り上がる子どもたちの中で1人がこんなことを言い出した。
「じゃあ、僕はなんで学校には宿題があるのかについて調べます」
しかし、教師は間髪入れず、「はい、そういうのはダメです」とピシャリ。「テーマは自由」だと言いながらも、なぜ学校に行かなくてはいけないのか、校則があるのか、などのテーマはNGだというのである。
確かに、ゼロから考えた結果、「宿題をしなくてもいい」「校則なんてなくていい」という結論になってそれが発表されたら、「学級崩壊」につながるかもしれない、学校のガバナンスが保てないということなのだろうが、この話を聞いて、筆者は先ほどのOECD調査の「12.6%」という数字が頭をよぎった。
なぜ、学校に行かなくてはいけないのか。なぜ、みんなで同じ制服を着て、髪型まで決められなくてはいけないのか。そもそも、勉強というのは何のためにするのか――。みなさんも子ども時代、一度は考えた素朴な疑問だろう。本来、人が学ぶのは、このような明確な答えが出ない難題に対して、自分なりの答えを探すためである。
教師は子どもたちとこういう疑問について話し合い、学校に行く意義や、集団生活でルールを守ることの大切さ、「学ぶ」ということが何かということを、一緒に考えていかなければいけない。が、多くの小中学校ではそういう根本的な議論は避けられている。文科省の指導要綱で決められたことをしっかりと子どもたちに叩き込むことが「教育」であって、現行のシステムに疑問を持たせるようなことは、むしろ教育の妨げという扱いなのだ。
■「素直な子ども」は
ルールを守る「素直な大人」になる
それをうかがわせるような話が、先日の『日本経済新聞』に載っていた。常葉大学の紅林伸幸教授らの研究チームが、教員を目指す学生が大学の教職課程で4年間どう学び、どんな意識を形成していくのかを調べたところ、卒業に近づくほど授業技術のウェイトが増し、社会の広い関心、友人や社会との繋がりを議論するような体験が減少したという。ここから紅林教授は、以下のような結論を出した。
《日本の大学は学校の現実を批判的に捉えて独創的に工夫する教師ではなく、決められた教育を堅実に行える教師を育てている》(日本経済新聞2020年8月3日)
とにかく日本では、決められたことを決められた期間内にきっちりと教えるのが、「良い教師」というわけである。こういう教師が量産されて、全国の教育現場に配置されれば、現実を批判的に捉えて独創的に工夫するのではなく、学校や親が語ることを肯定して、文句ひとつ言わずに従う「素直ないい子」が大量に育つ、というのは容易に想像できよう。
実はこのあたりが、眉唾な情報やデマを鵜呑みにして買い占めに走るようなピュアな人が、日本に多い原因なのではないだろうか。
「素直ないい子」が成長すれば「素直な大人」になる。彼らは、「決められたルール」に従うのがデフォルトなので、自分の頭で考えて動くことができない。そうなると、テレビに出ている有名人や、政治家や役所が言うことを素直に信じて、素直に行動に移すしか道はないのだ。
■規律正しい国民性には
排他性という負の側面も
べつにディスっているわけではない。幼い頃から、「現実を批判的に捉えて独創的に工夫する」という教育を受けたこともないので、無理をしているわけではなく、それが当たり前なのだ。
与太話に付き合い切れないと思う方も多いかもしれないが、日本という国が世界の中でもかなり「異常」な教育を子どもたちに施しているのは、動かし難い事実だ。
もちろん、物事には必ず良い面と悪い面がある。国民みんながマスクをしたり、いきなりスーパーでレジ袋を使わなくなくなったりという「世界一規律正しい日本人」は、個々に「批判的思考」を教育していないからこそ、実現できているのかもしれない。
しかし一方で、この全体主義的教育が「社畜」という個を殺して組織に奉公するというスタイルや、「みんなと同じことをしない人間」への強烈な憎悪、イジメ、差別を生んでいるという負の部分もある。
ちなみに先ほどの調査で、48カ国の中で2番目に「批判的に考える」という指導に熱心なのがブラジル(84.2%)だ。新型コロナにかかってもマスクをしないで、「あんなもの風邪みたいなもんだ」とうそぶく大統領がまだそれなりに支持されているのは、国民性云々以前に「教育」によるところも大きいのだ。
ならば、日本で起きている「コロナ差別」や「自粛警察」の根っこにも「教育」があると考えることは、それほど荒唐無稽な話ではない。
「うがい薬が店頭から消えました」と大騒ぎをして終わるだけではなく、なぜこんなにも我々は「扇動」に弱いのか、なぜデマや偏見に踊らされやすいのか、という根本的な原因を、今のコロナ禍を機に、しっかりと考えてみる必要もあるのではないか。
(ノンフィクションライター 窪田順生)
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