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日当たりの良い部屋で読む横山秀夫『ノースライト』「家」とは家族との記憶なのではないか
2019.4.6(土) 松本 大介
無職となって、家に滞在する時間が増えた。だが、どこか居心地が悪い。
それは果たして「働いていない」という事実からくる、精神的な後ろめたさによるものか。それとも実際に、肉体的空間的に「わが家の居心地が悪い」ことによるのか。
精神と肉体が、互いに責任を転嫁し合う無職ライフ。今日はこの、「無職による無職のための住宅問題」をミッションとして自らに課す。なにせ考える時間は、売るほどあるのだ。
そんな私の決意はつゆ知らず、嫁さんは先ほどせわしなく職場へと向かった。去り際に何か言葉を口にしたようだったが、あまりよく聞こえなかった。おそらく「住宅問題の解決を、応援しているわよ」とでも言ったに違いない。
やれやれ。では、働く妻も期待していることだし、この問題に取り組むことにしますか。立ち上がった私は、1冊の本を手にして座り直した。ページをめくると、すぐに私は本の世界に没頭した。
横山秀夫 『ノースライト』
『ノースライト』(横山秀夫著、新潮社)
そういえば少し前、建築家・磯崎新さんが「建築家のノーベル賞」といわれるプリツカー賞を受賞したというニュースを見た。住むという用途をもった建築物も、デザイン性を追求すると芸術になる。意匠をこらした造形物は、人の心に感動をもたらすのだ。読みすすめながら頭の片隅でそんなことを思う。
この『ノースライト』は、昨今の建築界を取り巻く事情を軸に物語が進む。主人公・青瀬稔は1級建築士。ダム建設現場で働く両親のもとに生まれ、子ども時代は日本全国を転々とする「渡り」の生活をしていた。転居の回数は28回にものぼり、そのため青瀬は定住の象徴である「家」に対し、並々ならぬ思いがある。ふむふむ。28回も引越しをするとは、家にはきっとモノが少なかったに違いない。物があふれるわが家を見回し、ため息をつく。
作中の青瀬は結婚し、一人娘が生まれたことで、妻と意見が対立するようになった過去が語られる。木のぬくもりのある家を建てたいと主張する妻vs当時自らが多く手掛けていた「コンクリート打ちっぱなし」の洋館を建てたいと主張する夫という構図だ。2人の住居に対する認識の違いは溝を生み、徐々に夫婦間の不和にまで広がってしまう。そして、バブルの崩壊によって2人の仲は決定的に壊れてしまった。家に対する認識の違いは離婚にまで発展するのだ。
別れた直後、自暴自棄となった青瀬の生活は荒れた。そこを、かつての同級生で、小さな設計事務所を経営する岡嶋に拾われ、現在は何とか生計を立てているのだった。そんな青瀬のもとにある日、不思議な依頼が迷いこむ。
「自分自身が住みたい家を建ててくれ」
完成したのに注文主は住んでいない?
生ける屍のように暮らしていた青瀬は、その依頼によって息を吹き返す。自分が住みたい家を設計することに没頭したのだ。自分の内へと放った問いかけの答えは、自身にとって意外なものだった。青瀬の心に浮かんだ「本当に住みたい家」は、以前主張したことによって離婚の原因となったコンクリートの家ではなく、妻が望んだ木のぬくもりのある家だったのだ・・・。
自分の思いのすべてをつぎ込み、完成したその家「Y邸」は、『平成住まい200選』という、大手出版社が手掛ける豪華本に収録されるほどの高評価を得る。
しかし青瀬は完成からほどなくして、「注文主は、どうやらY邸には住んでいないようだ」という噂を耳にし、激しく動揺する。情熱のすべてをつぎ込んだ仕事を「否定された」と感じた青瀬は、Y邸の注文主である「吉野」を捜し始める。そして、その過程で物語は予想もつかない方向へと転がっていくのだった。
本書の肝は、Y邸をめぐる謎と人間ドラマにある。家という空間が、家族に、ライフスタイルに、ひいては人生にもたらすもの。読者は、本書を読みながら自らがこれまでに住み、暮らした住居へと思いを馳せるに違いない。と同時に、器である家ばかりでなく、ともに暮らした人の顔を思い浮かべるだろう。
子ども時代に住んだ家、初めて一人で暮らした賃貸物件、いま現在進行形で住まう住居などなど。その時々の記憶にとどまらず、自分と家族との関係や、家にまつわるささいなエピソードまでをも、きっと思い出すに違いない。記憶のなかのそれは、不思議と古びることはなく現在と繋がってはいまいか。
最後まで読み終えて、いま自分が住んでいる賃貸物件の部屋を見る。越してきて十数年は経つこの部屋に、出産した我が子を連れてともに帰ってきた自分と嫁さんを思い出して、昼間からひとり涙ぐんでいる40歳を過ぎた男性(無職)。日当たりだけは良いこの部屋には、柔らかなノースライトは差し込んでこない。
大井隆弘 『日本の名作住宅の間取り図鑑 改訂版』
『日本の名作住宅の間取り図鑑 改訂版』(大井隆弘著、エクスナレッジ)
『ノースライト』を読んで、建築や間取りに興味がわいた。午後の太陽光が降り注ぐなかを、本屋へと向かう。
本屋に到着し、建築コーナーを物色していると本書のタイトルが目に入ったのだった。手に取って中身を眺めると、なかなか興味深いことが書いてある。『放浪記』で有名な作家・林芙美子は、家に関しての参考書を200冊も読んでから家を建てたという。それらによって形作られた「家」に対する林の思想のエッセンスは、客間に金をかけないこと。むしろ、茶の間、風呂、便所、台所に金をかけることだという。
なるほど、たまの来客のために金をかけるなど、たしかに馬鹿げている。見栄以外の何物でもない。とても合理的な考えに、うんうんと頷く。日々暮らす「家族本位」の家づくりが正解なのだということを、あらためて考えるきっかけとなった。
本書には、夏目漱石が『吾輩は猫である』を執筆した当時、住んでいたとされる家の間取りも載っていた。1887年頃、東京千駄木に約39坪で建てられたその家は現在、博物館明治村に移設されているという。横長の長方形の右下に8畳の書斎をちょこっと足したような間取りである。南を向いた縁側がとても気持ちよさそうだ。日向ぼっこする猫たちを想像し、口元が緩む。嗚呼、私も猫のように生きたい。
本書を読んでさらに驚いたのが、ダイニングキッチンについて。その普及は、1955年に発足した日本住宅公団が、「団地」を建設した際に採用したことで広まったという。いまや昭和の遺産のような扱いを受ける団地も、時代の最先端を走っていた時代があったのだと思うと感慨深い。昭和生まれの私も、現在進行形で旧タイプのダイニングなキッチンがある賃貸物件に住んでいる。いつか我が家も、このような本に紹介される機会があるとしたら「無職の家」とキャプションを入れられないよう、就職活動を頑張ろうと決意する。
と、ここまでパラパラと立ち読みして、本書を棚へと戻した。面白い本だけれど、想像のなかで名作住宅に暮らすという遊びは、ちょっと虚しくなってしまったのだ。
くわえて、本書のとなりに置いてあった本の題名が気になっていた。お財布の中身と相談すると、2人の野口英世が「去らねばならぬ時が来たのだな?」と覚悟を決めた表情で問いかけてきた。「無職の時をともに過ごした、君たちのことは忘れないよ」と彼らに別れを告げ、その本を購入して家路をたどる。あたりは、すっかり夕暮れである。
坂口克 『家をセルフでビルドしたい』
『家をセルフでビルドしたい』(坂口克著、文藝春秋)
購入したのは、往年のルー大柴を感じさせる「和英が入り混じった」タイトルの本である。6年をかけ、自分の家を自力で建てた男による記録集。なにやら希望を感じさせる本だ。
著者は、フリーの雑誌カメラマン。都内アパート在住の当時37歳。奥様は証券会社のOLである。ことの始まりは2007年だった。飲み会の前に立ち寄った書店で、著者は『手づくりログハウス大全』という本を手に入れる。
手に入れた本の内容に大いに感化された著者は、それから2年後の2009年2月、埼玉県秩父郡長瀞町に288坪の土地を1200万円で購入する。もちろん手づくりハウスを建てるためのものだ。これは「LEGOブロック」、近年では「マインクラフト」といった、創造と破壊の快楽を経験しつくした先にある最高の遊びではないか。なんたる贅沢。かつて子ども時代に、LEGOブロックにハマった大人たちにとっては「ロマン」の一言であろう。
こういった時のお約束として、障壁となりがちな奥様もどうやら賛成のご様子。年明けには生まれてくるというお子さんのために、著者は気合いを入れて家づくりに取り組み始めるのだった。
しかし、3坪以上の建築物の設計は、最低でも2級建築士の資格を持っていないと、建築確認申請を出すことが難しいらしい。つまりは、さっき本屋で見た『日本の名作住宅の間取り図鑑』にある、気に入った物件の要素をぶち込んで「南の縁側に放浪する猫が集まる2DK」のような物件は設計できないということか?
いや、そんなことはない。そんな夢をかなえる「3Dマイホームデザイナー」というソフトがあるのだという。著者は、そのソフトを駆使して間取りを自ら設計し、建築士のもとへ図面を持ち込んだ。
電気や水道は半日ずつで完了
かなりアクティブな著者は、設計図ができるとほどなく家づくりを行動に移す。最初にやったことは電気をひくこと。電気はよほどのことがない限り、近くまで電力会社がタダでひいてくれるのだ。それから先の工事は資格を持つ叔父に頼み、マイ電柱を立てて電気メーターとコンセントを取り付けた。これは半日で完了。
お次は水道。水道は業者がアスファルトを切断し、水漏れさせずに早業で分岐を取り付け、そこからすぐに敷地内に水道メーターを設置。これまた半日仕事。なんだ、やはり簡単なのでは? 希望は膨らみ続ける。
続いて著者は、26万円で型落ちの新品コンテナハウスを購入し、雨風をしのぎ寝泊まりできる環境を整える。素人に難しい基礎工事だけは150万円を支払いプロに任せ、そこからじっくりと家づくりに取り組む。途中、屋根を飛ばされたりしながらも2013年、第1子の保育園入園の年にやっと屋内工事へ。そして2016年、数々の苦難を乗り越え、着工当時は生まれていなかったお子さんが、小学校に入学する年に家は完成する。建築費用560万円也。土地代を含めて1760万円。相場よりもかなり安い。
そういえばウチの嫁さんの実家も、大工である義父が自分で建てたと言っていたことを思い出す。スマホを取り出し、嫁さんに工期、工賃その他などの質問をメールで送った。すると、返信されてきたメールには、質問への答えではなく「もう少しで家に着くよ。町内会費払ってくれた?」とあった。
あ! そういえば昨夜そんなことを頼まれて、生返事を返しながら2000円を受け取ったのだった。今朝、出がけに嫁さんが発した言葉は、滞納していた町内会費を支払う念押しだったに違いない。どうしよう。町内会費未納によって、さらに居心地の悪い家となる未来が容易に思い浮かんだ。
玄関に「ただいま」の声が響く。財布のなかにあった町内会費は、手元で1冊の本へと姿を変えている。もう一度、手にした本のタイトルに目をやると、私は決意を固める。説得材料はこれしかない。自分への新たなるミッションだ。町内会費を払わなくてよい場所で、家をセルフでビルドしよう。はたして嫁さんは賛成してくれるだろうか? 足音がこちらへと近づいてくる。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55959
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